光格天皇 後月輪陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Emperor Kokaku
光格天皇 後月輪陵  光格天皇 後月輪陵 
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「四条天皇外二十四方御陵参道」の石標


参拝道










 泉涌寺内に後月輪陵(のちの つきのわの みささぎ)がある。
 江戸時代の第 119代・光格天皇(こうかく てんのう)、第120代・仁孝天皇(にんこう てんのう)、その皇后、皇子などが葬られている。
◆歴史年表 江戸時代、1840年、11月19日、光格天皇 は亡くなり、泉涌寺に葬られた。当初は「後月輪山陵」とされた。11月27日、仁孝天皇は諡号の制を復活し、泉涌寺の父・光格天皇陵前で奉告を行う。
 近代、1879年、3月、陵名は正式に「後月輪陵」になる。
◆光格天皇 江戸時代後期の第 119代・光格天皇(こうかく てんのう、1771-1840)。師仁(もろひと)、のち兼仁(ともひと) 。京都生まれ。第113代・東山天皇の孫・閑院宮典仁(かんいんのみや すけひと) 親王の第6王子。母は大江磐代成子(いわしろ ふさこ)内親王。1772年、聖護院宮忠誉法親王の法弟になり、後継者に目された。1779年、第118代・後桃園天皇の死後、皇嗣がなく、養子になり践祚した。10歳で即位する。1788年、京都大火により皇居が炎上し、聖護院に遷幸する。父・典仁親王に太上天皇の尊号を奉上しようとし、1789年、前大納言・中山愛親(なるちか)に命じて先例を調べさせた。鎌倉・室町時代に2例あることを根拠とし、尊号宣下の承認を幕府に求めた。老中・松平定信は皇統を継がない者で尊号を受けるのは皇位を私するとして拒否した 。(尊号一件 )。以後、幕府との関係が緊張し、後の尊王思想に影響を与えた。1792年、幕府は、武家伝奏・正親町(おおぎまち) 公明、議奏・中山愛親を処罰し、武家伝奏・万里小路(までのこうじ)政房の役を免じた。1794年、後桃園天皇の第1皇女・欣子(よしこ)内親王が中宮になる。1817年、恵仁親王(第120代・仁孝天皇)に譲位後は、院政を23年間おこなう。
 没後の1884年、中絶していた諡号再興で、第122代・明治天皇により875年ぶりに慶光(きょうこう)天皇の尊号が贈られた。
 朝儀を再興し、古制の復活に努めた。在位中に石清水社・賀茂社の臨時祭を再開した。朝廷内の復古派勢力は拡大し、後の尊王思想に影響を与える。博学で経学を好み、能文、作詩、和歌、音楽、管弦に秀でた。歌集に「光格天皇御詠草」、宸筆日記に『光格院日記案』がある。
 陵墓は泉涌寺山内の後月輪陵(東山区)になる。
◆新清和院 江戸時代後期の第119代・光格天皇皇后・新清和院(しんせいわいん、1779-1846)。欣子(よしこ)。第118代・後桃園天皇の第1皇女。母は女御・維子(盛化門院)。1779年、生後9カ月で父天皇が没した。1783年、母も没し、祖母・恭礼門院恭礼門院(富子)(第116代・桃園天皇女御富子)に養育された。1780年、内親王宣下を受けた。1794年、入内し、光格天皇の中宮になる。温仁親王・悦仁親王を産むが夭折した。1809年、恵仁親王(第120代・仁孝天皇)が儲君(皇太子)に定まり実子とした。1820年、皇太后になる。1841年、院号を受けた。歌集に『新清和院御集』がある。
 陵墓は泉涌寺山内の後月輪陵(東山区)になる。
◆陵墓 光格天皇は、江戸時代、1840年11月19日に亡くなり、泉涌寺に葬られた。当初は「後月輪山陵」とされた。山陵の実際は、石製の九重塔(泉涌寺御塔)が立てられていた。1846年、仁孝天皇の没後、年号に因み「弘化廟(こうかびょう)」「弘化山廟」とも呼ばれる。近代、1879年3月、年号を陵名にした例はないため、正式に「後月輪陵」になる。
 後月輪陵の光格天皇陵は、拝所の南東に位置している。陵形は九重石塔になる。ほかに、宝篋印塔は皇后・欣子内親王(新清和院、光格天皇皇后)、同域内に温仁親王墓(光格天皇皇子)、悦仁親王墓(光格天皇皇子)が立つ。
 また、第120代・仁孝天皇の九重石塔のほか、宝篋印塔は、贈皇太后・藤原繁子(新皇嘉門院、仁孝天皇女御)、尊称皇太后・藤原祺子(新朔平門院、仁孝天皇女御)、同域内に藤原雅子墓(仁孝天皇後宮)、安仁親王墓(仁孝天皇皇子)が立てられている。


113 東山天皇 (在位 :1687-1709)→114 中御門天皇 (在位:1709-1735)→115 桜町天皇 (在位:1735-1747)→117後桜町天皇 (在位:1762-1770)→118 後桃園天皇(在位:1770-1779)→119 光格天皇 (在位:1779-1817)→120 仁孝天皇 (在位:1817-1846)→121 孝明天皇 (在位:1846-1866)→122 明治天皇(在位:1867-1912)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『図説天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」

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map 光格天皇 後月輪陵  〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町27
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