同志社 有終館 (京都市上京区)  
Yushukan,Doshisha University
同志社 有終館  同志社 有終館
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home

東側


東側


東側


東側


東側


東側


北側


北側
 正門の西に有終館(ゆうしゅうかん)がある。かつては図書館として利用された。当時としては日本最大の学校図書館であり、洋式図書館建築としては日本最古になる。
 設計は、近代の宣教師・牧師・建築家・D.C.グリーンによる。
◆歴史年表 近代、1885年、12月、定礎される。
 1887年、11月、図書館として竣工し、当初は「書籍館(しょじゃくかん)」と呼ばれた。
 1917年、今出川通に面していた玄関階段を現在の東側に移した。
 1920年、新図書館(現・啓明館)が完成し、旧図書館は「有終館」と名付けられる。
 1928年、11月、火災により煉瓦の壁体を残して内部が焼失した。
 現代、1979年、5月、重要文化財に指定された。
◆D.C.グリーン 近代の宣教師・牧師・建築家・ダニエル・クロスビー・グリーン(Daniel Crosby Greene, 1843-1913)。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ロクスベリー出身。アメリカ外国伝道委員会(アメリカン・ボード、会衆派教会系ミッション)幹事の9人目の子。1849年、父は病いによりアメリカン・ボードを辞職した。1850年、母が亡くなる。1852年までに一家は離散する。1860年、ミドルベリー大学に入学し、1861年、ダートマス大学に転校する。南北戦争が起こり、1862年、北軍側のダートマス騎兵隊に入隊し、その後除隊になる。1863年、キリストに入信した。1864年、大学を卒業する。1866年、会衆派のシカゴ神学校に入学し、アンドーヴァー神学校に転校した。1869年、神学校を卒業し、聖職に就く按手礼を受け、メリー・ジェイン・フォービスと結婚する。アメリカン・ボード最初の宣教師として日本に派遣され、横浜に到着した。1870年、ヘンリー・ブロジェットの勧めで、造成後間もない神戸の居留地に移り伝道拠点を設ける。1871年、商人・ブラッドフィールドが、礼拝堂建設のための土地献品を申し出、1872年、グリーンの設計とみられるユニオン・チャーチが完成し、初代牧師に就く。1871年、グリーン、O.H.ギューリック宣教師に日本語を教えていた市川栄之助夫婦が宗教弾圧により逮捕される。1872年、栄之助は亡くなる。妻・まつは釈放され、グリーンは引き取り生涯世話した。1874年、洗礼を授けた11人により、摂津第一公会(現・日本基督教団神戸教会)が創立される。グリーンは横浜に戻り、アメリカ合衆国より帰国した新島襄を横浜埠頭で出迎え、大阪へ行くように指示した。1874年-1880年、横浜で、J.C.ヘボン、フルベッキらとともに聖書翻訳委員として、新約聖書の共同翻訳を完成している。1882年-1887年、同志社英学校で神学、旧約聖書学を講義した。この間に、3棟の煉瓦造建物を建設した。1884年、神学部新入生の安倍磯雄、村井知至が、グリーンの授業内容に不満を抱き退学した。1886年、グリーンの態度に抗議した在学生9人による連袂退学事件が起こる。1887年、休暇を得て夫人とともにヨーロッパに旅立ち、3年後に東京に戻る。1897年、労働運動指導者・片山潜によるキングスレー館(日本初の隣保館)の設立を支援した。神奈川県葉山で亡くなる。70歳。
 青山霊園(東京都)に葬られた。2001年、墓は若王子山の同志社墓地(左京区)に夫人とともに移されている。
 教会発展、日本アジア協会、平和協会の会長を務める。明治期(1868-1912)中期-末期、同志社理事として貢献した。新島の開校計画について当初、アメリカン・ボード側は否定的だったという。伝道師養成所ではないとされたためだった。新島に理解を示したのは、アメリカ合衆国の軍人・宣教師・J.D.ディヴィスとグリーンのみだった。設計した作品として同志社大学構内に彰栄館(1884)、礼拝堂(1886)、有終館(1887)の3棟がある。これらの建設資金は、グリーンがアメリカン・ボードから調達している。
◆建築 近代、1885年12月に定礎される。1887年11月に、同志社最初の煉瓦造図書館として竣工した。設計は、D.C.グリーンによる。当初は「書籍館」と呼ばれた。建設資金は、グリーンがアメリカン・ボード(会衆派教会系ミッション)から調達している。当時としては日本最大の学校図書館であり、洋式図書館建築として日本最古になる。1920年に、新図書館(現・啓明館)が完成し、第8代同志社総長・海老名弾正(1856-1937)は旧図書館を「有終館」と名付けた。1928年11月夜半の火災により、内部の床、天井、屋根などが焼失し、煉瓦壁体は残った。1979年5月、重要文化財に指定される。
 東面している。当初は南面していた。1917年に今出川通に市電敷設されそれに伴い道路拡張工事があり、通りに面していた同志社の敷地も削られた。このため南東東寄りにあった玄関階段を現在の東側に付け替えた。平面は十字形になる。外観は、四方の突出部に切妻がある。赤煉瓦の壁体に花崗岩で帯を入れる。煉瓦は長手3段おきに小口積とするイギリス積の変則積みになる。一部の煉瓦は斜め積みされている。半地下室、1階・2階の間、窓の上部の要石に花崗岩を入れる。また、黒煉瓦を配置し黒い線を施している。窓は尖頭アーチ、半円アーチ、欠円アーチなどが用いられている。窓部分の周囲壁面をアーチ形に凹ませている。
 2階西側の大部屋を書籍室(図書室)にあて、他は教室として利用されていた。
 1928年の火災により煉瓦の壁体を残して内部は焼失した。当初、同志社当局は建物を取壊す方針だった。建築家・武田五一(1872-1938)は、建物の消失を惜しみ大学に対して外壁保存の勧告を行う。保存の運びになり、武田自身が設計した。建物内部に鉄筋コンクリート造の内壁を設けた。外の煉瓦壁体との間はボルトで緊結した。鉄筋コンクリートによる煉瓦造外壁保存・補強建築の先例になった。
 施工は棟梁・三上吉兵衛、煉瓦造、2階建地下1階(半地下室、屋根裏部屋あり)、桟瓦葺(内装を除く)、建築面積352.3㎡。
 現在は学校法人本部として利用されている。
◆図書館 近代、1876年に、同志社が創立され、相国寺門前旧薩摩屋敷跡(現 ・クラーク記念館周辺)に、新校舎が建てられ移転になる。西側の校舎(第2寮舎)の1階に、「書籍縦覧室」が設けられた。
 1887年11月に、「書籍館(しょじゃくかん、後の図書館、現・有終館)」が開館された。書籍館は同志社の初代図書館になる。
 1915年10月に、新図書館(現 ・啓明館の北側)が開館した。1920年5月に、2代目の大学図書館本館(現・ 啓明館南側)が竣工した。1921年2月に、旧図書館は「有終館」と改称されている。
 1973年12月に、3代目になる現在の「今出川校地図書館」が竣工した。1986年には、田辺(現・ 京田辺)キャンパスに、「ラーネッド記念図書館」が開館されている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「同志社大学」、ウェブサイト「同志社大学図書館」、「説明板-同志社大学」、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、『京都の赤レンガ』、『京都の洋館』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 礼拝堂   関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 彰栄館   関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 ハリス理化学館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社クラーク記念館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 アーモスト館   関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 啓明館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 新島遺品庫  関連・周辺,relevance&surrounding area南蛮寺の礎石(同志社大学今出川キャンパス)  関連・周辺,relevance&surrounding area尹東柱詩碑・鄭芝溶  関連・周辺,relevance&surrounding area新島襄旧邸  周辺,surrounding area   関連,relevance同志社墓地・若王子山   関連,relevance佐伯理一郎旧宅跡    
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 同志社 有終館 〒602-0893 京都市上京区玄武町601
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光