京都歴史災害年表 6 
鎌倉時代 2(1231-1332)  
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*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。
国立天文台 日本の暦日データベース

◆鎌倉時代 2 1231-1332 

■1231年(寛喜3年) ▣ユ2月4日(1月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』)  ▣(1月5日)京都大風。夜、屋発つ。霰降る。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣(1月15日)京都大火。深夜、四条町辺より出火。六角-綾小路の商家など、西洞院-室町一帯多く焼失。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(1月19日)京都積雪。2寸許。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ3月3日(1月28日)京都洪水・大水。浸水。(『続本朝通鑑』『京都気象災害年表』)  ▣(1月29日)清水寺闘乱。早朝、僧徒(懺法衆)70余人、総寺僧を襲撃・合戦し、10余人殺害・負傷。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣(2月初め)京都連日大風。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(2月25日)京都内外でこの頃、強盗横行。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(2月27日)京都火災。放火により春日京極辺の商家焼亡。藤原頼房第(綾小路南、堀川西)の寝殿1宇焼亡。夜半、鷹司白川焼亡。犯人捕まる。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(2月)群盗横行。疫病流行。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ4月5日(3月2日)京都大雨風。通夜、藤原定家の邸破壊。未刻、猛烈。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(3月17日)京都火災。未刻、放火により大原辻の辺の小屋4-5宇焼失。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(4月6日)飢饉極頂に達し、各地の流民多く京都に達し餓死。死人道路に充満。(『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(4月21日)幕府、六波羅に命じ洛中諸祭礼での非礼の輩の狼藉を停め、強盗処罰について指図与える。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月25日/22日)京都火災。亥刻/丑刻、大炊御門堀川より出火、郁芳門焼亡。(『百練抄』『皇年代略記』『皇帝紀抄』『日本災変通志』)  ▣(5月2日)関白・九条道家以下の公卿、参集し飢饉対策協議。(『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月4日)僧・祇園示現、疫病餓死の駆除法を夢記に託し唱え洛中で喧伝。関白・九条道家書を将軍・藤原頼経に送る。夜、御所で四角四堺鬼気祭を行う。 (『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月22日)洛中飢饉甚だしく、六波羅に京都飢民徒党を組み富家襲撃し、借銭米強請する。武家取締、停止させる。(『皇帝紀抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(5月)京都飢饉。近日、京中在地人、富家に押し入り、飲食・銭米強取多し。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』)  ▣ユ7月5日(6月4日)京都霖雨洪水。賀茂川溢水になる。祇園御輿迎えにより、川原に散乱する死骸を清掃する。止雨奉幣を行う。(『民経記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(7月3日)定家家の西の小路、死骸、逐日増すが如し。臭香徐ろに家中に及ぶ。夜、三条坊門猪隈1町程焼亡。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(7月9日)京都出雲路放火。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(7月15日)京都地震。朝。(『明月記』) 津波・地震 ▣(7月16日)(2月)以来、洛中・洛外疾疫流行、貴賤多く死す。(『東鑑』『日本災変通志』) ▣(7月17日)京都大雨。遅明、雨、朝、鴨水大いに溢る。午時、青天。(『明月記』)   ▣(7月)飢饉甚だしく、餓死者、日とともに増加。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月1日)京都火災。丑刻、放火により法勝寺西方の在家焼亡。尊勝寺塔五重塔1基も焼失。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月5日(8月8日)諸国大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月18日)京都火災。北小路室町小火。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣ユ10月1日(9月4日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(9月19日)近日、家屋壊し薪として売買する者あり。検非違使・六波羅、停止させる。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月3日)新制下し、諸社祭礼行事の勤仕、賑給施米、洛中治安取締をさらに督し、祭事・平時の奢侈、六斎日殺生、宿紙製造、病者孤児の遺棄、私出拳の暴利など停止。(「近衛文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、(1月-3月)京都大風被害のため陰陽道の風伯祭が行われる。(『災害と生きる中世』)
■1232年(寛喜4年/貞永元年) ▣(2月26日)朝廷、飢饉により麦蒭(まぐさ)を牛馬飼料にすることを禁じる。(『民経記』)  ▣(4月1日/2日)感応寺(河崎観音堂、祇園)焼亡。夜半。(『百練抄』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(4月2日)第86代・後堀河天皇の時、天変地妖・風雨不節・水害・去年の飢饉により貞永に災異改元。(『百練抄』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)   ▣(5月13日)醍醐寺衆徒蜂起、同寺座主・道禅の房を襲おうとする。(『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月17日)稲荷祭で馬上・神人など闘争する。(『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月1日)盗人、夜、尊勝寺宝蔵に乱入・放火、蔵2宇焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(6月6日)祇園社御旅所大政所焼失により、祇園御霊会延引される。(『祇園執行日記抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(6月12日)法成寺京極西門俄に顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』)   ▣ユ7月8日(6月19日)京都風雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月29日)呪詛風説あり、九条道家、北野朝日寺観音を奪い破却。(『洞院摂政記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月25日(8月8日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(10月4日)第87代・四条天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1233年(寛喜3年)  ▣ユ2月22日(1月12日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(1月25日)二尊院の湛空、粟生野の幸阿弥陀仏の許から法然遺骸を奪い、奉安する。(『法然上人行状画図』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月10日)一条室町の前関白家の西殿焼亡。夜、子刻。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(2月17日)この頃、京都咳病(夷病)流行。⋄無動寺門徒、東塔南谷の房2宇切る。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(2月18日)南谷、無動寺を襲い房2宇切る。双方死者負傷者多し。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣(2月)北野神人、鳥羽夫役のことを訴え裁許督促。(「真教寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ⋄京都疾疫流行。夷病流行。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月7日)群盗、鳥羽の安楽寿院法華堂に乱入、宝物を盗む。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ5月9日(3月29日)京都大風雨。夜、申刻以後、猛なり。内憲藻壁門・法成寺薬師堂・廻廊・北の御堂(金堂北)顛倒、寺務頓死。⋄群盗墓所内に入り放火。(『百練抄』『明月記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(4月1日)無動寺、南谷合戦。南谷房3宇切る。死者3人・負傷者20余人、無動寺6人。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(4月6日)京都火災。一条大宮。(『明月記『日本災変通志』』)   ▣(5月4日)洛中群盗甚だし。関白・九条教実以下の公卿、対策協議。(『民経記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月14日(5月5日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月10日)京都火災。群盗放火により、大炊御門北、猪熊(隈)辺西東小屋20余焼亡。(『明月記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月17日)京都、近日炎旱。(『百練抄』『日本災変通志』)   ▣ユ7月31日(6月23日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(6月24日)京都旱天。甚し。井水乾く。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(6月26日)京都炎旱。都鄙しきりに聞ゆ。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(7月7日-9日)京都大風。(『明月記』)  ▣(7月23日)京都旱天。四条京極辺つむじ風。(『明月記』)  ▣(7月25日)京都旱天。焦すが如し。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(9月9日)京都火災。一条北、万里小路東。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ10月25日(9月21日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(10月4日)盗人、法勝寺円堂に乱入、焼き穿つ。(『百練抄』『日本災変通志』)   ▣(10月15日)先に法勝寺円堂内の仏像盗まれ、この日、検非違使を近江に遣わし主謀者捕える。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ11月21日(10月18日)京都大風。屋発つ。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣(11月28日)京都火災。冷泉北、富小路東。東御所東方で消し止む。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(12月24日/4日)荒廃していた西寺塔・屋舎焼亡。夜。下人宅の失火とも。(『明月記』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1234年(天福2年/文暦元年)  ▣(2月8日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(2月14日)京都火災。未刻、北方民家より出火、北野社神殿・礼殿・小社・廻廊焼亡、朝日寺類焼。(『東寺王代記』『皇年代略記』『百練抄』『興福寺略年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(6月30日)故中納言・藤原家経の息・入道道教雅、専修念仏修し人心惑わすとし洛中より追放。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(7月7日)河崎社例祭で、飛礫刃傷あり。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(7月15日)東北院の相撲会で、喧噪極め解散に際し狼藉あり。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月29日)院の御壇所焼亡。地蔵堂1宇・馬場辺1町余下人小屋焼失。(『百練抄』『明月記』『日本災変通志』)  ▣(7月29日-8月4日)大風(台風)雨降らず、5日間の強い東風。(『明月記』)   ▣(7月)京都旱天。続く。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(8月3日)京都大火。暁、烏丸西、油小路東、七条坊門南、八条坊門北、商賈街(七条-八条間)多数火災、富家土蔵など多く被災。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(8月25日)宇治三室戸で闘争。在家2宇焼き10余人殺害。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(9月16日)京都大地震。寅刻。(『百練抄』『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(9月26日)藤原定家の庭の梨実、炎旱により損失。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(10月1日 )金峰山山伏数百人、法成寺辺に集まり、摂政・九条教実の邸に群参し強訴。(『百錬抄 』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(閏10月1日)蓮華蔵院の塔焼亡。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月5日)第87代・四条天皇の時、天変・地変(地震・山崩れなど)があり、「天福」は「転覆」に通じるとの口遊び(噂)広がる。藻壁門院・後堀河上皇の逝去も相次ぎ、不吉として文暦に災異改元。(『百練抄』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 津波・地震
■1235年(文暦2年/嘉禎元年)  ▣(1月3日)京都火災。春日・烏丸焼亡。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ2月2日(1月13日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(2月10日)京都火災。武者小路高倉辺、権大夫局より出火、蔵人右佐高嗣宿所焼亡。(『百練抄』『明月記』『日本災変通志』)  ▣(2月16日)京都大火。錦小路町、四条坊門(四条大路北)、今出、西洞院東、六角小路南、室町小路西など16町焼失。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣(3月9日)群盗、法成寺に押し入り、放火逃亡。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月15日)京都火災。藁に火が付き、六角南、油小路東、堀川西焼亡。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ4月6日(3月17日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(3月)徳大寺中納言の三条邸が焼失、大内裏の荒廃が進み「内野」と呼ばれる。  ▣(4月9日)京都火災。夜、四条坊門、京極、六角焼亡。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(5月2日)京都大雨雷電猛烈。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ5月22日(5月4日)京都雷雹。大なるは柑子/梅子の如し。農作物に被害。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣(5月23日)先に、綴喜郡薪荘と大住荘に争論。この日、朝廷、六波羅探題に検分命じる。藤原定家、争論を「修羅の闘争」と呼ぶ。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月3日)南都領大住庄と石清水神宮領薪庄で水論あり、興福寺衆徒、神宮領山城国薪庄を焼払う。在家60余宇被災。(『百錬抄 』『明月記』『日本災変通志』)   ▣(閏6月19日)先に、善光寺仏を洛中に移す。都人、拝さんと群集する。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(閏6月25日-26日)日吉神輿騒ぐ。(『明月記』『日本災変通志』)   ▣(7月23日)暑気甚し。南京(興福寺)・叡山蜂起、加賀白山神輿上京。延暦寺大衆、宮仕法師殺害の佐々木高信の断罪を迫り、神輿を奉じ入洛。近衛東朱雀辺で防御の武士と交戦。衆徒、神輿を捨て帰山し、山上諸堂日吉社以下・祇園・北野末社まで閉鎖。(『百練抄』『吾妻鏡』『天台座主記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ⋄幕府、六波羅に京都での夜討強盗・大番遅怠者の処断法を通告。(『新編追加』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月24日)念仏宗徒、黒衣を着し都鄙での横行禁じられる。(『新編追加』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月19日)第87代・四条天皇の時、天変・地震(地変)により嘉禎に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)津波・地震 ▣(10月13日)京都疾疫流行。疱瘡流行。近日民戸の嬰児・老翁ら屋を並べ死亡。殿上人も若年は皆罹る。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(10月17日-18日)京都甚雨。河水溢る。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣(10月19日)鴨川洪水。河原浸水。(『明月記』) ▣(10月)京都疾疫流行。疱瘡流行。死者多し。第87代・四条天皇、疱瘡罹患。(『東鑑』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(12月2日)大住庄切堤で、申刻、石清水神宮寺別頭侍所司ら大住庄神人10余人と戦い、矢により殺傷される。(『祐茂記抄』『春日神人等申状』『日本災変通志』) ▣(12月9日)大住庄、薪庄が闘争。(『祐茂記抄』『春日神人等申状』『日本災変通志』)   ▣(12月12日)幕府、六波羅に山門(延暦寺)悪僧交名を注進させる。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月22日)興福寺大衆、石清水神人との水利争いを訴え神木を奉じて入洛。朝廷、六波羅探題に命じて制止。 (『明月記 』) ▣(12月)大住庄神人・貞弘即死、為次死傷。(『祐茂記抄』『春日神人等申状』『日本災変通志』)  ▣この年、京畿で疱瘡流行。(『日本歴史災害事典』)
■1236年(嘉禎2年) ▣ユ5月14日(4月8日)京都暴風雷雨・雷雹。雹(柑子大)降る。(『百練抄』『興福寺略年代記』『皇年代略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
■1237年(嘉禎3年)  ▣(2月1日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(6月1日)京都大地震。卯刻。(『百錬抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(8月3日)京都大火。賊の放火により、七条-八条の裕福な商人街が焼亡。(『明月記』) ▣(10月28日)京都火災。夜、六波羅地蔵堂焼亡、清水坂南方の在家類焼。(『百練抄』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1238年(嘉禎4年/暦仁元年)  ▣(閏2月7日)京都火災。佐女牛、東洞院失火、南北2町焼亡。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣(閏2月16日)鞍馬寺焼亡。未刻/巳刻。失火、小堂より出火。(『東鑑』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣ユ4月16日(閏2月30日)京都大風。法成寺歩廊顛倒。(『百錬抄』『日本災変通志』)  ▣(3月23日)京都雨大風。人屋皆破損、庭樹悉く吹折る。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣(5月24日)北条奏時・時房、書状を東寺に遣わし、洛中警固の篝屋設置を述べる。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣ユ7月17日(6月5日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月19日)洛中群盗に備え、二条大宮辺・八条政所跡など48カ所に篝屋設け、警固させる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月23日)京都火災。戌刻、京都北辺焼亡。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣ユ8月6日(6月25日)京都雨大風・大雷雨。丑刻、大風雷鳴洪水、人屋多く破損。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣(7月13日)法成寺内法花堂顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(11月23日)第87代・四条天皇の時、天変・水損により暦仁に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  
■1239年(暦仁2年/延応元年)  ▣(1月7日)検非違使庁で雑犯糺弾に際し、油売1人を捕える。左大臣・二条良実、これを奪い奉公人・大志景種を解任。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月7日)第87代・四条天皇の時、天変・地変がある。「暦仁」は「略人(多くの人の死亡、自然災害)」に通じ不吉として延応に災異改元。(『皇年代略記』『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(4月13日)幕府、六波羅に対し、僧徒の帯仗四一半博徒の禁止・京都で召捕えの犯人更迭・犯人住居の没収・篝屋の押収物・諸社神人の狼藉停止など沙汰。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(9月11日)諸国地頭・延暦寺僧・商賈債権者をもって代官とすることを禁ず。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1240年(延応2年/仁治元年) ▣(1月21日)京都火災。祇園西大門辺の小屋、西大門の火消し止む。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣ユ3月7日(2月12日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月10日(4月17日)京都霜。(『京都気象災害年表』)  ▣(5月14日)延暦寺衆徒、専修念仏者追放を申請。(『高祖遺文録』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(7月16日)第87代・四条天皇の時、天変・旱魃により仁治に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(11月17日)京都大風雷鳴。(『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(11月29日)群盗蜂起の風聞あり。幕府、洛中篝屋毎に太鼓置き、在家毎に続松備えさせる。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(11月)群盗、連夜蜂起。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1241年(仁治2年) ▣ユ2月20日(1月8日)京都落雷。清水寺に落つ。(『京都気象災害年表』) ▣(6月10日)幕府、六波羅に洛中殺害人の処断について指示を与える。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月20日)京都・大坂甚雨。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(8月7日)櫟谷・宗形社(七条朱雀)焼亡。御体焼失。夜、丑刻。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)   ▣(9月6日)検非違使・為季、川合社前の川での賀茂氏人による漁獲者を逮捕し、氏人の反攻に遭う。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月13日)京都大風。南都で大炎上。(『百練抄』『日本災変通志』)
■1242年(仁治3年) ▣(1月20日)第88代・後嵯峨天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月5日)革堂行願寺焼亡。夜、丑刻。両方門・惣社残る。住僧の所為、放火という。(『百練抄』『平戸記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ6月1日(5月2日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月2日(6月3日)京都雨水。(『京都気象災害年表』)  ▣ユ7月3日(6月4日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月7日(6月8日)京都冷気。(『京都気象災害年表』) ▣(6月14日)祇園御霊会で、馬長舎人、刃傷して禁獄される。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月20日)北条奏時の逝去の報により、六波羅騒動になる。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月1日)鳥羽勝光明院焼亡。申刻。(『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣8月15日(7月18日)京都旱。(『京都気象災害年表』)  ▣(9月11日)これ以前に、祇園衆徒と清水寺、土地境界で相論になる。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ11月20日(10月26日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月)洛中の井水、皆涸れる。 (『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(12月24日)京都火災。夜、粟田口辺火事、十禅師社焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1243年(仁治4年/寛元元年) ▣(1月3日)京都大火。夜、祇園西大門前の民家南北数百戸焼亡。橋詰西、今小路東、綾小路末南焼失。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)  ▣(3月12日)六波羅閻魔堂焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ6月6日(5月18日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月)京都疾疫流行。小児疱瘡流行。小児多くが患う。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(6月14日)祇園御霊会で、武士と宮仕法師闘争。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ12月17日(11月5日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月22日)筑前前司・行長宅(鷹司町)焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣稲荷上社焼亡。
■1244年(寛元2年)  ▣(1月5日)京都地震。?(『如是院年代記』『日本災変通志』)  ▣(1月27日)松尾社辺の山崩壊し、大堰川塞がる。末社・宗像社鏡石、崩れ落つ。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(6月6日)京都大火。  ▣(6月中旬)京都炎旱。祈雨。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(7月2日)京都地震。(『百練抄』『皇年代略記』『日本災変通志』) 津波・地震  ▣(9月)京都強盗横行甚だし。篝屋守護効なしという。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ12月8日(11月7日)京都大雪。(『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣建仁寺焼亡。
■1245年(寛元3年)  ▣(1月11日)京都落雷。陣中、左衛門尉実員所・七条室町辺、大炊御門辺などに落雷。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣2月8日(1月13日)京都火災。綾小路、萬里小路焼亡。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ2月9日(1月14日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(1月22日)京都火災。夜、中御門富小路火災。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(3月9日)京都地震。午後。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(4月5日)京都地震。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震  ▣(4月7日)京都地震。子刻。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(5月8日)京都地震、戌刻。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣ユ6月15日(5月20日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月1日)京都雷鳴。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣ユ8月7日(7月14日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月12日(7月19日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(7月26日/27日)京都大地震。「夜、地大震」(『平戸記』)、夜丑刻 京都では壁・築垣・所々屋々、破損個所多し。多数の屋舎傾く。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『日本被害地震総覧』)津波・地震  ▣ユ8月27日・グ8月27日(8月4日)京都地震。(「地震インフォ」)津波・地震 ▣(9月20日)京都蘭林坊3間内東2間顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(10月11日)武者小路富小路辺焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(11月19日)土御門西洞院焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣ユ12月11日(11月21日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ12月19日(11月29日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ⋄稲荷上社焼亡。(『百練抄』『平戸記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月2日)京都火災。五条東洞院・姉小路の2カ所焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣翌年ユ1月2日(12月13日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1246年(寛元4年)  ▣(1月6日)京都大地震。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(1月18日)京都火災。一条室町辺焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(1月25日)京都火災。八条坊門町・唐橋油小路焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(1月29日)第89代・後深草天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月28日)京都火災。綾小路大宮辺焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣ユ3月29日(3月11日)京都雷雨。(『京都気象災害年表』) ▣(4月2日)京都火災。北大路辺焼亡。地震両3度。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣ユ4月24日(4月7日)京都霰。(『京都気象災害年表』) ▣(閏4月2日)陣中(禁中)焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)   ▣(閏4月24日)横川衆徒蜂起。梨本門徒・覚猷、堅者を殺害したことによる。(『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月1日)京都大火。三条南、八条北、東洞院東、朱雀西焼亡。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月2日)「京中大焼亡」。?(『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(6月5日)京都火災。夜、五条以上、四条以下焼亡。(『南行雑録』『日本災変通志』) ▣(6月6日/7日)京都大火。四条坊門町より出火、三条、八条、西洞院、河原、五条坊門間焼亡。六角堂・因幡堂・祇園御旅所など焼亡。(『百練抄』『葉黄記』『岡屋関白記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月8日)京都火災。夜半、建仁寺・二階堂など焼亡。(『東寺王代記』『皇代記』『古暦』『百練抄』『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(6月9日)達智門内在家焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣ユ8月13日(7月1日)京都雷震。(『京都気象災害年表』)  ▣(7月26日)京都大地震。所々の屋舎多く破損。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』) 津波・地震 ▣(10月10日)京都地震。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震  ▣(10月13日)洛中の篝屋警備制、一時停止。(『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(11月13日)京都火災。鷹司東洞院1町計り焼亡。(『平戸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月5日)京都大地震。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣この年、地震多し。(『平戸記』)津波・地震
■1247年(寛元5年/宝治元年)  ▣(1月13日)京都地震。午後。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(1月25日)京都大雨雷雨。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(3月13日)京都地震。夜、鳴動。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震  ▣(6月5日)三浦泰村、京都に還送された前将軍・藤原頼経と計り兵をおこす。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月10日)京都地震。辰刻、声(鳴動)あり(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣(6月20日)京都火災。夜、冷泉猪隈辺焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)   ▣(8月17日)大曽根長泰、幕府使として兵を率い入京。(『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月28日)法勝寺阿弥陀堂焼亡。(『百練抄』『興福寺略年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)   ▣(8月29日)京都火災。清水坂・六波羅蜜寺門・鎮守社・建仁寺など焼亡。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月29日)京都地震。辰時。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震
■1248年(宝治2年)  ▣(7月2日)桂供御人、上下に分かれ闘乱。後嵯峨上皇(第88代)に至り訴える。(『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月23日)京都火災。左近衛府(土御門南、堀川東)焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(9月8日)近畿大風雨。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(9月16日)咳病流行により、御修法始める。(『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(10月22日)閑院内裏内膳屋焼亡。(『百練抄』『葉黄記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(12月22日)武者小路西洞院炎上。(『経俊卿記』)
■1249年(宝治3年/建長元年) ▣(2月1日)閑院内裏焼失。子刻。(『皇年代略記』『百練抄』『岡屋関白記』『増鏡』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(3月18日)第89代・後深草天皇の時、内裏火事(火災)・天変により建長に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(3月20日)京都火災。五条辺焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(3月23日)京都大火。「京都建長の大火」、午刻、押小路/姉小路室町より出火、三条南、八条北、西洞院東、京極西(五条以南、河原)焼失。六角堂・蓮華王院の塔・御堂(千体仏の200余体残)・新熊野社(鐘楼・宝蔵)・西政所屋、公卿家10余所、雲客以下数知らず焼亡。 ⋄夜、鷹司万里小路辺で出火、双林寺・摂政近衛兼経第など焼亡。(『皇年代略記』『百練抄』『五代帝王物語』『興福寺略年代記』『岡屋関白記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(4月2日)京都火災。吉田社辺焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(8月14日)近日、山門衆徒蜂起。(『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ⋄青蓮院僧徒蜂起。園城寺円満院仁助親王が、天王寺別当職に補されようとしたことに憤り、根本中堂に日吉神輿を奉じ蜂起、山門諸堂を閉鎖。(『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月5日)院宣下し、先に蜂起した青蓮院衆徒を慰撫、二カ条を約し山門諸堂を開かせ、日吉神輿を帰座させる。(6日)道覚法親王、天台座主職を辞す。(『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1251年(建長3年) ▣(1月19日)京都地震2度。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣ユ6月9日(5月19日)京都甚雨大風/大風。夜、民屋多く破損。止雨奉幣。(『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣(8月17日)京都地震。午刻。(『百練抄』『日本災変通志』) 津波・地震
■1252年(建長4年)  ▣(3月19日)宗尊親王、皇族初の征夷大将軍として関東に発向。(『皇代記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月2日)旱魃甚しく、水天供を修す。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣ユ6月23日(5月15日)京都雨水。洪水。(『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣(9月2日)東寺灌頂院・護摩堂焼亡。(『東寺王代記』『東宝記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(11月18日)京都火災・雷鳴。卯時頃、落雷?により北野早取神社の後ろ芝上より出火。炎(5丈ほど)杉梢上る。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣この年、大飢饉、米1升100銭になる。 (『暦仁以来年代記』『如是院年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■1253年(建長5年) ▣(9月17日)京都地震。戌刻。(『百練抄』『日本災変通志』)津波・地震
■1254年(建長6年) ▣(2月9日/19日)法成寺焼亡。午刻頃。(『皇年代略記』『五代帝王物語』『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ⋄戌刻、京都地震。(『百練抄』『日本災変通志』)津波・地震 ▣(2月19日)法性寺焼亡。南大門・鐘楼・金堂・塔婆など焼失。(『歴代皇紀』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(閏5月11日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』)津波・地震  ▣(閏5月19日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) 津波・地震 ▣ユ7月-9月(6月-7月/6月)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣この年、都人風流を尽くし感神院に参詣。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1255年(建長7年)  ▣(7月25日)群狼、七条堀川辺に出現し民家破損。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月28日)法勝寺に落雷。九重塔上に落ちかかり雷火打ち消す。(『皇年代略記』『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(9月15日)六波羅蜜寺焼亡。(歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月2日)醍醐寺理性院焼亡。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(12月12日)京都地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) 津波・地震 
■1256年(建長8年/康元元年) ▣(5月10日)東堀川・西洞院川・烏丸川氾濫。(『経俊卿記』)  ▣(6月14日)男山八幡宮宝殿、鳴動。(『百練抄』『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(6月16日)祇園社僧と清水寺僧が闘争。社僧6人を検非違使庁に引き渡し、六波羅、紛糾を鎮圧。 ⋄法勝寺阿弥陀堂に落雷。(『経俊卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月5日)亀山殿の御車宿・念珠堂焼亡。(『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月10日)京都洪水。粟田宮の築垣破損。(『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月29日)建仁寺焼亡。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月17日/7日)粟田宮焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(8月27日)京都疾疫流行。赤班瘡流行。上下病む。第89代・後深草天皇罹病。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(8月)京都疾疫流行。赤班瘡流行。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(10月5日)第89代・後深草天皇の時、赤班瘡(疫病)流行により康元に災異改元。(『百練抄』『皇代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  
■1257年(康元2年/正嘉元年)  ▣(2月10日)太政官庁焼亡。朝所のほか皆悉く焼失。(『皇年代略記』『興福寺略年代記』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)   ▣(2月23日)京都大地震。(『異本塔寺長帳』『京都の歴史10 年表・事典』) 津波・地震 ▣(2月28日)京都火災。院御所五条大宮殿(六条内裏?)炎上、午刻。前年1256年とも。壬生寺(壬生地蔵堂)など類焼。(『百練抄』『興福寺略年代記』『東寺長者補任』『如是院年代記』『五代帝王物語』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣(3月14日)第89代・後深草天皇の時、太政官庁以下炎上(火災)により正嘉に災異改元。(『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣ユ5月10日(閏3月25日)京都降灰。(『京都気象災害年表』)  ▣ユ6月19日(5月6日)京都大雨洪水。河辺の小屋浸水。(『経俊卿記』『京都気象災害年表』) ▣(6月)京都・諸国旱魃。    
■1258年(正嘉2年)  ▣(4月13日)院御所大炊御門殿焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月17日)延暦寺(天台)衆徒、日吉神輿3基舁き入洛。閑院内裏で振り奉る。園城寺戒壇院の勅許停止について強請。(『百練抄』『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(6月)京都長雨・低温。 ▣ユ8月30日(8月1日)近畿大雨洪水。関東諸国大風雨、大雨洪水。京都雨大風、顛倒破壊数知らず。安嘉門顛倒。諸国で不作、翌年に飢饉。(『百練抄』『吾妻鏡』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣冬-翌1年の春夏 諸国に飢饉、京都で餓死者が路上に充満し「小尼が死人の肉を食らう」 疫病・百姓の逃亡・死亡などにより飢饉が数年続く。(「正嘉・正元の飢饉」)。日蓮は救済のため『立正安国論』を執筆。(『日本の自然災害』)
■1259年(正嘉3年/正元元年)  ▣(3月1日)衆徒放火により園城寺の唐院・食堂など焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(3月26日)第89代・後深草天皇の時、疾疫・飢饉・地震などにより正元に災異改元。(『皇年代略記』『五代帝王物語』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 津波・地震 ▣(4月11日)日吉・二宮・十禅師焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(4月27日)清水寺焼亡。午刻。塔・西門廊・東西塔・鐘楼・経蔵・北門など焼失。(『皇年代略記』『興福寺略年代記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月5日)「近日、一三、四ばかりの小尼、一条壬生に於いて死人を破食」。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(5月9日)疾病祈祷のため紫野今宮祭を復興する。院庁より馬長を献じる。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月10日/21日)珍皇寺塔など焼亡。放火によるとも。(『百練抄』『皇年代略記』『五代帝王物語』『見聞私記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月22日)閑院内裏炎上。(『百練抄』『五代帝王物語』『日本史総合年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(11月26日)第90代・亀山天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月5日)京都火災。五条室町より出火、四条河原まで焼失。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、諸国で飢饉・疾病流行。(正嘉の飢饉)(『日本歴史災害事典』)
■1260年(正元2年/文応元年) ▣(1月6日/5日)延暦寺衆徒、卯刻、日吉・祇園・北野の神輿を奉じ入洛、内裏・院御所に振り奉る。園城寺の三摩耶戒勅許を憤る。六波羅探題、鎮定。(『深心院関白記 』『日本史総合年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(1月17日)院御所に49項目の落書掲げられる。(『正元二年院落書』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(1月19日)先の延暦寺強訴により、園城寺、勅許の官符返上し、(20日)夜、神輿帰座。(『深心院関白記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月12日)院御所大炊御門殿焼亡。丑刻。(『東鑑』『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(6月4日)幕府、六波羅に命じ、重罪首謀は関東護送、軽因は即決か飢饉により放免とす。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月11日(8月5日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月20日(8月14日)京都大風。(『如是院年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)   ▣(11月6日/11月)上醍醐御影堂・経蔵・如意輪堂・五大堂焼亡。(『醍醐寺記』『醍醐寺新要録』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(12月5日)京都大火。五条室町より出火、東は河原、北は四条まで焼亡。(『一代要記』) 
■1261年(文応2年/弘長元年)  ▣(1月12日)群盗、大学寮に入り聖賢の画像破損。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月7日/5日)失火により亀山仙洞御車宿焼亡、念珠堂・随身所など焼失。(『東鑑』『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣ユ8月7日(7月10日)京都洪水。粟田宮の築垣崩壊。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月5日)延暦寺の訴えにより、初めて赤山権現祭を行う。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月25日(8月29日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1262年(弘長2年)  ▣(2月14日)粟田宮築垣以下、延勝寺・成勝寺訴訟の条々を奏する。(『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月21日)日吉・王子宮(八王子社?)焼亡。翌年とも。(『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(5月)醍醐寺僧徒、騒擾し僧綱など上書し座主の改補を請う。(『醍醐寺新要録』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月1日)第90代・亀山天皇、疱瘡罹患。
■1263年(弘長3年)  ▣ユ9月17日(8月14日)近畿大風。(『京都気象災害年表』)
■1264年(弘長4年/文永元年)  ▣(3月23日/22日)延暦寺僧徒、天王寺別当の朝裁延滞により蜂起。夜、同寺講堂・四天王院・戒壇院・常行堂・法華堂・鐘楼など堂塔に放火焼亡。(『五代帝王物語』『興福寺年代記』『叡岳要記』『満済准号日記』『天台座主記』『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)  ▣(3月26日/25日)山門衆徒、日吉・祇園・北野などの神輿を奉じ入洛。内裏・仙洞御所などに迫り内裏陣頭に振る。六波羅、僧徒と戦う。(『興福寺年代記』『皇年代略記』『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)   ▣(3月27日)山門僧徒の請を入れ、院宣下し前大納言・藤原実藤を流罪に処す。園城寺四天王寺別当職を停める。(『天台座主記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ4月-10月(4月-9月)京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(5月2日)延暦寺僧徒、卯刻、園城寺諸堂に放火。(『皇年代略記』『興福寺年代記』『日本災変通志』)  ▣ユ7月22日(6月27日)京都旋風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月19日(7月26日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)京都疾疫流行。疫病流行。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ8月26日(8月4日)京都龍巻。(『京都気象災害年表』)
■1265年(文永2年) ▣(2月10日)中御門大宮焼亡。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(閏4月2日)筥崎宮神人、神輿奉じ入京しようとしとし、石清水別当・行清が奏し、この日、院宣を下し止めさせる。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月)京中貴賤、風流競い祇園社に参詣。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月10日)乞食など、風流競い祇園社に参詣。 ⋄紫野今宮社焼亡。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1266年(文永3年) ▣ユ5月26日(4月20日)颶風(ぐふう、暴風)。(『京都気象災害年表』) ▣(5月24日)河合社破損。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月24日)宗尊親王の子・惟康親王、征夷大将軍に任じられる。(『皇代記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月18日(8月18日)近畿・洛中・西国大風雨。外記庁・典楽寮明堂・陰陽寮の神社・延暦寺文殊楼・戒壇院・門など顛倒。外記庁を太政官内に移す。(『外記日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月11日)祇園社領内五条堀川住人・清原某、殺害与同の咎あり、住宅破却。以後、洛中各所社領内の犯科人跡は社家が処分。(「八坂神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1267年(文永4年)  ▣(5月13日)祈雨のため神泉苑清掃し、丹生社・貴布禰社に奉幣発遣。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣ユ6月7日(5月14日)丹波雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月15日)賊、大学寮に入り孔子十哲画像破壊、禁中に入り神輿装束盗む。(『外記日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月22日(5月29日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月25日)延暦寺衆徒蜂起し、中堂に籠り北野社を閉ざす。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月4日)新日吉社の彼岸所焼亡。(『天台座主記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月13日)仁和寺焼亡。(『第一国師年譜』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1268年(文永5年) ▣2月5日(1月14日)京都大火。四条坊門より出火、六角堂、三条坊門殿焼亡。(『皇年代略記』『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(3月5日)異国(蒙古)降伏を祈り、石清水八幡宮、仁王経法を修す。(『八幡愚童訓』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(3月23日)異国降伏祈念のため、東寺で仁王経法を修す。(『東宝記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月5日)法勝寺九重塔に落雷。 (『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月17日)北野社僧、後嵯峨上皇(第88代)御所に群参し社堂修造を要請。(『続史愚抄』『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月26日)旱魃により、祈雨奉幣使を発遣し、神泉苑を清掃。 (『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(7月6日)祈雨のため神泉苑で読経。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1269年(文永6年)  ▣(1月10日/1月)延暦寺梶井青蓮院僧徒、日吉神輿3基奉じ入洛強訴。六波羅の兵と衝突し、僧徒、神輿を途に棄てる。命じ祇園社に神輿遷す。(『天台座主記』『皇年代略記』『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣(2月17日)院宣下し、僧徒の訴訟を裁許、神輿帰座。(『天台座主記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月14日)祇園御霊会で、兵士と神人闘争し死傷者出る。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月17日)延暦寺衆徒、 神輿を奉じ入洛。六波羅探題、出兵して制止。(『続史愚抄』)   ▣(12月29日)先に、延暦寺僧徒、中堂に拠り神輿破壊。北条時政、使遣し奏する。法皇・梶井青蓮院に宣諭し、僧徒、誓詞を六波羅に出す。(『天台座主記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1270年(文永7年)  ▣(4月15日)天台勧学院堂・西塔常行堂・法花堂・鐘楼・住房1宇など焼亡。寅刻。梟徒の放火による。(『山門堂舎記』『日本災変通志』)  ▣(4月20日)東寺五重塔焼失。(『建武元年東寺供養記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ5月12日(4月21日)東寺に落雷。塔焼亡。(『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』) ▣(8月21日/22日/27日)京都火災。左少弁・藤原経長第(高辻西洞院)で火事、五条内裏に延焼。このため第90代・亀山天皇・皇后、万里小路殿に行幸。(『皇年代略記』『興福寺略年代記』『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)  ▣(11月15日)法成寺総社焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1271年(文永8年) ▣ユ4月11日(3月1日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月25日(4月15日)京都大風。延暦寺西堂焼亡。(『満済准号日記』『天台座主記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月21日(8月16日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月25日)法皇、石清水八幡宮に御幸し、異国降伏を祈祷。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1272年(文永9年) ▣(2月11日・15日)幕府、反意の企てあり、六波羅北方の左近大夫将監義宗、南方の式部大夫・北条時輔を討ち火を放つ。(「二月騒動」)(『五代帝王物語』『鎌倉年代記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■1273年(文永10年) ▣ユ6月-8月(閏5月-7月)京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(6月24日)京都炎旱。甚し。祈雨奉幣使を発遣し、清滝・神泉苑などで祈雨・読経させる。(『吉続記』 『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本史総合年表』)  ▣(7月10日-)前大僧正・道宝、神泉苑で請雨経法を修す。(『東寺王代記』『日本災変通志』)   ▣(7月27日)清凉寺僧徒、門戸を閉鎖し乱を計る。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月12日)京都大火。六条坊門壬生より失火、八条坊門、東河原、長講堂・六条殿(六条院殿、万寿禅寺)など焼亡。(『皇年代略記』『万寿禅寺記』『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(10月20日)内裏焼亡。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣この年、飢饉甚しく、五節を停止。 (『妙槐記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1274年(文永11年) ▣(1月26日)第91代・後宇多天皇践祚。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月28日)逢坂関で督使など、園城寺衆徒などにより狼藉受ける。(『文永代始公事抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月25日)松尾社領山城河原田の件で、神主・禰宜など相論。この日、院宣により禰宜の領掌になる。(「東文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月14日)京都火災。近衛西洞院より出火、六条東洞院に至る。星光寺焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月18日)蒙古の兵3万、(10月5日)に対馬に来襲し、この日、大宰府の飛脚が六波羅に至り告げる。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月28日)蒙古兵、(10月13日)に壱岐島に乱入、この日、大宰府の飛脚、入京し報じる。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)異国降伏祈祷のため、石清水八幡宮宝前で、最勝王経を転読。(『八幡愚童訓』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月19日)清水寺焼亡。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月29日)第50代・桓武天皇相原山陵を掘穿する者あり。この日、使いを遣わし検分。(『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1275年(文永12年/建治元年)  ▣ユ4月1日(3月4日)京都雪。(『京都気象災害年表』』)  ⋄京都大風・火災。姉小路室町、前大納言・藤原忠方第焼亡。(『仁部記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月12日)山門(延暦寺)食堂顛倒。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣この年、重病非人など上下町中を乞食する。(『金剛仏子叡尊感身学生記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1276年(建治2年) ▣(閏3月21日)三条坊門殿焼亡。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ⋄亀山上皇(第90代)の御所押小路殿(押小路南、烏丸東)焼亡。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月14日)祇園御霊会で、三条大宮篝屋に狼藉の事ある。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(7月18日)御霊会神輿渡御に際し、内大臣・藤原家基の近衛第門前で、飛礫などの狼藉あり。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月15日)御所宗政館焼亡。戌刻。(『北条九代記』『日本災変通志』)  ▣(12月22日)石清水八幡宮愛染明王堂など焼亡。(『石清水八幡宮末社記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1277年(建治3年)  ▣(1月1日)京都深雨・深雪。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(7月14日)近衛西洞院左獄より失火し、六条殿、長講堂を類焼。(『一代要記』『興福寺略年代記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)  ▣(7月15日)亀山上皇(第90代)御所常盤井殿(大炊御門北、京極東)焼亡。(『皇年代略記』『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(11月23日)梨本衆徒と叡山衆徒の闘争により、日吉祭停める。(『建治三年日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月6日)秋以降、京都疾疫流行。疫病流行し、法勝寺に宣旨を下し仁王経輪読させる。 (『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1278年(建治4年/弘安元年)  ▣(1月)建仁寺焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月29日)第91代・後宇多天皇の時、疾病により弘安に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)   ▣(3月5日)八幡神輿入洛。(『東寺王代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月11日)日吉神輿入洛。(『東寺王代記』『日本災変通志』)  ▣(5月12日)三井寺(園城寺)焼亡。(『東寺王代記』『日本災変通志』)  ⋄園城寺金堂供養あり勅会に準じる。延暦寺衆徒怒り、日吉神輿を奉じ入京し妨げる。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月16日)日吉神輿帰座。延暦寺衆徒、三井長吏隆弁の鹿谷坊焼く。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月22日)京都疾疫流行。疾疫流行し、二十二社に奉幣して祈祷。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月22日)興福寺大衆、神木を奉じ入洛。(『大宮文書』) ▣(閏10月13日)内裏焼亡。第91代・後宇多天皇、万里小路殿(大炊御門南、萬里小路西)に移る。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(閏10月20日)二条里内焼亡。(『京都事典』)  ▣(閏11月3日)押小路内裏焼亡。(『東寺王代記』『皇年代略記』『日本災変通志』) 
■1279年(弘安2年) ▣(5月4日)石清水八幡宮の八幡神人、赤山神人との相論に関し裁決遷延のため神輿を奉じ初入洛。撃退され神輿を棄て逃走。 (『公衡公記』『一代要記』『皇年代略記』『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣(5月5日)八幡神輿、東寺に入り奉る。(『東寺王代記』『日本災変通志』)  ▣(5月9日)炎旱甚し。(5日)水天供修し、この日雨降る。(『吉続記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1280年(弘安3年) ▣(2月15日)放火により、万里小路内裏・富小路東宮御所。(『春能深山路』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)奈良より京都へ運送の酒、盗飲者ありとの風聞流れ、この日、若次郎など無根を起請。(「東大寺尊勝院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月17日)先に、延暦寺僧徒、園城寺を攻め守護兵と戦う。この頃、世間不穏になる。(『春能深山路』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月27日)毘沙門堂焼亡。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1281年(弘安4年)  ▣(2月28日)蒙古(元寇)再来襲の風聞あり、この日、仁和寺大聖院で仁王法経修される。(『仁和寺御伝』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月8日)蒙古再来襲の風聞あり、異国降伏祈祷のため延暦寺中堂に七仏薬師法修する。(『仁和寺御伝』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月8日)外寇祈祷のため二十二社に奉幣。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月1日)先に、高麗兵船500艘、宗像沖に進む。この日、大宰府の飛脚京都に到り伝える。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月2日)異国降伏のため東寺で不動法修す。以後、京中諸社寺で外寇祈祷、頻りに行われる。(『東宝記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月21日)先の(6日)、元・高麗軍船、志賀などの島に寇する。日本軍防戦し、元軍上陸できず軍船、鷹島に退り拠る。この日、この報、京都に到る。(『八幡愚童訓』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月23日)異国降伏祈請のため、石清水八幡宮で一千部法華経転読。(『八幡愚童訓』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月-閏7月)石清水八幡宮などで異国(元・高麗)降伏祈祷など盛んに行われる。(『続史愚抄』『日本史総合年表』)  ▣ユ8月16日(閏7月1日)九州北部・近畿地方大風雨、台風襲来。元兵船覆没し、元兵多く溺死。(『増鏡』『壬生官務家日記抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本の自然災害』) ▣(閏7月14日)元兵船覆没の報、大宰府より京都に達す。(『壬生官務家日記抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月4日)興福寺大衆、春日神木を奉じ入洛せんとする。宇治橋・稲荷辺で武士ら拒ぐ。(『続史愚抄』『弘安四年春日入洛記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(10月6日)春日神木入洛、法成寺金堂に入る。(『続南行録』中『祐春記抄』『弘安四年春日入洛記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月18日)金峰山大衆、蔵王神輿を奉じ入洛。(『続史愚抄』『帝王編年記成』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1282年(弘安4年)  ▣(2月1日)春日神木入京に当たり、幕府、神木入京拒んだ六波羅武士を流さんことを奏する。この日、関白・鷹司兼平、長者宣を下し帰座命じる。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(3月21日)春日神人、兼平第に群集。石清水臨時祭奉行を源姓公卿に付するのを怒る。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(3月28日)石清水の神人蜂起。神輿、内裏に振るとの巷説あり。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月21日)石清水八幡宮仮殿など焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ8月5日(7月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(7月15日)春日神木のことにより、法成寺盂蘭盆会を停止。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月8日)石清水神人、兼平第門前に群集し嗷訴。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月)敵国降伏祈祷の本尊として、醍醐寺の信海、不動明王描く。(『不動明王画銘』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(10月26日)延暦寺僧徒、神輿を奉じ嗷訴。北野社、門戸閉ざす。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月26日)京都火災。冷泉院より出火、常盤井殿焼失。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月20日)石清水八幡宮 、神輿を奉じ入洛。(『続史愚抄』)   ▣(12月15日)院宣・長者宣下し、春日神木の帰座命じる。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月16日)毘沙門堂焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1283年(弘安6年) ▣(1月6日)延暦寺衆徒、日吉・祇園などの神輿を奉じ禁中に乱入、四脚門破壊。常御所・紫宸殿で振る。第91代・後宇多天皇、亀山上皇(第90代)御所の近衛殿に避難 。(『東寺王代記』『勘仲記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月2日)日吉・北野社神輿、再び入洛の巷説あり。京中騒動。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月16日)日吉神輿入洛、狼藉。(『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(6月20日)悪疫流行し、五社に奉幣。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ8月12日(7月18日)京都雨水。今出川洪水。(『管見記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(8月17日)延暦寺、神輿入洛の狼藉に及ぶ官仕6人など、四条橋詰で使庁に引き渡され禁獄になる。(『管見記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1284年(弘安7年)  ▣(2月3日)真木島供祭人など、賀茂社に群参し神供を抑留。(4日)賀茂社氏人、この件を訴える。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(2月27日)僧・叡尊、度重なる宇治橋流失は魚霊の祟りとし、宇治川での殺生禁断の発布を朝廷に要請。朝廷官符下し、宇治の網代を停止、宇治橋修造(架橋)。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(4月26日)院宣下し、諸社供祭人などの生魚交易停止。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ6月2日(閏4月17日)京都大雨水。洪水により西洞院川・烏丸川・今出川氾濫。左京京中・近衛殿浸水。町通・西洞院通の小屋など多数流出。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(閏4月21日)宣旨を下し、賀茂川での殺生禁断。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月25日)炎暑により祈雨奉幣使を発遣。水天供を行い神泉苑を掃除祈雨。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)   ▣(6月13日)賊、法琳寺に入る。(『続愚史抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月4日)祇園社の林中で、小童自害。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月12日)八幡神人・賀茂神人など、喧嘩により藤原兼仲第に群参し訴える。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  
■1285年(弘安8年)  ▣(3月11日/18日)松尾社焼亡。(『皇年代略記』『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■1286年(弘安9年) ▣ユ4月22日(3月27日)山城雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月26日)法勝寺塔に落雷。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ7月5日(6月12日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(7月6日)西林寺殿焼亡。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月18日)禅林寺殿焼亡。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣僧・叡尊、宇治川・中島に殺生禁断を誓う十三重石塔建立、基壇に漁具など納め法要営む。
■1287年(弘安10年)  ▣(3月11日)狼藉人、夜、院中にあり、直ちに召し捕えられる。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ6月22日(5月10日)京都霖雨洪水。法成寺惣社築地流失、二条河原浸水。(『勘仲記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月19日)京都霖雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月5日)賀茂社長廊・横廊焼亡。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月21日)第92代・伏見天皇践祚。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月20日(12月16日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1288年(弘安11年/正応元年)  ▣(3月1日)藤原経任第(中御門西洞院)焼亡。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月26日)京都火災。一条西洞院辺に火災、行願寺・誓願寺など焼亡。(『皇年代略記』『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』)  ▣(6月10日)洛中より近況に至る殺生禁断を宣下。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月15日)先に法勝寺禅衆僧房破損する。この日、実検。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月26日)後宇多上皇(第91代)御所の万里小路殿焼亡。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ8月26日(7月28日)京都・奈良雷雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月3日(8月6日)京都大風雨。西洞院川、烏丸川氾濫。近衛室町の川洪水。車馬通行できず。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣この年、夏以来疾病流行し、宣旨を下し法勝寺など5カ寺に祈祷させる。 (『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1289年(正応2年) ▣(2月19日)京都火災。綾小路町より出火、六条まで50余町焼亡。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(3月19日)先に醍醐寺で合戦あり。この日、院御所で評定行う。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(6月27日)京都疾疫流行。疫病流行のため、入道性仁親王、内裏で孔雀経法を修する。第92代・伏見天皇、般若心経を祇園社に奉納。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月)京都疾疫流行。疾病流行のため南都七大寺・延暦寺で大般若経修し、免者行う。二十二社に奉幣使発遣。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)賊、蓮華王院宝蔵に入る。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1290年(正応3年) ▣(3月9日/10日/3日)浅原八郎為頼父子、夜、禁中(富小路殿)に乱入狼藉、自害。(『興福寺略年代記』『増鏡』『北条九代記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣ユ11月6日(10月3日)諸国洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月1日)日吉神輿、石清水に振り捨つ。(『皇年代略記』『日本災変通志』)
■1291年(正応4年)  ▣(1月19日)春日神木、木津に着く。(『皇年代略記』『日本災変通志』)   ▣(3月16日)山門衆徒2人、北野社で狼藉し殺害される。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月17日)山門衆徒ら、高相明神旅所・北野社家宅に濫妨。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月10日/17日)八坂の塔(法観寺塔)焼亡。(『如是院年代記』『帝王編年記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(8月7日)盗賊、東福寺2世・東山湛照を刺殺。(『本朝高僧伝』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月27日)興福寺大衆神木を奉じ入洛。(『実躬卿記』)
■1292年(正応5年)  ▣(1月11日)六波羅、南都・山門の嗷訴裁決。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月14日)大山崎神人、蜂起し、石清水八幡宮臨時祭の抑留企てる。(『伏見天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月6日)延暦寺大衆、京中に神輿を動座との風説。世間動揺。(『伏見天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1293年(正応6年/永仁元年)  ▣(2月22日)異国降伏御祈を、仁和寺深性法親王、大聖院で修す。(『孔雀経御修法記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月5日)山城国妙覚寺(北小路大宮)焼亡。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(7月2日)炎旱数旬に亘り、水天供を修し神泉苑清掃。(『伏見天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月15日)春日神木、木津に遷座。(『皇年代略記』『日本史総合年表』)  ▣(7月20日)炎旱甚しく八社奉幣。(『伏見天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月21日)炎旱のため、醍醐寺で水天供を修す。(『伏見天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月22日)異国降伏のため、二条富小路内裏で大熾盛光法を修す。(『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月5日)第92代・伏見天皇の時、天変・地震(地変)・旱魃により永仁に災異改元。(『皇年代略記』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 津波・地震 ▣(12月18日)京都火災。中御門高倉、4町焼失。余烟、法成寺総社に及ぶ。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  
■1294年(永仁2年) ▣(1月14日)京都大火。四条坊門高倉、二条京極まで焼亡。三条殿(三条北、室町東)、藤原公孝の押小路第など多数焼失。(『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月13日)東大寺衆徒、同寺八幡宮神輿を奉じ入洛。申刻、内裏西陣に神輿振り寄せ奉る。神人など悉く逃げ下る。(14日)東寺に遷る。(『興福寺略年代記』『勘仲記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月5日)興福寺衆徒、夜半、木津に神木を動座。(『興福寺略年代記』『古今最要抄 』『日本災変通志』)  ▣(12月15日)幕府、綸旨を奉じ東大寺八幡宮の帰廃を命じる。(「田中光顕氏所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1295年(永仁3年)  ▣(4月17日)興福寺衆徒、賀茂祭で狼藉。(『師守記』『日本史総合年表』)   ▣ユ6月8日(4月24日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月5日)京都降雨洪水。夜。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月6日)京都火災。西八条堂焼亡。(『東寺王代記』『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月8日)鴨川洪水?。 ▣ユ6月27日(5月14日)京都霖雨。洪水数日。河東との交通途絶える。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月28日(5月15日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(5月18日)鴨川洪水。河辺の出雲路河端小堂道祖神浸水。(『続史愚抄』) ▣ユ8月-11月(7月-9月)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月1日)先に北野社大宿神人訴訟あり。この日、北野祭御輿迎に相従うのを拒否せんとする。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月29日)兇徒蜂起し、醍醐寺に放火、金堂など焼亡。(『醍醐寺新要録』『醍醐寺解案』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(11月14日)醍醐寺合戦、衆徒騒乱により釈迦堂(金堂)焼亡。(『醍醐寺記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月15日)醍醐寺紛擾止まず、金堂焼失。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1296年(永仁4年) ▣(2月6日)醍醐寺衆徒ら、焼失した金堂の造営・兇徒断罪を請う。(『醍醐寺解案』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月30日)鳥羽殿安楽寿院法華堂焼亡。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月11日)賀茂社供祭人など、訴訟の件で狼藉。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1297年(永仁5年)  ▣(4月18日)京都火災。大炊御門京極より出火、富小路内裏焼亡。土御門第に行幸。(『皇年代略記』『帝王編年記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)   ▣(5月17日)盗人4人、禁中に入る。。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月19日)多武峰衆徒、神宝(神木)を奉じ入洛。関白・鷹司兼忠第に群参。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1298年(永仁6年)  ▣(7月16日)先に、淀関所御綱引神人、狼藉し、南都衆徒嗷訴。この日、石清水八幡宮別当の所職解却。(「石清水文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月22日)第93代・後伏見天皇践祚。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月19日/10月18日)延暦寺焼亡。亥刻、性算律師門弟らは大講堂・文殊堂・五仏院3カ所に放火。東は鐘楼・政所、南は五仏院・実相院、西は四王院・戒壇院、北は法華堂・常行堂など多数焼失。(『皇年代略記』『帝王編年記』『東寺王代記』『北条九代記』『叡山要記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(10月9日)多武峰神宝入洛。(『後深草天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1299年(永仁7年/正安元年) ▣(4月25日)大坂・京都で地震、南禅寺堂舎倒壊。津波・地震  ▣(4月)延暦寺衆徒、妙法院と戦う。(『元徳三年三月日吉社幷叡山行宰記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月18日)山城国久多荘と近江朽木荘、筏流しについて相論、この日、六波羅裁決。以後も相論続発。(「朽木文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、清水寺焼亡。(『東寺長者補任』『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1300年(正安2年) ▣(3月8日/9日/3月15日)伏見上皇(第92代)御所の常盤井殿焼亡、玄輝門院御所焼亡。伏見上皇、富小路殿に移る。(『皇年代略記』『北条九代記』『一代要記』『東寺王代記』『伏見宮御記録』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣(6月7日)京都洪水。河原の交通途絶。(『吉口伝』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月10日)(4月)以来、京都疫病流行。この日、四角四堺祭を行い祈攘する。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(6月22日)疫病流行により、五社(伊勢・八幡・賀茂・平野・春日)に奉幣。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1301年(正安3年) ▣(1月21日)第94代・後二条天皇践祚。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月17日)京都火災。高辻富小路より出火、最勝光院類焼。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(4月19日)日野法界堂焼亡。(『帝王編年記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(5月25日)炎旱により、清滝宮で孔雀経法を修す。(『醍醐寺新要録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月10日)幕府、異国兵船200艘許、薩摩甑(こしき)島海上に至ることを奏する。(「七条金光寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1302年(正安4年/乾元元年)  ▣(2月8日)日吉神輿動座、入京せんとする。(11日)帰座。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(2月10日)院宣下し、叡山僧徒、本願寺御影堂敷地に濫妨することを停める。(「本願寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月15日)春日神木、木津に着く。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣ユ8月2日(7月8日)近畿・京都大風雨・雨水。木津橋流落。(『興福寺略年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月27日)京都大火。春日万里小路より失火、南北2町東西8町焼亡。玄輝門院御所、公家第宅など多く類焼。(『皇年代略記』『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ8月31日(8月8日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1303年(乾元2年/嘉元元年) ▣(2月23日)柴灯屋より出火、八王神殿・三宮神殿・両社彼岸所焼亡。夜。(『元徳二年、日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)   ▣春-夏 京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(8月5日)第94代・後二条天皇の時、天変(彗星)・炎旱(旱魃)により嘉元に災異改元。(『関白冬平公記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣この年、伊予弓削島からの塩、淀津止まりになる。運上船、淀魚市場で騒動に巻き込まれる。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1304年(嘉元2年) ▣(8月24日)大山崎神人、石清水八幡宮に籠る。その勢い、日を追い増加。(『石清水八幡宮記録』『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(9月13日)石清水八幡宮社務法印、石清水八幡宮に閉籠城中の大山崎神人を捕えようとする。神人5人、石清水宝前で自刃。(『石清水八幡宮記録』『醍醐寺新要録』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
■1305年(嘉元3年) ▣(6月12日)京都洪水。上賀茂の橋梁流失。(『実躬卿記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月5日)持明院殿の新宮社焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(7月8日)准后平棟子の冷泉京極第焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月17日)醍醐寺の宝池院・無量光院焼亡。(『醍醐寺座主次第』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1306年(嘉元4年/徳治元年)  ▣(12月14日)第94代・後二条天皇の時、天変・旱魃により徳治に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(12月16日)六波羅、禁制を法観寺末寺・円福寺に下し、甲乙人の寺内乱入を禁ず。(「法観寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月29日)富小路殿(二条南、富小路東)焼亡。後伏見上皇(第93代)・東宮、常盤井殿に行幸。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1307年(徳治2年) ▣(7月12日)赤班瘡流行により後宇多上皇(第91代)御所で仁王経を書写。(『実躬卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(12月5日)興福寺衆徒、春日神木を宇治平等院に遷座。官兵、宇治橋を壊し防備。(『古今最要抄 』)  ▣(12月15日)春日神木、宇治平等院に動座とも。(『興福寺略年代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月20日)春日神木、入京。法成寺に着御。(『興福寺略年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
■1308年(徳治3年) ▣(8月23日)根本中堂閉籠者の放火により、丑刻、日吉社七重塔・気比・聖女・聖真子・客人社などの宮焼亡。大小神殿11宇、拝殿2宇、彼岸所6、仏像・不断所など多数焼失。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)   ▣(8月26日)第95代・花園天皇践祚。(『後伏見院宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月14日(閏8月29日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(12月15日)盗賊、石清水八幡宮社頭に盛んに狼藉。(「石清水文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1309年(延慶2年)  ▣(3月1日)大宰府、蒙古来襲のことを奏する。(『歴代皇紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ6月18日(5月10日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(7月28日)延暦寺衆徒、 日吉神輿を奉じ入洛。祇陀林寺に振り奉る。(『東寺王代記』『皇年代私記』『日本災変通志』)  ▣(12月5日)延暦寺衆徒、申刻、日吉神輿を奉じ再び入洛。内陣陣頭に悉く振り奉る。(『皇年代私記』『東寺長者補任』『日本災変通志』)
■1310年(延慶3年)  ▣(1月21日)天台の禅助僧正の房より失火、夜。運置所正教なども焼亡。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)  ▣(2月13日)多武峰衆徒100人・神人300人、天台に登る。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)   ▣(4月2日)先に、興福寺領淀関所で山臥隆尊など狼藉する。この日、興福寺衆徒ら山臥拠る今熊野社を焼き払おうとし今熊野は城郭構えた。この城郭撤去。(『延慶三年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣6月18日(5月10日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(5月27日)(4月)以来、疫病が流行し、朝廷は疫病をこれ以上京都に入れないことを祈る四角四境祭を行う。平安京の境界の四隅に吉凶を司る陰陽師を派遣し祭祀を執り行う。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣ユ7月27日(7月)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月7日)京都甚雨。(『八幡御幸記』『日本災変通志』)  ▣(11月30日)日吉神輿帰座。京極小路の小家、悉く続松料として破壊。(『延慶三年記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月29日)日吉社、門楼上で失火、四面廻廊・侍所焼く。(『元徳二年、日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)  ▣(12月30日)日吉社、閉籠衆により放火。(『花園天宸記』『日本史総合年表』)
■1311年(延慶4年/応長元年)  ▣ユ1月25日(1月5日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(1月16日)踏歌御会の見物雑人、闘争し禁中乱入し滝口を殺害。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(1月19日)西八条寺焼亡。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月6日)疾病「田楽病(三日病)」流行。(2日)に北山第で田楽あり、この間、世間に田楽流行。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(3月27日)尊勝陀羅尼供養で、見物雑人、門番衆と闘争。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(3月28日)盗賊、石清水八幡宮坊舎に乱入・刃傷。社頭に幣身異形の輩充満し参詣女性に狼藉。(「石清水文書」『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(4月25日)疫病流行、九社に奉幣使発遣。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月27日/28日)第95代・花園天皇の時、疫病流行により応長に災異改元。 (『皇代記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(9月23日)盗賊、鳥羽殿宝蔵に入り、青葉笛などの宝物を奪う。(『一代要記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月11日)宇治橋焼失。(『皇代暦』『日本史総合年表』)  ▣(12月29日)祇園社感神院、湯屋銭盗人り住居(四条車大路)を検封。(『祇園社記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1312年(応長元年/正和元年)  ▣(3月20日)第95代・花園天皇の時、天変・地変(地震)により正和に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 津波・地震 ▣ユ6月28日(5月23日)京都洪水。賀茂川・烏丸川洪水、六波羅門外に至り溺死者多し。今出川第門流失。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)   ▣(8月22日)興福寺衆徒、多武峰攻める。(『行幸記』『日本災変通志』)  ▣(8月25日)興福寺衆徒、多武峰の僧徒と確執し、春日神木を奉じ入洛。(『皇年代略記』『続史愚抄』『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣夏 覚如、親鸞廟所寺院化のため寺額「専修寺」を掲げ、延暦寺抗議により撤去。(『一期記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月21日)横川中堂焼亡。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)
■1313年(正和2年)  ▣(1月15日)賀茂社社頭で氏人など闘争、死傷者出る。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月4日)法琳寺太元堂/本尊焼亡。(『東寺王代記』『東寺長者補任』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)   ▣ユ6月26日(6月2日)京都霖雨洪水。流死者甚だし。(3日)、第95代・花園天皇、絶句詩を作り内侍所に止雨を祈る。 (『花園天皇宸記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(6月)上桂荘をめぐり比叡山東塔北谷衆徒と聖無動院道我の間で相論。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月14日(8月23日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月13日)鷹司永嘉門院御所焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣冬より 京都疾疫流行。疱瘡流行。(『花園天皇宸記』)
■1314年(正和3年)  ▣(2月1日)京都疾疫流行。疱瘡流行により鬼気祭を行う。(『花園天皇宸記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月7日)京都疾疫流行。疱瘡流行により釈放を行う。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月14日)京都火災。白河大火。道昭僧正坊より出火、河東辺焼亡。尊勝寺・最勝寺焼亡。 (『皇年代略記』『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』) ▣(3月17日)興福寺衆徒ら、多武峰衆徒との確執により春日神木を奉じ入洛。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(閏3月4日)石清水八幡宮神人 、訴訟の件で神輿を奉じ入洛。(4月13日)、帰座 。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月1日)六波羅武士(向山・冨谷)、新日吉社で宮使法師と見物の入道法師を誤認斬殺し死人社頭に満つ。新日吉神人と六波羅北方使・向山刑部左衛門尉(敦利)闘乱とも。(『日吉社幷叡山行宰記』『北条九代記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣(5月7日)延暦寺衆徒、六波羅北方の武士と合戦。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(10月10日)大山崎神人の申請により、内殿御燈油料荏胡麻などに諸関所津料課すことを停止。(「大山崎離宮八幡宮文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1315年(正和4年)  ▣(7月)京都疾疫流行。祈年穀奉幣に併せ終息を祈る。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月18日)東大寺衆徒、八幡宮神輿2社を奉じ入洛。東寺に入る。神輿、内裏北面に振棄てる。(『東寺王代記』『園太暦』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1316年(正和5年) ▣(1月1日)入道参議為雄の二条京極第焼亡。(『皇年代略記』『歴代皇紀』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(1月28日)大炊御門西洞院焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(2月15日)大覚寺中御所焼亡。(『皇年代略記』)  ▣(6月-7月/5月-9月)京都疾疫流行。京中人、「三日病」病む。(『東寺王代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』)  ▣(7月12日)(去年5月-9月)京都疾疫流行。疾病流行し、この日、伊勢神宮などに祈謝。(『北条九代記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月17日)松尾社領西芳寺門前仁倉林の土民など狼藉。この日、停止。(「東文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1317年(正和6年/文保元年)  ▣ユ2月14日・グ2月22日(1月3日)京都大地震。東寺塔九輪、折傾く。その後、余震数十回。(『花園天皇宸記』『仁寿鏡』『京都事典』『神明鏡』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)津波・地震 ▣(1月4日)京都大地震。夜、東寺塔九輪折れ傾き、灌頂院破損。(『東寺長者補任』『仁寿鏡』『日本災変通志』 )津波・地震 ▣ユ2月16日・グ2月24日(1月5日)再び、京都大地震。「地大震」 震源地は京都の西方。京都は強震地震(M6.5-7.0/6.8)。内裏梁棟傾く。東寺塔九輪傾く。法勝寺・法成寺、堂宇門楼傾き倒れる。白河辺で悉く住家全壊し、社寺被害、死者5人。人家顛倒多し。清水寺塔出火・焼失。(田村麿の御影焼失)。(5月)まで余震続く。京都周辺の活断層(『花園天皇宸記』『神明鏡』『北条九代記』『日本被害地震総覧』『日本の自然災害』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』「地震インフォ」)津波・地震 ▣(1月)京都東山地震。(『日本歴史災害事典』)津波・地震 ▣(2月3日)第95代・花園天皇の時、大地震(地変)により文保に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 津波・地震 ▣(2月13日)石清水八幡宮神人、神輿奉じ入洛企て、武士ら大渡橋上で防ぐ。神人、神輿棄て去る。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月)幕府、朝廷に両統迭立提案・協議。(文保の和談)(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月9日)山伏、禁中乱入し捕えられる。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1318年(文保2年) ▣(2月26日)第96代・後醍醐天皇践祚。(『醍醐寺新要録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月28日/18日)醍醐寺三宝院焼亡。(『醍醐寺新要録』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(4月25日)山門(比叡)衆徒、園城寺焼く。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(7月15日)日吉大宮など焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(10月20日)山門衆徒、日吉大宮に閉籠衆と戦い、閉籠衆神殿に放火、門楼・廻廊・楽屋・橋殿など焼亡。死傷者多し。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』) ▣(11月19日)竹屋町の革堂(行願寺)の西僧房・南僧房焼亡。(『皇年代略記』『続史愚抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1319年(文保3年) ▣(1月18日)東大寺衆徒、夜中、八幡神輿1基を奉じ入洛。七条河原に振り捨て奉る。(『皇年代略記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月19日)六波羅探題、東大寺八幡神輿が東寺に入るのを防ぎ七条/塩小路河原で制止。夜、蓮華王院に渡し奉らむ。(『東寺長者補任』『皇年代略記』『花園天皇宸記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月7日)東福寺焼亡。(『皇年代略記』『如是院年代記』『式家年代記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(3月10日)六波羅地蔵焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(4月5日)石清水八幡宮、神輿を奉じ入洛。検校栄清、防ぎ神人を殺傷。(『武家年代記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月)霖雨(5月)より止まず、京都疾疫流行。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月2日)夜盗、持明院殿女房局に入り放火。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月3日)邦良親王御所冷泉万里小路殿焼亡。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)   ▣この年、園城寺長吏顕弁、長乗僧正を招じて戒壇院を建てようとし、山門衆徒抵抗し、長乗、僧正位追われ土佐に配流。(『日吉社幷叡山行宰記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1320年(元応2年)  ▣(7月20日)御霊社神輿と篝屋兵が争闘。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月23日)石清水八幡宮神人、寅刻、神輿1基入洛。神輿、塩小路大宮に振り棄てる。(『花園天皇宸記』『東寺長者補任』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月24日)石清水神輿東寺に入御(奉入)。(『東寺長者補任』『花園天皇宸記』『日本災変通志』)  ▣(11月22日)柳原火災。頻々と放火。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1321年-1392年(元応3年/元亨元年-元中9年/明徳3年) ▣南北朝内乱。
■1321年(元応3年/元亨元年) ▣ユ5月27日(4月30日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月22日(5月26日)京都霖雨水。(『京都気象災害年表』)  ▣(6月8日)東大寺八幡神輿帰座。後伏見上皇(第93代)・花園上皇(第95代)、六条南堂門の桟敷で見物。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月26日(6月)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣夏 京都大風雨・洪水。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ9月7日(8月15日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月29日)夜盗、持明院殿に侵入。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  
■1322年(元亨2年) ▣(1月16日)京都大風雨。今暁。持明院殿など破損。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1323年(元亨3年)  ▣(2月5日)天台宝幢院衆徒、西坂本の養父里・一乗寺など悉く焼き払う。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣ユ8月16日(7月14日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)京都暴風雨。家屋顛倒・破損。河川氾濫。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月18日/9月18日)比叡山西谷智積房の香灰より出火、子刻。総持院塔・護摩堂・灌頂堂・二階楼門・四面廻廊など焼亡。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(12月5日)京都大火。四条坊門烏丸より出火、南は楊梅、西は西洞院、東は東洞院の50余町焼失、死者多数。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1324年(元亨4年/正中元年)  ▣(3月23日)日吉の聖女彼岸所失火、夜。客人彼岸所・剣宮焼亡。(『日吉社幷叡山行宰記』『日本災変通志』)  ▣ユ8月6日(7月16日)京都大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月5日(8月16日)畿内・京都大風雨・洪水。京中河川氾濫、屋舎・樹木多数顛倒・破損。民家流出、死者多数。(『花園天皇宸記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(9月19日)六波羅、第96代・後醍醐天皇の倒幕計画知る。天皇方の多治見国長第(錦小路高倉)・土岐頼貞第(三条堀川)を攻め合戦になる。両人自刃、主謀者・日野資朝・俊基は捕えられ鎌倉に送られる。死傷者273人。(正中の変)(『太平記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月19日)東寺末寺六条坊門、西洞院の不動堂焼失。夜。(『東寺長者補任』『日本災変通志』)   ▣(12月9日)第96代・後醍醐天皇の時、甲子革命・風水(害)により災異改元。(『日本災変通志』『日本年号史大事典』)
■1325年(正中2年) ▣ユ3月15日(2月)京都寒気。(『京都気象災害年表』) ▣(5月1日)京都暴雨・雷鳴。 ▣ユ7月25日(6月15日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月4日(6月26日)京都大雷雨水。洪水により白川など氾濫、富小路殿(二条北・富小路東)浸水、民家流出、死者500人。(『花園天皇宸記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(8月21日) 延暦寺大衆入洛。(『花園天皇宸記』)  ▣ユ11月27日・グ11月27日(10月21日)京都大地震。夜。「地大震、近江國」「近江・若狭国地震」「近江北部地震」。竹生島崩埋湖、京都でも揺れ強く感じる。地震、余震やまず。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本被害地震総覧』『日本の自然災害』)津波・地震  ▣(10月23日)衣笠殿炎上。第89代・後深草天皇御影、深草法華堂に移す。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(11月22日)北条氏使者・佐々木清隆、大兵率い上洛。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1326年(正中2年/嘉暦元年)  ▣(4月26日)第96代・後醍醐天皇の時、天変・疾疫流行・去年の大地震(地変)により嘉暦に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)津波・地震 ⋄京都疾疫流行。疫病流行のため、四角四界祭を行う。 (『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(5月27日)疾病祈攘のため第96代・後醍醐天皇、宸筆仁王経を祇園社に供養。 (『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)  ▣(9月17日)石清水護国寺焼亡、八幡薬師堂回禄。(『東寺王代記』『東寺長者補任』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(10月30日)大納言・北畠親房の嵯峨第焼亡。(『続史愚抄』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1327年(嘉暦2年) ▣(8月22日)興福寺大衆、春日神木を木津に動座。(『古今最要抄 』) ▣(12月5日)石清水八幡宮大衆、神輿1基入洛。七条辺で合戦。以後、滞留9カ月。(『東寺王代記』『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1328年(嘉暦3年)  ▣(4月9日)石清水八幡宮神人、東寺に閉籠し稲荷祭を阻止せんとする。石清水神輿、東寺より帰座。(『東寺王代記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣この年、法勝寺焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1329年(嘉暦4年/元徳元年) ▣(8月29日)第96代・後醍醐天皇の時、病事咳病(疫病流行)により元徳に災異改元。(『皇代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣この年、秋、京都疾疫流行。咳病流行。(『増鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1330年(元徳2年)  ▣(4月1日)記録書所管・中原章房、清水寺参詣の帰途、殺害される。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月21日)飢饉による米価高騰のため、第96代・後醍醐天皇、定価を定める。50余間の仮屋(二条町)建て、市に商人を集め米売買させる。 (『東寺執行日記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月22日)延暦寺僧徒、建議し一向僧徒を追い、宗派禁じることを請う。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1331年(元徳3年[北朝]/元弘元年)  ▣(4月13日)天台東塔北谷で兵火により、四王院・延命院・大講堂・法華堂焼亡。(『太平記』『日本災変通志』)   ▣(5月5日)吉田定房、第96代・後醍醐天皇側近の倒幕計画を幕府に密告。この日、日野俊基ら捕えられ幕府に送られる。(「元弘の変」)(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(8月8日/9日)第96代・後醍醐天皇の時、疾疫により元弘に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)   ▣(8月20日)北朝第1代・光厳天皇践祚。(『北条九代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月24日)後醍醐天皇、神器を奉じ奈良に還幸、大納言・花山院師賢を叡山の尊雲・尊澄親王の許に遣わす。中務卿尊良親王、後醍醐天皇に従い、中宮、野宮に潜幸。六波羅兵、皇居に進む。(『増鏡』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(8月27日)六波羅兵、比叡山攻める。尊雲・尊澄親王、東坂本で迎え戦う。後醍醐天皇は笠置寺に行幸、両親王・花山院師賢ら笠置に至る。(『増鏡』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(9月2日)幕府、兵挙げ西上命じる(『北条九代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月5日)大仏貞直・金沢貞冬・足利高氏ら西上。(『北条九代記』『鎌倉年代記』『日本史総合年表』) ▣(9月6日-28日)「笠置山の戦い」「笠置合戦」(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(9月20日)量仁親王(北朝第1代・光厳天皇)、後伏見上皇(第93代)の詔をもって土御門東洞院(新内裏)で践祚。(『皇年代略記』『日本史総合年表』) ▣(9月28日)笠置合戦、風雨列し、城郭に放火し陥落。(29日)後醍醐天皇、捕えられる。(『東寺王代記』『光明寺残扁』『太平記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(10月3日)六波羅、後醍醐天皇を六波羅南方に移す。(『光明寺残篇』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月6日)後醍醐天皇、剣璽を光厳天皇に渡す。(『花園天皇宸記』『日本史総合年表』) ▣(10月7日)大炊御門朱雀で火災、 法成寺無量寿院焼亡。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) 
■元弘年間(1331年-1334年) ▣京都疾疫流行。疫病流行により、善阿上人、第96代・南朝初代・後醍醐天皇の勅命を奉じ御所で念仏百万遍を唱えた。 
■1332年(元徳4年/正慶元年[北朝]・元弘2年)  ▣(1月17日)後醍醐天皇、夜、六波羅脱出計り果たさず。(『花園天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月7日)幕府、後醍醐天皇を隠岐国に流す。(『武家年代記』『花園天皇宸記』『日本史総合年表』)  ▣(3月8日)幕府、尊良親王を土佐国に、尊澄法親王を讃岐国に流す。(『武家年代記』『花園天皇宸記』『日本史総合年表』)  ▣(4月13日/12日)延暦寺焼亡。丑刻、天台法華堂乾の角より出火、講堂・法華堂・常行堂・延命院・四王院・鐘楼など焼失。(『東寺王代記』『皇年代略記』『満済准号日記』『花園天皇宸記』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣(5月3日)幕府、後醍醐天皇方の足助重範を六条河原で斬る。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』)
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*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。
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京都歴史災害年表 6