四条天皇 月輪陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Emperor Shijo
四条天皇 月輪陵 四条天皇 月輪陵
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「四条天皇外二十四方御陵参道」の石標





塀重門




白砂敷











 泉涌寺境内の東南に月輪陵(つきのわのみささぎ)はある。
 鎌倉時代前期の第87代・四条天皇(しじょう てんのう)が葬られている。四条天皇は、父・後堀河天皇の観音寺陵に倣い、境内後山の月輪山山裾に陵墓が造営され埋葬された。最初に月輪陵に葬られた天皇になる。
 かつて、域内の陵は泉涌寺御廟、泉涌寺御塔などとも呼ばれていた。
◆歴史年表 鎌倉時代、1242年、1月9日、四条天皇は閑院内裏で亡くなる。天皇は生前に、自らを泉涌寺開山・俊芿の生れかわりとした。(『増鏡』)。このため、葬礼は泉涌寺で行われたという。父・後堀河天皇に倣い、泉涌寺の後山である月輪山の山裾に、新しく陵墓が造営され埋葬された。以後、この地は、歴代天皇、皇后などの皇族集合墓地になる。
 近代、1879年、3月、正式な陵名は、四条天皇陵-後桃園天皇陵は「月輪陵」、光格天皇陵以降は「後月輪陵」に改められた。
◆四条天皇 鎌倉時代前期の第87代・四条天皇(しじょう てんのう、1231-1242)。秀仁(みつひと) 。第86代・後堀河天皇の第1皇子。母は九条道家の娘・中宮・藻壁門院竴子(そうへきもんいん そんし/しゅんし) 。1231年、誕生してすぐに親王宣下、皇太子になる。1232年、父の譲位をうけ2歳で践祚、即位した。父・後堀河上皇が院政を敷く。前関白・九条道家の画策により、実権は摂政・九条教実(のりざね)、その父・道家、兼経らが相次いでなり補佐した。1241年、11歳で元服し、教実の娘・彦子(ひろこ、宣仁門院)を迎えた。1242年、12歳で早逝する。近習、女房への悪戯で、御所の板敷に滑石の粉を塗り、誤って自らが滑ったことが原因だった。死は、後鳥羽上皇の怨霊の仕業といわれた。皇子も兄弟もなく、没後に皇位継承を巡る対立が起きる。
 在位10年間に改元を6度行う。御成敗式目(貞永<じょうえい>式目)の制定などで幕府体制が強化され、朝廷監視が強まる。
 天皇は泉涌寺開山・俊芿の生れ変りとされ、大葬も泉涌寺で行われた。遺骸は、俊芿の石造卵塔墓の傍らに葬られている。以来、室町時代前期の北朝第4代・後光厳天皇から江戸時代の第121代・孝明天皇まで、歴代天皇の葬儀は泉涌寺で行われる。江戸時代初期の第107代・後陽成天皇まで歴代天皇の荼毘所になった。多くの天皇・女院の陵墓が、俊芿と四条天皇の廟所に接して造営された。
 陵墓は月輪陵(東山区)にある。
◆陵墓 陵墓は石造の九重塔様式になる。鎌倉時代、1242年、四条天皇は自らを泉涌寺開山・俊芿の生れかわりとした。(『増鏡』)。俊芿との縁故もあり、大葬も泉涌寺で行われた。父・後堀河天皇に倣い、境内後山の月輪山の山裾に新しく陵墓が造営され埋葬された。仏教建築の御堂、塔などを建立し、地下に埋葬した堂塔式陵墓になる。遺骸は、俊芿の石造卵塔墓の傍らに葬られている。
 塀重門を入ると、月輪陵の拝所には白砂敷が広がる。拝所は後月輪陵と共通になっている。陵域は石垣上にあり山を背にして一段高い。石段が付けられ、中央に向唐門が開いている。檜皮葺になる。左右には透塀が続き、側面、背面は土塀になっている。拝所側からは、陵墓内を望むことはできない。
 四条天皇陵以後、歴代の多くの天皇・女院の陵墓が、俊芿と四条天皇の廟所に接して造営された。域内は皇族集合墓地になる。近代、1879年3月に、正式な陵名は「月輪陵」に改められている。
◆ほかの被葬者 陵域一帯には、被葬者として、歴代天皇陵、皇后陵、皇妃・皇子の墓、火葬塚、灰塚などが多数存在する。月輪陵には、四条天皇以下20天皇・ほかが葬られている。後月輪陵には、光格天皇以下5天皇・ほかが眠る。
 歴代天皇陵は九重石塔、陽光天皇陵は無縫塔、各皇后陵は無縫塔・宝篋印塔がそれぞれ立つ。
月輪陵 鎌倉時代の第87代・四条天皇(1232-1242)(九重塔)、江戸時代の第108代・後水尾天皇(1611-1629)(九重塔)、第109代・明正天皇( 1629-1643)(九重塔)、第110代・後光明天皇(1643-1654)(九重塔)、第111代・後西天皇(1654-1663(九重塔)、第112代・霊元天皇(1663-1687)(九重塔)、第113代・東山天皇(1687-1709)(九重塔)、第114代・中御門天皇(1709-1735)(九重塔)、第115代・桜町天皇(1735-1747)(九重塔)、第116代・桃園天皇(1747-1762)(九重塔)、第117代・後桜町天皇(1762-1770)(九重塔)、第118代・後桃園天皇(1770-1779)(九重塔)、陽光太上天皇(1552-1586)(無縫塔)。
 江戸時代の第108代・後水尾天皇皇后・徳川和子(1607-1678)(宝篋印塔)、第112代・霊元天皇皇后・房子(1653-1712)(無縫塔)、第113代・東山天皇皇后・幸子女王(1680-1720)(無縫塔)、第114代・中御門天皇女御・贈皇太后・近衛尚子(1702-1720)(無縫塔)、第115代・桜町天皇女御・尊称皇太后・二条舎子(1716-1790)(宝篋印塔)、第116代・桃園天皇女御・尊称皇太后・一条富子(1743-1796)(宝篋印塔)、第118代・後桃園天皇女御・尊称皇太后・近衛維子(1760-1783)(宝篋印塔)。
 後月輪陵 江戸時代の第119代・光格天皇(1779-1817)(九重塔)、第120代・仁孝天皇(1817-1846)(九重塔)、第119代・光格天皇皇后・欣子内親王(1794-1820)(七重塔)、第120代・仁孝天皇女御・贈皇后・鷹司繋子(1798-1823)(宝篋印塔)、仁孝天皇女御・尊称皇太后・鷹司祺子(1811-1847)(宝篋印塔)。
 ◈灰塚
 室町時代の第103代・後土御門天皇(1464-1500)、第104代・後柏原天皇(1500-1526)、第105代・後奈良天皇(1526-1557)、第106代・正親町天皇(1557-1586)、安土・桃山時代-江戸時代の、第107代・後陽成天皇(1586-1611)。 
  安土・桃山時代-江戸時代の第107代・後陽成天皇女御・中和門院藤原前子(1575-1630)、江戸時代の第108代・後水尾天皇後宮・壬生院藤原光子(1602-1656)、後水尾天皇後宮・逢春門院藤原隆子(1604-1685)、後水尾天皇後宮・新廣義門院藤原國子(1624-1677)、第119代・光格天皇皇子・温仁親王(1800.2-1800.4)、光格天皇皇子・悦仁親王(1816-1821)、光格天皇皇子・安仁親王(1820-1821)、陽光太上天皇妃・晴子(1553-1620)、第120代・仁孝天皇後宮・新侍賢門院藤原雅子(1856-1803)。


86 後堀河天皇(在位:1221-1232)→87 四条天皇(在位:1232-1242)→88 後嵯峨天皇(在位:1242-1246)→89 後深草天皇(在位:1246-1259)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 制札、『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『古代史研究の最前線 天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 四条天皇 月輪陵  〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町27
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