大宮院姑子粟田山陵 (京都市左京区)  
Imperial mausoleum of Empress Omiyain, Kisshi
大宮院姑子粟田山陵 大宮院姑子粟田山陵
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「粟田山陵 亀山天皇分骨所」の石標


粟田山陵


粟田山陵


粟田山陵


【参照】近くにある鐘楼
 南禅寺境内、南禅院の南西の、粟田山山中に大宮院姑子粟田山陵(おおみやいん きっし あわたやま の みささぎ)はある。
◆歴史年表
 鎌倉時代、1272 年、3月、後嵯峨法皇(第88代)が没した。中宮・大宮院は南禅院に入寺し、初七日忌に落飾し法名を遍智覚と号した。
 1292年、9月9日、大宮院は亡くなる。粟田山陵に葬られた。
◆大宮院 鎌倉時代の第88代・後嵯峨天皇の中宮・大宮院(おおみやいん、1225-1292)。藤原姞子(きつし)。父は太政大臣・西園寺実氏(さねうじ)、母は准三宮藤原貞子(ていし)。1242年、姞子と選定され、従三位に叙され「三位御方」と呼ばれた。入内し女御、立后中宮職につく。1243年、久仁(ひさひと)親王(第89代・後深草天皇)、恒尊(つねたか)親王を産む。1248年、院号を受け大宮院と称する。1249年、恒仁(つねひと)親王(第90代・亀山天皇)を産む。4皇子2皇女を生んだ。1272 年、後嵯峨法皇が没し、南禅院に入寺した。初七日忌に落飾し法名を遍智覚と称した。法皇の没後、後深草上皇と亀山天皇が対立する。鎌倉幕府は大宮院に諮り、大宮院は上皇遺詔として亀山天皇の親政を実現させた。以後、大覚寺・持明院の両統迭立になる。1285年、母・貞子の九十の賀を北山第で盛大に行う。
 大宮院の下命により撰された『風葉和歌集』がある。熊野、四天王寺、南都の社寺に参詣した。大宮院領として亀山殿、浄金剛院領など多くの荘園があった。2代の天皇の母であり、国母として畏敬される。孫・第91代・後宇多天皇がある。
 陵墓は南禅院境外南西に大宮院姑子粟田山陵(左京区)がある。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『歴代皇后125代総覧』『歴代皇后人物系譜総覧』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後嵯峨天皇皇后 姞子 粟田山陵 〒606-0000  京都市左京区南禅寺風呂山町86
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