京都のおもな災害(天災・人災)年表   

*個人用忘備録
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地震 火災 戦乱・一揆  疫病 洪水  飢饉  干ばつ    
年号計算
奈良時代
701年 地震(規模不明) 若狭湾内の島が山頂のみを残して海中に没した。記録に残る最古の例、後世の記録とされ信憑性は乏しいとも。(『丹後国風土記』、8世紀中)「丹波地震」  
734年 5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 天平地震(畿内七道地震) M 7、死者多数。生駒断層直下型。暮れから翌年の初春に筑紫から天然痘伝染、朝鮮半島から帰国した遣新羅使による感染拡大とも  
735年 中国、朝鮮半島から潜入した「天然痘(痘瘡、もがさ)」が流行。「赤疱瘡 あかもがさ」と呼ばれた。「はしか(麻疹)」も流行。4月に帰国した遣唐使一行が感染していたとも。 
737年(天平9年) 権力者も天然痘発症により政権が倒れた。 
792年 8月10日 長岡京大洪水

平安時代
794年 7月10日、南海地震とみられる巨大地震が起きていたという。「宮中並びに京畿官舎及び人家震う。或いは震死する者あり」(「日本後紀」などの内容を抜粋した「日本紀略」)、2年後に南海道を廃止し、後に新たな道を設けた。
814年(弘仁5年)  畿内・丹波・近江などで干ばつ 
824年 第53代・淳和天皇の勅命により、東寺の空海は神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行なったとの伝承。西寺の守敏との争い。防鴨河使、防葛野河使を置く。 
827年 8月7日(8月11日)(天長4年7月12日)  京都で地震 M 6.5-7。家屋全壊多数。余震が翌年の6月まで続く。 
848年 9月9日(嘉祥元年8月5日) 嘉祥畿内大洪水。宇治橋、河陽(かや)橋が損壊する。人畜被害が甚大。  
856年 3月 地震多い 京師、城南
860年 10月6日-7日 (貞観2年9月14日-15日) 平安京・畿内風水害 、都と近畿地方に台風が襲来、桂川と鴨川が洪水。 
862年 秋より数か月、地震頻発。
863年(貞観5) 京都市中で疫病蔓延。 
868年 8月3日(貞観10年7月8日) 播磨・山城国大地震、播磨国(兵庫県)の国府(現・姫路市)附近を震央とするM7の地震、山崎断層の活動による。京都では家屋被害。
869年 疫病、祇園会の始まり 
871年 10月2日 (貞観13年閏8月11日) 平安京大洪水、8月11日の条に「十一日甲寅。霖雨未止。東京居人遭水損者卅五家百卅八人。西京六百卅家三千九百九十五人。」7日(新暦9月28日)に雷を伴った大雨、河川氾らんして橋を流し「壊人廬舎不知其数」 東の京(朱雀大路の東側 左京)で35家138人が、西の京(同西側 右京)では630家3995人が「遭水損者」。合計665家の4133人が被災。「日本三代実録・巻第20」  
876年 疫病流行る。牛頭天王を東山八坂に祀る前に梛の森に仮祭祀した。 
887年 8月26日 (仁和3年) 仁和南海地震、五畿・七道、M8.0-8.5、 京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。京都で家屋(諸司倉屋、百姓宅)倒壊多く、圧死者多数。南海トラフ沿いの巨大地震、津波被害、同時期に東南海・東海地震も発生。同年の洪水で悲田院の病人300人が流される。  
930年 7月29日(延長8年6月26日) 清涼殿落雷惨事。道真の崇りとも。
938年 5月17日(5月22日)(天慶1) 京都などで地震M 7、8月6日に大きな余震。宮中で死者4人。家屋全壊多数。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。6月20日、鴨川氾濫、西堀川以西往還できず。 
951年 悪病が蔓延。 
960年 10月21日(天徳4年9月23日) 内裏が初めて全焼、温明殿の内侍所に納めてあった天皇家三種の神器の一つの神鏡(八咫鏡、やたのかがみ)も焼ける。
965年 大水が発生、疫病流行る。 
976年 6月16日(天延4年5月11日)、6月18日とも、7月22日? 地震M 6.7以上、山城・近江地震。死者50人以上、家屋全壊多数。7月22日に内裏焼失、里内裏始まる。  内裏諸司、東寺、西寺、極楽寺、清水寺、円覚寺倒壊、余震やまず。
980年 内裏焼亡。
982年 内裏焼亡。
994年 疫病流行る、一条天皇が紫野の疫社を船岡山に遷した。
999年 内裏大火。
1000年 9月22日(長保2年8月16日) 長保京都大洪水。  
1001年 内裏焼亡大火。
1003年 再び疫病が流行し、船岡山から現在の場所に疫神を移して神殿を造営、今宮社とした。 
1004年 鴨川水路の一部変更
1005年 内裏焼亡。
1014年 内裏焼亡。
1015年 内裏焼亡。
1039年 内裏焼亡。
1042年 内裏焼亡。
1047年 内裏焼亡。
1058年 内裏焼失。 
1073年 5月 20年来の大洪水。
1082年 内裏焼失。
1091年 8月7日 地震、法成寺倒壊
1092年  京都大火。 
1095年 1月29日(寛治8年12月15日) 災異改元、寛治から嘉保へ、災害を理由にした改元の初め。 
1096年 12月17日 畿内・東海道の地震М8級。近江の勢多橋(瀬田橋)落ちる。
1098年 2月 (承徳1年)、京都大火。 
1099年 2月22日  近畿大地震、南海道・畿内の地震М8級。 
1105年 日吉神人、山門大衆により、日吉・祇園の神輿により初めて都に入り朝廷に強訴。
1106年  6月 (長治3年)   京都大火、疫病流行  
1107年  京都大火 
1119年  京中に強盗横行。
1125年 1月 (天治2年)  京都大火。 
1127年  内裏火災、諸庁舎を焼く。  
1130年 7月16日-8月24日(大治5年6月3日-7月12日) 雨が少なく降雨祈願、災異改元「大治から天承へ」 
1131年 3月7日(大治6年1月29日) 日照りなどにより改元。 
1134年  洪水、飢饉、咳病流行。京都大暴風雨、この年より飢饉。3月、洪水で乱れた京中条里を修理。  
1138年 (保延4年)  京都大火 
1141年  洪水 
1146年 3月 (久安2年)  京都大火 
1148年 2月 (久安4年) 京都大火 
1150年 9月3日-27日(久安6年8月4日-28日)、大雨と大風、内裏(皇居)の仁寿殿(天皇の御座所、清涼殿の東隣の建物)が倒れ、27日に鴨川が氾らん、車馬の通行不能。 
1151年  大風雨、洪水、宇治橋流失。「久安から仁平」へ、暴風や洪水により災異改元 
1152年  京都火災多し、疱瘡流行   
1156年 保元の乱 
1159年 平治の乱  
1161年 10月1日(永暦2年9月4日) 「永暦から応保」へ天然痘の流行により改元。
1166年 1月 (仁安1年)  大火、1000余宇が焼失。  
1168年  京都大火、3000余戸を焼く。 
1171年 6月3日(嘉応3年4月21日) 災異改元「嘉応から承安」へ、魃(干ばつ)により朝廷は東寺の長者僧正禎喜に雨乞いの祈祷を神泉苑で行わせた。大雨と風害、凶作。
1175年  京都大火  
1177年 6月3日(安元3年4月28日) 安元の大火(太郎焼亡)、180町・大極殿焼失 
1178年 5月20日(治承2年4月24日)  治承の大火、次郎焼亡
1180年 干魃により農産物の収穫量が激減、6月1日(4月29日)、京都「治承の辻風(竜巻)」。 
1180年 7月-1182年(治承4年6月-寿永元年) 養和の大飢饉、鴨長明が『方丈記』に記す。仁和寺の僧・隆暁法印記す。以仁王の挙兵  
1180年-1185年 治承・寿永の内乱、源平合戦、源平の戦い 
1181年 養和の飢饉、大量の餓死者、土地を捨て逃亡する農民多数。混乱は全国的に波及。 
1182年  京中飢え疫病流行、死者巷に満つ  
1184(寿永3年)  宇治川の合戦 
1185年 8月6日(8月13日) (元暦2年7月9日)(文治1)  文治京都地震、元暦地震、近江・山城・大和の地震M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。鴨長明が『方丈記』で詳述。 近江・山城・大和 白河辺で被害大きく、死者、家屋倒壊多数。法成寺塔、蓮華王院、得長寿院倒壊 


鎌倉時代
1216年、左獄焼失。
1201年  建仁の乱 
1204年 京都では1週間のうちに幾晩もオーロラが見えた。藤原定家日記『明月記』に記されている。
1221年 承久の乱 
1226年 12月24日 大地震
1227年 6月14日 (嘉禄3年4月22日) 嘉禄の大火
1228年 7月20日 洛中洪水
1230年 疫病大流行 
1249年 5月14日 (建長元年3月23日) 京都建長の大火
1257年 大雨洪水 
1258年 大雨洪水 
1310年 (延慶3年) 5月(旧4月)以来、疫病が流行。朝廷では7月3日(旧5月27日)、疫病をこれ以上京都に入れないことを祈る“四角四境祭”を行い、平安京の境界の四隅に吉凶を司る陰陽師を派遣して祭祀を執り行う。 
1311年 5月25日(延慶4年4月28日) 「延慶から応長」へ、疫病により改元。 
1317年 2月16日(2月24日)(正和6年1月5日)(文保1) 京都で地震 M 6.5-7。清水寺出火、白河辺でことごとく住家全壊し、社寺被害。5月半ばまで余震続く。死者5人。東寺塔九輪傾く。 

南北朝時代
1321年-1392年 南北朝内乱 
1325年 10月21日 地震、余震やまず
1331年 元弘の変 疫病が流行、元弘年間(1331年-1334年)、善阿上人が後醍醐天皇の勅命を奉じて御所で念仏百万遍を唱えた 
1333(元弘3年)  鎌倉幕府滅亡、足利尊氏が亀岡の篠村八幡宮で挙兵。 
1360年 11月22日 紀伊・摂津の地震。M7.5-8。 京都でも被害?
1361年 8月3日 畿内・土佐・阿波の地震。M8級。
1383年 7月13日 鴨川氾濫、四条、五条の橋流失。
1391年 明徳の乱  

室町時代
1420年 6月-1422年 (応永27年4月-応永29年) 応永の大飢饉、日照り 琵琶湖の水が減り淀川の水が干上る。 
1421年 食料の乏しくなる春に難民が京都に殺到。
1422年 10月1日(旧9月7日) 五条河原で死者を弔う大施餓鬼。
1428年 正長の土一揆、土一揆の始まり。農民や市民が土倉や酒屋を襲い借りた金の証文などを焼いた。 
1429年 (正長2年) 丹波で土一揆。 
1436年 7月8日 洪水、四条、五条の大橋流失。
1441年 嘉吉の土一揆、農民が徳政を求めた。土倉や酒屋がおそわれ、食料をたたれる。武士も土倉を襲う。 
1447年 (文安4年)  西岡の土一揆 
1449年 5月13日 (宝徳1) 地震、山城・大和地震M5.3-6.5 、洛中の堂塔などに被害多く、死者多数。 
1457年-1459年 長禄年間も全国的な干ばつ 
1459年-1461年 (長禄3年-寛正2年) 長禄・寛正の飢饉。台風が直撃し、賀茂川が氾濫して多数の家屋流出し、数え切れないほどの死者、飢饉深刻化 京都西郊で土一揆。 願阿弥は粟粥などを施し、蓮如が救済活動。   
1460年 畿内地震。皆既日食。炎旱・虫損イナゴが大量発生、大風雨、異常低温、諸国大飢饉。  
1461年 3月-4月(寛正2年2月-3月) 寛正の大飢饉、大量の流民が京都市中に流れ込み事態は悪化。飢餓と疫病により2ヶ月で京都で8万2千人の死者。鴨川も死体で埋まる。だが、将軍足利義政は花の御所を改築し、世事に全く関心を示さず、後花園天皇の勧告も無視。4月(旧暦3月)になり飢饉はやや衰えるが、疫病により毎日300人-700人が死亡、四条や五条の橋の下には1000人-2000人の死体が埋められた。災異改元、「長禄から寛正」へ  
1463年 京都で土一揆。 
1464年 近畿、暴風雨・洪水。山城西岡の土一揆。 
1467-1477年 応仁・文明の乱 
1485年 山城の国一揆 応仁の乱後、農民は国人と協力して、畠山の両軍を相手に戦い抜くと宣言。 
1489(延徳元年) 丹波の国一揆  
1498年 4月12日 山城大地震 神社倒壊、方広寺大仏殿破損。
1500年 9月1日 (明応9年7月28日) 明応の大火 
1504年  第一次淀古城の戦い 
1520年 3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 紀伊・京都で地震 M 7.0-7.7。
1522年 疫病
1532-1536年 天文法華の乱、天文法難、天文法乱 

安土・桃山時代
1533年 一向一揆、山科本願寺焼討ち 
1540年 天文の飢饉  
1544年 7月9日 大洪水、四条、五条大橋、貴船社、黒谷坊流失。
1561年  将軍地蔵山の戦い 
1568年  勝竜寺城の戦い 
1570年 (元亀1年)  西岡の土一揆 
1571年 信長、比叡山焼き討ち 
1573(天正元年)  室町幕府滅びる。信長が上京焼き討ち、信長が丹波攻略開始
1582年  本能寺の変、山崎の戦い 
1585年 (天正13年11月29日条) 日本海側で津波(吉田兼見の日記『兼見卿記』)、京都で壬生の堂塔が倒壊、民家が壊れ数多(あまた)」の死者、「丹後・若州・越州、浦辺波を打ち上げ、在家ことごとく押し流す、人死ぬ事数知らずと云々、江州・勢州もってのほか人死ぬと云々」。
1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)(慶長1)  慶長伏見地震(慶長伏見大地震) M 7.0-7.1(7.5)、京都や堺で死者合計1000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。三条から伏見の間で被害が最も大きく、死者、家屋倒壊多数。伏見城では、天守の大破などにより、約600名の圧死者。 

江戸時代
1620年 4月2日、6日 (元和6年2月30日、3月4日) 京都、放火による大火相次ぐ 
1635年 5月20日 鴨川氾濫、三条、六条橋など流損。8月13日、鴨川氾濫、三条、六条橋など流失。
1658年 8月31日 (万治元年8月3日) 万治近畿大水害 災厄から逃れるため改元して10日後、近畿地方に大水害。京都では鴨川の堤防が決壊、淀川流域の淀、伏見も洪水 
1661年 5月23日 (万治4年4月25日) 「万治から寛文」へ改元、内裏の火災 2月14日(旧1月15日)巳の下刻(午前11時ごろ)、公家の二条家屋敷から出火し大内裏、仙洞御所を焼く。公家屋敷119軒、寺院16か所、町家568軒を焼失。
1662年 6月16日 (寛文2年5月1日)  近江・山城地震、寛文地震(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震) M 7.4-7.8(7.6)、町家倒壊千。死者数千。京都の大仏殿小破。京都で死者200人余、家屋倒壊1000棟。比良岳付近の被害甚大。唐崎で田畑85町湖中に水没。 
1669年-1670年 11月 鴨川新堤(東石垣、西石垣)築造開始
1673年 (寛文13年/延宝元年) 5月9日 京都大火。禁裏、仙洞御所が罹災
1675年 (延宝3年) 京都大火 
1677年 5月7日 (延宝5年4月6日) 福知山延宝の大火  
1686年 4月10日(貞享3年3月18日) 福知山貞享の大火 
1698年 (元禄10年)  宇治大火 
1701年 8月18日 淀川大洪水
1707年 10月4日 余震年末まで
1708年 4月28日 (宝永5年3月8日)  宝永の大火、油小路通姉小路下がるの商家より出火、北は今出川通、南は錦小路、東は鴨川、西は油小路を焼失 417町、10351軒が焼失 
1730年 8月3日 (享保15年6月20日)  享保の大火、西陣焼け 
1733年 (享保18年)  田辺の百姓一揆  
1740年 9月6日-7日(元文5年閏7月16日-17日) 元文京都・畿内大水害 
1742年 1月1日(寛保元年11月25日) 京都寛保の大火、芝居小屋、茶店残らず焼失
1751年 2月29日 地震、余震2か月
1763年 大風
1770年 9月17日 日本でオーロラが観測された。京都でも見ることができた。東丸神社の所蔵する東羽倉家の日記にも記述されている。放射状の白い筋が入った扇形の赤いオーロラだった。
1772年 (安永元年) 京都の大火
1778年 大雷雨
1785年 天明の義民一揆   
1787年 (天明7年)  松平定信の寛政の改革、米価高騰、大規模な一揆・打ちこわし  
1788年 3月7日-9日(天明8年1月30日-2月2日) 天明の大火、団栗焼け、申年の大火 京都大火、都焼け。神社37、寺院201、焼失町数1424か町、焼失家屋3万679戸 
1807年 4月20日 (文化4年3月13日)  福知山文化「五兵衛焼」 
1822年 (文政5年)  宮津百姓一揆  
1830年 8月19日(文政13年7月2日)(天保1)  京都地震(文政の大地震) M 6.4-6.5、愛宕山付近を震源。御所・二条城など損壊。洛中洛外の土蔵はほとんど被害、西本願寺1尺ほど傾く。北野天満宮石塔倒壊。愛宕山の坊崩潰。地割れ。泥噴出。比叡山西峰崩落により御蔭神社が被災し社殿流出する。宇治川通りの堤防崩れる。京都で死者280人、1600人余が死傷。損壊1300棟。
 9月3日-4日(7月17日-18日) 文政京都土砂災害、宇治洪水   
1831年 1月23日 (文政13年12月10日) 「文政から天保」へ災異改元
1848年 竜巻、8月5日、鴨川、宇治川洪水。
1854年 5月2日 (嘉永7年4月6日) 皇居が炎上、京都嘉永の大火、内親王の御所より失火し内裏炎上市街地まで延焼 
1855年 1月15日 (嘉永7年11月27日) 災異改元、「嘉永から安政」へ
1858年 8月 (安政5年7月) 安政コレラ、九州から大阪、京都と広がる 
1864年 元治大火 禁門の変、 蛤御門の変、どんどん焼け、鉄砲焼け  
1865年 (元冶2年)  木津で打ちこわし 

近代
1868年1月27日- 30日 鳥羽・伏見の戦い、淀千両松の戦い  
1876年 (明治9年)  水害(巨椋池) 
1887年頃、コレラ感染の流行。
1916年 (大正5年)  山城地方水害
1925年 5月23日 (大正14) (北但馬地震) M6.8、北部(久美浜)で、死者7人、負傷者30人、住家全壊20棟。 
1927年(昭和2年) 3月7日 北丹後地震、京都府丹後半島北部。M7.3 京都市震度5 、北部で甚大な被害。死者2898人、負傷者7595人、住家全壊4899棟、同焼失2019棟。巨椋池沿岸19か村がマラリア流行指定地とされる  
1934年 室戸台風 京都府全域、死者233人
1935年 京都市大水害 
1945年 (昭和20年)  太平洋戦争、西陣地区に爆弾投下される。1月16日 死者41人。3月19日、4月16日、5月11日に京都御所へ空襲。 6月26日に 空襲死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名 

現代
1949年 ヘスター台風 桂川、由良川洪水
1950年 ジェーン台風 京都府全域
1953年 13号台風 桂川、由良川洪水、死者117人
1954年 洞爺丸台風 京都府全域
1959年 (昭和34年) 伊勢湾台風  8月水害、伊勢湾台風により桂川が逆流 
1960年 16号台風 桂川、由良川洪水
1961年 第二室戸台風 京都府全域
1968年 和知付近で群発地震(最大M5.6)局所的被害。


*鴨川など洪水多数
*譲位による「代始改元」、吉事を祝って変える「祥瑞改元」、その年に起こるとされる体制変革や厄年などを理由とした「革年改元」、災害など凶事を断ち切るための「災異改元」。
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