最勝院・高徳庵 〔南禅寺〕 (京都市左京区) 
Saisho-in Temple
最勝院・高徳庵 最勝院・高徳庵 
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参道は紅葉の並木になっている。



 南禅寺の東に、南禅寺塔頭の駒ヶ瀧最勝院(こまがたき さいしょういん)はある。境内背後の東山山峡は、鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、霊地として知られていたという。 
 臨済宗南禅寺派。
 古くより勝運の神として知られた。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代、天台密教の駒道智大僧正が、この地に隠棲したことに始まるという。
 鎌倉時代末期、文永年間(1264-1275)、第90代・亀山天皇は、この地に離宮を営んだ。その際に、僧正を土地の鎮守として祀ったという。さらに、離宮を禅寺に改め、南禅寺の基を開いた際に、僧正を護法神として祀ったという。
 近代、1912年頃まで、境内は現在の南禅寺寺務所の地にあり、最勝院般若殿と呼ばれていたという。
 1915年、現在地に移り、庫裏新築した際に、高徳庵(綾部市上林)を廃して寺名を移し塔頭とした。
 1917年、駒道智大僧正の故地である現在地に移転したという。境内は、臨済宗の禅僧・夢窓国師(夢窓疎石、1275-1351)の塔所上にあったという。
◆駒道智大僧正 鎌倉時代の僧・駒道智大僧正(生没年不詳)。公卿、摂政関白・九条道家(1193-1252)の子。幼なくして比叡山で仏道修行に入り、天台密教の深奥を極めた。その後、三井寺(園城寺)の長更(管長)、かつて天台宗だった禅林寺(永観堂)の住持を務めたという。晩年、駒ヶ滝最勝院の地に移り住んだという。
◆死霊 伝承がある。駒道智は、鎌倉時代、1266年3月3日、法力により白馬にまたがり、生身を天空に隠したという。以来、僧正は駒大僧正と呼ばれ、奥の滝は駒ヶ滝と呼ばれるようになる。また、駒道智を祀る寺として、その院号により、最勝院と呼ばれたという。
 鎌倉時代の亀山上皇(第90代)がこの地に離宮「禅林寺殿」を営んだ際に、夜に死霊が現れたという。かつてこの地に建っていた駒ヶ滝最勝院に住んだ駒道智が、死後も執着したことによる。南都北嶺の阿闍梨、巫祝の呪術によっても霊を退散させることはできなかった。
 東福寺の普門が呼ばれる。普門は、9旬(90日)にわたり20人の禅侶とともに離宮に宿し、普通に行を続けた。やがて、徳の前に効験が顕れ怨霊は消えたという。普門は、禅林禅寺(後の南禅寺)開山に任じられ、亀山上皇自身も仁和寺の了遍により入飾した。普門が病床に伏した時、亀山法皇は東福寺の龍吟庵に移った普門を密かに訪れ、手づから薬をすすめたという。翌日、普門は81歳で亡くなる。 
◆縁結びの松 本堂脇に、「縁結びの松」がある。樹齢300年という百日紅の木に、樹齢100年という松が生えている。
◆能面 住職が彫った能面の寺としても知られる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『古寺巡礼京都 12 南禅寺』


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本堂、福徳円満 大黒天と、払災殖福不動尊が祀られている

本堂の「駒大僧正」の扁額

能面が飾られている。

縁結びの松


境内東には駒道智大僧正が祀られている

駒ヶ滝地蔵大菩薩


力彦大明神(左)、八釼大明神、飛車大明神、八ッ崎大明神


駒ヶ滝

【参照】境内参道脇に南禅寺からの流れてきた琵琶湖疎水が導かれている。
 最勝院・高徳庵 〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町86-2  075-771-1891
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