歴代天皇データ(生没年・在位年・摘要・元号・西暦‥) 
Summary of all the successive Emperors of Japan

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縄文時代
第1代  神武(じんむ)天皇 BC711-BC585 在位:BC660-BC585 
   天皇名・摘要  諡号・幼名・別称  生没年・年齢・在位期間
・在位年数
 皇族・皇居・御陵
1
初代
(記紀)
神武天皇
(じんむ)
▪神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
▪狹野(さぬ)尊
▪始馭天下之(はつくにしらす)天皇
▪彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
▪若御毛沼(わかみけぬ)
■生没年:BC711?-BC585? 
庚午年1月1日-神武天皇76年3月11日
日向生まれ

▪年齢:137歳?(記)/127歳?(紀)

■立太子:BC697
甲申

■在位年:BC660?-BC585? 
神武天皇元(1)年1月1日-76年3月11日

▪在位年数:76年?

■年号(元号):-
■父:彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
▪母:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
▪皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)、妃・吾平津媛(あひらつひめのみこと)
▪子:手研耳命(たぎしみみのみこと)、神八井耳命(かんやいみみのみこと)、第2代・綏靖天皇

■皇居:畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)

■御陵:畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)
▪遺跡名:ミサンザイ古墳
▪陵形:円丘堀
▪所在地:奈良県橿原市大久保町

■三種の神器:神鏡・八咫鏡(やたのかがみ)(大和)、宝剣・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)(大和)、神璽(しんじ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)(大和)
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 第2 綏靖(すいぜい)天皇 BC632-BC549 在位:BC581-BC549
2
(記紀)
綏靖天皇
(すいぜい)
「欠史八代」
*「欠史八代」とは、『古事記』『日本書紀』で、系譜は存在するが事績の記述がない。
▪神渟名川耳尊(かんぬ/かむぬなかわみみのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC632?-BC549?
神武天皇29年-綏靖天皇33年5月10日

▪年齢:45歳?(記)/84歳?(紀)

■立太子:BC619
神武天皇42年1月3日

■在位年:BC581?-BC549? 
▪綏靖天皇元(1)年1月8日-33年5月10日

▪在位年数:33年?

■年号:-
■父:第1代・神武天皇の第3子(紀)
▪母:媛踏鞴五十鈴依媛命(ひめたたらいすずよりひめのみこと)(紀)
▪皇后:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)、河俣毘売(かわまたびめ)
▪子:磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまでみのみこと)、第3代・安寧天皇)

■皇居:葛城高丘宮(かずらき/かつらぎのたかおかのみや、葛城高岡宮)

■御陵:桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)
▪遺跡名:塚山古墳
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県橿原市四条町
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第3代 安寧(あんねい)天皇 BC577-BC511 在位:BC549-BC511
3
(記紀)
安寧天皇
(あんねい)
「欠史八代」
*事績は不明
▪磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまでみのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC577?-BC511? 
綏靖天皇5年-安寧天皇38年12月6日

▪年齢:49歳?(記)/57歳?(紀)

■立太子:BC557
綏靖天皇25年1月7日

■在位年:BC549?-BC511?
綏靖天皇33年7月15日-安寧天皇38年12月6日

▪在位数:39年?

■年号:-

■父:第2代・綏靖天皇(紀)
▪母:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)(紀)、河俣毘売(かわまたひめ)(記)
▪皇后:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)(紀)、阿久斗比売(あくとひめ)(記)
▪子:息石耳命(おきそみみのみこと)、大日本彦耜友尊(第4代・懿徳天皇)、磯城津彦命(しきつひこのみこと)

■皇居:片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや、片塩浮穴宮)

■御陵:畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県橿原市吉田町
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第4代  懿徳(いとく)天皇 BC553-BC477 在位:BC510-BC477
4
(記紀)
懿徳天皇
(いとく)
「欠史八代」
*事績は不明
▪大日本彦耜友尊(おおやまとひこすぎとものみこと)(和風諡号) ■生没年:BC553?-BC477? 
綏靖天皇29年-懿徳天皇34年9月8日

▪年齢:45歳?(記)/77歳?(紀)

■立太子:BC538
安寧天皇11年1月1日

■在位年:BC510?-BC477?
懿徳天皇元(1)年2月4日-34年9月8日

▪在位年数:34年?

■年号:-


■父:第3代・安寧天皇(紀)
▪母:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)(紀)・阿久斗比売(あくとひめ)(記)
▪皇后:天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)、賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)、飯日比売命(いいひひめ)(記)
▪子:観松彦香殖稲尊(第5代・孝昭天皇)、武石彦奇友背命(たけいしひこくしともせのみこと)

■皇居:軽曲峡宮(かるのまがりおのみや、軽之境岡宮)

■御陵:畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県橿原市西池尻町
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 第5代 孝昭(こうしょう)天皇 BC506-BC393 在位:BC475-BC393
5
(記紀)
孝昭天皇
(こうしょう)
「欠史八代」
*事績は不明
▪観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC506?-BC393?
懿徳天皇5年-孝昭天皇83年8月5日

▪年齢:93歳?(記)/114歳?(紀)

■立太子:BC489
懿徳天皇22年2月12日

■在位年:BC475?-BC393? 
孝昭天皇元(1)年1月9日-83年8月5日

▪在位年数:83年?

■年号:-
■父:第4代・懿徳(いとく)天皇(紀)
▪母:天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)(紀)・賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)(記)
▪皇后:世襲足媛(よそたらしひめ、余曽多本毘売)(紀)(記)、磯城県主の娘
▪子:日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)、第6代・孝安天皇)

■皇居:掖上池心宮(わきのかみのいけごころのみや、葛城掖上宮)

■御陵:掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県御所(ごせ)市大字三室(みむろ)
top
第6代 孝安(こうあん)天皇 BC427-BC291 在位:BC392-BC291
6
(記紀)
孝安天皇
(こうあん)
「欠史八代」
*事績は不明
▪日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC427?-BC291? 
孝昭天皇49年-孝安天皇102年1月9日

▪年齢:123歳?(記)/137歳(紀)

■立太子:BC408
孝昭天皇68年1月14日

■在位年:BC392?-BC291?
孝安天皇元(1)年1月7日-102年1月9日

▪在位年数:102年?

■年号:-
■父:第5代・孝昭天皇の第2子(紀)
▪母:世襲足媛(よそたらしひめ)(紀)
▪皇后:押媛命(おしひめのみこと)、磯城県主の娘(紀)
▪子:大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)、第7代・孝霊天皇)

■皇居:室秋津島宮(むろのあきつしまのみや、葛城室之秋津島宮)

■御陵:玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県御所市大字玉手(たまて)
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弥生時代
第7代 孝霊(こうれい)天皇 BC342-BC215 在位:BC290-BC215
7
(記紀)
孝霊天皇
(こうれい)
「欠史八代」
*事績は不明
▪大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC342?-BC215?  
孝安天皇51年-孝霊天皇76年2月8日

▪年齢:106歳?(記)/128歳?(紀)

■立太子:BC317
孝安天皇76年1月5日

■在位年:BC290-BC215 
孝霊天皇元(1)年1月12日-76年2月8日

▪在位年数:76年?

■年号:-

■父:第6代・孝安天皇(紀)
▪母:押媛(おしひめ)(紀)
▪皇后:細媛命(くわしひめのみこと/ほそひめのみこと)、夫人:春日千乳早山香媛(かすがのちちはやまわかひめ)、妃・倭国香媛(やまとのくにかひめ)、妃・絙某弟(はえいろど)
▪子:日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)、第8代・孝元天皇)、千千速比売命(ちちはやひめのみこと)、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと)‥

■皇居:庵戸宮(いおとのみや、黒田廬戸宮)

■御陵:片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目
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第8代 孝元(こうげん)天皇 BC273-BC158 在位:BC214-BC158
8
(記紀)
孝元天皇
(こうげん)
「欠史八代」
*事績は不明
▪大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC273?-BC158?  
孝霊天皇18年-孝元天皇57年9月2日

▪年齢:57歳?(記)/116歳?(紀)

■立太子:BC255
孝霊天皇1月1日

■在位年:BC214?-BC158?
孝元天皇元(1)年1月14日-57年9月2日

▪在位年数:57年?

■年号:-

■父:第7代・孝霊天皇(紀)
▪母:細媛命(くわしひめのみこと/ほそひめのみこと)(紀)
▪皇后:欝色謎命(うつしこめのみこと)、妃・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)、妃・埴安媛皇后(はにやすひめのかみ)
▪子:稚日本根子彦大日日尊(第9代・開化天皇)、大彦命(おおひこのみこと/おおびこのみこと)、少彦男心命(すくなひこなのみこと)、倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)

■皇居:軽境原宮(かるのさかいはらのみや、軽之堺原宮)

■御陵:剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)
▪遺跡名:中山塚1-3号墳
▪陵形:前方後円(丘陵上の群集墳)
▪所在地:奈良県橿原(かしはら)市石川町
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第9代  開化(かいか)天皇 BC208-BC98 在位:BC158-BC98
9
(記紀)
開化天皇
(かいか)
「欠史八代」

*事績は不明
▪稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひびのみこと)(和風諡号) ■生没年:BC208?-BC98? 
孝元天皇7年-開化天皇60年4月9日

▪年齢:63歳?(記)/115歳?(紀)

■立太子:BC193
孝元天皇22年1月14日

■在位年:BC158?-BC98? 
孝元天皇57年11月12日-開化天皇60年4月9日

▪在位年数:61年?

■年号:-
■父:第8代・孝元天皇の第2子(紀)
▪母:欝色謎命(うつしこめのみこと)(紀)
▪皇后:伊香色謎命(いかしこめのみこと)、妃・丹波竹野媛(たんばのたかのひめ)、妃・姥津媛(ははつひめ)、鸇比売(わしひめ)
▪子:御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえのみこと、第10代・崇神天皇)、御真津比売命(みまつひめのみこと)、彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)‥

■皇居:春日率川宮(かすがのいざかわのみや、春日之伊邪河宮)

■御陵:春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)
▪遺跡名:念仏寺山古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県奈良市油阪町
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 第10代 崇神(すじん)天皇 BC148-BC30 在位:BC97-BC30
10
(記紀)
崇神天皇
(すじん)
▪御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえのみこと)
▪御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)
▪御真木(みまき)天皇
▪美万貴(みまき)天皇
▪所知初国(はつくしらしき)天皇(記)
▪御肇国(はつくにしらす)天皇(紀)
■生没年:BC148?-BC30?/258
?(記)
開化天皇10年-崇神天皇68年12月5日

▪年齢:168歳?(記)/120歳?(紀)/

■立太子:BC130
開化天皇28年1月5日

■在位年:BC97?-BC30? 
崇神天皇元(1)年1月13日-68年12月5日

▪在位年数:68年?

■年号:-

■父:第9代・開化天皇の第2子
▪母:伊香色謎命(いかがしこめのみこと)(紀)・伊迦賀色許売(いかがしこめのみこと)(記)
▪皇后:御間城姫(みまきひめ)、妃・遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆのまぐわしひめ)、妃・尾張大海媛(おわりのおおしまあまひめ)
▪子:第11代・垂仁天皇、彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと)、国方姫命(くにかたひめのみこと)‥

■皇居:磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)

■御陵:山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)
▪遺跡名:柳本行燈山(あんどんやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県天理市柳本町

■三種の神器:崇神天皇は、神鏡・宝剣の分身を作らせた。
 
神鏡・本体(大和・笠縫邑[かさぬいのむら])、神鏡・分身(宮中)、宝剣・本体(大和・笠縫邑)、宝剣・分身(宮中)、神璽(大和)
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第11代 垂仁(すいにん)天皇 BC69-70 在位:BC29-70
11
(記紀)
垂仁天皇
(すいにん)
▪活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)(紀)
▪伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)(記)
▪伊久米(いくめ)天皇
■生没年:BC69?-70?/311?  
崇神天皇29年1月1日-垂仁天皇99年7月14日

▪年齢:153歳?(記)/140歳?(紀)

■立太子:BC50
崇神天皇48年4月19日

■在位年:BC29?-70? 
垂仁天皇元(1)年1月2日-同99年7月14日

▪在位年数:99年?

■年号:-
■父:第10代・崇神天皇の第3皇子
▪母:御間城姫命(みまきひめのみこと)
▪皇后:狭穂姫命(さほひめのみこと)、皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、妃・渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)‥
▪子:第12代・景行天皇‥

■皇居:纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)

■御陵:菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
▪遺跡名:尼辻宝来山(ほうらいさん/ほうらいやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県奈良市尼辻西町

■三種の神器:神鏡・本体(伊勢)、宝剣・本体(伊勢)
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第12代 景行(けいこう)天皇 BC13-130 在位:71-130
12
(記紀)
景行天皇
(けいこう)
▪大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)
▪大帯日子淤斯呂和氣天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)(記)
▪大足日足天皇
▪大帯日子天皇
▪大帯日古天皇
▪大帯比古天皇
■生没年:BC13?-130? 
垂仁天皇17年-景行天皇60年11月7日

▪年齢:137歳?(記)/106歳?(紀)

■立太子:8
垂仁天皇37年1月1日

■在位年:71?-130?  
景行天皇元(1)年7月11日-60年11月7日

▪在位年数:60年?

■年号:-
■父:第11代・垂仁天皇の第3皇子
▪母:日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)
▪皇后:播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、妃・八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)、妃・水歯郎媛(みずはのいらひめ)‥
▪子:櫛角別王(かみくしのみこ、大碓皇子(おおうすのみこ/おほうすのみこ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、第13代・成務天皇

■皇居:纒向日代宮(まきむくひしろのみや)

■御陵:山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)
▪遺跡名:渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県天理市渋谷町
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第13代 成務(せいむ)天皇 84-190 在位:131-190
13
(記紀)
成務天皇
(せいむ)
*歴代皇統に作為的に追加されたともいう。
▪稚足彦尊(わかたらしひこ)(和風諡号) ■生没年:84?-190?/355?(記) 
景行天皇14年-成務天皇60年6月11日

▪年齢:95歳?(記)/
107歳?(紀)

■立太子:121
景行天皇51年8月4日

■在位年:131?-190? 
成務天皇元(1)年1月5日-60年6月11日

▪在位年数:60年?

■年号:-
■父:第12代・景行天皇
▪母:八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)
▪皇后:弟財郎女(おとたからのいらつめ)(記)、未詳とも
▪子:和謌奴気王(わかぬけのみこ)(記)

■皇居:志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)

■御陵:狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)
▪遺跡名:佐紀石塚山(さきいしづかやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県奈良市山陵町
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 第14代 仲哀(ちゅうあい)天皇 149-200 在位:192-200
14
(記紀)
仲哀天皇
(ちゅうあい)
*歴代皇統に作為的に追加されたともいう。
▪足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)(和風諡号)
▪帯中日子天皇
■生没年:149?-200?/362?(記) 
成務天皇18年?-仲哀天皇9年2月6日

▪年齢:52歳?(記)(紀)

■立太子:178
成務天皇48年3月1日

■在位年:192?-200? 
仲哀天皇元(1)年1月11日-9年2月6日

▪在位年数:9年?

■年号:-

■父:日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子
▪母:両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)
▪皇后:気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后[じんぐうこうごう])、妃・大中姫(おおなかひめ)、妃・弟媛(おとひめ)
▪子:第15代・応神天皇(紀)、麛坂皇子(かごさかのおうじ)(紀)、忍熊皇子(おしくまのみこ)(紀)

■皇居:角鹿笥飯宮(つぬがのけひのみや) 、穴門豊浦宮(あなとのとよら‐のみや)、筑紫橿日宮(つくしのかしひのみや)

■御陵:恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
▪遺跡名:岡ミサンザイ古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
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 ­ 神功(じんぐう)皇后 169-269 在位:201-269
­ 神功皇后
(じんぐうこうごう)
(女性皇室)
*歴代天皇列記経験女帝、大正期(1912-1926)までは歴代天皇(第15代)に列記された。
▪気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
▪息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
▪大帯比売命(おおたらしひめのみこと)
▪大足姫命(おおたらしひめのみこと)皇后
▪聖母(しょうも)
■生没年:169/170-269?
成務天皇40年-神功皇后69年4月17日)

▪年齢:100歳?(記)(紀)

■摂政年:201-269?
摂政 神功元(1)年10月2日-神功69年4月17日

■父:息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)の第7皇子
▪母:葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)
▪配偶者:第14代・仲哀天皇
▪子:第15代・応神天皇

■皇居:磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや、若桜宮)

■御陵:狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)
▪陵形:
▪所在地:奈良県奈良市山陵町
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 第15代 応神(おうじん)天皇 200-310 在位:270-310
15
(記紀)
応神天皇
(おうじん)
*実在性が有力視されている。
*「倭の五王」(『宋書』)中の「讃」ともいう。
▪誉田別尊(はむたわけのみこと/ほむたわけのみこと)(和風諡号)
▪誉田別(はむたわけ)
▪胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと/ほむだのみかど)
▪誉田天皇
▪誉田別天皇
▪品陀和気命
▪大鞆和気命(おおともわけのみこと)(記)
▪品太天皇
▪凡牟都和希王
▪去来紗別尊(いざさわけのみこと)(紀)
■生没年:200?-310?/394?(記) 
仲哀天皇9年12月14日-応神天皇41年2月15日

▪年齢:130歳?(記)/110歳?(紀)

■立太子:203
神功皇后摂政3年1月3日

■在位年:270?-310? 
応神天皇元(1)年1月1日-41年2月15日

▪在位年数:41年?

■年号:-

■父:第14代・仲哀天皇(紀)
▪母:神功皇后(じんぐうこうごう)(紀)
▪皇后:仲姫命(なかつひめのみこと)、妃・高城入姫命、妃・弟姫命‥
▪子:第16代・仁徳天皇、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)、大山守皇子(おおやまもりのみこ)、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ)‥

■皇居:軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや)、大隅宮(おおすみのみや)

■御陵:恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)
▪遺跡名:誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(誉田山古墳)
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府羽曳野市誉田6丁目
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古墳時代
 第16 仁徳(にんとく)天皇 257-399 在位:313-399
16
(記紀)
仁徳天皇
(にんとく)
*「倭の五王」(『宋書』)中の「讃(さん)」か「珍(ちん)」ともいう。
*仁徳王朝の開祖ともいう。
*応仁天皇、仁徳天皇は同一人物ともいう。
▪大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)
▪大鷦鷯(おおさざき)
▪大雀(おおさざき)
■生没年:257?-399?/427? 
神功皇后57年-仁徳天皇87年1月16日

▪年齢:83歳?(記)/110歳?

■立太子:-

■在位年:313-399 
仁徳天皇元(1)年1月3日-87年1月16日

▪在位年数:87年?

■年号:-
■父:第15代・応神天皇の第4皇子
▪母:仲姫命(なかつひめのみこと)
▪皇后:磐之媛命(いわのひめのみこと)、皇后・八田皇女(やたのこうじょ)、妃・髪長媛‥
▪子:第17代・履中天皇

■皇居:難波高津宮(なにわたかつのみや)

■御陵:百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)
▪遺跡名:大仙陵(だいせんりょう)古墳(大山古墳)
▪陵形:前方後円・三重堀
▪所在地:大阪府堺市堺区大仙町
top
第17代 履中(りちゅう)天皇 336-405 在位:400-405
17
(記紀)
履中天皇
(りちゅう)
▪大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)(記)
▪大江之伊邪本和気命
■生没年:336?-405?/432?(記) 
仁徳天皇24年?-履中天皇6年3月15日

▪年齢:64歳?(記)/70歳?(紀)

■立太子:343
仁徳天皇31年1月15日

■在位年:400?-405? 
履中天皇元(1)年2月1日-6年3月15日

▪在位年数:6年?

■年号:-


■父:第16代・仁徳天皇の第1皇子
▪母:磐之媛(いわのひめ)
▪皇后:草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)、妃・葛城黒媛(かつらぎのくろひめ)、嬪・太姫郎姫(ふとひめのいらつめ)、嬪・高鶴郎姫(たかつるのいらつめ)‥
▪子:磐坂市辺押磐皇子(いわさかいちのへのおしはのみこ)、御馬皇子(みまのみこ)、青海皇女(あおみのひめみこ)

■皇居:磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)

■御陵:百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)
▪遺跡名:上石津ミサンザイ古墳、百舌鳥陵山古墳、石津丘古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府堺市西区石津ヶ丘
top
第18代 反正(はんぜい)天皇 336-410 在位:406-410
18
(記紀)
反正天皇
(はんぜい)
*「倭の五王」(『宋書』)中の「珍」が有力。
▪多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)
▪瑞歯別尊(みずはわけのみこと)
■生没年:336?-410?/437?(記)
仁徳天皇24年?-反正天皇5年1月23日

▪年齢:60歳?(記)/61歳

■立太子:401
履中天皇2年1月4日

■在位年:406?-410? 
反正天皇元(1)年1月2日-5年1月23日

▪在位年数:5年(紀)

■年号:-

■父:第16代・仁徳天皇の第3皇子
▪母:磐之媛命(いわのひめのみこと)
皇夫人:津野媛(つのひめ)、妃・弟媛(おとひめ)
▪子:香火姫皇女(かいひめのひめみこ)、円皇女(つぶらのおうじょ)、財皇女(たからのひめこ)‥

■皇居:丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)

■御陵:百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
▪遺跡名:田出井山(たでいやま)古墳、楯井古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
top
 第19代 允恭(いんぎょう)天皇 376-453 在位:412-453
19
(紀)
允恭天皇
(いんぎょう)
*「倭の五王」(『宋書』)中の「済(さい)」という。

*5世紀半の在位:は確実視されている。
▪雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)(諱)
▪稚子
■生没年:376?-453?/454?(記) 
仁徳天皇64年?-允恭天皇42年1月14日

▪年齢:78歳?(記)/80歳?

■立太子:-

■在位年:412?-453? 
允恭天皇元(1)年12月-42年1月14日

▪在位年数:42年

■年号:-
■父:第16代・仁徳天皇の第4皇子
▪母:磐之媛命(いわのひめのみこと)
▪皇后:忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)、妃・藤原之琴節郎女(ふじわらのことふしのいらつめ)
▪子:木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)、名形大娘皇女(ながたのおおいらつめのひめみこ)、第20代・安康天皇、第21代・雄略天皇

■皇居:遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)

■御陵:恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)
▪遺跡名:市ノ山古墳(国分市野山古墳)
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府藤井寺市国府1丁目
top
第20代  安康(あんこう)天皇 401-456 在位:453-456
20
(紀)
安康天皇
(あんこう)
*「倭の五王」(『宋書』)中の「興」ともいう。
*5世紀半の在位:は確実視されている。
▪穴穂(あなほ)皇子(諱)
▪穴穂尊(あなほのみこと)
■生没年:401?-456? 
履中天皇2年?-安康天皇3年8月9日

▪年齢:56歳?(記)/56歳?

■立太子:-

■在位年:453?-456? 
允恭天皇42年12月14日-安康天皇3年8月9日

▪在位年数:4年?

■年号:-
■父:第19代・允恭天皇の第2皇子
▪母:忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
▪皇后:中蒂姫命(なかしひめのみこと)
▪子:-

■皇居:石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)

■御陵:菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)
▪陵形:方丘(中世城郭跡、宝来城跡)・堀
▪所在地:奈良県奈良市宝来4丁目
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第21代 雄略(ゆうりゃく)天皇 418-479 在位:456-479
21
(紀)
雄略天皇
(ゆうりゃく)
*「倭の五王」(『宋書』)中の「武」ともいう。
▪大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけのみこと)(紀)
▪大長谷若建命(記)
■生没年:418?-479?/489?(記) 
允恭天皇7年12月-雄略天皇23年8月7日

▪年齢:124歳?(記)/62歳?(紀)

■立太子:-

■在位年:456?-479?
安康天皇3年11月13日-雄略天皇23年8月7日

▪在位年数:24年?

■年号:-
■父:第19代・允恭天皇の第5皇子
▪母:忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
▪皇后:草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめのひめみこ)、妃・葛城韓国姫(かつらぎのからひめ)、妃・吉備稚媛(きびのわかひめ)
▪子:白髪皇子(しらかのみこ)、第22代・清寧天皇)、栲幡姫皇女(たくはたひめのひめみこ)、磐城皇子(いわきのみこ)

■皇居:泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)?

■御陵:丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)
▪遺跡名:島泉丸山(しまいずみまるやま)古墳・平塚古墳
▪陵形:円丘・堀
▪所在地:大阪府羽曳野市島泉8丁目
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第22代 清寧(せいねい)天皇 444-484 在位:480-484
22
(記紀)
清寧天皇
(せいねい)
▪白髪武広国押稚日本根子尊(しらがたけひろくにおしわかやまとねこのみこと)
▪白髪大倭根子命(しらがのおおやまとねこのみこと)(記)
▪白髪皇子
■生没年:444?-484? 
允恭天皇33年?-清寧天皇5年1月16日

▪年齢:41歳?

■立太子:478
雄略天皇22年1月1日

■在位年:480?-484? 
清寧天皇元(1)年1月15日-同5年1月16日

■在位年数:5年?

■年号:-
■父:第21代・雄略天皇の第3皇子
▪母:葛城韓媛(かつらぎのからひめ)
▪皇后:-
▪子:-

■皇居:磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)

■御陵:内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)
▪遺跡名:西浦白髪山古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府羽曳野市西浦6丁目
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 ­ 飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ) 440-484 執政484-484
­ 飯豊青皇女 ?
(いいとよあおのひめみこ)
(女性皇族)
*不即位天皇、近代、1945年までは歴代天皇の代数には含めず、飯豊天皇とも称された。
▪飯豊皇女
▪飯豊天皇
▪飯豊王女(いいとよのひめみこ)

▪飯豊王(いいとよのみこ)
▪飯豊郎女(いいとよのいらつめ)
▪青海皇女(あおみのひめみこ)、
▪青海郎女(あおみのいらつめ)、
▪忍海郎女(おしぬみのいらつめ)
▪忍海部女王(おしぬみべのひめみこ)
▪忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)
■生没年:440-484
允恭天皇29年?-清寧天皇5年11月?)

▪年齢:45歳?

■執政年:484-484?

▪在位年数:10カ月余り?

■年号:-


■父:第17代・履中天皇?、市辺押磐皇子の王女?、履中天皇々孫女?
▪母:市辺押磐皇子(いちのべのおしわのおうじ)の妹)か、市辺押磐皇子の娘・荑媛(はえひめ)?
▪配偶者:
▪子:

■皇居:

■御陵:埴口丘陵(はにぐちのおかのみささぎ)
▪遺跡名:北花内大塚(きたはなうちおおつか古墳
▪陵形:
▪所在地:奈良県葛城市北花内


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 第23代 顕宗(けんぞう)天皇 450-487 在位:485-487
23
(紀)
顕宗天皇
(けんぞう)
▪弘計尊(おけのみこと)
▪来目稚子尊(くめのわかごのみこと)
▪袁祁之石巣別尊(おけのいわすわけのみこと)
▪来目稚子
■生没年:450?-487? 
允恭天皇39年-顕宗天皇3年4月25日

▪年齢:38歳?(記)/48歳?

■立太子:-

■在位年:485?-487? 
顕宗天皇元(1)年1月1日-同3年4月25日

▪在位年数:3年?、8年(記)

■年号:-

■父:市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の第3子
▪母:蟻臣荑媛(ありのおみはえひめ)
皇后:難波小野王(なにわのおののおう)
▪子:-

■皇居:近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)

■御陵:傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)
▪陵形:前方後円(丘陵上の円墳?)
▪所在地:奈良県香芝市北今市(きたいまいち)
top
第24代 仁賢(にんけん)天皇 449-498 在位:488-498
24
(紀)
仁賢天皇
(にんけん)
「欠史十代」
*「欠史十代」とは、『古事記』に系譜のみの記載があり、事績の記述がない。
▪億計尊(おけのみこと)
▪大脚(おおし)
▪大為(おおす)
▪意祁(おけ)王(記)
▪大石(おおし)尊
▪嶋郎(しまのいらつこ)
▪嶋雅子(しまのいらつこ)
■生没年:449?-498? 
允恭天皇38年-仁賢天皇11年8月8日

▪年齢:50歳?

■立太子:482
清寧天皇3年4月7日

■在位年:488?-498? 
仁賢天皇元(1)年1月5日-同11年8月8日

▪在位年数:11年?

■年号:-

■父:市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ、市辺之忍歯王)
▪母:蟻臣荑媛(ありのおみはえひめ)
▪皇后:春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ/こうじょ)、妃・糠君娘(ぬかきみのいらつめ)
▪子:高橋大娘皇女(たかはしのおおいらつめのひめみこ)、朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)、第25代・武烈天皇‥

■皇居:石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)

■御陵:埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)
▪遺跡名:野中ボケ山古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府藤井寺市青山3丁目
top
第25代 武烈(ぶれつ)天皇 489-506 在位:498-506
25
(記紀)
武烈天皇
(ぶれつ)
「欠史十代」
▪小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせわかさざきのみこと)
▪稚鷦鷯(わかさざき)
▪若雀(記)
■生没年:489?-506?(紀) 
仁賢天皇2年-武烈天皇8年12月8日

▪年齢:18歳?/57歳?

■立太子:494
仁賢天皇7年1月3日

■在位年:498?-506? 
仁賢天皇11年12月-武烈天皇8年12月8日

▪在位年数:9年?

■年号:-
■父:第24代・仁賢天皇
▪母:春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)
▪皇后:春日娘子(かすがのいらつこ)
▪子:-

■皇居:泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)

■御陵:傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)
▪陵形:山形・前面堀
▪所在地:奈良県香芝市今泉
top
 第26代 継体(けいたい)天皇 450-531 在位:507-531
26
(記紀)
継体天皇
(けいたい)
「欠史十代」
▪男大迹王(おおとのみこと)
▪男大迹(おおど)(諱)(漢風諡号)(紀)
▪袁本野(おおど)
▪袁本杼命(おおどのみこと)(記)
▪乎富等大公王
▪彦太尊(ひこふとのみこと)
▪平富等(おおど)
■生没年:450?-531(紀)?/527?(記)/534
 
允恭天皇39年?-継体天皇25年2月7日(3月10日?)

▪年齢:43歳?(記)/82歳(紀)?

■立太子:-

■在位年:507?-531(紀)/?534 
継体天皇元(1)年2月4日-25年?2月7日

▪在位年数:25年

■年号:-
■父:彦主人王(ひこうしのおう)
▪母:振媛(ふりひめ)
▪皇后:手白香皇女(たしらかのひめみこ)、妃・尾張目子媛(おわりのめのこひめ)、妃・雅子媛(わかこひめ)‥
▪子:第27代・安閑天皇、第28代・宣化天皇、第29代・欽明天皇‥

■皇居:樟葉宮(くすきはのみや)、筒城宮(つつきのみや)、弟国宮(おとくにのみや)、磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)

■御陵:三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)
▪遺跡名:太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府茨木市太田3丁目
▪葬法:土葬
top
第27代 安閑(あんかん)天皇 466-535 在位:531-53
27
(記紀)
安閑天皇
(あんかん)
「欠史十代」
▪勾大兄尊(まがりのおおえのみこと)(諱)
▪広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)(諡)
■生没年:466?-535?(記) 
雄略天皇10年(466年?)-安閑天皇2年12月17日(536年1月25日?)

▪年齢:70歳?(紀)

■立太子:513
継体天皇7年12月8日

■在位年:531/534-535 
継体天皇25年2月7日-安閑天皇2年12月17日

▪在位年数:5年

■年号:-
■父:第26代・継体天皇
▪母:尾張目子媛(おわりのめこひめ)
▪皇后:春日山田皇女(郎女)(かすがのやまだのこうじょ)、妃・紗手媛(さてひめ)、妃・香香有媛(かかりひめ)、妃・宅媛(やかひめ)
▪子:-

■皇居:勾金橋宮(まがりのかなはし)

■御陵:古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)
▪遺跡名:高屋築山(たかやつきやま)古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:大阪府羽曳野市古市5丁目
▪葬法:土葬
*皇后と合葬される。
top
 第28 宣化(せんか)天皇 467-539 在位:535-539
28
(記紀)
宣化天皇
(せんか)
「欠史十代」
▪檜隈高田(ひのくまたかだ)(諱)
▪武小広国押盾尊(たけおひろくにおしたてのみこと)(諡)
■生没年:467?-539? 
雄略天皇11年-宣化天皇4年2月10日(3月15日)

▪年齢:73歳?(紀)

■立太子:-

■在位年:535/536?-539? 
宣化天皇2年12月-4年)2月10日

▪在位年数:5年

■年号:-

■父:第26代・継体天皇の第二子
▪母:尾張目子媛(おわりのめのこひめ)
▪皇后:橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ、橘之仲比売命)、妃・大河内雅子媛(おおしこうちのわくごひめ)
▪子:石姫皇女(いしひめのひめみこ/いしひめのおうじょ)、小石姫皇女(こいしひめのひめみこ)、倉稚綾姫皇女(くらのわかやひめのひめみこ)、上殖葉皇子(かみつうえはのみこ)

■皇居:檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)

■御陵:身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)
▪遺跡名:鳥屋ミサンザイ古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県橿原市鳥屋町
▪葬法:土葬
*皇后と合葬される。

top
 第29代 欽明(きんめい)天皇 509-571 在位:539-571
29
(記紀)
欽明天皇
(きんめい)
「欠史十代」
▪天国排開広庭尊(あまくにおしはるきひろにわのみこと)(和風諡号) ■生没年:509?-571? 
継体天皇3年(509年)-欽明天皇32年4月15日(571年5月24日)

▪年齢:63歳?

■立太子:-

■在位年:539?-571? 
宣化天皇4年12月5日-欽明天皇32年4月15日

▪在位年数:33年

■年号:-
■父:第26代・継体天皇の嫡男
▪母:手白香皇女(たしらかのひめみこ)
▪皇后:石姫皇女(いしひめのひめみこ/いしひめのおうじょ、石比売命)、妃・小石姫(おいしひめ)、倉稚綾子姫(くらのわかあやひめ)皇女‥
▪子:第30代・敏達天皇、第31代・用明天皇、第33代・推古天皇、穴穂部皇子(あなほべのみこ)、第32代・崇峻天皇‥

■皇居:磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)

■御陵:桧隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)
▪遺跡名:平田梅山古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県高市郡明日香村大字平田
▪葬法:土葬
*初の殯(もがり)が行われた。本葬までの長期間を遺体仮安置した。
top
 第30代 敏達(びだつ)天皇 538-585 在位:572-585
30
(記紀)
敏達天皇
(びだつ)
「欠史十代」
▪渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと)
▪訳語田渟中倉太珠敷尊(おさだのぬなくらふとたましきのみこと)
▪他田
■生没年:538?-585?/584?(記) 
宣化天皇3年?-敏達天皇14年8月15日(9月14日?)

▪年齢:48歳?

■立太子:554
欽明天皇15年1月7日

■在位年:572?-585 
敏達天皇元(1)年4月3日-14年8月15日

▪在位年数:14年

■年号:-

■父:第29代・欽明天皇の第2皇子
▪母:石姫皇女(いしひめのひめみこ/いしひめのおうじょ、石比売命)
▪皇后:息長広姫(おきながのひろひめ)、皇后・豊御食炊く屋姫命(とよみけかしきやひめのみこと、額田部皇女、第33代・推古天皇)、夫人・春日老女子(かすがのおみなご)、伊勢菟名子(うなこ)
▪子:押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)、竹田皇子(たけだのみこ)、糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)‥

■皇居:百済大井宮くだらのおおいのみや)、訳語田幸玉宮(おさだのさきたまのみや)

■御陵:河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)
▪遺跡名:太子西山古墳
▪陵形:前方後円・空堀
▪所在地:大阪府南河内郡太子町大字太子
▪葬法:土葬
*初の殯(もがり)が誄(しのびごと、弔辞)で行われた。

top
第31 用明(ようめい)天皇 540-587 在位:585-587
31
(記紀)
用明天皇
(ようめい)
「欠史十代」
▪橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)
▪大兄(おおえ)
▪池辺皇子(いけのべのみこ)
■生没年:540?-587?(記)(紀) 
欽明天皇元(1)年?-用明天皇2年4月9日?

▪年齢:48歳?

■立太子:-

■在位年:585?-587?(紀) 
敏達天皇14年9月5日-用明天皇2年4月9日

▪在位年数:3年

■年号:-

■父:第29代・欽明天皇の第4皇子
▪母:蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)
皇后:埿部穴穂部間人皇女(はしひとのあなほべのはしひとのひめみこ)、妃・蘇我石寸名(そがのいしきな)、妃・葛城広子(かつらぎのひろこ、当摩飯之子)
▪子:田目皇子(ためのみこ)、聖徳太子、当麻皇子(たいまのみこ)‥

■皇居:磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)

■御陵:河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)
▪遺跡名:春日向山古墳
▪陵形:方丘・空堀
▪所在地:大阪府南河内郡太子町大字春日
▪葬法:土葬
top
第32代 崇峻(すしゅん)天皇 553-592 在位:587-592 
32
(記紀)
崇峻天皇
(すしゅん)
「欠史十代」
▪泊瀬部(はせべ/はつせべ)
▪泊瀬部(はせべ)
▪長谷部若雀尊(はせべのわかさざきのみこと)
■生没年:553?/521?-592? 
欽明天皇14年?-崇峻天皇5年11月3日(12月12日)

▪年齢:40歳?

■立太子:-

■在位年:587?-592?(紀) 
用明天皇2年?8月2日-崇峻天皇5年11月3日

▪在位年数:6年

■年号:-
■父:第29代・欽明天皇の第12皇子
▪母:蘇我小姉君(そがのおあねのきみ)
▪妃:大伴小手子(おおとものこてこ)、嬪・蘇我河上娘(そがのかわかみのいらつめ)、布都姫(ふつひめ)
▪子:蜂子皇子(はちこのおうじ)、錦代皇女(にしきてのひめみこ)

■皇居:倉梯柴垣宮(くらはしのおかのみささぎ)

■御陵:倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県桜井市大字倉橋
▪葬法:土葬
*暗殺されすぐに埋葬された。葬儀は行われなかった。
top
第33代 推古(すいこ)天皇 554-628 在位:592-628
33
(記紀)
推古天皇
(すいこ)
(女性天皇)
「欠史十代」
*最初の女性天皇
▪額田部(ぬかたべ)(諱)
▪豊御食炊屋姫尊(とよみけかしぎやひめのみこと)(和風諡号)
■生没年:554-628 
欽明天皇15年?-推古天皇36年3月7日(記)(4月15日)

▪年齢:75歳?(紀)/73歳?

■立太子:-

■在位年:592-628 
崇峻天皇5年12月8日-推古天皇36年3月7日

▪在位年数:37年

■年号:-
*「法興(ほうこう)」について、聖徳太子周辺で使用された私年号が有力説。
■父:第29代・欽明天皇
▪母:蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)
▪配偶者:第30代・敏達天皇
▪子:菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)、竹田皇子(たけだのみこ)、小墾田皇女(おはりだのひめみこ)

■皇居:豊浦宮(とゆらのみや)、小墾田宮(おはりだのみや)

■御陵:磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)
▪遺跡名:山田高塚古墳
▪陵形:方丘
▪所在地:大阪府南河内郡太子町大字山田
▪葬法:土葬
*初の薄葬で行われた。
top
飛鳥時代
第34代 舒明(じょめい)天皇 593-641 在位:629-641
34 舒明天皇
(じょめい)
*「夫婦天皇」、第35代・皇極天皇(第37代・斉明天皇)とは配偶関係になる。
▪田村(たむら)(諱)
▪息長足日広額尊(おきながたらしひひろぬかのみこと)(和風諡号)
■生没年:593?-641 
推古天皇元(1)年-舒明天皇13年10月9日(11月17日)

▪年齢:49歳?

■立太子:-

■在位年:629-641 
舒明天皇元(1)年1月4日-舒明天皇13年10月9日

▪在位年数:13年

■年号:-
■父:押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)
▪母:糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)
▪皇后:宝皇女(たからのひめみこ、宝姫王、第35代・皇極天皇)、妃・田眼皇女(ためのこうじょ)、夫人・蘇我法提郎媛(そがのほほてのいらつめ)‥
▪子:古人大兄皇子、第38代・天智天皇、間人皇女(はしひとのひめみこ)、第40代・天武天皇

■皇居:飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)、田中宮(たなかのみや)、厩坂宮(うまやさかのみや)、百済宮(くだらのみや)

■御陵:押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)
▪遺跡名:忍坂段ノ塚古墳
▪陵形:上円(八角)下方
▪所在地:奈良県桜井市大字忍坂
▪葬法:土葬
top
第35代 皇極(こうぎょく)天皇 594-661 在位:642-645
35 皇極天皇
(こうぎょく)
(女性天皇)
*「夫婦天皇」、第34代・舒明天皇とは配偶関係になる。
*重祚、第37代・斉明天皇と同一天皇
▪宝(たから)
(諱)
▪宝皇女(諱)
▪天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひのみこと)(諡)
▪後岡本宮天皇
■生没年:594-661 
推古天皇2年-斉明天皇7年7月24日(8月24日)

■年齢:68歳

▪立太子:-

■在位年:642-645 
皇極天皇元(1)年1月15日-4年月14日

▪在位年数:4年

▪譲位(初の譲位)

■年号:-
■父:茅渟王(ちぬのおおきみ/ちぬのみこ)
▪母:吉備姫王(きび/きびつ ひめのおおきみ/きびひめのみこ)
▪皇配:高向王、第34代・舒明天皇
▪子:漢皇子(あやのみこ)、第38代・天智天皇、間人皇女(はしひとのひめみこ)、第40代・天武天皇

■皇居:飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)

■御陵:越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)
▪遺跡名:車木ケンノウ古墳
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県高市郡高取町大字車木
▪葬法:土葬
top
 第36代 孝徳(こうとく)天皇 596-654 在位:645-654
36 孝徳天皇
(こうとく)
▪天万豊日尊(あめよろずとよひのみこと)(和風諡号)
▪軽(かる)皇子(幼名)
■生没年:596-654 
推古天皇4年-白雉5年10月10日(11月24日)

▪年齢:59歳

■立太子:-

■在位年:645-654 
皇極天皇4年6月14日-白雉5年10月10日

▪在位年数:10年

■年号:大化(たいか)、白雉(はくち)
*「大化」が初の年号とされる。「大化」、「白雉」の実施について疑問視する説がある。
■父:茅渟王(ちぬのおおきみ/ちぬのみこ)
▪母:吉備姫王(きびひめのおおきみ/きびひめのみこ/きびつひめのみこ)
▪皇后:間人皇女(はしひとのひめみこ)、妃・阿部小足媛(あべのおたらしひめ)、蘇我乳娘(そがのちのいらつめ)
▪子:有間皇子(ありまのみこ)

■皇居:難波宮(なにわのみや、難波長柄豊碕宮)

■御陵:大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)
▪遺跡名:山田上ノ山古墳
▪陵形:円丘
▪所在地:大阪府南河内郡太子町大字山田
▪葬法:土葬
*大化の薄葬令の詔を出した。
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第37代 斉明(さいめい) 天皇 594-661 在位:655-661
37 斉明天皇
(さいめい)

(女性天皇)
*重祚、第35代・皇極天皇と同一天皇
*「夫婦天皇」、第34代・舒明天皇とは配偶関係になる。
■生没年:594-661 
推古天皇2年-斉明天皇7年7月24日(8月24日)

▪年齢:68歳

■立太子:-

■在位年:655-661 
斉明天皇元(1)年1月3日-7年7月24日

▪在位年数:7年

■年号:-

■父:茅渟王(ちぬのおおきみ/ちぬのみこ)の第一王女
▪母:吉備姫王(きびひめのおおきみ/きびひめのみこ)
▪配偶者:高向王(たかむくのおおきみ)、第34代・舒明天皇
▪子:漢皇子(あやのみこ)、第38代・天智天皇、間人皇女(はしひとのひめみこ)、第40代・天武天皇

■皇居:飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや)、飛鳥川原宮(あすかのかわらのみや)、飛鳥後岡本宮、飛鳥田中宮(あすかのたなかのみや)、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)

■御陵:越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)
▪遺跡名:車木ケンノウ古墳
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県高市郡高取町大字車木
▪葬法:土葬
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第38代 天智(てんじ)天皇 626-671 在位:668-671
38 天智天皇
(てんじ)
(天智系)
▪葛城(かつらぎ)皇子(名)
▪開別皇子(名)
▪天命開別尊(あめみことはるきわけのみこと/あめみことひらかすわけのみこと)(和風諡号)
▪大津宮天皇
▪中大兄(なかのおおえ)
■生没年:626-671 
推古天皇34年-天智天皇10年12月3日

▪年齢:46歳?(紀)

■立太子:645
皇極天皇4年6月14日

■在位年:668-671 
(称制661-668)
天智天皇7年1月3日-10年12月3日

▪在位年数:4年(即位前の称制を含み7年)

■年号:-
■父:第34代・舒明天皇の第2皇子
▪母:第35代・皇極天皇
▪皇后:倭姫王(やまとひめのみこ)、嬪・蘇我遠智娘(そがのおちのいらつめ)、嬪・蘇我姪娘(そがのめいのいらつめ)、采女:宅子娘(やかこのいらつめ)‥
▪子:大田皇女(おおたのひめみこ)、鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ、第41代・持統天皇)、建皇子(たけるのみこ)、御名部皇女(みなべのひめみこ)‥
■皇居:近江大津宮(おうみおおつのみや/おうみのおおつのみや)

■御陵:山科陵(やましなのみささぎ)
▪遺跡名:御廟野(ごびょうの)古墳
▪陵形:上円下方(八角)
▪所在地:京都府京都市山科区御陵上御廟野町
▪葬法:土葬
top
­ 志貴皇子(しきのみこ)・春日宮天皇 ?-715 
­ 志貴皇子
(しきのみこ/おうじ)
*追尊天皇、即位はしていない。770年に、6男・白壁王(第49代・光仁天皇)の皇嗣に擁立、即位にともない春日宮御宇天皇と追尊された。
▪芝基皇子
▪施基皇子
▪志紀皇子
▪志貴皇子
▪春日宮(かすがのみや)御宇天皇
▪春日宮天皇
▪田原天皇(たはら/たわらのすめらみこと)
■生没年:?-715/716

?-霊亀2年8月11日(9月1日)

■父:第38代・天智天皇の第7皇子
▪母:越道君伊羅都売(こしのみちのきみのいらつめ)
▪配偶者:託基皇女(たきのひめみこ)(妃)
▪子:白壁王‥

■御陵:田原西陵
奈良市矢田原町
▪葬法:
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第39代 弘文(こうぶん)天皇 648-672 在位:671-672
39 弘文天皇
(こうぶん)
*1870年に弘文天皇で追諡された。
▪伊賀皇子(いがのみこ)
▪大友皇子(おおとものおうじ)
■生没年:648-672 
大化4年-天武天皇元(1)年7月23日(8月21日)

▪年齢:25歳?

■立太子:671
天智天皇10年10月

■在位年:671?-672? 
天智天皇10年12月5日-天武天皇元(1)年7月23日

▪在位年数:8カ月?

■年号:-
■父:第38代・天智天皇の第1皇子
▪母:伊賀宅子娘(いがのやかこのいらつめ)
▪妃:十市皇女(とおちのひめみこ)、宮人・藤原耳面刀自(ふじわらのみみもとじ)
▪子:葛野王(かどののおう/かどののおおきみ)

■皇居:近江大津宮(おうみおおつのみや/おうみのおおつのみや)

■御陵:長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)
▪遺跡名:園城寺亀丘古墳、平松亀山古墳
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:滋賀県大津市御陵町
▪葬法:土葬
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第40代 天武(てんむ)天皇 631-686 在位:673-686
40 天武天皇
(てんむ)
(天武系)
*「天皇」の号の始まりとされている。
*「夫婦天皇」、第41代・持統天皇とは配偶関係になる。
▪天渟中原瀛真人尊(あまのぬなはらおきのまひとのみこと)(諡号)
▪大海人(おおあま)(幼名)
■生没年:631?-686 
舒明天皇3年?-朱鳥元(1)年9月9日(10月1日)

▪年齢:56歳?

■立太子:668
天智天皇7年2月23日

■在位年:673-686 
天武天皇2年2月27日-朱鳥元(1)年9月9日

▪在位年数:14年

■年号:朱鳥(しゅちょう/すちょう
あかみどり)
*「朱鳥」の実施について疑問視する説がある。
■父:第34代・舒明天皇
▪母:宝皇女(たからひめ)、皇極天皇/斉明天皇)
▪皇后:鸕野皇女(うののひめみこ、第41代・持統天皇)、妃・太田皇女(おおたのひめみこ)、妃・大江皇女(おおえのひめみこ)、夫人・藤原氷上娘(ふじわらのひがみのいらつめ)‥
▪子:草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ)、高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)
大津皇子、舎人親王(とねりしんのう)

■皇居:飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや/あすかきよみがはらのみや)

■御陵:桧隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
▪遺跡名:野口王墓古墳、野口皇ノ墓古墳
▪陵形:円丘(八角)
▪所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口
▪葬法:土葬、天武・持統天皇合葬墓
*命日を国忌として廃朝を行う。
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­ 草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ)・岡宮御宇天皇 662-689 
­ 草壁皇子
(くさかべのみこ/おうじ)
*追尊天皇、即位はしていない。758年に、第42代・文武天皇、第43代・元正天皇の父として、岡宮御宇天皇の称号が贈られた。明治期制定の歴代天皇には入らない。
*第40代・天武天皇とは配偶関係になる。
▪岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと/おかのみやぎょうてんのう)。
▪日並知皇子 (ひなめし/ひなみしのみこのみこと)
▪岡宮天皇(おかのみやてんのう)
▪長岡天皇
■生没年:662-689
天智天皇元(1)年-持統天皇3年4月13日(5月7日)

▪年齢:

■立太子:681

■父:第40代・天武天皇
▪母:第41代・持統天皇
▪配偶者:第43代・元明天皇
▪子:第44代・元正天皇、第42代・文武天皇、吉備内親王

■御陵:眞弓丘陵(まゆみのおかのみささぎ)
▪陵形:
▪所在地:奈良県高市郡高取町
▪葬法:
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 ­ 舎人(とねり)親王・崇道尽敬皇帝 676-735
­ 舎人親王
(とねりしんのう)
*追尊天皇、即位はしていない。759年に第47代・淳仁天皇の父として崇道尽敬皇帝と追号された。
▪崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)(追号) ■生没年:676-735
天武天皇5年-天平7年11月14日(12月2日)

▪年齢:

■立太子:­

■父:第40代・天武天皇の第3皇子
▪母:新田部皇女(にいたべのひめみこ)
配偶者:当麻山背(たいまのやましろ)、当麻氏
▪子:第47代・淳仁天皇(大炊王)、三原王、御原王、池田王、船王

■御陵:かつて、黄金塚陵が墓参考地とされていた。
▪陵形:
▪所在地:奈良県奈良市田中町
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 第41代 持統(じとう)天皇 645-702 在位:690-697
41 持統天皇
(じとう)
(女性天皇)
(太上天皇)
(天武系)
*第43代・元明天皇とは配偶関係になる。
▪鸕野讚良皇女(うののきららのおうじょ)(名)
▪大倭根子天之廣野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめみこと)
▪高天原廣野姫尊(たかまのはらひろのひめのみこと)(諡)
■生没年:645-702 
大化元(1)年-大宝2年12月12日(1月13日)

▪年齢:58歳

■立太子:-

■在位年:690-697 
(称制686-689)
持統天皇4年1月1日-持統天皇11年8月1日

▪在位年数:8年(即位前の称制を含み称制4年)

▪譲位

■年号:-

■父:第38代・天智天皇
▪母:蘇我遠智娘(そがのおちのいらつめ)
▪配偶者:第40代・天武天皇
▪子:草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ)

■皇居:飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや/あすかきよみがはらのみや)・藤原宮(ふじわらのみや)

■御陵:桧隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)
▪遺跡名:野口王墓古墳、野口皇ノ墓古墳
▪陵形:円丘(八角)
▪所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口
▪葬法:火葬
*天武・持統天皇合葬墓
*天皇初の火葬という。
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 第42代 文武(もんむ)天皇 683-707 在位:697-707
42 文武天皇
(もんむ)
(天武系)
▪珂瑠(軽)(かる)(諱)
▪倭根子豊祖父(やまとねことよおおじ)天皇
▪天之真宗豊祖父天皇(あまのまむねとよおおじのすめらみこと)(諡)
■生没年:683-707 
天武天皇12年-慶雲4年6月15日(7月18日)

▪年齢:25歳

■立太子:697
持統天皇11年2月16日

■在位年:697-707 
文武天皇元(1)年8月1日-慶雲4年6月15日

▪在位年数:11年

■年号:大宝(たいほう/だいほう)、慶雲(けいうん/きょううん)
*「大宝」以降は連続して定められた。
■父:草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ、追尊・岡宮天皇)の長男
▪母:阿陪皇女(あへのひめみこ、第43代・元明天皇)
▪夫人:藤原宮子(ふじわらのみやこ)、嬪・紀竈門(きのかまど)、嬪・石川刀子(いしかわのとね)
▪子:第45代・聖武天皇

■皇居:藤原京(ふじわらきょう)

■御陵:桧隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)
▪遺跡名:栗原塚穴古墳、ジョウセン古墳
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県高市郡明日香村大字栗原
▪葬法:火葬
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第43代 元明(げんめい)天皇 661-721 在位:707-715
43 元明天皇
(げんめい)
(女性天皇)
(太上天皇)
(天武系)
*草壁皇子(岡宮御宇天皇)とは配偶関係になる。
▪阿閇(あべ)(諱)
▪日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめすめらみこと)(和風諡号)
■生没年:661-721 
斉明天皇7年-養老5年12月7日(12月29日)

▪年齢:61歳

■立太子:-

■在位年:707-715 
慶雲4年7月17日-和銅8年9月2日

▪在位年数:9年 

▪譲位

■年号:慶雲(けいうん/きょううん)、和銅(わどう)
■父:第38代・天智天皇
▪母:蘇我姪娘(そがのめいのいらつめ)
▪配偶者:草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ、追尊・岡宮天皇)
▪子:第44代・元正天皇、第42代・文武天皇、吉備内親王

■皇居:藤原京・平城京

■御陵:奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ) /確定
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県奈良市奈良阪町
▪葬法:火葬
*遺詔による。
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奈良時代
第44代 元正(げんしょう)天皇 680-748 在位:715-724
44 元正天皇
(げんしょう)
(女性天皇)
(太上天皇)
(天武系)
▪氷高(ひだか)(諱)
▪日高(ひだか)(諱)
▪日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)(和風諡号)
▪新家(にいのみ)
■生没年:680-748 
天武天皇9年-天平20年4月21日(5月22日)

▪年齢:69歳

■立太子:-

■在位年:715-724 
霊亀元(1)年9月2日-養老8年2月4日

▪在位年数:10年

▪譲位

■年号:霊亀(れいき)、養老(ようろう)
■父:草壁皇子(くさかべのみこ/おうじ、追尊・岡宮天皇)
▪母:阿閇(あべ)皇女(第43代・元明天皇)
▪皇后:­
▪子:-

■皇居:平城宮

■御陵:奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県奈良市奈良阪町
▪葬法:火葬


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第45代  聖武(しょうむ)天皇 701-756 在位:724-749
45 聖武天皇
(しょうむ)
(太上天皇)

(天武系)
▪天璽国押開豊桜彦尊(あめしるしくにおしはるきとよさくらひこのみこと)(諡)
▪勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)
▪首(おびと)(幼名)
■生没年:701-756 
大宝元(1)年-天平勝宝8歳5月2日(6月4日)

▪年齢:56歳

■立太子:714
和銅7年6月25日

■在位年:724-749 
神亀元(1)年2月4日-天平感宝元(1)年7月2日

▪在位年数:26年 
▪譲位

■出家:戒師・行基

■年号:神亀(じんき)、天平(てんぴょう)、天平感宝(てんぴょうかんぽう)
■父:第42代・文武天皇の第1皇子
▪母:藤原宮子
▪皇后:藤原光明子(藤原安宿媛[ふじわらのあすかべひめ])、夫人・県犬養広刀自(あがたのいぬかいのひろとじ)、夫人・藤原氏
▪子:第46代・孝謙天皇、基王(もといおう)、安積親王

■皇居:平城宮、恭仁(くに)宮、難波(なにわ)宮、紫香楽(しがらき)宮

■御陵:佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ) /確定
▪遺跡名:法蓮北畑古墳
▪陵形:山形
▪所在地:奈良県奈良市法蓮町
▪葬法:土葬
*土葬が復活した。
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第46代 孝謙 (こうけん)天皇 718-770 ①在位:749-758
46 孝謙天皇
(こうけん)

(女性天皇)
(太上天皇)
(天武系)
*重祚、第48代・称徳天皇と同一天皇になる。
*758年、上台宝字称徳孝謙皇帝の尊号を上られた。
▪阿倍(あべ)(諱)
▪上台宝字称徳孝謙皇帝(じょうだいほうじしょうとくこうけんこうてい)(尊号)
▪高野天皇
▪倭根子天皇
▪高野姫尊
▪法基尼
■生没年:718-770 
養老2年-神護景雲4年8月4日(8月28日)

▪年齢:53歳

■立太子:738
天平10年1月13日
*女性初の皇太子になる。

■在位年:749-758 
天平勝宝元(1)年7月2日-天平宝字2年8月1日

▪在位年数:10年

▪譲位

■出家:

■年号:天平勝宝(てんぴょうしょうほう)、天平宝字(てんぴょうほうじ)
■父:第45代・聖武天皇
▪母:光明皇后
▪配偶者:­
▪子:­

■皇居:平城宮

■御陵:高野陵(たかののみささぎ)
▪遺跡名:佐紀高塚古墳
▪陵形:前方後円・堀
奈良市山陵町
▪葬法:土葬









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第47代 淳仁(じゅんにん)天皇 733-765  在位:758-764
47 淳仁天皇
(じゅんにん)
(天武系)
*皇位を廃され淡路に流された。
▪大炊(おおい)(諱)
▪淡路廃帝(あわじのはいてい)
▪淡路公(あわじてい/あわじこう)
▪大炊王
■生没年:733-765 
天平5年-天平神護元(1)年10月23日(11月10日)

▪年齢:33歳

■立太子:757
天平勝宝9年4月4日

■在位年:758-764 
天平宝字2年8月1日-8年10月9日

▪在位年数:7年

▪譲位(廃位)

■年号:天平宝字(てんぴょうほうじ)
■父:舎人親王
▪母:当麻山背(たいまのやましろ)
▪夫人:粟田諸姉(あわたのもろえ)皇后
▪子:安倍内親王

■皇居:保良宮、平城宮

■御陵:淡路陵(あわじのみささぎ)
▪陵形:山形・堀
▪所在地:兵庫県南あわじ市賀集字岡ノ前
▪葬法:­
*流刑された淡路島で亡くなる。





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 第48 称徳(しょうとく)天皇 718-770 ②在位:764-770
48 称徳天皇
(しょうとく)
(女性天皇)
(天武系)
*重祚、第46代・孝謙天皇と同一天皇になる。
■生没年:718-770 
養老2年-神護景雲4年8月4日(8月28日)

▪年齢:53歳

■立太子:738
天平10年1月13日

■在位年:764-770 
天平宝字8年10月9日-神護景雲4年8月4日

▪在位年数:7年

■年号:天平宝字(てんぴょうほうじ)、天平神護(てんぴょうじんご)、神護景雲(じんごけいうん)
■父:第45代・聖武天皇
▪母:光明皇后
▪配偶者:­
▪子:­

■皇居:由義宮(ゆげのみや/ゆげぐう)

■御陵:高野陵(たかののみささぎ)
▪遺跡名:佐紀高塚古墳
▪陵形:前方後円・堀
▪所在地:奈良県奈良市山陵町
▪葬法:土葬






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第49代  光仁(こうにん)天皇 709-781 在位:770-781
49 光仁天皇
(こうにん)
(太上天皇)

(天智系)
*以後、天智系になる。
▪白壁(しらかべ)(諱)
▪天宗高紹天皇(あめむねたかつぎすめらみこと)(追諡)
▪後田原尊
■生没年:709-781 
和銅2年10月13日(11月18日-天応元(1)年12月23日(1月11日)

▪年齢:73歳

■立太子:770
神護景雲4年8月4日

■在位年:770-781 
宝亀元(1)年10月1日-天応元(1)年4月3日

▪在位年数:12年

▪譲位

■年号:宝亀(ほうき)、天応(てんおう/てんのう)
■父:施基親王(しきしんのう)の第6子
▪母:紀橡姫(きのとちひめ)
▪皇后:井上内親王(いのうえないしんのう)、夫人・高野新笠(たかののにいがさ)、夫人・藤原曹司(ふじわらのぞうし)、紀宮子(きのみやこ)
▪子:第50代・桓武天皇、早良親王、他戸親王(おさべしんのう)‥

■皇居:平城宮

■御陵:田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)
▪遺跡名:田原塚ノ本古墳
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:奈良県奈良市日笠町
▪葬法:?
top
 ­ 早良(さわら)親王・崇道天皇 750-785
­ 早良親王
(さわらしんのう)
*追尊天皇、即位はしておらず、歴代天皇には数えられていない。800年に第50代・桓武天皇皇太子として崇道天皇と追尊になる。
▪崇道天皇(すどうてんのう)(追尊)
▪殿下
▪親王禅師
■生没年:750?-785

天平勝宝2年?-延暦4年9月28日(11月8日)
■父:第49代・光仁天皇の第2皇子
▪母:高野新笠(たかののにいがさ)
▪子:

■御陵:崇道天皇陵
奈良市八島町
▪葬法:
top
 第50代 桓武(かんむ)天皇 737-806 在位:781-806
50 桓武天皇
(かんむ)
▪日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやてらすのみこと)
▪延暦帝
▪柏原帝(天皇)
▪山部(やまのべ)
■生没年:737-806 
天平9年-延暦25年3月17日(4月9日)

▪年齢:70歳 

■立太子:773
宝亀4年1月2日

■在位年:781-806 
天応元(1)年4月3日-延暦25年3月17日

▪在位年数:26年

■年号:天応(てんおう/てんのう)、延暦(えんりゃく)

■父:第49代・光仁天皇の第1王子
▪母:高野新笠(たかののにいがさ)
▪皇后:藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)、夫人・藤原旅子(ふじわらのたびこ、贈皇太后)、夫人・藤原吉子(ふじわらのよしこ)、夫人・多治比真宗(たじひのまむね)、夫人・藤原小屎(ふじわらのおくそ/おぐそ)‥
▪子:第51代・平城天皇、第52代・嵯峨天皇、第53代・淳和天皇、伊予親王‥

■皇居:平城宮、長岡宮(ながおかきょう)、平安宮

■御陵:柏原陵(かしわばらのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
▪葬法:土葬
*剣璽渡御ノ儀 がなされた。

■三種の神器:神鏡・分身(京都)、宝剣・分身(京都)、神璽(京都)
top
平安時代
 第51代 平城(へいぜい)天皇 774-824 在位:806-809 
51 平城天皇
(へいぜい)
(太上天皇)
*諡号を贈られなかった初の天皇。
▪日本根子天推国高彦尊((やまとねこあめおしくにたかひこのみこと)
▪奈良帝(ならのみかど)
▪小殿(あて)(初名)
▪安殿(あて)
■生没年:774-824 
宝亀5年8月15日(9月25日)-天長元(1)年7月7日(8月5日)

▪年齢:51歳

■立太子:785
延暦4年11月25日

■在位年:806-809 
延暦25年3月17日-大同4年4月1日

▪在位年数:4年

▪譲位

■出家:

■年号:延暦(えんりゃく)、大同(だいどう)
■父:第50代・桓武天皇の第1皇子の第1皇子
▪母:藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)
▪皇后:藤原帯子(ふじわらのたらしこ、贈皇后)、妃・朝原(あさはら)内親王、大宅(おおやけ)内親王‥
▪子:高岳親王、阿保親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:楊梅陵(やまもものみささぎ)
▪遺跡名:市庭古墳
▪陵形:円丘(前方後円墳後円部)・空堀
▪所在地:奈良県奈良市佐紀町
▪葬法:土葬
top
 第52代 嵯峨(さが)天皇 786-842 在位:809-823
52 嵯峨天皇
(さが)
(太上天皇)
▪賀美野(かみの)(諱)
▪弘仁帝皇
▪神野(かみの/かみぬ)
■生没年:786-842 
延暦5年9月7日(10月3日)-承和9年7月15日(8月24日)

▪年齢:57歳 

■立太子:806
大同元(1)年5月19日

■在位年:809-823 
大同4年4月1日-弘仁14年4月16日

▪在位年数:15年

▪譲位

■年号:大同(だいどう)、弘仁(こうにん)
■父:第50代・桓武天皇の第2皇子
▪母:藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)
▪皇后:橘嘉智子(たちばなのかちこ、檀林皇后)、妃・高津内親王、妃・多治比高子(たじひのたかこ)
▪子:第54代・仁明天皇、源信‥

■皇居:平安宮

■御陵:嵯峨陵(さがのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町
▪葬法:土葬

top
第53代  淳和(じゅんな)天皇 786-840 在位:823-833 
53 淳和天皇
(じゅんな)
(太上天皇)
▪大伴(おおとも)(諱)
▪日本根子天高譲弥遠尊(やまとねこあめたかゆずるいやとおのみこと)
▪西院帝
■生没年:786-840 
延暦5年-承和7年5月8日(6月11日)

▪年齢:55歳

■立太子:810
大同5年9月13日

■在位年:823-833 
弘仁14年4月16日-天長10年2月28日

▪在位年数:11年

▪譲位

■年号:弘仁(こうにん)、天長(てんちょう)
■父:第50代・桓武天皇の第7皇子
▪母:藤原旅子
▪皇后:正子(こし)内親王、高志(こし)内親王(贈皇后)、女御・橘氏子(たちばなうじこ)‥
▪子:恒世親王、氏子内親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:大原野西嶺上陵(おおはらののにしのみねのえのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市西京区大原野南春日町

▪火葬塚 所在地:京都府向日市物集町出口 《方丘・空堀》
▪葬法:火葬
*山中に散骨された。
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     第54代 仁明(にんみょう)天皇 810-850 在位:833-850
54 仁明天皇
(にんみょう)
▪正良(まさら)(諱)
▪日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)
▪深草帝(ふかくさてい)
▪深草天皇
■生没年:810-850 
弘仁元(1)年-嘉祥3年3月21日(5月6日)

▪年齢:41歳

■立太子:823
弘仁14年4月18日

■在位年:833-850 
天長10年2月28日-嘉祥3年3月19日

▪在位年数:18年

■出家:

■年号:天長(てんちょう)、承和(じょうわ/しょうわ)、嘉祥(かしょう/かじょう)
■父:第52代・嵯峨天皇の第2皇子
▪母:橘嘉智子(たちばなのかちこ)
▪女御:藤原順子(ふじわらののぶこ、太皇太后)、女御・藤原沢子(ふじわらのさわこ、贈皇太后)、女御・藤原貞子(ふじわらのさだこ)‥
▪子:第55代・文徳天皇、第58代・光孝天皇

■皇居:平安宮

■御陵:深草陵(ふかくさのみささぎ)
▪陵形:方形・堀
▪所在地:京都府京都市伏見区深草東伊達町
▪葬法:土葬
*陵の傍らに陵寺を付設した。
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第55代 文徳(もんとく)天皇 827-858 在位:850-858
55 文徳天皇
(もんとく)
▪道康(みちやす)(諱)
▪田邑帝
■生没年:827-858 
天長4年-天安2年8月27日(10月7日)

▪年齢:32歳

■立太子:842
承和9年8月4日

■在位年:850-858 
嘉祥3年3月21日-天安2年8月27日

▪在位年数:9年

■年号:嘉祥(かしょう/かじょう)、仁寿(にんじゅ)、斉衡(さいこう)、天安(てんあん/てんなん)
■父:第54代・仁明天皇の第1皇子
▪母:藤原順子
▪女御:藤原明子(ふじわらのあきらけいこ、太皇太后)、女御・藤原古子(ふるこ)、女御・東子(ひがしこ)女王、更衣・紀静子‥
▪子:第56代・清和天皇、惟喬親王、源能有‥

■皇居:平安宮

■御陵:田邑陵(たむらのみささぎ)
▪遺跡名:太秦三尾古墳
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区太秦三尾町
▪葬法:土葬

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第56代 清和(せいわ)天皇 850-880 在位:858-876
56 清和天皇
(せいわ)
(太上天皇)
▪惟仁(これひと)(諱)
▪水尾帝(みずのおてい/みずおてい)
▪素真(法号)
■生没年:850-880 
嘉祥3年3月25日(5月10日)-元慶4年12月4日(1月7日)

▪年齢:31歳

■立太子:850
嘉祥3年11月25日

■在位年:858-876 
天安2年8月27日-貞観18年11月29日

▪在位年数:19年

▪譲位

■出家:879
元慶3年5月8日

■年号:天安(てんあん/てんなん)、貞観(じょうがん)
■父:第55代・文徳天皇の第4皇子
▪母:藤原明子
▪女御:藤原高子(ふじわらのたかこ/たかいこ、皇太后)、女御・藤原多美子(ふじわらのたみこ)、女御・平寛子(たいらのひろこ)、女御・嘉子(よしこ)女王‥
▪子:第57代・陽成天皇、貞純親王
*皇子の一部は臣籍に下り清和源氏になる。

■皇居:平安宮

■御陵:水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨水尾清和

▪火葬塚 所在地:京都府京都市左京区黒谷町 黒谷墓地内 《八角丘》
▪葬法:火葬
*寺院に山陵が付設された。
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第57代 陽成(ようぜい)天皇 868-949 在位:876-884 
57 陽成天皇
(ようぜい)
(太上天皇)
▪貞明(さだあきら)(諱) ■生没年:868-949 
貞観10年12月16日(1月2日)-天暦3年9月29日(10月23日)

▪年齢:82歳

■立太子:869
貞観11年2月1日

■在位年:876-884 
貞観18年11月29日-元慶8年2月4日

▪在位年数:9年

▪譲位(事実上の廃位)

■出家:949
天暦3年9月20日

■年号:貞観(じょうがん)、元慶(がんぎょう)
■父:第56代・清和天皇の第1皇子
▪母:藤原高子
▪妃:綏子(やすこ)内親王、妃・姣子(よしこ、好子)女王、元良(もとよし)親王の母藤原氏‥
▪子:源清蔭、元良親王、元平親王、元長親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:神楽岡東陵(かぐらがおかのひがしのみささぎ)
▪陵形:八角丘・空堀
陵形:京都府京都市左京区浄土寺真如町
▪葬法:土葬


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第58代 光孝(こうこう)天皇 830-887 在位:884-887 
58 光孝天皇
(こうこう)
▪時康(ときやす)(諱)
▪小松帝(こまつのみかど)
■生没年:830-887 
天長7年-仁和3年8月26日(9月17日)

▪年齢:58歳

■立太子:-

■在位年:884-887 
元慶8年2月4日-仁和3年8月26日

▪在位年数:4年

■年号:元慶(がんぎょう)、仁和(にんな/にんわ)
■父:第54代・仁明天皇の第3皇子
▪母:藤原沢子
女御:班子女王(なかこ/はんしじょうおう、皇太后)、女御・藤原佳美子(かみこ)、女御・平等子(たいらのとしこ)‥
▪子:源元長、定省親王(第59代・宇多天皇)、繁子内親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区宇多野馬場町
▪葬法:土葬
*倚廬(いりょ、仮屋)を付設した。
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第59代 宇多(うだ)天皇 867-931 在位:887-897 
59 宇多天皇
(うだ)
(太上天皇)
*太上天皇の尊号を辞して法皇と称した。法皇の初例になる。
▪寛平帝
▪寛平法皇(かんぴょうほうおう)
▪亭子院帝(ていじいんてい)
▪定省(さだみ)
▪宇多院(諡)
▪空理(くうり)(法号)
▪金剛覚(こんごうかく)(法号)
■生没年:867-931 
貞観9年5月5日(6月10日)-承平元(1)年7月19日(9月3日)

▪年齢:65歳

■立太子:887
仁和3年8月26日

■在位年:887-897 
仁和3年8月26日-寛平9年7月3日

▪在位年数:11年

▪譲位

■法皇:899 昌泰2年
法号(空理・金剛覚)、戒師・益信
*譲位後に出家し初の法皇になる。

■年号:仁和(にんな/にんわ)、寛平(かんぴょう/かんぺい/かんへい)
■父:第58代・光孝天皇の第7皇子
▪母:班子(なかこ)女王
▪女御:藤原温子(ふじわらのよしこ、皇子太夫人)、女御・藤原胤子(ふじわらのたねこ、贈皇太后)、橘義子(たちばなのよしこ)‥
▪子:第60代・醍醐天皇、敦実親王、斉世親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:大内山陵(おおうちやまのみささぎ)
▪陵形:方丘・空堀
▪所在地:京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷
▪葬法:火葬


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 第60代 醍醐(だいご)天皇 885-930 在位:897-930 
60 醍醐天皇
(だいご)
*遺詔により諡はない。
▪維城(これざね)(初名)
▪敦仁(あつざね/あつぎみ/あつひと)
▪延喜帝
▪小野帝(おののみかど)
▪金剛宝(こんごうほう)(法号)
■生没年:885-930 
元慶9年1月18日(2月6日)-延長8年9月29日(10月23日)

▪年齢:46歳

■立太子:893
寛平5年4月2日

■在位年:897-930 
寛平9年7月3日-延長8年9月22日

▪在位年数:34年

▪譲位

■法皇:930 延長8年
法号(金剛宝)、戒師・尊意        

■年号:寛平(かんぴょう/かんぺい/かんへい)、昌泰(しょうたい)、延喜(えんぎ)、延長(えんちょう)
■父:第59代・宇多天皇
▪母:藤原胤子
▪中宮:藤原穏子(ふじわらのやすこ)、妃・為子(ためこ)内親王、女御・源和子、女御・藤原能子(よしこ)、女御・藤原和香子‥
▪子:保明親王、第61代・朱雀天皇、第62代・村上天皇源高明‥

■皇居:平安宮

■御陵:後山科陵(のちのやましなのみささぎ) /確定
▪陵形:円形・堀
▪所在地:京都府京都市伏見区醍醐古道町
▪葬法:土葬


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第61代  朱雀(すざく)天皇 923-952 在位:930-946
61 朱雀天皇
(すざく)
(太上天皇)
▪寛明(ゆたあきら)(諱)
▪仏陀寿(法号)
■生没年:923-952 
延長元(1)年7月24日(9月7日)-天暦6年8月15日(9月6日)

▪年齢:30歳

■立太子:925
延長3年10月21日

■在位年:930-946 
延長8年9月22日-天慶9年4月20日

▪在位年数:17年

▪譲位

■法皇:952 天暦6年
法号(仏陀寿)、戒師・寛空
        
■年号:延長(えんちょう)、承平(じょうへい/しょうへい )、天慶(てんぎょう/てんきょう)
■父:第60代・醍醐天皇の第11皇子
▪母:藤原穏子
▪女御:煕子(ひろこ)女王、女御・藤原慶子(ふじわらのよしこ)‥
▪子:昌子内親王

■皇居:平安宮

■御陵:醍醐陵(だいごのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市伏見区醍醐御陵東裏町
▪葬法:火葬







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第62代  村上(むらかみ)天皇 926-967 在位:946-967
62 村上天皇
(むらかみ)
▪成明(なりあきら)(諱)
▪天暦帝
▪覚貞(法号)
■生没年:926-967 
延長4年6月2日(7月14日-康保4年5月25日(7月5日)

▪年齢:42歳

■立太子:944
天慶7年4月22日

■在位年:946-967 
天慶9年4月20日-康保4年5月25日

▪在位年数:22年

■法皇:967 康保4年
法号(覚貞)、戒師
       
■年号:天慶(てんぎょう/てんきょう)、天暦(てんりゃく)、天徳(てんとく)、応和(おうわ)、康保(こうほう)
■父:第60代・醍醐天皇の第14皇子
▪母:藤原穏子
▪皇后:藤原安子(ふじわらのやすこ)、女御・藤原述子(ふじわらののぶこ)、女御・徽子(よしこ)女王、荘子(たかこ)女‥
▪子:第63代・冷泉天皇、第64代・円融天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:村上陵
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷
▪葬法:土葬



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第63代  冷泉(れいぜい)天皇 950-1011 在位:967-969
63 冷泉天皇
(れいぜい)
(太上天皇)
▪憲平(のりひら)(諱) ■生没年:950-1011 
天暦4年5月24日(6月12日)-寛弘8年10月24日(11月21日)

▪年齢:62歳

■立太子:950
天暦4年7月23日

■在位年:967-969 
康保4年5月25日-安和2年8月13日

▪在位年数:3年 

▪譲位

■年号:康保(こうほう)、安和(あんな/あんわ)
■父:第62代・村上天皇の第2皇子
▪母:藤原安子
▪中宮:昌子(まさこ)内親王、女御・藤原懐子(かねこ、贈皇太后)、女御・藤原超子(とおこ、贈皇太后)‥
▪子:第65代・花山天皇、第67代・三条天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:桜本陵(さくらもとのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市左京区鹿ヶ谷法然院町・鹿ヶ谷西寺ノ前町

▪火葬塚 所在地:京都府京都市左京区鹿ヶ谷西寺ノ前町 《円丘》
▪葬法:火葬
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 第64代 円融(えんゆう)天皇 959-991 在位:969-984
64 円融天皇
(えんゆう)
(太上天皇)
▪守平(もりひら)(諱)
▪覚如(法号)
▪金剛法(こんごうほう)(法号)
■生没年:959-991 
天徳3年3月2日(4月12日)-正暦2年2月12日(3月1日)

▪年齢:33歳

■立太子:967
康保4年9月1日

■在位年:969-984 
安和2年8月13日-永観2年8月27日

▪譲位

▪在位年数:16年

■法皇:985 寛和元(1)年
法号(覚如・金剛法)、戒師・寛朝

■年号:安和(あんな/あんわ)、天禄(てんろく)、貞元(てんえん)、天元(じょうげん)、永観(えいかん)
■父:第62代・村上天皇の第5皇子
▪母:藤原安子
▪皇后:藤原媓子(てるこ)、藤原遵子(のぶこ)、女御・藤原詮子(あきこ)‥
▪子:第66代・一条天皇

■皇居:平安宮

■御陵:後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区宇多野福王子町

▪火葬塚 所在地:京都府京都市右京区竜安寺朱山(龍安寺内) 《円丘》
▪葬法:火葬
*以後、火葬が続く。



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 第65代 花山(かざん)天皇 968-1008 在位:984-986 
65 花山天皇
(かざん)
(太上天皇)

(太上法皇)
▪師貞(もろさだ)(諱)
▪入覚(法号)
■生没年:968-1008 
安和元(1)年10月26日(11月29日)-寛弘5年2月8日(3月17日)

▪年齢:41歳

■立太子:969
安和2年8月13日

■在位年:984-986 
永観2年8月27日-寛和2年6月23日

▪在位年数:3年

▪譲位

■法皇:986 寛和2年
法号(入覚)、戒師・寛朝

■年号:永観(えいかん)、寛和(かんな/かんわ)
■父:第63代・冷泉天皇の第1皇子
▪母:藤原懐子(かねこ)
▪女御:藤原忯子(よしこ)、女御・藤原姚子(よしこ)、女御・藤原諟子(ただこ)‥
▪子:昭登親王、清仁親王、深観

■皇居:平安宮

■御陵:紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)
▪陵形:方丘・空堀
▪所在地:京都府京都市北区衣笠北高橋町
▪葬法:火葬



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 第66代 一条(いちじょう)天皇 980-1011 在位:986-1011
66 一条天皇
(いちじょう)
(太上天皇)
▪懐仁(やすひと)(諱)
▪精進覚(法号)
▪妙覚(法号)
■生没年:980-1011 
天元3年6月1日(7月15日)-寛弘8年6月22日(7月25日)

▪年齢:32歳

■立太子:984
永観2年8月27日

■在位年:986-1011 
寛和2年6月23日-寛弘8年6月13日

▪在位年数:26年

▪譲位

■法皇:1011 寛弘8年 
法号(精進覚)、戒師・

■年号:寛和(かんな/かんわ)、永延(えいえん)、永祚(えいそ)、正暦(しょうりゃく)、長徳(ちょうとく)、長保(ちょうほう)、寛弘(かんこう)
■父:第64代・円融天皇の第1皇子
▪母:藤原詮子(あきこ)
▪皇后:藤原定子(さだこ/ていし)、中宮・藤原彰子(しょうし、上東門院)、女御・藤原義子、藤原元子、藤原尊子‥
▪子:脩子内親王、敦康親王、媄子内親王、第68代・後一条天皇、第69代・後朱雀天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:円融寺北陵(えんゆうじのきたのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区龍安寺朱山(龍安寺内)

▪火葬塚 所在地:京都府京都市北区衣笠鏡石町 《山形》
▪葬法:火葬

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第67代  三条(さんじょう)天皇 976-1017 在位:1011-1016 
67 三条天皇
(さんじょう)
(太上天皇)
▪居貞(おきさだ)(諱)
▪金剛浄(こんごうじょう)(法号)
▪菩提覚(法号)
■生没年:976-1017 
天延4年1月3日(2月5日)-寛仁元(1)年5月9日(6月5日)

▪年齢:42歳

■立太子:986
寛和2年7月16日

■在位年:1011-1016 
寛弘8年6月13日-長和5年1月29日

▪在位年数:6年 
▪譲位

■法皇:1017 寛仁元(1)年
法号(金剛浄・菩提覚)、戒師・
   
■年号:寛弘(かんこう)、長和(ちょうわ)
■父:第63代・冷泉天皇の第2皇子
▪母:藤原超子
▪皇后:藤原娍子(すけこ)、中宮・藤原妍子(きよこ)、綏子(やすこ)‥
▪子:敦明親王(小一条院)、敦儀親王、敦平親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:北山陵(きたやまのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市北区衣笠西尊上院町

▪火葬塚 ▪所在地:京都府京都市北区衣笠鏡石町 《山形》
▪葬法:火葬
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 ­ 敦明(あつあきら)親王 994-1051
­ 敦明親王
(あつあきらしんのう)
*准太上天皇、1017年に三条上皇(第67代)が亡くなり、自ら皇太子廃位を願い出て藤原道長の計らいにより小一条院の尊号が贈られた。
小一条院(こいちじょういん) ■生没年:994-1051

正暦5年5月9日(6月20日)-永承6年1月8日(2月21日)

■父:第67代・三条天皇の第1皇子
▪母:藤原娍子(せいし/じょうし)
▪配偶者:藤原延子
▪子:敦貞親王、儇子内親王、嘉子内親王

■御陵:
▪葬法:
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第68代  後一条(ごいちじょう)天皇 1008-1036 在位:1016-1036 
68 後一条天皇
(ごいちじょう)
(加後号)
▪敦成(あつひら)(諱)
▪妙覚(法号)
■生没年:1008-1036 
寛弘5年9月11日(10月12日)-長元9年4月17日(5月15日)

▪年齢:29歳

■立太子:1011
寛弘8年6月13日

■在位年:1016-1036 
長和5年1月29日-長元9年4月17日

▪在位年数:21年

■法皇:1036 長元9年
法号(妙覚)、戒師・
■年号:長和(ちょうわ)、寛仁(かんにん)、治安(じあん)、万寿(まんじゅ)、長元(ちょうげん)
■父:第66代・一条天皇の第2皇子
▪母:藤原彰子(上東門院)
▪中宮:藤原威子(たけこ)
▪子:章子内親王、馨子内親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:京都府京都市左京区吉田神楽岡町
▪葬法:火葬
*死は秘され如在之儀が行われた。










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 第69代 後朱雀(ごすざく)天皇 1009-1045 在位:1036-1045 
69 後朱雀天皇
(ごすざく)
(加後号)
(太上天皇)
▪敦良(あつなが)(諱)
▪精進行(しょうじんぎょう)(法号)
■生没年:1009-1045 
寛弘6年11月25日(12月14日)-寛徳2年1月18日(2月7日)

▪年齢:37歳

■立太子:1017
寛仁元(1)年8月9日

■在位年:1036-1045 
長元9年4月17日-寛徳2年1月16日

▪在位年数:10年

▪譲位

■法皇:1045 寛徳2年 
法号(精進行)、戒師・

■年号:長元(ちょうげん)、長暦(ちょうりゃく)、長久(ちょうきゅう)、寛徳(かんとく)
■父:第66代・一条天皇の第3皇子
▪母:藤原彰子(上東門院)
▪皇后:禎子(よしこ)内親王(陽明門院)、中宮・藤原嫄子(もとこ)、女御・藤原生子(なりこ)‥
▪子:第70代・後冷泉天皇、第71代・後三条天皇、良子内親王

■皇居:平安宮

■御陵:円乗寺陵(えんじょうじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区龍安寺朱山(龍安寺内)

▪火葬塚 所在地:京都府京都市北区平野上柳町 《円丘》
▪葬法:火葬

■三種の神器:1040年の宮中火災により鏡(八咫鏡)が焼失し、粒と化したという。

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 第70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇 1025-1068 在位:1045-1068
70 後冷泉天皇
(ごれいぜい)
(加後号)
▪親仁(ちかひと)(諱) ■生没年:1025-1068 
万寿2年8月3日(8月28日)-治暦4年4月19日(5月22日)

▪年齢:44歳

■立太子:1037
長暦元(1)年8月17日

■在位年:1045-1068 
寛徳2年1月16日-治暦4年4月19日

▪在位年数:24年

■年号:寛徳(かんとく)、永承(えいしょう/えいじょう )、天喜(てんきてんぎ )、康平(こうへい)、治暦(じりゃく)
■父:第69代・後朱雀天皇の第1皇子
▪母:藤原嬉子
▪皇后・章子(あきこ)内親王(二条院)、皇后・藤原寛子(ひろこ)、皇后・藤原歓子(よしこ)
▪子:皇子、高階為行

■皇居:高陽院

■御陵:円教寺陵(えんきょうじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区龍安寺朱山(龍安寺内)

▪火葬塚 所在地:京都府京都市北区紫野下御輿町 《円丘・空堀》
▪葬法:火葬



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 第71代 後三条(ごさんじょう)天皇 1034-1073 在位:1068-1072
71 後三条天皇
(ごさんじょう)
(加後号)
(太上天皇)
▪尊仁(たかひと)(諱)
▪延久帝
▪金剛行(こんごうぎょう)(法号)
■生没年:1034-1073 
長元7年7月18日(9月3日)-延久5年5月7日(6月15日)

▪年齢:40歳

■立太子:1045
寛徳2年1月16日

■在位年:1068-1072 
治暦4年4月19日-延久4年12月8日

▪在位年数:5年

▪譲位

■法皇:1073 延久5年 
法号(金剛行)、戒師・性信

■年号:治暦(じりゃく)、延久(えんきゅう)
■父:第69代・後朱雀天皇の第2皇子
▪母:禎子内親王
▪皇后:馨子(かおるこ)内親王、女御・藤原昭子(あきこ)、女御・源基子(もとこ)、妃・藤原茂子
▪子:聡子内親王、第72代・白河天皇、俊子内親王

■皇居:平安宮

■御陵:円宗寺陵(えんそうじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区龍安寺朱山(龍安寺内)
▪葬法:火葬



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 第72代 白河(しらかわ)天皇 1053-1129 在位:1072-1086 
72 白河天皇
(しらかわ)
(太上天皇)
(太上法皇)
▪貞仁(さだひと)(諱)
▪六条帝(ろくじょうてい)
▪白河院(追号)
*生前に定められていた。
▪融観(法号)
▪円寂(法号)
■生没年:1053-1129 
天喜元(1)年6月19日(7月7日)-大治4年7月7日(7月24日)

■立太子:1069
延久元(1)年4月28日

▪年齢:77歳

■在位年:1072-1086 
延久4年12月8日-応徳3年11月26日

▪在位年数:15年

▪譲位

■院政:1086-1129
(堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇)

■法皇:1096 嘉保3年 
法号(融観・円寂)、戒師・勝覚

■年号:延久(えんきゅう)、承保(じょうほう/しょうほう)、承暦(じょうりゃく/しょうりゃく)、永保(えいほう)、応徳(おうとく)
■父:第71代・後三条天皇の第1皇子
▪母:藤原茂子
▪皇后:藤原賢子(けんし)、女御・藤原道子(みちこ)、藤原経子(けいし)‥
▪子:第73代・堀河天皇、覚行法親王、覚法法親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ) /確定
▪陵形:方丘・堀
▪所在地:京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町

▪火葬塚 ▪所在地:京都府京都市北区衣笠西馬場町 《方丘・堀》
▪葬法:火葬








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 第73代 堀河(ほりかわ)天皇 1079-1107 在位:1086-1107
73 堀河天皇
(ほりかわ)
▪善仁(たるひと)(諱)
▪堀河院(追号)
■生没年:1079-1107 
承暦3年7月9日(8月8日)-嘉承2年7月19日(8月9日)

▪年齢:29歳

■立太子:1086
応徳3年11月26日

■在位年:1086-1107
応徳3年11月26日-嘉承2年7月19日

▪在位年数:22年

■年号:応徳(おうとく)、寛治(かんじ)、嘉保(かほう)、永長(えいちょう)、承徳(じょうとく/しょうとく )、康和(こうわ)、長治(ちょうじ)、嘉承(かしょう/かじょう)
■父:第72代・白河天皇
▪母:藤原賢子
▪皇后:篤子(とくし)内親王、女御・藤原苡子(いし)、源仁子(みなもとのひとこ)
▪子:宗仁親王(第74代・鳥羽天皇)、悰子内親王、寛暁‥

■皇居:平安宮

■御陵:後円教寺陵(のちのえんきょうじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区龍安寺朱山(龍安寺内)

▪火葬塚 所在地:京都府京都市北区等持院東町 《方丘》
▪葬法:火葬


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 第74代 鳥羽(とば)天皇 1103-1156 在位:1107-1123  
74 鳥羽天皇
(とば)
(太上天皇)
(太上法皇)

▪宗仁(むねひと)(諱)
▪鳥羽院(追号)
▪空覚(くうがく)(法号)
■生没年:1103-1156 
康和5年1月16日(2月24日)-保元元(1)年7月2日(7月20日)

▪年齢:54歳

■立太子:1103
康和5年8月17日

■在位年:1107-1123 
嘉承2年7月19日-保安4年1月28日

▪在位年数:17年

▪譲位

■院政:1129-1156
(崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇)

■法皇:1141 永治元(1)年 
法号(空覚)、戒師・信証
        
■年号:嘉承(かしょう/かじょう)、天仁(てんにん)、天永(てんえい)、永久(えいきゅう)、元永(げんえい)、保安(ほうあん)
■父:第73代・堀河天皇
▪母:藤原苡子(いし)
▪皇后:藤原泰子(たいし、高陽院)、藤原得子(とくし、美福門院)、中宮・藤原璋子(しょうし、待賢門院)‥
▪子:第75代・崇徳天皇、第71代・後白河天皇、第76代・近衛天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:安楽寿院陵(あんらくじゅいんのみささぎ) /確定
▪陵形:陵堂
▪所在地:京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町
▪葬法:土葬
*土葬が復活する。










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 第75代 崇徳(すとく)天皇 1119-1164 在位:1123-1141 
75 崇徳天皇
(すとく)
(太上天皇)

*崇徳は諡号
▪顕仁(あきひと)(諱)
▪讃岐院(さぬきいん)→崇徳院(すとくいん)(諡号)
*1177年に怨霊を怖れ改められた。
■生没年:1119-1164 
元永2年5月28日(7月7日)-長寛2年8月26日(9月14日)

▪年齢:46歳

■立太子:1123
保安4年1月28日

■在位年:1123-1141 
保安4年1月28日-永治元(1)年12月7日

▪在位年数:19年

▪譲位

■法皇:1156 保元元(1)年


■年号:天治(てんじ)、大治(だいじ)、天承(てんしょう/てんじょう )、長承(ちょうしょう)、保延(ほうえん)、永治(えいじ)
■父:第74代・鳥羽天皇の第1皇子
▪母:藤原璋子(しょうし、待賢門院)
▪皇后:藤原聖子(せいし、皇嘉門院)、更衣・源氏(兵衛佐)、源氏
▪子:重仁親王、覚恵

■皇居:平安宮

■御陵:白峯陵(しらみねのみささぎ) /確定
▪陵形:方丘
▪所在地:香川県坂出市青海(おおみ)町
▪葬法:火葬
*流刑地の讃岐で行われた。










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 第76代 近衛(このえ)天皇 1139-1155 在位:1141-1155
76 近衛天皇
(このえ)
▪体仁(なりひと)(諱)
■生没年:1139-1155 
保延5年5月18日(6月16日)-久寿2年7月23日(8月22日)

▪年齢:17歳

■立太子:1139
保延5年8月17日

■在位年:1141-1155 
永治元(1)年12月7日-久寿2年7月23日

▪在位年数:15年

■年号:永治(えいじ)、康治(こうじ)、天養(てんよう)、久安(きゅうあん)、仁平(にんぺい/にんぴょう )、久寿(きゅうじゅ)
■父:第74代・鳥羽天皇の第9皇子
▪母:藤原得子(美福門院)
▪皇后:藤原多子(たし)、中宮・藤原呈子(ていし、九条院)
子:-

■皇居:平安宮

■御陵:安楽寿院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ) /確定
▪陵形:多宝塔
▪所在地:京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町

▪火葬塚 所在地:京都府京都市北区紫野花ノ坊町 《方丘》
▪葬法:火葬



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 第77代 後白河(ごしらかわ)天皇 1127-1192 在位:1155-1158
77 後白河天皇
(ごしらかわ)
(加後号)
(太上天皇)

(太上法皇)
▪雅仁(まさひと)(諱)
▪行真(法号)
■生没年:1127-1192 
大治2年9月11日(10月18日)-建久3年3月13日(4月26日)

▪年齢:66歳

■立太子:-

■在位年:1155-1158 
久寿2年7月24日-保元3年8月11日

▪在位年数:4年

▪譲位

■院政:1158-1179
(二条天皇・六条天皇・高倉天皇)
■院政:1181-1192
(安徳天皇・後鳥羽天皇)

■法皇:1169 嘉応元(1)年
法号(行真)、戒師・寛忠

■年号:久寿(きゅうじゅ)、保元(ほうげん)
■父:第74代・鳥羽天皇の第4皇子
▪母:藤原璋子(しょうし、待賢門院)
▪皇后:藤原忻子(きんし)、女御・平滋子(しげこ、皇太后、建春門院)、源(藤原)懿子(いし)、藤原琮子(むねこ)‥
▪子:第78代・二条天皇、亮子内親王、好子内親王、第80代・高倉天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:法住寺陵(ほうじゅうじのみささぎ) /確定
▪陵形:方形堂
▪所在地:京都府京都市東山区三十三間堂廻り
▪葬法:土葬







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 第78代 二条(にじょう)天皇 1143-1165 在位:1158-1165
78 二条天皇
(にじょう)
(太上天皇)
▪守仁(もりひと)(諱) ■生没年:1143-1165 
康治2年6月17日(7月31日)
-永万元(1)年7月28日(9月5日)

▪年齢:23歳

■立太子:1159
久寿2年9月23日

■在位年:1158-1165 
保元3年8月11日-永万元(1)年6月25日

▪在位年数:8年

▪譲位

■年号:保元(ほうげん)、平治(へいじ)、永暦(えいりゃく)、応保(おうほう/おうほ )、長寛(ちょうかん)、永万(えいまん)
■父:第77代・後白河天皇の第1皇子
▪母:源(藤原)懿子(よしこ/いし)
▪皇后:姝子(しゆし)内親王(高松院)、藤原育子(いくし)、藤原多子(たし)‥
▪子:第79代・六条天皇、僐子内親王、尊恵法親王

■皇居:平安宮

■御陵:香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市北区平野八丁柳町
▪葬法:火葬









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第79代 六条(ろくじょう)天皇 1164-1176 在位:1165-1168  
79 六条天皇
(ろくじょう)
(太上天皇)
*元服以前に太上天皇を称した初例になる。
▪順仁(のぶひと/よりひと)(諱) ■生没年:1164-1176 
長寛2年11月14日(12月28日)-安元2年7月17日(8月23日)

▪年齢:13歳

■立太子:-

■在位年:1165-1168 
永万元(1)年6月25日-仁安3年2月19日

▪在位年数:4年

▪譲位

■年号:永万(えいまん)、仁安(にんあん)
■父:第78代・二条天皇の第2皇子
▪母:伊岐致遠女
皇后:­
▪子:-

■皇居:平安宮

■御陵:清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町
▪葬法:土葬







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第80代 高倉(たかくら)天皇 1161-1181 在位:1168-1180 
80 高倉天皇
(たかくら)
(太上天皇)
▪憲仁(のりひと)(諱) ■生没年:1161-1181 
永暦2年9月3日(9月23日)-治承5年1月14日(1月30日)

▪年齢:21歳

■立太子:1166
仁安元(1)年10月10日

■在位年:1168-1180 
仁安3年2月19日-治承4年2月21日

▪在位年数:13年

▪譲位

■院政:1180-1181
(安徳天皇)

■年号:仁安(にんあん)、嘉応(かおう)、承安(しょうあん)、安元(あんげん)、治承(じしょう)
■父:第77代・後白河天皇の第7皇子
▪母:平滋子(建春門院)
▪皇后:平徳子(たいらのとくこ、建礼門院)、藤原殖子(しよくし、七条院)、藤原通子(みちこ)、藤原氏‥
▪子:第81代・安徳天皇、第82代・後鳥羽天皇

■皇居:平安宮

■御陵:後清閑寺陵(のちのせいかんじのみささぎ) /確定
▪陵形:方丘
▪所在地:京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町
▪葬法:土葬
*死去当日に土葬になる。








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 第81代 安徳(あんとく)天皇 1178-1185 在位:1180-1185 
81 安徳天皇
(あんとく)
*安徳は諡号
▪言仁(ときひと)(諱)
▪水天皇大神
■生没年:1178-1185 
治承2年11月12日(12月22日)-寿永4年3月24日(4月25日)

▪年齢:8歳
*歴代中で最も短命

■立太子:1178
治承2年12月15日

■在位年:1180-1185 
治承4年2月21日-寿永4年3月24日)

▪在位年数:6年
*在位:最後の2年間は、次の第82代・後鳥羽天皇の在位:最初の2年間と重複する。

■年号:治承(じしょう)、養和(ようわ)、寿永(じゅえい)
■父:第80代・高倉天皇の第1皇子
▪母:平徳子(とくこ、建礼門院)
▪皇后:
▪子:-

■皇居:福原宮、平安宮、屋島

■御陵:阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:山口県下関市阿弥陀寺町
▪葬法:­(入水)

■三種の神器:1185年、壇ノ浦の戦いで三種の神器は水没する。鏡、曲玉(神璽)は回収された。宝剣は失われた。
 神鏡(宮中)、神璽(宮中)
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     第82代 後鳥羽(ごとば)天皇 1180-1239 在位:1183-1198
82 後鳥羽天皇
(ごとば)
(加後号)
(太上天皇)
*没後に顕徳の諡号が贈られ、後鳥羽の追号に改められた。
▪尊成(たかひら/たかなり)(諱)
▪隠岐院(おきのいん)→顕徳院(けんとくいん)( 諡)→後鳥羽院(ごとばいん)
*没後の1239年に諡号の顕徳院を贈られ、怨霊を噂され、1242年に後鳥羽院に改められた。
▪良然(法号)
▪金剛理(法号)
■生没年:1180-1239 
治承4年7月14日(8月6日)-延応元(1)年2月22日(3月28日)

▪年齢:60歳

■立太子:1183
寿永2年8月20日

■在位年:1183-1198 
寿永2年8月20日-建久9年1月11日

▪在位年数:16年

▪譲位

■院政:1198-1221
(土御門天皇・順徳天皇・仲恭天皇)

■法皇:1221 承久3年 
法号(良然・金剛理)、戒師・俊芿

■年号:寿永(じゅえい)、元暦(げんりゃく)、文治(ぶんじ)、建久(けんきゅう)
■父:第80代・高倉天皇の第4皇子
▪母:坊門(藤原)殖子(しよくし、七条院)
▪皇后:九条(藤原)任子(にんし、宜秋門院)、女院・源在子(みなもとのざいし、承明門院)、女院・藤原(高倉)重子(じゆうし、二条局、修明門院)‥
▪子:為仁親王(第83代・土御門天皇)、守成親王(第84代・順徳天皇)‥

■皇居:平安宮

■御陵:大原陵(おおはらのみささぎ)
▪陵形:十三重塔
▪所在地:京都府京都市左京区大原勝林院町

▪火葬塚 所在地:島根県隠岐郡海士(あま)町大字海士 《円丘》
▪葬法:火葬
*流刑地の隠岐で火葬にされた。

■三種の神器:平氏に持ち去られており、践祚も神器なしの異例のものだった。

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鎌倉時代
83代 土御門(つちみかど)天皇 1195-1231 在位:1198-1210 
83 土御門天皇
(つちみかど)
(太上天皇)
▪為仁(ためひと)(諱)
▪土佐院(とさいん)
▪阿波院(あわいん)
▪行源(ぎょうげん)(法号)
■生没年:1195-1231 
建久6年12月2日(1月3日)-寛喜3年10月11日(11月6日)

▪年齢:37歳

■立太子:-

■在位年:1198-1210 
建久9年1月11日-承元4年11月25日

▪在位年数:13年

▪譲位

■法皇:1231 寛喜3年
法号(行源)、戒師・

■年号:建久(けんきゅう)、正治(しょうじ)、建仁(けんにん)、元久(げんきゅう)、建永(けんえい)、承元(じょうげん)
■父:第82代・後鳥羽天皇の第1皇子
▪母:源在子(承明門院)
▪皇后・炊御門(藤原)麗子(れいし、陰明門院)、典侍・源(土御門)通子(みちこ、贈皇太后)、高階氏‥
▪子:第88代・後嵯峨天皇、仁助法親王、道仁法親王、曦子内親王(仙華門院)‥

■皇居:平安宮

■御陵:金原陵(かねがはらのみささぎ)
▪陵形:八角丘・空堀
▪所在地:京都府長岡京市金ヶ原金原寺(こんげんじ)

▪火葬塚 徳島県鳴門市大麻町池谷字大石 《山形・堀》
▪葬法:火葬
*流刑地の阿波で火葬にされた。


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 第84代 順徳(じゅんとく)天皇 1197-1242 在位:1210-1221  
84 順徳天皇
(じゅんとく)
(太上天皇)
*順徳は諡号
▪守成(もりなり)(諱)
▪佐渡院→順徳院(追号)
*1249年に順徳院に追号になる。
■生没年:1197-1242 
建久8年9月10日(10月22日)-仁治3年9月12日(10月7日)

▪年齢:46歳

■立太子:1200
正治2年4月15日

■在位年:1210-1221 
承元4年11月25日-承久3年4月20日

▪在位年数:12年

▪譲位

■年号:承元(じょうげん)、建暦(けんりゃく)、建保(けんぽう)、承久(じょうきゅう)
■父:第82代・後鳥羽天皇の第3皇子
▪母:藤原重子(じゆうし、修明門院)
▪皇后・九条立子(りつし、東一条院)、典侍・藤原氏、藤原範光女、後宮・藤原位子‥
▪子:第85代・仲恭天皇、尊覚法親王、覚恵法親王‥

■皇居:平安宮、三条坊門殿、大炊御門殿、三条烏丸殿、閑院、高陽院

■御陵:大原陵(おおはらのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市左京区大原勝林院町

▪火葬塚 新潟県佐渡市真野字林 《円丘》
▪葬法:火葬
*流刑地の佐渡で火葬にされた。

■三種の神器:朝廷は伊勢神宮より献上された剣を草薙剣にした。
 宝剣・分身(宮中)
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 ­ 後高倉院(ごたかくらいん) 1179-1223
後高倉院
(ごたかくらいん)
(太上天皇)

*不即位・追尊太上天皇。1221年に第86代・後堀河天皇の父として太上天皇の尊号を受けた。
▪守貞(もりさだ)(諱)
▪持統院宮(じみょういんのみや)
▪持統院法皇
▪広瀬宮
▪広瀬院(ひろせいん)
▪行助(ぎょうじょ)(法号)
■生没年:1179-1223
治承3年2月28日(4月6日)-貞応2年5月14日(6月14日)

▪年齢:45歳

■立太子:

■院政:1221-1223
(後堀河)
■父:第80代・高倉天皇の第2皇子
▪母:七条院藤原(坊門)殖子 (やすこ)
▪配偶者:持明院陳子(北白河院)
▪子:尊性法親王、利子内親王(式乾門院)、茂仁王(第86代・後堀河天皇)

▪埋葬地:北白川
▪葬法:
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第85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇  1218-1234 在位:1221-1221 
85 仲恭天皇
(ちゅうきょう)
*1870年に仲恭天皇が追諡された。
▪懐成(かねなり)(諱)
▪仲恭天皇(諡号)
▪半帝(はんてい)
▪後廃帝(のちのはいてい)
▪九条廃帝(くじょうはいてい)
■生没年:1218-1234 
建保6年10月10日(10月30日)-天福2年5月20日(6月18日)

▪年齢:17歳

■立太子:1218

■在位年:1221-1221 
承久3年4月20日-同3年7月9日

▪在位年数:4カ月
*在位:期間が歴代中で最も短い。

▪譲位(廃位)

■年号:承久(じょうきゅう)
■父:第84代・順徳天皇の第4皇子
▪母:九条立子(りつし、東一条院)
▪皇后:藤原氏
▪子:

■皇居:平安宮

■御陵:九条陵くじょうのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市伏見区深草本寺山町
▪葬法:?




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 第86代 後堀河(ごほりかわ)天皇 1212-1234 在位:1221-1232 
86 後堀河天皇
(ごほりかわ)
(太上天皇)

(加後号)
▪茂仁(ゆたひと)(諱)
▪後堀河院(ごほりかわいん)(追号)
■生没年:1212-1234 
建暦2年2月18日(3月22日)-天福2年8月6日(8月31日)

▪年齢:23歳

■立太子:-

■在位年:1221-1232 
承久3年7月9日-貞永元(1)年10月4日

▪在位年数:12年

▪譲位

■院政:1232-1234
(四条天皇)

■年号:承久(じょうきゅう)、貞応(じょうおう)、元仁(げんにん)、嘉禄(かろく)、安貞(あんてい)、寛喜(かんき)、貞永(じょうえい)
■父:守貞親王(後高倉院)の第2皇子
▪母:持明院(藤原)陳子(ちんし)
▪皇后:三条(藤原)有子(ゆうし、安喜門院)、近衛(藤原)長子(ちようし、鷹司院)、九条(藤原)竴子(そんし、藻璧門院)‥
▪子:第87代・四条天皇‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:観音寺陵(かんおんじのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:土葬





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 第87代 四条(しじょう)天皇 1231-1242 在位:1232-1242 
87 四条天皇
(しじょう)
▪秀仁(みつひと)(諱) ■生没年:1231-1242 
寛喜3年2月12日(3月17日)-仁治3年1月9日(2月10日)

▪年齢:12歳

■立太子:1231
寛喜3年10月28日

■在位年:1232-1242 
貞永元(1)年10月4日-仁治3年1月9日

▪在位年数:11年

■年号:貞永(じょうえい)、天福(てんぷく)、文暦(ぶんりゃく)、嘉禎(かてい)、暦仁(りゃくにん)、延応(えんおう)、仁治(にんじ)
■父:第86代・後堀河天皇の第1皇子
▪母:九条竴子(そんし、藻璧門院)
▪女御:九条彦子(げんし/ひろこ、宣仁門院)
▪子:-

■皇居:平安宮/閑院冷泉万里小路殿

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内) 《円丘・空堀》
▪葬法:土葬
*泉涌寺で土葬にされた。




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 第88代 後嵯峨(ごさが)天皇 1220-1272 在位:1242-1246  
88 後嵯峨天皇
(ごさが)
(太上天皇)

(加後号)
▪邦仁(くにひと)(諱)
▪素覚(法号)
■生没年:1220-1272 
承久2年2月26日-文永9年2月17日

▪年齢:53歳

■立太子:-

■在位年:1242-1246 
仁治3年1月20日-寛元4年1月29日

▪在位年数:5年

▪譲位

■院政:1246-1272
(後深草天皇・亀山天皇)

■法皇:1268 文永5年 
法号(素覚)、戒師・尊助

■年号:仁治(にんじ)、寛元(かんげん)
■父:第83代・土御門天皇
▪母:源通子(みちこ)
▪中宮:藤原(西園寺)姞子(きつし、大宮院)、体子内親王(たいしないしんのう、神仙門院[くんせんもんいん])、平棟子(たいらのとうし)‥
▪子:宗尊親王、第89代・後深草天皇、第90代・亀山天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:嵯峨南陵
▪陵形:方形堂
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(天龍寺内)

▪火葬塚 所在地:京都府京都市右京区嵯峨亀ノ尾町 《円丘・空堀》
▪葬法:火葬
*火葬が復活する。



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 第89代 後深草(ごふかくさ)天皇 1243-1304 在位:1246-1259
89 後深草天皇
(ごふかくさ)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)
▪久仁(ひさひと)(諱)
▪素実(法号)
■生没年:1243-1304 
寛元元(1)年6月10日(6月28日)-嘉元2年7月16日(8月17日)

▪年齢:62歳

■立太子:1243
寛元元(1)年8月10日

■在位年:1246-1259
寛元4年1月29日-正元元(1)年11月26日

▪在位年数:14年

▪譲位

■院政:1287-1290
(伏見天皇)

■法皇:1290 正応3年 
法号(素実)、戒師・尊朝
        
■年号:寛元(かんげん)、宝治(ほうじ)、建長(けんちょう)、康元(こうげん、正嘉(しょうか)、正元(しょうげん)
■父:第88代・後嵯峨天皇
▪母:西園寺(藤原)姞子(きつし、大宮院)
▪中宮:西園寺(藤原)公子(きんし、東二条院)、女院・藤原(洞院)愔子(いんし、玄輝門院)、西園寺相子‥
▪子:第92代・伏見天皇、久明親王‥

■皇居:冷泉富小路殿閑院冷泉万里小路殿

■御陵:深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町
▪葬法:火葬
*泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。








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第90代  亀山(かめやま)天皇 1249-1305 在位:1259-1274
90 亀山天皇
(かめやま)
(大覚寺統)
(太上天皇)

▪恒仁(つねひと)(諱)
▪亀山院
*遺命による。
▪禅林寺殿
▪文応皇帝(ぶんおうこうてい)
▪金剛眼(源)(法号)
■生没年:1249-1305 
建長元(1)年5月27日(7月9日)-嘉元3年9月15日(10月4日)

▪年齢:57歳

■立太子:1258
正嘉2年8月7日

■在位年:1259-1274 
正元元(1)年(11月26日-文永11年1月26日

▪在位年数:16年

▪譲位

■院政:1274-1287
(後宇多天皇)

■法皇:1289 正応2年 
法号(金剛源)、戒師・了遍
        
■年号:正元(しょうげん)、文応(ぶんおう)、弘長(こうちょう)、文永(ぶんえい)
■父:第88代・後嵯峨天皇
▪母:西園寺姞子(きつし、大宮院)
▪皇后:洞院(藤原)佶子(きつし、京極院)、中宮・西園寺(藤原)嬉子(きし、今出河[川]院)、女御・近衛位子(いし、新陽明門院)‥
▪子:第91代・後宇多天皇、恒明親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:亀山陵(かめやまのみささぎ)
▪陵形:方形堂
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(天龍寺内)

▪分骨所 所在地:京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町(蓮華峯寺陵内) 《法華堂内五輪塔・後宇多天皇以下2方・3方と分骨合葬》
▪分骨所 所在地:京都府京都市左京区南禅寺福地町(南禅寺内) 《法華堂》
▪火葬塚 所在地:京都府京都市右京区嵯峨亀ノ尾町 《円墳・空堀》
▪葬法:火葬
*遺骨は浄金剛院に埋骨された。
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 第91代 後宇多(ごうだ)天皇 1267-1324 在位:1274-1287
91 後宇多天皇
(ごうだ)
(大覚寺統)
(太上天皇)
(加後号)
▪世仁(よひと)(諱)
▪後宇多院(追号)
*遺詔による。
▪金剛性(こんごうしょう)(法号)
■生没年:1267-1324 
文永4年12月1日(12月17日)-元享4年6月25日(7月16日)

▪年齢:58歳

■立太子:1268
文永5年8月25日

■在位年:1274-1287 
文永11年1月26日-弘安10年10月21日

▪在位年数:14年

▪譲位

■院政:1301-1308
(後二条天皇)
■院政:1318-1321
(後醍醐天皇)

■法皇:1307 徳治2年 
法号(金剛性)、戒師・禅助
        
■年号:文永(ぶんえい)、建治(けんじ)、弘安(こうあん)
■父:第90代・亀山天皇の第2皇子
▪母:洞院(藤原)佶子(きつし、京極院)
▪皇妃:姈子(れいし)内親王(遊義門院)、後宮・源(堀河)基子(きし、西華門院)、藤原(五辻)忠子(談天門院)、瑞子(ずいし)女王(永嘉門院)‥
▪子:第94代・後二条天皇、南朝第1代・第96代・後醍醐天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)
▪陵形:方形堂・五重塔
▪所在地:京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町
▪葬法:土葬
*大覚寺境内に埋葬される。







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 第92代 伏見(ふしみ)天皇 1265-1317 在位:1287-1298
92 伏見天皇
(ふしみ)
(持明院統)
(太上天皇)
▪煕仁(ひろひと)(諱)
▪素融(法号)
■生没年:1265-1317 
文永2年4月23日(5月10日)-文保元(1)年9月3日(10月8日)

▪年齢:53歳

■立太子:1275
建治元11月5日

■在位年:1287-1298 
弘安10年10月21日-永仁6年7月22日

▪在位年数:12年

▪譲位

■院政:1298-1301
(後伏見天皇)
■院政:1308-1313
(花園天皇)

■法皇:1313 正和2年
法号(素融)、戒師・公什

■年号:弘安(こうあん)、正応(しょうおう)、永仁(えいにん)
■父:第89代・後深草天皇の第2皇子
▪母:洞院愔子(いんし、玄輝門院)
▪中宮:西園寺(藤原)鏱子(しょうし、永福門院)、皇妃・五辻経子(けいし)、藤原(洞院)季子(顕親門院)‥
▪子:第93代・後伏見天皇、第95代・花園天皇‥

■皇居:平安宮

■御陵:深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町
▪葬法:火葬
*泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。








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 第93代 後伏見(ごふしみ)天皇 1288-1336 在位:1298-1301
93 後伏見天皇
(ごふしみ)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)
▪胤仁(たねひと)(諱)
▪理覚(りかく)(法号)
▪行覚(法号)
■生没年:1288-1336 
弘安11年3月3日(4月5日)-延元元(1)年=建武3年4月6日(5月17日)

▪年齢:49歳

■立太子:1289
正応2年4月25日

■在位年:1298-1301 
永仁6年7月22日-正安3年1月22日

▪在位年数:4年

▪譲位

■院政:1313-1318
(花園天皇)
■院政:1331-1333
(光厳天皇)

■法皇:1333 元弘3年  
法号(理覚・行覚)、戒師・慈道
      
■年号:永仁(えいにん)、正安(しょうあん)
■父:第92代・伏見天皇の第1皇子
▪母:五辻(藤原)経子(けいし)
▪女御・西園寺寧子(ねいし)、正親町守子、正親町氏
▪子:北朝第1代・光厳天皇、北朝第2代・光明天皇、珣子内親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪火葬塚 所在地:京都府京都市右京区嵯峨亀ノ尾町 《円丘・空堀》
▪葬法:火葬
*泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。



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 第94代 後二条(ごにじょう)天皇 1285-1308 在位:1301-1308 
94 後二条天皇
(ごにじょう)
(大覚寺統)
(加後号)

▪邦治(くにはる)(諱) ■生没年:1285-1308 
弘安8年2月2日(3月9日)-徳治3年8月25日(9月10日)

▪年齢:24歳

■立太子:1298
永仁6年8月10日

■在位年:1301-1308 
正安3年1月21日-徳治3年8月25日

▪在位年数:8年

■年号:正安(しょうあん)、乾元(けんげん)、嘉元(かげん)、徳治(とくじ)
■父:第91代・後宇多天皇の第1皇子
▪母:堀川基子(きし、西華門院)
▪皇后:徳大寺(藤原)忻子(きんし、長楽門院)、一条瑣子(万秋門院)、五辻宗子‥
▪子:邦良親王、邦省親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:北白河陵(きたしらかわのみささぎ)
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:京都府京都市左京区北白川追分町
▪分骨所 所在地:京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町(蓮華峯寺陵内) 《方形堂・五輪塔》
▪葬法:火葬
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第95代  花園(はなぞの)天皇 1297-1348 在位:1308-1318 
95 花園天皇
(はなぞの)
(持明院統)
(太上天皇)
▪富仁(とみひと)(諱)
▪富小路天皇
▪萩原法皇
▪花園院(はなぞのいん)(追号)
▪萩原院(はぎわらいん)
▪遍行(へんぎょう)(法号)
■生没年:1297-1348 
永仁5年7月25日(8月14日)-正平3年=貞和4年11月11日(12月2日)

▪年齢:52歳

■立太子:1301
正安3年8月24日

■在位年:1308-1318 
延慶元(1)年8月26日-文保2年2月26日

▪在位年数:11年

▪譲位

■法皇:1335 建武2年 
法号(遍行)、戒師・恵鎮

■年号:徳治(とくじ)、延慶(えんきょう)、応長(おうちょう)、正和(しょうわ)、文保(ぶんぽう)
■父:第92代・伏見天皇の第4皇子
▪母:洞院季子(とういんきし、顕親門院)
▪後宮:正親町実子(じつこ)、正親町氏、葉室頼子
▪子:寿子内親王、直仁親王‥

■皇居:平安宮

■御陵:十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市東山区粟田口三条坊町
▪葬法:火葬







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南北朝時代 南朝(大覚寺統)
南朝第1代・第96代 後醍醐(ごだいご)天皇 1288-1339 在位:1318-1339 
南1
96
後醍醐天皇
(ごだいご)
(大覚寺統)
(太上天皇)
(加後号)

*天皇自ら後醍醐と名乗る。
▪尊治(たかはる)(諱) ■生没年:1288-1339 
正応元(1)年11月2日(11月26日)-延元4年8月16日(9月19日)

▪年齢:52歳

■立太子:1308
徳治3年9月19日

■在位年:1318-1339 
文保2年2月26日-暦応2年=延元4年8月15日

▪在位年数:22年

▪譲位

■年号:文保(ぶんぽう)、元応(げんおう)、元亨(げんこう)、正中(しょうちゅう)、嘉暦(かりゃく)、元徳(げんとく)、元弘(げんこう)、建武(けんむ)、延元(えんげん)
■父:第91代・後宇多天皇の第2皇子
▪母:五辻(藤原)忠子(ちゆうし)
▪中宮:西園寺(藤原)禧子(きし、礼政門院、後京極院)、珣子(じゆんし、恂子)内親王(新室町院)、女御・二条栄子、女院・藤原(阿野)廉子(れんし、新皇太后、新待賢門院)‥
▪子:護良親王、尊良親王、南朝第2代・第97代・後村上天皇(義良親王)‥

■皇居:平安宮、吉野行宮(よしののあんぐう)

■御陵:塔尾陵(とうのおのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾(如意輪寺内)
▪葬法:土葬
*吉野山麓に土葬された。

■三種の神器:南北朝時代には、吉野・南朝に遷される。
 神鏡・分身(吉野)、宝剣・分身(吉野)、神璽(吉野)
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 南朝第2代・第97代 後村上(ごむらかみ)天皇 1328-1368 在位:1339-1368
南2
97
後村上天皇
(ごむらかみ)
(大覚寺統)
(加後号)
▪義良(のりよし/のりなが)(諱)→憲良(のりよし/のりなが)(諱) ■生没年:1328-1368 
嘉暦3年-応安元(1)年=正平23年3月11日(3月29日)

▪年齢:41歳

■立太子:1339
暦応2年=延元4年3月

■在位年:1339-1368 
暦応2年=延元4年8月15日-応安元(1)年=正平23年3月11日

▪在位年数:30年

■年号:延元(えんげん)、興国(こうこく)、正平(しょうへい)
■父:南朝第1代・第96代・後醍醐天皇の第7皇子
▪母:阿野(藤原)廉子(あのれんし、新待賢門院)
▪女御:藤原(近衛)勝子(しようし、嘉喜門院)、源氏(北畠親房女)
▪子:寛成親王(南朝第3代・第98代・長慶天皇)、熙成親王(南朝第4代・第99代・後亀山天皇)、惟成親王

■皇居:吉野行宮(よしののあんぐう)、賀名生行宮(あのうのあんぐう)、観心寺行宮(かんしんじのかりみや)、住吉行宮(すみよしのあんぐう)、天野行宮(あまのあんぐう)

■御陵:桧尾陵(ひのおのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:大阪府河内長野市寺元(観心寺内)
▪葬法:土葬?
*河内・観心寺に土葬されたともいう。
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 南朝第3代・第98代 長慶(ちょうけい)天皇 1343-1394 在位:1368-1383
南3
98
長慶天皇
(ちょうけい)
(大覚寺統)
(太上天皇)
*1926年に新たに在位:が認められた「皇統加列」の天皇になる。
▪寛成(ゆたなり)(諱)
▪慶寿院(ちょうけいいん/けいじゅいん)(称号)
▪覚理(法号)
■生没年:1343-1394 
康永2年=興国4年-応永元(1)年8月1日(8月27日)

▪年齢:52歳

■立太子:-

■在位年:1368?-1383? 
応安元(1)年=正平23年3月11日-永徳3年=弘和3年10月

▪在位年数:16年

▪譲位

■法皇:1378 天授4年 
法号(覚理)、戒師・

■年号:正平(しょうへい)、建徳(けんとく)、文中(ぶんちゅう)、天授(てんじゅ)、弘和(こうわ)
■父:南朝第2代・第97代・後村上天皇
▪母:近藤勝子(しようし、嘉喜門院)
▪中宮:藤原氏(西園寺氏)(西園寺公重の女)、女御・某氏(従二位)教子
▪子:世泰親王、海門承朝、行悟

■皇居:住吉行宮(すみよしのあんぐう)/住吉行宮、吉野行宮、天野行宮、栄山寺行宮とも

■御陵:嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町
▪葬法:?




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 南朝第4代・第99代 後亀山(ごかめやま)天皇 1350-1424 在位:1383-1392
南4
99
後亀山天皇
(ごかめやま)
(大覚寺統)
(太上天皇)
(加後号)
*太上天皇の尊号を辞退する。
*皇統は北朝に一元化された。
▪煕成(ひろなり/のりなり)(諱)
▪金剛心(こんごうしん)(法号)
■生没年:1350?-1424 
正平5年?-応永31年4月12日(5月10日)

▪年齢:75歳?

■立太子:1368
正平23年=応安元(1)年

■在位年:1383?-1392 
永徳3年=弘和3年10月-明徳3年=元中9年閏10月5日

▪在位年数:10年

▪譲位

■法皇:1394 応永元(1)年 
法号(金剛心)、戒師・
     
■年号:弘和(こうわ)、元中(げんちゅう)
■父:南朝第2代・第97代・後村上天皇
▪母:近衛勝子(嘉喜門院)
▪後宮:某氏、未詳
▪子:小倉宮恒敦

■皇居:吉野行宮(よしののあんぐう)、栄山行宮

■御陵:嵯峨小倉陵(さがのおぐらのみささぎ)
▪陵形:五輪塔・空堀
▪所在地:京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町
▪葬法:土葬
*大覚寺に土葬されたという。?







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南北朝時代 北朝(持明院統)
北朝第1代 光厳(こうごん)天皇 1313-1364 在位:1331-1333 
北1 光厳天皇
(こうごん)
(持明院統)
(太上天皇)
*北朝天皇は天皇歴代には数えない。同時期に在位:した正当な天皇として皇統譜に含める。光厳天皇は便宜上は北朝初代とされる。実際には、1336年以降に南北両朝が並立しており、2代・光明天皇の在位:時になる。
▪量仁(ときひと)(諱)
▪勝光智(しょうこうち)(法号)→光智(法号)
■生没年:1313-1364 
正和2年7月9日(8月1日)-貞治3年=元弘19年7月7日(8月5日)

▪年齢:52歳

■立太子:1326
嘉暦元(1)年7月24日

■在位年:1331-1333 
元徳3年=元弘元(1)年9月20日-正慶2年=元弘3年5月25日

▪在位年数:3年

▪譲位(廃位)

■院政:1336-1351
(光明天皇・崇光天皇)

■法皇:1352 観応3年 
法号(勝光智)、戒師・光耀
        
■年号:元弘(げんこう)、正慶(しょうきょう/しょうけい )
■父:第93代・後伏見天皇
▪母:西園寺(藤原)寧子(ねいし)
▪後宮:三条秀子(しゆうし、陽禄門院)、寿美子内親王(徽安門院)、懽子(がんし)内親王‥
▪子:光子内親王、興仁親王(北朝第3代・崇光天皇)、弥仁親王(北朝第4代・後光厳天皇)

■皇居:/京都御所とも

■御陵:山国陵(やまくに/やまぐにのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市右京区京北井戸町丸山(常照皇寺内)

▪分骨所 所在地:大阪府河内長野市天野町(金剛寺内) 《円丘・五輪塔》
▪髪塔 所在地:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町
▪葬法:火葬
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 北朝第2代 光明(こうみょう)天皇 1321-1380 在位:1336-1348
北2 光明天皇
(こうみょう)
(持明院統)
(太上天皇)
*光厳天皇が便宜上は北朝初代とされる。実際には、1336年以降に南北両朝が並立しており、2代・光明天皇の在位:時になる。
▪豊仁(とよひと)(諱)
▪光明院(追号)
*遺勅による。
▪真浄(常)恵(法号)
▪真恵
■生没年:1321-1380 
元享元(1)年12月23日(1月11日)-康暦2年=天授6年6月24日(7月26日)

▪年齢:60歳

■立太子:-

■在位年:1336-1348 
建武3年=延元元(1)年8月15日-貞和4年=正平3年10月27日

▪在位年数:13年

■法皇:1351 観応2年     
法号(真浄恵)、戒師・了寂
     
■年号:建武(けんむ)、暦応(りゃくおう/れきおう)、康永(こうえい)、貞和(じょうわ/ていわ)
■父:北朝第1代・後伏見天皇
▪母:西園寺寧子(ねいし、広義門院)
▪後宮:三条氏、後宮・氏名不詳
▪子:

■皇居:­/京都御所とも

■御陵:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:京都府京都市伏見区桃山町秦長老
▪葬法:土葬








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 北朝第3代 崇光(すこう)天皇 1334-1398 在位:1348-1351
北3 崇光天皇
(すこう)
(持明院統)
(太上天皇)
▪益仁(ますひと)(諱)→興仁(おさひと/おきひと)(諱)
▪崇光院(すこういん)(追号)
*遺勅による。
▪勝円心(しょうえんしん)(法号)
▪大道
■生没年:1334-1398 
建武元(1)年4月22日(5月25日)-応永5年1月13日(1月31日)

▪年齢:65歳

■立太子:1338
建武5年=延元3年8月13日

■在位年:1348-1351 
貞和4年=正平3年10月27日-観応2年=正平6年11月7日

▪在位年数:4年

▪譲位(廃位)

■法皇:1392 明徳3年
法号(勝円心)、戒師・常光

■年号:貞和(じょうわ/ていわ)、観応(かんのう/かんおう)
■父:北朝第1代・光厳天皇
▪母:藤原秀子(しゆうし、陽禄門院)
▪後宮:庭田資子(にわたしし)、後宮・治部卿局(じぶきょうのつぼね)、仕女・三条局
▪子:伏見宮栄仁親王、興信法親王、瑞室‥

■皇居:/京都御所とも

■御陵:大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
▪陵形:円丘・空堀
▪所在地:京都府京都市伏見区桃山町秦長老
▪葬法:火葬





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 北朝4代 後光厳(ごこうごん)天皇 1338-1374 在位:1352-1371 
北4 後光厳天皇
(ごこうごん)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)
▪弥仁(みつひと/いやひと)(諱)
▪後光厳院(ごこうごういん)(追号)
▪光融(こうゆう)(法号)
■生没年:1338-1374 
建武5年=延元3年3月2日(3月23日)-応安7年=文中3年1月29日(3月12日)

▪年齢:37歳

■立太子:-

■在位年:1352-1371 
観応3年=正平7年8月17日-応安4年=建徳2年3月23日

▪在位年数:20年

■院政:1371-1374
(後円融天皇)

■法皇:1374 応安7年 
法号(光融)、戒師・聖皐
        
■年号:観応(かんのう/かんおう )、文和(ぶんな/ぶんわ )、延文(えんぶん)、康安(こうあん)、貞治(じょうじ/ていじ )、応安(おうあん)
■父:北朝第1代・光厳天皇
▪母:藤原秀子(しゆうし、陽禄門院)
▪後宮:広橋(紀)仲子(ひろはしちゆうし、崇賢門院)、後宮・法印長快の娘、後宮・橘知繁の娘‥
▪子:緒仁親王(北朝第5代・後円融天皇)、煕永親王、堯仁法親王‥

■皇居:/京都御所とも

■御陵:深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪分骨所 所在地:京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺雲龍院内 《方形》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。





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 北朝第5代 後円融(ごえんゆう)天皇 1358-1393 在位:1371-1382  
北5 後円融天皇
(ごえんゆう)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)
▪緒仁(おひと)(諱)
▪後円融院(追号)
*遺詔による。
▪光浄(こうじょう)(法号)
■生没年:1358-1393 
延文3年=正平13年12月12日(1月11日)-明徳4年4月26日(6月6日)

▪年齢:36歳

■立太子:-

■在位年:1371-1382 
応安4年=建徳2年3月23日-永徳2年=弘和2年4月11日

▪在位年数:12年

■院政:1382-1393
(後小松天皇)

■法皇:1393 明徳4年     
法号(光浄)、戒師・竹岩
      
■年号:応安(おうあん)、永和(えいわ)、康暦(こうりゃく)、永徳(えいとく)
■父:北朝第4代・後光厳天皇
▪母:藤原(紀)仲子(ちゆうし)
▪後宮:三条厳子(いつし、通陽門院)、後宮・法印長快の娘、四条今子‥
▪子:幹仁親王(北朝第6代・第100代・後小松天皇)、珪子内親王、道朝親王

■皇居:/京都御所とも

■御陵:深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪分骨所 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺雲竜院内) 《方形》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。



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 北朝第6代・第100代 後小松(ごこまつ)天皇 1377-1443 在位:1382-1412
北6
100
後小松天皇
(ごこまつ)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)

*在位:初め10年間は北朝天皇とし、1392年の南北朝合一以後の20年間は歴代の第100代に数える。
▪幹仁(もとひと)(諱)
▪素行智(法号)
■生没年:1377-1443 
永和3年=天授3年6月27日(8月1日)-永享5年10月20日(12月1日)

▪年齢:57歳

■立太子:-

■在位年:
(北朝)1382-1392
歴代天皇(合一後) 1392-1412 
永徳2年=弘和2年4月11日(5月24日) - 応永19年8月29日(10月5日)

▪在位年数:31年

▪譲位

■院政:1412-1433
(称光天皇・後花園天皇)

■法皇:1431 永享3年    
法号(素行智)、戒師・永助
    
■年号:永徳(えいとく)、至徳(しとく)、嘉慶(かきょう/かけい ) 、康応(こうおう)、明徳(めいとく)、応永(おうえい)
■父:北朝第5代・後円融天皇の第1皇子
▪母:藤原厳子(いつし)
▪後宮:日野西資子(にしのにしし、光範門院)、日野西氏、甘露寺経子‥
▪子:第101代・称光天皇、小川宮、理永女王、一休宗純

■皇居:平安宮(土御門内裏)/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺雲竜院内) 《円丘》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。


■三種の神器:神鏡・分身(宮中)、宝剣・分身(宮中)、神璽(宮中)
*南朝・後亀山天皇より神器を受けた。





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室町時代
­ 貞成(さだふさ)親王・後崇光院(ごすこういん) 1372-1456 
後崇光院
(ごすこういん)
(持明院統)
(太上天皇)

*不即位・追尊太上天皇。没後1447年に第102代・後花園天皇の父として尊号追贈された。
▪伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう
▪後崇光院(ごすうこういん)(院号)
▪道欽(どうきん)入道親王(法号)
■生没年:1372-1456
応安5年3月5日(4月9日)-康正2年8月29日(9月28日)

▪年齢:

■立太子:-

■父:伏見宮栄仁親王の第2王子
▪母:三条治子
▪皇后:庭田幸子(御息所)
▪子:第102代・後花園天皇、伏見宮貞常親王

■御陵:伏見松林院陵(ふしみしょうりんいんのみささぎ)
▪所在地:京都府京都市伏見区丹後町
▪葬法:
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第101代  称光(しょうこう)天皇 1401-1428 在位:1412-1428
101 称光天皇
(しょうこう)
(持明院統)
▪躬仁(みひと)(諱)→実仁(みひと)(諱)
▪称光(追号)
▪大宝寿(法号)
■生没年:1401-1428 
応永8年3月29日(5月12日)-正長元(1)年7月20日(8月30日)

▪年齢:28歳

■立太子:-

■在位年:1412-1428 
応永19年8月29日-正長元(1)年7月20日

▪在位年数:17年

■法皇:1428 正長元(1)年     
法号(大宝寿)、戒師・

■年号:応永(おうえい)、正長(しょうちょう)
■父:北朝第6代・第100代・後小松天皇の第1皇子
▪母:藤原(日野西)資子
▪皇妃:藤原(日野)光子(みつこ)、藤原氏、内侍(源氏)‥
▪子:

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。


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 第102代 後花園(ごはなぞの)天皇 1419-1470 在位:1428-1464 
102 後花園天皇
(ごはなぞの)
(持明院統)
(太上天皇)
(加後号)
▪彦仁(ひこひと)(諱)
▪後文徳院(ごもんとくいん)→後花園院(追号)
*漢風諡号に後字を加えた追号例はないとして改められた。
▪円満智(えんまんち)(法号)
■生没年:1419-1470 
応永26年6月17日(7月10日)-文明2年12月27日(1月18日)

▪年齢:52歳

■立太子:-

■在位年:1428-1464  
正長元(1)年7月28日-寛正5年7月19日

▪在位年数:37年

▪譲位

■院政:1464-1470
(後土御門天皇)

■法皇:1467 応仁元(1)年 
法号(円満智)、戒師・増運
         
■年号:正長(しょうちょう)、永享(えいきょう)、嘉吉(かきつ)、文安(ぶんあん)、宝徳(ほうとく)、享徳(きょうとく)、康正(こうしょう)、長禄(ちょうろく)、寛正(かんしょう)
■父:伏見宮貞成親王(後崇光院)の第1王子
▪母:庭田(源)幸子(敷政門院)
▪准三宮:藤原信子(のぶこ)、日野郷子、三条冬子
▪子:観心女王、成仁親王(第103代・後土御門天皇)‥

■皇居:平安宮/土御門高倉殿、土御門殿、一条東洞院殿

■御陵:後山国陵(のちのやまくにのみささぎ)
▪陵形:宝篋印塔
▪所在地:京都府京都市右京区京北井戸町丸山(常照皇寺内)

▪分骨所 所在地:京都府京都市上京区般舟院前町(般舟院陵域内) 《宝篋印塔》
▪火葬塚 所在地:京都府京都市上京区扇町(大応寺内) 《山形・空堀》
▪葬法:火葬
*応仁・文明の乱(1467-1477)があり野で火葬される。
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 第103代 後土御門(ごつちみかど)天皇 1442-1500 在位:1464-1500
103 後土御門天皇
(ごつちみかど)
(加後号)
▪成仁(ふさひと)(諱)
▪正等観(法号)
■生没年:1442-1500 
嘉吉2年5月25日(7月3日)-明応9年9月28日(10月21日)

▪年齢:59歳

■立太子:-

■在位年:1464-1500 
寛正5年7月19日-明応9年9月28日

▪在位年数:37年

■法皇:1500 明応9年 
法号(正等観)、戒師・
    
■年号:寛正(かんしょう)、文正(ぶんしょう)、応仁(おうにん)、文明(ぶんめい)、長享(ちょうきょう)、延徳(えんとく)、明応(めいおう)
■父:第102代・後花園天皇の第1皇子
▪母:大炊御門信子
▪准三宮・源(庭田)朝子(あさこ、贈皇太后)、勧修寺房子、藤原兼子
▪子:勝仁親王(第104代・後柏原天皇)、尊敦親王、応善女王、仁尊法親王

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪分骨所 所在地:京都府京都市上京区般舟院前町(般舟院陵域内) 《宝篋印塔》
▪分骨所 所在地:京都府京都市右京区京北井戸町丸山(後山国陵域内) 《方形》
▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(月輪陵域内) 《方形》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。


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 第104代 後柏原(ごかしわばら)天皇 1464-1526 在位:1500-1526 
104 後柏原天皇
(ごかしわばら)
(加後号)
▪勝仁(かつひと)(諱)
■生没年:1464-1526 
寛正5年10月20日(11月19日)-大永6年4月7日(5月18日)

▪年齢:63歳

■立太子:-

■在位年:1500-1526 

明応9年10月25日-大永6年4月7日

▪在位年数:27年

■年号:明応(めいおう)、文亀(ぶんき)、永正(えいしょう)、大永(だいえい)
■父:第103代・後土御門天皇の第1皇子
▪母:庭田(源)朝子
▪准三宮:藤原(勧修寺[かじゅうじ])藤子(とうこ)、典侍(ないしのすけ)・庭田源子(もとこ)、勾当内侍(こうとうのないし)・高倉継子
▪子:覚鎮女王、知仁親王(第105代・後奈良天皇)、清彦親王

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(月輪陵域内)
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。

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 第105代 後奈良(ごなら)天皇 1496-1557 在位:1526-1557
105 後奈良天皇
(ごなら)
(加後号)
▪知仁(ともひと)(諱) ■生没年:1496-1557 
明応5年12月23日(1月26日)-弘治3年9月5日(9月27日)

▪年齢:62歳

■立太子:-

■在位年:1526-1557 

大永6年4月29日-弘治3年9月5日

▪在位年数:32年

■年号:大永(だいえい)、享禄(きょうろく)、天文(てんぶん)、弘治(こうじ)
■父:第104代・後柏原天皇の第2皇子
▪母:勧修寺藤子
▪贈皇太后:万里小路(までのこうじ、藤原)栄子(贈皇太后)、広橋国子、高倉量子、日野具子‥
▪子:方仁親王(第106代・正親町天皇)、永寿女王、普光女王‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪分骨所 所在地:京都府京都市上京区般舟院前町(般舟院陵域内) 《宝篋印塔》
▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(月輪陵域内) 《方形》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。

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 第106代 正親町(おおぎまち)天皇 1517-1593 在位:1557-1586 
106 正親町天皇
(おおぎまち)
(太上天皇)
▪方仁(みちひと)(諱)
▪正親町院(追号)
■生没年:1517-1593 
永正14年5月29日(6月18日)-文禄2年1月5日(2月6日)

▪年齢:77歳

■立太子:-

■在位年:1557-1586 
弘治3年10月27日-天正14年11月7日

▪在位年数:30年

▪譲位

■年号:弘治(こうじ)、永禄(えいろく)、元亀(げんき)、天正(てんしょう)
■父:第105代・後奈良天皇の第1皇子
▪母:藤原栄子
▪贈准三宮・藤原(万里小路)房子、藤原氏、藤原氏
▪子:永高女王、誠仁親王、春齢女王

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(月輪陵域内) 《方形》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。

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 ­ 誠仁(さねひと)親王・陽光院(ようこういん) 1552-1586
陽光院
(ようこういん)
(太上天皇)

*不即位・追尊太上天皇。没後、1586年以降に第107代・後陽成天皇の父として尊号追贈された。
▪誠仁親王(さねひとしんのう)
▪陽光太上天皇
▪陽光院(院号)
■生没年:1552-1586
天文21年4月23日(5月16日)-天正14年7月24日(9月7日)

▪年齢:

■立太子:-


■父:第106代・正親町天皇の第1皇子
▪母:万里小路房子
▪女房:新上東門院勧修寺晴子、典侍局
▪子:第107代・後陽成天皇‥

■御陵:月輪陵(つきのわのみささぎ)
▪陵形:
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町
▪葬法:
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安土・桃山時代
第107代 後陽成(ごようぜい)天皇  1571-1617 在位:1586-1611
107 後陽成天皇
(ごようぜい)
(太上天皇)

(加後号)
▪和仁(初名)(かずひと)(諱)→周仁(かたひと)(諱)
*1617年に改名した。
▪茶地丸(幼名)
▪後陽成院(ごようぜいいん)(追号)
■生没年:1571-1617 
元亀2年12月15日(12月31日)-元和3年8月26日(9月25日)

▪年齢:47歳

■立太子:-

■在位年:1586-1611 
天正14年11月7日-慶長16年3月27日

▪在位年数:26年

▪譲位

■院政:1611-1617
(後水尾天皇)

■年号:天正(てんしょう)、文禄(ぶんろく)、慶長(けいちょう)
■父:誠仁親王の第1皇子
▪母:勧修寺(藤原)晴子(新上東門院)
▪女御:近衛前子(さきこ、中和門院)、日野輝子、中山親子、葉室宣子‥
▪子:清子内親王、政仁親王(第108代・後水尾天皇)、近衛信尋、高松宮好仁親王‥

■皇居:平安宮/土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)

■御陵:深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
▪陵形:方形堂(後深草天皇以下13方合葬)
▪所在地:京都府京都市伏見区深草坊町

▪灰塚 所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(月輪陵域内) 《九重塔》
▪葬法:火葬
*泉涌寺が葬場になる。泉涌寺で火葬され、遺骨は深草法華堂に遷された。
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江戸時代
第108  後水尾(ごみずのお)天皇 1596-1680 在位:1611-1629
108 後水尾天皇
(ごみずのお)
(太上天皇)
(加後号)
▪政仁(ことひと/初訓・ただひと)(諱)
▪後水尾院(ごみずのおいん)(追号)
*遺詔による。
▪円浄(えんじょう)(法号)
■生没年:1596-1680 
文禄5年6月4日(6月29日)-延宝8年8月19日(9月11日)

▪年齢:85歳

■立太子:-

■在位年:1611-1629 
慶長16年3月27日-寛永6年11月8日

▪在位年数:19年

▪譲位

■院政:1629-1648
(明正天皇・後光明天皇)
■院政:1663-1669
(霊元天皇)

■法皇:1651 慶安4年    
法号(円浄)、戒師・中悼
        
■年号:慶長(けいちょう)、元和(げんな)、寛永(かんえい)
■父:第107代・後陽成天皇の第3皇子
▪母:近衛(藤原)前子(さきこ、中和門院)
▪中宮:徳川(源)和子(まさこ、東福門院)、四辻氏、葉室氏、園光子、櫛笱隆子、園国子‥
▪子:興子内親王(第109代・明正天皇)、紹仁親王(第110代・後光明天皇)、良仁親王(第111代・後西天皇)、識仁親王(第112代・霊元天皇)

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪歯塚 所在地:京都府京都市上京区相国寺門前町(相国寺内)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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 第109代 明正(めいしょう)天皇 1623-1696 在位:1629-1643 
109 明正天皇
(めいしょう)
(女性天皇)
(太上天皇)
▪興子(おきこ)(諱)
▪女一宮(おんないちのみや)(幼名)
▪明正院(めいしょういん)(追号)
■生没年:1623-1696 
元和9年11月19日(1月9日)-元禄9年11月10日(12月4日)

▪年齢:74歳

■立太子:-

▪在位年:1629-1643 
寛永6年11月8日-同20年10月3日

▪在位年数:15年

▪譲位

■年号:寛永(かんえい)
■父:第108代・後水尾天皇の第2皇女
▪母:徳川(源)和子(まさこ、東福門院)
▪配偶者:-
▪子:-

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。以後は土葬が続く。






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 第110代 後光明(ごこうみょう)天皇 1633-1654 在位:1643-1654 
110 後光明天皇
(ごこうみょう)
(加後号)
▪紹仁(つぐひと)(諱)
▪素鵞宮(すがのみや)(幼名)
▪後光明院(追号)
■生没年:1633-1654 
寛永10年3月12日(4月20日)-承応3年9月20日(10月30日)

▪年齢:22歳

■立太子:-

■在位年:1643-1654 
寛永20年10月3日-承応3年9月20日

▪在位年数:12年

■年号:寛永(かんえい)、正保(しょうほう)、慶安(けいあん)、承応(じょうおう)
■父:第108代・後水尾天皇の第4皇子
▪母:園光子(壬生院)
▪典侍・庭田季子(ひでこ)
▪子:孝子内親王(礼成門院)

■皇居:平安宮/土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)、下御所(仮皇居)

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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 第111代 後西(ごさい)天皇 1637-1685 在位:1654-1663  
111 後西天皇
(ごさい)
(太上天皇)
(加後号)
▪良仁(ながひと)(諱)
▪秀宮(ひでのみや)
▪桃園宮(ももぞののみや)
▪花町宮(はなまちのみや)
▪後西院(追号)
*後西院天皇とすべきとの説がある。
■生没年:1637-1685 
寛永14年11月16日(1月1日)-貞享2年2月22日(3月26日)

▪年齢:49歳

■立太子:-

■在位年:1654-1663 
承応3年11月28日-寛文3年1月26日

▪在位年数:10年

▪譲位

■年号:承応(じょうおう)、明暦(めいれき)、万治(まんじ)、寛文(かんぶん)
■父:第108代・後水尾天皇の第8皇子
▪母:藤原(櫛笥)隆子(たかこ)
▪女御:明子(あきこ)女王、清閑寺共子、岩倉氏、富小路氏‥
▪子:誠子内親王、八条宮長仁親王、有栖川宮幸仁親王‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪塔 所在地:奈良県生駒郡斑鳩町大字三井(中宮寺宮墓地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。
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 第112代 霊元(れいげん)天皇 1654-1732 在位:1663-1687
112 霊元天皇
(れいげん)
(太上天皇)
▪識仁(さとひと)(諱)
▪高貴宮(あてのみや)
▪霊元院(れいげんいん)(追号)
*生前の勅定による。
▪素浄(法号)
■生没年:1654-1732 
承応3年5月25日(7月9日)-享保17年8月6日(9月24日)

▪年齢:79歳

■立太子:-

■在位年:1663-1687 
寛文3年1月26日-貞享4年3月21日

▪在位年数:25年

▪譲位

■院政:1687-1693
(東山天皇)
■院政:1709-1717
(中御門天皇)

■法皇:1713 正徳3 
法号(素浄)、戒師・道仁
        
■年号:寛文(かんぶん)、延宝(えんぽう)、天和(てんな)、貞享(じょうきょう)
■父:第108代・後水尾天皇の第19皇子
▪母:藤原(園)国子(新広義門院)
▪皇后:鷹司房子(新上西門院)、坊城氏、小倉氏、松木宗子(むねこ、敬法門院)、今城氏‥
▪子:栄子内親王(二条綱平室)、憲子内親王(近衛家熙室)、朝仁親王(第113代・東山天皇)‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪歯塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。


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 第113代 東山(ひがしやま)天皇 1675-1709 在位:1687-1709 
113 東山天皇
(ひがしやま)
(太上天皇)
▪朝仁(あさひと)(諱)
▪五宮(ごのみや)
▪東山院(ひがしやまいん)(追号)
■生没年:1675-1709 
延宝3年9月3日(10月21日)-宝永6年12月17日(1月16日)

▪年齢:35歳

■立太子:1683

■在位年:1687-1709 
貞享4年3月21日-宝永6年6月21日

▪在位年数:23年

▪譲位

■院政:1709
(中御門天皇)

■年号:貞享(じょうきょう)、元禄(げんろく)、宝永(ほうえい)
■父:第112代・霊元天皇の第5皇子
▪母:松木宗子
▪皇后:幸子(ゆきこ)女王(承秋門院)、櫛笥賢子(みくしげよしこ、新崇敬賢門院)、冷泉経子‥
▪子:秋子内親王(伏見宮妃)、一宮、慶仁親王(第114代・中御門天皇)‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。






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第114代 中御門(なかみかど)天皇 1701-1737 在位:1709-1735
114 中御門天皇
(なかみかど)
(太上天皇)
▪慶仁(やすひと)(諱)
▪長宮(ますのみや)
▪中御門院(追号)
■生没年:1701-1737 
元禄14年12月17日(1月14日)-元文2年4月11日(5月10日)

▪年齢:37歳

■立太子:1708

■在位年:1709-1735 
宝永6年6月21日-享保20年3月21日

▪在位年数:27年

▪譲位

■院政:1735-1737
(桜町天皇)

■年号:宝永(ほうえい)、正徳(しょうとく)、享保(きょうほう)
■父:第113代・東山天皇の第5皇子
▪母:櫛笥賀子(みくしげよしこ、新崇賢門院、贈皇太后)
▪女御:近衛尚子(ひさこ、新中和門院、贈皇太后)、藤原石子、園常子‥
▪子:昭仁親王(第115代・桜町天皇)、公遵法親王、理秀女王

■皇居:平安宮/土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)、近衛第

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。
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 第115代 桜町(さくらまち)天皇 1720-1750 在位:1735-1747 
115 桜町天皇
(さくらまち)
(太上天皇)

▪照仁(てるひと)(諱)
▪若宮(わかのみや)
▪茶地宮(さちのみや)
▪桜町院(さくらまちいん)(追号)
■生没年:1720-1750 
享保5年1月1日(2月8日)-寛延3年4月23日(5月28日)

▪年齢:31歳

■立太子:1728
享保13年6月11日

■在位年:1735-1747 
享保20年3月21日-延享4年5月2日

▪在位年数:13年

▪譲位

■院政:1747-1750
(桃園)

■年号:享保(きょうほう)、元文(げんぶん)、寛保(かんぽう)
 
■父:第114代・中御門天皇の第1皇子
▪母:近衛尚子(ひさこ、新中和門院、贈皇太后)
▪女御:二条(藤原)舎子(いえこ、青綺門院、贈皇太后)、姉小路定子(開明門院)、日野資子
▪子:盛子内親王、智子内親王(第117代・後桜町天皇)、遐仁親王(第116代・桃園天皇)

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪爪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。
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 第116代 桃園(ももぞの)天皇 1741-1762 在位:1747-1762
116 桃園天皇
(ももぞの)
▪遐仁(とおひと)(諱)
▪初名・八穂宮(やほのみや)
→茶地宮(さちのみや)
▪桃園院(ももぞのいん)(追号)
■生没年:1741-1762 
寛保元(1)年2月29日(4月14日)-宝暦12年7月12日(8月31日)

▪年齢:22歳

■立太子:1747
延享4年3月16日

■在位年:1747-1762 
延享4年5月2日-宝暦12年7月12日

▪在位年数:16年

■年号:延享(えんきょう)、寛延(かんえん)、宝暦(ほうれき)
■父:第115代・桜町天皇の第1皇子
▪母:藤原(姉小路)定子(開明門院)
▪女御:一条(藤原)富子(とみこ、恭礼門院、贈皇太后)
▪子:英仁親王(第118代・後桃園天皇)、貞行親王

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪爪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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 第117代 後桜町(ごさくらまち)天皇 1740-1813 在位:1762-1770 
117 後桜町天皇
(ごさくらまち)
(女性天皇)
(太上天皇)
(加後号)
*最後の女性天皇
▪智子(としこ/初訓・さとこ)(諱)
▪以茶宮(いさのみや)(初名)
▪緋宮(あけのみや)
▪後桜町院(追号)
■生没年:1740-1813 
元文5年8月3日(9月23日)-文化10年閏11月2日(12月24日)

▪年齢:74歳

■立太子:-

■在位年:1762-1770 
宝暦12年7月27日-明和7年11月24日

▪在位年数:9年

▪譲位

■年号:宝暦(ほうれき)、明和(めいわ)
■父:第115代・桜町天皇の第2皇女
▪母:藤原舎子
▪配偶者:-
▪子:-

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪爪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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 第118代 後桃園(ごももぞの)天皇 1758-1779 在位:1770-1779 
118 後桃園天皇
(ごももぞの)
(加後号)
▪英仁(ひでひと)(諱)
▪二宮
▪後桃園院(ごももぞのいん)(追号)
■生没年:1758-1779 
宝暦8年7月2日(8月5日)-安永8年10月29日(12月6日)

▪年齢:22歳

■立太子:1768
明和5年2月19日

■在位年:1770-1779 
明和7年11月24日-安永8年11月9日

▪在位年数:10年

■年号:明和(めいわ)、安永(あんえい)
■父:第116代・桃園天皇の第1皇子
▪母:藤原富子(とみこ、皇太后、恭礼門院)
▪女御:近衛(藤原)維子(これこ、皇太后、盛化門院)
▪子:欣子内親王

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:月輪陵(つきのわのみさぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪爪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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第119代 光格(こうかく)天皇 1771-1840 在位:1779-1817
119 光格天皇
(こうかく)
(太上天皇)
*1841年に、諡号再興により光格天皇と追諡された。
▪師仁(もろひと)(初名)(諱)→兼仁(ともひと)(諱)
▪祐宮(さちのみや)
光格天皇(追諡)
■生没年:1771-1840 
明和8年8月15日(9月23日)-天保11年11月18日(12月11日)

▪年齢:70歳

■立太子:1779
(儲君治定)
安永8年11月8日

■在位年:1779-1817 
安永8年11月25日-文化14年3月22日

▪在位年数:39年

▪譲位

■院政:1817-1840
(仁孝天皇)

■年号:安永(あんえい)、天明(てんめい)、寛政(かんせい)、享和(きょうわ)、文化(ぶんか)
■父:閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第6皇子
▪母:大江(岩室)磐代、養母・藤原維子
▪皇后:欣子(よしこ)内親王(新清和院、皇太后)、勧修寺婧子(かじゆうじただこ)、姉小路聡子、高野正子‥
▪子:温仁親王、悦仁親王、恵仁親王(第120代・仁孝天皇)、盛仁親王、勧修寺婧子‥

■皇居:平安宮/土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)

■御陵:後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪爪塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。

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 ­ 典仁(すけひと)親王・慶光(きょうこう)天皇 1733-1794
慶光天皇
(きょうこう/きょうこう)
(太上天皇)

*不即位・追尊太上天皇。没後、1884年に第119代・光格天皇の父として尊号追贈された。
▪閑院宮典仁親王(かんいんのみやすけひとしんのう)
▪慶光院
▪慶光天皇(諡号)
▪自在王院(じざいおういん)(諡)
▪寿宮 (ひさのみや)
▪おりゐのみかど
▪もとのうへ
▪むなしきふね
■生没年:1733-1794 
享保18年2月17日(4月1日)-寛政6年7月6日(8月1日)

▪年齢:61歳

■父:閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひと)の第2王子
▪母:讃岐
▪妃:成子内親王、女房:大中臣祐智女、りて、紫雲院‥
▪子:致宮、俊宮、方宮‥

■御陵:廬山寺陵(ろさんじのみささぎ)
▪陵形:石造多宝塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:
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第120代 仁孝(にんこう)天皇 1800-1846 在位:1817-1846
120 仁孝天皇
(にんこう)
*仁孝天皇と諡される。
▪恵仁(あやひと)(諱)
▪寛宮(ゆたのみや)(幼称)
▪仁孝天皇(諡)
■生没年:1800-1846 
寛政12年2月21日(3月16日)-弘化3年1月26日(2月21日)

▪年齢:47歳

■立太子:1809
文化6年3月24日

■在位年:1817-1846 
文化14年3月22日-弘化3年2月6日

▪在位年数:30年

■年号:文化(ぶんか)、文政(ぶんせい)、天保(てんぽう)、弘化(こうか)
■父:第119代・光格天皇の第4皇子
▪母:勧修寺(藤原)婧子(かじゆうじただこ、東京極院)、養母・欣子(よしこ)内親王
▪女御:鷹司(藤原)繋子(つなこ、贈皇后)、鷹司祺子(やすこ)(皇太后、新朔平門院)、正親町雅子(おおぎまちなおこ、新待賢門院)、甘露寺妍子(かんろじきよこ)‥
▪子:安仁親王、慈悲心院宮、摩尼珠院宮、第121代・孝明天皇‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)
▪陵形:九重塔
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)

▪髪歯塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町大字高野山字蓮花谷(金剛峯寺奥院天皇皇族髪歯爪塔地)
▪葬法:土葬
*泉涌寺が葬場になる。寺主催の仏式葬儀の最後になる
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 第121代 孝明(こうめい)天皇 1831-1866 在位:1846-1866
121 孝明天皇
(こうめい)
*孝明天皇と諡号される。
▪統仁(おさひと)(諱)
▪煕宮(ひろのみや)
▪孝明天皇(諡)
■生没年:1831-1866 
天保2年6月14日(7月11日)-慶応2年12月25日(1月30日)

▪年齢:36歳

■立太子:1840
天保11年3月14日

■在位年:1846-1866 
弘化3年2月13日-慶応2年12月25日

▪在位年数:21年

■年号:弘化(こうか)、嘉永(かえい)、安政(あんせい)、万延(まんえん)、文久(ぶんきゅう)、元治(げんじ)、慶応(けいおう)
■父:第120代・仁孝天皇の第4皇子
▪母:藤原(正親町)雅子、養母・藤原祺子
▪女御:九条凪子(あきこ、英照皇太后)、皇妃・坊城伸子(ぼうじょうただこ)、中山慶子(よしこ)‥
▪子:順子内親王、富貴宮、妙香華院‥

■皇居:平安宮/京都御所

■御陵:後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)
▪陵形:円丘
▪所在地:京都府京都市東山区今熊野泉山町(泉涌寺内)
▪葬法:土葬
*葬儀の際の仏事が空洞化する。




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近代・現代
第122代  明治(めいじ)天皇 1852-1912 在位:1867-1912
122 明治天皇
(めいじ)
1868年に行政官布告により、一世一元の制が制定。
*1889年2月11日に旧皇室典範制定。
▪睦仁(むつひと)
▪祐宮(さちのみや)
▪明治天皇(追号)
■生没年:1852-1912 
嘉永5年9月22日(11月3日)-明治45年7月30日
▪年齢:61歳

■立太子:1860(儲君治定)
万延元(1)年7月10日

■在位年:1867-1912 
慶応3年1月9日-明治45年7月30日

▪在位年数:46年

■年号:慶応(けいおう)、明治(めいじ)
*「明治」は、一世一元。

■父:第121代・孝明天皇の第2皇子
▪母:中山慶子、養母・英照皇太后
▪皇后:一条美子(いちじょう はるこ)(昭憲皇太后)、権典侍(ごんのないしのすけ)・柳原愛子(やなぎはらなるこ)、権典侍・千種任子、権典侍・園祥子‥
▪子:稚瑞照彦尊(わかみつてるひこのみこと)、稚高依姫尊(わかたかよりひめのみこと)、梅宮薫子内親王、建宮敬仁親王

■皇居:京都御所、青山御所、東京城→皇城→宮城皇居(きゅうじょうこうきょ、東京皇居、宮城[1888-1948])

■御陵:伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)
▪陵形:上円下方
▪所在地:京都府京都市伏見区桃山町古城山
▪葬法:土葬
*古代の葬儀礼に倣う。殯(もがり)が行われる。

■三種の神器:神鏡・本体(伊勢神宮内宮)、神鏡・分身(東京・賢所)、宝剣・本体(名古屋・熱田神宮)、宝剣・分身(東京皇居・剣璽の間)、神璽(東京皇居・剣璽の間)
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 第123代 大正(たいしょう)天皇 1879-1926 在位:1912-1926 
123 大正天皇
(たいしょう)
*一世一元の制。
▪嘉仁(よしひと)
▪明宮(はるのみや)
▪大正天皇(追号)
■生没年:1879-1926 
明治12年8月31日-大正15年12月25日
東京生
▪年齢:48歳

■立太子:1889
明治22年11月3日

■在位年:1912-1926 
明治45年=大正元(1)年7月30日-大正15年12月25日

▪在位年数:15年

■年号:大正(たいしょう)
*「大正」は、一世一元。
■父:第122代・明治天皇の第3皇子
▪母:柳原愛子(やなぎわらなるこ)、養母・昭憲皇太后
▪皇后:九条節子(さだこ、貞明[ていめい]皇后)
▪子:迪宮裕仁親王、淳宮雍仁親王、光宮宣仁親王‥

■皇居:東京皇居

■御陵:多摩陵(たまのみささぎ)
▪陵形:上円下方
▪所在地:東京都八王子市長房町(武蔵陵墓地)
▪葬法:土葬
*皇室喪儀礼など法令に倣う。
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 第124代 昭和(しょうわ)天皇 1901-1989 在位:1926-1989
124 昭和天皇
(しょうわ)
*1947年1月16日に皇室典範制定。
*1979年に元号法制定。

*一世一元の制。
*昭和天皇と追号される。
▪裕仁(ひろひと)
▪迪宮(みちのみや)
▪昭和天皇(追号)
■生没年:1901-1989 
明治34年4月29日-昭和64年1月7日
東京生
▪年齢:89/87歳

■立太子:1916
大正5年11月3日

■在位年:1926-1989 
大正15年=昭和元(1)年12月25日-昭和64年1月7日

▪在位年数:64年

■年号:昭和(しょうわ)
*「昭和」は、一世一元。
■父:第123代・大正天皇の第1男子(第1皇男子)
▪母:貞明皇后(九条節子)
▪皇后:香淳(こうじゅん)皇后(久邇宮良子[くにのみやながこ]女王)
▪子:東久邇成子(照宮成子内親王)、久宮祐子内親王、第125代・今上天皇(継宮明仁親王)‥

■皇居:東京皇居→皇居(こうきょ)

■御陵:武蔵野陵(むさしののみささぎ)
▪陵形:上円下方
▪所在地:東京都八王子市長房町(武蔵陵墓地)
▪葬法:土葬
*葬儀殿の儀、大喪の礼を分けて行う。
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 第125代 明仁(あきひと)上皇 1933-  在位:1989-2019
125 明仁上皇
(あきひと)

*東京で初の即位の礼を行った。

▪明仁(あきひと)
▪継宮(つぐのみや)
▪平成天皇(追号)
■生年:1933-
昭和8年12月23日-

■立太子:1952
昭和27年11月10日

■在位年:1989-2019  
昭和64年=平成元(1)年1月7日-平成31年4月30日

在位年数:30年

■年号:平成(へいせい)
■父:第124代・昭和天皇の第1皇男子
▪母:香淳皇后(久邇宮良子[くにのみやながこ]女王)
▪皇后:美智子(正田美智子)
▪子:徳仁親王(浩宮徳仁親王)、秋篠宮文仁親王(礼宮文仁親王)、黒田清子(紀宮清子内親王)

■皇居:東京皇居



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 第126代 今上(きんじょう)天皇 1960-  在位:2019-
126
今上天皇/徳仁天皇
(きんじょう/なるひと)

*2019年4月1日に新元号「令和(れいわ)」を発表
*2019年5月1日に即位
▪徳仁(なるひと)
▪浩宮(ひろのみや)
■生年:1960-
昭和35年2月23日-

■立太子:1989
昭和64年1月7日

■在位年:2019- 

平成31年=令和元(1)年5月1日- 

▪在位年数:

■年号:令和(れいわ)
■父:第125代・今上天皇の第1皇男子
▪母:美智子皇后
▪皇后:雅子(小和田雅子)
▪子:敬宮愛子(としのみや あいこ)内親王

■皇居:東京皇居







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   天皇名・摘要 諡号・幼名・別称   生没年・年齢・在位期間
・在位年数
皇族・皇居・御陵 
*諡号・幼名・別称、そのほか人名・地名については異なる表記・読みの場合があります。生没年・在位年・月日などについても諸説あるもの、不確定なものがあります。一部の天皇、皇族についての実在・陵墓地などについても不確定なものが含まれています。北朝天皇、即位しなかった追尊天皇・不即位太上天皇・歴代天皇列記経験女帝なども含んでいます。色分けは、即位した歴代天皇は青、即位しなかった天皇は緑、南北朝の天皇も各々色分けしました。
*参考文献『歴代天皇125代総覧』『歴代天皇・皇后総覧』『図説天皇制』『歴代天皇125代』『図説歴代天皇125代』『天皇と葬儀』『天皇125代』『歴代天皇年号事典』『天皇・皇室辞典』『歴代天皇の実像』『密教辞典』
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