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蹴上インクライン (京都市左京区) Keage incline |
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蹴上インクライン | 蹴上インクライン |
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![]() インクライン ![]() ![]() インクライン ![]() ![]() ![]() ![]() 【参照】イギリスバーロウ社製のレール2.24m(1887年 )、琵琶湖疏水記念館展示物より ![]() ![]() 廃止された市電の敷石の再利用 ![]() 途中の台車、30石船 ![]() インクライン頂部の蹴上舟溜 ![]() 蹴上舟溜、台車 ![]() 蹴上舟溜、台車 ![]() 蹴上舟溜、台車 ![]() ![]() ![]() 蹴上舟溜、水中滑車 ![]() 【参照】インクライン、手前が南禅寺舟溜、琵琶湖疏水記念館展示模型より ![]() 【参照】インクラインのレール、縄受滑車、ワイヤーロープ、琵琶湖疏水記念館展示模型より ![]() 【参照】台車、琵琶湖疏水記念館展示模型より ![]() 【参照】疏水船、琵琶湖疏水記念館展示模型より ![]() 【参照】疏水船の運搬船用鑑札(1942年頃)、琵琶湖疏水記念館展示物より ![]() 【参照】船に付けた前照灯(年代不詳)、琵琶湖疏水記念館展示物より ![]() ![]() 【参照】蹴上インクライン(年代不詳)、琵琶湖疏水記念館の説明板より ![]() 【参照】蹴上インクライン(1940年頃)、琵琶湖疏水記念館の説明板より ![]() 【参照】インクライン(右)と水圧鉄管(1893年頃)、関西電力株式会社の説明板より ![]() 踏切 ![]() 第2琵琶湖疏水 ![]() ![]() ![]() 南禅寺舟溜、京都市動物園 ![]() 旧ドラム室(現・京都市動物園の施設の一部) ![]() 旧ドラム室の開口部 ![]() 旧ドラム室 ![]() 旧ドラム室、ドラム、電動モーター ![]() 旧ドラム室、電動モーター ![]() 旧ドラム室、電気系統 ![]() 【参照】南禅寺舟溜、インクライン(年代不詳)、京都市上下水道局の説明板より ![]() 【参照】南禅寺舟溜、インクライン(1907年)、国立国会図書館所蔵写真帳、京都市上下水道局の説明板より |
琵琶湖疏水に蹴上インクライン跡(けあげ-いんくらいん)がある。インクラインとは、船運を運んだ傾斜鉄道だった。蹴上インクラインは電動式としては日本最長だった。 一帯は、国の史跡として整備され、インクラインの一部設備は静態保存されている。インクライン跡沿いには桜並木、ツツジなどが植えられ名所になっている。 ◆歴史年表 近代、1887年、5月、インクラインが着工する。 1889年、4月、土木工事が完工した。10月、レール敷設が着工した。 1890年、1月、インクラインが完成した。 1891年、7月、運輸船第1号が運航した。11月、運転開始される。12月、営業開始する。 1892年、機械室(ドラム室)が南禅寺舟溜(インクライン下)に移転した。 1902年頃、最盛期を迎える。 1908年、疏水舟の船運量14万6000tになる。 現代、1948年、11月、インクラインが稼動中止になる。 1960年、3月、電気設備も撤去された。 1975年、史跡公園に準じられる。 1973年、山ノ内浄水場の送水管埋設工事のためレールも撤去された。 1976年、12月、産業遺産として保存するため形態保存工事が始まる。 1977年、4月、形態保存工事が終わる。5月、完成式が行われた。 1996年、蹴上インクライン、水路閣など琵琶湖疏水に関する12カ所が、近代遺産として国の史跡に指定された。 2018年、蹴上インクラインの旧ドラム室(南禅寺舟溜、現・京都市動物園施設の一部)が一般公開された。 ◆インクライン 蹴上インクラインは、近代、1887年5月に着工し、1890年1月に完工した。1891年11月より運転開始され、12月に営業開始した。 インクライン(incline)とは傾斜鉄道、勾配(こうばい)鉄道とも呼ばれた。標高差のある2つの水路間輸送のための陸送装置だった。傾斜面にレールを敷き、動力によりワイヤロープで、船・貨物などを載せた艇架台(台車)を牽引し昇降させた。 蹴上にインクラインが計画されたのは、この区間が急勾配(15分の1)のため、船での往来ができなかったことによる。アメリカ合衆国ニュージャージー州モーリス運河のインクラインの例に倣った。インクラインという陸送になると、舟溜に到着した船は、水中まで敷かれたレール上を進み、下の台車に固定された。旅客、貨物を乗替、積替することなくそのまま運航させることができた。 蹴上インクライン工事では、第3トンネルを掘削した土砂を埋め立てて造られた。工費は4万4000円だった。頂部(南東)の蹴上舟溜と下部(北西)の南禅寺舟溜間の坂(延長581.8m、地幅22m、上幅7.5m、落差36.4m、勾配15分の1)を、艇架台(4輪付台車)に高瀬舟(三十石船)を載せるドライ式を採用した。艇架台は当初は木製であり、後に鉄枠になる。当初、ドラム(滑車)巻上機の動力源として水車動力(20馬力、15kW)を予定した。水車場内のウインチ(巻上機)と水中滑車を回転させ、ワイヤーロープに繋いだ軌道上の台車を牽引させる計画だった。 1888年に土木技術者・工学者・田邊朔郎(1861-1944)、実業家・高木文平(1843-1910)の調査委員は、アメリカ合衆国コロラド州アスペンの銀山を視察し、蹴上での水力発電導入を決定する。1891年11月に蹴上発電所が送電開始したため、インクラインの動力源も電力に設計変更される。電動機によるワイヤーロープ牽引になった。 両勾配式であり、複線で軌間(軌条[レール]間隔)は2.6mだった。ドラム(巻上機)(直径3.6m)は当初、頂部の蹴上舟溜の上(煉瓦造平屋、6間四方、120㎡)に建てられた。1892年/1893年に下部の南禅寺舟溜北側の建物(京都市動物園休憩所下に現存)に移転され改造されている。ドラムを35馬力(25kW)の直流電動機(440V、70A)で回転させ、ワイヤーロープ3.5インチ(直径3㎝、周囲8.9㎝)を巻上て運転した。蹴上舟溜の水中部では、水中滑車は大(直径10フィート6インチ(3.2m)、6フィート(1.8m)、4フィート(1.2m)を水平に設置した。蹴上舟溜に中、小、南禅寺舟溜に大が設置されていた。 レール(平底型)は当初、イギリス式のものをアメリカ合衆国から輸入した。現在もレールに「BARROW STEEL Mo 1887 272 ISR STEEL 75LB」の銘が入っている。イギリスバーロウ社の1887年6月製造の鋼製75ポンド(lbs、34㎏)レールが使用された。日本最古の75ポンドレールになる。なお、当時の一般鉄道では60ポンド(27.2㎏)レールが使用されていた。 軌道中心には縄受滑車(直径60.6㎝)を9m間隔で設置し、ワイヤーロープが地面で擦れるのを防いだ。艇架台は軌道上を76㎝/sec、1.52m/secで運転され、10-15分で上下させることができた。 琵琶湖疏水の完成により、大津、京都、伏見、大阪間の舟運が確立する。1891年-1951年に、旅客、貨物(近江米など)を運んでいる。1902年頃の最盛期には、貨物船14600隻、旅客船21000隻、年間20万人の旅客を運んだ。1911年に渡航客13万人になる。その後、鉄道の開業などで廃れ、1915年に3万人台に激減する。1921年には国鉄東海道本線の東山トンネルが開通し、山科駅が開設されている。1925年に京阪電気鉄道京津線が全線開通する。この年、貨物は22.3万t、1日150隻の運航があった。その後、貨物の陸送も進み、1948年11月に稼働休止になる。1951年9月に30石船が砂を運搬したのがインクライン稼働の最後になった。 1973年に、山ノ内浄水場の送水管埋設工事のためレールも撤去された。地下鉄東西線工事では、レールの4分の3が撤去されたという。5カ国6製造会社のレールが含まれていた。 1996年に、インクライン、水路閣など12カ所が通産省の近代遺産として国の史跡に指定された。 なお、1894年に伏見インクラインが完成している。墨染発電所(伏見区)付近の墨染と伏見城外堀跡間に設置されていた。 ◆疏水船 ◈疏水を利用し伏見-大津間の運輸船、遊覧船が運航した。木造の船は、船頭が舵を取った。大津に向かう上りの際には、水路沿いに人力で船を牽引した。 明治期(1868-1912)には、遊覧船が蹴上-大津間で運行する。トンネルに入ると舳先に石油カンテラを灯し、船中央には提灯を下げて明りを取った。トンネルの両側には綱が渡してあり、船頭は暗がりで綱を手繰り寄せて船を進めていた。 ◈第1疏水の運輸船は五十石積(料金50銭)、三十石積(30銭)、十石があった。第1トンネル、第3トンネル内では舳先に前照灯(石油カンテラ)を灯すことが決められていた。夜間の運航もあった。船は京都市の許可を得て、船の後ろに鑑札をを掲げ、疏水中央を航行する決まりになっていた。 船便の最盛期は1916年-1931年だった。大津から京都への船便として米(玄米、白米)が最も多く、野菜、煉瓦、石材もあった。夷川舟溜、鴨川運河沿いには精米用の水車小屋が建ち並んでいた。 京都から大津への船便は、糠が多かった。 ◆復元 蹴上インクラインの廃止後、跡地は荒廃する。地元の人々が「蹴上インクラインを復興する会」を結成し、京都市に対し復元を働きかけた。 1976年12月に、産業遺産として保存するための形態保存工事が始まる。1977年4月に工事が終わり、5月に完成式が催されている。 インクライン跡の坂道(582m)に複線レールを敷設し、廃止された市電の敷石が敷かれて整備される。台車も設置され、30石船が載せられた。桜も植えられ、16代・佐野藤右衛門が管理した。ツツジも植えられ、南禅寺舟溜付近には大田ノ沢(北区)のカキツバタの種も蒔かれ、育成された。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 京都市水道局の説明板、琵琶湖疏水記念館、『京都大事典』、『琵琶湖疏水の散歩道』、『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、『びわ湖疏水探求紀行 インクライン編』、『びわ湖疏水探求紀行 産業遺産編』、『びわ湖疏水探求紀行 疏水船編』、『琵琶湖疏水記念館 常設展示目録』、関西電力株式会社、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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