城南宮 (京都市伏見区) 
Jyonan-gu Shrine
城南宮 城南宮 
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江戸時代から知られた名水「菊水」(若水、延命水)。
奈良東大寺二月堂のお水取りで知られる「若狭井」は、若狭の国からこの菊水を経て東大寺まで通じているという。







神紋の「三光の紋」、神功皇后の旗印により、日、月、星(右下の小さい丸)が表されている。昼夜の隔てなく、あまねく及ぶ城南宮の神徳を表すものという。




拝殿




キク


前殿 




本殿火災で焼失後、1978年に再建された。


翼廊 




左より、稲荷社、兵主社・住吉社・厳島社、粟島社


右より、春日社、大国主社、庚申社、金毘羅社・妙見社・天満宮社


神楽殿


絵馬堂


庭園、春の山、城南離宮の築山の遺構の一つという。梅の頃


ツバキ



ウメ



サクラ


ツワブキ




庭園、禊の小川


庭園、平安の庭






室町の庭、錦鏡池




桃山の庭





城南離宮の庭


 城南宮(じょうなんぐう)のある鳥羽の地は、鴨川に臨む水郷地で、かつては巨大な遊水池・巨椋池があった。境内は古くより「城南の森」と呼ばれ、深い森が広がっていた。平安時代、社は鳥羽離宮の守護神として祀られていた。
 祭神は、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと、息長垂比売女、神功皇后)、八千矛神(やちほこのかみ、大国主神)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀る。旧府社。
 神仏霊場会第83番、京都第3番。「四神相応の京 京都五社めぐり」の南の朱雀にあたる。
 方除け、転宅・旅行安全、交通安全、安産守護、美容健康、普請造作などの信仰がある。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 上古(646年の大化の改新頃まで)、神功皇后の新羅遠征の際に、息長帯日売命、八千矛神の神霊を旗に憑けて当地に奉斎したとの伝承がある。
 平安時代、794年、平安京遷都後、王城守護神となったともいう。京都御所の裏鬼門を守る神として、方除け、厄除けの神としても信仰されたという。
 816年、官社になった。
 1086年、白河上皇(第72代)は鳥羽離宮(城南離宮)を造営し、当社は院御所、御堂の鎮守社として祀られたという。5月には、競馬や流鏑馬が引き継いで催された。当宮には、馬場殿が建てられていた。
 1087年、平安京の南にあったことから、城南宮と名付けられた。
 1090年以来、競馬、流鏑馬は現在も続けられている。
 1096年、礼法としての流鏑馬が初めて行われた。(『中右記』)
 1102年、白河上皇は城南寺の御霊会見物をしている。当宮は、城南寺という寺院の鎮守社だったともいう。寺では、9月に城南寺明神御霊会が行われ、祈雨祈願、競馬、流鏑馬が奉納されていたという。(『中右記』)
 1160年、幣、神馬、田楽、巫女、舞人、乗尻、師子、神輿などが本社に渡った。(『山槐記』)
 平安時代末期、貴族の方違(かたたがえ)の宿所となり、白河上皇、鳥羽上皇が熊野詣の精進所に使った。
 鎌倉時代、1221年、第82代・後鳥羽上皇が倒幕を謀り、城南流鏑馬の武者揃えを口実に、在京武士、近国武士を結集した。承久の乱となる。以来、流鏑馬は封じられる。
 1239年、東福寺建立に際して、境内摂社・真幡寸神社、境外摂社・飛鳥田神社が遷座したという。(社記)
 1248年、後嵯峨上皇は御幸する。(『葉黄記』)
 14世紀(1301-1400)、鳥羽離宮の衰退により、上鳥羽、下鳥羽、竹田三か村の産土神になる。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)などの戦乱で一時荒廃している。
 江戸時代、1723年、霊元法皇(第112代)は神水の菊水若水により病平癒したという。(『月堂見聞集』)
 1766年以来、白川家の執奏(取り次ぎ奏上する)により、城南離宮神主は代々にわたり叙位、任官を得た。
 1861年、皇女和宮が、第14代将軍・徳川家茂に嫁ぐ際に、方除・道中安全の祈祷をしている。
 1863年、第121代・孝明天皇が参拝している。以後、臨時の代参、御祈祷が行われた。
 1868年、鳥羽・伏見の戦いの際には、境内に薩摩藩の陣地が置かれ、主戦場になった。
 近代、1877年、式内社真幡寸神社と社名を改めている。
 現代、1952年、1965年頃とも、城南宮に戻された。
 1977年、本殿が焼失している。
 1978年、現在の本殿が再建された。
 2005年、流鏑馬が復元された。
 2013年、流鏑馬が行われる。
◆鳥羽離宮 平安時代、第72代・白河天皇(1053-1129)は、譲位後の御所・鳥羽離宮(鳥羽殿、城南離宮)を造営した。現在の上鳥羽(南区)、竹田、中島、下鳥羽(伏見区)に及ぶ180万㎡の広大な敷地を有していた。第74代・鳥羽上皇(1103-1156)の頃、ほぼ完成し、14世紀頃まで院御所になった。
 南殿、北殿、泉殿などが築かれ、それぞれに御堂、庭園があった。周辺には町が造られている。院政期(1086-1185頃)には、白河とともに中心地となる。
 白河上皇は、離宮に「春の山」と対になる「秋の山」を築いた。離宮はその大半を池が占め、中ノ島が築かれ、各地から名石が集められた。池には舟が浮かべられ、管絃の遊び、花見の宴、和歌の会などが催される。鎌倉時代にも和歌会がたびたび催された。だが、南北朝時代(1333-1392)、その後の戦火により衰微した。
◆承久の乱 鎌倉時代、1199年、源頼朝没後、幕府は、2代頼家、3代実朝と続くが、頼家失脚、実朝暗殺などにより主流の後継が絶えた。左大臣・九条道家の子・三寅を迎えて北条政子、義時による執権政治が行われた。
 これに対して、後鳥羽上皇(第82代)は、自らの体制確立を目指し、朝廷と幕府の対立が顕在化する。1221年、上皇が倒幕を謀り、親政を意図して承久の乱が起きた。上皇が、城南宮の流鏑馬との口実で、5月14日、上皇の兵・西面(さいめん)の武士ら1700人を城南寺に集めた。上皇は、15日に北条義時の追討、全国の守護、地頭を統制する院宣(いんぜん)を発し、乱の発端となる。
 他方、東国の武士、19万騎が北条泰時を先頭に京に侵攻した。北条政子は「頼朝の恩を忘れるな」と鼓舞した。6月14日、都を制圧する。
 1か月の戦いで上皇方2万数千騎は完敗した。上皇は隠岐へ、子・土御門上皇は土佐へ、順徳上皇は佐渡へそれぞれ島流しになる。荘園は幕府方に移された。後鳥羽上皇は都に還ることもかなわず亡くなる。「我こそは新島守り 隠岐の島の荒き波風心して吹け」。
 戦いは、古代より権勢を誇った朝廷が、新興の武家勢力と争い敗れた。以後、武家が優位に立つ契機になった。
◆真幡寸 城南宮はかつて真幡寸(まはたきの)神社と呼ばれた。その時期は、少なくとも江戸時代後期ともみられている。(『山城志』『都名所図会拾遺』)。真幡寸神は、平安京遷都以前からこの地に勢力のあった秦氏の氏神と考えられ、もとは真幡寸里(竹田真幡寸里、若宮八幡宮付近)にあった。
 現在は、境内に摂社として祀られている。祭神は同じく、国常立(くにのとこたち)神、八千矛神(やちほこ)、息長帯日売(おきながたらしひめ)命になる。
 また、祭神が鴨別雷神との記述(『日本紀略』816年の条)もあり、賀茂神との関係もあるとみられている。
◆末社 本殿右に春日社・春日大神(かすがおおかみ)、大国主社・大国主命(おおくにぬしのみこと)、庚申社・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、二社の妙見社・妙見大神(みょうけんおおかみ)と天満宮社・菅原道真、金刀比羅社・金刀比羅大神(ことひらおおかみ)。
 本殿左に稲荷社・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、厳島社・厳島大神(いつくしまおおかみ)と住吉社・住吉大神(すみよしおおかみ)と兵主社・兵主大神、粟島社・粟島大神(あわしまおおかみ)。
 境内神社は三照宮・天照大神(あまてらすおおかみ)、真幡木神社・眞幡寸大神(まはたきのおおかみ)と品陀和氣尊(ほむだわけのみこと)。
 唐渡(からわたり)天満宮は、芹川(せりかわ)神社とも呼ばれる。菅原道真を祀る。この地に、かつて菅原家の荘園、芹川荘があったという。平安時代、1110年、天満宮が祀られた。近代、1912年、氏子減少により城南宮に合併、遷座になる。「唐渡」とは、ある逸話に因む。道真の夢に禅僧が現れた。道真が禅とは何かと問うと、禅の本質が知りたければ唐へ渡るようにと伝えた。道真は、その日のうちに唐へ渡り、衣鉢を受けて戻ったという。
◆建築 ◈ 「本殿」は、前殿と本殿からなる。1978年に再建された。檜皮葺の変形入母屋造の前殿は、左右に翼廊がつながっている。右手には、寝殿造の神楽殿に翼廊でつながる。
 前殿の背後に流造の本殿があり、これらの建築群は、平安時代中期の城南宮独特の複合建築、総檜造になる。
◆鳥居 鳥居は城南鳥居とも呼ばれる。島木神明鳥居の変種ともいう。笠木、島木に反り増しが付けられた明神鳥居とされる。額束、貫の出はない。島木には日月星の金紋が付けられている。
◆文化財 ◈ 「室町幕府奉公人連署奉書」は、室町時代、1499年に神主職を鳥羽千松丸に認めたものになる。
 ◈ 『明月記 断簡』は、鎌倉時代、1201年に藤原定家が記した日記の断簡(断片)になる。後鳥羽上皇(第82代)が雨を願い、城南宮で和歌を奉納した際の次第を記している。定家は、離宮御所より船で城南寺惣社に向かった。
 ◈ 「蘭亭曲水図屏風」は、江戸時代の円山応雲(まるやま おうしん、1790-1838/ 1840)筆。
 ◈ 「曲水の宴図屏風」は、江戸時代の吉田元陳(よしだ  げんちん、1728-1795)筆。
 ◈「薩摩藩伏見屋敷絵図」には、江戸時代、1866年、坂本龍馬(1836-1867)が船宿「寺田屋」で襲撃された後、避難した先の屋敷が記されている。
 ◈ 錦絵「錦の御旗巡行図」は、明治期(1868-1912)初期に描かれた。江戸時代末、1868年、鳥羽・伏見の戦いで、征討大将軍・仁和寺宮嘉彰(にんなじ の みや よしあき)親王(1846-1903)は、新政府軍を率いて進軍する。騎乗した親王と錦の御旗が描かれている。
 「鳥羽伏見の戦い戦況図」、冊子「錦之御旗」。
◆庭園 ◈ 「神苑(楽水苑)」は、中根金作(1917-1995)作庭による6つの庭になっている。
 ◈ 「源氏物語花の庭」は、『源氏物語』に登場した植物100種が植えられる日本唯一の庭という。植物学者・廣江美之助が関わった。椿、梅、桂、撫子、若菜、双葉葵、萩などが植えられている。
 城南離宮の築山遺構の「春の山」は、300本の椿、150本の紅白の枝垂梅(2月下旬)、笹百合、三つ葉躑躅(4月下旬)などが咲き誇る。
 ◈ 「平安の庭」は、段落ちの滝、遣水(やりみず)、池には中の島(神仙島)が造られている。山吹、女郎花、竜胆、萩、石蕗、楓、秋の七草などが植えられている。
 ◈ 池泉回遊式の「室町の庭」は、女瀧、男瀧、礼拝石、蓬莱島(亀島)、三尊石、舟着き場などの石組からなり、八重の紅枝垂桜、躑躅、藤などが楽しめる。
 ◈ 芝生の枯山水式の「桃山の庭」は、背後の大刈り込みと広い芝生の海に、蘇鉄の島、石の岩島が据えられている。紅枝垂桜、躑躅の植栽がある。
 ◈ 杜若の小道に続く、枯山水式の「城南離宮の庭」は、平安・鎌倉時代の第72代・白河上皇の造営した城南離宮の建築物、築山、池泉を再現したという。
 ◈ 境内には、クス、シイ、カシなどの大木がある。
◆茶室 室町の庭に、茶室「楽水軒」がある。
◆流鏑馬 城南宮は流鏑馬(やぶさめ)の発祥地といわれている。
 平安時代、1096年に礼法としての流鏑馬が境内で行われたと記されている。(『中右記』)。本格的な弓馬礼法としては文献初出になる。
 鎌倉時代、1221年、後鳥羽上皇天皇(第82代)は、幕府に対する不信を募らせ、倒幕の狼煙を上げた。この時、城南宮に流鏑馬を催すとの口実で多くの武士を集めた。戦は上皇方の敗北になり、隠岐に配流となる。(承久の乱)。以後、城南宮での流鏑馬は封じられた。
 2005年、流鏑馬保存会により境内での流鏑馬が800年ぶりに復元された。2013年にも行われている。
◆名水 江戸時代から知られた名水「菊水」(若水、延命水)がある。
 奈良・東大寺の二月堂、お水取りで知られる「若狭井(御香水)」は、若狭国鵜の瀬(遠敷川、おにゅうがわ)から地下水脈が流れ、この菊水を経て、10日後に二月堂に湧くと伝えられている。
◆曲水の宴 城南宮の曲水の宴は、4月29日と11月3日に平安の庭で催されている。起源は中国とされ、5世頃に日本に伝わったという。奈良時代-平安時代中期までは、宮中の年中行事になっていた。
 平安の庭の遣水の畔に、王朝人の衣裳を身にまとった歌人達が座る。男性は狩衣(かりぎぬ)、女性は小袿(こうちぎ)姿をしている。赤い水干(すいかん)姿の童子は、遣水上流に立ち、鴛鴦の形をした台に盃をのせ、お神酒を注ぐ。それを羽觴(うしょう、おしどり)という木製の盃台の船の背にのせて流す。盃が曲水をゆっくりと流れ下り、自分の前を通過するまでに、お題に因む歌を短冊にしたためる。歌を書き終えた歌人は羽觴をとり、お酒をいただく。その後、短冊は集められ歌が披露される。
◆お御籤 当宮のお御籤には「凶」がなく、「大大吉」が出る。方位の運勢は「八方障りなし」、願い事は「前途開け大願成就すべし」になる。
◆鳥羽・伏見の戦い 江戸時代末、1868年、鳥羽・伏見の戦いの際で、城南宮境内は勃発地になる。
 境内には薩摩藩の陣地が置かれ、参道に大砲が据え付けられた。薩摩軍は旧幕府軍に向けて大砲を放ち、戦いの火蓋が切られた。
◆樹木 エノキ、オガタマノキ、ゴヨウマツ、シダレザクラ、ベニシダレ、離宮の庭にソテツ、神苑にナツツバキ、ハクショウ(三子の松)、神苑にヒトツバタゴがある。
◆年間行事 祓神楽(1月1日-3日)、釿(ちょうな)始め(1月5日)、湯立神楽(1月20日)、節分会・福豆授与(2月1日-3日)、節分祭(9時、斎行。)(2月3日)、七草粥の日(2月11日)、しだれ梅と椿まつり(2月18日-3月22日)、方除大祭(4月第2金-日曜日)、曲水の宴(4月29日)、人形(ひとがた)流し(半年間の穢を小川に流して心身を清めが、禊の小川で行われる)(6月末)、例祭・お涼み(お涼み神楽奉納、福笹授与)(7月20日)、美容健康(うるわし)御札(9月より数量限定で御札が授けられる)、鳥羽城南寺明神御霊会(祈雨の祈願や競馬が行われる。平安時代、1090年から現在まで続けられているという。1102年、白河上皇も城南寺で催された御霊会見物をしている。餅が振り舞われることから「餅祭り」ともいわれる)(城南祭、餅祭)(9月20日)、城南祭(神幸祭、神輿3基が還御する)(10月第3日曜日)、曲水の宴(11月3日)、火焚祭、火焚神事(11月20日)、大祓・除夜祭(12月31日)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『京の古代社寺』『京都古社寺辞典』『日本の古代遺跡28 京都Ⅱ』『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都の寺社505を歩く 下』『お参りしたい神社百社』『鳥居』『京都はじまり物語』『京都歩きの愉しみ』『京のしあわせめぐり55』『あなたの知らない京都府の歴史』『京都 神社と寺院の森』『平成28年度春期 拝観の手引』『京都の隠れた御朱印ブック』『週刊 古社名刹巡拝の旅 26 吉田山と白川』『週刊 古社名刹巡拝の旅 19 淀川の岸辺』『週刊 京都を歩く 41 伏見・大山崎』、ウェブサイト「コトバンク」



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摂社、真幡寸(まはたきの)神社、本殿は一間社流造、檜皮葺、素木造。


唐渡天満宮(芹川神社) 

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三照宮神社

唐車、かつて貴人が用いたハレの車

ご神木の「大杉さん」

「曲水の宴」苑内には伏見の地下水が引かれ、平安の庭の遣水では、4月29日と11月3日に「曲水の宴」が行われる。
城南宮 〒612-8459 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7  075-623-0846  9:00-16:30 
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