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京都歴史災害年表 11
安土・桃山時代(1573-1602) |
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1 古墳時代-平安時代前期 2 平安時代中期 3 平安時代後期 1 4 平安時代後期 2 5 鎌倉時代 1 6 鎌倉時代 2 7 南北朝時代 8 室町時代前期 9 室町時代中期 10 室町時代後期 11 安土・桃山時代 12 江戸時代前期 13 江戸時代中期 14 江戸時代後期 15 近代 16 現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆安土・桃山時代 1573-1602
■1573年(元亀4年/天正元年) ▣(2月-4月)「二条御所の戦い」 ▣(3月23日)将軍・足利義昭、反織田信長の兵挙げ、信長の武者小路第破却。(『耶蘇会士通信』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月29日)織田信長入京し、知恩院に入り軍(1万余人)を洛外に配す。足利義昭、二条御所に入り守備固める。(『信長公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月30日)足利義昭、村井貞勝の館囲む。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月2日-3日)「上京焼討」織田信長、洛外128カ所、90余町村を焼く。(『耶蘇会士通信』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(4月3日)京都大火。夜半、上京西陣より自火出火、(4日)夕方まで延焼。御霊社、南は二条城まで類焼。上京中、残る所なし。寺社は焼かずという。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(4月4日)織田信長、二条城に足利義昭を囲み上京焼討。6万7000戸焼亡。二条御所を残し上京悉く焼失。(『兼見卿記』「上京文書」『皇年代略記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月7日)織田信長、足利義昭と和睦なり京都を去る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月3日)足利義昭、織田信長に再び叛き宇治槇島に陣する。信長、上京し妙覚寺に入る。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(7月18日/17日)「槇島城の戦い」織田信長、槇島城を陥落させ足利義昭を追う。島中の在家焼き払う。一乗寺の渡辺氏、静原の山本氏らを攻める。(室町幕府滅亡)(『信長公記』『永禄以来年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(7月20日)山城国所々焼く。田中・渡辺城放火。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』)  ▣(7月21日)村井貞勝、所司代就任。(『原本信長記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)「第二次淀古城の戦い」 ▣(7月28日)第106代・正親町天皇の時、戦乱(兵革)などにより天正に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月28日)京都大風。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣ユ9月25日(8月29日)京都大風、夜。(『永禄以来年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(11月23日)織田信長、上洛し妙覚寺に入る。(『天王寺屋会記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1574年(天正2年) ▣(1月)織田信長、上京に朱印状与え軍勢の上京寄宿禁じる。上京の再興促す。(「上京文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月17日)織田信長、上洛し相国寺に入る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)織田信長、三淵藤英の旧伏見城を壊す。塙直政を山城守護に任じ槇島城に置く。(『年代記抄節』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1575年(天正3年) ▣(3月3日)織田信長、上洛し相国寺に入る。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月4日)小野郷供御人、西園寺公朝らと七口関所の件で相論。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月4日)先に、細川藤孝、物集女氏謀殺。この日、織田信長許す。(「米田氏所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1576年(天正4年) ▣(2月23日)織田信長、安土城に入る。後、村井貞勝、足利義昭の二条御所壊し安土城へ運ぶ。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月29日)織田信長、妙覚寺に入る。二条晴良第跡に新邸造営始める。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月1日)京都洪水。四条橋破損。 (『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1577年(天正5年) ▣ユ7月23日(7月8日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(閏7月6日)織田信長、入洛し二条新第に入る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)丹波一揆を織田信長の武将・羽柴・丹羽など討つ。(『皇年代略記』『亨禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(10月5日)織田信長、松永久秀の反逆によりその人質を六条河原で斬る。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1578年(天正6年) ▣ユ6月17日(5月12日)京都大雨水。新造の四条橋流失、溺死者多数。(『皇年代略記』『信長公記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(5月13日)織田信長、播磨出陣のため、淀・鳥羽・宇治・槇島・山崎などより、洪水をつき軍船数百艘を五条油小路に集結させる。信長、出陣やめ安土に帰る。(『信長公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月8日)金蓮寺焼亡。 (『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ8月4日(7月)京都大水。(『京都気象災害年表』)
■1579年(天正7年) ▣(5月27日)京都法華宗僧侶・頂妙寺日珖ら、安土の織田信長の面前で、浄土宗玉念らとの宗論で敗れる。洛中法華宗諸山に暴徒乱入、町衆徒ら洛外に難逃れる(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月27日)「八木城の戦い」 ▣(11月16日)織田信長、上洛し二条第を誠仁親王に献じ、自らは妙覚寺に移る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月22日)誠仁親王、二条第に入る。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月16日)先に、荒木村重の反乱あり、織田信長討つ。この日、一族子女を六条河原で斬る。(『信長公記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1580年(天正8年) ▣(2月26日)織田信長、上洛し妙覚寺に入る。信長、本能寺に移ろうとし、同寺修造を村井貞勝に命じる。(『信長公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ9月17日(8月9日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1581年(天正9年) ▣(2月20日)織田信長、上洛し本能寺に入る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月20日)京都大洪水。四条橋流失。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1582年(天正10年) ▣(3月22日)先に、織田信長、甲斐・武田勝頼らを討つ。この日、首級、京都に運び晒す。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(4月22日)織田信長の安土凱旋に、京都の公家衆、祝賀に向かう。(『日々記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月21日)徳川家康、上洛。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月25日)村井貞勝、神護寺・高山寺の紛争収める。(「高山寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月29日)織田信長、中国攻めのため上洛し本能寺に入る。(『信長公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣6月21日(6月2日)「本能寺の変」明智光秀、本能寺を襲い織田信長を自刃に追う。子・信忠も妙覚寺から二条城に移り囲まれ自刃、所司代・村井貞勝ら討死。(『兼見卿記』『多聞院日記』『亨禄以来年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月7日)朝廷、明智光秀の勝利を賀し、使を安土に遣わす。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月9日)明智光秀、上洛。公家衆・上京・下京町衆ら洛東で迎える。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄光秀、朝廷以下五山などに銀子進める。光秀、鳥羽に出陣し淀城に拠る。堀を掘らせる。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月12日)中国征討中の羽柴(豊臣)秀吉、急遽、毛利氏と和議を結ぶ。備中高松城より引き返し2万6000の兵で、明智光秀勢1万6000の兵で山崎で対陣。(『増補筒井家記』『日本災変通志』) ▣ユ7月2日・グ7月12日(6月13日)「山崎の戦い」 明智光秀軍の敗色濃く、一時、青竜寺城に退く。羽柴秀吉の急追激しく、光秀は居城坂本に敗走途中、山城国小栗栖で土民襲撃により殺害される。(『兼見卿記』「飯田家文書」『増補筒井家記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月14日)織田信孝・羽柴秀吉入洛。朝廷、使を塔ノ森に遣わし戦勝賀する。(『日々記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月15日)明智光秀首級、本能寺に晒され、臣・斎藤利三、六条河原で斬られる。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月26日)この頃までに、羽柴秀吉、山城に宝寺城築く。(『多聞院日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月15日)大徳寺で織田信長の葬儀営まれる。(『晴豊公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、京都にややこ踊芸団現れる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1583年(天正11年) ▣(1月1日)上京火災。夜、上京木下柳原町の在家140-150焼亡。(『永禄以来年代記』『舜旧記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(1月20日頃)比叡山に火柱。夜中。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(5月12日)柴田勝家の子・権六、佐久盛政の首、六条河原に晒される。(『佐久間軍紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月21日)織田信雄、前田玄以を京都奉行に任じ、羽柴秀吉、後見。(『古簡雑纂』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月2日)羽柴秀吉、近江より凱旋、この日、大徳寺で織田信長一周忌法要営む。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月7日)羽柴秀吉、伏見船津以下三郷と山村郷の訴訟裁許。(「三雲文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月22日)京都大水。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(7月23日)東河原洪水。田地流損多い。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月18日(7月)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月5日)羽柴秀吉、妙顕寺を寺之内小川に移し、跡地に妙顕寺城営む。前田玄以、拠る。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月8日)羽柴秀吉、妙顕寺城に入る。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』)
■1584年(天正12年) ▣(3月25日)羽柴秀吉、山崎宝寺城の天守壊す。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月14日)下京衆、妙顕寺城の外濠掘る。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月11日)佐久間道徳、一条町に拠り謀叛。淀城守・小野木重次、一条町・実相院町囲み、町人40数名捕え淀に引く。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月3日)佐久間事件連座の町人、蛸薬師辺に晒される。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月12日)佐久間事件町人、赦免。(『具塚御座所日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月13日)羽柴秀吉、大坂より近江に出陣。筒井勢、山科・醍醐に出陣。(『多聞院日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)京都大雨。甚雨。賀茂川・高野川流失し、河原大水になる。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月19日)前田玄以、上醍醐寺領内の盗人を寺法で処罰することを許す。(「法恩寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣夏 畿内旱魃・炎旱。諸社に請雨祈願。(『多聞院日記』『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1585年(天正13年) ▣(5月29日)千本・浄泉寺焼亡。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣グ7月17日(6月20日)京都風・大水。(『永禄以来年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ7月21日・グ7月31日(7月5日)大坂・京都・伊勢などで大震? M7程度以上。(『家忠日記』など) ▣(11月21日)豊臣秀吉、先に山城検地行い、この日、所領安堵。(「大原野神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月6日・グ1月16日(11月27日)「天正飛騨越中地震」富山県での内陸地震、M7.0(±0.2)、深さ5km。京都市で震度6弱・5強・4。(「 地震インフォ」) ▣翌年ユ1月8日・グ1月18日(11月29日)京都大地震。「天正地震」夜半(亥下刻)、亥刻-子刻、中部地方での内陸地震、М7.8-8.0、深さ5km。東海・東山・畿内などで地震、日本海側で津波(吉田兼見の日記『兼見卿記』)、京都市で震度6弱・5強。京都で被害あり。京都で壬生の堂塔が倒壊、東寺講堂・灌頂院破損、東福寺山門に歪み、三十三間堂の仏像600体倒れる。民家が壊れ死者多数、「丹後・若州・越州、浦辺波を打ち上げ、在家ことごとく押し流す、人死ぬ事数知らずと云々、江州・勢州もってのほか人死ぬと云々」。阿寺・庄川・養老-桑名-四日市断層。(『宇野主水日記』『永禄以来年代記』『東福紀年録』『宇野主水日記』『舜旧記』『日本被害地震総覧』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』「 地震インフォ」)
■1586年(天正14年) ▣グ3月5日(1月15日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(2月21日)豊臣秀吉、内野に聚楽第の新造始める。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)この頃、疫病流行。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ10月28日(9月16日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(11月1日)豊臣秀吉、徳川家康と内野第の工事進捗を見、家康第を内野に営ませる。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月7日)第107代・後陽成天皇践祚。(『兼見卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣秋 京中に狐の怪異・鳴動などある。(『多聞院日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、禁中での猿楽盛んに行われる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1587年(天正15年) ▣グ3月4日(1月25日)京都赤気(オーロラ)。(『京都気象災害年表』) ▣(3月1日)豊臣秀吉、九州征伐出陣に当たり、羽柴秀次・前田利家に京都を守らせる。(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月28日)前田玄以、広隆寺領内で非法行う作人などの改易命じる。(「広隆寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月13日)聚楽第が大略完成。豊臣秀吉、大坂より移る。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月10日)前田玄以、泉涌寺の雲竜院と法音院の相論裁許。(「泉涌寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月3日)前田玄以、妙顕寺城より聚楽第に移る。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1588年(天正16年) ▣(2月24日)豊臣秀吉、淀城築城のため人夫徴す。(「下坂文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月15日(4月2日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(4月19日)京都大雨。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(4月20日)京都洪水。大堰川・加茂川渡路を絶つ。(『亨禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(5月23日)京都疾疫流行。疫病流行。祈祷行われる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月25日(5月)京都落雷。聚楽に落ちる。(『京都気象災害年表』) ▣(7月8日)豊臣秀吉、大仏殿用材に充てるため、百姓の武器徴し、以後、所持禁止。(『多聞院日記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1589年(天正17年) ▣(3月9日)聚楽第壁に落書あり。豊臣秀吉、番衆磔に処し、大坂本願寺に隠れる者、六条河原に磔す。(『鹿苑日録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月)この頃、豊臣秀吉、淀城修復始める。(『多聞院日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月6日)大仏殿、大略完成。(『多聞院日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ5月28日(4月14日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(9月25日)豊臣秀吉、浅野長吉を所司代に加える。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1590年(天正18年) ▣(1月)豊臣秀吉、三条大橋造る。(「三条大橋擬宝珠銘」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月16日)北条氏政・氏輝の首級、京都に上らせ一条戻橋に晒す。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1591年(天正19年) ▣(閏1月)豊臣秀吉、洛中に御土居築造始める。(『三藐院記』『信尹公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月13日)千利休、京都を追われる。寿像、一条戻橋に晒される。(「松井康之宛利休書状」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月26日)京中に豊臣秀吉批判の落書、掲げられる。(「広島大学国史研究室所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ4月21日(2月28日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ⋄千利休、聚楽第で自害。(『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月20日)大仏殿立柱・上棟。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)御土居、大略完成。(『信尹公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ8月17日(6月28日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣グ8月31日(7月13日)京都雹。(『京都気象災害年表』)
■1592年(天正20年/文禄元年) ▣(1月26日)第107代・後陽成天皇、豊臣秀次の聚楽第に行幸。(『兼見卿記』) ▣(2月20日)豊臣秀吉、朝鮮侵攻の準備進める。東国将、続々入洛。(『多聞院日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月26日)豊臣秀吉、京都より名護屋の陣に発する。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月20日)豊臣秀吉、伏見指月に新城造営始める。(『兼見卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1593年(文禄2年) ▣(閏9月20日)豊臣秀吉、新造の伏見城に移り、諸将ら近辺に第館設け始める。(『光代記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1594年(文禄3年) ▣(3月7日)伏見城の普請着工。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月20日)豊臣秀吉、淀城壊し伏見に移す。(『駒井日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ9月6日(7月22日)東寺雷火。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月7日(7月23日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月1日)伏見城完成し、豊臣秀吉移る。(『三壺記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月3日)豊臣秀吉、巨盗・その党捕え、三条橋下で処刑。(『鹿苑日録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月)前田利家、豊臣秀吉の命により、槇島堤(宇治川堤防)築造。(「村井重頼文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣暮 山城宮内少輔、奉行になり伏見城下町割に着手。(『京都の歴史10 年表・事典』』) ▣この年、豊臣秀吉、京都のキリシタン信徒・宣教師捕え、長崎に送り磔刑に処す。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1595年(文禄4年) ▣グ7月10日(6月4日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月3日)豊臣秀次、謀反の疑により石田三成の詰問受ける。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月8日)豊臣秀吉、前田玄以を派遣し豊臣秀次を伏見に招致。秀次の官職奪い高野山に追う。(15日)秀次自害。(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月28日)聚楽第破却される。(「燈心草庵所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)三条河原で、豊臣秀次関係の子女・妻妾ら誅殺流罪。(『亨禄以来年代記』『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣グ9月13日(8月10日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月)京都大洪水。伏見支城(向島城)の工事停止。(『慶長年中卜斎記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1596年(文禄5年/慶長元年) ▣(1月29日)豊臣秀吉、方広寺大仏殿で千僧供を営む。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(1月)毛利・小早川などの諸大名、淀川に太閤堤築く。(「毛利家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月24日)大仏殿立柱行われる。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月)豊臣秀吉、向島城の工、再び起こす。(『義演准后日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月12日)京師・畿内などで泥土降り、氷毛(4-5寸)、大霾(おおばい)、土雨。火山噴出物?。(『亨禄以来年代記』『武江年表』『日本災変通志』)
▣グ7月22日(6月27日)諸国霾(ばい/つちふる)降砂。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月27日(7月3日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月26日・グ9月5日(閏7月13日/12日)「慶長伏見地震」「慶長伏見大地震」「伏見地震」子刻/午刻 13畿内・近隣大地震 М7.0-7.1/7.5-7.25/M7+1⁄2±1⁄4、深さ0-30km、京都市内の震度6弱・5強。京都南部(三条-伏見)の被害大きく、死者、家屋倒壊多数。京都・堺で死者合計1000人以上。伏見城(指月城)の天守閣・門・御殿大破、石垣などにより約600/500人の圧死者。上﨟73人仲居・下女500余人圧死とも、二ノ丸で女房300人圧死ともいう。蟄居の身の加藤清正は足軽200人に梃子を持たせて城中に駆け付け、秀吉感じ入る。近代、歌舞伎「地震加藤」で有名になる。完成間際の向島城は液状化被害。三条-伏見の間の死者、家屋倒壊多数。上京・下京の死者180余人。民家・寺院の倒壊も多い。東寺(食堂・講堂・灌頂院・南大門)、天龍寺・大覚寺・二尊院が倒潰、北野経堂、佛光寺倒壊、愛宕山僧坊、亀岡・與野神社など崩壊。方広寺大仏殿の大仏の一部が崩れ落ち、金箔にひび割れ。大山崎の八幡離宮の門・鳥居、竹田の安楽寿院の宝塔、宇治の塔島・十三重塔九重は落ち塔は傾く。八幡で大規模な液状化発生。京師・畿内など毛(4-5寸)降る。余震が翌年春まで続く。中央構造線断層帯か有馬・高槻構造線断層帯の最新活動。京都周辺の活断層(『義演准后日記』『言継卿記』『孝亮宿禰日次記』『大地震記』『万記録』『甲子園夜話続編』『梵舜記』『御湯殿日記』『泰平年表』『武江年表』『伊達日記』『皇年代略記』『本朝地震記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本の自然災害』『日本被害地震総覧』「 地震インフォ」) ▣(閏7月14日)豊臣秀吉、伏見木幡山で伏見城再建にかかる。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏7月15日)空から毛・土器の粉状のもの降る。火山の噴出物という。▣グ9月10日(閏7月18日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月26日(8月5日)近畿大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月10日)伏見新城の本丸普請、大略完成。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月27日)第107代・後陽成天皇の時、天変・地変(地震)により慶長に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(11月15日)豊臣秀吉、石田三成に命じ、京都のキリシタン捕え、上京一条の辻で耳切る。洛中渡し、長崎に送り(12月19日)処刑。(二十六聖人の殉教)(『日本王国記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、大地震の余震やまず年末に至る。(『舜旧記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1597年(慶長2年) ▣(1月20日)伏見城増築開始。諸人困惑、京中疲弊。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月26日)豊臣秀吉、京都新第の造営着手。(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月4日)伏見城天守閣完成。豊臣秀吉・秀頼移る。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月1日)泥・毛(火山噴出物?)など降る。(『孝亮宿禰日次記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月26日)豊臣秀吉・秀頼、新造の京都第に移る。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月27日)朝鮮人戦死者のため、大仏殿前に耳塚(鼻塚)築き供養。(『義演准后日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、地震絶えず。(『孝亮宿禰日次記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1598年(慶長3年) ▣(1月7日)京都大雪。京都と伏見の往来停止。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月15日)豊臣秀吉、厳戒下の醍醐山で花見の宴張る。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月8日(4月3日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(4月15日)伏見火災。堀秀治第焼く。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄豊臣秀吉、伏見城下に戒火を令する。(「日下文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)京都長雨。伏見で洪水。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月29日(7月28日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月10日頃)将軍塚鳴動不斜。太閤の凶兆也。(『当時記』『日本災変通志』) ▣(8月18日)豊臣秀吉、伏見城で没する。(『義演准后日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月22日)方広寺大仏殿供養される。(『舜旧記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1599年(慶長4年) ▣(1月5日)豊臣秀吉の死、公表され五奉行剃髪。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月10日)豊臣秀頼、伏見城より大坂城に移る。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月19日)徳川家康と前田利家ら反家康派間に紛争あり。伏見騒然とし、東国勢、多く上洛。(『家忠日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(1月26日)東寺火災。(『京の火事物語』) ▣(1月)徳川家康、有馬豊氏に淀城守らせる。(『諸牒余録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月26日)京都大雷雨。東寺の塔焼く。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(閏3月9日)石田三成、伏見を退き佐和山に蟄居。(『舜旧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏3月13日)これより先、徳川家康、向島の館に移り、この日、伏見城本丸に入る。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月8日)伏見火災。森忠政の伏見第より出火、徳川秀忠第に及ぶ。(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月)盗賊横行。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月29日)禁中でややこ踊。この頃、洛中でややこ踊盛ん。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月12日)徳川家康、伏見城の守りを松平秀康に任せ、大坂に移る。(『家忠日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月26日)北政所、大坂城より京の豊臣第に移る。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月5日)豊国社の一部焼く。(『舜旧』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月20日)先に、妙覚寺の日奥、不受不施の説なす。この日、徳川家康、日奥を流罪に処す。(「本能寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(12月29日)伏見火災。大名屋敷など焼く。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1600年(慶長5年) ▣(3月18日)豊臣秀頼、方広寺拡張工事始める。(「建内文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月)この頃、五条河原で少年の踊り興行あり。以後、流行。(『鹿苑日録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月18日)徳川家康、会津出陣のため伏見を発す。伏見城は鳥居元忠らに守らせる。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(7月11日)石田三成、挙兵の報あり。京中騒然。(『時慶卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月18日)伏見で合戦勃発。町人ら京都に難を逃れる。(『義演准后日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月19日-9月6日)「田辺城の戦い」 ▣(7月25日-8月1日)「伏見城の戦い」、関ヶ原合戦の前哨戦。 ▣(8月1日)伏見城陥落・焼亡。城将・鳥居元忠、自害。西軍勢、東進。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月29日)豊臣家の京都第破却。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月5日)大津の京極高次、東軍に与する。醍醐辺緊迫。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月15日)東軍、関ヶ原の合戦で西軍破り両軍洛外乱入。徳川家康、西上し淀城に入る。西軍諸将の伏見第焼く。山科に関設け、兵士入京禁じる。(『義演准后日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月18日)亀屋栄任入洛。(『言経卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月19日)徳川家康、池田輝政らに京都を守衛させる。奥平信昌に所司代事務委ねる。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月1日)徳川家康、石田三成・小西行長・安国寺恵瓊を六条河原で刑し、三条河原に首級晒す。(『孝亮宿禰日次記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(10月28日)遺迎院焼亡。(『時慶卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年グ1月13日(12月9日)京都大雪。80年来という。この後続く。(『時慶卿記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1601年(慶長6年) ▣グ9月9日(8月13日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』)
■1602年(慶長7年) ▣(1月25日)伏見城、大略再建される。徳川家康、大坂より移る。(『家忠日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)徳川家康、京都に自第造営。(『言経卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月13日)京都洪水。淀橋流失。(『舜旧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月12日)徳川家康、伏見より江戸に下る。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)所司代・板倉勝重、キリスト教徒を放逐。(『日本正教史』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月6日)松平忠言、上洛し伏見城守衛。(『義演准后日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月4日)再建中の方広寺大仏殿火災。照高院に延焼。(『鹿苑日録』『皇年代略記』『慶長日件録』『亨禄以来年代記』『京の火事物語』『京都事典』『日本災変通志』)
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*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。原則として用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。
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京都歴史災害年表 11
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