新島襄旧邸 (京都市上京区) 
Former Residence of Niijima,Jo
新島襄旧邸 新島襄旧邸 
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「新島襄先生旧邸」石碑








木戸門


新島旧邸










書斎、調度品は襄の愛用のもの。学生は図書室のように書籍を自由に利用していたという。




八重愛用のオルガン

 京都御所の東、寺町通に面して新島襄旧邸(にいじま-じょう-きゅうてい)がある。西面して木戸門が開いている。 
 この地に、同志社の創設者、新島襄と妻・八重が暮らした。当初、この地で同志社英学校が開校され、同志社発祥の地にもなる。
◆歴史年表 江戸時代末、この地には、禁裏幕府の御用大工棟梁・中井主水(なかい-もんど)の屋敷があった。
 近代、1868年以降、堂上華族(近代以前は昇殿を許された公卿)の高松保実(たかまつ-やすざね)邸があった。
 1875年、11月29日、官許・同志社英学校が開校する。新島襄は親交深かった高松私邸の半分を仮校舎として賃借する。当初は、学校教員に襄、J.D.デイヴィスの2人、生徒は8人のみだった。
 1876年、秋、英学校は現在地(相国寺門前旧薩摩藩邸跡)に移転する。敷地を提供したのは、京都府顧問の山本覚馬(1828-1892)だった。
 1878年、現在地(高松邸跡地)は襄により買い取られる。9月初め、現在の住宅が建てられた。この時、襄のボストンの友人、J.M.シアーズの寄付があったという。以後、住宅は、新島夫妻が住居として用いる。
 1890年、襄が亡くなる。八重はその後も住み続ける。
 1907年、八重は新島邸を同志社に寄付する。
 1932年、八重が永眠した。
 現代、1945年、第二次世界大戦後、一時無人になる。
 1985年、6月、旧新島邸の建物、調度、家具類57点余りが京都市有形文化財に指定された。
 1990年-1992年、旧邸の解体保存修理工事が行われる。
 1992年より、一般公開された。
◆高松保実 江戸時代後期の公卿・高松保実(たかまつ-やすざね、?-1878)。季実の男。姓は藤原。大膳権太夫。正三位右近衛少将。安政勤王八十八延臣の一人。
◆新島襄 江戸時代後期-近代の宗教家・教育者・新島襄(にいじま-じょう、1843-1890)。七五太(しめた)、名は経幹。江戸藩邸内で生まれた。安中藩士の民治、妻・とみの長男。添川簾斎より漢学、但馬順輔より蘭学を学び、安中藩祐筆補助役、御供徒士になる。1860年、幕府の軍艦操練所、1862年、甲賀源吾の塾で数学、航海術、英学を学ぶ。1864年、箱館・武田斐三郎の塾に入り、アメリカ合衆国に密航し、密航船船主・ハーディは庇護した。1866年、受洗した。その後、アーモスト大学、アンドーバー神学校に進む。岩倉遣外使節団の通訳になり、欧米8カ国の教育制度の調査、視察を行う。1874年、帰国した。キリスト教人格主義教育、全人教育を掲げ、当初は大阪に学校開学予定にしていた。木戸孝允により、京都府知事・槇村正直、顧問・山本覚馬を紹介される。1875年、山本らの協力により京都に同志社英学校(寺町丸太町上ル)を開設した。1876年、新校舎(相国寺門前)に徳富蘇峰など熊本バンドの30余人が入学した。1877年、女学校を開校する。1886年、仙台に東華学校、1887年、京都看病婦学校の開校、同志社病院の開院に携わる。1888年、「同志社大学設立の趣旨」を発表する。開学の募金を募る中、神奈川県大磯で客死した。48歳。
 墓は若王子山の同志社墓地(左京区)にある。
◆新島八重 江戸時代後期-近代の教育者・新島八重(にいじま-やえ、1845-1932)。会津生まれ。会津藩の砲術師範・山本権八、さくの三女。兄・覚馬より砲術を習う。藩校日新館教授・川﨑尚之助と結婚した。戊辰戦争(1868-1869)に際し、断髪、男装し参戦した。1868年、若松城籠城戦前に離婚する。八重はスペンサー銃で戦い、城外に夜襲もかけた。1871年、京都府顧問に就任の兄・覚馬を頼り、母、姪とともに上洛する。1872年、アメリカン・ボード派遣の宣教師A.J.Starkweatherと女子塾(同志社分校女紅場)を開き、同志社女子部の基礎をつくる。京都女紅場(後の府立第一高女)権舎長・教道試補になる。1875年、新島襄との婚約により、僧侶・神官らは圧力をかけ職を解雇された。1876年、洗礼を受け、襄と結婚する。京都初の洗礼式、キリスト教式の結婚式になる。1890年、夫没後、日赤に関わる。円能斎直門の茶道を教えた。88歳。 
 墓は若王子山の同志社墓地(左京区)にある。
◆Jerome Dean Davis 近代の宣教師・教育者・Jerome Dean Davis(ジェローム ・ディーン・ディヴィス、1838-1910)。米国ニューヨークに生まれ。1861年、ベロイト大学在学中に南北戦争が勃発した。志願し、北軍義勇軍の連隊旗手になる。1862年、シャイローの戦いの武功により中佐になる。1865年、戦争終了後、シカゴ神学校を卒業した。ワイオミング州で開拓伝道に携わる。1871年、アメリカ合衆国外国伝道委員会(アメリカン・ボード)派遣宣教師として来日した。1872年、D・C・グリーン宣教師、前田泰一らと神戸宇治野村に英語学校を開設し、聖書も教えた。1873年、共同でキリスト教図書書店、チャペルを開く。京都に移り、1875年、新島を支え同志社の設立、運営に協力し、最初の教員になる。新島の開校計画について当初、アメリカン・ボード側は否定的だったという。伝道師養成所ではないとされたためだった。新島に理解を示したのは、ディヴィスとグリーンのみだった。1890年、英文で新島伝" A Sketch of the Life of Rev Joseph Hardy Neesima "を著した。1910年、帰国した。遺言は"My Lifeis My Message(私の生涯が私の遺言である)"。
 墓は同志社墓地(左京区)にある。
◆建築 現在、敷地内に北より付属室、新島旧邸、新島会館別館、新島会館が建つ。
 設計者・施工者とも不詳という。当時の同志社教員で医師・宣教師だったW・テイラーの助言により、新島襄が設計したともいう。J.M.シャース夫人の助言によるともいう。京都の大工が工事に関わり、1878年9月初めに完成した。
 ◈外観は洋風のコロニアルスタイルであり、和に洋を取り入れた様式になる。夏の日差しを避けるために庇は深い。風通しを良くするために床もやや高く造られている。壁は白色で、下見板張を用いず、真壁造の漆喰壁仕上げとした。壁の白色と柱などは茶色の2色で塗り分けられている。2階の三方(東、南、西)にバルコニーが設けられ、外周の柱は角柱になっている。窓はガラス戸の外に木製の鎧戸、上部に和風障子欄間が付けられている。当初は、2階バルコニーより大文字山が望めたという。木造2階建、和風寄棟住宅になる。
 内部の間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させた真壁造、畳敷(当初はすべて板敷)、箱階段、障子・襖、障子欄間、鎧戸も多用されている。床はフローリングになる。部屋には、暖房用の簡単な金属製のセントラルヒーティング(暖炉)が設置されている。当時としては画期的な設備だった。
 ⋄ 1階、洋間の「応接間」(18畳)には、当時の椅子、机が置かれている。東南隅に暖炉があり、背面に吹き出し口が設けられている。上部に角筒形の煙突が付けられ、室暖房のため2階へも温風を送っていた。応接間は、教室、職員室、大学設立の募金活動の事務所、教会集会所としても利用されていた。
 ⋄ 「書斎」には、襄が愛用した椅子、机、ランプなどが当時のままに保存展示されている。壁一面に書棚が設えられ、学生は自由に文献を利用していたという。蔵書の8割は洋書であり、現在は同志社社史資料センターで保管されている。 
 ⋄ 「居間」があり、茶室「寂中庵(じゃくちゅうあん)」は襄没後、八重によって洋間を改造し設けられた。純和風造になる。1912年銘の扁額「寂中庵」が掛かる。
 ⋄食堂と台所の間に当時としては珍しいハッチ式の配膳棚がある。
 ⋄ 「台所」は土間のない床板張りに流しを置く。井戸は外ではなく室内にある。物置、風呂場がある。
 ⋄ 「便所」は板張りであり、便座は腰掛式、和洋折衷の日本初期の「洋式(腰掛式)トイレ」になる。
 ⋄ 2階に寝室3室、居間がある。「寝室」はかつて板敷であり、いまもベッドが置かれている。部屋隅には、1階より温風を送られたセントラルヒーティングの吹き出し口が付けられている。
 ◈「付属屋」は、両親の隠居部屋として建てられた。江戸藩邸の住居に準じている。門構えとともに日本的な伝統的様式による。現在は資料が展示されている。
 西翼6畳間、西脇6畳間、中央7畳間、東脇7畳間、東翼6畳間、便所からなる。
 ◈1985年に、新島旧邸の建物、調度、家具類57点余りが京都市有形文化財に指定された。日本人のために建てられた、もっとも初期の和洋折衷木造2階建住宅、明治期初期の国産洋家具も貴重として評価された。
◆当初の住居 当初の新島の住居は、新烏丸頭町にあり、1876年に第二公会(同志社教会の前身)を設立している。
◆公開日 通常公開(旧邸周囲よりの見学、3月-7月、9月-11月の毎週火・木・土曜日、祝日は除く。)。
 特別公開(旧邸周囲、母屋1階と附属屋の内部公開、3月-7月、9月-11月の水・土・日曜日、祝日は除く。春・秋の京都御所一般公開日、創立記念日の11月29日。)。公開時間は10:00-16:00。


*見学は団体(10名以上)のみ、事前申込。
*年間行事(公開)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*参考文献・資料 『同志社山脈』、『京都歴史案内』、『新島旧邸』、「同志社タイムズ2020年5月15日付第765号」、『おんなの史跡を歩く』、『女たちの京都』、『京の思想家散歩』、『京都大事典』 、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都の洋館』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 新島襄旧邸 〒602-0867 京都市上京区松蔭町,寺町通荒神口下ル   075-251-3042
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