英照皇太后 後月輪東北陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Empress Dowager Eisho
英照皇太后 後月輪東北陵 英照皇太后 後月輪東北陵
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「孝明天皇後月輪東山陵 英照皇太后後月輪東北陵 後堀河天皇観音寺陵」の石標








 泉涌寺境内の北西に、後月輪東北陵(のちのつきのわの-ひがしきたの-みささぎ)がある。江戸時代後期-近代の第121代・孝明天皇の女御・英照皇太后(えいしょう こうたいごう)が葬られている。陵墓は、孝明天皇の後月輪東山陵に隣接している。
◆歴史年表 近代、1897年、1月11日、英照皇太后は亡くなり、泉涌寺に葬られた。
◆英照皇太后 江戸時代後期-近代の第121代・孝明天皇の女御・英照皇太后(えいしょう-こうたいごう、1833-1897)。基君(のりきみ)、夙子(あさこ)。公卿・九条尚忠(ひさただ)の6女、母は南大路菅山。1845年、12歳で皇太子・統仁(おさひと)親王(第121代・孝明天皇)の御息所(みやすどころ)に内定した。なお、天皇と年齢差が「中四つ」だったため、忌み、生年を天保4年(1833年)に改めている。1846年、第120代・仁孝天皇の死去により女御と称した。1848年、従三位に叙せられ、入内、女御宣下があった。1850年、順子内親王を産む。1853年、正三位を叙され、准三宮宣下を受ける。1858年、富貴宮を産む。1860年、祐宮(さちのみや、第122代・明治天皇)が儲君(ちょくん、皇太子)になり、嫡母(ちゃくぼ)になり祐宮を実子にした。実母は中山慶子(よしこ)になる。実子の2皇女は夭折している。1866年、孝明天皇が亡くなる。1867年、睦仁(むつひと)親王(明治天皇)の践祚により、1868年、皇太后になり仙洞御所に移る。大宮と呼ばれた。1872年、東京に移る。1873年、青山御所に移った。宮中では養蚕を行う。富岡製紙工場などに行啓した。泉涌寺に葬られた。英照皇太后と追号される。
 有職故実、古典、国史、西洋理学などを学ぶ。神田・秋葉神社を創建した。皇太后の葬儀で初めて欧化政策の一つである黒喪服着用が導入され、以後、慣習になったという。65歳。
 陵墓は、後月輪東北陵(東山区)になる。
◆陵墓 陵墓は円丘であり南面している。山上に棺を納め、周囲の山を削り円陵を造営している。


120 仁考天皇(在位:1817-1846) →121 孝明天皇(在位:1846-1866) →122 明治天皇 (在位:1867-1912)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『天皇陵 謎解き完全ガイド』『検証 天皇陵』『歴代天皇・皇后総覧』、ウェブサイト「コトバンク」

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map 英照皇太后 後月輪東北陵 〒605-0957 京都市東山区今熊野泉山町
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