ねじりまんぽ (煉瓦造斜アーチ橋) (京都市東山区)  
Skew arch bridge
ねじりまんぽ (煉瓦造斜アーチ橋) ねじりまんぽ (煉瓦造斜アーチ橋)
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ねじりまんぽ、南西口




南西口


南西口


南西口、陶額「雄観奇想」




【参照】陶額「雄観奇想」、琵琶湖疏水記念館 展示品より


南西口


南西口


南西口


南西口、外壁


南西口、外壁


南西口、橋台角部分


南西口


内壁、北東から


内壁


内壁、側面周辺

内壁、天井周辺


内壁、アーチ末端、迫受石、最下部のアーチ


内壁、アーチ末端、迫受石、最下部のアーチ


内壁


内壁


北東口


北東口、陶額「陽気発処」



北東口


北東口


北東口


北東口、煉瓦


北東口、煉瓦「疏14」の刻印


北東口、煉瓦「+」の刻印


蹴上インクライン
 蹴上(けあげ)の三条通から南禅寺に向かう道筋に、煉瓦造の小さな人道トンネルがある。通称は「ねじりまんぽ」と呼ばれている。
 ねじりまんぽとは斜アーチ橋であり、上の蹴上インクライン軌道と斜交している。
◆歴史年表 近代、1887年、9月、ねじりまんぽが着工される。
 1888年、6月、竣工した。
◆ランキン 近代のイギリスの工学者・物理学者・ランキン(William John Macquorn Rankine,1820-1872)。イギリスのエジンバラ生まれ。父はカレドニア鉄道の技術者だった。1836年、エジンバラ大学に入学する。卒業後、技術者・J.マクニールの下で働き、測量、鉄道工事に従事した。1838年から、アイルランドで土木工事に従事する。1842年、独立した。1840年代、熱力学の基礎を打ち立てる。1840年代後半から、数理物理学についても研究した。1851年、ランキン・サイクル(蒸気原動所の最も基本的な蒸気サイクル)を考案した。1853年、ロイヤル・ソサエティ会員になる。1855年、グラスゴー大学で土木工学を講じた。「エネルギー」概念を一般的に把握する見方を提唱した。エネルギー保存の法則の発見などに貢献した。著『応用力学便覧務』『土木工学便覧」など。52歳。
 材料力学、弾性学、波動理論、推進器、船の輪郭、流線なども研究した。工学の教科書を著した。1886年に『蘭均(ランキン)氏汽機学』は邦訳され、工部大学校で使用された。弟子・ヘンリー・ダイアー(Henry Dyer,1848-1918)は日本の近代的工学教育の導入に尽力している。
◆北垣国道 近代の官僚・北垣国道(きたがき-くにみち、1836-1916)。号は静屋。鳥取藩郷士・北垣三郎左衛門の子。1847年、碩学家・池田草庵の「青渓書院」で漢学を学ぶ。1863年、攘夷派の平野国臣らによる生野の変に加わり失敗する。1864年、長州藩士として功を遂げた。1866年、長州藩「明倫館」で兵学を学ぶ。戊辰戦争(1868-1869)に参軍し、会津討伐で戦功をあげた。久美浜代官支配地で執政を行う。維新後、1869年、弾正少巡察、大巡察を歴任した。1870年、函館に出張し、樺太を巡回した。1871年、北海道開拓使7等に出仕する。1874年、鳥取県の少参事、1877年、熊本県大書記官、1879年-1881年、第4代・高知県令、1879-1880年、第7代・第8代・徳島県令を兼任した。1881年-1892年、11年にわたり第3代・京都府知事を務めた。京都商工会議所設立を認可し、琵琶湖疏水事業を勧めた。内務次官になる。1890年、琵琶湖疏水工事が完成する。1892年、第4代・北海道庁長官になる。1896年、退任し、拓殖務次官になる。男爵に叙せられた。1899年、貴族院議員、1912年、枢密顧問官を務めた。京都市の自邸で亡くなる。81歳。
 
墓は金戒光明寺(左京区)にある。
◆帯山与兵衛 近代の陶工・9代・帯山与兵衛(たいざん-よへえ、1856-1922)。旧姓は清水竜三郎。3代・清水九兵衛の次男。京都の生まれ。1878年、帯山家の養子になり9代を継ぐ。錦光山(きんこうざん)家、安田家とともに陶器の海外輸出を進めた。1894年、粟田口窯を廃し、八幡に南山焼を興したという。 67歳。
 粟田口焼を代表する窯屋として、装飾性の豊かな色絵陶器を製作し、京薩摩と呼ばれた。各国の万国博覧会で受賞した。
◆ねじりまんぽ 蹴上インクライン軌道の中間付近下に、煉瓦造斜アーチ橋(ねじりまんぽ)がある。南西から北東方向に掘られている。トンネルではなく、実際には、インクラインが上を通っているため橋梁の一種になる。三条通から南禅寺に向かう道路の造成に伴い、近代、1887年9月26日に着工し、1888年6月に竣工した。日本において、鉄道事業者以外が建設した斜アーチ橋の唯一例になる。
 橋は、「ねじりまんぽ」と呼ばれている。鉄道敷設下のトンネル状の構造物を意味した。語源については分かっていない。「ねじり」は「捻じり」、「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉という。
 旧国鉄では小規模橋梁(径間1m未満)として、下が道路として使われたものを「架道橋」、「架道拱渠(きょうきょ)」とも呼んだ。拱渠とは、構造力学的にはアーチ(拱)の構造物になる。このため、「斜拱渠」、「斜アーチ斜拱渠」、「煉瓦斜架拱」などとも呼ばれた。
 工法は、線路とトンネルが直交ではなく、斜交して掘られている場合に限られている。橋が、上部に敷設された軌道の荷重に耐え、煉瓦の剥離回避のために、内壁煉瓦は斜め(螺旋状)に巻かれた。ただ、実際の煉瓦は、長手積の煉瓦を角度を付けて斜め方向に積んでおり、捻じった煉瓦などは使用していない。斜めに積まれた起拱角は一定であり、線路とトンネルの交差角(斜架角、斜交角)が急なほど、煉瓦も急角度を付けて積まれた。
 斜アーチ橋では、内部に発生した軸力(接線方向応力)は、すべて両側の橋台(側壁)部分に伝達されることで強度を確保している。もしも、通常の水平の積み方である粗積造(そせきぞう)にすると、アーチ両端部の坑口付近で軸力が片側にしか伝達されない。このため、強度上の脆弱性が生じてしまう。
 内壁のアーチ末端の煉瓦と南北両下部の迫受石は面一(ツライチ、二面が同一平面)に仕上げている。この部分は、小規模の煉瓦造アーチがやや迫り出し、連続して組まれている。捻じりはなく、通常の水平方向の粗積造アーチになっており、イギリス積(煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む)になっている。外壁はイギリス積、長手だけの長手積などに組まれている。
 基礎は石造、ほかは煉瓦巻。高さ3.03m、幅2.58m、長さ18m、最下部の起拱角15°、長手煉瓦の大きさ縦5.5㎝、横22㎝。
◆工法の歴史 煉瓦造斜アーチ橋(ねじりまんぽ)は、イギリスに多く、フランスなどにも存在する。工法は、運河技術者によって発明されたとも、ルネサンス時代のイタリアで発明されたともいう。鉄道用最古の斜アーチ橋としては、近代、1829年にイギリスのマンチェスター西にあるレインヒル駅構内に石造積の橋が完成している。
 なお、同年に蒸気機関車競走が催され、スティーブンソン父子が製作した「ロケット号」が優勝している。翌1930年には、世界最初の蒸気動力のみによる公共鉄道、マンチェスター・リバプール鉄道が開通している。
 斜アーチ橋の工法は、日本にも鉄道技術とともに導入された。施工例は全国に見られ特に関西に多い。日本の最古の例は、1874年開業の大阪-神戸間の路線であり、イギリス人技師がもたらし指導した。関西で多く見られるのは、近代以降に関西で、鉄道用煉瓦製造が盛んに行われていた。水田を横切る線路敷設に伴い、多くの用水路と交差する斜アーチ橋が必要とされた点にある。
 イギリス人の工学者・物理学者・ランキンが叙述したものの翻訳書、『蘭均(ランキン)氏土木学』(訳・水野行敏、1880年)にも斜アーチ橋が記載されている。「斜歪弯曲窿(しゃわんきょくきょくりゅう)」として記され、工部大学校の教科書として使用された。琵琶湖疏水を設計・工事した田邊朔郎(1861-1944)もこの本で学んだという。
 工部大学校とは、近代、1877年に工部省工学寮を改称して設立された。1885年に工部省廃止とともに文部省へ移管され、1886年、帝国大学設置に際し、東京大学工芸学部と合併し、帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)になった。
 田邊は、工法を蹴上で実地に試したと見られている。なお、設計法としては、螺旋法、対数法、牛角法の3種があり、螺旋法が一般的だったという。
 その後、斜アーチ橋は、コンクリート造に取って代わられる。老朽化、廃線により多くが撤去されたものの、まだ全国に複数の斜アーチ橋が残されている。
語源 ◈「ねじりまんぽ」は、鉄道敷設下のトンネル状の構造物を意味する。一部に農業用水路の地下水路(カナート,qanat)の呼称としても使用されていた。
 語源については分かっていない。諸説あり、外来語に由来するというもの、鉱山坑道の古語「まぶ」、英語の「マンホール(Мanhole)」に由来するともいう。
 ◈近現代の小説家・谷崎潤一郎(1886-1965)は、『細雪』(1943-1948)中で、女中・お春に「ねじりまんぽ」を「マンボウ」と語らせた。関西の古言として、トンネルの短いもの、ガードを意味したと解説している。小説中の「マンボウ」は、東海道本線の西宮-夙川間の平松暗渠を指しているという。
 谷崎は「マンボウ」の語源をオランダ語の「マンプウ(Мanpoo)」にあるとした。ただ、確認されていない。日本では「まんぷー」、「まんぶー」、「まんぼー」、「まんぷ」などに転訛したともしている。
 ◈「ねじりまんぽ」は関西、中部地方の方言に多い。「まんぽ」(京都府・三重県・福井県・石川県)、「まんぷ」(京都府・福井県)、「まんぼう」(滋賀県・奈良県・長野県・静岡県)、「まんぼり」(奈良県)、ほかにも「まんぷう」、「まんぽう」などの例がある。
◆扁額 ◈ねじりまんぽの南西口に、石額(扁額)「雄観奇想(ゆうかんきそう)」が掲げられている。出典は不明。
 「見事な眺めと優れた考え」を意味している。北垣国道筆による。粟田焼陶工・9代・帯山与兵衛(1856-1922)作の陶額になる。
 ◈ねじりまんぽの北東口には、「陽気発処(ようきはっするところ)」がある。南宋の朱熹(しゅき、1130-1200)の『朱子語類』による。
 「陽気発するところ金石もまた透ける/前向きの原動力は輝きを得て必ず成し遂げられる」の意味になる。同じく北垣国道筆、帯山与兵衛作の陶額になる。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の駒札、『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の歴史散歩』、『関西鉄道遺産』、『鉄道と煉瓦 その歴史とデザイン』、『鉄道構造物探検』、『琵琶湖疏水記念館 常設展示図録』、琵琶湖疏水記念館、ウェブサイト「コトバンク」


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map ねじりまんぽ(煉瓦造斜アーチ橋) 〒605-0044 京都市東山区東小物座町
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