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平安神宮 (京都市左京区) Heian-jingu Shrine |
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平安神宮 | 平安神宮 |
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![]() 大鳥居 ![]() ![]() 慶流橋、鴨東運河 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 社号標、神紋は桜と橘になる。土台は、貴船石。 ![]() 手水舎 ![]() 手水舎、貴船石 ![]() ![]() 應天門(神門) ![]() ![]() ![]() ![]() 應天門 ![]() ![]() 應天門 ![]() 應天門、鴟尾 ![]() 應天門 ![]() 應天門 ![]() 應天門 ![]() 【参照】大極殿復元図(京都市平安京創生館)、説明板より ![]() ![]() 龍尾檀 ![]() 外拝殿 ![]() 外拝殿、鴟尾 ![]() 外拝殿 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 西の白虎楼 ![]() 東の蒼龍楼 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 廻廊 ![]() 地垂木、飛檐垂木、八角笠の円筒火袋の釣灯籠 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 額殿 ![]() ![]() 神楽殿 ![]() ![]() ![]() ![]() 龍虎の石像 ![]() 右近の橘 ![]() 右近の橘 ![]() 左近の桜 ![]() 左近の桜 |
岡崎にある平安神宮(へいあん-じんぐう)は、近代になり創建された。京都市の氏神として崇敬されている。 主祭神は、平安京遷都を行った平安時代の第50代・桓武天皇。東京遷都により平安京最後の天皇になった江戸時代の第121代・孝明天皇の二座を祀る。旧官幣大社。 神仏霊場会第113番、京都第33番。四神相応の京(みやこ)京都五社めぐりの一つ、中央。 家内安全、厄除開運、心身健康、厄除、縁結びなどの信仰を集めている。 「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン1つ星観光地」(改訂第4版)に選ばれている。平安新宮・時代祭は、「美しき日本-いちどは訪れたい日本の観光遺産」(日本交通公社、1999年)の一つに認定された。 ◆歴史年表 近代、1892年、経済学者・田中卯吉の神宮建立の進言が市議会で可決された。 1893年、地鎮祭が行われる。 1894年、本殿、大極殿、応天門、青竜楼、白虎楼などが完成した。桓武天皇を祀る神宮創立の請願が許される。立柱式が営まれ、平安神宮として官幣大社に列せられた。山県有朋の命により、小川治兵衛が造園に着手する。 1895年、竣工し、地鎮式が行われた。平安京大内裏(だいだいり)の正庁、朝堂院(八省院)を縮小して復元される。官幣大社に列せられた。平安遷都1100年記念の「内国勧業博覧会開催記念事業内国勧業博覧会」が開催される。時代祭が始まる。 1908年、旧京都市美術館敷地が社地に編入される。10月、神宮前で「三大事業起工奉告祭」が催された。 1912年、京都御所より泰平閣、尚美館が移築された。 1913年、西神苑、中神苑が完成する。 1929年、大鳥居が竣工した。 1938年、孝明天皇の合祀の儀が出される。 1940年、皇紀2600年を記念し、祭神に孝明天皇が合祀された。本殿、祝詞殿、翼舎、神楽殿(儀式殿)、額殿、内外歩廊、斎館、社務所などが増改築される。 現代、1950年、時代祭が再興された。京都薪能が始まる。 1968年、南神苑が完成する。 1975年、主要社殿の屋根が葺替になる。神苑が国の名勝に指定された。 1976年、1月、本殿部分が焼失している。 1979年、4月、再建された。 1994年、百年祭記念館、時代祭衣裳祭具収蔵庫が建てられた。社殿朱塗り工事行われる。 2018年、9月、台風21号により神苑で被害が出る。 ◆桓武天皇 奈良時代-平安時代の第50代・桓武天皇(かんむ-てんのう、737-806)。山部(やまべ)。柏原亭。父は白壁王(後のの第49代・光仁天皇)、母の高野新笠は、百済の武寧王を祖先とする百済王族の末裔という。皇位継承者ではなかった。764年、従五位下に叙される。766年、従五位上大学頭になる。770年、父の即位により親王宣下、四品。772年、光仁皇后井上内親王が廃后、その子・他戸親王も廃太子され、773年、立太子になる。775年、井上内親王、他戸親王は死に追われる。780年、伊治呰麻呂(いじのあざまろ)の反乱が起こる。781年、3月、即位、同母弟・早良親王を皇太子に立てた。これらには藤原百川の画策があった。5月、藤原小黒麻呂征夷戦勝の報告を許さなかった。784年、6月、長岡遷都の工事が始まる。11月、平城京より長岡京に遷都した。785年、9月、造長岡宮使長官・藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に伴い、早良親王を廃太子に追い、乙訓寺に幽閉させる。10月、親王を淡路に流す途中で親王は亡くなる。11月、安殿親王(あてのみこ)が立太子になる。789年、蝦夷大使・紀古佐美の軍を東北に派遣し、蝦夷の指導者・阿弖流為(アテルイ)に衣川で敗走する。(第一次蝦夷征伐)。791年、蝦夷大使・大伴麻呂の軍を派兵する。(第二次蝦夷征伐)。793年、葛野に行幸した。新京宮城(平安京)の造営が始まる。794年、10月、新京に再遷都した。11月、山背国を山城国に改め、新京を平安京にした。797年、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、胆沢、志和を確保した。(第三次蝦夷征伐)。800年、7月、神泉苑に行幸する。早良親王に祟道天皇を追尊した。804年、再び田村麻呂を征夷大将軍として、第四次の蝦夷征討が準備された。遣唐船発遣、805年、公卿に徳政相論を行わせ、造宮職を廃した。806年、3月、藤原種継暗殺事件連座者を復位させた。その翌日に亡くなる。山陵は当初、宇太野(うだの、右京区宇多野)とされたが、4月、紀伊郡柏原山陵(伏見区)に柏原山陵に改められた。70歳。 百済王氏出自を官人などに重用する。坂上田村麻呂を征夷大将軍とし、蝦夷侵略の兵を送る。律令政治の振興、財政緊縮、地方官粛清、徴兵制度の廃止、土地制度改革、良賤制度の改訂、最澄や空海を保護し、既存仏教を圧迫した。祭神制度の整備などを行う。 ◆孝明天皇 江戸時代の第121代・孝明天皇(こうめい-てんのう、1831-1867) 。統仁(おさひと)。第120代・仁孝天皇の第4皇子。母は新待賢門院藤原雅子(なおこ)。1840年、立太子、1847年、即位した。父の遺志により公家の学問所(学習院)を創設する。1853年、ペリー来航以後、1854年、日米和親条約(神奈川条約)は許した。内裏が焼失する。1855年、安政度の造営を幕府に通達する。1858年、日米修好通商条約で老中・堀田正睦の条約調印の勅許は拒否し、幕府が独断で調印し、一時天皇は譲位を表明する。条約調印を了承した。(条約勅許問題)。1860年、桜田門外の変後、将軍・徳川家茂と皇妹・和宮の婚姻を承認し公武合体の立場をとった。1861年、長井雅楽の「航海遠略策」を受理した。1862年、薩長土3藩主の要請に基づき、三条実美らを勅使として派遣し、幕府に攘夷を督促する。1863年、「攘夷断行」を幕府から上奏させる。長州藩の建議を受け、家茂を従え237年ぶりに賀茂社へ行幸する。八月十八日の政変では、攘夷派公卿の三条実美ら七卿と長州藩兵を京都から追放した。(七卿の都落ち)。1864年、家茂に公武一和の協力を命じた。禁門の変の直後、長州追討を命じる。1865年、幕府の要請を受け長州再征を許可した。慶喜の強要を容れ条約を許可した。1866年、第二次長州征伐中に将軍家茂が死去、天皇は征長の停止を幕府に指示した。第15代将軍・慶喜の就任直後に疱瘡(ほうそう)で没した。36歳。 攘夷を主張した。公武合体策もとり、岩倉具視ら公卿の王政復古倒幕論には批判的だった。歌を詠み、文人天皇として知られた。御集に『此花詠集』がある。 陵墓は後月輪東山陵(東山区)になる。 ◆伊東忠太 近代の建築家・建築史家の伊東忠太(いとう-ちゅうた、1867-1954)。山形県に生まれた。1892年、東京大学造家学科卒業、大学院に進学した。1896年、社寺保存会委員になる。1899年、東京帝国大学助教授、1902年、雲崗(うんこう)の石窟を世界で初めて紹介した。1905年より、東京大学教授、1929年、早稲田大学教授。1893年、東京美術学校の講師になり岡倉天心の影響を受ける。1923年、首里城正殿の保存に尽力した。1943年、建築界初の文化勲章を受章する。 日本建築史を創始し、『法隆寺建築論』(1893)により、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを著した。京都の主な作品としては、豊国廟(1898)、 旧・二条駅舎、真宗信徒生命保険(1912、京都、現伝道院)、祇園閣(1927)。そのほか伊勢両宮(遷宮)(1899)、明治神宮(1920)、共同で内務大臣等官邸(1915)など多数ある。86歳。 ◆7代・小川治兵衛 近代の造園家・小川治兵衛(おがわ-じへい、1860-1933)。源之助。山城国乙訓郡神足の庄屋・農家に生まれた。父は山本弥兵衛。1877年、江戸時代、宝暦年間(1751-1763)より続く岡崎の庭匠・小川家(「植治」「田芝屋」)の養子になる。6代に付く。遠州流を学ぶ。法然院・大定に薫陶を受けた。7代目・治兵衛を継ぎ、通称は屋号「植治(うえじ)」と称した。天才的と謳われ山県有朋、西園寺公望らの後援を得た。今日の「植治流」造園技術を確立する。 碧雲荘、無鄰庵、平安神宮神苑、清風荘、円山公園、京都国立博物館庭園、対龍山荘庭園など100あまりの庭園を手掛け、「植治の庭」と呼ばれた。京都御所、修学院離宮、桂離宮などの復元修景にも関わる。 辞世は、「京都を昔ながらの山紫水明の都にかへさねばならぬ」だった。墓は佛光寺本廟(東山区)にある。74歳。 ◆祭神 東本殿に、794年、平安京遷都を行った第50代・桓武天皇(737-806)。西本殿に、その1100年後の1868年、東京遷都によって平安京最後の天皇になった第121代・孝明天皇(1831-1867)の二座を祀る。桓武天皇の皇霊は、皇居皇霊殿より遷された。 ◆建築 楼門(正門、表門、神門、旧応天門)、外拝殿(拝殿、旧大極殿)は、平安京大内裏(だいだいり)の正庁だった朝堂院(ちょうどういん、後の八省院)を、8分の5の規模で縮小し復元した。ただ、当初のものではなく、平安時代、1072年の再建時、第3次の建物が原型にされている。屋根は四注造ではなく、入母屋造になっていた。朝堂院ではかつて、即位、朝貢、外国使節の謁見などが執り行われていた。 かつての大極殿は、八省殿の正庁正殿であり、即位礼などが行われていた。平安時代、876年、1058年に焼失、1072年に再建され、1177年に再び焼失し、その後再建されることはなかった。 考証・設計は伊東忠太(1867-1954)、京都生まれの建築家・木子清敬(1845-1907)、佐々木岩次郎(1853-1936)らによる。当初は原寸大での再現が意図された。 ◈「楼門」(重文)は、応(應)天門を表す。楼上に書家・宮小路康文(1800-1899)が揮毫した「応天門」の扁額がかかる。緑青の連子窓、丹塗り。勾欄を廻らす。5間3戸、二層、入母屋造、碧瓦葺(へきがわらぶき)。 ◈「東西神門翼廊」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。応天門に繋がる。室内は畳敷になる。 ◈「外拝殿(拝殿)」(重文)は、大内裏八省殿の大極殿(だいこくでん)を表している。棟の両側に黄金の鴟尾(しび)を載せ、52本の円柱、桁梁柱などは丹塗りになる。中央身舎四周に廂間がある。左右に歩廊が続く。当時は平瓦に緑釉はかけなかったという。緑青の連子窓、丹塗り、入母屋造、碧(へき)瓦葺。 ◈「龍尾檀(りゅうびだん)」は、外拝殿の前にある。白砂の広場が上下2段に区切られている。朱塗りの欄干(280尺、84.8m)があり、左右に石階がある。 ◈「蒼龍楼(そうりゅうろう)」は、右(東)に歩廊で繋がる。2層目に2階建の5つの楼閣が中央と四隅にある。2層の楼閣、高さ10m。棟両端に金色の鴟尾、丹塗り、碧瓦葺。 ◈「白虎楼(びゃっころう)」は左(西)にある。蒼龍楼に等しい。棟両端に金色の鴟尾、丹塗り、碧瓦葺。 ◈「東西外廻廊」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。東西翼廊、蒼龍楼、白虎楼を結ぶ。切妻造単廊。 ◈「東西門」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。東西外廻廊と繋がる。切妻造。 ◈「内廻廊」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「南歩廊」 (国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「本殿」は、拝殿の奥(北)にあり、2棟の社殿があり、東本殿(右)に桓武天皇、西本殿に光明天皇を祀る。近代、1896年に焼失し、現代、1979年に再建された。7間4間、流造、屋根は白木造、銅板葺。 ◈「神楽殿」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。設計・正木辛三、施工・奥谷熊之輔による。8間(14.5m)、4間(7m)、平屋建、入母屋造、本瓦葺。 ◈「斎館」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。勅使館、宮司室などがある。設計・正木辛三、施工・岡本由兵衛による。木造、平屋建。 ◈「額殿(参集館)」(国登録有形文化財)は、近代、1940年に建立された。設計・正木辛三、施工・北尾年弘による。木造、平屋建、本瓦葺。 ◈「尚美館(貴賓館)」は、京都御苑で開催された京都博覧会の中堂だった。近代、1912年に修理され、1913年に移築された。安田時秀が関与した。木造、平屋建、本瓦葺。 ◈「泰平閣(橋殿)」は、近代、1913年に建立された。池に橋脚を立て、下桁、軸部が載る。楼閣(二層、上層に高欄)、翼楼(向唐破風)からなる。安田時秀が設計に関与したと見られている。京都に6つある屋根付き橋の一つで、長さ20m。中央の泰平閣は、1912年に京都御所より移築された。木造、檜皮葺。 ◈「透塀・後門」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「東神庫」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「西神庫 」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「東の祭器庫」(国登録有形文化財)は、近代、1907年建立という。1940年に移築される。 ◈「西祭器庫」(国登録有形文化財)は、1940年に建立された。 ◈「社務所」は、1940年に建立された。唐破風玄関車寄、斎館と連結している。木造、平屋建、桟瓦葺。 ◆鳥居 「大鳥居」(国登録有形文化財)は、近代、1928年/1929に建てられた。設計は技師・阪谷良之進、顧問・京都帝大教授・武田五一による。 柱内部に階梯があり、笠木まで昇ることができる。笠木上部に窓も開けられている。丹塗り。高さ24.2m、最下部の柱の周り11.4m。コンクリート造。 ◆庭園 神苑の広さは3.3万㎡と広大で、内国博覧会の東方美術館跡地が利用された。7代目・小川治兵衛(植治)が近代、1895年より20年以上をかけて作庭した。いずれも池泉回遊式庭園になる。 1895年に西神苑、中神苑(東神苑)が造られる。1897年に西神苑と中神苑の間の流れが造られた。1916年に東苑が完成した。現代、1981年、南神苑「平安の苑」が完成している。 神苑入口から入ると、南神苑(平安の苑)がある。八重桜の名所として知られる。1969年に野筋と遣水、1981年に「平安の苑」が開かれた。『竹取物語』、『伊勢物語』、『古今和歌集』、『枕草子』、『源氏物語』に登場する180種の草木が植えられている。紅枝垂れ桜、桜、ツツジ、サツキなどが植えられている。 ◈茶室「澄心亭」を過ぎた「西神苑」には、琵琶湖疏水の水が流れ込む。200種、2000株のハナショウブの「白虎池」があり、八ッ橋が架かる。池の北の滝組を経て、森の中の疏水の流れに逆らい上流に向かう。 ◈「中神苑」の「蒼竜池」が開ける。池には多くのさまざまな杜若が見られる。光格天皇が愛でた杜若も混じるという。中島に珊瑚島が造られ、五重層塔が立つ。 池中に沢渡り石の「臥龍橋」が据えられている。1965年に7代・小川治兵衛により造営された。これらの飛石14石(直径70-80㎝)は、天に昇る龍の姿を表すという。石は、鴨川に架けられていた三条大橋、五条大橋などの切石、石の橋脚を再利用している。 ◈「東神苑」の「栖鳳池(せいほういけ)」には、八重紅枝垂桜、桜、サツキ、ツバキなどの植栽が、池を取り囲んで続く。途中にせせらぎがあり、水は浅瀬の大小の石の間を抜けて池に流れ込む。ここでは、水音を愉しむ趣向が凝らされているという。 栖鳳池には、亀島、鶴島を配し、東山を借景としている。京都御所より移築された泰平閣(橋殿)、池畔に尚美館(貴賓館)が建てられている。 苑では、春の七草、紅しだれ桜、初夏の杜若、花菖蒲(白虎池)、睡蓮(蒼竜池)、秋の七草、萩など四季折々の花が愉しめる。 ◆地主神社 地主神社は、大地主神(おおとこぬしのみこと)を祀る。創建時より東北鬼門を守護してきた。鬼門鎮守、災難除、招福の信仰がある。祭礼は毎月1日。 ◆「平安神宮」建立計画 御所を挟んだ東西に、同時期に、梨木神社と護王神社が対をなして創建された。この件について、岩倉具視(1825-1883)の仙洞御所跡への「平安神宮」建立計画との関連を指摘する見方もある。 1883年、岩倉没後、宮内省は、後の平安神宮創建を念頭において、左右の近侍神として梨木神社(祭神・三条実万)と護王神社(祭神・和気清麻呂)を創祀した。 ◆千日回峯行 比叡山延暦寺の千日回峯行者は、京都大廻りの際に当宮に立ち寄る。境内に入り、桓武天皇と孝明天皇を拝する。 ◆内国勧業博覧会 近代、1895年4月-7月、第4回内国勧業博覧会が平安神宮周辺の岡崎一帯で開催された。当時の内閣総理大臣・伊藤博文の最終決定による。博覧会には様々な計画が立ち上がり、趣向が凝らされていた。10月22日には、関連した平安京遷都1200年の紀念祭も開催された。入場者数は113万7000人にのぼった。 1890年の琵琶湖疏水の完成後、1891年に日本初の水力の蹴上発電所が完成し、1894年、京都電気鉄道会社が立ちあげられる。日本初の路面電車(京都駅-伏見)が運行し、「チンチン電車」と呼ばれ博覧会の目玉になる。1895年には、平安京の朝堂院、太極殿を縮小復元し、紀念祭の紀念殿として建てられた。この博覧会の建物群が、現在の平安神宮の創祀に繋がる。さらに、「京の三大祭」の一つに数えられる時代祭も、紀念祭の奉祝行事として始まった。その後、市民による平安講社が運営して現在も続けられている。 ◆チンチン電車 境内の一角に「チンチン電車(N電)」が展示されている。 近代、1895年に日本最初の交通輸送業電車として運行していた、京都電気鉄道(京電)の当初の車両になる。梅鉢鉄工所製作、電動機はアメリカ合衆国・ゼネラルエレクトリック社製による。1956年、神戸製鉄株式会社により修理された。1961年に廃止された京都市電北野線の2号車だった。 当初は、伏見線、木屋町線、鴨東線により営業開始した。路線は、伏見油掛より七条停車場、五条小橋、二条大橋、二条通、博覧会正門、南禅寺に至る7kmだった。1900年に北野線、1904年に西洞院線が開通した。1918年に京都市に合併になり市電になる。北野線は狭軌のままその後も運行し、1961年に廃止された。 ◆石柱 安土・桃山時代、天正年間(1573-1586)に、豊臣秀吉が作った三条、五条大橋の橋脚に使われていた石柱が、神宮内に50数個保存されている。一つには、「津國御影天正十七年」(1589)の銘がある。 ◆文学 平安神宮は、大内裏を模している。大極殿前庭は、紫宸殿南庭を再現する。南神苑(平安の苑)には、『源氏物語』に登場する草木も植えられている。『源氏物語』の第10帖「賢木(さかき)」巻での大極殿を髣髴させる。六条御息所は光源氏への思いを断ち切れず、伊勢へと向かう。天皇より別れの櫛を賜る。 南神苑の紅枝垂れ桜は、谷崎潤一郎(1886-1949)の『細雪』(1943)の一場面になった。大阪船場の上流社会の四姉妹の物語は、戦時中のため軍部の検閲により掲載禁止になり、戦後に完結した。姉妹は、桜見物に訪れる。谷崎は「この神苑の桜が洛中に於ける最も美しい、最も見事な花であるから」と書いた。 立命館大学生・高野悦子(たかの えつこ、1949-1969)は、1968年6月8日、平安神宮、京都市動物園を訪ねている。(『二十歳の原点序章』) ◆映画 映画「狸小路の花嫁」(監督・小石栄一、1956年、東映京都)の撮影が行われた。 ◆西天王塚 蒼龍楼の背後、北東に古墳の方墳があり、現在は松が植えられている。六勝寺遺跡の一つである「西天王塚」とされる。 この地はかつて、平安時代の第74代・鳥羽天皇中宮・美福門院(1117-1160)が創建した歓喜光院の旧地とされている。陵墓参考地になっている。鎮守社の西天王社(須賀神社)の跡ともいう。 ◆自然 神苑内の池と周辺には、琵琶湖疏水の水を引き入れている。このため、イチモンジタナゴなど琵琶湖固有種の淡水魚類、貝類11種(2000年現在)が生息する。外敵の侵入が制限されており、水や植物の種類が多様な「社域ビオトープ」を形成する。京都府の2000年の委託調査によると、淡水魚類は10種あり、カワムツ、タモロコ、モツゴ、ゼゼラ、ゲンゴロウブナ、ギンブナ、タイリクバラタナゴ、イチモンジタナゴ、コイが確認された。未確認ながらヤリタナゴ、トウヨシノボリの報告もある。淡水産貝類は、 ドブガイ、マシジミ、チリメンカワニナ、オオタニシの4種になる。両生類は、ツチガエルがおり、京都の数少ない生息地になった。は虫類は、クサガメとスッポンの2種。ほかに未確認ながら、イモリ、イシガメ、シロイシガメ、アオダイショウなどが生息している。菌類は、46種(地上生28種、樹上生12種、腐植層6種)あり、希種であるキタマゴタケ、テングタケ、コウジタケ、テングノシャモジ、ツルタケダマシ、マンネンタケ、コフキサルノコシカケ、ムラサキナギナタタケ、オニフスベ、ノウタケなどが確認された。 ◆樹木 平安神宮・神苑ではベニシダレ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなど約300本のサクラが植えられており、サクラの名所としても知られている。 ベニシダレザクラは、かつて京都の近衛家にあり、津軽藩主が持ち帰り育てたとされる。平安神宮創建の際に寄贈され、「里帰りの桜」といわれる。「観桜茶会」(4月1日-15日)が開かれ、ライトアップ、「紅しだれコンサート」なども催されている。 左近の桜、右近のタチバナがある。 ◆花期 梅(2月上旬-2月下旬)、山茶花・ツバキ(1月下旬-3月上旬)、桜(3月中旬-4月上旬)、ツツジ(4月中旬-5月上旬)、サツキ(4月下旬-5月上旬)、藤(4月下旬-6月上旬)、1000株の杜若(5月上旬-5月中旬)、花菖蒲(6月上旬-6月中旬)、睡蓮・河骨(5月上旬-9月下旬)、百日紅(7月中旬-9月上旬)。ハギ(9-11月)。 ◆お御籤 当宮の春のお御籤は、「桜みくじ」と呼ばれる。「満開」「五分咲き」「つぼみ」などと表現されている。 ◆結婚式 神前結婚式が挙げられる。 ◆時代祭 桓武天皇が入京した平安時代、794年10月22日に因み、京都三大祭(ほかに祇園祭、葵祭)の一つ「時代祭大祭」が行なわれている。 近代、1895年、平安遷都1100年記念祭では、平安時代-近代の衣裳風俗、文物の変遷を総覧した時代絵巻を、神幸の神輿に供奉させた。以来、京都市民による平安神宮の維持組織「平安講社」が運営して祭りが始まる。衣裳考証は、実業家・熊谷直行(1843-1907)、郷土史家・碓井小三郎(1865-1928)、学者・鑑識家・今泉雄作(1850-1931)、日本画家・久保田米僊1852-1906)、教育者・郷土史・湯本文彦(1843-1921)、出雲路興通、金子錦二、水茎磐楠による。太平洋戦争中に一時中断し、1950年に復活した。1953年、時代婦人行列が加わった。考証は歴史学者・猪熊兼繁(1902-1979)、日本画家・吉川観方(1894-1979)、風俗史家 ・江馬務(1884-1979)による。 当日は、神宮での神幸祭の後、御鳳輦を京都御所御苑に移し行在所祭が行われる。各学区より参集した時代行列と合して行列が組まれる。維新勤王隊列の鼓笛隊、鉄砲隊を先頭に、正午に京都御所を出発し、午後3時頃に平安神宮に還幸する。大極殿では還幸祭が行われる。 行列の編成は名誉奉行ほか、1.維新勤王隊列、2.維新志士列、3.徳川城使洛列、4.江戸時代婦人列、5.豊公参朝列、6.織田公上洛列、7.楠公上洛列、8.中世婦人列、9.城南流鏑馬列、10.藤原公卿参朝列、11.平安時代婦人列、12.延暦武官行進列、13.延暦文官参朝列、14.神饌(しんせん)講社列、15.前列、16.神幸列(孝明・桓武天皇鳳輦)、17.白川女献花列、 18.弓箭(きゅうぜん)組列になる。 ◆節分祭 節分祭(2月3日)では、12:00に奉納狂言、13:00に節分祭、14:00より大儀之儀があり、追儺式は宮中の古式による。方相氏は4つ目の白い仮面を付けて現れ、「鬼やろう」と声を上げ鬼を祓う。15:00に大極殿で豆撒き行事・大火焚神事が行われる。 ◆映画 ◈現代劇映画「古都憂愁 姉いもうと」(監督・三隅研次、1967年、大映京都)では、戦時下で作家活動を禁じられた結城信吉(船越英二)が境内南付近を歩く。 ◈現代劇映画「ゴー! ゴー! 若大将」(主演・加山雄三、監督・岩内克己、1967年、宝塚)では、全日本学生ラリー選手権の場面で、平安神宮前が登場する。 ◈現代劇映画「細雪」(監督・市川崑、1983年、東宝)では、冒頭の四姉妹による枝垂桜花見の場面で登場する。 ◈時代劇映画「陰陽師」(監督・滝田洋二郎、2001年、東宝)の撮影が行われた ◈アメリカ合衆国映画「ロスト・イン・トランスレーション」(監督・ソフィア・コッポラ、2003年、アメリカン・ゾエトロープ、エレメンタル・フィルム)では、平安神宮は舞台の一つになる。 ◆アニメ ◈アニメーション第4シリーズ『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』(原作・東堂いづみ、制作・東映アニメーションS、2002年2月-2003年1月、全51話)中の12話「京都! 終わらない夜」の舞台になった。 ◈アニメーション『四畳半神話大系』(原作・森見登美彦、制作・マッドハウス、 2010年4月-7月、全11話)に登場する。第2話「 映画サークル『みそぎ』」で大鳥居前付近での映画撮影シーンがある。 ◈アニメーション『京騒戯画』(原作・東堂いづみ、制作・東映アニメーション、2013年10月-12月、全13話)の舞台になった。應天門が登場する。 ◆年間行事 元旦祭・初能奉納(6:00に歳旦祭で「浦安の舞」、12:30に初能奉納、20:00に閉門)(1月1日)、甘酒接待(1月1日-6日)、初詣(開門は6:00-19:30)(1月2日-3日)、孝明天皇祭(1月30日)、節分祭(2月3日)、桓武天皇御鎮座記念祭(3月15日)、紅しだれコンサート(4月前半の3日間)、桓武天皇祭(4月13日)、例祭(4月15日)、京都薪能(1950年から始まった。観世、金春、金剛、大蔵が野外能舞台で競演する。)(6月1日-2日)、神苑無料公開(6月上旬)、夏越大祓式(6月30日)、時代祭(10月15日-23日)、孝明天皇御鎮座記念祭(10月19日)、時代祭前日祭併献花祭(10月21日)、時代祭大祭(10月22日)、時代祭後日祭(10月23日)、新嘗祭並勧農祭(11月23日)、大祓式・除夜祭(境内の燈籠すべてにに火を灯す。甘酒接待。終夜開門。)(12月31日)。 *年間行事の中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都古社寺辞典』、『日本の古代遺跡28 京都Ⅱ』、『京都府の歴史散歩 中』、『京の社』、『歴代天皇125代総覧』、『京都の寺社505を歩く 上』、『桓武天皇と平安京』、『鳥居』、『伊勢神宮と全国「神宮」総覧』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京をわたる 橋がつなぐ人と暮らし』、『文学散歩 作家が歩いた京の道』、『シネマの京都をたどる』、『日本映画と京都』、『京都・観光文化 時代MAP』、『京都絵になる風景』、『源氏物語を歩く旅』、『京都の自然ふしぎ見聞録』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、『京都 神社と寺院の森』、ウェブサイト「高野悦子『二十歳の原点』案内」、京都市平安京創生館ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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神苑 | |
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![]() ![]() 南神苑、紅枝垂れ桜 |
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![]() 澄心亭 ![]() |
![]() ![]() 西神苑、白虎池、花菖蒲 |
![]() 白虎池、睡蓮、河骨などがある。 |
![]() 西神苑から中神苑へ向かう途中の、琵琶湖疏水の流れ。 |
![]() 中神苑、蒼竜池 |
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![]() 中神苑、蒼竜池、臥龍橋 |
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![]() 地主神社 |
![]() 地主神社 |
![]() 東神苑、栖鳳池 |
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![]() 東神苑、栖鳳池、尚美館(貴賓館) |
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![]() 泰平閣(橋殿) |
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![]() 泰平閣(橋殿) |
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![]() 滝組、中神苑、蒼竜池 |
![]() 浅瀬、中神苑、蒼竜池 |
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![]() 琵琶湖疏水の水で育つ蜆、体長5㎝。 |
![]() 琵琶湖疏水の水で育つスッポン、体長20㎝。 |
![]() 三条、五条大橋の橋脚に使われていた石柱。「津國御影天正十七年」(1589)の銘がある。 |
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![]() 時代祭(10月22日) |
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![]() チンチン電車 |
![]() チンチン電車 |
![]() チンチン電車 |
![]() チンチン電車 |
![]() 【参照】慶流橋、1895年に架橋された。当初は木製で、1963年にコンクリート製になる。長さ24.2m、幅22m、青銅の擬宝珠に「慶流元窮」と刻まれている。 |
![]() 【参照】琵琶湖疏水 |
![]() 【参照】将軍塚から見た平安神宮の境内 |
![]() 【参照】吉田初三郎作「京都図絵」(1928)に描かれた平安神宮周辺。大礼記念大博覧会東会場を描いている。京都駅の掲示板より。 |
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