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京都歴史災害年表 14
江戸時代後期(1787-1867) |
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1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 8室町時代前期 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆江戸時代後期 1787-1867
■1787年(天明7年) ▣(2月)町年寄・西村近江、世相悪化に付き政道批判・町代横暴を記した建白書を町奉行に提出。(「長刀鉾町文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ5月(3月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(4月15日)徳川家斉、征夷大将軍になる。(『六条有庸卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月6日)京都飢饉。伏見の窮民による大規模な蜂起・打毀し。松平定信の寛政の改革・飢饉・米価高騰などによる。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月28日)大坂米搬入につき、小買者に少分でも売り渡す旨、洛中洛外の米屋に命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月)伏見米一揆。1780年(安政9年)来の凶作により、伏見・大坂・江戸など35都市でも打毀し。(『宝鏡院殿東町永代帖』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』)  ▣(6月2日)打毀し取締り・見物人逮捕・余剰米売出しを令する。(「吉久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月5日頃-)町人が禁裏御所に参集、町奉行により施米。 ▣(6月)京都町人、米穀豊穣祈願の千度廻り行う。(「占出山町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月10日)京都米相場高値に付き、米会所役人の吟味を触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月19日)京都町人の千度廻り、内裏に聞え、鷹司家での庄内米相場価格の直売が計画され市中順達。(「長刀鉾町文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月)町年寄・西村近江ら、町人身分で鷹司家の米直売に協力したとして処罰される。京中市民怒る。(「長刀鉾町文書」『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1788年(天明8年) ▣(1月14日)伏見騒動につき、江戸評定所裁判始まる。(『雨中之鑵子』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月30日-2月2日)京都大火。「天明の大火」、「団栗焼け」、「申年の大火」 「京都大火」、「都焼け」、「京都三大大火」の一つで最大の被害。暁/卯刻/七ツ半時-2日暁、鴨川東の宮川町四条下ル団栗図子の空家/建仁寺町より出火、乾燥下東風から南東、東風に煽られ、火は鴨川を越え寺町四条下ル永養寺に引火。禁裏・仙洞御所・公家町、二条城本丸、所司代三屋敷、東西奉行所、高家屋敷、小堀殿屋敷、千本屋敷、東西組屋敷、武家屋敷67カ所、37社、東本願寺・佛光寺・本圀寺など201寺、1424町を延焼。五条大橋20間余焼落ち。焼失範囲は、東は二条新地/鴨川、西は千本通、北は今宮御旅所/鞍馬口通、南は七条通/七条北小路/六条通、鴨川東は四条通以南-五条通辺・二条新地-三条通以北。焼死者150/1800余人とも、6万5300/6万5340余世帯罹災、焼失家屋3万6797戸。(2月2日)早朝鎮火。京史上最大の火災になり、9割の家屋焼失とも。祇園祭山鉾町も多く焼失(函谷鉾・蟷螂山・占出山・郭巨山・船鉾・菊水鉾・観音山)。幕府は被災者に施米、米銀の貸与、米価などの高騰を禁じた。大名火消の亀山藩藩主・松平信道が、二条城・御所で防火活動。第119代・光格天皇は下鴨神社、その後聖護院に避難し仮御所になる。(『洛水一滴抄 下』「京都洛中洛外大絵図」「天明火災図」『平安鬱攸記』『万民千代の礎』『火用心花紅葉都噺』「伊東家文書」『花紅葉都咄』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『京の火事物語』) ▣(2月1日)幕府、火災の罹災市民に米3000俵、銀60貫貸与。 (『宝鏡院殿東町永代帖』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ⋄焼跡の金具類取得・諸品高値禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄禁裏・御所方炎上のため、山城国中の村高100石に、灰かき人足4人差出を命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月13日)大火後の普請・修復のため、手軽な普請奨励し、増賃銀・高値販売禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月16日)大火後の復興作業円滑のため、建設関係諸職人の他所雇い入れを解禁。(大工のみは五畿・近江に限定)(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月19日)大火後に幕府、檜以外の諸材木搬出・適正価による自由販売を諭示。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(2月23日)大火後の諸物価高騰を防ぐため、物資輸送は当1カ月は別段に心得、大坂・大津・伏見・淀・鳥羽・横大路辺の問屋・過書船方に令し、ほか諸業者に雇入・買入勝手次第たる旨令す。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月)大火後、京都疾疫流行。荻野台州、薬草鳥甲を初めて用い数百人を治療。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月10日)大火後、洛中洛外での焼流金銀・下金・銀道具類の金座・銀座・下買以外への販売を禁ず。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(3月12日)灰かき人足の差出不調のため再令。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月24日)大火焼死者追討法要、知恩院で7日間行われる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月)諸会所・諸仲間・諸株の冥加金銀を免除する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄五畿・近江・丹後・丹波・播磨に、雑木・松・杉板・屋根板の勝手次第の売出し許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月22日)京都疾疫流行。痘瘡流行。病人世話を町役・家主などに申し付ける。(「京都町触」「古久保家文書」『京都事典』『日本史総合年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月6日)伏見騒動につき判決下り、小堀政方の罪状認められる。(『雨中之鑵子』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月8日)大火類焼で伏見に引っ越した者の人数・男女別を調べ、札の辻会所まで差し出すよう触出る。(「御香宮三木家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)諸事、町中の勝手よきような取りはからう旨、町代に令する。(「占出山町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄町奉行、屎尿の、摂津・河内37カ村への移出承認。(「津田太郎家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄近江屋忠蔵(新町五条下ル町)、米買占露顕し欠所になる。(『親町要用亀鑑録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月19日(6月16日)京都洪水。(『京都気象災害年表』)
■1789年(天明9年/寛政元年) ▣(1月25日)第119代・光格天皇の時、火災により寛政に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(2月9日/8日)高台寺方丈焼亡。(『池魚録』『文恭院実紀』『続徳川実紀』『西遊日記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(6月16日-18日)京都大雨。嵯峨辺・鴨川大水。丹波なども洪水。(『泰平年表』『輝良公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1790年(寛政2年) ▣グ7月-9月(6月-7月)近畿旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月9日(8月1日)京都大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) 
■1791年(寛政3年) ▣(4月)洛中洛外で浪人・町人の鉄砲取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月6日)大風雨により家屋倒壊の者、怪我人救済、大工・左官などの値上げ禁止触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣9月13日(8月16日)信濃で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣グ9月17日(8月20日)近畿・京都大雨風。市中所々被害。諸役宅・屋根廻り・高塀など破損、寺社・町家の屋根も破損。倒木・枝折れ多し。(「京都町触」『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(10月)風損所々の修復入札多く行われる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、一乗寺村と修学院村で鷺森地面めぐり境争論。(「修学院村共有文書」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1792年(寛政4年) ▣グ9月12日(7月26日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月12日)誓願寺焼亡、勧化許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、松ヶ崎村と下鴨村で太田井堰めぐり用水争論。(「上一乗寺共有文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1793年(寛政5年) ▣(3月14日)田中村ほぼ全焼。(『六条有庸卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1794年(寛政6年) ▣(6月5日)四条火災、芝居小屋3座全焼。(『続皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京の火事物語』) ▣夏、雨降らず鴨川舟運絶える。 (『康弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(11月8日)京都風烈。(「京都町触」『日本災変通志』) 
■1796年(寛政8年) ▣(4月16日)五条橋破損・松原河原出水により、稲荷神社神輿、外道通行を命じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月)北大原の持明院焼亡。勧進許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1797年(寛政9年) ▣(1月8日)禁庭警固の武士、討入・流血。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月-9月(閏7月)近畿旱魃。(『京都気象災害年表』)
■1798年(寛政10年) ▣(2月22日)京中のえた・非人の無礼振舞を取締る。(古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)葵祭用の下鴨仮橋の丸太材170本ほど流失。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ8月12日(7月1日/2日)京都雷雨。夜、方広寺大仏殿雷火。朝未明/八ツ頃-朝九ツ半、大仏に落雷3度あり、屋根より燃え上がり水鉄砲届かず。(3日-4日)大仏殿・本尊・仁王門・廻廊まで焼亡。(『甲子夜話』『師資朝臣記』『泰平年表』『宝暦現来集』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』)  ▣(8月)市中町々の悪水抜き川浚えを指示する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、松ヶ崎村と下鴨村で、高野川筋・太田井堰の分水量をめぐり用水争論。(「上一乗寺共有文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1799年(寛政11年) ▣(7月23日)京都旱魃。家別に井戸水を朝夕2-3杯、溝筋に汲み流すよう触れる。東は油小路、西は千本通、北は新町頭、南は五条通の範囲内。(「京都町触」『日本災変通志』)
■1800年(寛政12年) ▣(1月20日)京中町方で下水溝筋埋まり、道標破損・水溢れる可能性のある場所の修復指示。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月15日)愛宕山本社火災。(『池魚録』『続徳川実紀』『日本災変通志』『京の火事物語』)
■1801年(寛政13年) ▣(7月)洛中での大花火打ち上げ禁じられる。(「上艮組頭町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄鹿ヶ谷村で庄屋の不正をめぐり村方騒動。(「鹿ヶ谷村文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月3日)洛中での烟火戯禁じられる。(『忠良公記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1802年(亨和2年) ▣(1月-3月)京都に傷風(風邪の一種)流行。 ▣(5月22日)洛中洛外に出火の際に、火消屋敷からの駆出人・人集めにつき触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月26日(6月27日)近畿風雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月-7月)近畿大洪水・高潮。去る(5月28日)久御山町一口(いもあらい)で真鯛が獲れる。(『慶応事件記』) ▣グ8月27日(7月30日)京都烈風。(『京都気象災害年表』)
■1803年(亨和3年) ▣(3月中旬-4月)京都疾疫流行。麻疹流行。(『幽遠雑話』) ▣(12月下旬-翌年1月下旬)丹波国宮津城下の乾の成相寺観音境内、池の坊の畑で陥落。鐘楼堂下までの100間ほど地裂け7-8尺ほど陥没。堂宇・人馬被害なし。(『一話一言』『耳嚢』『日本災変通志』)
■1805年(文化2年) ▣グ4月20日(3月21日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) 
■1806年(文化3年) ▣(6月23日)山城大雨。淀川決壊。(『続皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月28日)鞍馬寺焼亡。以後、再建工事めぐり長期に騒動続く。(「岸本家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、京都大雨。小枝橋流失。((文化8年6月)の『京都町触集成』『日本災変通志』) ⋄西本願寺の異安心事件に幕府介入し、関係者処分。(『御裁断御書』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1807年(文化4年) ▣(3月13日)福知山「五兵衛焼」 ▣(5月20日)近畿・西国洪水。 ▣グ6月-8月(5月-6月)京都・近国大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月5日)鴨川出水。祇園神輿の大和大路廻を指示。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ10月18日(9月17日)丹波・近畿・大風雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月19日)京都大風雨。所々破損、修復に用いる品々の値上げ禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月)京都大雨風。破損あり。屋根屋・大工・左官・日雇らの賃金・材木などの値上げ禁じる触れ。(『京都触書集成』『日本災変通志』) ▣この年、葛野郡牛ヶ瀬村の麦作付け収穫悪く、年貢減免を願い出る。(「津田家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1808年(文化5年) ▣(閏6月19日)愛宕山本社焼失につき、勧化許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1809年(文化6年) ▣(6月)疫病除きの消毒薬「乳泉散」を、京都の「三河屋」「大和屋」に売らせる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月-12月)京辺より西国、殊更に暖和なり。(『続徳川実紀』『日本災変通志』)
■1810年(文化7年) ▣(8月以前)先に、樒原村と丹波国桑田郡馬路村の草刈争論あり。馬路村、樒原村に詫状提出。(「樒原共有文書」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1811年(文化8年) ▣(6月晦日)京都風損あり。(『京都町触集成』『日本災変通志』)
■1812年(文化9年) ▣(3月10日)土佐で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(8月)京中に盗賊多い。(『伊光卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1813年(文化10年) ▣冬、京都で火災頻発。(『京の火事物語』)
■1814年(文化11年) ▣(3月28日/29日)鞍馬山火災。夜、寅下刻、本堂下3軒目坊より出火、本堂・宝蔵・小屋場など13棟程焼亡。本尊・脇立・宝剣など取り出す。(『豊芥子日記』『華頂要略』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(3月)北野天満宮大破により、山城国中信者に供米促す。(「古久保文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1815年(文化12年) ▣3月1日(1月21日)加賀小松で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(1月)天竜寺焼亡。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月2日(6月27日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣この年、御室川上流、鳴滝・常盤・福王子・谷村の4カ村協力し新堤構築。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1816年(文化13年) ▣グ8月3日(7月10日)京都衝風。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月24日(閏8月3日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) 
■1817年(文化14年) ▣グ5月6日(3月21日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(3月22日)第120代・仁孝天皇践祚。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月)京都近郊風雨。雹損あり、伏見京橋番所・牢屋敷水損。菜種凶作、油高直。(『京都町触集成』『日本災変通志』)   ▣(6月)菜種凶作。油の高値売買禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1818年(文化15年/文政元年) ▣(4月22日)第120代・仁孝天皇の時、前年の天皇即位・本年(9月)の浦和へのイギリス船来航によりに文政に災異改元とも。(『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(12月9日)鞍馬寺の伽藍焼失につき、勧化許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1819年(文政2年) ▣(1月24日)京都四条火災。(『藤岡屋日記』『日本災変通志』) ▣(2月12日)第120代・仁孝天皇、疱瘡罹患し、幕府高家・土岐大膳大夫を御使として京都に向かわせる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月25日)第120代・仁孝天皇の疱瘡御酒湯に、徳川三家・群臣総出仕。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月12日)京都・伊勢・美濃など大地震。石灯篭など多く倒れる。(『泰平年表』『慶弘紀聞』『日本災変通志』) ▣(10月24日)洛中洛外での落書・奇怪な風説を禁ずる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1820年(文政3年) ▣この年、葛野郡西梅津村の農民、庄屋の年貢不当取立に反対。(『京都の歴史10 年表・事典』)
■1821年(文政4年) ▣グ8月31日(8月4日)五畿内・近江・美濃・丹波・丹後大風雨。所々洪水。(『泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) 
■1822年(文政5年) ▣(5月頃)京都・江戸など霖雨洪水。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(6月12日)京都地震。(『本朝地震記』『日本災変通志』) ▣(6月)堀川上流での新規建築を禁ず。(「木村家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)京都疾疫流行。コレラ病、初めて京都に侵入する。(『桓武奠都後悪疫流行年譜』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ⋄水油高値につき大坂油問屋以外への売りさばき禁じる。(10月)に再触。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄▣宮津百姓一揆。 ▣この年、堀川筋高辻井堰での分水量をめぐる用水争論あり、壬生・西院・中堂寺村など10カ村年寄が奉行所に裁断出願。ほか争論は、文政8年・嘉永3年・安政5年にもある。(「竹内家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1823年(文政6年) ▣(11月15日/12日)東本願寺、夜半-暁、自火により焼亡。(『甲子夜話』『池魚録』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』)
■1824年(文政7年) ▣(8月-11月)粟田焼陶工職人と五条坂陶工職人間で陶器争論ある。五条坂陶工が粟田焼と類似焼物を作製したことによる。(「粟田・五条坂出入一件」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月)西高瀬川開鑿計画される。下鳥羽村陸揚げの二条城城米運搬が鳥羽街道の車運衰微により不便になったためによる。(「宇野家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1825年(文政8年) ▣この年、聚楽組の大加番在任中に、上京大仲に仲間割れ起こる。後に和談。(「聚楽教育会文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1826年(文政9年) ▣グ6月26日(5月21日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) 
■1827年(文政10年) ▣(1月)大坂天満与力・大塩平八郎、京都の陰陽師・豊田貢らキリシタン一党を検挙。(「邪宗門一件留」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1828年(文政11年) ▣グ8月11日(7月1日)京都大仏殿雷火。(『京都気象災害年表』) ▣(8月16日)京都も大風雨。淀大橋芥除杭の内、出水により折損。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣この年、伏見の伏見川口・堀川筋・大池などで猟師仲間区域での素人漁が禁止される。(『京都の歴史10 年表・事典』)
■1829年(文政12年) ▣(2月)米価高値につき、京中での浮説禁じる。(「上艮組頭町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月18日)京都大風雨。東本願寺・知恩院など破損。(『知恩院日鑑』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月5日)愛宕山本社大破により勧化許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月5日)キリシタン摘発事件の豊田貢ら6人、大坂で磔刑になる。ほか65人処罰。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月)僧尼の綱紀粛正、厳重に布達。(『浮世の有様』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、1788年の天明の大火後、勝手次第の諸仲間復旧し、以外の諸商売禁止。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1830年(文政13年/天保元年) ▣(1月8日)洛中洛外のキリシタン宗門取締が触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(閏3月)阿波から流行の伊勢参宮お蔭参りが京都・大坂に拡がる。京都で風俗取締が行われる。(「文政十三寅年伊勢御蔭参実録鏡」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月22日-23日頃)上方-四国筋で伊勢大神宮お蔭参り流行。京都も賑わい町によっては旅人に施行。伏見京橋の川舟参宮人1日7万人の出入りあり。(『巷街贅説』『日本災変通志』) ▣(4月)僧尼綱紀粛正により、京都の多数寺院の破戒僧が逮捕、三条大橋で晒される。(『日要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月晦日)京都大火。四条麩屋町、松原通間火災。家84軒焼失。「京都45年目の大火」。(『泰平年表』『京の火事物語』『日本災変通志』) ▣(6月)将軍塚鳴動。(『甲子夜話』) ▣8月19日(7月2日)京都大地震。「京都地震(文政の大地震)」「京都大地震」「文政京都地震」 申の刻(15-17時)、七ツ時/七ツ半/申刻 M6.4-6.5/6.5±0.2、深さ10km。京都市内震度6弱(現東山区など)・5強(南区など)・5弱(左京区など)。愛宕山付近を震源にした内陸地震。柏原などで家屋倒壊。愛宕山の坊崩潰、神護寺大破、戸無瀬滝崩れ、天龍寺小破地割れ、泥噴出。比叡山西峰崩落により御蔭神社が被災し社殿流失。鷹峯で地面がひっくり返る。北野天満宮の石燈籠76本/多数倒壊、仁和寺の成就山、妙心寺麟祥院、大覚寺で被害。聖護院破損、御所外廻築地大破・屋根・石垣破損・倒壊、堂上方囲い塀の過半崩れ倒壊、禁裏・仙洞内厠全部、物置倒壊。九条・鷹司・二条の外堀・公家方のの館多く破壊、二条城の諸門・番衆小屋倒壊、周囲の石垣崩落、その上の櫓・西門・土塀の大破・倒壊、二之丸御殿傾く。二条城で液状化被害。所司代屋敷の外囲い土塀の過半崩れ落ち。堀川の蕎麦屋崩れ落ち客6人死亡。寺町の奉行役宅、洛中洛外の長屋・土蔵・塀・古三階建家など悉く崩壊。表通りの家に大損害無し。両本願寺1尺(30㎝)ほど傾く。佛光寺の土蔵倒壊、冷泉家の土蔵4棟潰れ。清水寺回廊崩落、祇園の石燈籠全損136。方広寺石塁一部倒壊、耳塚五輪塔崩落、一の橋-方広寺付近までの伏見街道、五条坂で被害、東西本願寺諸堂1尺ほど傾く。仏光寺土蔵崩れ、祇園祭山鉾町の長刀鉾町の土蔵倒壊、道具類も損壊し、翌年の巡行は長刀を入れた唐櫃のみ。三条白川の石橋粉々になる。城内・町方で大地1-2寸、3-4寸方地割れ諸所あり。加茂川沿い・清水辺・伏見などの地割れ損害多し。盗賊騒ぎ・放火あり。醍醐門跡外堀・勧修寺宮破損。伏見で紀州藩伏見屋敷の表長屋転壊、京橋の本陣・脇本陣・旅籠・商家・町家倒壊、中書島の遊郭破損・倒壊、宇治橋半ば落ちる。淀城の櫓・石垣破損、領内潰4、宇治川通の堤防崩れる。御香宮神社で強い揺れ、八幡で石燈籠倒壊18、丹波亀山で死者4人、負傷者5人、崩家41、損所50カ所。京都で死者280/700余人、1600余/1300人が死傷、損壊1300棟、土蔵被害2万。鳴動・前震あり、余震は翌年(1月)まで600回/635以上になった。激震ではなかったとも。京都周辺の活断層 越畑断層?(7月4日付「京都詰御普請役大木三七郎の報告」『巷街贅説』『文政雑記』『甲子夜話』『宝暦現来集』『京都地震実録』『京大地震』『京都大地震略記』『本朝地震記』『地震奇談平安万歳楽』『浮世の有様』『成就院日記』『泰平年表』『紙魚室雑記』「京都町触」「文政十三年寅七月二日京伏見大地震之始末書」」『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』『日本被害地震総覧』「 地震インフォ」) ▣(7月3日)地震につき諸職人の賃銀値上げが禁じられる。(古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月4日-5日)京都火災。中立売新町角、室町頭、七条大宮通などで火事少々。(『三河屋金次郎の報告』『日本災変通志』) ▣(7月6日)種々異説を触れ、市中騒すこと禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月9日)振動20余度。十二坊辺・鞍馬口・新町・中立売上などで失火。(『郷文弥の日記』『日本災変通志』)  ▣(7月13日)北野辺失火。(『郷文弥の日記』『日本災変通志』) ▣グ9月2日-4日(7月16日-18日/17日)京都大風雨・洪水。「文政京都土砂災害」「宇治大水」 地震後の大雨で音羽山・音羽の滝崩落、大水噴き出し音羽川氾濫、家屋流失・人的被害あり、清水寺本堂・舞台脇廻廊10間余山下に崩れ落ちる。廻廊町に押し流され人家夥しく潰される。地主神社拝殿崩れる。西町・松原通出水・五条通・問屋町通・伏見街道五条下ルまで浸水。家破損、病者・子供溺死夥し。上京で倒壊家から出火火事。堀川・小川の橋皆流落死人あり。地震後の山抜け・地割れ・大水押し出しなどで公の届け出死者800余人とも。宇治洪水、堤切れ、宇治橋1-2尺水乗り流失し豊後橋で止まる。(『宝暦現来集』『甲子夜話』『浮世の有様』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月16日)京都大震。東山「大(左大文字)」は焼かず。(『郷文弥の日記』『日本災変通志』) ▣(12月10日)第120代・仁孝天皇の時、地震により天保に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)
■1831年(天保2年) ▣(3月8日)淀川の大浚渫工事行われる。(『甲子夜話続編』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1832年(天保3年) ▣(7月4日)二条城内外、地震による破損修復のため、火の元用心触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1833年(天保4年) ▣(9月9日)先の大地震・大風・全国の凶作により、京都の米価高騰。山城近郊に、京都市場への米供出命じ買占禁ずる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』)   ▣この年、全国的凶作により米価高騰、困窮により捨子476人、行倒れ580人。(天保の大飢饉) (『新古見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) 
■1834年(天保5年) ▣(1月)伏見稲荷神社に多数の参詣者集まるという。狐が豊年を祈り踊るという噂流れる。(『雑記後車の戒』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月25日)鴨川・桂川での素人漁禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)鴨川筋の木綿晒は、木綿晒屋以外は禁じる旨触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月-10月)米価高騰につき、町奉行により難民に救米施行。(『新古見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月15日)京中油値段高値につき、油下値売捌き紋章の売出し指示。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣冬、米価急騰やや静まる。(『雑記後車の戒』『京都の歴史10
年表・事典』)
■1835年(天保6年) ▣グ6月17日(5月22日)丹波風水。(『京都気象災害年表』) 
■1836年(天保7年) ▣(6月5日)御所近辺での大花火禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月(6月)近畿寒冷。(『京都気象災害年表』) ▣(7月18日)辰巳大風。京都・江戸・奥州など田作損じ飢饉になる。(『天保巳申録』『日本災変通志』)  ▣(7月20日)1788年の天明の大火焼亡横死者の50回忌を、寺町・清浄華院で営む旨触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣グ9月23日(8月13日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月)葛野郡川島村の指導者・山口薫二郎らにより、庄屋不信任の村方騒動あり。(「革島家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月-10月)町奉行・東本願寺・修正舎など、難渋民に救米施行。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)飢饉により京都に乞食多くなる。身元調査の上、国元に帰らせる。(『浮世の有様』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月)市中に行倒れの死者増加という。(『筆まかせ』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)町奉行所、貧民に米施行。不穏言動取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、京都大風雨。水害などにより飢饉深刻化という。(『日要記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ⋄えた身分の者の市中流入、厳重に取締、見つけ次第召し捕えられる。(『浮世の有様』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1837年(天保8年) ▣(1月30日)京中米価高値のため、銭相場引上げ・銭売買の諸値段引下げ命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(2月5日)儒者・北小路三郎ら、三条河原に小屋建て賑救。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月22日)前日(21日)に大坂で大塩平八郎の乱あり、この日、京都で残党取締命じられる。(『日要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月10日)大塩乱で、宿屋以外の止宿禁じられ、不審者取締厳重になる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月18日-7月12日)有志により、興徳寺(元誓願寺黒門東入ル)で西陣織職工へ粥施行。(『新古見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(4月2日)所司代、大塩乱の与党・大井正一郎を召捕える。(『塩賊騒乱記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄徳川家慶、征夷大将軍になる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月28日)洛中洛外での田舎米直買許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月17日)麦売り出され、難渋者の救済行われる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)群集しての市中の米屋襲撃禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、東本願寺・修正舎など粥施行。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1838年(天保9年) ▣グ2月12日(1月18日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月14日)京都町人の御制度批判、取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、豪商宅を襲っていた女盗賊処刑。(『浮世の有様』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄広河原村で村方騒動あり。前庄屋・伝右衛門の年貢割方改めを不満とする。その後落着。(「広瀬家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1839年(天保10年) ▣(3月-4月)京都に「豊年踊り(ちょっちょ踊り)」大流行。京都で始まり伏見・大坂に拡がる。市中所々夜分まで大騒ぎし踊り歩行。(『泰平年表』『甲子夜話』『大島直珍日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月1日)二条城蔵役所火災。(『池魚録』『京の火事物語』) ▣(10月13日)悲田院年寄依頼の小便桶、町々に設置し汲取りを許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1840年(天保11年) ▣(5月)心学者・柴田遊翁ら、天保の飢饉時の恤救活動により奉行所より表彰される。(「明倫舎文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月)下桂村、庄屋に反対の紛議なされる。(『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1841年(天保12年) ▣(2月24日)諸物価高値につき、諸品値下げ命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣4月22日(3月2日)駿河で地震。京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(6月9日)百姓(壬生西往寺前町)ら、琵琶湖疏水計画出願。(「京都大学所属文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月10日)泉涌寺帝廟など失火焼亡。(『二条家番所日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月)幕府、質素倹約につき十カ条触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1842年(天保13年) ▣(2月3日)京都火災。河原町二条下ル町より出火、近辺類焼。(『武江年表』『続泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣グ6月25日(5月17日)京都大雨洪水。加茂川溢れる。(『十三朝紀聞』『日本災変通志』) ▣グ7月7日(5月29日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣この年、洋医、初めて禁中で拝診。(『京都医事衛生誌』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1843年(天保14年) ▣(8月)京都付近、日照り続く。(「京都町触」『日本災変通志』) ⋄グ8月25日(8月)丹波大旱(『京都気象災害年表』) ▣(9月21日)町奉行、醤油・味噌などの値下げ命じる。(『「岡村大治郎家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1844年(天保15年/弘化元年) ▣(8月15日)郡村、宿村・川勝寺村・紀伊郡新田村を相手取り桂川筋用水争論。翌年まで続く。(「地蔵院文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月2日)第120代・仁孝天皇の時、火災により弘化に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣この年、西庄村・御所内村・唐橋村・西七条村と吉祥院村、紙屋川井堰の高さめぐり用水争論。(「竹内家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1845年(弘化2年) ▣(1月27日)誓願寺焼亡。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1846年(弘化3年) ▣(2月13日)第121代・光明天皇践祚。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月16日)泉涌寺焼亡。(『慎徳院実紀』『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(閏5月19日-20日)京都大火。戌刻-翌巳刻、四条道場金蓮寺境内より出火、北は錦小路/錦天神、南は綾小路/仏光寺、西は高倉辺、東は寺町までが焼失。10町余/南北3町東西6町焼失。この年以降、大火・洪水など続き物価高騰する。(『池魚録』、閏5月の「京都町触」『京都出火』「弘化火災図」『柳原隆光日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(閏5月22日)諸材木の高値禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月-11月(6月-9月)京都・諸国霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(7月7日/8日)京都大風・大水。鴨川氾濫、三条橋・五条大橋落ちる。東部の街上、深さ3-4尺、上ノ口・下ノ口・七条口に門を閉め防ぐ。一時、元三条大橋下に船渡、橋北に(13日)仮橋架橋。(「京都町触」『今日鈔』『柳原隆光日記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)  ▣(7月9日)鴨川大氾濫。 貴船辺山崩れ。(古久保家文書」『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月18日)京都洪水。三条大橋落つ。(『巷街贅説』『日本災変通志』) ▣グ10月21日(9月2日)京都大風雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月3日)鴨川洪水。所々の橋梁破損。(『続泰平年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月22日)牢屋敷より牢抜け。夜、10人の罪人脱し、その後、1カ月余の捜査・見廻り。(「萩野家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(11月27日)伏見火災。(『京の火事物語』) ▣この年、下古京八組に触れ当番の順序につき争論。後、示談。(「役行者町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1847年(弘化4年) ▣(3月9日)京都学習所の開講式挙行。後、志士集い尊攘運動の策源地になる。(『武家伝奏達』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月24日)信濃北部・越後西部 善光寺地震。京都有感。 ▣グ8月23日(7月13日)丹波・大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(10月)上賀茂の神道家・梅辻󠄀規清、八丈島配流。(『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ12月14日(11月7日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1848年(弘化5年/嘉永元年) ▣グ2月18日(1月14日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(1月)道造り(三条白川橋-蹴上)普請する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月28日)第121代・孝明天皇の時、(2月)の天皇即位、外国船来航により嘉永に災異改元とも。(『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(3月7日)大津街道の道造りする。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月9日(5月9日)京都雷雹。京都白川、雹降る。(『今日鈔』『日本災変通志』)  ▣グ6月18日(5月18日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月5日(6月5日)京都・近国・大雨洪水。近江大水。鴨川・宇治川氾濫、巨椋池決壊。宇治橋・橋姫社流失、豊後橋破壊。醍醐・山科・深草で諸山崩れ水出す。深草御陵山崩れ・所々出水。笠取で土砂災害。丹後由良川大洪水・溺死者多し。(『今日鈔』『武江年表』『慎徳院実紀』『大島直珍日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣グ8月16日(7月18日)京都龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣(8月5日)京都大風洪水。鴨川、宇治川洪水。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ9月9日-10日(8月12日-13日/12日)京都・近国・大風洪水(台風)。申中刻-翌卯刻。京都など大風雨、各地で洪水。鴨川・桂川大溢、五条橋石柱4本倒す。河東街上水3尺。人家多く倒れ、市中浸水、川水高1丈9尺。三十三間大破、通し矢に差し支える。木津川1丈9尺上る。笠取で土砂災害。丹波国園部領、川々洪水・田畑損亡高1万8150石、潰れ家30軒、綾部・福知山も同様。(『今日鈔』「京都町触」『温恭院実紀』『京都気象災害年表』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣竜巻。
■1849年(嘉永2年) ▣(6月)社会事業家・熊谷直恭、有信社(姉小路御幸町)を設立し、種痘所とする。(「熊谷家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)医師・日野鼎哉、種痘館(二条新町)設立。(『京都の歴史10 年表・事典』)
■1850年(嘉永3年) ▣(3月16日)京都火災。白山通樋口(下京)より出火、50町ほど焼失。 ▣(4月16日)京都火災。麩屋町万寿寺上ル失火、西南の強風にあおられ数カ町焼亡。北は仏光寺、南は万寿寺、東は高瀬川、西は富小路を焼く。20町余が罹災、京中の木材価格が高騰する。(『京都出火』「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『京の火事物語』) ▣(4月17日)前日の火事で焼失多数のため、材木・手間運賃の高値禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月24日(5月15日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月3日)米価高値のため、下値売り渡し命じ、後に米占売占買禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月12日(8月7日)近畿・九州・四国・中部・大風雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月)畿内(京都以西)飢饉。町奉行、西陣各戸に米3升・銭300を与える。市中食料潤沢ならず、在方百姓、米穀余分に貯える者・新米、米屋に売り渡すべし。占め売り・買い占め堅く致すまじく。(『今日鈔』、(8月)の「京都町触」『高機八組日記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ⋄ 川島村に用水争論。願書草案、山口薫二郎が作成。(「革島家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月-9月)洪水水損。京都・大坂・江戸など三都で米穀価高騰・払底。但し、京都では奇特者、度々米銭施行とも。(『飢饉考』「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ10月7日-8日(9月2日-3日/2日)京都・近畿・九州・四国・中国・中部大風雨・洪水。鴨川氾濫、三条大橋・五条大橋20間が流失。山城・丹波・丹後但馬などで山崩れ多発。(『今日鈔』「京都町触」『京都気象災害年表』『京都事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』)  ▣(10月)京都で飢者に賑給。富商合力し、神社・仏寺で米斗銭2貫・300文・升米・5合米など賑給。両本願寺、境市賑す。東本願寺、1人毎に合米施し、年越え止む。(『今日鈔』『日本災変通志』)
▣(11月)京都で飢者に賑給。知恩院、石田梅巌徒ら10講舎で毎朝湯粥を日に1万5000人に施す。西町奉行銀25貫銭・東町奉行米250石を発しこれを助く。篤志家よりの施物も加える。講舎は明倫舎(教諭所)・時習舎・脩正舎・楽行舎・妙満寺・粟島社・浄雲寺・檀王法林寺・万屋宗兵衛家。(『今日鈔』、(12月)「京都町触」「明倫舎文書」『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月3日)教諭所など粥施行につき施物加入求め触れる。(19日)再触。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、東梅津村で庄屋弾劾の村方騒動あり。村方諸入用銀の使途不明めぐる。(「林忠治家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1851年(嘉永4年) ▣グ2月8日(1月8日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(1月-10月)教諭所で度々粥施行ある。(「明倫舎文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月2日)京都で飢者に再び賑給。米価高騰止まず飢餓難者救恤のため、10施行場で再び分施。西町奉行銀25貫銭・東町奉行米250石を発す。(『今日鈔』、2月「京都町触」『日本災変通志』) ▣(3月)加茂川筋出水。五条橋北の仮橋流失。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(5月19日)町奉行、10カ所の施行場で銀・白米を渡す。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)京都飢餓者に賑給。飢餓者増加による。10施行場で民間有志の施物とともに、西町奉行銀30貫銭・東町奉行米300石を発す。(『今日鈔』、(5月)「京都町触」『日本災変通志』)
▣(6月)加茂川筋出水。五条橋北の仮橋再び流失。(「京都町触」『日本災変通志』) ⋄米価格、下値になる。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月20日)豊作のため10施行場で最後の粥施行。(「京都町触」『日本災変通志』)
▣(9月22日)町奉行、東塩路村ほか11カ村の難渋人への施行認める。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)教諭所施行残金、上・下古京の町々で預かる。(『親町要用亀鑑録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1852年(嘉永5年) ▣グ9月4日-5日(7月21日-22日)近畿・四国・京都烈風(大風)・大雨洪水。諸川溢漲、橋梁民舎流失。常御殿破損。(『万里小路日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(8月18日)近畿洪水。鴨川氾濫、三条・五条仮橋流失。(『若山要介日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣グ10月5日(8月22日)近畿・中国・江戸・風雨洪水。(『京都気象災害年表』)
■1853年(嘉永6年) ▣(1月28日)京都火災。(『今日鈔』『京の火事物語』『日本災変通志』) ▣(2月17日-)西大谷の砂持ち(鴨川浚渫作業)で、正面河原から土砂を運ぶ。(23日)に関連行事として仮装行列。(和気亀亭『日記』) ▣グ6月23日-24日(5月17日-18日/18日)京都大雨・洪水。三条・五条の仮橋流失。(「京都町触」『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(7月10日)京都旱魃。大仏柳原庄・ほかの村の願いとして町々の家別に、井戸水、朝夕に釣瓶2-3杯程を、銘々溝筋に汲み流すように触れる。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(10月23日)徳川家定、征夷大将軍になる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月3日)西陣窮民に賑給。糸原料の多年草の枲(かわらむし、苧)欠乏のため物品高騰による。京都両奉行所、米500斛を発し3000人に賑給。米2000斛を発し、諸街窮民に賑給。(『今日鈔』『日本災変通志』)
■1854年(嘉永7年/安政元年) ▣(1月22日)京都所司代、米艦(ペリー黒艦隊)、江戸港再渡に際し、平穏なる旨告げ市民動揺戒める。(『小佐治光文日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月6日-7日)京都大火。内裏炎上。「京都嘉永の大火」「毛虫火事」「御所焼け」正午/午中刻-翌五ツ時/卯刻。仙洞御所の芝殿より出火。噂では仙洞御所の女官が、庭木の松菰を外し毛虫を焼こうとし屋根に燃え移った失火によるという。乾燥下、東風に煽られ内裏・仙洞御所炎上、御所の内過半焼け。禁裏御所・仙洞御所・一条・西園寺・今出川・醍醐・日野・烏丸・勧修寺など焼亡。中立売御門より西に出、市街地まで延焼、西は千本通、北は今出川、南は下立売、東は寺町西側、西は千本まで焼失。西北は浄福寺、西南は猪熊町勘解由小路までとも。焼失の町数190/200余、東西30町・南北8-9町とも。寺社24、家数1万1700/500/5000/7000軒余を超える。第121代・孝明天皇は下鴨社へ避難。現京都御所はこの時焼失した内裏を再建したものが基礎になる。妙顕寺・妙覚寺など3カ寺で被災者に食を給した。(『高木在中日記』「京都大火之図」「京都出火略図」「内裏炎上につき献金書留帳」「京都町触」『続実記』『片葉雑記』『東本願寺上檀間日記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』『日本歴史災害事典』) ▣(4月9日)幕府、井伊直弼に京都警備命じる。(『安政年録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月31日(5月5日)京都雹。雹降る。(『今日鈔』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(6月14日)京都大風雨。夜八ツ時/暁丑刻前、地震。(『片葉雑記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ6月27日・グ7月9日(6月15日)京都大地震。「安政伊賀上野地震」「伊賀上野地震」、1時頃、震源は三重県中部、M7.1、深さ20-30km、木津川断層系で発生した地震?。京都の木津震度5強、京都市・宇治市震度5弱。京都など一部で最大震度6以上とも。南山城・笠置・加茂・木津・山城などでも被害。北野天満宮・若宮八幡宮の石燈籠倒れる。連続し複数の地震が発生し、液状化被害もあったという。御香宮神社の石燈籠31基転倒・拝殿歪む。岡山藩伏見屋敷で液状化被害。宇治橋周辺の川岸石垣崩れる。興聖寺の石燈籠・石塔・土塀など破損。瓶原で液状化。(24日)まで余震続く。(『本しらべ』『甲子夜話』、和気亀亭『日記』、御香宮神社『社用雑記』「三上方御下知状留」『萬筆記』『温恭院実記』『脇坂安宅日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』「 地震インフォ」) ▣(9月19日-10月5日)プチャーチンの露艦、大坂入津により、郡山藩・亀山藩などに京都警備命じる。町奉行・脇坂安宅、山崎・伏見口守備のため出動。(『外交記事本末底本』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月4日)京都大地震。(6月)よりは軽き方。(『温恭院実記』『日本災変通志』) ▣(10月5日)露艦退去により、京中の非常警戒解く。(『広橋光成日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月11日・グ12月23日(11月4日)「安政東海地震」9時頃、 M8.6、震源は遠州灘、М8.4、南海トラフ東側で発生。南丹市震度5弱、京都市・震度4。(「 地震インフォ」) ▣ユ12月12日・グ12月24日(11月5日/4日)「安政南海地震」16時頃、М8.4/8.7 震源は南海沖。南海トラフの西側で発生。宇治市・伏見区震度5弱、亀岡市震度4。京都の寺社被害、全壊家屋あり。(5日)昼、京都南西に声あり、雷の如し。南海の溢音(津波音)ならん。(『今日鈔』『日本災変通志』「 地震インフォ」) ▣(11月16日)先の大地震により、七社七寺で祈祷。(『東本願寺日揮』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月18日)京都警衛、酒井忠義・柳沢保徳・本多康融らに命じる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月27日)第121代・孝明天皇の時、火災により安政に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣この年、町奉行・与力・同心ら、上久世村で砲術演習。(『東坊城長日記聰』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1855年(嘉永7年/安政元年) ▣(1月2日)二十二社・諸国大社に国家安泰祈らせる。(『橋本実久日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(2月14日)有志(一之船入町・塗師屋町)により世話場設置し、極難者の入所勧める。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月22日)京都警備の部署・屯戍(陣営)決定。(『土山宗武日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月)京都大旱。神泉苑で祈雨。 (『橋本実麗日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月20日)近畿大暴風雨。被害多い。(『勧修寺顕彰日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月3日)町奉行・脇坂安宅、配下の砲術を上久世河原で閲する。(『脇坂安宅日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月10日)勅して、七社七寺で災異を祈祷させる。 (『橋本実麗日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ10月30日・グ11月11日(10月2日)「安政江戸地震」、22時頃、M7.0
、震源は東京湾、宮津震度4。(「 地震インフォ」) ▣(11月)蝦夷地開拓の希望者募る。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1856年(安政3年) ▣(5月17日)町奉行、鴨川浚渫に際し洛中に夫役課す。(『平田職修日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月-8月(5月-7月)京都不雨。(『京都気象災害年表』) ▣(10月27日)彦根藩在京警備兵、上久世河原で砲術演習。(「九条家記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)町奉行与力・平塚利助、鴨川浚渫工費不足のため洛中富豪に献金させる。(『若王子殿役所日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月8日)鴨川浚渫御用の諸買物を取締る。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣鴨川で砂持ち(浚渫作業)あり。(「京都加茂川遊覧ノ図」) 
■1857年(安政4年) ▣(4月9日)四条新橋、竣成。(『橋本実麗日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月24日(5月2日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(6月4日/6月)下京大火。諏訪町万寿寺より失火、東本願寺枳殻御殿類焼。(『和漢年契追補』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(6月20日)禁裏築地内用水での漁猟禁止。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)先の(安政元年)の火災で類焼した家屋の普請奨励。(『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ8月20日(7月1日/7月)畿内(近畿)大風雨・洪水。(『嘉永明治年間録五』「京都町触」『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(7月4日)下京諏訪町より出火、東本願寺焼亡。(『京の火事物語』) ▣(7月22日-24日)京都地震。(『新続泰平年表』『日本災変通志』) ▣(8月25日)三条大橋破損。往来差留。(「京都町触」『日本災変通志』)
■1858年(安政5年) ▣(1月5日)京都所司代・本多忠氏の堀川屋敷焼失。妙満寺に移る。(『今日鈔』『東坊城聡長日記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(2月5日)先に来航したペリー殿条約交渉につき、老中・堀田正睦、勅許得るため上洛、本能寺に館する。(『徳大寺公純日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月9日)老中・堀田正睦、参内し通商条約の朝旨請う。(『徳大寺公純日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月20日)老中・堀田正睦、再び勅裁請う。(『璞記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月4日-5日)京都大火。「安政の大火」 午刻-翌朝、下諏訪町万寿寺辺より出火、西北風。向きにより類焼の者多し。北は樋口町(万寿寺)、南は六条村/七条塩路村、西は新町/町尻町、東は柳馬場南辺/万里小路土手町まで焼失。また、万寿寺辺より東南の、東は柳馬場南より東六条、室町、東北の風に変わり西は新町通松原より、南は室町の万寿寺上ルより七条、烏丸同断、東洞院松原通下ルより七条、間の町、高倉同断、下寺町南側が焼失。七条通新地土手町上ノ口辺、東六条御地、高瀬川辺まで焼失とも。家1万3800軒、東本願寺・枳殻御殿(枳殻邸)・長講堂・西念寺・浄運寺・万年寺・荘厳寺・祟仙寺・福田寺・金光寺・遊行寺なども焼亡。(『大島直珍日記』「京都町触」『今日鈔』「京都出火」「京都大火」「京都大火極本しらべ」「京都大火場所附」『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月21日)近日のアメリカ船下田港入出港・ロシア船横浜入港に伴い、諸大名に京都(松平頼胤・松平猷)・大坂などの警衛を命ず。(『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月22日)日米通商条約調印の報、京都に達する。第121代・孝明天皇、朝廷の存在無視怒り譲位の意表する。(朝廷と幕府の確執の始まり)(『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月)「安政コレラ(暴瀉病)」(5月)に、長崎に到着したアメリカ船乗組員からコレラ感染拡大、九州から大坂・京都にも広がる。京都での病死は比較的少ない。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(8月11日)宮津城下町でコレラ発生。城下で医者にかかった30人中14人死亡。 ▣(8月)京都・大坂でコレラ流行。(『日本災異史』所収の『虎列刺病流行紀事』、『日本災変通志』) ▣(9月7日)小浜半藩浪士・梅田雲浜逮捕され、以後、尊攘派志士の逮捕40余人続く。(安政の大獄)。(『井伊家秘書集録』『日本史総合年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ11月25日(10月20日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(12月22日)泉涌寺霊明殿など焼亡。夜、殿中より起こり、法会堂・方丈焼失。(『所司代日記』『今日鈔』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月1日)徳川家茂、征夷大将軍になる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)三条家・鷹司家などの諸大夫・有栖川宮家士など京中志士、拘引投獄される。(『高橋俊璹東向日記』『京都の歴史10
年表・事典』)
■1859年(安政6年) ▣(1月17日)米価高値のため、京都へ廻米命じ、絞油の隠売禁じる。(「正行隠文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(2月17日)尊融親王、鎖国に転じた公卿・鷹司政通・近藤忠煕を譴責処分にする。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月末-6月)京都で偽症コレラ流行。 ▣(6月上旬-)京都でも真性コレラ(コロリ病)流行。(6月-9月末)洛中死者1869人、洛外死者835人。(『京都の医学史』) ▣(7月)京都で暴痢(コレラ)流行。流行は昨年に比し更に烈しき模様。病死2万人。(10月)止む。(『今日鈔』、(7月)の「京都町触」『日本災変通志』) ▣(11月30日)西陣の窮状深刻化し、下職窮民100/300人蜂起し大宮通の糸商を打毀しある。(『日下部成章留書』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月2日)西陣織職、仲買宅を襲撃。(『日下部成章留書』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)米価高値のため、囲米当年銀より救恤し、さらに有志の救恤方求める。(「町組関係文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣宮津城下町で再びコレラ流行。
■1860年(安政7年/万延元年) ▣(3月12日)大老・井伊直弼の襲撃者追補のため、篠山・淀・膳所・高槻藩に、京都四口警備命じる。(『坊城俊克日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月18日)第121代・孝明天皇の時、火災・疾病流行により万延に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(3月)西陣へ囲米の内、現米1000石の貸与許可。(「西陣織屋口上書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日)帯刀者の止宿取締る。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月18日)和宮降嫁の勅許、幕府に内達。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)風雨により不作。宇治・伏見などの8カ村、減免救済出願。(「大久保家久文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月31日)勅により、御内帑金を山城国窮民に与える。(『安政日記録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、近畿一帯大風雨。凶作になる。(『万延見聞記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ⋄生糸国内価格高騰のため、京登せ糸減少し西陣機業困窮。(「伊藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1861年(万延2年/文久元年) ▣(2月11日)山城国内窮民賑恤のため、朝廷、黄金50枚を所司代に下し資に充てるも、幕府拝辞。(「聚楽教育文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月20日)和宮、桂御所を発輿する。(「和宮降嫁一件」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、教諭所運営資金を上下京の町々に預ける。少額のため、1町当り預金は微々たるものになる。(「聚楽教育界文書」『京都の歴史10 年表・事典』)

■1862年(文久2年) ▣(2月11日)徳川家茂、和宮との婚儀行い朝廷に奏上。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月16日)島津久光、挙兵入京し薩摩藩邸(錦小路東洞院)に入る。(『大久保利通日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月23日)伏見寺田屋で尊攘派鹿児島藩士・有馬新七ら6人、島津久光の命を受けた同藩士らに斬殺される。(寺田屋事件)(『大久保利通日記』『日本史総合年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月1日)朝廷、長州藩・毛利定広に国事周旋・激徒鎮撫を内勅。(『岩倉公日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月12日)長州藩を代表し、長井雅楽、開国政策建白のため入京。(『防長回転史』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月22日)勅使、幕政改革のため江戸に下向。島津久光、挙兵し従う。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日)九条家臣・島田左近、志士らに木屋町二条下ルで暗殺される。(天誅始まり)(『文久秘録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月16日)三条実美、姉小路公知ら13名・久我建通・岩倉具視ら4人を弾劾。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月20日)岩倉具視ら3人、蟄居処分受ける。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月25日)土佐藩主・山内豊範、入京し警衛の命受ける。(『璞記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄久我建通、蟄居処分受ける。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏8月1日)会津藩主・松平容保、京都守護職に任命される。(『続徳川実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月23日)京都奉行与力・渡辺金三郎ら暗殺され、粟田口に梟首。(『日本史総合年表』) ▣(12月24日)京都守護職・松平容保、兵従え入京し金戒光明寺に入る。(『野宮定功日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、朝廷、幕府とともに京都警備衛に力入れる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄豊後岡藩主・中川久昭、運河構想(大津-京都間)を朝廷に申請。(『孝明天皇記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄京都暗殺横行。(『京都の歴史10 年表・事典』)
■1863年(文久3年) ▣(1月5日)将軍後見職・徳川慶喜、入京し東本願寺に館す。(『璞記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月18日)在京諸大名、攘夷の宣達受ける。(『璞記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月22日/25日)尊攘派浪士ら、等持院の足利尊氏ら足利三代将軍木像首を盗み、賀茂河原/縄手通車道に梟す。(『若山要助日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ⋄清河八郎ら浪士組、壬生村に入り新徳寺などに分宿。(『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月23日)幕府、浪士組に東帰命じる。残留の芹沢鴨・近藤勇ら新撰組名乗る。(『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月4日)将軍・徳川家茂、二条城に入る。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月7日)幕府、将軍上洛にともない、市民に金6万3000両賑給。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月20日)国事参政・姉小路公知、京都朔平門外で暗殺される。(猿ヶ辻の変)(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣(5月)物価上昇のため、井筒屋弥助ら7人、六角町に観音山組立手間賃上げを要求。(「北観音山町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日)九条家臣・島田左近、志士らに京都で暗殺される。(天誅始まり)(『文久秘録』『日本史総合年表』) ▣(8月18日)公武合体派、優勢の尊攘派を京都から追放される。(文久の政変/八月一八日の政変)(『若山要助日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(8月19日)尊攘派公卿・三条実美・東久世通禧ら7人、長州勢に擁されて長州三田尻に逃れる。以後、京都では公武合体派が主導。(七卿落ち)(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)生糸高騰により、西陣織職人、糸仲買商宅(葭屋町一条下ル)焼打ち。(『若山要助日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月16日)新撰組組頭・芹沢鴨、京都で暗殺される。(『日本史総合年表』) ▣(9月28日)町奉行、物価値下げを洛中洛外に命じる。(『若山要助日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月-10月)公武合体派の大名、入洛続く。(『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月3日)島津久光、兵1万5000を率い入京。(『大久保利通日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)先の天誅組の乱・生野の変などの、志士残党狩りの触出される。(『若山要助日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月26日)徳川慶喜、入京し東本願寺の旅宿に入る。(『非蔵人日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月6日)長州脱藩士の止宿禁じる。(『中山忠能日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、京都政情不安。天誅の暗殺・放火・落書など横行。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄納所・河村与三右衛門の計画により、西高瀬川完成。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄大津町七組年寄中、大津川よりの通船路計画を京都町奉行に提出。(「大塚隆氏所蔵文書」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1864年(文久4年/元治元年) ▣(1月1日)京都地震。夜。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(1月15日)徳川家茂、再度上洛。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月15日)幕府、松平慶永を京都守護職に任じる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月16日)幕府、大和中宮寺家士・伴六郎など六角獄で斬る。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月27日)洛中洛外暴徒の縳捕命じる。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月23日)新撰組を洛中巡邏に当てる。(『二条家日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月25日)徳川慶喜、禁裏守衛総督になる。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月7日)松平容保、再び京都守護職になる。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月26日)幕府、京都見廻組を新設。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)公武合体派の諸侯、離京多い。(『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月2日(5月29日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月5日)新撰組、池田屋・西国屋に集結した倒幕派志士を襲撃。宮部鼎蔵ら7人殺害、23人逮捕。(池田屋事件)(『中山忠能日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(6月7日)京都火災。柳馬場蛸薬師西北より出火。祇園神事の鉾出し遅延。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月16日)水戸藩士ら、一橋家側用人を千本組屋敷外で殺害。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月24日)長州藩家老・福原越後、兵率い伏見藩邸に入る。真木和泉ら山崎に向かう。(『経幹公御東上記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(6月26日)浪士ら天竜寺に集結、後に長州藩合流。(『甲子戦争記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月-8月上旬)京畿雨降らず。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(7月11日)佐久間象山、京都で暗殺される。(『日本史総合年表』) ▣(7月17日)長州藩士、退京命じられる。幕府、洛中洛外に6-7万の兵配置。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月19日-20日/21日)京都大火。「元治大火」「禁門の変」「蛤御門の変」「どんどん(どんと)焼け」「鉄砲焼け」 「京都三大大火」の一つ、天明の大火に次ぐ。辰刻/五ツ前-翌夜寅下刻/翌々日朝五ツ時/翌々日朝六ツ時。長州藩と幕府側との戦いで長州藩が敗れる。洛中は兵火に罹り、複数から出火(放火とも)。辰刻、長州藩邸(河原町三条上東側)内より出火。午刻、丸太町辺より出火。鉄砲・大筒音頻りに聞え、八幡・山崎辺の諸侯軍勢、御所辺に侵攻。久坂玄瑞ら死ぬ。(蛤御門の変)。中立売御門際の烏丸長者町辺より火の手上がり南を焼く。東は寺町丸太町、西は新町下立売、西は堀川、東は寺町に拡がる。(20日)東は寺町、西は堀川まで延焼、南は六角堂・因幡薬師・誓願寺・錦天神・仏光寺、四条・松原、五条焼亡。八ツ時、東本願寺・今熊野権現堂も出火。九ツ時、洛西の長州軍本陣の天龍寺・法輪寺、山崎天王寺・八幡も出火。北は中立売/下長者通付近/正親町春日町、南は七条/御土居薮際、東は鴨川/寺町、西は堀川/東堀川まで焼失。堺町御門の鷹司邸・九条邸・河原町二条の長州藩邸など焼失、東本願寺辺からも出火、六条・七条にも火の手は拡大。ほか仏光寺・西本願寺・因幡堂・六条御殿なども類焼、上京の一部・下京の大部分が焼失。焼失数811/750余/756町町、2万7513/2万7517/3万240/6万余戸、土蔵1267/1316/1307/1207/1134カ所、寺社・塔頭313/253/203(ほか芝居2カ所、塔頭97)カ所、橋41カ所が焼失。焼失家3200余軒とも。宮門跡3カ所、堂上方18軒、髪結所132カ所、諸侯屋敷51カ所、番部屋562カ所、非人小屋1カ所、えた村3カ所焼失。(21日)に鎮火。施行として守護職屋敷・壬生寺・四条寺町道場・東西奉行所などで米銭・粥など施される。幕府賑給は、玄米5斗入1万俵安値売下げ、1人毎玄米1升・代銭100文、ほか米銭・粥など施し、被災町に玄米1万石増しに賑給。守護職屋敷・北野・祇園・四条・金蓮寺・壬生寺・島原などで行う。東西奉行所は1人玄米2升・銭施す。祇園祭の各山鉾町も被災。橋弁慶山は後祭巡幸の山鉾を代表し、被害状況・対応の一連の「橋弁慶町文書」を取りまとめた。翌年の祇園祭で後祭の2基のみ(1基は唐櫃のみ)が巡行。以後、京中治安悪化し、市民ら自衛。(『今日鈔』『秋の日照』『京都大火極本しらべ』「京都大火之図」『本しらべ』『都夢中の奇談」『洛中大火夢物語』「甲子兵燹図」「小出哲太郎家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『京の火事物語』)   ▣(7月19日)兵火により、六角獄中の志士・平野国臣ら未決のまま斬殺。(『日本史総合年表』) ▣(7月23日)幕府、長州・毛利慶親父子の征討の命下す。(第一次征長)。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月下旬-8月上旬)大火後、西本願寺で粥施行。(『秋の日照』) ▣(10月22日)京都雷・雹。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(8月16日)幕府、穀1万斛を発し、被災者・非被災者問わず毎戸5升与う。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(8月20日)第121代・孝明天皇、金穀を発し、被災の公家堂下に賑給。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(8月24日)幕府、穀1万斛を発し、被災者に毎戸1俵(3斗)を給す。因幡堂・妙法院・東本願寺なども施行。(『今日鈔』『日本災変通志』)
▣(9月12日)老中・阿倍正外、条約勅許などのため入京。(『二条家日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月21日)征長総督・徳川慶勝、入京、知恩院に館す。(『中山忠能日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月15日)徳川慶勝、大坂に出陣。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月22日)幕府、京中への玄米下賜、触れる。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)大火後、幕府賑給。被災者毎戸1斗6升、非被災者9升、仮屋千数軒焦土に建設、毎戸米1斗8升・着物・布団など施す。七本松通で窮民に日々米1人2合与える。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣グ12月21日(11月23日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月5日)京都大風。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣翌年グ1月13日(12月16日)京都深雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月24日)京都守護職・松平容保、数百の兵を従え入京、金戒光明寺に入る。(『野宮定功日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月末)幕府賑給。被災者1人毎に餅30宛与う。(『今日鈔』『日本災変通志』)
■1865年(元治2年/慶応元年) ▣(1月24日)征長総督・徳川慶勝が入京。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月5日)老中・本庄宗秀、阿倍正外、兵を率いて入京。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月26日)京都大火。「祇園新地大火」 夜-八ツ時、祇園末吉町/京よし町縄手東入ル南側より出火、北風、その後西風により、北は古門町、南は建仁寺、東は祇園、西は鴨川に及ぶ。祇園新地、四条大和、四条両芝居小屋、建仁寺など焼失。30/26町、家屋1800/800軒焼亡。(『今日鈔』『本しらべ』「ぎおん新地大火の図 本しらべ」『中山忠能日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(4月7日)第121代・孝明天皇の時、兵革(戦乱)により慶応に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(5月)米価高く強盗、米屋を頻りに襲う。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月8日)幕府、八幡・山崎に関門・検船所設置。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月21日)徳川家茂、参内し兵庫開港・長州再征奏上重。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月5日)安政条約勅許、兵庫開港禁止。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月20日)藤沢讃岐守征長軍、東塩路村に宿泊。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月23日)征長軍、東九条村に移る。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、明石博高ら、京都医学研究所設立(『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄木津で打毀し。
■1866年(慶応2年) ▣(1月21日)薩長連合の盟約なる。(「坂本龍馬関係文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月23日)長州藩処分の勅許。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月23日)坂本龍馬ら、寺田屋で新撰組に襲撃される。(「坂本龍馬関係文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月13日)京都地震。夜。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(2月20日)東山鳴る。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(4月)京畿寒冷。寒きこと冬の如し。(『今日鈔』『武江年表』『日本災変通志』)
⋄京都駐屯の会津藩と薩摩藩が反目。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄ 不正米屋、多数罰せられ、米価高騰、強盗出没。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月13日)大火類焼の窮迫者の申し出あり、諸品下値商い触れる。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月26日(5月14日)京都・丹波・大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(5月15日)京都大風雨。鴨川洪水。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月16日)京都町奉行賑給。二条の蔵米出し窮民に施す。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(5月18日)大津の窮民1000人、四ノ宮神社に集まり、米・諸食物を劫掠。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(5月28日)泉涌寺、傍辺窮民に銭施す。(『今日鈔』『日本災変通志』) ▣(5月)幕府、武士宿泊取締る。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月8日)幕府、勅諚を征長諸郡に伝達、再征布告。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月2日)京都大夕立・大雷。伏見街道八丁目で3人死亡。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月4日)京都町奉行、窮民に賑給。諸大商に金穀を出させ、米100斛・金820両・銀242貫銭を得て、窮民1万9280人に1人毎米3升・銭300文を与える。(『今日鈔』『日本災変通志』)
▣グ9月14日-16日(8月6日-8日/6日)四国・近畿など大風雨・洪水。(6日)夜、京都の死傷者100人以上?。殿宇・民屋破り、桂川大洪水。久我・牛ヶ瀬など5ケ所決壊、鳥羽・久我など家10軒流失、人多く溺死。壬生村・三条台村・聚楽廻村、領主に減免嘆願。(『今日鈔』「西村善雄家文書」『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣(9月1日)幕府飢民に賑給。粥を1日毎に西陣報恩寺で2000余人・本隆寺2800人・御影堂1000余人、ほか祇園・妙満寺・壬生寺などで施す。(『今日鈔』『日本災変通志』)
▣(9月)物価高騰・生活困窮のため、市内6カ所で粥施行、毎日3300余人集まる。(「小出哲太郎文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月27日)朝政改革の公卿22人処分。(『大久保利通日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月5日)二条城で徳川慶喜の将軍宣下、3代将軍・家光以来行われる。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月6日)祇園社焼亡。楼門・中門・拝殿焼失。(『今日鈔』『日本災変通志』)
▣この年、教諭所焼失。(「聚楽教育会文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1867年(慶応3年) ▣(1月2日)水口藩・膳所藩に洛中防火・同控命じる。(『慶応雑文録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月4日)第122代・明治天皇践祚。(『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(1月23日)長征軍解兵公布。(『続徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月18日)犯罪者特赦、洛中に施米賑恤。(『嵯峨実愛日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月-3月)尊攘派公卿の大赦。(『中山忠能日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月24日)幕府歩兵と見廻組巡邏が衝突。(『鴨方藩記録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月)西大谷親鸞御廟・二天門焼亡。(「大谷派本願寺名所図会」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄伊東甲子太郎、新撰組離脱し御陵衛士(高台寺党)結成。(『慶応雑文録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月1日)朝廷、治水策を講じるよう幕府に通告。(『野宮定功在職中日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月22日)薩摩、土佐が盟約結ぶ。(「坂本竜馬関係文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月14日)薩摩藩・土佐藩に倒幕の密勅下る。(『岩倉公実記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月15日)(10月)に加茂川筋出水。当日より諸往来可。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(10月)東洞院通姉小路上ル町種痘所で定日に種痘(ウエボウソウ)すと令す。(「京都町触」『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月-11月)「ええじゃないか」熱狂。(「野口家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月13日)町奉行、「ええじゃないか」禁じる。(「嵯峨実愛文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月15日)河原町近江屋で、坂本竜馬・中岡慎太郎、京都見廻組の佐々木唯三郎らに襲撃・暗殺される。(『日本史総合年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月18日)御陵衛士隊長・伊東甲子太郎、新撰組により暗殺・晒される。(「中山忠能履歴資料」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月7日)坂本竜馬暗殺の報復として、土佐海援隊・戸津川郷士、紀州藩公用人・三浦久太郎を天満屋に襲う。(天満屋騒動)(『七年史』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月9日)王政復古。将軍・徳川慶喜の地位剥奪・領地没取決定。(『二条斉敬家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月12日)徳川慶喜、薩長との一戦避けるため二条城より大坂に向かう。(『若山要助日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月13日)膳所藩・篠山藩・亀山藩に京都市中取締役・京都火消役、平戸など6藩に市中見廻り役命じる。後に高槻藩・郡山藩など加える。(「府庁文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月16日)囲米金を市民に賑給。(「四条町文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月28日)徳川慶喜、挙兵入京を決意。(『維新階梯雑誌』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、京中騒乱・暗殺多い。(『編年雑録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
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*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。 |
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京都歴史災害年表 14
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