南禅院〔南禅寺別院〕 (京都市左京区)
Nanzen-in Temple
南禅院 南禅院
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勅使門


「史跡及名勝 南禅院庭園」











シャクナゲ





方丈


方丈


方丈


方丈


亀山天皇分骨所


茶室「龍淵窟」


狩野派の襖絵


方丈西の枯山水の庭







方丈南の池泉廻遊式庭園







一山国師塔 



【参照】大宮院姑子粟田山陵
 南禅院(なんぜんいん)は、南禅寺境内、琵琶湖疏水分線が流れる水路閣近くに建つ。この地は南禅寺発祥の地になった。庭園は、京都の三名勝史蹟庭園(ほかに天竜寺庭園、苔寺庭園)の一つに数えられる。 
 臨済宗南禅寺派。南禅寺別院。
◆歴史年表 この地には、かつて園城寺別院・最勝院があったという。
 鎌倉時代、文永年間(1264-1275)、この地に亀山上皇(第90代)が造営した離宮「松下殿」があった。上段の地になる。
 1272年、後嵯峨法皇(第88代)が没し、中宮・大宮院(姞子)は当寺に入寺した。初七日忌に落飾し法名を遍智覚と号した。
 1287年、御堂南禅院の供養を行う。(『勘仲記』)
 1289年、9月、亀山天皇はこの地で落飾する。
 その後、下の宮が禅寺になる。開山は、東福寺の大明国師(無関玄悟、1212-1292)による。
 第90代・後宇多天皇(在位:1274-1287)により、勅額を与えられる。京都五山の上に推された。
 1291年、南禅院と呼ばれるようになる。
 1292年、9月、後嵯峨天皇の中宮・大宮院(藤原姞子)が亡くなり、境内南西の粟田山中(大宮院姑子粟田山陵)に葬られた。
 2世・南院国師(1261-1313)により、15年にわたり伽藍が建立、整備される。南院国師は創建開山と称されている。
 1305年、1月、亀山法皇が亡くなり、遺言により遺骨は分骨され南禅院に納められた。
 室町時代、1393年、焼失した。
 1420年、北山御所寝殿が移築され再興された。
 1447年、応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失する。その後、衰退する。
 その後、祟伝(1569-1633)により再建された。
 江戸時代、1703年、1702年とも、第5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院らにより、現在の書院などが再建されている。
 1705年、襖絵が完成する。
 
1862年-1863年、文久の修陵では、亀山天皇の分骨所である法華堂の修復に際し、西本願寺が費用を献じた。
◆亀山天皇 鎌倉時代の第90代・亀山天皇(かめやま-てんのう、1249-1305)。恒仁(つねひと)、禅林寺殿、文応皇帝。第88代・後嵯峨天皇の第3皇子、母は大宮院姞子(きつし)。1259年、大覚寺統最初の天皇として即位した。父・後嵯峨上皇が院政を敷く。1268年、後深草天皇(持明院統)皇子を差し置いて、亀山天皇(大覚寺統)皇子の世仁(よひと)親王(第91代・後宇多天皇)が皇太子に立つ。1274年、後宇多天皇に譲位し、上皇として院政を執る。文永の役(モンゴル襲来)が起こる。1281年、弘安の役(モンゴル襲来)が起こる。1283年、八条院を相続した。1287年、第92代・伏見天皇(持明院統)が即位する。幕府は将軍に後深草天皇皇子・久明(ひさあき)親王(持明院統)を迎えた。1289年、伏見天皇の皇子・胤仁(たねひと)親王(第93代・後伏見天皇)が皇太子に立つ。9月8日、亀山上皇は、南禅院で突然剃髪し、金剛源と称した。禅宗に深く帰依し、1291年、離宮を禅寺とし南禅寺の起りになる。禅宗が公家社会に浸透する端緒になる。
 後嵯峨天皇は亀山天皇を寵愛した。亀山天皇は、兄・後深草天皇を措いて天皇親政を行い、大覚寺統(亀山系)と持明院統(後深草系)の対立が起こる。以後、幕府の計らいで、二統は交互に継承する。文永・弘安の役の国難では、伊勢神宮に祈願した。大覚寺統領の基礎を確立した。制符(禁止・制約する事柄を書いた文書)の制定、評定制を大改革する。和歌・漢詩文に優れ『弘安礼節』を制定、『続拾遺集』の選進を命じた。1305年、嵯峨・亀山殿で亡くなる。
 離宮・禅林寺殿に移り、1289年、落飾し、南禅寺を創建した。没後、山城亀山法華堂に葬られる。
 墓所は天龍寺境内に亀山陵(右京区)、亀山公園に火葬塚がある。遺詔により南禅院(左京区)に分骨所がある。
◆無関普門 鎌倉時代の臨済宗の僧・無関普門(むかん-ふもん、1212-1291)。仏心禅師。信濃国に生まれた。13歳で越後・正円寺で出家、剃髪。叔父の寂円に仕えた。19歳で上野国・長楽寺の栄朝から菩薩戒を受ける。関東、北越を遊歴し、東福寺開山・円爾(弁円)に参禅し、その法嗣。越後・華報寺を開創する。1251年、宋に渡り、荊叟如珏、浄慈寺の断橋妙倫の印可を受けた。1262年、帰国した。九州、京都、鎌倉、北越、越後、摂津など各地を歴住した。1281年、東福寺3世になる。1288年、亀山上皇(第90代)の離宮に出没した怪を降伏したとされる。1291年、南禅寺創建の際に、上皇に開山として招かれる。だが、病に罹り住坊の東福寺・龍吟庵に移る。上皇は禅師を見舞い、手づから薬湯を与えたが龍吟庵で亡くなった。遺骸は慧日山龍吟の岡に葬られる。龍吟庵は塔所になる。虎関師錬により南禅寺・天授庵も禅師の塔所として建立された。諡号は大明国師。
◆大宮院 鎌倉時代の第88代・後嵯峨天皇の中宮・大宮院(おおみやいん、1225-1292)。藤原姞子(きっし)。父は太政大臣・西園寺実氏(さねうじ)、母は准三宮貞子。1242年、入内し女御、立后中宮職につく。1243年、久仁親王(第89代・後深草天皇)を産む。1248年、院号を受け大宮院と称する。1249年、恒仁親王(第90代・亀山天皇)を産む。4皇子2皇女を産んだ。1272年、後嵯峨法皇が没し、南禅院に入寺し、初七日忌に落飾し法名を遍智覚という。法皇の没後、後深草上皇と亀山天皇が対立し、鎌倉幕府は大宮院に諮り、上皇遺詔として亀山天皇の親政を実現させた。以後、大覚寺・持明院の両統迭立になる。大宮院領として浄金剛院領など多くの荘園があった。大宮院の下命により撰された『風葉和歌集』がある。
 陵墓は南禅院境外南西に大宮院姑子粟田山陵(左京区)がある。
◆一山一寧 鎌倉時代末の臨済宗の僧・一山一寧(いっさん-いちねい、1247-1317)。元台州に生まれた。臨済禅大慧派下の無等慧融のもとで出家し、法明文節に天台を学ぶ。天童山・簡翁居敬、育王山・蔵叟善珍、東叟元愷、寂窓有照らに参じ、頑極行弥の法嗣。天童・環渓惟一、育王・横川如珙、清渓了げん、巧庵口祥に参じた。四明・祖印寺に住した。元は日本に入貢を求め、1299年、一山は元朝使節として弟子・石梁仁恭、西澗子曇を伴い日本に渡る。鎌倉幕府執権・北条貞時は一時、伊豆・修禅寺に幽閉する。その後、釈放され建長寺10世に迎えられた。1302年、円覚寺の住持兼任、後専任。眼を病み、建長寺杉谷の玉雲庵、浄智寺に移る。1313年、後宇多法皇の招きにより、南禅寺3世に任じられ、南禅寺で没した。建長寺・玉雲庵、南禅寺・大雲庵が塔所になる。
 朱子学をもたらし、五山文学、能書でも知られた。多くの弟子があり、一山派として高峰顕日、虎関師錬、雪村友梅、夢窓疎石など数多い。
 南禅院(左京区)境内に一山国師塔がある。
◆規庵祖円 鎌倉時代の臨済宗の僧・規庵祖円(きあん-そえん、1261-1313) 。通称は如鏡上人。信濃の生まれ。鎌倉・浄妙寺で出家した。鎌倉・建長寺の無学祖元に参じ、無学に従い円覚寺に移る。東福寺の無関普門(玄悟)に学び法を嗣ぐ。興国寺・無本覚心などに歴参した。1291年、無関が南禅寺の開山に迎えられ、その下で首座になる。1292年、普門の跡を継ぎ、京都・禅林寺(後の南禅寺)2世になり、堂宇を整備した。諡号は南院国師。著『南院国師語録』。
◆木像 ◈方丈内陣中央に、「亀山法皇坐像」(86.7㎝)(重文)が安置されている。南北朝時代初期(鎌倉時代とも)とみられる。
 法体で剃髪し、曲椂に坐した禅定印姿になる。写実的な描写がされている。衲衣に飛雲、袈裟に草花、金泥の瑞鳥の文様が描かれている。曲椂には、唐織りの錦(紺地に金襴、銀襴)が掛けられている。禅僧、頂相の天皇像の彫像としては初例とされている。
 木造、寄木造、彩色、玉眼入。
 ◈方丈内陣に「一山一寧坐像」(重文)が北向きに安置されている。鎌倉時代作になる。
◆建築 ◈「小方丈」(国宝)、「三門」、「勅使門」(重文)は桃山城の遺構という。
 ◈「大方丈」(国宝)は、安土・桃山時代、天正年間(1573-1585)に造営の清涼殿を、江戸時代、1611年に移築した。
 
◈「方丈」は、江戸時代、1703年に建立された。総檜、入母屋造、杮葺。
 ◈「書院」は、江戸時代、1703年に桂昌院により再建された。
 ◈「庫裡」「茶室」は、近代、大正期(191-1926)の建立による。
◆茶室 茶室「龍淵窟」は、庫裏、方丈と廊下でつながる。近代、大正期(1912-1926)の建立による。岡田永斎作による。
 広縁付七畳の書院風茶席であり、床柱に杉面皮・磨丸太、黒漆塗の床框、火灯窓の付いた出書院、釘隠し金物を打つ長押などが見られる。天井はやや高く竿縁天井、床は一部に落天井になる。
 控室(6畳)は、床の間、床脇、逆勝手向炉、仏壇も供える。物入(3畳)、廊下水屋、御殿風、入母屋造、杮(こけら)葺。
◆庭園 方丈の庭、方丈前庭の二つがある。鎌倉時代末期作庭の方丈の庭は、京都の「三名勝史蹟庭園」(ほかに天竜寺庭園、苔寺庭園)の一つに数えられる。
 楓の新緑、紅葉でも知られる。鎌倉時代に作庭された京都唯一の庭園といわれている。その後、夢窓国師(1275-1351)の手により完成された。少なくとも江戸時代、1790年代には現在のような形になったとみられている。作庭は亀山法皇ともいう。
 ◈「方丈の庭」は方丈の西より南にかけてあり、亀山法皇遺愛の池泉廻遊式庭園になる。離宮の面影を残しているといわれる。西池(下池)、南池(上池、曹源池)が矩形につながる。南の山は杉、檜などの深い樹林に包まれ、山畔を利用した上下二段構えの庭になる。当初、庭には上皇が好んだ吉野の桜、難波の葦、竜田の楓、住吉の松が移植され、井手の蛙も放たれていたという。
 東奥にある2段の滝口石組の龍門瀑(高さ2.5m)は、鎌倉時代の古式が残されている。滝には、琵琶湖疏水から水が引かれ、右に緩やかに迂回して流れ落ちる。滝は龍頭を象ったともいう。滝の上段に丸い鯉魚石が置かれ水を受ける。滝近くには坐禅石が据えられている。
 これらの枯滝石組、鯉魚石は、中国黄河中流域にある、龍門瀑の故事に由来する。龍門瀑は流れが激しく、滝を昇りきった鯉は天に昇り龍になるといわれた。禅ではそれにたとえ、厳しい修行の後に悟りを開き、仏になることを意味した。南宋からの渡来僧・鎌倉建長寺の蘭渓道隆(1213-1278)が日本に伝えたといわれている。
 滝の水は、龍の形に造られたという上池(曹源池)に注がれている。この曹源とは、「曹源一滴水」、正しい源から流れ出る真実の禅の意味という。自然の森を背景とし、中島は岩盤の露頭をそのまま利用した蓬莱島になる。中央の鶴島に立石(1.2m)が据えられ、蓬莱石になる。その右手に亀島も造られている。東の出島は鶴島遺構ともいう。
 さらに下池には、心字池ではなく心字島が造られている。3つの中島と出島で「心の字」を描いているという。池ではなく島の例は珍しい例とされている。蓬莱神仙の四島を配したともいう。
 ◈「方丈前庭」(名勝)は、方丈の西にある。江戸時代の茶人・建築家・作庭家・小堀遠州(1579-1647)による枯山水式庭園になる。南北の長形の庭面に白砂、苔地、楓の植栽などで構成されている。
◆文化財 亀山法皇の宸筆(しんぴつ)がある。
◆障壁画 ◈方丈の襖絵に「龍図・梅竹図」がある。江戸時代の狩野探幽(1602-1674)の甥・養朴(ようぼく)(常信、1636-1713)筆による。
 ◈「山水花鳥図」は、その子・如川(にょせん)(周信、1660-1728)、随川(ずいせん)(岑信、?-1745)による。
 ◈小方丈の襖絵は、室町時代の絵師・狩野元信(1476?-1559)、狩野永徳(1543-1590)、江戸時代の狩野探曲(1829-1866)による。
亀山天皇分骨所 境内の東の一角に、亀山天皇の分骨所として法華堂が建てられている。方形造になる。
 鎌倉時代、1305年9月15日、亀山天皇は亀山殿(右京区)で亡くなる。9月17日夜、後山(別院・薬草院後山)で火葬にされた。遺骨は、遺命により5つの青壺(青甕)に分割された。
 浄金剛院法華堂を本陵として2つ、蓮華峯寺八角円堂(後宇多天皇陵)に1つ、南禅寺(南禅院)に1つ、高野山・金剛峰寺に1つが分骨され納められた。(『増鏡』)。また、浄金剛院に3つ、南禅院1つ、金剛峰寺1つともいう。(『文応皇帝外記』)
◆陵墓 
◈境内に一山国師塔がある。
 ◈境外南西に、第88代・後嵯峨天皇中宮・大宮院姑子粟田山陵がある。北面している。
◆アニメ ◈アニメーション『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』(原作・和月伸宏、制作・スタジオぎゃろっぷ(第1話 - 第66話)・スタジオディーン(第67話 - 第94話)、1996年1月- 1998年9月、全94話)の舞台になった。エンディングに相良左之助、庭が登場する。
◆年間行事 写経会(毎月15日)(8月は休会)。

 
*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『古寺巡礼 京都 24 南禅寺』『旧版 古寺巡礼京都 12 南禅寺』『事典 日本の名僧』『庭を読み解く』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都の寺社505を歩く 上』『歴代天皇年号事典』『京の茶室 東山編』『禅僧とめぐる京の名庭』『京都 四季の庭園』『週刊 日本庭園をゆく 8 京都洛東の名庭 2 南禅寺 平安神宮 無鄰庵』『週刊 仏教新発見 26 南禅寺 天龍寺』『仏像めぐりの旅 4 京都 洛中・東山』『京都 四季の庭園』『週刊 京都を歩く 10 南禅寺周辺』『週刊 日本庭園をゆく 28 夢窓国師の庭』、ウェブサイト「文化庁 文化財データベース」、ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」


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南禅院  〒606-0000 京都市左京区南禅寺福地町  075-771-0365   8:40-17:00  8:40-16:30(12月-2月)
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