京都守護職屋敷門 (京都市左京区)  
Kyoto Shugoshoku(military governor of Kyoto) Gate
京都守護職屋敷門 京都守護職屋敷門
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 平安神宮の西にある駐車場北側に「京都守護職屋敷門(きょうとしゅごしょく やしきもん)」が建てられている。会津藩関連の建造物遺跡になる。
 門脇に近代の俳人・鈴鹿野風呂(すずき のふろ)の「薫風句碑」が立てられている。
◆歴史年表 江戸時代後期、1865年、京都守護職屋敷門は、旧武徳殿の正門(南門)として移築される。
 現代、1964年、薫風句碑は大日本武徳会・武道専門学校により立てられた。
◆京都守護職屋敷門 江戸時代後期、1865年、会津藩主・松平容保が本陣にした京都守護職屋敷門は、旧武徳殿(1899年建立)の正門(南門)として移築される。なお、京都守護職屋敷はその後失われた。
 なお、屋敷門は、この地の北西1km、聖護院村にあった会津藩下屋敷門を移築したともいう。
 武徳殿は、平安遷都1100年祈年事業である平安神宮造営と同時期に建てられた。大日本武徳会の演武場として使用されていた。
◆京都守護職 江戸時代末期、1854年のペリー来航以後、当初は彦根藩主・井伊直弼(1815-1860)が京都守護の任に就いた。
 1862年、幕府は京都守護職(きょうとしゅごしょく)を設置する。親藩の陸奥会津藩主・松平容保(1836-1893)が任命される。指揮下に京都所司代、大坂城代があり、配下に新撰組があった。1864年、第一次長州征伐の際には、前福井藩主・松平慶永(1828-1890)が一時就任している。
 守護職の目的として、禁廷護衛、朝廷・公卿動向の統制・監視、西国雄藩の動静牽制、反幕府勢力の鎮圧などがあった。1867年 、王政復古の大号令とともに廃止された。
◆句碑 「薫風句碑(左文右武句碑)」は、現代、1964年、大日本武徳会 武道専門学校により立てられた。洛北高尾の石を用いている。俳人・鈴鹿野風呂にゆかりのある旧武道専門学校の正門脇に立てられた。
 碑には「風薫る 左文右武(さぶんゆうふ)学舎跡 野風呂(のふろ)」と刻まれている。
 「右文左武」とは、「左武右文」ともいう。文と武を重んじて尊ぶ文武両道を意味している。
◆鈴鹿野風呂 近代の俳人・鈴鹿野風呂(すずき のふろ、1887-1971)。京都府生まれ。1916年、京都帝大学国文科卒、鹿児島・川内中学の教諭になる。1920年、文科教授として京都・武道専門学校教授になる。同年、「小男鹿(さおしか)俳句会」を起し指導した。俳人・日野草城らと『京鹿子』を創刊した。1947年、武道校長として終える。1959年、句会は再興する。西山専門学校、大阪成蹊女子大教授を歴任した。『ホトトギス』に投句し、句集『野風呂句集』(1926)などがある。30万余句を残したという。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『幕末京都歴史ウォーキング』、ウェブサイト「コトバンク」、説明板


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map 京都守護職屋敷門 〒606-8341 京都市左京区岡崎西天王町
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