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同志社 クラーク記念館 (京都市上京区) Clarke Memorial Hall,Doshisha University |
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同志社 クラーク記念館 | 同志社 クラーク記念館 |
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![]() 西側 ![]() 西側、正面玄関 ![]() 西側、正面玄関 ![]() 西側、正面玄関 ![]() 西側、正面玄関 ![]() 南西角 ![]() 南西角、礎石、「A.D.1892 明治二十五年」 ![]() 南西角、八角形の塔 ![]() 南西角、塔 ![]() 南西角 ![]() 南側、バルコニー ![]() 西側、屋根 ![]() 西側、ドーマー(屋根窓) ![]() 西側、煙突 ![]() 西側、煙突 ![]() 西側 ![]() ![]() 西側 ![]() 西側、ゲーブル(妻壁) ![]() 西側、 ![]() 西側、 ![]() 西側、 ![]() 南東角 ![]() 南側 ![]() 南側、小塔 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 東側 ![]() 東側 |
同志社大学今出川キャンパス内に、クラーク記念館(くらーく-きねんかん) がある。尖塔が特徴的であり、当初は神学館として使われた。 設計は近代のドイツ人建築家・リヒャルト・ゼールによる。 ◆歴史年表 近代、1892年、11月、定礎がなされた。 1894年、クラーク記念館が竣工した。当初は「クラーク神学館」と呼ばれる。1月30日に開館した。 現代、1963年、新神学館が竣工する。旧神学館は、「クラーク記念館」と改名された。 1979年、5月、クラーク記念館は、重要文化財に指定される。 2003年-2007年、大規模修復工事が行われた。 ◆ゼール 近代のドイツ人建築家・リヒャルト・ゼール(Richard Seel ,1854-1922)。ドイツのエルバーフェルト生まれ。建築を学び、1875年、ベルリンのエンデ・ベックマン事務所に入る。1888年、エンデ・ベックマン事務所は、明治政府による官庁集中計画を引き受け来日した。当初の計画にあった帝国議会議院、中央諸諸官庁建設は頓挫し、東京裁判所(最高裁判所)、司法省(法務省)庁舎のみが実現した。契約解除後も、ゼールは日本に留まり、1896年、横浜で建築設計事務所を開設した。以後、教会堂、ミッションスクールの工事を手がける。1903年、ドイツ人のゲオルグ・デ・ラランデに建築設計事務所を引き継ぎ帰国する。帰国後、劇場建築などを行う。弟子に建築家・矢部又吉(1888-1941)がいる。 日本での主な作品は、函館市・旧ロシア領事館 (1908)、同志社大学クラーク記念館(1893)、千葉教会(1895)、東北学院大学東北学院神学部 (仙台神学校) (1891、消失) 、東京都・明治学院大学明治学院記念館 (旧神学部校舎)(1890) など。 ◆クラーク家 クラーク記念館は、アメリカ合衆国のクラーク一家に関係がある。 近代、1890年に同志社創設者の新島襄が亡くなり、その名を冠した神学館建設の募金活動が始まる。だが、資金は集まらず計画は頓挫しかけた。 1891年に、ニューヨーク州ブルックリン市のB.W.クラーク夫妻から、アメリカン・ボード経由で同志社神学館建築費として1万ドルが寄せられた。夫妻の息子・バイロン・ストーン・クラーク(Byron Stone-Clarke)は、23歳で早逝している。両親は、息子を讃えるタブレットを建物に設置するという条件で、記念ホール建設資金を援助した。建築費は寄付額を超過したため、クラーク夫人はさらに1500ドルを寄せた。 建物はByron-Stone Clarke Memorial Hallとも呼ばれた。建築の1階の右側の壁面には、バイロン・クラークを記念し、タブレットに“The study of the Word of God was dear to him(聖書を学ぶことは、彼が愛好してやまないものであった)”と刻まれている。 ◆建築 クラーク記念館は近代、1892年11月に定礎がなされた。1894年に竣工する。当初は「クラーク神学館」と呼ばれる。以来、神学教育、研究に利用される。1963年に新神学館が竣工し、旧神学館は「クラーク記念館」に改名された。1979年5月に、設計図、仕様書も含めて重要文化財に指定される。2003年-2007年に老朽化のため大規模修復工事が行われている。 西面する。外観は、ドイツ風のネオ・ゴシック様式を基調にした。来日前に手掛けた西プロイセン州議会議事堂(現・ポーランド・グダニスク市)を模している。同志社に建てられた歴史的建造物の中で、最も装飾密度が濃く完成度も高い。 西側外観は左右対称であり、中央は寄棟造で左右両端に棟飾り、中央に煙突がある。東西の北寄りと南側にゲーブル(妻壁)が立ち上がる。北側は東西に棟を置く切妻、南側も切妻になっている。西南隅に平面八角形の塔(3階建)がある。東南隅には八角形の小塔が立つ。 窓は半円形アーチになっており、花崗岩の意匠が施されている。北側2階中央に出窓がある。正面玄関、東側南寄りの山上部にバルコニーがある。屋根にドーマー(屋根窓)がある。イギリス積の煉瓦の壁体隅などに花崗岩を入れる。 西側の正面入り口に、“Byron-Stone Clarke Memorial Hall”と刻まれている。1階の正面中央に広間・階段室、ほか5室がある。階段を上がると2階中央に階段ホール、小室3室がある。北側に最も広い部屋が設けられ、講堂兼礼拝堂として使用された。ボールド(かまぼこ型)天井になっている。その後、教室不足を補うために2つの部屋に仕切られていた。2003-2007年の大規模修復工事により、修理、復原、構造補強が行われ、仕切りは撤去され礼拝堂が復元された。 施工は京都の大工・小島(嶋)佐兵衛、煉瓦造、2階建、桟瓦葺、西南隅に塔屋3階付、塔屋は銅板葺、建築面積389.4㎡/398.87㎡、延べ面積799.39㎡。 キリスト教文化センターが入り、教室、クラーク・チャペルも備わっている。結婚式場としても利用されている。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「同志社大学」、ウェブサイト「同志社大学神学部」、「説明板-同志社大学」、『京都の赤レンガ』、『京都の洋館』、『京都モダン建築の発見』、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、ウェブサイト「社団法人日本建築材料協会」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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