西園寺邸跡 (京都市上京区)  
Ruins of of Saionjitei Rresidence
西園寺邸跡 西園寺邸跡
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 京都御苑内の京都御所南の林に、「西園寺邸跡(さいおんじてい-あと)」の駒札が立てられている。
 江戸時代、この付近には公家の西園寺家の邸宅があった。
◆歴史年表 江戸時代、1769年、この地に西園寺邸が移されたという。邸内に妙音堂を再興した。以後、妙音堂は禁裏御祈祷所に定められる。
 近代、1868年、東京遷都に伴い、西園寺家は東京へ移る。
 1869年、西園寺公望は邸内に家塾「立命館」を創設した。京都府庁(太政官留守官)差留命令により1年弱で閉鎖になる。
 1870年、8月、内裏内の公家邸宅地は京都府の管轄になる。
 1871年、11月、内裏内の公家町は隣接する町組に分割された。
 1877年-1880年、京都御苑内の華族士族などの土地は京都府により買上げられた。
◆藤原通季 平安時代後期の公卿・藤原通季(ふじわら-の-みちすえ、1090-1128)。大宮中納言。権大納言・藤原公実の3男、母は但馬守藤原隆方の娘・光子。代々天皇家の外戚であり、母は第72代・堀河天皇、第74代・鳥羽天皇の乳母だった。9歳で叙爵し、官位昇進した。美作守、蔵人頭を経て、1115年、参議、その後、左中将・左衛門督、正三位権中納言に至る。1118年、妹・璋子(しょうし、待賢門院)が鳥羽天皇中宮になり、中宮権大夫、待賢門院別当も兼ねた。1122年、権中納言になる。正三位。39歳。
 清華家の一つである西園寺家の祖。豊原時元より笙を学ぶ、今様を歌った。
◆西園寺公経 平安時代後期-鎌倉時代中期の公卿・政治家・西園寺公経(さいおんじ-きんつね、1171-1244)。法名は覚勝、巴/鞆絵(ともえ)の大将と称された。京都の生まれ。藤原氏北家閑院流、藤原実宗(さねむね)の次男、母は藤原基家(もといえ)の娘。妻は源頼朝姪・一条全子。1199年、源実朝の死後、1208年、娘・倫子は九条道家に嫁し、1218年、九条三寅(みとら、後の頼経、第4代征夷大将軍)を産む。三寅を将軍後継者として鎌倉に下らせる。1221年、承久の乱で後鳥羽上皇(第82代)倒幕の動きを幕府に内通した。九条道家とともに第86代・後堀河天皇の譲位、第87代・四条天皇の践祚(せんそ)を実現させた。後鳥羽上皇側に幽閉される。乱は幕府北条氏の勝利に終わり、乱後、1222年、太政大臣、公武間を取り次ぐ関東申次(かんとうもうしつぎ)になる。1223年、従一位に昇る。1224年/嘉禄年間(1225-1227)、北山の別荘地に菩提寺の西園寺(鹿苑院の前身)を造営し、以後、西園寺殿と称された。『新古今和歌集』以下の勅撰集に入集した。74歳。
 鎌倉幕府との強い結びつきがあった。九条道家に嫁した娘・倫子は、将軍・頼経(九条頼経)を産む。孫・姞子は第88代・後嵯峨天皇の後宮になり、第89代・後深草天皇、第90代・亀山天皇を産み、その外戚になった。曽祖父・通季(みちすえ)から車紋に巴を用いた車を伝えられ、巴大将と呼ばれた。荘園、宋貿易で莫大な収入を得た。琵琶、歌をよくした。
 墓は西園寺(上京区)にある。
◆西園寺実氏 鎌倉時代前期-中期の公卿・西園寺実氏(さいおんじ-さねうじ、1194-1269)。法名は実空、号は常盤井入道。京都の生まれ。父は西園寺公経(きんつね)、母は藤原能保(よしやす)の娘・全子。第82代・後鳥羽朝以下7朝に仕える。1221年、承久の乱後、1246年、鎌倉幕府の支持で父の後を受け、太政大臣になる。幕府指名により朝幕間の連絡交渉にあたる関東申次(もうしつぎ)に任じられる。娘を第88代・後嵯峨天皇、第89代・後深草天皇の中宮とし、外祖父となる。2皇子も即位した。出家し、常盤井入道相国と称した。従一位。京都で没した。76歳。
 詩歌、文章に秀で和歌は『新勅撰和歌集』以下に採られた。日記に『常盤井相国記』。
◆西園寺公宗  鎌倉時代後期-南北朝時代の公卿・西園寺公宗(さいおんじ-きんむね、1309-1335)。京都の生まれ。西園寺実衡(さねひら)の長男、母は二条(藤原)為世(ためよ)の娘・昭訓門院春日。1324年、参議、権中納言に昇進した。1326年、父実衡が没し、西園寺家の家督と関東申次(もうしつぎ)の役職を継ぐ。1330年、権大納言、正二位になる。1331年、第代・後醍醐天皇が南山城の笠置山に出奔し、公宗は第代・光厳天皇のもとで重臣として仕えた。捕らえられた後醍醐天皇の検分に立ち会う。1332年、後醍醐天皇の隠岐遷幸に際し、皇子は公宗の邸に預けられた。1333年、鎌倉幕府が滅亡し、光厳天皇が廃位され、後醍醐天皇による建武の新政が始まる。公宗は中宮大夫を務めた。六波羅探題が上皇を擁して近江に没落し、公宗は京に留まる。北条高時(たかとき)の弟・泰家を邸に匿う。1235年、建武政権の動揺に乗じ、北条時行らと結び後醍醐天皇の暗殺、政府転覆を謀る。義父・日野資名(すけな)父子らとともに捕らえられ処刑された。(中先代の乱)。事件には弟・公重が関与していた。文章、歌も優れ、『続後拾遺和歌集』に入る。27歳。
◆西園寺公望 江戸時代後期-近代の貴族・政治家・西園寺公望(さいおんじ-きんもち、1849-1940)。幼名は美麿、号は陶庵。京都の生まれ。公家・徳大寺公純(きんいと)の次男、母は斐子。西園寺家を継ぐ。1868年、王政復古で、1867年、参与になる。戊辰戦争(1868-1869)に山陰道鎮撫総督などとして従軍した。1869年、邸内に家塾「立命館」を創設した。1871年/1870年、パリ・コミューン渦中のパリ第4大学(ソルボンヌ)に留学し、後に卒業した。クレマンソー、中江兆民らと交わる。1880年、帰国する。1881年、参事院に入る。明治法律学校(現・明治大学)を創立した。明治法律学校講師になる。東洋自由新聞社長になり、自由民権を主張する。兄・侍従長・徳大寺実則の説得で辞職した。1882年、憲法調査のために、伊藤博文に随いて渡欧した。以降、各国公使、賞勲局総裁になる。1884年、公爵、1885年、オーストリア公使などを歴任した。1891年、貴族院副議長、1894年から、第2次・第3次伊藤内閣文相になる。1900年、枢密院議長、1903年、立憲政友会総裁に就任した。1906年、第1次内閣、1911年、第2次内閣を組織した。1912年、元老になる。2個師団増設問題で陸軍と対立した。1914年、総裁を辞職する。1919年、ベルサイユ講和会議首席全権を務めた。1920年、公爵になる。著『西園寺公望自伝』など。92歳。
 晩年、軍部と対立した。国葬が執り行われた。
◆西園寺公一 近代の皇族・政治家・西園寺公一(さいおんじ-きんかず、1906-1993 )。 神奈川県生まれ。父は公望の養子・西園寺八郎(実父は旧・長州藩主・公爵毛利元徳)、母は公望の娘・新子、元勲・西園寺公望の孫。 1930年、オックスフォード大学を卒業した。1931年、帰国し、東京帝国大学大学院に在学した。 1934年、外務省の嘱託になる。1937年、近衛文麿内閣側近になった。1940年、再度外務省嘱託、1941年、近衛内閣嘱託になる。スパイ容疑で連座し、逮捕される。(ゾルゲ事件) 。新橋の芸妓・雪江と結婚した。 1946年、父・八郎の死去後、家督を弟・不二男に譲る。1947年、参議院議員(第一クラブ、当選1回)に当選した。 1958年、日本共産党に入党する。1958年-1970年、一家をあげて中国に渡り、日中間の友好・交渉の窓口になる。1967年、親中国派として日本共産党員を除名された。 1970年、帰国し、廖承志ら中国要人と親交した。著『貴族の退場』など。86歳。
 国交正常化前の日中間民間外交に尽力し、「民間大使」と称された。戦後、日中文化交流協会常任理事に就く。
◆西園寺家 西園寺家(さいおんじけ)は、藤原氏北家(ほっけ)閑院(かんいん)流になる。摂家に次ぐ家格の七清華家(せいがけ)の一つだった。昇殿を許された堂上(とうしょう)公家になる。琵琶の家としても知られた。分家に四辻、菊亭、洞院、正親町家などがある。
 平安時代後期の公実(きんざね、1053-1107)の子・通季(みちすえ、1090-1128)を祖にする。初め大宮(おおみや)と称した。鎌倉時代前期、1221年の承久(じょうきゅう)の乱で、4代・公経(きんつね、1171-1244)は北条氏を助けた。乱後、代々の幕府後援により太政大臣になる。天皇外戚として五摂家を凌ぐ。鎌倉時代中期に、北山に西園寺を建立し家名にした。
 建武新政(1333-1336)の時、公宗(きんむね、1310-1335)は叛いて一時衰亡する。その後、子・実俊(さねとし、1335-1389)により再興され、代々大臣に昇進した。なお、建武新政の際に伊予に逃れた一族は、8代を経て、安土・桃山時代、1585年の豊臣秀吉による四国征伐に抗し滅亡した。
 幕末、徳大寺家より養子に入った公望(きんもち、1171-1244)は、明治維新後に活躍し、元老として公爵になった。近代、1868年の東京遷都に伴い、西園寺家は東京へ移っている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 駒札、『京都大事典』、『日本の名家・名門人物系譜総覧』、『岩波講座2 近代日本の文化史 コスモロジーの「近世」』、ウェブサイト「コトバンク」


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