亀山天皇 亀山陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Kameyama
亀山天皇 亀山陵  亀山天皇 亀山陵 
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亀山天皇 亀山陵

亀山天皇 亀山陵



「亀山天皇 亀山陵」の石標





 天龍寺芒ノ馬場町(てんりゅうじ-すすきのばば-ちょう)の天龍寺の境内北に、亀山陵(かめやまの-みささぎ)がある。鎌倉時代の第90代・亀山天皇(かめやま-てんのう)が葬られている。
 方形堂(法華堂)が建てられ、東に隣接して、父の第88代・後嵯峨天皇陵がある。
◆歴史年表 鎌倉時代、1305年、9月15日、亀山天皇は亀山殿で亡くなる。9月17日夜、後山(別院・薬草院後山)で火葬にされた。遺骨は、遺命により、亀山殿別院・浄金剛院(こんごういん)を本陵として、南禅院(左京区)、高野山・金剛峰寺にも分骨された。(『増鏡』)
 後に、法華堂が建てられ、納骨され本陵になる。
 南北朝時代、1339年以降、足利尊氏の暦応資聖禅寺(天龍寺)の創建に伴い、陵の所在地は不明になる。
 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵では、天龍寺の北付近、塔頭・雲居庵(うんきよあん)の西の現在地を、後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵(浄金剛院の法華堂跡地)として修陵された。
 1865年、修陵は完成する。当初は浄金剛院法華堂と称された。後に、亀山殿法華堂に改められた。
 近代、1906年、亀山陵に改めた。
◆亀山天皇 鎌倉時代の第90代・亀山天皇(かめやま-てんのう、1249-1305)。恒仁(つねひと)、禅林寺殿、文応皇帝。第88代・後嵯峨天皇の第3皇子、母は大宮院姞子(きつし)。1259年、大覚寺統最初の天皇として即位した。父が院政を敷く。1268年、後深草天皇(持明院統)皇子を差し置いて、亀山天皇(大覚寺統)皇子の世仁(よひと)親王(第91代・後宇多天皇)が皇太子に立つ。1274 年、後宇多天皇に譲位し、上皇として院政を執る。文永の役(モンゴル襲来)が起こる。1281年、弘安の役(モンゴル襲来)が起こる。1283年、八条院を相続した。1287年、第92代・伏見天皇(持明院統)が即位する。幕府は将軍に後深草天皇皇子・久明(ひさあき)親王(持明院統)を迎えた。1289年、伏見天皇の皇子・胤仁(たねひと)親王(第93代・後伏見天皇)が皇太子に立つ。亀山上皇は、剃髪し、金剛源と称した。禅宗に深く帰依し、1291 年、離宮を禅寺とし南禅寺の起りになる。禅宗が公家社会に浸透する端緒になる。
 父・後嵯峨天皇は亀山天皇を寵愛した。亀山天皇は、兄・後深草天皇を措いて天皇親政を行い、大覚寺統(亀山系)と持明院統(後深草系)の対立が起こる。以後、幕府の計らいで、二統は交互に継承する。文永・弘安の役の国難では、伊勢神宮に祈願した。大覚寺統領の基礎を確立した。制符(禁止・制約する事柄を書いた文書)の制定、評定制を大改革する。和歌・漢詩文に優れ『弘安礼節』を制定、『続拾遺集』の選進を命じた。
 離宮・禅林寺殿に移り、1289年、落飾し、南禅寺を創建した。没後、山城亀山法華堂に葬られる。陵墓は天龍寺境内に亀山陵(右京区)、分骨所は南禅院(左京区)、後宇多天皇の遺言により蓮華峰寺陵(右京区)にもある。火葬塚は亀山公園(右京区)にある。
◆陵墓 方形堂(法華堂)がある。南面している。方形造、檜皮葺。
 鎌倉時代、1305年9月15日、亀山天皇は亀山殿で亡くなる。9月17日夜、後山(別院・薬草院後山)で火葬にされた。遺骨は、遺命により5つの青壺(青甕)に分割された。浄金剛院法華堂を本陵として2つ、蓮華峯寺八角円堂(後宇多天皇陵)に1つ、南禅寺(南禅院)に1つ、高野山・金剛峰寺に1つが分骨された。(『増鏡』)。また、浄金剛院に3つ、南禅院1つ、金剛峰寺1つともいう。(『文応皇帝外記』)
 後に、法華堂が建てられ、納骨され本陵になる。法華堂は仏教建築の御堂、塔などを建立し、地下に埋葬した堂塔式陵墓になる。南北朝時代、1339年以降、足利尊氏の暦応資聖禅寺(天龍寺)の創建に伴い、陵の所在地は不明になる。
 江戸時代、1862年-1863年、文久の修陵では、天龍寺の北付近、塔頭・雲居庵(うんきよあん)の西の現在地を、後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵(浄金剛院の法華堂跡地)として修陵された。1865年、修陵は完成する。『文久山陵図』(1867)では、「荒無」図に舎利殿、経殿が並立してある。後嵯峨天皇陵(右)の方が大きく描かれている。修陵後の「成功」図では、現在の後嵯峨天皇陵(右)、亀山天皇陵(左)が描かれている。新たに築地塀で囲まれ、正面には門が付けられている。鳥居はない。
 当初は浄金剛院法華堂と称された。修復に際して、亀山天皇は本願寺を庇護したとして、後嵯峨天皇陵と合わせて東本願寺が費用を負担した。
 陵名は後に亀山殿法華堂に改められた。近代、1906年には亀山陵に改められる。


88 後嵯峨天皇(在位:1242-1246)→89 後深草天皇(持明院統)(在位:1246-1259)→90 亀山天皇(大覚寺統)(在位:1259-1274)→91 後宇多天皇(大覚寺統)(在位:1274-1287)→92 伏見天皇(持明院統)(在位:1287-1298)→93 後伏見天皇(持明院統)(在位:1298-1301)→94 後二条天皇(大覚寺統)(在位:1301-1308)→95 花園天皇 (持明院統)(在位:1308-1318)→96 後醍醐天皇(大覚寺統、南朝1) (在位:1318-1339)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『古代史研究の最前線 天皇陵』『歴代天皇年号事典』『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 亀山天皇 亀山陵  〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
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