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京都歴史災害年表 13
江戸時代中期(1710-1786) |
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1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 8室町時代前期 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆江戸時代中期 1710-1786
■1710年(宝永7年) ▣(2月1日)無動寺玉照院寺焼亡という。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(2月21日)無動寺一条院焼亡という。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(3月5日)京都火災。午刻、白川村60軒焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月6日)京都火災。夜、伏見墨染数十軒焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月17日)京都火災。夜、吉田南入口西側出火。32軒焼失(表側14軒、裏側4軒、出在家表8軒、裏6軒)。吉田発祥以来の古大木松焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣(3月25日)京都火災。平野神子町30余軒焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月)白川・吉田・伏見・桂などで火災頻発。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)東福門院三十三回忌に貧民に施米。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣10月3日(閏8月11日)伯蓍・美作で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(12月8日)京都火災。午下刻、東九条31軒焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月18日)第113代・東山天皇1回忌に三条河原で施米。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1711年(宝永8年/正徳元年) ▣3月19日(2月1日)伯蓍で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(6月9日)五条橋修復。(「京都御役所向大概覚書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月22日)京都古木屋仲間に洪水・出火時の出役を命じる。(「京都御役所向大概覚書」『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1712年(正徳2年) ▣(1月24日)宇治新田村、300余軒(カマド[戸]数)焼亡。(『徳川実紀』『日本災変通志』) ▣(2月)京都疾疫流行。咳病流行。(『基煕公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月4日)京都火災。吉田社家町70軒余焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月28日)京都火災。西院村焼亡。朝五ツ時。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ8月3日(7月2日)近畿・京都大風雨・洪水。暁まで大雨。丹波路人馬通ぜず。桂川2日程通行不能。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(7月12日)京都火災。暁七ツ時-朝六ツ時。室町通二条下ル町辺より出火、北風で押小路角、その後、衣棚町押下ル町中程から下手、新川まで延焼。37余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月-8月)大風雨。宇治川筋水溢れ、伏見辺水患(水害)。大和路洪水。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  ▣グ9月18日(8月18日)京都・山城大風雨・洪水。夜、淀・伏見・木津川・淀川大洪水。人馬家流れ、死流る数知れず。死者何千人とも。淀城に水入り(21日)まで落ちず。木津川筋人家大半潰れ、作毛一切無し。宇治辺鳥羽街道玉水、橋本辺悉く損ず。伏見高水で舟で往来。京橋・豊後橋の上3尺余水上る。中務島2階まで水浸く。在々潰家。木津川筋流家は、東見かの原50軒、上柏70軒、尾婦6軒、玉水20軒、富野100軒余、死者数知れず。西は木津70余軒、死者360余人、花園30余軒、下柏6軒、山本6軒、淀堤18カ所切れ、小倉堤6カ所切れ。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(8月19日)京都風雨。南山城大洪水。(15日)夜以来の風雨、木津川東岸各処で決壊、かつてない被害、淀も水没。(「淀下津町古記録」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月)御土居493坪を蘆山寺に払下。(「京都御役所向大概覚書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣淀大橋修復。(「京都御役所向大概覚書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1713年(正徳3年) ▣(3月19日)京都大火。夜、今出川上ル町金安町より出火。1町余、家40余焼失。 ⋄伏見魚屋町より出火、2町余焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月20日)京都大火。昼未刻頃-子刻過/八ツ半-夜七ツ頃。丸太町油小路角/油小路椹木町東入ル町南側5軒目の茶碗家五郎吉の借家・魚屋五郎兵衛宅より出火。南西風・夜に東風、油小路通・小川通など上立売辺まで民屋焼失。73町の民家1169/1179/1700余軒、公家17/19軒、武家4焼失。崩れ家7軒。(『月堂見聞集』『有章院実紀』『基煕公記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(3月23日)焼跡に人集まり騒動。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(4月2日)徳川家継、征夷大将軍になる。(『基煕公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月6日/7日)京都火災。夜八ツ時-明六ツ時、高倉通六角辺、45/50戸焼失、壊し家4軒。(『基煕公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月21日)京都大雨雷雨。夜。妙心寺門前に落雷。(『日本災変通志』)   ▣(5月23日)京都地震。四ツ前。(『日本災変通志』) ▣(6月11日)京都地震。夜八ツ前。 (『日本災変通志』) ▣グ8月23日-24日(7月3日-4日/4日)京都大風雨・洪水。(5日)子下刻より艮、暁天止む。(『妙法院日次記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(7月23日)京都火災。夜半過/子半刻頃。霊山寺文阿弥座敷より出火、巽風強く、三年坂北、30余軒焼失。カマド数70余。八阪塔辺まで焼失とも。(『妙法院日次記』『日本災変通志』)
▣(8月13日)町中盗賊横行。不審者の逮捕命じる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ10月30日(9月12日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、千本六条の橋など5橋を村橋に変更。(「京都御役所向大概覚書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1714年(正徳4年) ▣(3月頃-)黄砂被害?。「日月の色殊赤く、北山霞み見えざること一月余、北山土降り候由‥」(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(4月上旬)北山に土降り、木の葉に土たまる。黄砂?。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(4月)淀船と過書船間で積荷争論。(「稲葉神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月18日)京都大夕立大雷。夜半。(『日本災変通志』』) ▣(7月1日)京都雷雨。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣グ8月17日-18日(7月8日-9日/8日)京都大風雨・洪水。夜-八ツ時。洪水、堤切れ、加茂川水6尺余出る。畑作損害多し。(『妙法院日次記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣グ9月16日(8月8日)近畿大風雨。夜九ツ時-七ツ時。禁裏・所司代屋敷・町奉行屋敷・両門跡・寺社大分損ず。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(12月5日)東山一心院の和尚、四条河原で施米・施銭。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月20日)洛中居住浪人の取締り命じる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月24日)物価廉価・買溜禁じる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月27日)京都大地震。夜半。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) 
■1715年(正徳5年) ▣(2月3日)京都火災。暮、堀川姉小路辺上ル・大宮四条辺焼亡。家18軒、寺50軒焼亡。(『月堂見聞集』『基煕公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月18日)困窮者に米銭施す。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月18日(4月16日)京都暴寒。(『京都気象災害年表』) ▣(6月6日)京都大夕立。夜、鴨川洪水。(7日)の祇園神輿、道筋変え御旅所へ神幸。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ7月7日(6月7日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)この頃、米価騰貴し、盗賊横行。(『基煕公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月28日)京都火災。夜半過、山城国大北山村百姓家より出火、家10軒、潰し家15軒。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月26日)京都火災。山城国堅木原地蔵前より出火。13軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
■1716年(正徳6年/享保元年) ▣(1月10日)近頃所々投火(放火)あるの訴えあり。(「触状」『日本災変通志』)  ▣(4月12日)京都火災。未刻頃、西京中保町出町の在家20軒/数十軒焼失、壊し家3軒。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(4月)この頃、京都疫病流行。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ6月20日(5月)山城洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月1日)京都火災。夜九ツ時-丑下刻、悲田院寺より出火、火元は教心寺、類火93軒、内、家80軒、小屋12軒、寺1軒、合計94軒。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ8月6日-7日(6月19日-20日/18日)近畿・京都大雨洪水・大水。宇治・八幡・木津・橋本・淀の辺など。堤切れ、宇治橋往来止め。薮の渡し堤切れ、在家6-7軒流失。伏見豊後橋、行き桁まで水浸く。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣(6月22日)第114代・中御門天皇の時、災異・7代将軍・徳川家継死去により享保に災異改元。(『日本年号史大事典』) ▣(8月13日)徳川吉宗、征夷大将軍になる。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣冬 丹波亀山城下大火。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣この年、松ヶ崎村・一乗寺村で高野川井堰をめぐり用水争論。(「松ヶ崎立正会文庫文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1717年(享保2年) ▣(1月12日/13日)京都火災。夜八ツ時/寅刻、伏見七瀬川付近より出火。1町余焼失。(『妙法院日次記』『日本災変通志』)
▣(1月17日)京都火災。夜四ツ過、紙屋川辺、非人小屋20余軒焼亡。(『日本災変通志』) ▣(1月21日)山崎大火。夜五ツ時-四ツ時。山崎北入口五位川町北端より出火。8町、社家居宅84軒、寺院8カ寺、百姓家197軒焼失。民屋300余/200軒とも。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月1日)修学寺村赤山明神社より出火、拝殿とも焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月4日)京都火災。粟田口大日山火事。昼。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月12日)京都火災。沓掛村36軒焼失。夜。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月21日)京都火災。子半刻-丑下刻、高辻西洞院辺出火、民屋40余軒焼失。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(3月3日)京都火災。丑刻、下加茂辺在家16軒焼失。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』)
▣(3月5日)京都火災。丑刻、三条東洞院辺町家出火。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(4月7日)昨夜、雲母不動堂焼失。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(4月8日)葛野郡栂尾山高山寺塔頭・宝性院より出火、開山堂・食堂・開山明恵上人廟・魔尼殿・鐘楼など焼亡。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月20日)京都競雨雷鳴。夜、新日吉社辺に落雷。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(6月2日)京都地震。夜五ツ半時/亥刻。⋄先月中旬より霖雨、加茂川筋堤・八幡・伏見・桂川など洪水。田作損亡あり(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』)
 ▣(6月11日)京都夕立。未刻、大雷各所落つ。(『妙法院日次記』) ▣(6月12日)雷雨、未刻、淀より大坂辺まで大夕立、雷雨落雷。鴨川筋洪水、四条河原茶屋など漂流。(『日本災変通志』) ▣(7月13日)京都落雷。昼、仙洞御所・新院御所・二条城内・所司代以下屋敷5カ所。人死す。20カ所/数十カ所。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月15日-16日)京都風雨。夜七ツ時-昼九ツ。加茂川・桂川・淀・橋本・木津川洪水。(15日)七ツ時、地震。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』)  ▣(11月26日)京都火災。昼四ツ時、上賀茂の大火。上加茂百姓家より出火、117軒焼亡。飛び火し菩薩村68軒焼失。(『妙法院日次記』『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月3日)京都火災。今出川辺出火。丑刻。(『妙法院日次記』『日本災変通志』』) ⋄ 七ツ時、伏見六地蔵60軒焼失。(『月堂見聞集』「古久保家文書」『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月28日)上嵯峨・下嵯峨焼失。夜。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月)幕府、伏見町中に木戸門造作させる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1718年(享保3年) ▣(1月11日)京都火災。夜五ツ過、淀城下より出火、同心足軽屋敷40-50軒ほど焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣(2月19日)一条浄福寺火災。(『京の火事物語』) ▣(3月13日)京都火災。夜五半、山崎円明寺村17軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月22日)商人・職人・日雇が仲間と結び、値段など決めることを禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月1日)京都地震。夜八ツ時。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月26日)中部地方大地震。京都も地震。昼八ツ時。伏見領殊強く、淀城の一部少し破損。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(7月27日)京都地震。朝。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(8月10日)京都火災。夜八ツ時、鞍馬口より出火。カマド数22-23所焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(9月12日)京都強風。八ツ時-夜五ツ時、廻船破損多し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣この年、伏見・大坂・堺三奉行の淀川・大和川支流管轄区域を定める。(『伏見鑑』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1719年(享保4年) ▣(2月1日)京都火災。朝、丸太町通高倉東入ル町酒屋より出火(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ⋄京都火災。昼四ツ時、竹田村19軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月18日-19日)京都火災。丑刻-暁天、笹屋町の浄福寺より出火、大超寺類焼。竪(たて)3丁横1丁ほど焼失。(『妙法院日次記』『基煕公記』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月19日)京都火災。夜九ツ過、一条通北より出火、99軒焼失、カマド(戸)数264カ所。東西2町、南北1町、寺2カ寺。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣(2月27日)京都丸雪(霰)、雷。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月28日-29日)京都大夕立、落雷。西門跡唐門前・稲荷古旅所・建仁寺・二条城・その近所などに落雷。屋根など大破損、大木根こそぎ。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣グ10月4日(8月21日)京都大土風(辻風)。夜五ツ時、猪熊通四条上ル町付近。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣この年、幕府、河川工事を三奉行(伏見・大坂・堺)により決定する旨命じる。(「御香宮三木家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1720年(享保5年) ▣(1月7日)京都地震。夜八ツ過、余程強し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ3月19日(2月11日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣グ3月27日(2月19日)京都大風。朝七ツ時-夜、乾の風、所々屋根破損。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(2月26日)京都地震。夜八ツ時、余程甚し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月4日)京都地震。五ツ過、余程甚し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ8月5日(7月2日)京都大土風・雷。屋根壊す。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月4日)六地蔵村焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月5日)丹波亀山河原町40余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ12月14日(11月15日)京都少雨。(『京都気象災害年表』) ▣(12月10日)京都地震。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月)京都の筆頭・幸阿弥伊予、塗師・蒔絵師ら5人、西廻り航路の難航避けるため、琵琶湖運河の開鑿出願。翌年(6月)に却下。(「鹿田静七氏所蔵文庫」『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣この年、淀上荷船と過書船との積荷めぐり争論。(「稲葉神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄松尾社領の山利用権めぐり神方と社家間で争論。(「山田照延家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1721年(享保6年) ▣(1月1日)京都大雪。暮れ方より。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月7日)京都火災。明け六ツ時。日向明神鳥居より下手両側、20余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月20日)京都火災。戌半時-亥刻、車屋町夷川下ルより出火。民屋5-6軒余焼失。内裏近辺で騒動。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(2月27日)西野大原野村14軒/14-15軒焼失。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(5月26日)京都火災。夜、車屋町八幡町上ル町出火。22軒焼失、半焼3軒、カマド数30余所。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣夏頃より、下京に放火頻発。木戸造営、木戸締め時刻を夜四ツにする旨命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月17日)鴨川洪水。夜-暁、茶屋・見世物小屋一時に漂流、男女5-6人溺死・行方不明。四条・二条・松原仮橋落つ。三条水杭、4尺余水上りし五条橋など所々の橋に床・木材など流れ懸かる。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ7月12日(6月18日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月19日)防火のため、町中車除の石などを取り払う。 (『京都事典』) ▣(7月4日)京都雷。午刻、愛宕山大雷、数カ所に落つ。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月19日)防火対策として、町中車除の石などの取り払い命じる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月31日-9月1日(閏7月9日-10日/10日)近畿・京都大風雨・洪水。夜半-晩、民家破損所々。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣グ9月5日-6日(閏7月14日-15日/15日)近畿(畿内)・大風雨洪水・丹波大風雨。嵯峨・伏見・淀辺大洪水。夜-暮、丹波方面の家流され下嵯峨の橋々に引っ掛かり、虚空橋など落つ。角倉屋敷・材木屋浸水、桂川渡し止まり。伏見洪水、町中舟で往来。淀・木津川堤切れ、負傷・死人・牛馬死骸多し。淀城二ノ丸まで浸水、八幡辺水高1丈-7・8尺・5尺。八幡坊に避難か2階に居住、水難百姓に淀城より朝夕の食物送与。(『妙法院日次記』『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(閏7月16日)京都大水。(『享保通鑑』『日本災変通志』) ▣グ10月19日(8月29日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月8日)泉涌寺方丈普請小屋より、子刻出火、間もなく消し止む。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(11月13日)京都火災。夜/戌刻過-亥刻過、錦小路通新町西入町/亀薬師隣より出火。北風強く、松の座の図子焼失。四条通北側まで焼失とも。家36/50軒、カマド46焼失。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(12月20日)京都大雪。3-4寸積もる。(『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣この年、高野川井堰めぐり、下鴨村と松ヶ崎村間で用水争論。(「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1722年(享保7年) ▣(2月2日)京都火災。夜半過、嵯峨辺より出火、釈迦堂前の旅籠屋15軒焼亡。(『妙法院日次記』) ▣(2月5日)御土居(四条-松原)間の払下。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月17日)京都地震。朝。(『日本災変通志』) ▣(2月)京都常火消制を廃止、町方中心の町方消防組織を定める。町々より人足4人宛を出させ、各町に長梯子3挺、火たたきなど常置。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(4月)出火人足の内、1人に鳶口1本を持たせる旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月)知恩院の山役者、六役との争いに敗れ退出。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)鳥羽・桂辺洪水。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月25日)京都大雨洪水。八幡堤切れ、平地8尺余水上り。淀・鳥羽・桂辺大洪水。丹波国ヌカダ村(福知山西方)洪水、山崩れ田畑一円河原になる。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』)
 ▣(7月)三条大橋・三条小橋修復の入札触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月24日(8月14日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月22日-24日)京都風雨。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(10月26日)京都火災。昼、九条烏丸11軒焼亡。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(10月27日)京都火災。夜、淀一口村20軒焼失。西の岡川島村10軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(10月29日)京都火災。昼、朱雀村権現堂傍22軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月)高瀬川筋12カ村と西岡中筋8カ村との間に糞尿争論。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  ⋄東西梅津村・郡村で、奥山利用につき松尾社と争う。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄京都の塗師・蒔絵師ら、琵琶湖運河開鑿を再び出願。(「鹿田静七氏所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄高野川筋太田井堰をめぐり、松ヶ崎村・下鴨村と一乗寺村・田中村との間に用水争論あり分水で裁許。(「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1723年(享保8年) ▣グ2月6日(1月2日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣グ3月24日(2月18日)京都雷風雨。雨降・初雷。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)   ▣(3月初め)京都抜参り(伊勢参り)、下々の子供まで。(『日本災変通志』) ▣(4月)白川の大火。 ▣(5月2日)京都火災。夜/子刻上、初代・瀬川菊之丞宅(宮川筋四丁目辺)より出火、芝居役者多く類焼。家32軒、借家130軒、カマド162軒、宮川筋三丁目、家7軒半、借家13軒、カマド20軒半カマド合計182軒半類焼。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月3日)貴船在所大火。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月4日)丹波亀山城下40軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月)鳥羽・城南宮に参詣者多数訪れる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月4日)京都大夕立。落雷各所。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  ▣(7月)天部村・六条村、八幡の品手村と、鹿皮製造販売独占権をめぐり争う。(「諸式留書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月14日(8月15日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月12日)京都地震。朝七ツ時、余程強し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月)この年、高野川筋太田井堰めぐり、松ヶ崎村と下鴨村間で用水争論。(「松ヶ崎立正会文庫文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄堀川筋高辻井堰めぐり、八条・朱雀・西七条など6カ村と中堂寺村との間に用水争論ある。(享保13年)まで続く。(「竹内家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ⋄京都近郊農村、屎尿欠乏のため、他国流失禁止などを町奉行所に訴える。(「正行院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄久多村民、移出材木の10分1運上につき奉行所に訴える。(「士堅家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1724年(享保9年) ▣(2月21日)米価下値により、酒・醤油など諸物価値下げ命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(3月20日)京都火災。昼、山崎在所24軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月)男女奉公人の賃銀値下げ命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏4月8日/4月8日)京都火災。夜八ツ前、白川村全焼、212/264/500軒焼亡。
(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(閏4月21日)京都雷。朝七ツ時、夕立、鞍馬口・西陣に雷。丹波亀山在所、雷火により11軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月1日)京都地震。夜五ツ時/戌刻、余程甚し。即刻止む。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月10日)京都大火。朝五ツ時/卯半時-巳刻、四条通北の芝居小屋より出火、石垣町(半町)・どんぐりの辻子・建仁寺町・縄手筋は四条角より大和橋まで蟹ガ辻子の内全焼。6座全焼、286軒(カマド数)焼亡。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(6月上旬/6月)京都疾疫流行。疫痢流行。言語に絶す。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(10月)中立売通堀川橋の修復入札につき触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月1日)京都大雨雷。昼。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  
■1725年(享保10年) ▣(2月5日)京都火災。昼四ツ時、山城国中桂村40余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月16日)京都火災。八ツ時、頂妙寺東新地、三福寺より出火。仏光寺焼失、南風により北方の非人小屋120軒焼失。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣グ5月12日(4月)近畿霖雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣グ6月23日-30日(5月13日-20日/13日)京都霖雨洪水。淀・八幡辺洪水。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣グ7月-9月(6月-7月)京都旱魃。雨降らず、草木枯凋。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月1日)空也寺(空也堂)焼失。夜、類火により本堂・方丈・庫裡など焼失。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(11月11日)京都火災。山城国白川村、雷火により百姓家10余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  ▣(11月26日)身寄りのない極貧者・病身者の調査を町役に命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1726年(享保11年) ▣(2月15日)京都火災。昼七ツ時、下桂村の桂女家より出火、坤の風強く、55軒焼失。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月)町々の番屋に夜間番人を置く旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月6日)京都火災。昼、一乗村25-26軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月4日)鴨川面(二条-七条)間の修復入札のこと触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月12日)六角通大宮西入ル町の善宗寺焼亡。本堂・庫裡焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(8月27日)京都付近落雷。死傷あり。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(8月)京都炎旱により、井水涸れる。10数年来という。(「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1727年(享保12年) ▣(1月4日)京都火災。御所の内村カマド数24軒焼失。(『日本災変通志』) ▣(1月24日)京都地震。夜四ツ時。 ⋄九ツ時、上賀茂村より出火、22軒焼失。内、御供所1カ所、社家3軒、ほか百姓家。(『日本災変通志』) ▣(4月12日)京都大雹。(『日本災変通志』『日本災変通志』) ▣グ6月1日(4月12日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣グ6月2日(4月13日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)清水寺慈心院の諸病平癒の護符流行。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月6日)丹後田辺舞鶴城下大火。昼四ツ時-晩、武家屋敷20カ所、町家7割焼失。⋄当年の旱魃ひどい。旱損1万石(知行の3割程に減)(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(9月11日)京都火災。夜半、大徳寺前百姓家15軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(10月)高瀬川への塵芥・土砂の掃込み禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)上鳥羽村36軒焼失。夜。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月17日)京都火災。夜、西ノ京神足村19軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月晦日)京都火災。夜、西ノ京、大将軍町より出火、26軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
■1728年(享保13年) ▣(6月5日)京都大雨。八ツ時より降り続く。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月7日)京都大雨洪水。加茂川氾濫、水嵩6尺余、小屋掛36軒・仮橋漂流。神輿、三条橋を過ぎ河原町より四条に出る。(『月堂見聞集』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月4日)京都落雷。八ツ時、祇園大日堂の側に落雷。塔扉・瓦など破れ裂く。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ8月13日(7月8日)近畿(京畿)大風雨・洪水。伏見・淀・八幡辺、大洪水で2階住む。所により軒下まで水差し込む。大坂夜船の往来止まる。木津川1丈6尺出水、宇治橋・豊後橋冠水。淀城、矢間より水込入る。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月)堀川・西洞院川への塵芥の捨棄を禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)京都風雨。昨日より雨、朝に北風強く加茂川出水。三条・四条・松原橋落つ。川幅一面に水出、水杭の標4尺まで満つ。木津川水5尺余。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ9月16日(8月13日)京都洪水。夜、伏見・淀・八幡辺洪水。伏見・淀の町中水6尺余、八幡地蔵堂、軒口水浸く。一の鳥居水5尺余浸く。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月7日)京都地震。昼八ツ前。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(10月16日)賀茂川筋の丸太町下ル町-西賀茂千石岩間の石垣修復入札の事触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(11月16日)京都火災。夜、上嵯峨村釈迦堂前、70余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1729年(享保14年) ▣3月8日(2月9日)伊豆吉佐美?で地震。京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(7月14日-15日)京都大雨風。昼七ツ時-翌昼七ツ時、所々、寺社民家破損多し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  ▣(7月27日)京都火災。夜、醍醐小野村15軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(8月11日)京都大雨。堀々の土居崩る。(『石原家記』『日本災変通志』) ▣(8月20日)京都大雨大風。朝、民家破損。(『石原家記』『日本災変通志』)  ▣グ10月5日-6日(9月13日-14日/14日)京都大風雨・洪水。屋根破り瓦飛ばし樹木折る。鴨川水4尺/6尺余上がり仮橋皆落つ。流死多し。建仁寺町、水腰下つく。宮川筋在家浸水、七条・六条新地、床上3-4尺。日の岡より東の御廟野辺、午の背水越す。往来止まる。大徳寺・北野辺、風により倒木多し。西陣辺床上1尺余、堤切れ橋皆落つ。上賀茂社辺、水浸き、芝上乳上まで浸水。松木60余本倒れる。桂川水嵩1丈余、人流れ行方不明多し。清滝川水1丈8尺余、釈迦堂辺まで水浸く。伏見浸水甚し。淀川・宇治川堤切れ、淀町家所により天井まで水浸く。竹田不動辺、鴨川・田地一面の水になり川幅4-5町。八幡、淀川より八幡茶まで舟で往来。丹波の地風甚しく洪水、(「鴨脚正彦家文書」『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣グ10月16日(9月24日)京都風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) 
■1730年(享保15年) ▣グ2月19日(1月3日)京都・諸国大雪。京都降雪。5-6-7寸。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『京都気象災害年表』)
▣(1月4日)京都降雪。近年の大雪。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月14日)京都火災。夜、紫竹村27軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月15日)京都火災。昼/巳刻-八ツ時/未上刻、建仁寺町四条上ル町/四条大和大路/四条通東側小売酒屋・和泉屋/水茶屋より出火、北は大和橋限り、南は四条通辻限り、石垣町半町、祇園町北側半町、新地12-13軒焼失。芝居街の芝居小屋、町家など98軒、カマド数277軒焼亡。罹災の嵐小六一座、北野七本松に移る。(『妙法院日次記』『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(2月18日)京都火災。夜、竹田村36軒焼失。(『日本災変通志』) ▣(2月19日-22日)出火頻発のため昼夜自身番を命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月25日)京都火災。神泉苑町三条上ル出火。(『妙法院日次記』) ▣グ4月17日(3月1日)京都大風雨。60年来の春の嵐。 ⋄京都市内失火・投火夥し。(『妙法院日次記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)  ▣(3月16日)京都火災。夜、愛宕山麓田尻村30余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月26日)建仁寺塔頭・知足院より八ツ時に出火、庫裡・客殿など焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月)世情不穏のため、町奉行所は隔日に洛中洛外巡察。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄防火のため、縄手四条の芝居茶屋に瓦葺を勧告。以後、桟瓦葺が積極的に採用される。 (『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(3月-4月)京都投火多し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(4月26日)京都火災。暁、伏見中書島南側焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(4月)将軍塚鳴動。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(4月27日)京都大雨風。暮。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ6月-8月(5月-6月)京都旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月20日(6月6日)丹波大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月8日)京都火災。夜半、伏見松尾町1町半程焼失。(『日本災変通志』)  ▣(6月20日-21日)京都大火。「享保の大火」「西陣焼け」「上京大火」。未刻-夜八ツ時。乾燥下東寄りの強風、上立売通室町西入ル上立売町北側、大文字屋五郎兵衛宅より出火、翌日に及ぶ。西は北野馬喰町、南(西は千本一条、東は小川飛鳥井町上ル)、北(西は千本通り寺之内上ル、東は小川寺之内)北野天神東側前、東西16町南北5町、西陣134町/108町の3798軒焼失。ほか非人小屋13軒、寺社71/67カ所(般舟院、北野松梅院など)、カマド数2万7250軒、織屋機類3万12機焼失。貧窮輩・類焼数多あり、船岡山辺・近辺に群居、下京有志・大坂・近在の民による焼場への施行・賑給(飯・金銀米銭・椀・箸など)あり。西陣機業、大打撃をこうむる。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』「京大地図」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(6月21日)祈雨のため神泉苑に修法の勅宣あり、即日執行。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月28日)西陣焼け家持罹災者に飯米貸与のため、表口・裏口を録進させる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月末-7月)京都近郊大旱魃。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月3日)西陣焼け罹災者に飯米貸与。知恩院、銭1000貫文施行。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月24日)京都大雨洪水。加茂川の水、2尺余出る。淀付近、余程高水で武家屋敷浸水。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月)大工・屋根屋の日用作料・竹木諸品を高値にしない旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)西陣類焼の町家に瓦葺を奨励。(『日本災変通志』) ▣(8月中旬-)京都疾疫流行。風邪流行。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(9月下旬-10日)京都・大坂など麻疹流行。老少男女感染しない者なし。老幼死去甚し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(11月)捨子はその時の様子により、非人に渡す旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)第114代・中御門天皇、霊元法皇(第112代)、麻疹罹患。(『妙法院日次記』『日本災変通志』)

■1731年(享保16年) ▣(2月22日)京都大火。修学院村百姓家23軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月2日)投火横行。夜四ツ時を限り木戸締め令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ4月19日(3月13日)京都大土風(辻風)。(『京都気象災害年表』) ▣グ5月20日(4月15日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(6月11日)京都霰。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月15日)京都大火。伏見七瀬川町10-15軒焼失。(『日本災変通志』) ▣グ7月19日(6月16日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)京都霖冷。(『京都気象災害年表』) ▣(7月10日)八幡・京都大夕立。大雷雨。霰(重さ2匁7-8分3厘余)。(『日本災変通志』)  ⋄京都大火。姉小路通神泉苑町東入ル町の百姓家より出火、北風強く、大宮通まで、54軒、カマド数103軒焼失。来迎寺・三宝寺焼亡。(『月堂見聞集』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月11日)京都大南風大雨。夜半、淀・八幡・橋本辺、満水。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(8月20日)京都地震。八ツ時、2度。余程強し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ9月21日(8月21日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(10月14日)近江八幡・刈谷で地震。京都でも地震。昼、余程甚し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』『日本被害地震総覧』) ▣(11月19日)京都地震。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(11月21日)京都地震。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月1日)日蝕。京中往来者絶える。前年日蝕後に風邪・麻疹など流行したことによる。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月3日-4日)京都地震甚し。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(12月28日)京都火災。夜、七ツ時、西岡葛野郡郡村30余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) 
■1732年(享保17年) ▣(1月2日)京都積雪。5-6寸。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月27日)京都火災。夜、山城国久我村5軒、竹田村10軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月28日)京都火災。昼九ツ過/巳刻、一乗村24/60軒焼失。(『月堂見聞集』『妙法院日次記』『日本災変通志』) ▣(3月21日)京都火災。夜、上鳥羽村10余軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ5月9日(4月15日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月)島原遊女町困窮。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ7月21日(閏5月30日)京都雷雹。大夕立、七ツ過、雷少々鳴る。祇園祭神輿洗の折、加茂川満水、四条・二条・松原橋落つ。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』)  ▣(6月14日-15日)丹後福知山大火。夜七ツ時-翌九ツ時前、城下横大路船場より出火、南は城堀まで。町家618軒焼失。(『日本災変通志』) ▣(6月)梅ヶ畑の墓所六十六部の塚に、病気平癒祈り多くの参詣人集まる。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣夏 西日本各地で蝗害。(享保の飢饉)(『日本歴史災害事典』) ▣(11月8日)京都火災。朝、鞍馬在郷の家30軒焼失。⋄今出川1町半余、43軒、カマド数71軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣この年、五畿内付近・西国でも虫害(ウンカ/イナゴ/トノサマバッタ[飛蝗]とも)。秋米値騰貴し、米1石に付き110匁上。翌年にかけ京都裏屋者困窮し、乞食になる者多し。毎夜、白粥の施行する者あり。(『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) 
■1733年(享保18年) ▣(1月1日-4月)丹波亀山領の百姓困窮人に、毎日、人別に白米を男2合・女1合賑給。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣(1月2日)京都火災。夜、粟田口東町より出火、東風で南禅寺領の家14軒、仏光寺長屋の全焼。50-60軒焼亡とも。(『月堂見聞集』「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月4日-)神泉苑で7日間の祈雨。昨年冬より旱魃。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(1月7日)京都火災。夜、北岩倉村焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(1月11日)京都火災。五ツ時-九ツ時、北山の愛宕郡長谷村焼失。(『日本災変通志』) ⋄高野村12軒焼亡。(「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月14日)幕府、京畿の窮民に米5700石賑給。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月15日-16日頃)京都・坂本・丹波境・伏見辺で長大な触書が出るとの流言による町人騒擾。(『石原家記』『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月19日)京都火災。西岡の葛野郡川勝村焼失。カマド数24軒。(『日本災変通志』) ▣(1月20日)京都火災。朝、紫竹村焼失。(『日本災変通志』) ▣(1月)この頃、近畿も飢饉。百姓・町人飢える。報恩院・青蓮院・洛中富裕者、困窮者に施米。また、青蓮院門主・五摂家・町人富裕層など、鳥目100文・30文、白米1升・5合・3合、白粥などを施す者あり。(『探旧考証』『月堂見聞集』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(2月3日)知恩院施行。困窮し袖乞いに出る者に札を与え、札持参の者に白米1人2合・銭1人18文を与える。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
▣(2月6日)知恩院施行。小川報恩寺を借り上京の者に施行。近年、大火類焼の奉加銀募り、飢餓救済に充てた。(3日)分と合わせ札数4万4000-5000枚。(『日本災変通志』)
▣(2月13日-)三井氏施行。京中13カ所の米屋を通じ施行。1人白米3合、札6万余。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月18日)建仁寺塔頭・普光庵焼亡。下人の煙草火不始末による。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(2月)寺町の大雲院・誓願寺施行。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(3月2日)與海印寺(海印寺?)村48軒焼失。(『月堂見聞集』) ▣グ5月6日(3月23日)京都大雷雹。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)  ▣(3月27日)鷹峯村火災。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月28日)飢人同前の貧窮者名前の録進命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月2日)町役による貧窮者の吟味・録進不充分なため、雑色・町代を廻す旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月4日)京都火災。暁、元誓願寺千本西入ル町より出火、13軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月)因幡堂、困窮人救助のため、砂の勧化行う。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月15日)京都大夕立・大雷。昼八ツ時、加茂川洪水。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(6月20日)京都火災。大雷大夕立。鷹ヶ峯より出火、蓮台寺境内までの6町、家58軒、カマド数95軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』)
  ▣(6月28日)京都火災。蓮台寺境内より出火、家39軒焼失。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ8月8日(6月29日)京都大土風(辻風)。北より吹く。所々の屋根吹き破られる。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(6月下旬)京都でも風邪流行。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月上旬頃)京都で風邪流行。皆罹病。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(7月9日)京都夕立大雷。20数カ所に落雷。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣9月18日(8月11日). 安芸で地震。京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(8月晦日)。2-3日降雨あり、加茂川洪水。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(11月)幕府、飢民賑救者を褒賞し、京都373町に銀300枚、伏見9町に銀20枚、その他京畿周辺諸国220カ村に代官通じ銀100枚を下賜。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣田辺の百姓一揆。
■1734年(享保19年) ▣(1月9日)京都火災。昼五ツ時、小堀仁右衛門下屋敷より出火、北風甚しく、近くに二条城・所司代などあり騒動す。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣(5月中旬)二条仏了院の生洲町の川際60-70間程崩れ、水、人家に入る。(『石原家記』『日本災変通志』) ▣グ7月6日(6月6日)京都暴風雨。夜中、加茂川洪水。(『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(6月18日)京都洪水。松原・二条橋なく、三条橋・五条橋のみ残る。(『月堂見聞集』『日本災変通志』) ▣グ7月22日(6月22日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)梅雨晴れず、鴨川しばしば氾濫。(『月堂見聞集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月4日(8月7日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(11月19日)油小路通の一条橋修復の入札あり。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、丹波材直売めぐり争論、(寛保2年)まで続く。(「林忠治家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄吉祥院村と西庄村・唐橋村・御所内村・西七条村との間に、川浚えめぐり争論。(「竹内家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1735年(享保20年) ▣(3月21日)第115代・桜町天皇践祚。 ▣グ8月9日(6月21日)五畿内(近畿)大風雨洪水。山城国大川筋堤切れ。ほか破損。(「町触」『月堂見聞集』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(9月5日)畿内など大疫病流行。「犬疫病(狂犬病)」と呼ばれ、犬多く殺す。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(9月)盗物は、5日以内に申告する旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄(9月)以降、狂犬多く、人咬み殺す。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月)古道具屋の盗物買いを戒める。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1736年(享保21年/元文元年) ▣(2月)京米消費まで他所米移入を禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月15日)最低米価、引き上げられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月25日)嵯峨火災。(『京の火事物語』) ▣(8月16日-17日)京都風雨洪水。夜酉刻、山城国淀、木津川満水、淀城内浸水し、侍屋敷90余軒大破、足軽長屋60余軒流失。半潰れ長屋295余軒。橋流失6カ所、大橋破損。山城・摂津・河内・近江で橋流失75カ所、破損23カ所、潰れ家60軒、半潰93軒、流家2軒、死者16人。(『元文世説雑録巻五』『日本災変通志』) 
■1737年(元文2年) ▣(2月1日)京都盗人横行。木戸締め入念と、胡乱(うろん、怪しい)者の召捕方を命じる。 (「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣グ4月16日(3月17日)京都大風・颷風(つむじ風)。所々破損。(『泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(4月14日)五条橋修復、泉涌寺入口の大路橋架替え入札につき触れある。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)畿内河川堤防修復で、京都・大坂・堺・伏見奉行などに、淀・木津・賀茂・桂・宇治などの新堤営築、500両以上の堤修築は、幕府に伺う旨命じる。京都町奉行の河川管轄は木津・桂・賀茂・淀小橋より下流の淀川、伏見奉行は淀小橋より上流の淀川・宇治川とし、淀藩主は長斎口を河川管轄とする旨令する。(『徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1738年(元文3年) ▣(6月15日)先の火災で二条家旧記「日次記」焼亡し、依頼により幕府、写しを京都に送る。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月25日(8月12日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣この年、高野川筋太田井堰めぐり用水争論。(「上一乗寺共有文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1739年(元文4年) ▣(2月18日)五条橋の修復入札触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)町々をくわえ煙管で往来することが禁じられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月17日)油小路一条橋、破損修復の入札につき触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1740年(元文5年) ▣(2月9日)町夫火役請負申請者(1軒役月6-7銭)の是非につき、町奉行所より町方に意見求める。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ7月2日(6月9日)五畿内(近畿)・大風洪水。(『泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(6月)京都寒冷。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月6日-7日(閏7月16日-17日/16日)京都・近国・大風雨洪水・水害。「元文京都・畿内大水害」。賀茂川洪水、三条大橋破損。人馬往来できず。上賀茂神社被災。岩屋山大壊。(「京都町触」『石原家記』『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(12月)石田梅岩・門人、市中貧民に施粥。 (『石田先生事績』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ⋄町方、飢渇者を相互扶助すること、及ばぬ場合は申し出る旨令する)。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1741年(元文6年/寛保元年) ▣(2月25日/26日)愛宕山坊火災。(『続史愚抄』『京の火事物語』) ▣グ8月31日(7月21日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)京都旱天続く。出火多し。((13日)の「京都町触」『日本災変通志』)  ⋄京都洪水。淀川・木津川。淀大橋・小橋落つ。往来止まる。(『石原家記』『日本災変通志』) ▣(11月25日)京都大火。「京都寛保の大火」、未刻-夜亥刻、四条石垣町より出火、芝居小屋・茶屋、大和橋・祇園新地・知恩院前、三条通、檀王法林寺東、頂妙寺新地、西の清光寺・東光院・善光院など焼失。藍沢屋焼け、町家2800軒、寺院14宇焼失。二条三条以東の人家100軒炎上とも。(『泰平年表』『続日本王代一覧』『続史愚抄』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣この年、上方飢饉。(『飢饉考』『日本災変通志』) 
■1742年(寛保2年) ▣(4月29日)石清水八幡宮焼亡。(『常雅公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月25日)紙屋川・鳴滝川・大堰川の川筋洪水。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月初旬)京畿大雨。淀川洪水、堤防切れる。((16日)の「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ8月11日(7月11日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣グ8月27日-8月30日(7月27日-8月1日)五畿内(近畿)大暴風雨・洪水。(28日)鴨川氾濫洪水、三条大橋落つ。堀川石垣崩れ、淀・伏見辺洪水。
(『泰平年表』『慶弘紀聞』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣グ12月31日(12月5日)近畿大雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、屎尿争の他国移出めぐり、京郊村々と仲買人との間に争論。(「津田太郎家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)  
■1743年(寛保3年) ▣(11月14日)岩屋山志明院焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1744年(寛保4年/延亨元年) ▣(7月3日)京都大雨洪水。鴨川堤防切れ、川筋出水。(『泰平年表』「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ8月30日(7月23日)京都・諸国・大雨洪水 (『京都気象災害年表』) ▣グ8月31日(7月24日)京都大雨洪水。堀川筋の橋、多く流失。(『寛延世説』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1745年(延亨2年) ▣グ3月26日(2月24日)京都不雨。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)宇治川大洪水。(『石原家記』『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣グ7月31日(7月3日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月2日)徳川家重、征夷大将軍になる。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月9日)(10月)より続いていた三条大橋・小橋の修復完了。往来許可。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月23日)郡村・川勝村農民と材木屋、筏の用水井堰通行をめぐり争う。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1746年(延亨3年) ▣(1月)実子ある上に貰子し、捨子する者を召捕える旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ4月9日(2月19日)京都烈風・大風。禁裏の平唐門倒壊。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)老弱者に対し、口論・強奪に及ぶ者を召捕える旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)「かなつち風邪」、京都でも流行。(『石原家記』『日本災変通志』) ▣(1月)木津川筋山谷の植林・鎌留地に入込む盗伐者の捕縛命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1747年(延亨4年) ▣(2月)盗賊・日本左衛門(浜島庄兵衛)、京都町奉行に自首。この年、処刑。(『徳川実紀』「京都町触」『日本災変通志』) ▣(5月2日)第116代・桃園天皇践祚。(『公卿補任』) ▣(8月19日・27日)京都洪水。山城国淀川通洪水。所々破損。淀大橋一部破損。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(8月27日-28日)京都風雨。昨夜(27日)より。所々洪水。木津川筋は1丈6尺の増水。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(12月5日)京都火災。四条の芝居小屋裏辺焼亡。石垣(掛)町、大和橋辺2町四方焼失。(『続年代略記』『石原家記』「鴨脚正彦家文書」『京の火事物語』『日本災変通志』)
■1748年(延亨5年/寛延元年) ▣(2月21日)伝奏・久我通兄、柳原光綱、火災・ほかに関する注意を公卿・殿上などの諸家に達する。(『二条家内々御番所日次記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月16日)中立売堀川橋修復の入札につき触れる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣1月27日(12月27日)若狹で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』)
■1749年(寛延2年) ▣グ8月14日(7月2日)山陽・畿内(近畿)大風雨・洪水。京都でも大風雨。(『京都気象災害年表』『日本の自然災害』) ▣(8月9日)東本願寺厨火災。夜。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京の火事物語』)
■1750年(寛延3年) ▣(5月9日)五条橋修復のため、(10日・11日)の人馬往来差し留められる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月18日(4月13日)京都烈風。(『京都気象災害年表』) ▣(6月19日)出火時の御用提燈、菊紋濫用禁じる。(『二条家内々御番所日次記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月26日)京都落雷・大風雨。夜、洛中数カ所/32カ所に落雷。二条城天守閣・付天守焼失。以後、再建されず。(『妙法院日次記』『徳川実紀』『梅忠町記録』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『京の火事物語』)   ▣(11月)帯刀人の町方無断止宿禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月14日)木戸開閉・通行人監視強化、令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1751年(寛延4年/宝暦元年) ▣(2月12日)醍醐准胝堂焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣3月26日(2月29日)京都大地震 М5.5-6.0 詳細不明。未刻。愛宕山の石灯籠残らず崩れ、近辺の諸社寺の築地・土蔵破損。近衛家御構築地内に損所、二条城・御米蔵破損、知恩院の高塀、妙心寺の築地石垣少損、御香宮の石鳥居柱南北に5-6寸筋違い、町家なども大破損。京都で1町土蔵2つずつ損とも。余震2カ月/(7月)/(3月4日)までとも。(『泰平年表』『本朝地震記』(6月16日)の「京都町触」『石原家記』『続史愚抄』『日本被害地震総覧』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(10月27日)第116代・桃園天皇の時、災異(地震)・変異により宝暦に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(12月16日)中立売堀川橋修復のため、この日より人馬往来差し留められる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年グ2月7日(12月23日)京都大雪。比叡山根本中堂の正面屋根崩落。(『新撰座主伝第二』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(12月)京都北山大雪、積雪1丈余。(『石原家記』『日本災変通志』) 
■1753年(宝暦3年) ▣(1月9日)京都地震。夜。洛中築地など小損。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)先の(3月)に清水寺の観世音開帳され、参詣人多数のため死傷者100余人出る。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月1日)五条橋修復につき入札。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月5日)山之内村・西院村・郡村・安井村、菜種買上げ値段の値上げ求め油屋と争う。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1754年(宝暦4年) ▣(4月26日)中園兵部権・大輔季豊の、蘆山寺前の京極邸焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月8日)松ヶ崎村と下鴨村間に用水争論。(「上一乗寺共有文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月11日)三条大橋・小橋の修復入札。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1755年(宝暦5年) ▣(3月30日)京都火災。今出川辺60余戸焼亡。(『師資日次記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ10月9日(9月4日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(10月5日)二条大橋修復の入札触れられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、天正年間(1573-1592)期以来という大飢饉になる。翌年に及ぶ。(「長刀鉾文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1756年(宝暦6年) ▣(1月4日)淀城火災。(『石原家記』『京の火事物語』『日本災変通志』) ▣(2月)幕府、淀城焼失の稲葉正益に1万両賦与。(「淀下津町古記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)米価騰貴のため、米商の密蔵禁じる。(『憲法編年記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月13日)京都旱天。京廻り用水難儀により、各町に井戸水の汲み流し(1日2-3盃)を命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣グ10月9日(9月16日)畿内(近畿)・東海道大風雨(烈風)・洪水。淀川筋・伏見辺洪水、淀の大川通堤切れ・破損。淀橋・宇治橋流失、浮島十三重塔流失。(『泰平年表』、(11月25日)の「京都町触」『慶弘紀聞』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣グ10月27日(10月4日)山城洪水。山城宇治川・木津川など洪水。(『泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) 
■1757年(宝暦7年) ▣(4月)東梅津村16カ村と松尾社の神山利用をめぐる争論和解。松尾社領の山林保護。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)寺町押小路下ル町に、夜分、石地打流行。見物人参集。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ11月7日(9月26日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1758年(宝暦8年) ▣(6月)加茂川・淀川満水。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(7月23日)所司代、尊王論者・竹内式部、将軍誹謗し拘引。(宝暦事件)(『兼胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月24日)竹内式部に関係する正親町三条公積・徳大寺公城ら、急進公家8人を永蟄居処分、公卿12人を遠慮処分にする。(宝暦事件)(『内前公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ9月20日(8月19日)丹波大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(10月19日)京都大雨。加茂川増水、三条大橋大破、往来危険。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣台風による豪雨で高野川・谷川氾濫、御蔭神社境内埋没、社殿流失。 
■1759年(宝暦9年) ▣(2月9日)石清水社僧坊7宇焼亡。(『定晴卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月7日)竹内式部、京都追放、伊勢に閉居。(『兼胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月8日)竹内式部事件に関し、前中納言・東久世通積ら処罰。(『兼胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月16日(7月24日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(閏7月7日)川勝村と郡村間に用水争論。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1760年(宝暦10年) ▣グ5月-10月(3月-8月)山城旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(4月29日)竹内式部事件に関した正親町三条公積ら公家7人、落飾命じられる。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)京廻田地渇水のため、井戸水汲み流し(1日に2-3度、釣瓶2-3杯宛)命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月2日)徳川家治、征夷大将軍になる。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1762年(宝暦12年) ▣(2月22日)宇治大火。(『泰平年表』『京の火事物語』『日本災変通志』) ▣グ6月-8月(5月-6月)諸国・京都近郊旱天(旱魃)。田畑水なし、京中溝に井戸水汲み流し足しとす。(「京都町触」『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣(7月27日)第117代・後桜町天皇践祚。(『兼胤公記』) ▣(9月12日)第116代・桃園天皇冥福のため、誓願寺で施米。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、西本願寺で異安心事件起こる。教義めぐり中央学林と地方在野学徒・門徒対立長く続く。(『明和法論記』『京都の歴史10 年表・事典』)

■1763年(宝暦13年) ▣3月15日(2月1日)陸奥八戸で地震、京都でも強い有感。(『日本被害地震総覧』) ▣グ8月24日(7月16日)山城龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣グ10月9日(9月3日)五畿内(近畿)・大風雨・洪水。京都大風。木津川口などで過書船大破損。大坂通船難破し溺死者1000人に及ぶ。(『米商日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  
■1764年(宝暦14年/明和元年) ▣(2月25日)幕府、勘定吟味役・伊奈半左衛門忠宥に、京都・大坂・近江の新墾地・淀川などの巡視命じる。(『徳川実紀』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ8月29日(8月3日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月5日)触に事寄せる浮設・流言を取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年グ1月9日(12月18日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣翌年グ1月22日(閏12月2日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1765年(明和2年) ▣グ6月4日(4月16日)山城大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣グ8月19日(7月3日)五畿内(近畿)大風雨。(『泰平年表』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣グ8月20日-22日(7月4日-6日/6日)近畿大風・宇治川洪水。夜中より大雨洪水、川筋の村々洪水、堤防切れ所数多。(5日)近畿大雨、伏見洪水、稲荷社辺3尺余冠水。((8月3日)の「京都町触」『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣グ8月27日(7月11日)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月16日(8月2日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月24日)宝祚長久、幕下安泰祈祷を7日間7社で行う。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1766年(明和3年) ▣(3月)幕府、御土居東側(六条坊門-六条)間を毀す。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ5月10日(4月2日)京都甘露。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月-10月(6月-8月)近畿旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(8月1日)京都近郊田地渇水。市内溝に井戸水を汲み流す。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣翌年グ1月9日(12月9日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1767年(明和4年) ▣グ9月3日(8月11日)山城龍巻。下鴨薮畔より旋風。民家・樹木など倒れる。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月22日)山県大弐・藤井右門、幕府への謀反のかどで死刑に処す。竹内式部、八条島に流す。(明和事件)(『明和録』『京都の歴史10 年表・事典』)

■1768年(明和5年) ▣(2月19日)幕府、三都(江戸・京都・大坂)で浄土真宗御倉門徒を処罰。(『正宝録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ4月23日(3月7日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月14日(6月1日)京都暴寒霜。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月1日(7月21日)近畿・京都大風雨・洪水。終日。洛中の木折れ、家損じる。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
 
■1769年(明和6年) ▣(1月9日)幕府、関西農民徒党・強訴取締を令する。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月3日)京都灰降り。下鴨以北は霜の如き観呈する。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月23日)京都落雷。二条殿四足門・相国寺・蓮華光院に落雷。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)山城洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月-9月)京都風疫流行。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣グ10月1日(9月2日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(9月)洛中町々に溝浚え命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄町方・茶屋などで、口論仕掛け金銭威し取る者を取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1770年(明和7年) ▣(閏6月28日)天変続出により、7日間の御祈を七社七寺で行う。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏6月)京都旱天。田畑水なく、市内町々、井戸水を溝筋に汲み流す。(『京都町触集成』『日本災変通志』)
▣(7月15日)渇水のため火の用心第一により、盆の送り火の持ち出しを禁ず。(『京都町触集成』『日本災変通志』) ▣9月17日(7月28日)京都で「赤気(せっき、オーロラ)」観測。若狹国に大火あるが如し。放射状の白い筋が入った扇形の赤いオーロラ。(『泰平年表』『星解』『続史愚抄』『東羽倉家の日記』『日本災変通志』)
▣(7月)京都旱天。井戸水減少の所ある。加茂川筋で水溜り(御土居水際)を掘るため、届出・指図を受けて掘るように命じられる。(『京都町触集成』「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣夏以降-翌年 京都炎旱甚だしい。京中井水切れ、大川筋諸所に井戸掘る。(「宝鏡院殿東町永代帳」『京都事典』) ▣(11月24日)第118代・後桃園天皇践祚。(『兼胤卿紀』)
■1771年(明和8年) ▣グ3月7日(1月21日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣グ5月11日(3月27日)京都大雨。鴨川溢れ、40余人溺死(『慶弘紀聞』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月1日)京都洪水。夜、淀川出水、堤切れる。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(5月下旬)京都辺旱天。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(5月)おかげまいり、宇治郡より起こる。畿内・西国に波及。(『慶弘紀聞』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ8月14日(7月4日)京都白気(白い気体・雲気)。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月1日(7月22日)近畿・京都など大雨風・洪水。新造の淀大橋落ち、水車破損。(『泰平年表』『京都町触集成』『続皇年代略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月8日)町奉行所、寺社・町人が、菊御紋付提燈などをともした火事場での狼藉を取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)

■1772年(明和9年/安永元年) ▣(3月)賀茂川筋の土砂・栗石などの採取請負、丸屋五兵衛・鍵屋九左衛門・和泉屋次郎兵衛の3人に申し付けられる。(「古久保家文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ6月6日(5月6日)京都怪雨。(『京都気象災害年表』) ▣グ7月21日(6月21日)近畿冷夏。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月17日(8月20日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月21日)京都も大風雨。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(11月16日)第117代・後桃園天皇の時、火災・風害により安永に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)
■1773年(安永2年) ▣(1月24日)石清水社僧坊焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣春-(6月)京都・江戸などで熱病流行。伊勢参り・巡礼の類い、近国より上り候者多く死す。(『石原家記』『日本災変通志』) ▣グ6月2日(4月13日)京都冷気。(『京都気象災害年表』) ▣(5月11日)大番・井上富次郎、二条城在勤中に商人欺くなどの不行跡のかどで遠島。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)淀・伏見洪水。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(7月8日-12日)京都大風雨。山城・諸国洪水。(15日)まで往来止まる。(『泰平年表』『日本災変通志』)  ▣(10月9日)壬生寺・中堂寺村の用水井戸筋・堀川近辺への塵芥放棄禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月15日)御所に仕える地下人・藤原義見・源元義ら、御台所で官物掠し私欲をはかった罪により、所司代に捕えられ官職停められる。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1774年(安永3年) ▣グ3月13日(2月2日)京都落雷。二条治孝の今出川邸・建仁寺などに落ちる。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月15日)京都火災。下鴨村新町の刀禰宇右衛門借屋より出火。26軒焼亡。(「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月)下加茂火災。(『京の火事物語』) ▣(3月7日)京都火災。岡崎村人家・蓼倉薬師堂・本光寺など焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月9日(5月1日)京都旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣グ6月13日(5月5日)京都大風雨/風雨。愛宕山、所々崩れ、鳴滝辺2尺余冠水。(『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
 ▣(6月13日)京坂大風雨。淀町水没。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣グ7月31日(6月23日/13日)近畿(京坂地方)・大風雨洪水。京都・大坂の被害大。桂川出水、堤崩れ、内侍所仮殿・平唐門倒壊。修学院御茶屋構内倒木・風折木あり。淀城、川水漏れ石垣・民家破壊。70年来なき程の大風、京中の瓦を吹き落とす。(『泰平年表』『石原家記』「京都町触」『天明御触書集成』『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣(6月26日)先の大風雨被災に対し、7日間七社七寺で御祈祷ある。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月21日)五条橋修復のため、人馬往来差し留。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月26日)幕府、禁中・仙洞などに奉仕の地下官人で、私曲ある者32人を捕え、官職剥奪。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月27日)私曲地下官人の内、延臣・田村広教は斬刑、ほか80人斬罪・流罪に処す。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ10月6日(9月2日)丹波大風洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月21日)幕府、淀藩主・稲葉正諶に(6月)の洪水修理のため金5000両貸与。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)五条橋永々引請人の茶屋旅籠屋売買株引請・銀子貸につき令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣1月22日(12月11日)丹後で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(12月)京都代官・小堀邦直、禁裏廩米を禁裏付判形のない券書による内々の融通が発覚し謹慎に処せられる。(「京兆府尹記事」『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1775年(安永4年) ▣(2月6日)この頃、京中盗賊多く、九門の護衛厳重にする。(『兼胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)京都霖雨続く。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ4月-7月(4月-6月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(5月5日)京都霖雨、先月来続く。宇治川洪水、豊後橋水没。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月)京都洪水。三条大橋破損、往来危険なため仮橋架ける。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ6月28日(6月1日)京都洪水。鴨川洪水。6-7尺増水し、下鴨南堤100余間決壊。 (『続史愚抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(7月3日)狂人、夕刻、三条-烏丸丸太町間で、通行人17人(内即死13人)・馬に斬りつける。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣グ9月5日(8月11日)京都大仏殿落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(8月15日)淀川洪水、淀川大橋大破。(『六条有庸卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1776年(安永5年) ▣(2月5日)京都疾疫流行。風疫流行。所々で疫神送る。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(2月-3月)京滋に風邪・風疹流行。 ▣(3月)-秋、京都疾疫流行。麻疹流行。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月-8月)禁裏御用鮎不漁のため、鴨川筋(八瀬-小枝)、高野川筋(-伏見境)間の漁猟禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月18日)京都疾疫流行。麻疹罹患者、公卿のみで70-80人。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ6月7日(4月21日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(5月)宇治川洪水。 ▣(6月1日)鴨川洪水。 ▣グ9月1日(7月19日)伏見龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣グ12月-翌年1月(11月-12月)京都酷寒。(『京都気象災害年表』) ▣(12月27日)金戒光明寺焼亡。夜、堂舎・庫裡・僧坊焼失。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京の火事物語』) ▣この年、由良川と桂川筋を結ぶ運河計画再燃。日本海側より京都への商品流通円滑のためという。(「村上家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)

■1777年(安永6年) ▣グ10月27日(9月27日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣グ11月5日(10月6日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) 
■1778年(安永7年) ▣グ4月10日(3月13日)京都霰。(『京都気象災害年表』) ▣(6月25日)宝暦事件連座の延臣15人赦免。(『実種公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月1日)京都大雨。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ7月25日(7月2日)畿内・京都大雨洪水。京都甚雨迅雷・洪水。夜、禁裏浸水床上3尺、筑地辺・堂上方の殿舎・門・堀など多く崩れる。洛中洛外の川々出水。加茂川洪水により三条通の石橋破損、橋17カ所落つ。堤・川除破損。比叡山山麓より泥水沸騰・崖崩れ(山崩れ)で屋頽れ、死者600余/670人。(『泰平年表』『徳川実紀』「京都町触」『続日本王代一覧』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』』『京都事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)  ▣11月25日(10月7日)紀伊で地震、京都でも有感。(『日本被害地震総覧』) ▣(12月)御影堂の堂号・阿弥陀号を詐称する扇子業者、再び取締る。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1779年(安永8年) ▣グ4月26日(3月10日)近畿雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月1日-2日)京都寒す。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ6月9日(4月25日)京都雷雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(4月-7月)五畿内洪水。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ8月12日(7月1日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣グ8月23日(7月12日)畿内(近畿)大風雨・洪水。(『続皇年代略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣グ8月26日(7月15日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月3日(7月23日)畿内(近畿)大風雨・洪水。(『続皇年代略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(9月26日)京都大火。(『泰平年表』『京の火事物語』『日本災変通志』) ▣グ12月2日(10月25日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(10月)京都火事頻々。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(11月19日-27日)伏見の音羽橋、修復のため往来差し留。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月25日)第119代・光格天皇践祚。(『内前公記』)
■1780年(安永9年) ▣グ3月6日(2月)京都余寒。(『京都気象災害年表』) ▣7月3日(6月2日)京都など大雷雨。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ7月4日(6月3日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(10月16日)京都大雷雨。(『泰平年表』『日本災変通志』)  ▣(10月18日)京都強風。(「京都町触」『日本災変通志』)
■1781年(安永10年/天明元年) ▣(2月)京都で火事頻発。(『輝良公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)堀川筋の水吐け悪いため、堀川筋(三条-上鳥羽境)間の川浚え命じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ9月9日(7月21日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月15日(7月27日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月-翌年11月)京都火災9度。(「京都町触」『日本災変通志』)
■1782年(天明2年) ▣グ3月15日(2月2日)五畿内(近畿)大風雨/大風。(『泰平年表』『日本災変通志』)  ▣(2月10日)京都火災。洛東吉田村焼亡。(『続日本王代一覧』『日本災変通志』) ▣(2月15日)京都風烈。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(5月)堀川・小川筋での塵芥投棄禁じる。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣グ7月22日(6月13日/14日)京都洪水。加茂川洪水・出水。祇園神輿通行の橋、四条河原に架ける旨触れる。(「京都町触」『泰平年表』「古久保家文書」『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣夏以来 京都大雨・出水。((8月21日)の「京都町触」『日本災変通志』) ▣8月23日(7月15日)相模・武蔵などで地震、京都でも有感。(『泰平年表』『日本被害地震総覧』) ▣9月9日(7月21日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣9月15日(7月27日)近畿大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月-翌年11月)京都16度出火。(「京都町触」『日本災変通志』)
▣この年、宇治・志津川村で火災。(志津川村碑)
■1783年(天明3年) ▣(2月22日/21日)京都火災/大火。寺町革堂境内芝居より出火。本堂雑舎・地内の町家20軒焼亡。(『泰平年表』「鴨脚正彦家文書」『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ▣(4月23日)京都祇園大火。(『泰平年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『京の火事物語』) ⋄丹波亀山城大火。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣春-初夏 京都・五畿内、寒冷・時雨続く。寒きこと中冬の如し。米価高騰・諸国困窮し、京都などで施行米銭給す。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣グ7月16日(6月17日)近畿大風洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)京都大風雨。四条納涼休みになる。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(7月29日)米価高値のため、洛中洛外町方に救米放出を奨励。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)米価高値のため、諸品下値にする旨令する。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月-翌年11月)京都で11度の火災あり。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣この年、「天明の大飢饉」始まる。以後、7年に及ぶ。 (『慶弘紀聞』『京都事典』) ⋄郡村、御室川の川普請出願。(「加藤家文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1784年(天明4年) ▣(6月)米価高直。京都・大坂・江戸で米1石凡そ銀130-140匁ぐらい上なり。庶民困窮に付き御救米下さる。(『泰平年表』『日本災変通志』)
▣この年、飢饉、米買占、打毀しの禁止など再々触れられる。 (『京都事典』)
■1785年(天明5年) ▣(1月27日)五畿内大雷雨。(『泰平年表』『日本災変通志』)  ▣(3月)加茂川筋の素人漁停止。(「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月10日)京都旱魃。町々裏借家に至るまで火の元油断なくと触れる。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣グ5月-7月(5月-6月)諸国大旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(6月12日)初めて旱天の田地用水として、町家の井戸水の汲み流しに触れる。 (「古久保家文書」『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月)五畿内・諸国、旱魃により農民雨乞す。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(7月21日)伏見の元年寄・文殊九助、丸屋九兵衛ら、伏見奉行・小堀政方・配下奉行所役人の暴政訴え江戸に向かう。(『雨中之鑵子』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣グ9月15日(8月12日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月26日)文殊九助ら、寺社奉行に対し伏見奉行・小堀政方らの暴政につき、39カ条の訴状添え直訴。(伏見騒動/天明の義民一揆)(『雨中之鑵子』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月-12月)五畿内寒気甚だゆるし。(『泰平年表』『日本災変通志』) ▣(12月5日)文殊九助ら、江戸竜ノ口評定所に召還され、伏見帰郷の許可受ける。(『雨中之鑵子』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月27日)伏見奉行・小堀政方、御役御免になる。(『徳川実紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣冬 近畿暖冬・少雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、東梅津村・郡村・川勝寺村、桂川洪水により用水の便失い、堤普請を領主に出願。(「加藤家文書」『京都の歴史10
年表・事典』)   
■1786年(天明6年) ▣(1月14日)幕府より帰郷許可を得た文殊九助ら、伏見に帰る。(『雨中之鑵子』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月21日)京都風烈。(「京都町触」『日本災変通志』) ▣(7月)近畿・関東・東北など大雨・洪水。(『日本歴史災害事典』) ▣グ5月-8月(5月-7月)諸国冷気。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月21日(8月29日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣グ9月27日(9月6日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』)
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*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。 |
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京都歴史災害年表 13
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