蹴上浄水場 (京都市東山区)  
Keage Purification Plant
蹴上浄水場 蹴上浄水場
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濾過室














【参照】蹴上浄水場(1912年5月)、琵琶湖疏水記念館展示パネルより


【参照】蹴上浄水場の模型(1915年頃)、手前より低区配水池、濾過場、沈殿池、琵琶湖疏水記念館より


【参照】濾過場、沈殿池、琵琶湖疏水記念館展示パネルより


第1高区配水池の機械室


与謝野晶子の歌碑「御目ざめの鐘は知恩院聖護院いでて見たまへ紫の水」


ツツジ
 蹴上浄水場は、粟田山山麓に広がっている。琵琶湖疏水を原水とする。日本最初の急速濾過式浄水場として給水を開始し、現在も稼働している。竣工当時の建築物で保存されているのは、第1高区配水池流入弁室(機械室)など数少ない。
 設計は、近代の建築家・構造学者・日比忠彦、土木工学者・田邊朔郎による。
◆歴史年表 近代、1909年、5月、蹴上浄水場は着工した。
 1912年、3月、竣工した。4月、日本最初の急速濾過式浄水場として給水を開始した。
 現代、1962年、11月、創設期の第1系統の改良とともに、新たに第2系統が新設された。
 1985年 、厚生省(現・厚生労働省)が企画した「近代水道百選」に琵琶湖疏水とともに選定された。
 1997年、9月、第1系統を休止し撤去し、新たに着水井、沈殿池、濾過池などを建設する。
 2003年、10月、第2系統を休止し、新しい施設に切り替えた。 
 2007年、11月、経済産業省の認定する近代化遺産「京都における産業の近代化の歩みを物語る琵琶湖疏水などの近代化産業遺産群」の一つになる。
 2012年、9月、沈殿池の増設工事が完了した。
 2015年8月-2016年、2棟の歴史的建造物である流入弁室を、一時的に移設させ戻す曳屋(ひきや)工事が行われた。
◆日比忠彦 近代の建築家・構造学者・日比忠彦(ひび-ただひこ、1873-1921)。越前(福井県)生まれ。1887年、帝国大学工科大学土木工学科を卒業した。京都帝大理工科大学助教授になり、建築学を担当する。1902年、震災予防調査会臨時委員になり、ドイツ・フランスに留学を命じられる。1904年、米国を視察した。1906年、京都帝大教授になる。1920年、欧米の建築界を視察し、1921年、帰国後に没した。著『鉄筋コンクリートの理論及びその応用』など。49歳。
 専門は建築材料学・構造建築学・材料強弱学で、鉄筋コンクリート研究の権威といわれた。
◆田邊朔郎  近代の土木工学者・田邊朔郎(たなべ-さくろう、1861-1944)。江戸に生まれた。洋式砲術家・田邊孫次郎の長男。1861年、朔郎が9カ月の時、父が病死する。その後、生活困窮する。1871年、叔父・太一が外務省任官になりその援助を受ける。1883年、借金して学業を続け、工部大学校土木科(東京大学工学部の前身)を卒業した。1881年以来の実地調査に基づく卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」が、北垣国道京都府知事の目に留まり、請われて京都府疏水御用掛になる。琵琶湖疏水工事に従事する。1888年-1889年、米国に出張し、米国保育水力配置法の取調、ポトマック運河、モリス運河、リン市電気鉄道の調査を行う。1890年、琵琶湖疏水が完成する。北垣の長女・しずと結婚した。帝国大学工科大学教授に就任した。1891年、蹴上発電所が完成し、東京帝国大学教授に就任した。1892年、震災予防調査会委員に任じられる。疏水工事報告書について英国土木学会より、テルフォード・メダルを授与される。1893年、内務省土木会委員に任じられた。1894年、北海道に出張し、北海道鉄道敷設のための調査を行う。1896年、東京帝大を退任し、北海道庁鉄道部長として官設鉄道の計画・建設にあたる。1900年、ロシア・シベリア鉄道工事を視察した。1910年、京都帝国大学教授に就任した。1916年-1823年、京都帝国大学工科大学長に就任した。退官後も各地の鉄道建設計画等に関与する。1923年、土木学会会長に就任した。1929年、東京・万国工業会議副議長、土木文化会議委員長に推された。ほかに、米国鉄道協会会委員、米国土木会会員になる。編纂委員長として『明治工業紙』(全10巻)(1925-1931)に関わる。著『明治以前日本土木史』(1936)は日本土木史の基本文献になっている。84歳。
  田邊朔郎博士銅像は、蹴上疏水公園に立つ。青年期の像であり、市民の寄付による。墓は大日山墓地にある。顕彰碑(京都市長寄付の黒御影石)には「希英魂永留本市」と刻まれている。傍らに夫人・静子の墓もある。
◆建築 創建当初の複数の施設は、老朽化に伴い撤去、建替えられている。
 ◈ 濾過室は大きな建物であり、敷地外からも確認できる。鉄骨構造の大屋根であり、沈殿場を覆っている。当初、外壁は煉瓦を露出していた。後に改修され大部分はモルタルを塗られている。
 ◈ 第1高区配水池の機械室(流入弁室)は、近代、1912年に竣工した。敷地の最高部にある。配水池とは、昼間に大量消費される上水を、夜間に一時貯水する施設になる。施設は、浄水場内の煉瓦造最後の建物になる。外観はゴシック様式(12世紀中期に北フランス、全ヨーロッパに広がり、15世紀か16世紀初頭まで続いた建築様式)になる。平面は「凸」形をしており北側に八角形の2塔が立つ。中世期の城郭のような意匠になっている。尖頭アーチの扉が開く。赤煉瓦の壁面の中程に、白い石のコーニス(突起部)が廻されている。配水地水面の高さと同じ水準を示した意匠になる。
 施工は鴻池組、半地下式、煉瓦造、平屋建。
 第1高区配水池の満水面の高さ:OP110m(大阪湾最低潮位)、貯水量:9000㎥(東西36.58m、南北25.62m、深さ5m、2池)、配水区域:山科北部・東山・稲荷・丸太町通以南-四条通以北。
◆曳家工事 「蹴上浄水場第1高区配水池改良工事」(工期2015年12月-2014年1月)では、工期の事前事後に2棟の歴史的建造物である流入弁室(機械室)を一時的に移設させる曳家(ひきや)工事が行われた。旧施設外観である煉瓦造外壁などを保存し、内部に新たな配水池を改造後に、2016年秋に元の位置に戻された。
 2015年7月に3日間の日程で、施設北側の流入弁室(重さ約600t)の曳家工事が実施された。地面より深い位置まで煉瓦壁が構築され、基礎もなかった。このため、地盤面から深さ1.5m地点で上屋の煉瓦壁を一端切断した。建物と一体化した鉄筋コンクリート製の補強基礎と内部補強壁を構築した。その後、14基の仮受けジャッキとコンクリート製の耐圧板を設置し、高さ2.2mまで段階的に建物を嵩上げした。上屋全体を耐圧板上に敷設されたレールに載せた。コロにより西側に15m移設し仮置きし、北側に22m移設した。
 2015年8月に2日間の日程で南側の流出弁室も曳家工事が行われている。同様の工程で、上屋(重さ500t)を地盤面から2.4mの高さに嵩上げし、南側に7-8m移動させた。移動速度は11分間に15㎜の速さで、4基の推進ジャッキを動かした。その後、南側に15m、東側に77m移設し仮置きした。
 その後、旧配水池(9000㎥)の撤去、側壁を除く内部躯体の撤去した。新配水池(8000㎥)を築造し、ステンレス内張、弁室設備の更新などを行い、流出弁室が元の位置に戻された。
 施工は鴻池組などJVによる。
◆浄水場 蹴上浄水場は京都市水道局が所管している。水源は琵琶湖疏水になる。近代、1911年7月に粟田山山麓で着工し、1912年2月に竣工した。同年4月に日本最初の急速濾過式浄水場として給水を開始した。
 濾過方式としては、1829年に開発された英国式水道があった。砂のみで原水を濾過し、水中の砂の表面にできる濾過膜を利用した。砂の物理的作用により細菌を抑留した。広大な濾過池が必要になる。
 他方、米国式水道(急速濾過式)は、1896年にアメリカ合衆国で初めて使われた。原水にミョウバンを投じ化学的変化を起こし、次に砂で濾過した。濾過速度は英国式水道は3m前後/1昼夜であり、米国式は121m前後/1昼夜で、米国式の方が40倍も早い流速だった。米国式は施設規模も抑制される。他方、管理面で高い技術、経費も必要になる。
 蹴上浄水場では、周辺土地が狭隘なため、米国式水道(急速濾過式)を採用せざるを得なかった。琵琶湖第2疏水から原水を取水し、琵琶湖第1疏水の下を潜り浄水場に送水された。鉄管(口径900㎜)2本で自然流下方式により三条街道を経て、サイフォンの原理で山中腹の浄水場に送られた。当時の浄水場では、「除砂井」、「沈殿池付属井」、「沈殿井」で様々な処理を経て、「濾過場」に送られた。円筒形の濾過槽(4列20基)では上から細砂、荒砂、砂利の3層を通して最終処理された。濾過池表面洗浄装置には、ジューエルの機械撹拌機併用の逆洗方式が採用された。上水道の給水方式は自然流下であり、高台に配水池を設けることで、水位からの水圧により送水が行えた。当初の給水能力は6万8100㎥/日だった。
 1962年11月に、創設期の第1系統の改良とともに、新たに第2系統が新設された。給水能力が19万8000㎥/日になる。1997年9月に、第1系統を休止し撤去し、新たに着水井、沈殿池、濾過池などを建設した。2003年10月に、第2系統を休止し、新施設に切り替えている。1日9万9000㎥になる。2012年9月に、沈殿池の増設工事が完了し、1日19万8000㎥/日になった。
 現在の蹴上浄水場では次の処理を行っている。
 ◈「取水池」では、琵琶湖疏水から取水された原水が導水管を通して浄水場に送られてくる。池で大きなゴミなどを回収する。
 ◈「活性炭接触池」では、粉末活性炭と原水の接触時間を長くするために大池になっている。夏場には琵琶湖の藻類が炭酸ガス(CO2)を消費し、原水pHが上昇する。薬品沈殿池での処理が悪化するため、炭酸ガスを注入し中和する。
 粉末活性炭接触池の有効容量:6750㎥、池の深さ:11.6m、池数:2。
 ◈「急速撹拌池」では、原水の中に含まれるゴミ・微生物などを取り除き、消毒する。凝集剤、消毒剤を注入し沈殿させる。原水と薬品をすばやくかき混ぜるために撹拌機を使用する。
 かくはん方式:フラッシュミキサ式、池の深さ:5.69m、池数:4。
 ◈「フロック形成池」では、薬品を混ぜた原水をフロキュレータ(緩速攪拌装置)でかき混ぜ、フロック(細かな濁り、細菌の塊)ができる。連続して3台のフロキュレータの速さを変え、大きなフロックをつくる。
 撹拌方式 :フロキュレータ式、池の深さ:3.9m、池数:4。
 ◈「薬品沈殿池」では、大きくなったフロックは重いため池底に沈殿する。フロックは池底の掻寄機で寄せられ下水道へ送られる。
 池沈殿方式: 傾斜板横流式、有効容量:2340㎥、池の大きさ:幅19.8m×長さ22.2m、池の深さ:5.6m、池数:4。 
 ◈「中間塩素混和井沈殿池」では、次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)を混ぜる。
中間塩素混和井:有効容量 :343㎥、池の深さ: 4.8m、池の数 :1。
 ◈「急速濾過池」では、砂(厚さ70cm)と砂利(厚さ20cm)層に水を通している。急速濾過池では、砂と砂利の目詰まりを防ぐため2日に1回洗浄している。
 急速濾過池の面積:130㎡、砂面上水深:1.82m、標準濾過過速度: 135m/日、池数:14。
 ◈「後塩素混和井」では、次亜塩素酸ナトリウムを注入して殺菌する。
 後塩素混和井の有効容量:265㎥、池の深さ:4.0m、池数: 2。
 ◈「送水ポンプ室」では、塩素(Cl)消毒し、水道水を送水ポンプで浄水場内の高所の配水池に送る。
 送水ポンプ最高区: 4台、高区:4台。
 ◈「配水池」では、塩素を均一化し、上水の品質を管理する。水道水は3区域(最高区、高区、低区)に分けられ、各配水池から配水管を通して市内区域へ自然流下で送る。
 配水池の容量:最高区配水池:1万㎥、高区配水池:2万9000㎥、低区配水池:2万㎥。
◆歌碑 近代の歌人・思想家・与謝野(鳳)晶子(1878-1942)の歌碑が敷地内に立つ。自然石に自筆で、「御目ざめ 鐘は知恩院聖護院 いでてみたまえ紫の水」(歌集『夢之華』1906年)と刻まれている。1954年11月に除幕された。
 かつて、粟田山山麓、現在の浄水場敷地内に旅館「辻野」があった。1901年1月に歌人・与謝野寛(鉄幹、1873-1935)と晶子は投宿し、晶子はその際に詠んだ。
 1900年8月に、晶子は来阪した寛と北浜・平井旅館で初めて会う。堺浜寺・寿命館で催された歌会には、晶子、寛、僧・歌人・河野鉄南(1874-1940)、歌人・山川登美子(1879-1909)が参加した。11月に、晶子、寛、登美子の3人は京都・栗田山麓の永観寺に宿をとる。
 1901年1月に寛と晶子は旅館「辻野」に2人だけで投宿した。1901年6月に、晶子は上京している。8月、歌集『みだれ髪』が刊行される。9月、寛は妻・林滝野と離婚し、10月、寛は晶子と再婚している。
 登美子は、鉄幹を慕っていた。晶子、寛の結婚後、1901年に父の勧めた縁組に従い結婚した。翌1902年に夫は病没した。1909年に登美子自身も夫から感染した結核が元で、若狭の生家で死去している。
 1940年11月に、辻野は浄水場用地として買収されている。
◆年間行事 「蹴上のつつじ」蹴上浄水場一般公開(4,800本のつつじ)(5月3日-5日)。


通常は非公開
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
❊年間行事は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
参考文献・資料 ウェブサイト「上下水道局水道部蹴上浄水場」、『琵琶湖疏水の散歩道』、『京都の赤レンガ』、『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、『京都市の近代化遺産 産業遺産編』、『京都大事典』、『琵琶湖疏水 指導資料集』、ウェブサイト「日刊建設工業新聞 2015年8月17日」、ウェブサイト「わが国浄水技術の軌跡-水道機工株式会社」、ウェブサイト「与謝野晶子倶楽部」、琵琶湖疏水記念館、ウェブサイト「山川登美子記念館」、ウェブサイト「コトバンク」


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