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光雲寺 〔南禅寺〕 (京都市左京区) Koun-ji Temple |
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光雲寺 | 光雲寺 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 仏殿 ![]() 仏殿前の枯山水式庭園 ![]() 鐘楼 ![]() 玄関 ![]() ![]() ![]() 中庭 ![]() 庭園 ![]() 庭園 ![]() 庭園、7代・小川治兵衛の作風が見られる。 ![]() 庭園 ![]() 庭園、宝篋印塔 ![]() 庭園、瑪瑙(めのう)の手水鉢 ![]() 庭園 ![]() 庭園 ![]() 【参照】第109代・明正天皇(1629-1643)の御陵は境内の東にある。 ![]() 【参照】境内西にあるお堂 ![]() 【参照】境内北にある久邇宮家の御陵 |
哲学の道の西、東山の麓に南禅寺境外塔頭の光雲寺(こううん-じ)がある。南禅寺北ノ坊とも呼ばれる。山号は霊芝山(れいしざん)という。皇室とのゆかりが深い。旧久邇宮(くにのみや)家の菩提寺になる。 臨済宗南禅寺派。本尊は釈迦如来。 ◆歴史年表 鎌倉時代、1280年、大明国師(無関普門)を開山にする。当初は摂津国・四天王寺近くに建立された。律宗の寺だった。 その後、度重なる兵火により荒廃する。 江戸時代、1657年/寛文年間(1661-1673)、南禅寺の英中玄賢が再興した。臨済宗に改宗し、光雲安国禅寺と称した。 1664年、第108代・後水尾天皇、中宮・東福門院は英中に帰依する。その援助により、難波より現在地の「北ノ坊」に移転し再興された。本尊には、東福門院の念持仏の釈迦如来、観音菩薩を安置した。当時は5300坪(17520㎡)の広大な境内と七堂伽藍が建ち並び、50人以上の雲水が修行に励んだという。 第109代・明正天皇(1624-1696)は、梵鐘を鋳造し、祈願所にする。以来、歴代天皇の崇敬を集めた。 1675年、皇女・昭子(顕子)内親王の葬儀が執り行われる。内親王は、境内背後の墓所に葬られた。 後、東福門院(1607-1678)の菩提寺になる。 1799年、庭園が記されている。(『都林泉名勝図会』) 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、伽藍は破却され、境内も縮小した。 1927年、作庭家・小川治兵衛が作庭する。 現代、2004年以降、「南禅寺・禅センター」になる。 ◆無関 普門 鎌倉時代前期-後期の臨済宗の僧・無関 普門(むかん-ふもん、1212-1291)。男性。仏心禅師、諡号は大明国師。信濃国(長野県)に生まれた。13歳で越後・正円寺で出家、剃髪する。叔父の寂円に仕えた。19歳で上野国・長楽寺の栄朝から菩薩戒を受ける。関東、北越を遊歴し、東福寺開山・円爾(弁円)に参禅し、その法嗣になる。越後・華報寺を開創する。1251年、宋に渡り、荊叟如珏、浄慈寺の断橋妙倫の印可を受けた。 1262年、帰国した。九州、京都、鎌倉、北越、越後、摂津など各地を歴住した。1281年、東福寺3世になる。1288年、亀山上皇(第90代)の離宮に出没した怪を降伏したとされる。1291年、南禅寺創建の際に、上皇に開山として招かれる。だが、病に罹り住坊の東福寺・龍吟庵に移る。上皇は禅師を見舞い、手づから薬湯 を与えたが龍吟庵で亡くなった。遺骸は慧日山龍吟の岡に葬られる。龍吟庵は塔所になる。虎関師錬により南禅寺・天授庵も禅師の塔所として建立された。80歳。 ◆英中 玄賢 江戸時代前期の僧・英中 玄賢(1627-1695)。詳細不明。男性。南禅寺の第100代住持。1615年、光雲寺を再興した。68歳。 ◆東福門院 江戸時代前期の第108代・後水尾皇の中宮・東福門院(とうふくもんいん、1607-1678) 。女性。和子(かずこ/まさこ)。江戸の生まれ。父・2代将軍・徳川秀忠、母・浅井長政の3女・お江与(崇源院)の5女。祖父・家康は、幕府の朝廷懐柔策として和子の入内を、第107代・後陽成天皇に再三伝えた。1614年、入内は決定される。その後、大坂の陣、家康、後陽成天皇の死などで延期される。1620年、14歳で後水尾天皇の女御になる。同時に、武士・女御様御付役人が禁中に常駐する。1623年、一宮興子(おきこ)を産み、1624年、中宮になる。1629年、後水尾天皇は、興子内親王(第109代・明正天皇)に突然譲位し、それに伴い和子は院号宣下を受けた。後、第110代・後光明天皇(生母は壬生院)、第111代・後西天皇(生母は逢春門院)、第112代・霊元天皇(生母は新広義門院)の養母になる。 2皇子5皇女を産む。入内により禁裏の財政を支え、宮廷文化形成に貢献した。朝廷は幕府統制下に置かれる。京都で没した。72歳。 陵墓は月輪陵域(東山区)になる。 ◆7代・小川 治兵衛 江戸時代後期-近代の造園家・小川 治兵衛(おがわ-じへい、1860-1933)。男性。源之助。旧姓は山本。山城国(京都府)乙訓郡の庄屋・農家の生まれ。父・山本弥兵衛。1877年、岡崎の庭匠・小川家(「植治」「田芝屋」)の養子になる。6代に付く。遠州流を学ぶ。法然院・大定に薫陶を受けた。7代目治兵衛を継ぎ「植治(うえじ)」と称した。天才的と謳われ山県有朋、西園寺公望らの後援を得た。今日の「植治流」造園技術を確立する。74歳。 碧雲荘、無鄰庵、平安神宮神苑、清風荘、円山公園、京都国立博物館庭園、対龍山荘庭園など100あまりの庭園を手掛け、「植治の庭」と呼ばれた。京都御所、修学院離宮、桂離宮などの復元修景にも関わる。辞世は、「京都を昔ながらの山紫水明の都にかへさねばならぬ」だった。墓は佛光寺本廟(東山区)にある。 ◆仏像・木像 ◈本堂須弥壇に、東福門院から贈られた本尊の「釈迦如来坐像」、脇侍に「阿難(あなん)」、「迦葉(かしょう)」の二尊者を安置する。 ◈厨子内に納められた「聖観音菩薩坐像」は、東福門院の念持仏であり、長年秘仏にされてきた。鎌倉時代前期の仏師・運慶(?-1224)の作といわれ、端正な顔と、冠、向背にも繊細な透かしの彫刻が施されている。左手に蕾の蓮・未敷蓮華(みふのれんげ)を持つ。 厨子内天井に龍頭が残っている。 ◈須弥壇左には「大明国師」、中興の祖・「英中玄賢禅師木像」、右には「徳川家位牌」、木造「東福門院坐像」(京都市指定文化財)も安置されている。 ◈「弘誓(ぐぜい)観音像」が厨子内に納められている。足利尊氏(1305-1358)が所蔵したという。飛鳥時代の厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)作とも伝わる。「波乗り観音」ともいわれ小舟に乗り棹を立てている。 ◆建築 ◈「仏殿」は、江戸時代前期、1664年の現在地での創建時の建物になる。本堂と禅堂(坐禅道)を兼ねる。唐様、単層、裳階(もこし)付、入母屋造、本瓦葺。 ◈「鐘楼」、梵鐘は、江戸時代前期の第109代・明正天皇(1624-1696)の寄進による。 ◆庭園 方丈、客殿前に池泉廻遊式庭園(京都市名勝)がある。東山の若王子山を借景とし、周囲の森も景色に取り入れている。池泉、築山、苔地、飛石、延段、植栽などで構成されている。 江戸時代の『都名所図会』『都林泉名勝図会』にも紹介された。後者では、現在よりも規模の大きな池泉回遊式の庭園が描かれ、池には橋、高い滝も見られる。 近代、1927年、7代・小川治兵衛(1860-1933)が改修し、琵琶湖疏水の水を引き入れた。この時点で江戸時代の庭園は残されず、新たに作庭されたとみられている。2010年にも大幅な修復が行われている。 東南隅に滝口が組まれ、疏水より引かれた水が池に注がれている。滝口の周辺にスギが植えられている。流水は西に向かい、広い流れの底には小石が敷かれている。流れは石橋(当初は土橋)を経て、園池、沢飛び、その脇に後年据えられた雪見燈籠が立っている。池の南に築山があり、その裾に宝篋印塔、燈籠が据えられている。地はスギゴケで覆われ、イロハモミジ、ドウダンツツジ、サツキ、ツツジなどの刈込、サルスベリも植栽されている。 方丈東、庭園の北東に、武将・大名の加藤清正(1562-1611)が、朝鮮出兵の際に持ち帰ったという瑪瑙(めのう)原石の手水鉢が据えられている。大きな円柱形をする。実際には結晶質石灰岩(大理石)製という。東福門院の寄進による。 ◆文化財 東福門院和子ゆかりの遺品がある。 ◈仏殿に祀られている「金銅 仏舎利塔」(京都市指定文化財)は東福門院ゆかりになり、菊と葵の紋が刻まれている。 ◈仏殿に、「木造東福門院坐像」(京都市指定文化財)も安置されている。江戸時代前期、1678年の東福門院の没直後に造られ、雛人形の原型といわれる。晴れの装束を身に付け、後に描かれた「東福門院画像」に比して実像に近いとみられている。 ◈「東福門院自筆過去帳」。東福門院の遺髪もある。 ◆墓 江戸時代前期、後水尾天皇第4皇女・昭子(顕子)内親王(1629-1675)の墓がある。母は東福門院。内親王は女三宮とよばれた。 境内北に、近代の久邇宮(くにのみや)家の墓がある。久邇宮は、近代、伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王(1824-1891)が創立した宮家になる。久邇宮邦彦王の髪爪塔と、側室・泉亭靜枝子との間の第6王子・暢王(1877-1878)、側室・泉萬喜子(泉亭万喜子)との間の第4王女・飛呂子女王(ひろこ、1871-1889)、第7王女・懐子女王(1879-1880)、第7王子・一言足彦命王(ひとこと-たらしひこ、1881/1882)の4子が葬られている。いずれも夭逝した。 ◆修行体験 ◈ 「団体坐禅」。 ◈ 坐禅「一空会」(毎月第2・第4日曜日8:30-14:30)。夜坐禅(毎週土曜日20:00-21:00)。8月第2日曜日は休会。 ◆滞在型文化体験プログラム 2016年より、観光客向けの滞在型文化体験「いろはにほん(Experience the Soul of Japan 、非公開寺院滞在型文化体験・文化財保護プログラム)」を行う。 日本財団、NPO法人京都文化協会、ハイアットリージェンシー京都が連携企画した。寺院に1泊2日で宿泊し、坐禅、読経、茶礼体験、住職との対話などを行う。当初は外国人を対象とし、将来的には日本人にも対応する。 *普段は非公開、建物内の撮影は禁止。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『岡崎・南禅寺界隈の庭の調査』、『事典 日本の名僧』 、『京都の寺社505を歩く 上』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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