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後光明天皇 月輪陵 (京都市東山区) Imperial mausoleum of Emperor Gokomyo |
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後光明天皇 月輪陵 | 後光明天皇 月輪陵 |
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![]() 「四条天皇外二十四方御陵参道」の石標 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
泉涌寺境内の南東に月輪陵(つきのわ の みささぎ)がある。江戸時代前期の第110代・後光明天皇(ごこうみょう-てんのう)が葬られている。 同域内には、歴代天皇陵、皇后陵、皇妃・皇子の墓、火葬塚、灰塚などが多数存在している。 ◆歴史年表 江戸時代、1654年、9月20日、後光明天皇が亡くなる。火葬に擬された荼毘の作法の後に、旧来の火葬ではなく土葬の制に改められる。月輪陵が築かれ葬られた。以後、13代の天皇陵・皇后陵が設けられた。 ◆後光明天皇 江戸時代前期の第110代・後光明天皇(ごこうみょう-てんのう、1633-1654) 。紹仁(つぐひと)、素鵞宮(すがのみや)。京都の生まれ。第108代・後水尾天皇の第4皇子。母は園基任(その-もととう)の娘・藤原光子(壬生院)。養母は徳川2代将軍・秀忠(ひでただ)の娘・東福門院和子(かずこ)。1642年、親王宣下、1643年、異母姉・第109代・明正天皇の譲位を受けて11歳で践祚、即位した。父・後水尾上皇が引き続き院政を行う。徳川氏は外戚の地位を保った。1646年、室町時代の応仁・文明の乱(1467-1477)以来、中断していた伊勢例幣使を再興した。男子の皇子がなく、1663年、弟(第19皇子)識仁(さとひと)親王(第112代・霊元天皇)に譲位した。疱瘡(ほうそう)により京都で没した。22歳。後光明院と追号された。陵墓は月輪陵(東山区)になる。 剣術を好んだ。酒を多く飲み、徳大寺公信に諫められる。神宮例幣の儀を再興した。宮中祭祀を復活する。仏教を嫌い、儒学、詩文を好んだ。朱子学者・朝山意林庵(あさやま-いりんあん)などを招いて聴講した。儒学者・藤原惺窩(ふじわら-の-せいか)を追慕し文集に序文を与えた。漢詩集『鳳啼(ほうてい)集』がある。 ◆奥八兵衛 江戸時代前期の商人・奥八兵衛(おく-はちべえ、?-1669)。京都で「河内屋」という魚屋を営み、宮中に納めていた。1654年、第110代・後光明天皇の死去に際して、天皇が生前に「火葬は不仁である」と語っていたことから、土葬にすることを朝廷に建言し認められた。以後、天皇の埋葬は土葬に改められたという。近代、官位が贈られた。 知恩院(東山区)三門東に先徳碑(顕彰碑)がある。 ◆陵墓 江戸時代、1654年9月20日、後光明天皇が亡くなる。荼毘の作法が行われ、実際に火葬はされなかった。遺骸は四条天皇陵の地、石造の九重塔の下に土葬された。月輪陵での土葬の初例になる。大喪(天皇の葬儀)は、第107代・後陽成天皇(1571-1617)以来行われた。 月輪陵の主な被葬者は、鎌倉時代の第87代・四条天皇(1231-1242)、室町時代の追尊・陽光院天皇(1552-1586)、安土・桃山時代-江戸時代の第108代・後水尾天皇(1596-1680)、江戸時代の第109代・明正天皇(1624-1696)、第110代・後光明天皇(1633-1654)、第111代・後西天皇(1638-1685)、第112代・霊元天皇(1654-1732)、第113代・東山天皇(1675-1710)、第114代・中御門天皇(1702-1737)、第115代・桜町天皇(1720-1750)、第116代・桃園天皇(1741-1762)、第117代・後桜町天皇(1740-1813)、第118代・後桃園天皇(1758-1779)になる。 ◆土葬・火葬 飛鳥時代の女性天皇である第41代・持統天皇(645-703)の葬儀で、初めて火葬が用いられた。以後、いくつかの例外を除き、江戸時代初頭までは、歴代天皇は火葬にされた。 江戸時代、後光明天皇の時に、朝廷は旧来の慣例に従い、当初は火葬の上、深草北陵(伏見区)に納骨することを予定していた。だが、御所に入りの魚屋・奧八兵衛(おく はちべい)が建言を行う。火葬とは仏教の葬制であり、天皇の意に沿わないと主張した。奧八兵衛は、後水尾天皇御所、関白御所、官吏役宅などで火葬の中止を訴えた。朝議は建言を採用する。 火葬・納骨式の深草北陵では、土葬はできなかった。このため、葬礼は仏式とし、火葬に擬された荼毘の作法が行われた。後光明天皇の遺骸は、泉涌寺の月輪陵に葬られた。木造堂宇は建てられず、石造の九重塔の下に土葬で埋葬された。泉涌寺は鎌倉時代に天皇の葬儀を行っており、陵の実例もあり当寺が選ばれた。 第121代・孝明天皇(1831-1867)の時には、陵墓も造られ土葬にされている。第122代・明治天皇(1852-1912)からは神式になった。 108 後水尾天皇(在位:1611-1629)→109 明正天皇(在位:1629-1643)→110 後光明天皇(在位:1643-1654)→111 後西天皇(在位:1654-1663)→112 霊元天皇(在位:1663-1687) *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『検証 天皇陵』、『天皇陵 謎解き完全ガイド』、『歴代天皇125代総覧』、『図説天皇陵』、『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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