同志社 アーモスト館 (京都市上京区)  
Doshisha Amherst House
同志社 アーモスト館 同志社 アーモスト館
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「同志社アーモスト館 Doshisha Amherst House」の銘鈑


「同志社アーモスト館」の銘鈑















サンルームの屋根

 同志社大学今出川キャンパス内に、同志社アーモスト館(どうししゃ-あーもすと-かん)はある。アーモスト(アマースト、Amherst )とは、同志社創立者の新島襄が卒業したアメリカ合衆国のアマースト大学に由来している。
 設計はヴォーリズ建築事務所による。
◆歴史年表 近代、1922年-1924年、アーモスト(アマースト)大学学生代表・ニコルズが同志社に派遣された。
 1931年、9月、アーモスト館・管理人棟が起工する。
 1932年、3月、竣工した。学生が寮生活を始める。
 1935年、10月、同志社創立60周年記念の一環として献堂式が行われた。
 現代、1948年、戦後に寮が再開した。
 1962年、ゲストハウスが寄贈された。
 1979年、茶室「無賓主庵」が寄贈される。
 2005年、6月、国の登録有形文化財に指定された。
 2008年、10月より、補修工事が実施されている。
 2009年、5月末より、主に外国人研究者の宿泊施設として利用されている。
◆ニコルズ 近代のアメリカ合衆国人留学生・スチュアート・バートン・ニコルズ(Stewart Burton Nicholsn,1900-1925)。詳細不明。アメリカ合衆国生まれ。1922年、マサチューセッツ州・アマースト大学初代学生代表として来日し、2年間を同志社で過ごした。室町の聖山寮に住み、同志社学生と起居をともにした。大学で英会話、古典文学などを教える。1924年、帰国後、日本で宣教師になるために、ニューヨーク・ユニオン神学校で学ぶ。1925年、肺結核のために夭逝した。25歳。 
ヴォーリズ 近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・建築家 ・ヴォーリズ・ウィリアム・メレル(Vories William Merrell,1880-1964)。本名は一柳米来留(ひとやなぎ-めれる)。アメリカ合衆国カンザス州生まれ。父はジョン・ヴォーリズ、母はジュリア・ヴォーリズの長男。 1888年、8歳で転地療養のために、アリゾナ州フラグスタッフへ移る。絵画と音楽とに親しむ。1896年、コロラド州デンバーに転居した。1900年、イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学した。YMCA活動を始める。1902年 、カナダ・トロントの「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席し、ハワード・テイラー女史の講演に感銘を受けた。建築家の夢をあきらめ外国伝道を決意する。1904年、コロラド大学哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補になる。1905年、来日し、滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任した。日本初の中等学校YMCAを創立する。1907年、最初の設計になった八幡キリスト教青年会館(八幡YMCA)が落成する。キリスト教伝道の理由で教師解職になる。The Omi Mustard Seedを創刊した。 1908年 、 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所(現在の一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業する。1910年、建築家・レスター・チェービン、吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立した。1911年 、 近江ミッションを結成した。本格的な伝道活動を開始する。1912年、『湖畔の声』を創刊した。1914年、メンソレータム社の創業者 A.A.ハイドの支援で、琵琶湖の伝導船「ガリラヤ丸」が進水し、各地に教会を設立する。1918年、 「近江基督教慈善教化財団(現在の公益財団法人近江兄弟社)」を設立し、理事長に就任した。日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム、現在のヴォーリズ記念病院)」を開院する。1919年 、子爵・旧小野播主・一柳末徳(ひとつやなぎ-すえのり)の3女・満喜子と結婚した。1920年、ヴォーリズ合名会社を解散し、「近江セールズ株式会社(現在の株式会社近江兄弟社)」を設立する。メンソレータム(現在の近江兄弟社メンターム)を販売開始した。1922年、私立清友園幼稚園(現在の学校法人ヴォーリズ学園)を設立する。1930年、母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。同志社大学社友に推薦された。1931年、外皮用薬八幡工場(現在の近江兄弟社工場)が完成する。1933年、近江勤労女学校を設立した。1934年、 近江ミッションを近江兄弟社と改称した。1941年 、日本国籍を取得し、一柳米来留と改名する。京都帝国大学、同志社大学などで教え、1942年、東京帝国大学講師を勤める。戦時中は軽井沢で過ごした。1945年 、マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために尽力する。1947年、 近江兄弟社小学校、中学校、1948年、高等学校を開設した。1951年、社会公共事業に対する功績により藍綬褒章を受ける。1957年 、軽井沢で倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 1958年、近江八幡市名誉市民第1号に推される。1960年 、日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。1961年 、建築部門は独立し、「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が設立される。黄綬褒章を受けた。1964年、亡くなる。正五位勲三等瑞宝章を受ける。著『吾家の設計』『失敗者の自叙伝』など。83歳 。遺骨は近江兄弟社霊園恒春園(近江八幡市)に眠る。
 伝道の一環として多岐にわたる活動を行う。建材・オルガン輸入、保育施設、幼稚園から高等学校の教育活動、図書館運営、出版、建築(住宅、学校、教会、デパート、ホテルなど)は幅広く手がけた。主な設計作品に、第1作の近江八幡YMCA会館(1906)、大丸心斎橋店本館(1922)、駒井家住宅(1927)、関西学院大学の建物群(1929)、神戸女学院の建物群(1933) (重文)、豊郷小学校(1937)など数多い。
建築 ◈同志社アーモスト館(国・登録有形文化財) の設計は、ヴォーリズ建築事務所による。
 1922年に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州・アーマスト大学初代学生代表・ニコルズが同志社に派遣され2年間滞在した。帰国後の1925年にニコルズは病により逝去している。その遺志を継ぎ、ニコルズの母親らは大恐慌の頃にもかかわらず、アーマスト大学に2万5000ドルを寄付した。アーマスト大学学生代表が同志社に派遣された際の寄宿舎建設を目的にしていた。さらに、アーマスト大学理事長の2万5000ドル、卒業生らによる寄付も集まり、総額6万ドルの資金を基に建設される。
 1931年9月にアーマスト館・管理人棟が起工する。1932年3月に竣工した。以後、学生代表、フェローの活動の拠点になる。館内ホールは式典、講演会、結婚式場などにも利用された。1962年にゲストハウス、1979年に茶室の「無賓主庵」が寄贈される。2005年6月に国の登録有形文化財に指定された。2008年10月より、補修工事が実施されている。2009年5月末より、主に外国人研究者の宿泊施設として利用されている。
 設計は、アーマスト大学側が提示した当大男子学生の社交クラブだったフラタニティ・ハウス(Fraternity House)式の建物を参考にしている。ニューイングランド・ジョージアン様式(イギリスのジョージ1世-4世の1714年-1830年の建築・工芸様式)の建物になっている。また、ジョージアン・コロニアル様式ともされ、アメリカ合衆国の風土に適応した様式ともいう。
 通り面し西面して建ち、玄関ポーチも西側ある。外観も左右対称の意匠になっている。実際には東面して建てられ、東側により大きなホールのほか、サンルーム・デッキ、屋根窓(ドーマー)、窓などが見られる。平面は南北に長い矩形になっている。建物外装は煉瓦張で、隅部に竜山石を用い算木積状に張る。大型の腰折れ屋根には煙突、屋根窓を左右対称に配している。南面には平屋のサンルーム・デッキを張出している。屋根はマンサードルーフ(腰折れ屋根、切妻屋根の変形で屋根勾配が上部が緩く、下部が急な2段になる)になっている。煙突は4本立ち内北西部の1本は飾りの意味しかない。
 西側中央に玄関がある。玄関上にニコルズのタブレットが掲げられている。その奥に階段を取り込んだホールがあり、新島襄のタブレットが掲げられている。内部は屋根裏も居室にあてられている。南側に社交室があり、装飾はアダム・スタイル(18世紀後期、イギリスの建築家・ R.アダムの室内装飾で、繊細、軽快、優雅な古典様式)になっている。北側に水回り、居室がある。2階3階には個室(14室)があり、かつては学生の居室だった。
 施工は清水建設による。桁行22m、梁間12m、鉄筋コンクリート造煉瓦積、地上3階地下1階建、平入、スレート葺、建築面積343㎡。
 2009年に、ヴォーリズ建築事務所により、老朽化に伴う改修耐震補強が行われた。スレート葺の屋根を復元し、創建当時の意匠を復元している。1階はラウンジ、資料室、2階3階には宿泊室を設け、現在は外国人研究者用宿舎などに利用される。延床面積891㎡。
 ◈「管理人棟」も、近代、1932年に竣工した。設計はヴォーリズ建築事務所による。
 外観は、アーモスト館と一体化している。平側中央に千鳥破風、玄関を設けている。屋根の持ち送り、破風板、玄関上部の楕円形のファンライトなどに簡素な装飾が施されている。内部は2室ある。東側は改造されている。
 木造平屋建、切妻屋根、瓦葺。
 ◈「ゲストハウス」は、1962年に寄贈された。ゲストルーム、食堂がある。
 ◈茶室「無賓主庵」は、1979年に寄贈される。今熊野の同志社大学卒業生宅から移築された。飛騨の合掌造を解体した材を用いている。
アマースト大学 私立のアマースト大学(Amherst College)は、1821年に創立された。アメリカ合衆国マサチューセッツ州西部の小都市・アマーストにある。村人たちが、牧師を養成するために自分たちの手で建てた。
 学生は学費支払い能力に関係なく、成績のみで選抜され難易度は極めて高い。少人数、全寮制による4年制の高等教育を行う。無宗派のリベラル・アーツ(人文科学、社会科学、自然科学)の教養教育を学ぶ。卒業生に4人のノーベル賞受賞者を輩出している。現在の在学生は1500人ほどになる。
 新島襄(1843-1890)は、1867年-1870年にアマースト大学に在学・卒業(理学士)した。新島の紹介により内村鑑三(1861-1930)は、1885年-1887年に在学・卒業(理学士)している。
 1921年にアマースト大学創立100周年を迎え、大学側は、同志社支援のために卒業生を送り出す「アマースト・同志社プログラム」を開設した。1922年にスチュアート・バートン・ニコルズがアマースト大学を卒業し、初代学生代表として同志社に派遣されている。


*内部は通常非公開
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「祝辞-同志社アーモスト館50周年記念式典講演」、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、ウェブサイト「同志社大学」、ウェブサイト「同志社の文化財建築物」、『京都市の近代化遺産』、『京都の赤レンガ』、ウェブサイト「一粒社ヴォーリズ建築事務所」、ウェブサイト「ヴォーリズの活動とその仲間たちが遣した事業」、ウェブサイト「Cross Culture”ニュース NO.11 - 同志社大学 英字新聞部OB会」、ウェブサイト「コトバンク」



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