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同志社 啓明館 (京都市上京区) Keimeikan,Doshisha University |
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同志社 啓明館 | 同志社 啓明館 |
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![]() 南側、本館正面 ![]() 南側、本館正面 ![]() 南側、本館正面 ![]() 南側、本館正面 ![]() 南側、本館正面、登録有形文化財の銘鈑 ![]() 南側、新書庫(東館) ![]() 南側、新書庫(東館) ![]() 南西角、本館 ![]() 西側 ![]() 西側、本館 ![]() 西側、本館 ![]() 西側、本館 |
同志社大学今出川キャンパス東端に、同志社啓明館(けいめいかん)はある。 かつて、同志社大学図書館だった。設計はW.M.ヴォーリズによる。 ◆歴史年表 近代、1915年、9月、卒業生などの寄付により図書館書庫(西館)が竣工した。 1920年、3月、山本唯三郎の寄付により図書館本館が竣工した。 現代、1957年、東側に新書庫(東館)が建てられる。 1972年まで、図書館として使われた。 2007年、7月、登録有形文化財に指定された。 ◆ヴォーリズ 近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・建築家 ・ヴォーリズ・ウィリアム・メレル(Vories William Merrell,1880-1964)。本名は一柳米来留(ひとやなぎ-めれる)。アメリカ合衆国カンザス州生まれ。父はジョン・ヴォーリズ、母はジュリア・ヴォーリズの長男。 1888年、8歳で転地療養のために、アリゾナ州フラグスタッフへ移る。絵画と音楽とに親しむ。1896年、コロラド州デンバーに転居した。1900年、イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学した。YMCA活動を始める。1902年 、カナダ・トロントの「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席し、ハワード・テイラー女史の講演に感銘を受けた。建築家の夢をあきらめ外国伝道を決意する。1904年、コロラド大学哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補になる。1905年、来日し、滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任した。日本初の中等学校YMCAを創立する。1907年、最初の設計になった八幡キリスト教青年会館(八幡YMCA)が落成する。キリスト教伝道の理由で教師解職になる。The Omi Mustard Seedを創刊した。 1908年 、 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所(現在の一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業する。1910年、建築家・レスター・チェービン、吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立した。1911年 、 近江ミッションを結成した。本格的な伝道活動を開始する。1912年、『湖畔の声』を創刊した。1914年、メンソレータム社の創業者 A.A.ハイドの支援で、琵琶湖の伝導船「ガリラヤ丸」が進水し、各地に教会を設立する。1918年、 「近江基督教慈善教化財団(現在の公益財団法人近江兄弟社)」を設立し、理事長に就任した。日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム、現在のヴォーリズ記念病院)」を開院する。1919年 、子爵・旧小野播主・一柳末徳(ひとつやなぎ-すえのり)の3女・満喜子と結婚した。1920年、ヴォーリズ合名会社を解散し、「近江セールズ株式会社(現在の株式会社近江兄弟社)」を設立する。メンソレータム(現在の近江兄弟社メンターム)を販売開始した。1922年、私立清友園幼稚園(現在の学校法人ヴォーリズ学園)を設立する。1930年、母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。同志社大学社友に推薦された。1931年、外皮用薬八幡工場(現在の近江兄弟社工場)が完成する。1933年、近江勤労女学校を設立した。1934年、 近江ミッションを近江兄弟社と改称した。1941年 、日本国籍を取得し、一柳米来留と改名する。京都帝国大学、同志社大学などで教え、1942年、東京帝国大学講師を勤める。戦時中は軽井沢で過ごした。1945年 、マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために尽力する。1947年、 近江兄弟社小学校、中学校、1948年、高等学校を開設した。1951年、社会公共事業に対する功績により藍綬褒章を受ける。1957年 、軽井沢で倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 1958年、近江八幡市名誉市民第1号に推される。1960年 、日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。1961年 、建築部門は独立し、「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が設立される。黄綬褒章を受けた。1964年、亡くなる。正五位勲三等瑞宝章を受ける。著『吾家の設計』『失敗者の自叙伝』など。83歳 。遺骨は近江兄弟社霊園恒春園(近江八幡市)に眠る。 伝道の一環として多岐にわたる活動を行う。建材・オルガン輸入、保育施設、幼稚園から高等学校の教育活動、図書館運営、出版、建築(住宅、学校、教会、デパート、ホテルなど)は幅広く手がけた。主な設計作品に、第1作の近江八幡YMCA会館(1906)、大丸心斎橋店本館(1922)、駒井家住宅(1927)、関西学院大学の建物群(1929)、神戸女学院の建物群(1933) (重文)、豊郷小学校(1937)など数多い。 ◆山本唯三郎 近代の実業家・山本唯三郎(やまもと-たださぶろう、1873-1927)。岡山県生まれ。鶴田藩士・坂斉正雪の次男。幼児に養子に出され、豆腐屋の小僧として働く。10歳の頃、大阪に出て新聞社の活字拾いをし、夜学の英語学校に通う。16歳の時、帰郷し兄の援助で閑谷学校、その後は同志社に学ぶ。学費が滞り中退し、札幌農学校で学び、新渡戸稲造などの指導を受けた。札幌農学校を卒業後、新渡戸の後援で石狩平野で開拓事業を手がけ大地主になる。約10年後、中国・天津で石炭販売業、貿易商社「松昌洋行」を設立し、石炭・材木貿易に従事した。1914年、第一次世界大戦の開戦により、船舶輸送業により蓄財した。1916年、岡山県で衆議院補欠選挙がで行われ出馬し落選した。1917年、朝鮮半島で大規模な虎狩りを行い、以後、「虎大尽」と呼ばれる。1920年、再び衆議院選挙に出馬落選する。大戦終了後の不況により財産を失う。54歳。 同志社図書館(現・啓明館本館)に8万円、岡山市立図書館の工費などに1万8000円、郷里の山本実業学校設立に20万円を寄付している。 ◆建築 近代、1915年に4階建ての図書館書庫(西館)が竣工した。卒業生・学生などの寄付による。1920年に5階建の図書館本館が竣工した。実業家・山本唯三郎からの寄付による。建設資金は9万円だったという。設計はW.M.ヴォーリズ・合名会社になる。 第二次大戦(1939-1945)中に、アメリカ合衆国の美術史家のラングドン・ウォーナー(Langdon Warner,1881-1955)は米陸軍当局に提出したリストに図書館建物を入れた。占領地域での文化財保護、その後の文化財返還・弁償のための措置だった。 1957年に本館東側に新書庫(東館)が建てられている。2007年7月に登録有形文化財に指定された。 書庫(西館)、本館の両棟を併せて啓明館と呼んでいる。いずれも平面は東西に長い矩形で、南北に並行して建つ。書庫はやや短い。両棟は西側で渡り廊下により繋がる。当初の平面は「コ」の字型だった。新書庫(東館)が建てられ、現在は「ロ」の字型になった。 書庫棟は、将来的には書庫として利用されることが予定されていた。南側の本館が建設されるまでは、臨時図書館として機能するように施設準備されていた。書庫棟の東西妻面には、2階以上を一連に扱うアーチ形窓がある。 本館は当初の設計では、南東に隣接する新島遺品庫との間の南の前面広場に、池泉を造る予定だったという。このため、玄関の意匠も互いに関係付けられていた。本館にはパットレス(控え壁)があり、壁面は垂直方向に分割されている。東側正面にやや突出部分がある。東西面にアーチ形窓があり、枠はタイルで縁取られている。西南隅の正面玄関には塔部分があり、最上層に3連アーチ、その周囲に花崗岩の帯状装飾が見られる。その下層に縦長窓もある。正面玄関の入口上部に大アーチ形の庇が付き、コリント様式(前5世紀の古代ギリシア美術の装飾様式)の円柱が立つ。かつて、2階にあった大閲覧室は後に改造されている。2層吹抜の高窓からは採光していた。 図書館書庫(西館)は4階建、図書館本館は5階建、いずれも煉瓦造・鉄筋コンクリート(RC)造の混構造、切妻造、屋根はスレート葺。建築面積153㎡、渡廊下は煉瓦造2階建。 現在、建物は、人文科学研究所、同志社社史資料センター、施設部により利用している。 ◆図書館 近代、1876年に、同志社が創立され、相国寺門前旧薩摩屋敷跡(現 ・クラーク記念館周辺)に、新校舎が建てられ移転になる。西側の校舎(第2寮舎)の1階に、「書籍縦覧室」が設けられた。 1887年11月に、「書籍館(しょじゃくかん、後の図書館、現・有終館)」が開館された。書籍館は同志社の初代図書館になる。 1915年10月に、新図書館(現 ・啓明館の北側)が開館した。1920年5月に、2代目の大学図書館本館(現・ 啓明館南側)が竣工した。1921年2月に、旧図書館は「有終館」と改称されている。 1973年12月に、3代目になる現在の「今出川校地図書館」が竣工した。1986年には、田辺(現・ 京田辺)キャンパスに、「ラーネッド記念図書館」が開館されている。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都の赤レンガ』、『京都市の近代化遺産』、ウェブサイト「同志社大学」、ウェブサイト「同志社大学図書館」、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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