後水尾天皇 月輪陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Emperor Gomizuno
後水尾天皇 月輪陵 後水尾天皇 月輪陵
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「四条天皇外二十四方御陵参道」の石標









 泉涌寺境内の南東にある月輪陵(つきのわ の みささぎ)に、安土・桃山時代-江戸時代の第108代・後水尾天皇(ごみずのお てんのう)が葬られている。
 同域内には、歴代天皇陵、皇后陵、皇妃・皇子の墓、火葬塚、灰塚などが多数存在している。
◆歴史年表 江戸時代、1654年、9月20日(新暦10月30日)、後水尾上皇の皇子・第110代・後光明天皇が亡くなり、月輪陵に葬られた。
 1680年、8月19日(新暦9月11日)、後水尾上皇が亡くなる。後光明天皇に倣い月輪陵に葬られた。
◆後水尾天皇 安土・桃山時代-江戸時代の第108代・後水尾天皇(ごみずのお てんのう、1596-1680)。政仁 (ことひと) 。法名は円浄。第107代・後陽成天皇の第3皇子。母は関白・近衛前久の娘・前子(さきこ、中和門院)。1600年、親王宣下、1611年、父・後陽成天皇から譲位され即位した。江戸幕府は朝廷に政治的な介入、統制を行い、1613年、「公家衆法度」「勅許紫衣(しえ)法度」、1615年、「禁中並公家諸法度」を公布した。1618年、典侍・四辻与津子(およつ)との間に第1皇子・賀茂宮、1619年、文智女王(梅宮)が誕生した。幕府は、1616年、家康の死、1617年、後陽成上皇の死もあり、予定されていた将軍・徳川秀忠の娘・和子(東福門院)の入内を延期する。幕府は与津子を排し、天皇の延臣6人を流罪処分にした。その後、1620年、和子(東福門院)が入内になり女御とした。1624年、和子は皇后宣下、中宮になる。武家出身の中宮は異例であり、平清盛の娘・徳子(建礼門院)以来になる。1627年、紫衣事件では、天皇が僧侶に与えていた紫衣着用の勅許を幕府が無効にした。幕府に抗議した大徳寺などの僧らを幕府は流罪にする。幕府は仙洞御所の造営を開始する。天皇は退位を決意し、1629年、東福門院が産んだ7歳の興子(おきこ)内親王(後の第109代・明正天皇)に突然に譲位した。女帝への譲位は一代で血統が絶えるため、幕府には打撃になる。後水尾上皇は仙洞御所に住み、第109代・明正天皇、第110代・後光明天皇、第111代・後西天皇、第112代・霊元天皇まで4代に院政を敷いた。禅宗の一糸文守に傾倒し、1651年、相国寺で落飾し円浄と号した。1655年-1659年、修学院離宮を設計、造営した。追号は遺詔により後水尾院。
 30数人以上の子があった。後水尾天皇の「水尾」とは、嵯峨水尾にあった第56代・清和天皇を意味する。清和天皇と境遇が似ており、自ら決めたという。また、父・後陽成天皇とは不仲だったという。幕府による所司代などを通じての干渉、「禁中並公家諸法度」の制定、紫衣事件、1629年、春日局(お福)の無位無官の身での拝謁強行などにより幕府へ不満を持つ。明暦年間(1655-1659)、修学院御茶屋を造営する。学問を好み「学問講」を設けた。智仁親王らに歌学を学び、1625年、親王から古今伝授を受けた。『伊勢物語御抄』『当時年中行事』、歌集『後水尾院御集』 (原名『鴎巣集(おうそう)』) がある。茶道、華道に通じ、2世・池坊専好は天皇の庇護を受け、天皇は立花の会を催した。
 陵墓は泉涌寺内の月輪陵(東山区)になる。髪歯塚(はつしつか)は相国寺境内(上京区)にある。
◆壬生院 江戸時代前期の女性・壬生院(みぶいん、1602-1656) 。藤原光子。園基任(その もととう)の娘。第108代・後水尾天皇の後宮に入り、京極局と呼ばれた。1633年、第110代・後光明天皇、守澄入道親王、元昌女王、宗澄女王らを産む。
 陵所は泉涌寺内の月輪陵域(東山区)になる。
◆新広義門院 江戸時代前期の女性・新広義門院(しんこうぎもんいん、1624-1677)。藤原国子。父は公卿・園基音(その もとなり)。母は谷衡長の娘。第代・後水尾天皇の後宮に入り、典侍となる。1654年、霊元天皇,1649年真敬(しんけい)入道親王、3皇子3皇女を生む。1677年、亡くなり准三宮となり,院号をうけた。 
 陵所は泉涌寺内の月輪陵域(東山区)になる。
◆東福門院  江戸時代前期の第108代・後水尾皇の中宮・東福門院(とうふくもんいん、1607-1678) 。和子(かずこ/まさこ)。江戸の生まれ。2代将軍・徳川秀忠の5女。母は浅井長政の3女・お江与(崇源院)。祖父・家康は、幕府の朝廷懐柔策として和子の入内を、第107代・後陽成天皇に再三伝えた。1614年、入内は決定される。その後、大坂の陣、家康、後陽成天皇の死などで延期される。1620年、14歳で後水尾天皇の女御になる。同時に、武士・女御様御付役人が禁中に常駐する。1623年、一宮興子(おきこ)を産み、1624年、中宮になる。1629年、後水尾天皇は、興子内親王(第109代・明正天皇)に突然譲位し、それに伴い和子は院号宣下を受けた。後、第110代・後光明天皇(生母は壬生院)、第111代・後西天皇(生母は逢春門院)、第112代・霊元天皇(生母は新広義門院)の養母になる。
 2皇子5皇女を産む。入内により禁裏の財政を支え、宮廷文化形成に貢献した。朝廷は幕府統制下に置かれる。
 陵墓は月輪陵域(東山区)になる。
◆逢春門院 江戸時代前期の女性・逢春門院(ほうしゅんもんいん、1604-1685)。隆子。御匣殿、四条局。贈従一位左大臣・櫛笥隆致の娘。第108代・後水尾天皇の後宮に入る。第111代・後西天皇、性真親王、穏仁親王、道寛親王、理昌女王、理忠女王の6皇子4皇女を産む。1685 年、従三位、准三宮。没後に院号を追贈された。
 陵所は泉涌寺内の月輪陵域(東山区)になる。
◆陵墓 後水尾天皇は土葬により、月輪陵に葬られた。石造の九重塔が立つ。
 ほかに、同域内に宝篋印塔で後水尾天皇後宮・壬生院藤原光子、後水尾天皇後宮・逢春門院藤原隆子が葬られている。
 月輪陵の主な被葬者は、鎌倉時代の第87代・四条天皇(1231-1242)、室町時代の追尊・陽光天皇(1552-1586)、安土・桃山時代-江戸時代の第108代・後水尾天皇(1596-1680)、江戸時代の第109代・明正天皇(1624-1696)、第110代・後光明天皇(1633-1654)、第111代・後西天皇(1638-1685)、第112代・霊元天皇(1654-1732)、第113代・東山天皇(1675-1710)、第114代・中御門天皇(1702-1737)、第115代・桜町天皇(1720-1750)、第116代・桃園天皇(桃園天皇)、第117代・後桜町天皇(1740-1813)、第118代・後桃園天皇(1758-1779)。


107 後陽成天皇(在位:1586-1611)→108 後水尾天皇(在位:1611-1629)→109 明正天皇(在位:1629-1643)→110 後光明天皇(在位: 1643-1654)→111 後西天皇(在位:1654-1663)→112 霊元天皇(在位:1663-1687)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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