京都市電北野線記念碑 (京都市上京区)  
Monument to the Kitano Line of Kyoto City Tram
京都市電北野線記念碑 京都市電北野線記念碑
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home

「京都市電北野線記念碑」の石標(今出川通御前東南角)


「北野とチンチン電車」のプレート(一条通七本松北西角)


終点の北野、プレートより


路線図、北野は左上端、京都駅は右下、プレートより


車両(N1-N133)竣工図表、プレートより


車両(N1-N133)竣工図表、プレートより


モニュメント(一条通七本松北西角)


モニュメント


モニュメント


北野(下ノ森)車庫跡(旧・子ども文化会館跡、上京区滝ケ鼻町)




「市電レリーフ」、北野商店街


「市電レリーフ」、北野商店街


【参照】狭軌I型2号車、平安神宮


【参照】狭軌I型2号車、平安神宮


【参照】狭軌I型2号車、平安神宮
 北野天満宮の南東、今出川通御前東南角に「京都市電北野線記念碑(きょうとしでん-きたのせん-きねん-ひ)」の石標、その南に「北野とチンチン電車」のプレートが設置されている。
 近代以降に、付近には狭軌路線電車の北野線の北野電停などがあり、北野(下ノ森)車庫も開設されていた。
◆歴史年表 近代、1900年、5月、民営の京都電気鉄道堀川線(北野線)の堀川中立売-下ノ森が開業する。北野(下ノ森)車庫が開設された。
 1905年、12月、堀川線(北野線)の京都駅-下ノ森が全通する。
 1912年、5月、堀川線(北野線)の下ノ森-北野(北野天満宮北南神苑の西側)が延伸され開業した。
 1918年、7月、京都電気鉄道は京都市に買収された。同線は市電北野線(狭軌)になる。
 現代、1957年、3月、市電今出川線敷設工事に伴い、北野電停は今出川通南側に移設された。
 1961年、7月31日、北野線は廃止された。狭軌市電が全廃になる。(市事務報告書)
 1971年、7月、鉄道友の会京都支部により、「京都市電北野線記念碑」の石標が立てられる。
◆北野線 北野線には、複数の呼称があり、「堀川線」とも呼ばれた。一般的には「北野線」、交通局では「狭軌線」とも呼んだ。後に「北野のガタ電」、「チンチン電車」の呼称も生まれ、一部に「N電」とも呼ばれた。
 堀川線(北野線)は、全区間が最後まで狭軌路線(1067mm)であり、全区間が道路上に敷設された併用軌道になっていた。中立売線、北野線、堀川線、西洞院線などが徐々に開業し全線開通になった。
 最終的には、京都駅前(現・新阪急ホテル前付近)から塩小路通を西進し、東中筋通を北進、四条西洞院で西進、四条通を西進、四条堀川で北進し、東堀川通を北進、堀川中立売で西進し、中立売通を経て北野(北野天満宮北南神苑の西側)に至った。路線距離6.3kmであり、停留所数21あった。
 近代、1895年2月に当初は日本初民営の京都電気鉄道として営業開始した。同年9月に、堀川線(北野線)が東堀川通に開通し、中立売線の府庁前-堀川下立売-堀川中立売と結ぶ。1900年5月に、北野線の堀川中立売-下ノ森が開業する。同年に、北野(下ノ森)車庫が開設されている。1901年12月に、堀川線の堀川下立売-堀川三条が開業した。1902年10月には、堀川線の堀川三条-西四条(後の四条西洞院)が開業した。1904年12月に、西洞院線の西四条-七条駅前が開業する。1905年12月28日に、京都駅前-下ノ森に至る堀川線(北野線)が全通した。1912年5月10日に、堀川線(北野線)北野線の下ノ森-北野が開業している。北野(北野天満宮の北南神苑西側)まで延伸された。
 1918年7月1日に、京都電気鉄道は京都市に買収され、同線は市電北野線になった。その後、1927年5月に、北野線を除き他線は標準軌(軌間1435mm)に統一される。北野線は狭軌(軌間1067mm)のままに残された。1929年に三哲車庫が廃止されている。1957年3月19日に、市電今出川線敷設工事により、北野停車場は北野天満宮境内横から今出川通南側へ移設され、若干路線は短縮になる。1961年7月31日に、北野線は廃止された。
 北野線の車両は「チンチン電車」とも呼ばれる。車掌と運転手との間の合図に、紐を引いて鐘を鳴らしていた。四条西洞院-四条堀川の1停留所間は、市電四条線の標準軌(広軌、1435mm)と重なり、レール3本の「3線軌条複線(3線区間)」になっていた。
 北野の一条通では商店街の軒先間際を電車が通過した。北野(下ノ森)車庫は、旧・子ども文化会館(エンゼルハウス、上京区滝ケ鼻町)の地にあった。後に、下ノ森から北に曲がり、北野天満宮の正面(今出川通の北側)が終点北野になる。後に、市電今出川線の敷設工事に伴い、今出川通は拡張工事されている。
 堀川線(北野線) 路線距離: 6.3 km、高低差:35m(1000分5-6の片勾配)、所要時分: 24-27分、電停数: 21駅、軌間: 1067 mm、線路数: 全線複線、電化区間: 全線電化(直流600V)。
◆車両 近代、1895年の京都電気鉄道の開業時車両が、北野線では唯一最後まで運行した。車両は変遷している。1895年の開業時車両である「20尺車」は、全長20尺(6.6m)・幅6尺(1.8m)・窓7個あった。電動機はアメリカ合衆国G・E社製のGE800形25馬力1台、4輪単車の1軸に吊掛け駆動方式で取付け直接制御運転・手動ブレーキだった。電動機は国産の三吉電機工場製も使用された。車両・台車は、J.G.Brill社製のブリル21B形を主力とし、ペックハム7B、8A形などがあった。
 1904年頃からは、全長24尺(7.2m)・幅6尺(1.8m)・窓9個、1910年から全長24尺(7.2m)・幅6尺5寸(1.9m)・窓8-9個も登場した。最後は、1910年-1911年製造の「27尺車」になり、全長27尺(8.1m)と大型化している。
 1902年-1904年には、1等車4両も用意されている。架空電車線方式は当初、トロリーポール1本の単線架空線式だった。1912年頃より複線式に改造され、1945年1947年に、戦時下の資材難から再び単線式に一時戻った。電圧は当初は直流500V、後に600Vに変更されている。
 1918年7月に、京都電気鉄道株式会社から譲渡された「狭軌I型」車両は136両(1号-136号)あった。内訳は普通客車133両(1号-133号車)、散水車3両(134号-136号車)になっていた。
 線路幅も狭軌(1067mm)で、4輪単車だった。4輪単車は、2軸単車、単車とも呼ばれ、2本の車軸・4本の車輪になっていた。
 普通客車は、広軌(1435mm)の「広軌I型」の木造単車との重複を避けるため、車両番号頭に「狭軌」、車体番号「N(Narrow gaugeの意)」が付けられた。このため後に「N電」と呼ばれる。
 車両前面は当初は吹きさらしで、戦前にガラス貼りに代わる。オープンデッキのため、乗降口に扉なく鎖のみで仕切った。運転台では、右手でブレーキ弁を、左手でマスターントローラーを操作していた。
 狭軌I型車両は、路線の軌間拡張工事に伴い、1925年までに39両、1953年までに散水車3両を含む108両が廃車になる。これらの車両は、他社・他の自治体に売却譲渡されている。
 1950年に広軌I型の全車が廃車されたため、1956年に狭軌I型の残存車両28両の連番改番(1号-28号)が行れている。1961年3月に6両、7月に北野線の狭軌路線廃止時に残りの狭軌I型22両もすべて廃車になる。
 現在、京都には平安神宮(左京区)に狭軌I型2号車(重文)が展示され、梅小路公園(下京区)内で狭軌I型27号車が動態保存され運行している。
 車両諸元 車両車号:N1-N133、車種:高床四輪木造電動客、車両数:133台、乗車定員:計38人(43人)・座席20人(12人)、自重: 6.604t 、車体製作所: 梅鉢鉄工所、台車形式:21-E 、製作所:ブリル、電化方式: 直流600V 、架空電車線方式(ポール集電)、主電動機 :25HP×2、 制御装置:直接、制動装置: 水平片手把手々用、竣工年月:京都電氣鐵道株式会社より譲渡のため詳細不明。
◆石標・史跡など 周辺には北野線に関する史跡などが残されている。
  ◈ 「京都市電北野線記念碑」の石標は、上京区今出川通御前東南角にある。1971年7月31日に鉄道友の会京都支部により立てられた。
 ◈ 「北野とチンチン電車」の金属プレート・モニュメントは、一条通七本松北西角にある。
 ◈ 「市電レリーフ」は、一条通沿いの北野商店街の歩道に敷かれている。 
 ◈北野(下ノ森)車庫は、旧・子ども文化会館(エンゼルハウス、上京区滝ケ鼻町)跡にあった。
 車庫は、近代、1900年5月7日に京都電気鉄道により開設された。1916年7月1日に京都市により買収され、1961年8月1日に廃止になった。敷地面積:1377坪(4541.78㎡)、在籍車両数:28両(1960年9月時点)。
 なお、会館は1982年-2018年に存在し、現在は閉鎖されている。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 「京都市電北野線記念碑」の碑文、「北野とチンチン電車」のプレート説明文、 ウェブサイト「都市史28 京都の市電-京都市」、ウェブサイト「市電保存館 on WWW -京都市交通局」、『N電 京都市電北野線』、ウェブサイト「チンチン電車ギャラリー ふれあいの街きたの-北野商店街振興会」、ウェブサイト「元祖チンチン電車 市電北野線廃止60年-Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都。」、ウェブサイト「日本民営鉄道協会」、『京都の歴史10 年表・事典』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area  周辺,surrounding area  関連,relevance北野天満宮 関連,relevance堀川第一橋(中立売橋)  関連,relevance電気鉄道事業発祥地(下京区)  関連,relevance電気鉄道事業発祥の地(伏見区)   関連,relevance平安神宮    50音索引,Japanese alphabetical order 
map 京都市電北野線記念碑 〒602-8383 京都市上京区今小路町,今出川通御前東南角 
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光