琵琶湖疏水煉瓦工場跡 (京都市山科区)  
The ruins of brickyard(Lake Biwa Canal)
琵琶湖疏水煉瓦工場跡 琵琶湖疏水煉瓦工場跡
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「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」の石標


石造説明板


【参照】煉瓦工場、「琶湖疏水工事図巻」(田村宗立筆)、琵琶湖疏水記念館説明パネルより


【参照】煉瓦工場全体図、琵琶湖疏水記念館説明パネルより


煉瓦製造所で作られた煉瓦片


【参照】煉瓦、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】煉瓦の刻印、琵琶湖疏水記念館展示パネルより
 地下鉄京阪御陵駅2番出入口脇に、「琵琶湖疏水煉瓦工場跡(びわこそすいれんがこうじょうあと)」の石標、解説の石板が立てられている。
 この地には、近代に煉瓦製造工場「疏水用煉瓦製造所」があった。
◆歴史年表 近代、1886年、7月、疏水用煉瓦製造所が稼働する。 
 1889年、10月末、工場は閉鎖される。
 現代、1989年、11月、 京都市制・琵琶湖疏水工事竣工100周年記念として、京都洛東ライオンズクラブにより石標、石碑が立てられた。
◆菊田宗太郎 近代の技師・菊田宗太郎(?-?)。詳細不明。1886年-1889年、疏水用煉瓦製造所の技師として従事した。
◆煉瓦製造所 近代、1885年-1890年の琵琶湖疏水工事では、大量の煉瓦が必要だった。当時の京都に対応できる煉瓦製造工場はなかった。土木技師・田邉朔郎(1861-1944)の指示により、京都府は品質・経費なども考慮し、煉瓦工場新設を決定する。疏水用煉瓦製造所は、御陵村(原西町)一帯に設けられる。現在の三条通(府道143号線)を横断していた。この地は、原料の採取、製品運搬に便利なためだった。
 技師・菊田宗太郎(堺煉瓦工場工場長)が起用される。煉瓦製造所は、1886年7月-1889年10月末まで稼働した。製造所では、東野森野町の土を採用する。原料の土は簡易鉄道、大八車などで製造所に運び込まれた。1368万7000個の煉瓦を製造し、1073万600個が疏水工事に使用された。
 製造所敷地13471坪(44.5㎡)、工場10棟、窯場3棟、登窯12カ所、煙突8基。
◆煉瓦 石碑の前には、煉瓦製造所で造された赤煉瓦7個も展示されている。疏水工事に使用された煉瓦には「疏1」などの刻印があった。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都洛東ライオンズクラブの説明板、琵琶湖疏水記念館、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『山科の歴史を歩く』、『山科事典』、『びわ湖疏水 探求紀行 産業遺産編』、琵琶湖疏水記念館


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 琵琶湖疏水煉瓦工場跡 〒607-8424 京都市山科区御陵原西町,地下鉄京阪御陵駅入口
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