明正天皇 月輪陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Empress Meisho
明正天皇 月輪陵  明正天皇 月輪陵 
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「四条天皇外二十四方御陵参道」の石標










 泉涌寺境内の南東に月輪陵(つきのわ の みささぎ)がある。江戸時代前期の第109代・明正天皇(めいしょう てんのう) が葬られている。
 同域内には、歴代天皇陵、皇后陵、皇妃・皇子の墓、火葬塚、灰塚などが多数存在している。
◆歴史年表 江戸時代、1696年、11月10日、明正天皇は亡くなる。泉涌寺内の月輪陵に葬られた。
◆明正天皇 江戸時代前期の第109代・明正天皇(めいしょう てんのう、1624-1696) 。興子(おきこ)。女一の宮。第108代・後水尾天皇の第2皇女。母は2代将軍・徳川秀忠の娘・和子(まさこ、東福門院)。中宮嫡出の第1子で、皇子2人が早世、第5子も皇女だった。1629年、内親王宣下を受けた。父・後水尾天皇は、紫衣事件などの幕府の干渉に反発し、突然に譲位したため践祚した。1630年、7歳で即位する。実務は行わず、父が院政を執る。秀忠は外祖父になり、幕府は外戚の地位を確保した。1643年、11歳の異母弟・紹仁(つぐひと)親王(第110代・後光明天皇)に譲位した。太上天皇になる。以後、幕府より毎年5000石の貢米が献上された。仙洞御所で54年間暮らした。後に出家する。
 奈良時代の第48代・称徳天皇以来の900年ぶり、平安京初の女性天皇になる。江戸時代には2人の女性天皇がおり、もう1人は117代・後桜町天皇になる。婚姻することはなかった。在位中は、後水尾上皇の院政下にあり、政治への関与はなかった。手芸が得意であり、押絵が各寺院に伝えられている。追号の明正院は、奈良時代の女帝・第43代・元明(げんめい)、第44代・元正(げんしょう)天皇から各1字を取っている。
 陵墓は月輪陵(東山区)になる。
◆陵墓 石造の九重塔様式になる。
 月輪陵の主な被葬者は、鎌倉時代の第87代・四条天皇(1231-1242)、室町時代の追尊・陽光天皇(1552-1586)、安土・桃山時代-江戸時代の第108代・後水尾天皇(1596-1680)、江戸時代の第109代・明正天皇(1624-1696)、第110代・後光明天皇(1633-1654)、第111代・後西天皇(1638-1685)、第112代・霊元天皇(1654-1732)、第113代・東山天皇(1675-1710)、第114代・中御門天皇(1702-1737)、第115代・桜町天皇(1720-1750)、第116代・桃園天皇(桃園天皇)、第117代・後桜町天皇(1740-1813)、第118代・後桃園天皇(1758-1779)になる。

108 後水尾天皇(在位 :1611-1629)→109 明正天皇(在位 :1629-1643)→110 後光明天皇(在位 :1643-1654)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『図説天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 明正天皇 月輪陵  〒605-0977  京都市東山区泉涌寺山内町27
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