九条山浄水場ポンプ室・御所水道 (京都市山科区)  
Kujoyama water plant pump well
九条山浄水場ポンプ室・御所水道 九条山浄水場ポンプ室・御所水道 
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正面玄関


ポーチ


ドーマー


テラス


【参照】琵琶湖疏水記念館展示模型より


【参照】琵琶湖疏水記念館展示模型より


【参照】琵琶湖疏水記念館展示模型より


第2琵琶湖疏水




合流トンネル西口洞門


【参照】御所水道45°鉄管(京都市上下水道局蔵)、琵琶湖疏水記念館の屋外展示物より


【参照】御所水道の鉄管(1910年)、琵琶湖疏水記念館の展示物より


【参照】「御所消火栓設置之図」(1910年頃)、琵琶湖疏水記念館の展示物より


【参照】1912年の京都御所紫宸殿前での消火栓、通水テスト、琵琶湖疏水記念館の展示パネルより


【参照】建春門前の敷設工事の様子(1911年)、琵琶湖疏水記念館の展示パネルより


【参照】御所水道量水器(1911年)、琵琶湖疏水記念館の展示物より


【参照】大日山貯水池、琵琶湖疏水記念館展示模型より
 第2琵琶湖疏水の京都側第3トンネル(合流トンネル西口洞門)出口付近に、九条山浄水場ポンプ室(くじょうやま-じょうすいじょう-ぽんぷしつ)がある。御所水道ポンプ室、大日山水源池喞筒(そくとう)室などとも呼ばれた。かつて、京都御所に防火用水を送水するための施設だった。
 設計は宮廷建築家の近代の建築家・片山東熊、山本直三郎による。
◆歴史年表 近代、1890年、9月、御所用水路工事が着工になる。
 1893年、7月、御所用水路工事が落成した。
 1912年、5月、九条山浄水場ポンプ室は竣工した。 
 現代、1947年、宮内庁御所用水から京都市水道局九条山浄水場に譲渡された。
 2020年、4月、国登録有形文化財に登録される。
◆片山東熊 近代の建築家・片山東熊(かたやま-とうくま、1853-1917)。長門国(山口県)萩生まれ。父は文左、母はハル。1867年、奇兵隊に入隊した。1868年、戊辰戦争に従軍する。1873年、工部大学校造家学科(現・東京大学工学部)に第1期生として入学した。1879年、第1等の成績で卒業し、工部省営繕課技手、その後、太政官、外務省に入る。1881年、イギリスの建築家・ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)の設計助手として、有栖川宮邸建築掛になる。1882年、有栖川宮熾仁親王とともに宮廷建築を欧州視察した。1886年、皇居御造営事務局になる。1886-1887年、宮殿装飾調査のためにドイツへ出張する。1887年、山県有朋の知遇を得て、宮内省匠師になる。1889年、 宮内省内匠寮匠師に昇進した。1897年-1898年、東宮御所建設のために欧米視察した。1898年、東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)御造営事務局技監に任じられる。1904年、宮内省内匠頭に昇進した。1908年、東宮御所が竣工する。1912年、第122代・明治天皇葬祭場などの建設に関わる。1914年、桃山御陵を造営した。1915年、退官する。1916年、勲1等旭日大綬章を受賞した。64歳。
 西欧宮殿の様式を移植し、多くの宮廷建築を手掛けた。ネオ・ルネサンス、ネオ・バロック様式を基調にする。主な作品には、新宿御苑御休所(1888)(重文)、日赤病院(1890)、帝国奈良博物館(1894)(重文)、帝国京都博物館(1895)(重文)、旧東宮御所(1906、赤坂離宮、現・迎賓館)(国宝)、鳥取・仁風閣(1907)(重文)、東京国立博物館表慶館(1909) 、ほかに明治天皇の陵墓設営、貴族邸館などがある。
◆山本直三郎 近代の土木技術者・山本直三郎(やまもと-なおさぶろう、1869- 1944) 。兵庫県生まれ。1892年、内匠寮雇になり、1898年、内匠寮技手になる。東宮御所御造営局技手を兼任した。現業課に勤務した。1901年-1902年、米国に出張する。片山東熊に随行し渡欧した。1903年、内匠寮技師になり、御造営局御用掛を兼務した。1912年、大日山水源池聊筒所工事、九条山浄水場ポンプ室の設計をした。1914年、武庫離宮土木工事の設計・監督をした。1921年、退官する。75歳。
 墓は青山霊園(東京)にある。
◆建築 九条山浄水場ポンプ室は、近代、1900年に田邊朔郎の指導の下で立案され、1912年に竣工した。第2琵琶湖疏水の京都側の第3トンネル出口の北西側に建てられている。設計は宮内省内匠寮(片山東熊・山本直三郎)による産業施設になる。京都市の登録有形文化財に指定された。2020年4月に、国登録有形文化財に登録された。
 東面している。ネオ・ルネサンス建築になる。かつて「御所水道ポンプ室」と呼ばれ、京都御所に防火用水(防火水道)を送水するためのポンプ室だった。疏水の水を背後の山に一端汲み上げ、御所に消火用水を送った。このため、京都御所の紫宸殿の屋根上より高い位置にポンプ室が設けられた。
 北西に正面がある。疏水側にポーチ(ポーティコ)が開き、円柱、両側に階段を置く。オーダー付きバルコニーがある。第123代・大正天皇(1879-1926)の皇太子時代に、疏水を大津側から船により下る計画があった。このため、京都側で高官が出迎えるための施設でもあった。上部をアーチとした縦長窓がある。屋根は寄棟造で、各所にドーマー窓がある。隅は粗面仕上げの隅石の石積になる。
 煉瓦造、平屋建、スレート葺一部銅板葺、地下濾過施設付。間口18.1m、奥行き10.86m、建築面積182㎡。
◆御所水道 御所水道は、第1疏水・第2疏水の水を、京都御所の消火栓に送水する専用水路だった。田邊朔郎が設計し、宮内省が工事を行った。近代、1911年2月頃に御苑内の一部、清和院御門から京都府立療病院(現・京都府立医大付属病院)間の工事が行われている。6月頃までに鴨川筋荒神橋の下手での鉄管埋設工事、鴨東運河広道橋の水道橋仮設工事を経て、1912年5月に完成した。
 九条山麓のポンプ室から、30m上にある大日山貯水池(直径23.4m、水深3.6m)2個に一端汲み上げる。ポンプは渦巻ポンプ3台(200馬力、1台は予備)が設置されていた。貯水池の水面海抜は113.25mあり、京都御所の紫宸殿棟上との間に41.1mの落差があるため、消火栓の十分な水圧が得られた。総延長4.23kmあり、送水鉄管は「御所水道45°鉄管」と呼ばれ鉄管内径600㎜あった。京都御苑内の鉄管は、「宮」と浮彫されていた。御苑内の消火栓の数70カ所ほどあり、弁を開けると水圧で自動的に放水された。1912年5月14日に、京都御所紫宸殿前で消火栓の巡検、数水通水テストが行われ、放水は高さ21mに達し成功した。
 水道の経路は、蹴上船溜南に開閉弁があり、三条通、仁王門通、水道橋で疏水を横断し、岡崎道北上、丸太町、春日通西進、川端通北進、荒神橋手前で鴨川横断、河原町通北進、広小路西折れ、清和院御門、建春門東の弁室に至った。建春門の北側通用門下を通り御所内に引かれていた。 
 1947年に、宮内庁御所用水から京都市水道局九条山浄水場に譲渡されている。
 現在、琵琶湖疏水記念館に鉄管が保存されている。鉄管は、1910年製で京都御苑内に残されていた。
◆西口洞門 西口洞門は、近代、1888年に竣工した。設計は田邊朔郎、意匠は小原益知(ますとも)による。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都モダン建築の発見』、『京都の赤レンガ』、ウェブサイト「琵琶湖疏水記念館」、琵琶湖疏水記念館、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、ウェブサイト「京都市上下水道局」、『琵琶湖疏水の歴史散歩』、『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、『京都市の近代化遺産 産業遺産編』、『琵琶湖疏水記念館 常設展示目録』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 九条山浄水場ポンプ室  〒607-8492 山科区日ノ岡夷谷町17-5
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