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京都歴史災害年表 10
室町時代後期(1467-1572) |
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1 古墳時代-平安時代前期 2 平安時代中期 3 平安時代後期 1 4 平安時代後期 2 5 鎌倉時代 1 6 鎌倉時代 2 7 南北朝時代 8 室町時代前期 9 室町時代中期 10 室町時代後期 11 安土・桃山時代 12 江戸時代前期 13 江戸時代中期 14 江戸時代後期 15 近代 16 現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆室町時代後期 1467-1573
■1467年(文正2年/応仁元年) ▣(1月7日)京都火災。上京一条西洞院辺焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月8日)京都火災。下京三条高倉辺焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月9日)土倉(上京正親町京極)焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月15日/11日)山名入道・畠山右左衛門佐義就ら大名同心、尾張守・畠山政長を討つため室町殿に立て籠もる。(『見聞雑記』『日本災変通志』) ▣(1月17日/18日)畠山政長、自邸に放火し上御霊神社に陣を敷く。畠山義就ら攻め合戦になり破る。死者500余人、負傷者数知らず。(『立川寺年代記』『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(1月18日-19日)「御霊合戦」 ▣(1月18日)畠山政長、自第を自焼し、上御霊神社に陣張る。拝殿に放火、神社焼亡。(『応仁記』『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
 ▣(1月19日)畠山政長ら敗北。暁。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(2月9日)朝廷、山科郷民・四府駕籠丁の禁中警護を賞す。(『兼顕卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月3日)細川勝元・京極持清ら参賀出仕せず密かに軍備。(『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月5日)第103代・後土御門天皇の時、兵革(戦乱)により応仁に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(3月14日)畠山義就の兵、筒井光宣の徒を嵯峨法輪橋に要撃。(『経覚私要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月27日)昨年よりの木津馬借の蜂起あり、土民により般若寺内坊・文殊院焼失。(『大乗院日記目録』『東大寺法花堂要録』『日本災変通志』) ▣(4月8日)愛宕・月輪寺焼亡。(『経覚私要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月15日)六条法華堂焼亡。京都近郊火災連続。(『経覚私要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月20日)細川勝元・山名持豊、各与党招集。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月25日)光宣法印・細川勝元との計略により、一色左京大夫(義直)を攻め諸大名両方に分かれる。(『応仁記』『日本災変通志』)
▣(5月26日)「応仁・文明の乱」始まる。東軍兵、西軍の一色義直第攻める。京中で大火災相次ぐ。革堂・百万遍・雲文寺・浄菩提寺・猪熊殿・新善光寺・仏心寺・広覚寺・円興寺・蘆山寺風呂盧、一条大宮裏向かい酒屋・土倉・小家・民家など焼亡。また、水落ノ寺・花ノ坊・集好院・花開院・雲ノ寺・百万遍・革堂・仏心寺・窪ノ寺・大舎人など焼亡。西陣は千本・北野・西京まで死人・手負い臥し、東陣は上は犬馬場・西蔵口、下は小川一条まで手負い・死人あり。(『応仁略記』『後知足院房嗣記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月27日)乱で、安居院花ノ房焼亡。(『応仁略記』『日本災変通志』) ▣(5月28日)乱で、大宿直寺庵、在家など焼亡。(『応仁略記』『日本災変通志』) ▣(5月30日)東西両軍、一条に塹溝掘る。(『後知足院房嗣記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)乱により、斯波義廉の兵、畠山政長の兵と近衛西洞院に戦う。⋄近江房嗣、醍醐に避難。⋄麓道場前後3-4町焼亡。⋄戦乱により以後の祇園会中止。(『応仁略記』『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月8日)東軍、一条大宮で西軍と戦い敗退。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄山名軍、東軍と久我縄手で戦う。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄京都大火。午刻、中ノ御門・猪熊の一色五郎館、近衛町吉田の神主宅が賊の放火により炎上、火の手は下は二条、上は北御霊辻子、西は大舎人、東は室町まで100町、3万余宇焼失。また、一色殿より出火、近衛油小路より東は町面、上は一条より上り4町余、横竪18町焼亡とも。(『応仁記』『応仁略記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月11日)東軍、斯波義廉第攻める。(『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄京都大火、乱で京中の公武邸宅・寺社など所々多数焼亡。(『大乗院寺社雑事記』『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月12日)乱で、京中在所々院寺など焼亡。数百カ所焼亡連続。(『大乗院日記目録』)  ▣(6月13日)幕府、乙訓郡西岡地頭に令し西軍糧道絶つ。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月14日)浅倉孝景、東軍・武田信賢を二条で撃破。(『経覚私要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月17日)西岡地頭ら、西軍の畠山次郎を物集女縄手に要撃。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月22日)西軍、北山鹿苑寺に陣し堂宇破却。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)細川軍、山名教之第襲撃・放火。(『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月25日)管領・斯波第、連日戦闘。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)山名方、内通の近習・奉公人・奥女中・幕府ら追放。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月)京都合戦、火事連続す。(『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣(8月8日)六角高頼第自焼。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月16日)西軍、村雲に出撃。陽明・鷹司御所焼亡。誓願寺焼亡。(『皇年代略記』「山崎文書」『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(8月20日)六角・山名軍、万寿寺・六角道場に陣。(『経覚私要記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月22日)山名軍、下京の町々に放火。 (『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月23日)大内政弘、入京し東寺に陣、船岡山に移る。(『東寺長者補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄足利義視、伊勢国司・北畠教具のもとへ走る。(『応仁略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月27日)京極持清第自焼。(『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月29日)三宝院など焼亡。(『東大寺法花堂要録』『日本災変通志』) ▣(9月1日)畠山義就・大内連合軍、東軍を醍醐に攻め三宝院焼亡。(三宝院の戦い)(『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月1日-10月2日)「東岩倉の戦い」 ▣(9月13日)西軍、室町第・勝元第を包囲攻撃、畠山義就、禁中占拠。⋄伏見宮・公卿将士第宅など多く焼亡。(『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
⋄三宝院・浄花院攻め落つ。 (『京都事典』『日本災変通志』) ▣(9月18日/10日頃)西軍、岩倉で敗れる。⋄南禅寺焼亡。(『暦仁以来年代記』『東大寺法花堂要録』『武家年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
 ▣(9月)乱で、関白・一条兼良の一条室町邸宅・相伝の書庫「桃花坊文庫」焼失。 ▣(10月3日)乱で、両軍が相国寺で戦い、相国寺・南禅寺焼亡。(『応仁記』『東大寺法花堂要録』『二条寺主家記抜萃』『宗賢卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月20日)和泉淡路守護軍兵、丹波より入京。(『宗賢卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月16日)勧修寺経茂、乱逃れ奈良に着く。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月27日(12月1日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月7日)東軍、船岡山攻め焼く。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月11日)延暦寺衆徒、日吉神輿を奉じ入洛 。(『大乗院寺社雑事記』) ▣(12月19日)乱で、建仁寺塔頭・八坂塔・祇園社大門など焼亡。 (『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣この年、禅僧の瑞溪周鳳、一休宗純、万里集九ら、兵乱避け地方に赴く。(『一休和尚年譜』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1468年(応仁2年) ▣(1月1日)東軍・細川勝元の兵、西陣攻める。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月10日)三宝院円存、門主・義賢を殺し西兵を手引しようとし、事顕れ自殺。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月15日)東軍・足軽大将・骨皮道賢、徒党を稲荷山に集め西軍糧道絶つ。七条放火。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月21日/18日)西軍諸将、骨皮道賢を稲荷山に攻め殺す。稲荷社文殊堂など焼亡。畠山義就により山木など悉く切取られる。(『大乗院日記目録』『碧山日録』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(4月14日)東西両軍、相次ぎ高櫓構える。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月12日)山門使節・金輪院、東軍に属し一乗寺に出陣。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月4日)西軍放火により、吉田社・新長谷寺・浄蓮華院など焼亡。(『大乗院日記目録』『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(7月11日)幕府、祇園社人に出陣命じる。(『祇園社記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月21日)山科郷民、西軍糧道絶つ。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)西軍放火により、青蓮院・若王子・法勝寺・聖護院など焼亡。 (『大乗院日記目録』『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(8月7日)西軍、清水寺に陣張り山科攻撃。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月13日)東軍、御厨子某を深草・法性寺・伏見諸郷に攻める。光明峯寺焼亡、一条家記録焼失。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月14日)蜂殿(一条兼良宅?)焼亡。関白家記録30余焼失。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(8月26日)泉涌寺焼亡。座主の坊焼失。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(8月27日)上御霊神社焼亡。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(9月3日)東軍、船岡山城攻略。(船岡山合戦)(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月6日)天龍寺焼亡。放火による。(『応仁記』『暦仁以来年代記』『日本災変通志』)  ▣(9月7日)船岡山合戦により天龍寺・臨川寺・宝憧寺など焼亡。船岡の城焼亡。 (『見聞雑記』『山科家礼記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月11日)足利義視、入京し北岩倉入江殿に入る。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月)彗星出現。(『大乗院日記目録』『日本史総合年表』) ▣(10月8日)西軍、鳥羽撃破。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月9日)西軍、松尾山田攻める。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月10日)西軍、西岡一帯攻略。西岡衆、西軍を鶏冠井城に包囲。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏10月13日)西軍、鹿谷杉坊・岩坊を焼く。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ11月29日(閏10月15日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(閏10月17日)西軍、山科花山攻撃。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月1日)西軍、法勝寺五大堂破却。(『碧山日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月13日)足利義視、比叡山に逃げる。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月23日)足利義視、西陣・斯波義廉の館に入る。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、一条教房以下、多くの公家・僧侶ら、乱からの避難のため下国。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1469年(応仁3年/文明元年) ▣(3月16日)東軍、西軍・芝薬師堂を陥れる。東将・野田泰忠、西七条に進撃し一色軍を御所之内で破る。(「山内首藤文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月20日)西軍・山城守護代・遊佐盛貞、東寺に命じ久世植松荘に塹壕掘らせる。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ5月19日(4月8日)京都大風。東陣・高櫓、大風で壊れる。(『見聞雑記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月19日)西岡衆、西軍を鶏冠井城に攻める。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月22日)西軍、東方松尾の陣を陥落れ、西芳寺・峰堂・西福寺など焼亡。(西岡の戦い)、乙訓郡(『見聞雑記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月25日)西軍・守護・畠山義就、東寺に西岡の竹林伐らせる。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月28日)第103代・後土御門天皇の時、兵革(戦乱)により文明に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(5月25日)東将・前所司代・多賀高忠、如意嶽に陣する。幕府、武田信賢に命じ、北白川に築城させる。(『応仁別記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(6月26日)款冬(やまぶき)町の井戸(八条櫛󠄁笥)修理をめぐり金阿弥と町人対立。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(7月10日)東軍により清水寺・珍皇寺・建仁寺など焼亡。(『如是院年代記』『二条寺主家記抜萃』『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(8月22日)延暦寺楞厳院衆徒、法華宗徒追放しようとする。(「京都大学所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)醍醐寺領郷民、半済と称し蜂起。同寺衆徒戦う。(「三宝院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1470年(文明2年) ▣(1月16日)兵火により金蔵寺焼亡。(『続史愚記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月5日)新日吉社焼亡。(『醍醐雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月26日)乞食、珍皇寺焼く。(『東寺私用集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月26日)畠山義就、鳥羽出陣。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月30日)高山寺焼亡。 (『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月4日)淀で合戦。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月10日)多賀高忠、再び如意嶽に出陣。四条道場焼亡。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月13日)西陣不和、畠山義就の兵、八幡に退く。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月14日)賀茂社・祇園社焼亡。 (『醍醐雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月29日)西軍、山科郷に放火。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月)祇園社人、金像神体砕き売却。西軍、犯人を淀川に流す。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月19日)大内政広、東軍を勧修寺に攻め焼亡。(『萩藩閥閲録』『東寺私用集』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(7月20日)醍醐寺兵火に遭う。三宝院焼亡。(『萩藩閥閲録』『東寺私用集』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(8月2日)鞍馬寺の勝善坊焼亡。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月12日)賀茂社氏人、社務と争い、この日、社務更迭。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月3日/4日)京都各所で落雷、相国寺七重塔1基、落雷で焼失。(『親長卿記』『応仁記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣この年、醍醐寺、大内氏により焼失、五重塔のみ残る。(『醍醐寺記』『日本災変通志』) 
■1471年(文明3年) ▣(2月28日)野田泰忠、西軍と吉峰寺麓で戦う。(「別本前田家所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月21日)美濃・斎藤妙椿、東軍・多賀高忠らを如意嶽で破る。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)鴨社祠官氏人ら、神事欠怠により神人と相論。(『賀茂社諸国神戸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月14日)土冠、西軍・斯波義廉の営攻める。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月27日(7月10日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣(7月21日)京都疾疫流行。疱瘡流行。諸社寺に祈攘させる。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(7月-閏8月)京都・奈良で疱瘡流行。(7月)第103代・後土御門天皇が「赤疹」罹患、(8月)足利義政の子・義尚6歳、義政・日野富子も罹患。 ▣ユ8月22日(8月7日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月26日)西軍、小倉宮王子を迎立、北野松梅院に入らせる。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月28日)西軍守護・畠山義就、山城諸寺に寺領指差出命じる。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏8月7日)京都疾疫流行。御霊社に「送赤疹(おくりはしか)」赤痢・疱瘡など疫病送りのため、風流・囃物・作山が京中大路を練り歩く。
(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1472年(文明4年) ▣(2月19日)西軍、東陣の南口侵す。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ3月-8月(2月-6月)諸国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月24日(7月20日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(7月21日)鴨社禰宜祐国、盗人と称され殺害される。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)「山崎天王山合戦」。夜、畠山右衛門佐、天王山城に山名弾正を攻める。(『応仁記』『日本災変通志』) ▣(9月1日)幕府奉公衆二番方、松ヶ崎民と争闘。死傷者あり。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月30日)賀茂社社務勝久、境内で徳政行う。幕府、勝久を罷免。(「大山崎離宮八幡宮文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月17日)金光寺焼亡。(「金光寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、京都水災。(『京都気象災害年表』)
■1473年(文明5年) ▣(2月3日)盗人、東寺鎮守八幡の宝殿に侵入。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月15日)朝廷、延暦寺に命じ斎藤妙椿の入京阻止。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月7日)洛中八条衆、七条襲撃。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月13日)東西両軍、和を講じる。畠山義就、承知せず。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)疫病流行。(『東院年中行事記抜書』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月8日)賀茂郷民、幕府設置諸関の撤去請う。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月23日)畠山義就、淀に出兵。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月17日)足利義尚、征夷大将軍になる。。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1474年(文明6年) ▣(3月29日)西軍・山城守護・畠山義就、風呂銭を東寺坊舎に課す。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月3日)山名政豊、細川政元との間に和議(停戦協定)成り応仁・文明の乱止む。畠山義就らは参加せず。両雄相争い京中民家・寺社悉く灰燼になり、人民飢寒に苦しめり。勝負決せず、徒党洛中に対陣、朝廷衰える。(『応仁記』『日本王代一覧』『東寺執行日記』『親長卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(4月15日)一色義直、船岡山の営徹す。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月23日)山名政豊の部兵、畠山義就の部兵と室町で戦う。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)西軍足軽、上京中御門方で、同じ西軍・大内政弘の兵と合戦。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月1日)東軍放火。二条大宮・猪熊・堀川など焼亡。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月7日)大内政弘、六角油小路に陣し、畠山義就、二条・三条扼える。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月13日)東軍放火。下京土岐第・妙行寺・法華堂など焼亡。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月18日)大和国人古市・越智ら、大内政弘の募に応じ入京。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月26日)西軍、北野千本の民家焼く。山名政豊、反撃し大内政弘・畠山義就らと北野で戦い破る。広隆寺焼亡。(『親長卿記』『日本史総合年表』)  ▣(7月30日)西軍、東陣に放火攻撃。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月1日)西軍、梅津に出兵、陽寧院・当陽院など焼亡。田中構焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月7日)西軍、東陣攻める。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月13日)群盗横行。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月18日)西軍、梅津に出兵、梅宮社焼亡。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月20日)西軍、東陣攻める。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月25日)西方、斎藤妙椿、入京。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月4日)西陣焼亡。 (『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月9日)西軍、東陣攻め射戦。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月12日)幕府、山城守護代に東西市町の違乱停止させる。(「宝鏡寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月26日)畠山義就の部下と大内政弘部下、地子銭めぐり合戦。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月20日)幕府、観世八郎・侍女数人を禁固。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣1474年(文明6年)/1474年末-1475年初頭、冬 京都で地震/大地震? (『日本災異史』『日本被害地震総覧』)
■1475年(文明7年) ▣(2月8日)京都大火。夜、西陣焼亡。地震。(『如是院年代記』『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ3月26日(2月19日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(2月20日)京都大火、安楽院火災、紫野西大路に及ぶ。延焼数100間。(『親長卿記』『長興記』『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ4月25日(3月20日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月3日(3月28日)京都辻風・雷雹。(『京都気象災害年表』)  ▣(5月14日)「木津天神川原合戦」。南山城で、大内政弘の軍と大和筒井の軍が合戦。(『二条寺主家記抜萃』『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ6月30日(5月27日)近畿大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月30日)西軍、賀茂神楽銭掠奪。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月6日(8月6日)近畿大風雨・大水。夜、内侍所破損。(『大乗院日記目録』『親長卿記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月9日)近畿諸国、京都大風雨洪水。(『大乗院寺社雑事記』『日本の自然災害』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(8月)加茂社兵火。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣(9月2日)吉田・賀茂両社の氏人相論。幕府、兵出し賀茂氏人在所に放火掠奪。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月28日(12月1日)京都和暖。(『京都気象災害年表』) ▣この年、洪水・暴風雨・風火水などの災害頻発。(『実隆公記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』)  
■1476年(文明8年) ▣(1月4日)西陣焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ2月13日(1月18日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(3月23日)細川元有の部下と畠山政長の部下合戦。(『雅久宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ3月26日(3月)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(4月25日)東軍、西陣攻撃。(『雅久宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月19日)賀茂社氏人ら、徒党を組み社司6人殺害逃亡。(『長與宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月6日)西倉口焼亡。大徳寺延焼。(『長與宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月8日)西軍の兵、安禅寺宮・大聖寺宮らを鴨川原で襲う。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月23日)賀茂社司、氏人襲撃、数十人殺害。氏人敗走、社殿に放火。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月11日)西軍、五条猪熊焼く。(『雅久宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月13日)京都火災。夜、子刻、酒店土倉より出火、将軍・足利義政の室町第(邸)(天皇仮御所)焼亡。公武の陣屋焼失。歴代典籍・宝貨・御物など灰燼。(14日)暁鎮火。前年/翌年(6月29日)焼亡とも。(『皇年代略記』『親長卿記』『如是院年代記』『紹運録』『実隆公記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1477年(文明9年) ▣ユ1月30日(1月16日)京都辻風・大風。禁裏破損。(『山科家礼記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(1月18日)赤松・武田軍兵、闘争。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月29日)勝定院(北小路)焼亡。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ3月13日(閏1月28日)京都黒雲。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月16日(5月6日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月15日)山城守護・山名政豊、西院郷民の対捍(抵抗)責め家屋放火。(『兼顕卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月5日)西陣焼亡。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月22日)畠山義就、河内に下国、応仁・文明の乱収束。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月10日)二条殿・仙洞焼亡。各、足軽の放火による。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(11月11日)大内政弘、西国に下向、畠山義統・土岐成頼らの陣屋焼き各国に没落。足利義視、美濃に没落。仙洞御所・二条第など焼亡。以後、洛中荒野と化す。(『皇年代略記』『親長卿記』『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) 
■1478年(文明10年) ▣(7月8日)幕府、七口の関を撤し、復興。(『大乗院日記目録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月11日)諸国武士・土豪、幕領押妨。前将軍・足利義政、山城諸荘園所領5分1を徴し、愁訴続出中止。(『大乗院日記目録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月7日)山城土一揆。山城国人、京都七口の新関停廃を求め進路塞ぎ幕府に訴える。 (『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本史総合年表』) ▣(12月13日)幕府、東寺新関撤廃。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月25日)京都火災。御霊社・近衛政家ら延臣第焼亡。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1479年(文明12年) ▣(5月19日)所司代・浦上則宗、京都南方の諸関撤去。(『晴富宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月23日)酒屋小原某、妻敵により赤松政則の部下・甘草某を討つ。所司代・則宗、小原を討とうとして京都騒擾。(『晴富宿禰記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月29日)皇居焼亡。夜。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(7月1日/2日)北小路行宮焼亡。以後、洛中で度々焼亡。(『大乗院日記目録』「京都御所東山御文庫記録」『廿一口方評定引符』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(7月2日)柳原仮内裏焼亡。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣(8月12日)盗人放火により、慈田院仏殿焼亡。(『長興宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月29日)相国寺方丈焼亡。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月24日)東福寺塔焼亡。(『大乗院日記目録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1480年(文明13年) ▣(1月18日)宇治橋5間、三室戸より焼け落ちる。通路なく槇島に通る。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣ユ3月22日(2月11日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(2月12日)幕府、洛中に再び関設ける。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月1日)京都大火。夜。室町東、柳原南の数百家焼失。室町第・広寿院など焼亡。(『大乗院日記目録』『宣胤卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月4日)京都火災。再び焼亡。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣ユ6月4日(4月26日)京都颷風(つむじ風)。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月30日(8月26日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月11日/中旬)京都で徳政一揆蜂起、土一揆。連日酒屋・土倉を襲い返し、京中騒乱。幕府、内裏修理のため、七口に関設けたことによる。(『宣胤卿記』『皇年代略記』『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(9月)山科土一揆・西岡土一揆、呼応し蜂起。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)京都で徳政一揆蜂起、内裏修理料の七口新関を破却。(『宣胤卿記』『日本史総合年表』) ▣(12月2日)幕府、分一徳政令出す。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月11日(12月11日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1481年(文明14年) ▣(5月16日)伏見郷民、闘争。朝廷、足利義政に鎮めさせる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)深草・木幡住民争論。竹供御人の利権めぐる。(『山科家礼記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月10日)幕府、徳政令の条々定める。(「室町幕府追加法」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月23日)京都火災。六角町焼亡。(『親元日記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1482年(文明15年) ▣(2月28日)土蔵(正親町西洞院)焼亡。(『長興宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月8日)細川政元、畠山義就討伐のため、山崎宝寺に陣進める。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月9日)細川政之の被官・友成某ら、野馬抄掠。所司代・浦上則宗の手兵、制止し互いに死傷者あり。(『長興宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月15日)嵯峨郷民、争闘し天龍寺僧を殺傷。(『長興宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏7月13日)幕府、東寺領民の徳政与同禁じる。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月2日(閏7月19日)近畿・京都大風雨。土御門内裏の四足門顛倒。(『御湯殿上日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
 ▣ユ9月11日(閏7月28日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) 
■1483年(文明15年) ▣(2月23日)西陣焼亡。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月22日(5月17日)京都霖雨水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ12月11日(11月12日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1484年(文明16年) ▣ユ1月28日(1月1日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ3月5日(2月8日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月2日)盗人、土倉(上京一条烏丸)を襲撃・放火、1町・日野資綱第焼亡。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月4日)洛中盗賊横行。狂人、禁裏犯す。朝廷、幕府に命じ皇居東方に溝梁掘らせる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月30日)酒屋(一条町)焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月3日)土一揆蜂起。細川政元、鎮圧。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1485年(文明17年) ▣ユ1月25日(1月9日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(5月2日)所司代・多賀高忠、七口に新関設ける。細川政元、破却。(『廿一口方評定引符』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月4日)この頃、京都疾疫流行。悪疫流行。(『宣秀卿御教書案』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月17日)万里小路声聞師村焼亡。 (『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月23日)幕府奉公衆、奉公人と座次を争い闘争。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)町衆、土一揆に備え町警固。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月中旬)京都で徳政一揆。土民蜂起し、京中質物奪い返す。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣ユ12月28日(11月22日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月11日)「山城の国一揆」 応仁・文明の乱後、農民は国人と協力し、畠山義就・政長両軍の撤退を求め両軍入国禁止などを求める。。1493年(8月)まで続く。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1486(文明18年) ▣ユ3月3日(1月27日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(2月13日)南山城住民、宇治平等院に会し国中の掟定める。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ5月4日(4月1日)京都颷風(つむじ風)。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月7日(5月6日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月1日(8月4日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月24日)京都徳政一揆蜂起。東寺に籠り放火、金堂など堂舎焼亡。細川政元ら鎮圧出撃。(『長興宿禰記』『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣ユ9月29日(9月2日)京都大風雨。禁裏北門・番衆所など破損。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月13日)京都土民徳政一揆により、東寺焼亡。自火により自滅。(『皇年代略記』『如是院年代記』『日本災変通志』)  ▣(10月2日)京都火災。丹波守護代・上原賢家、安富元家と京都紙座の争いにより、三条姉小路16町焼亡。(『長興宿禰記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ12月29日(12月4日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1487年(文明19年/長亨元年) ▣ユ3月29日(3月5日)近畿霖雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(3月11日)中山宣親第焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月20日)近畿大雨。鴨川で溺死者。(『蔭涼軒』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ5月8日(4月15日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月3日)この頃、京都疫病流行。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)盗賊横行、聖護院焼亡。安国寺侵す。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ7月17日(6月27日)近畿諸国・京都大雨(暴風雨)・洪水。(『御湯殿上日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)幕府、七口に禁裏料所の新関設ける。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日)第103代・後土御門天皇の時、火災により長亨に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣ユ8月16日(7月27日)京都大雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月12日)足利義尚、六角征伐のため京都を発し、近江坂本に陣す。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月13日(11月28日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月1日)乙訓郡国一揆。鶏冠井で寄合。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月11日)京都大火。9町600余軒焼亡。盗賊横行。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1488年(長亨2年) ▣ユ2月25日(1月13日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月15日(4月4日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(4月15日)松尾祭復活し、神人争闘、途に神輿遺棄。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日)京都疾疫流行。悪疫流行。人畜死者数知れずという。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月2日)京都土一揆蜂起。下京焼亡、細川政元、鎮圧。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(10月3日)建仁寺の清住院焼亡。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月21日(11月19日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月)長谷地下人、聖護院と争う。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月6日)幕府、西京散所民に壬生官庫の掘の掘鑿急がせる。(『北野社家引付』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月27日(12月26日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1489(長亨3年/延徳元年) ▣(3月2日)天龍寺僧衆蜂起。住持追放。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月6日)幕府、久多荘民の葛川領違乱を停止。(「明王院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月22日)北野天神社焼亡。土一揆、閉籠り自火・自滅による。翌年(3月21日)とも。(『皇年代略記』『如是院年代記』『日本災変通志』)
 ▣(5月5日)相国寺大衆蜂起。鹿苑院主・惟明瑞智を追放。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月8日)京都大火。上京西大路南、室町西、北小路北、2000戸焼失。(『宣胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月22日)伊勢山田神人、宇治襲撃。(『大乗院寺社雑事記』『日本史総合年表』) ▣(8月20日/21日)第103代・後土御門天皇の時、天変・疾病流行により延徳に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(9月18日)北野社、境内での舞勧禁制を幕府に請う。(『北野社家引付』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月29日)相国寺大衆蜂起。住持・一宗景般追放。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣「丹波の国一揆」
■1490年(延徳2年) ▣(2月13日)大館治部大輔の若党・中間、三条殿被官人により通玄寺付近で殺害される。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月21日)京都土一揆。徳政を求め北野社に閉籠。幕府鎮圧し自焼焚死。堂宇焼亡、六条道場延焼。(『北野神社引付』『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(4月27日)足利義視、日野富子の小河第破却。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月17日)金蓮寺焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月5日)足利義稙、征夷大将軍になる。。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月6日(8月22日)京都風水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月9日(8月25日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(閏8月14日)京都土一揆蜂起。細川政元被官を大将とし、徳政を求める。(『蔭涼軒日録』『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣ユ11月8日(9月26日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月4日(11月24日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ⋄彗星出現。(『親長卿記』『日本史総合年表』) ▣(11月)太秦安楽院焼亡。(『蔭涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1491年(延徳3年) ▣ユ7月19日(6月13日)京都雷風・龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月16日(12月17日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1492年(延徳4年/明応元年) ▣ユ6月23日(5月29日)近畿・東海大雨洪水。(『親長卿記』『京都気象災害年表』『日本史総合年表』) ▣(5月)京都疾疫流行。疾病流行。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月19日)第103代・後土御門天皇の時、病疫流行により明応に災異改元。(『皇年代略記』『立川寺年代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣ユ9月8日(8月17日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(11月8日)山城上郡国人、新関3カ所設ける。この日、細川政元、撤去。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月12日)盗賊、幕府一条第に侵入。番衆、賊魁斬る。(『涼軒日録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1493年(明応2年) ▣ユ4月11日(3月25日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月23日)細川政元、畠山尚順・葉室教忠第・三宝院・通玄寺・慈受院を焼掠。慈照院主・周嘉殺害。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月2日)細川政元、前将軍・足利義材(義稙)を龍安寺に幽閉。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月12日)浦上則宗、奉公衆・上野某と営を争う。妙満寺に放火。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ8月12日(7月1日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月3日)幕府、山城各郡に下知し、山城守護・伊勢貞陸の命に従わせる。(山城国一揆の崩壊)。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(8月22日)下京土一揆蜂起。民屋に放火。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)嵯峨土一揆、禁裏襲撃との訛説あり。(『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)古市澄胤軍、南山城の稲屋妻城攻め落とす。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月15日)近江で徳政一揆蜂起。日吉社に籠り放火。(『親長卿記』『日本史総合年表』)
■1494年(明応3年) ▣ユ2月13日(1月8日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(5月7日)京都・大和で大地震。(『大乗院寺社雑事記』『如是院年代記』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月3日)盗賊、中御門宣胤第侵入、宣胤負傷。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月6日)京都大火。未刻、四条室町より失火し、北は四条坊門、南は五条坊門、西は堀川まで54町焼亡。(『厳助大僧正記(厳助往年記)』『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ8月23日(7月23日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣(7月28日)盗賊、山科言国第に乱入、子・定言を殺害。(『言国卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)諸所に放火する者、蘆山寺焼く。幕府捕える。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月23日)徳政一揆の動きあり。幕府、東寺に張本捕えさせる。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月27日)足利義澄、征夷大将軍になる。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1495年(明応4年) ▣(7月4日)京都火災。一条武者小路焼亡。延臣第宅多く延焼。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)幕府、山科家と三宝院の小野荘下地相論裁許。(「理性院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月27日)山城洪水。宇治川堤7カ所決壊。 (『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月)西園寺実遠と三条西実隆、淀の魚市争う。各々幕府に訴える。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月3日)幕府、実相院と南禅寺末・福田庵の敷地相論裁許。(「実相院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月13日)京都土一揆蜂起。朝廷、幕府に禁門外の池隍(いけほり)掘らせる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月20日)京都で徳政土一揆蜂起。土倉衆と戦う。(『大乗院寺社雑事記』『日本史総合年表』) ▣(10月22日)京都徳政一揆。倉方の徒ら、室町高辻で蜂起し100余人斬る。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1496年(明応5年) ▣(1月7日)九条政基父子、家僕・唐橋在数を殺害。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月5日/5月-)洛中で印地打流行。多くの死傷者。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(6月16日)賀茂民、武田元信の部下と田境争いし出雲路で殺す。元信、その地を放火。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
 ▣(6月24日)幕府、妙覚寺・妙蓮寺の宗論和解させる。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月25日)幕府、勧修寺と三宝院の寺域相論裁許。(「勧修寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)東寺雑掌、神泉苑の水を私に使い、長福寺僧・永尊を幕府に訴える。(「燈心草庵所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月23日(8月17日)近畿大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月1日)山城宇治で土一揆蜂起。(『後法興院政家記』『日本史総合年表』) ▣この年、京都旱魃。(『京都気象災害年表』)
■1497年(明応6年) ▣ユ2月23日(1月21日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(2月2日)盗賊、禁中に入る。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月7日)今宮祭で、駕籠丁、路人と争闘。神輿を路に遺棄。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月6日)盗賊、菩提院権僧正・益遍を殺害。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月27日)土一揆蜂起。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)古市澄胤、大和・白毫寺で敗れ山城・笠置寺で没落。(『大乗院日記目録』『日本史総合年表』) ▣(11月18日)幕府、愛宕郡大原関吏に、朽木族人の通行妨害を止めさせる。(「朽木文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月15日)山城守護代・香西元長、醍醐坊舎破壊。(『厳助往年記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1498年(明応7年) ▣(1月29日)景愛寺焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ4月-7月(4月-6月)京都霖雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(5月19日)洛中児女、巡礼に扮装し仏寺参詣し、鬼厄を避ける。 (『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月30日・グ7月9日(6月11日)京都・奈良地震。不明。(「 地震インフォ」) ▣ユ8月1日(7月14日)京都大雨(暴雨)洪水。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日/6日)京勢細川正元を攻め、延暦寺根本中堂など9カ所を焼く。(『暦仁以来年代記』『妙法寺記』『日本災変通志』) ▣(8月18日)御霊祭再興される。 (『親長卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ9月11日・グ9月20日(8月25日)「山城大地震」「明応地震」М8.2-8.4/8.3、京都市震度5弱。震央は南海トラフの東側?。京都大地震。?神社倒壊、方広寺大仏殿破損。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』「 地震インフォ」) ▣(12月4日)葛西元長、山科で放鷹し郷人捕縛。郷民蜂起し元長拘す。細川政元、安富元家らに元長を救出させる。元長、七郷に放火。(『言国卿記』『京都の歴史10
年表・事典』 
■1499年(明応8年) ▣(3月22日)相国寺大衆、禁裏裏池の疏水塞ぐ。朝廷、鹿苑院に命じ堰堤撤去させる。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)二条尚基の分家5人、桂川で入水。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月22日)京都大雨洪水。(『実隆公記』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(7月11日)前将軍・足利義材(義尹)入京の流言あり、洛中騒擾・財宝隠匿者多い。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月20日/6日)延暦寺僧徒、足利義尹のため山門に閉籠る。京勢・細川政元攻め、延暦寺根本中堂・講堂・常行堂など9カ所焼く。(『暦仁以来年代記』『如是院年代記』『皇年代略記』『立川寺年代記』『妙法寺記』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
▣(9月6日)土一揆、如意嶽に集まり、安富元家、撃退。⋄細川政元、鴨河原に関設け、米塩輸出禁じ次いで撤去。(『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月5日)安富元家、土一揆鎮圧失敗。赤沢朝経、帰郷し平定。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月10日)細川政元、禁裏に濠(鷹司-堀川)掘らせる。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月10日)今井弾正、太秦民と闘い殺害される。(『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1500年(明応9年) ▣(5月6日)賊、検非違使・二階堂尚行殺害。(『翰林葫蘆集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)祇園会復興。この日、祇園迎。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)京都大火。「明応の大火」「上京大火事」。上京第焼亡、柳原より出火、南は土御門、烏丸より小河まで延臣第ほか、2万余戸/1万5000/1万50軒軒焼失。(『拾芥記』『暦仁以来年代記』『妙法寺記』『厳助大僧正記』『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ9月1日(8月8日)京都颷風(つむじ風)。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月25日(9月2日)近畿・京都大風。邸宅・民屋など多く破損。(『後法興院政家記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月)幕府、大風による洛中酒屋の被災者・開業者に税銭免除。(「管領幷政所壁書」『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(10月25日)第104代・後柏原天皇践祚。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月29日)幕府、安祥寺と勧修寺の寺田相論裁決。(「勧修寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1501年(明応10年/文亀元年) ▣ユ1月31日(1月13日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月8日(4月21日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月)京都疾病流行。(『大乗院寺社雑事記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ5月19日(5月3日)京都落雷。四恩院に落ちる(『京都気象災害年表』) ▣(5月24日)細川政元、日蓮・本圀寺と浄土宗・妙講寺の僧を招し宗論させる。(『後法興院政家記』) ▣ユ6月28日(6月13日)京都雷雨・雹。(『京都気象災害年表』)  ▣ユ7月28日(閏6月14日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣この年、諸国旱魃。(『京都気象災害年表』)
■1502年(文亀2年) ▣(3月5日)膏薬道場・尺道場焼亡。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)京都疾疫流行。麻疹流行。五辻富仲など死亡。薬商某、療病院建てる。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月5日)細川政元、実相院義忠を殺害、院領没収。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月30日(8月29日)近畿・京都風雨洪水。五条橋流失、死者多数。 (『実隆公記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月2日)修理職領灰方郷民、摂津原荘民と境界争う。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1503年(文亀3年) ▣ユ2月27日(2月)丹波洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月)山城洪水。(『京都気象災害年表』) ⋄大堰川洪水。真浄院流失。(『長享年後畿内兵乱記』『京都事典』) ▣(9月)盗賊横行。放火相次ぐ。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月6日)幕府、山科言国と勧修寺との所務相論を裁許。(「勧修寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣冬 近畿酷寒。(『京都気象災害年表』) ▣この年、諸国旱・飢。(『京都気象災害年表』) 
■1504年-1521年(永正年間) ▣京都大火の時、祇園祭の霰(あられ)天神社は急に霰が降り火が消えたことから、天から降ってきた天神像を火除神としてとして祀ったという。 
■1504年(文亀4年/永正元年) ▣ユ1月21日(1月4日)京都大雪。(『宣胤卿記』『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(1月29日)京都大火。正親町烏丸より失火、橘辻󠄀子、禁裏近くまで延焼。 (『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(3月9日)細川政元、赤沢朝経(宗益)の山城槇島城に派兵。朝経没落。(『後法興院政家記』『日本史総合年表』) ▣ユ5月5日(閏3月21日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(閏3月23日)京都火災。一条室町焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月23日)幕府、嵯峨下河端の民に梅津社用溝水野を妨げるのを停止。(「長福寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)京都疾病流行。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月4日-)京都土一揆蜂起。洛中騒動。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(9月4日-20日)「第一次淀古城の戦い」 ▣(9月4日)摂津守護代・薬師寺元一、細川政元を廃し養子・澄元の擁立を図り反乱、淀城に拠る。政元、攻める。(『宣胤卿記』『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(9月6日)西岡諸侍、薬師寺元一に呼応。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月11日)京都で土一揆蜂起。幕府、徳政を行う。(『宣胤卿記』『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(9月19日)細川政元、淀城攻略。城陥落し四宮長能など自殺。薬師寺元一、捕えられ刑死。(『宣胤卿記』『後法興院政家記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(9月20日)細川政元、切腹。(『宣胤卿記』『日本史総合年表』) ▣(9月27日)細川政元、山城所在の寺社本所領奪い、恩賞地に宛行なおうとし、朝廷、諭止。(『後法興院政家記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(10月10日)香西元長、半済と号し、右京職巷所供御地横領、朝廷、停止。(『宣胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月22日)幕府、10分1徳政令発布。(「室町幕府追加法」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月6日(10月30日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、疫病流行し、京都で盗賊出没。(『後法興院政家記』『日本歴史災害事典』)
■1505年(永正2年) ▣(2月1日)本法寺に落雷。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月2日(5月)京都霖雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(5月)京都疾疫流行。(「東文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月29日)盗賊、禁裏御倉に放火、銭40貫を奪う。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月10日(8月13日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月10日)香西元長、山科・一乗寺・高雄などの半済課役(課税)拒否怒り、各郷に放火。細川政元、懲罰のため攻撃。元長、嵯峨城に退く。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ12月20日(11月25日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1506年(永正2年) ▣(9月5日)京都武士、奈良・多武峰を攻め焼亡。(『皇年代略記』『暦仁以来年代記』『日本災変通志』) ▣(9月7日)細川政元の被官・香西元長、叛乱起こす。政元、山科に避難。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月13日)三好之長、香西元長と洛中で争闘。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月7日)大原・来迎院と勝林寺が確執、朝廷、勅し和解させる。(『宣胤卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月8日)蘆山寺焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1507年(永正3年) ▣(4月23日)香西元長、丹波出兵のため賀茂社人に役夫課す。社人応ぜず。元長、弟・僧・宗純を遣わし賀茂郷焼く。(『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(5月8日)盗賊、大聖寺に放火。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(5月9日)幕府、今宮祭に際し印地打を行う。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)夜、細川政元、生害(家臣に殺される)。細川澄之、香西元長・薬師寺長忠らと謀り、父・政元を殺害。洛中騒動。(『厳助大僧正記』『宣胤卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月24日)香西元長の兄弟、細川澄元第を襲撃。澄元・三好之長、近江甲賀に敗走。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月25日)香西元長、三好之長の寓舎・仏陀寺焼く。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月18日)彗星出現。(『宣胤卿記』『日本史総合年表』) ▣(7月26日)洛中騒擾。朝廷、禁中に小屋設け市民を避難させる。 ⋄権門第宅に、多くの婦女・落人寄宿。(『実隆公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月29日)西岡衆、嵐山城包囲。細川政賢・高国ら、細川澄元に応じる。(『興福寺英俊法印日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月1日)細川澄元、入京。細川隆国・政賢・尚春ら、澄元を遊初軒に攻め殺害。薬師寺長忠・香西元長ら戦死。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』)

■1508年(永正5年) ▣(2月23日)石清水八幡宮火事。天火(雷火)による。(『如是院年代記』『暦仁以来年代記』『宣胤卿記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』
『日本史総合年表』) ▣(4月9日)細川高国、挙兵。細川澄元・三好之長、近江に出奔。(『実隆公記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(4月10日)細川高国、摂津・丹波・伊賀兵率い入京、幕府に拠る。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月16日)将軍・足利義澄、近江甲賀に出奔。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月27日)松田頼亮第焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)祇園会、延引。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月8日)足利義尹・大内義興入京。(『和長卿記』『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(12月11日)細川政賢第焼亡。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1509年(永正6年) ▣(2月19日)山城で土一揆蜂起。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(6月17日)「如意ヶ嶽の戦い」 如意ヶ嶽で、細川高国・大内義興、三好之長を破る。(『拾芥抄』『日本史総合年表』)
■1510年(永正7年) ▣(5月26日)京都洪水、五条橋流失。 (『実隆公記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月7日(5月)近畿霖雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月8日)近畿大地震。(『実隆公記』『日本史総合年表』)
■1511年(永正8年) ▣(7月18日)細川澄元と細川高国の合戦に際し、上京衆、京中打ちまわる。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月24日/8月24日)「船岡山合戦」「永正の船岡山の戦い」細川澄元・政賢らと将軍・足利義尹(義稙)・大内義興・細川高国らが船岡山で合戦。政賢ら諸牢人3000余人/数千人は船岡山・北野辺で討死。(『暦仁以来年代記』『本州編稔略』『皇年代略記』『尚通公記』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(8月15日)西岡衆、山崎に細川高国を攻める。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月16日)足利義尹、細川高国・大内義興ら丹波に逃れ、細川政賢ら澄元勢、入京。(『尚通公記』『日本史総合年表』) ▣ユ9月11日(8月19日)近畿大風雨。日華門廊・小御所・年中行事障子など破損。(『拾芥抄』『実隆公記』『後法成寺尚通公記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月24日)船岡山合戦。細川高国・義興連合軍、細川澄元・政賢軍破る。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月20日)山城で徳政一揆蜂起。山科民屋に放火。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(9月27日)幕府、洛中洛外に分一徳政令公布。(「東京教育大所蔵文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1512年(永正9年) ▣(1月16日)伊勢貞陸第(五辻北、室町西)焼亡。(『後柏原院御紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
▣(6月)飢饉により飢餓者多い。(『暦仁以来年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣梅毒、倭寇により中国(江東)から京都に入り全国拡大。
■1513年(永正10年) ▣ユ6月4日(5月1日)京都大霰。(『京都気象災害年表』) ▣(5月3日)足利義尹、近江より還る。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月16日)幕府、賀茂社氏人が賀茂口に新関設け、商売物抑留し社領違乱を制止。(「賀茂別雷神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月17日(11月20日)京都降灰。(『京都気象災害年表』) ▣(12月19日)幕府、練貫座と大舎人座衆の争論裁く。(『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1514年(永正11年) ▣(2月17日)興福寺、山徒の清水寺法華堂供養導師であることを阻止。(『公条公記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ5月7日(4月13日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣夏-秋 近畿旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(8月6日)幕府、醍醐寺領民が勧修寺境内を違乱するのを停止。(「勧修寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ11月5日(10月19日)京都降灰。(『京都気象災害年表』) ▣ユ12月16日(12月)京都暖冬。(『京都気象災害年表』)
■1515年(永正12年) ▣(5月2日)小野山供御人ら、幕府に当山より三条新第造営用木材伐採の停止訴える。(『守光公記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(8月6日)禁裏小野郷枝関田尻役所、丹波山国供御人の往還阻止。朝廷、主殿寮にその違乱を止めさせる。(『守光公記』『京都の歴史10 年表・事典』)

■1516年(永正13年) ▣ユ5月12日(4月11日)京都大雹。霰(あられ、梅子大)が降り、四条五条川原の水鳥当って死す。(『厳助大僧正記』『皇年代略記』『京都気象災害年表』) ▣(6月25日)等持院領朱雀と東寺領八条用水争論。畠山被官提案某、八条住民援け乱暴。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月4日(7月6日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月31日(8月4日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月9日(8月13日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1517年(永正14年) ▣ユ5月21日(5月)諸国洪水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月1日(6月13日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月16日)幕府、賀茂社隣郷が三条第庭園用水を妨げるのを停止。(「賀茂別雷神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)四府駕籠丁ら、召次菊千代と黒田材木商役争う。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月31日(7月13日)京都風雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月16日)細川高国、大宮郷と賀茂社の用水相論を裁許。(「賀茂別雷神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月28日)知恩院焼亡。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣翌年ユ1月2日(11月21日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月22日)朝廷、長坂口兵士米の違乱止め、細川郷民に警固させる。(『守光公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月24日)幕府、革嶋某が太秦桂宮院の貢祖を掠めるのを停止。(「広隆寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月26日(12月15日)京都・諸国大雪。(『京都気象災害年表』)
■1518年(永正15年) ▣(3月11日)「叡山大合戦」 山上衆2人、山下人3人死亡、負傷者十数人。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(10月3日)朝廷、小野郷下村供御人が上村供御人に関役課すのを停止、枝関停廃。(『主殿寮領雑々』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月29日)幕府、坊城俊名の城興寺敷地違乱停止。(『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1519年(永正16年) ▣ユ3月25日(2月25日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣春-夏 大飢饉死者多し。悲田院で施行逐日あり、助かる者あり。(『暦仁以来年代記』『日本災変通志』) ▣(8月4日)幕府、薬座小物売と数珠珊座の争論裁許。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月29日)図書寮官人上座、下座の違乱停止訴える。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月25日(8月)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月24日(9月1日)京都大風雨・洪水。卯時-亥刻、上醍醐の杉・松・檜の顛倒数百本。(『厳助大僧正記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) 
■1520年(永正17年) ▣(1月12日)京都土一揆。蘆山寺・足利義稙第を焼く。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(2月6日)将軍・足利義稙、近江・京極高清に京都を守護させる。(「室町家御内書案」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月12日)幕府、徳政発布。(「室町家御内書案」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(2月17日)細川高国ら8000の兵、敗走入洛。翌日(18日)、近江に出奔。(『永正十七年記』『後法成寺尚通公記』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ3月25日(3月7日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ⋄ 紀伊・京都大雨風地震 M7.0-7.7/7.8 「禁中築地ところどころ破損す」、小被害。(『二水記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本被害地震総覧』『日本の自然災害』)  ▣(3月27日)三好之長、上京。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月3日)細川高国の兵、如意嶽越で入京。先鋒は北白川に至り、丹波・内藤国貞、七野に出陣。三好之長と対陣。数万の軍勢、諸口より京中に討ち入るとも。(『永正十七年記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(5月5日)「等持寺の戦い」細川高国、三好之長を破る。(『二水記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(5月11日)細川彦四郎、三好之長を捕え知恩寺(百万遍堂)で切腹させる。その嫡子・長光・長則も自刃。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
▣(5月)東寺境内住人、徳政一揆企て張本人追補。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月29日(6月15日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月27日)幕府、勧修寺領の醍醐・小栗栖・石田・小野などの百姓による年貢半済を停止。(「勧修寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月28日(11月19日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1521年(天正18年/大永元年) ▣(2月18日)東寺、神泉苑の耕作禁止を幕府に請う。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(8月23日)第104代・後柏原天皇の時、兵革(戦乱)・天変により大永に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(10月19日)近畿大地震。(『春日社司祐維記』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣翌年ユ1月17日(12月20日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月25日)足利義晴、征夷大将軍になる。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1522年(大永2年) ▣(1月9日)阿蘇山、(火山噴火により)火石黒煙大いに昇り、日の如くなるもの二つ出づ。京都大混乱。(『肥後国誌』『日本災変通志』)
▣(9月16日)大覚寺、松尾社領の大堰川流域地押妨。松尾社祠官、幕府に訴える。(「京都御所東山御文書記録」『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ11月25日(11月8日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣京都疾疫流行。疫病流行。
■1523年(大永3年) ▣(4月18日)知恩院、百万遍と浄土宗総本山争い、青蓮院尊鎮法親王、知恩院を推し朝廷に請う。許されず、高野山に逐電。(『二水記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ6月26日(5月13日)京都大洪水/洪水。佐保田庄(亀岡)悉く破損、在々所々破了。(『二条寺主家記抜萃』『京都気象災害年表』) ▣ユ11月20日(10月13日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(10月18日)広橋守光、所領洛中巷所での百姓違乱の制止を幕府に訴える。(『賦引付』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1524年(大永4年) ▣(3月19日)四条隆永第、焼亡。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月13日)京都大洪水。四条橋・五条橋流失。(『実隆公記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)延暦寺衆徒、日蓮宗徒舎宅を破却。宗徒任官改易を幕府に請う(『後鑑所収叡山旧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月12日)京都大火。上京柳原民屋数100軒焼亡。火焔、禁裏に及ぶ。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1525年(大永5年) ▣(3月18日)吉田兼満、一族と争い吉田郷に放火、出奔。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月9日)今宮祭で、駕籠丁争闘、神輿破損。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)祇園会中止。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ11月25日(11月11日)京都大風。禁中・民屋など破損。(『二水記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣翌年ユ1月1日(閏11月18日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、痘瘡流行。 (『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1526年(大永6年) ▣(4月29日)第105代・後奈良天皇践祚。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月21日)近日京都で蝗虫害あり、禾黍(いねきび)浸し逐(お)う。夜、囃(はやし)物で虫送り行われる。(『師象記』『災害と生きる中世』)
▣(7月13日)香西元盛、細川尹賢の讒言により殺害される。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月23日)幕府、勧修寺と三宝院の山科野村郷境相論を裁許。(「勧修寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)柳本賢治・波多野孫左衛門稙通、丹波で挙兵、入京。(『宗長日記』『日本災変通志』) ▣ユ12月25日(11月22日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月2日)京都土一揆蜂起。この日、幕府、徳政令発布。(「清和院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1527年(大永7年) ▣(1月5日)細川高国、将軍山に築城。(『厳助往年記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月28日)丹波・柳本賢治の兵、西岡出撃。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月3日)柳本賢治、西岡・野田城陥す。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月5日)波多野軍の柳本賢治ら、山城・山崎城攻略。(『二水記』『日本史総合年表』) ▣(2月12日-13日)「桂川原の戦い」 ▣(2月12日)将軍・足利義晴、室町殿より陣所(本国寺)に移る。細川道永(東寺)、武田(吉祥寺)、勢州方衆(柳寺)、近江衆(本能寺)に居陣、総勢2万余。武田・細川方衆、数百人打死(討死)。将軍没落。(『厳助大僧正記』『二水記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月13日)「桂川の戦」西七条で大合戦。細川高国・柳本賢治らと武田元光・細川高国方衆戦う。元光ら川勝寺に攻められ大敗。数百人打死、将軍没落。(『厳助大僧正記』『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(2月16日)柳本賢治ら入京。(『実隆公記』『日本史総合年表』) ▣(2月25日/24日)相国寺の鹿苑院焼失。放火によるとも。(『二水記』『厳助大僧正記』『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(3月13日)桂川合戦戦没者月忌、遺族戦跡に集い、多くの者、即座に落髪。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月12日)朝廷、小野郷と賀茂郷の境相論を裁許。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月23日(6月25日)京都雷・龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣(7月24日)盗賊横行、禁裏西南に濠掘らせる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)近江家領の者2000余人、声聞村へ押しかける。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月16日)朝廷、細川高国が灰方郷に徴兵するのを停めさせる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月29日)足利義晴の兵、入京。(『二水記』『日本史総合年表』)
▣(10月13日)足利義晴・細川高国・六角定頼・朝倉教景ら入京。若王子に陣張る。(『二水記』『御湯殿上日記』『日本史総合年表』) ▣(10月24日)足利義晴、東寺に移陣。先鋒・朝倉教景、桂川渡り西岡放火。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月-翌年5月)「川勝寺口の戦い」 ▣(11月11日)貴布禰社焼亡。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月17日)三好・波多野・柳本ら京都に切り入る。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(11月18日)柳本の軍、入洛し五条・六条・七条の下京法華堂に布陣。⋄山科言継第近辺の町衆、町囲い作り自衛。(『細川両家記』『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月19日)「京都大合戦」朝倉教景、西院に三好元長と戦い敗北。越前衆、敵首125取る。朝倉方80余人打死。(『厳助大僧正記』『実隆公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(11月26日)三好元長の兵、洛中却掠。町衆、合力し防ぐ。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月23日)北野天満宮松梅院炎上。(『実隆公記』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1528年(大永8年/享禄元年) ▣ユ1月24日(1月3日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(1月15日)三好元長の兵、柳本賢治の兵と室町立売で闘争。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月28日)細川高国、三好元長と和図る。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月18日)細川高国・晴元の和破れ、三好元長党、和泉下向。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月2日)足利義晴、相国寺移陣。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月14日)細川高国・細川尹賢、近江に逃走。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月28日)足利義晴、足利義維との和成らず、坂本へ逃走。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月28日)細川晴元、遍照院に軍勢の狼藉者を注進させる。(「大通寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月-9月(6月-8月)京都旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(7月14日)朝廷、内膳司の梅ヶ畑供御人の諸関免除などの違乱停止させる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月17日)柳本賢治の兵、大覚寺破却。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月20日)享禄に災異改元。(『日本年号史大事典』) ▣ユ11月21日(10月10日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月13日(12月4日)近畿厳寒。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月21日(12月12日)京都雪。(『京都気象災害年表』)
■1529年(享禄2年) ▣(1月11日)柳本新三郎ら、一条家領地子を徴せんとし、室町民家却掠。町衆、一条革堂の鐘乱打し、一条家雑掌とともに防御。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月22日)稲荷社人、東福寺衆徒と争闘。神輿迎停止。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月11日)柳本賢治、藤森社神木伐らんとし、勅裁請う。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月22日)光勝院焼亡。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月)醍醐と小栗栖農民、秼場の件により争闘。(『厳助往年記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1530年(享禄3年) ▣(1月7日/正月)霊山寺(東山霊山)焼亡。(『厳助大僧正記』『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(3月29日)柳本賢治、三条西家領御牧に棟別課し、地下人と争闘。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月5日(6月11日)京都霖雨洪水。賀茂川洪水。 (『御湯殿上日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月30日)柳本賢治、暗殺され、洛中の柳本被官挙家、逐電。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月13日)足利義維、勧修寺領山科での秋岡某の違乱停止。(「勧修寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月26日)細川晴元、賀茂社に細川高国残党の徘徊禁じる。(「鳥居大路文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月4日)細川高国党内・内藤彦七ら、勝軍山城に拠る。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月25日)大覚寺門主・性守、盗賊に傷付けられ死亡。(『実隆公記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月11日)近江六角軍と柳本残党、法性寺で合戦。海蔵院・法性寺八町在家焼亡。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月19日)幕府、徳政令する。(「室町家御内書案」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1531年(享禄4年) ▣(1月5日)川崎観音、兵火により焼亡。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ1月26日(1月8日)京都深雪。(『京都気象災害年表』) ▣(1月11日)木沢長政・柳本賢治ら、細川高国と洛中で戦う。この日、長政ら東山辺焼く。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』)
 ▣(2月8日)経師良全、兄・祐厳に刺殺される。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月10日)柳本賢治残党、細川高国党と禁裏辺で戦う。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月22日)木沢長政、内藤彦七の軍破る。兵火により川崎観音・神護寺・法性寺など焼亡。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
 ▣(3月5日)内藤彦七、木沢長政軍を禁裏辺で破る。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月7日)池田城陥落。木沢・柳本ら京都より逃走。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)京都疾病流行。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄盗賊、曇花院・内侍所などに侵入。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月6日)細川高国残党、東山・勝軍山城を自焼・出奔。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(8月9日)足利義維、鹿王院大先と等河との祠堂銭相論を裁許。(「鹿王院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1532年-1536年(享禄5年/天文元年-天文5年) ▣「天文法華の乱」、「天文法難」、「天文法乱」 多くの日蓮宗寺院が焼討される。
■1532年(享禄5年/天文元年) ▣(1月22日)三好元長、柳本賢治遺子・神二郎を自刃させる。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月27日)清水寺に落雷。(『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)日吉祭延引により、祇園会中止。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)法華門徒、柳本残党の山村正次を指揮者にして蜂起。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月29日)第105代・後奈良天皇の時、兵革(戦乱)により天文に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月7日)法華門徒数千人、洛中打廻る。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月10日)法華一揆、一向宗寺院焼掠。東山郷・山科郷打廻る。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月17日)一向一揆、法華門徒と汁谷口で戦う。(「本満寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄六角定頼・法華教徒、山科本願寺焼く。花山上で戦い、山科一向宗徒120-130人討死。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(8月19日)京都の法華門徒、摂津一向一揆を西岡で迎撃し破る。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月23日-24日)「山科本願寺の戦い」。(『二水記』) ▣(8月24日)細川晴元・六角定頼・法華宗徒ら、山科本願寺の光教攻め寺焼く。光教、石山出奔。(『二水記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(8月26日)衆庶、本願寺焼跡に財宝求め集まる。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月26日)薬師寺国長率いる京都の細川晴元・法華勢、山崎に出陣、一向一揆勢に敗れる。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)山科郷地下人、堀設け、浪人抱え本所に対捍(抵抗)。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月13日)洛外農民、戦禍半済免除を請い許されず。(『経厚法印日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月10日)京都土一揆蜂起。土倉衆ら数万人、徳政一揆張本の在所焼く。西京・太秦・北山など焼掠。(『二水記』『後法成寺尚通公記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』)  ▣(12月22日)京都火災。前夜(22日)、八ツ時、京焼く。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) 
■1533年(天文2年) ▣(1月18日)薬師寺国長・洛中法華門徒、摂津に出陣。(『二水記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月18日)法華門徒、町に放火の牢人3人捕え集会で生害。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月7日)法華勢、洛中打廻る。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月9日)山科郷民に禁裏警固の人数増えさせる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月7日)唱聞師(声聞師)村、日蓮宗徒により焼く。(『祇園執行日記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ5月7日(4月13日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月23日)朝廷、貢祖につき小野郷供御人を対決させる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月26日)上京・下京法華宗徒・細川晴元勢、堺の大坂一向一揆を攻める。(『祇園執行日記』『日本史総合年表』) ▣(5月10日)六角軍、勝軍地蔵山に出陣。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月26日)細川晴国、高雄出陣。部兵、丹波口で戦う。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月下旬)京名所に法華宗徒による小火続く。(『祇園執行日記』『日本災変通志』)  ▣(6月7日)祇園会停止。下京66町、祇園社に山鉾巡行強行請う。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月13日)幕府、朱雀郷民の堀川用水違乱を停止。(「大通寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月18日)京衆法華宗徒、高尾・栂尾を攻める。薬師寺国長、細川晴国と戦い敗死。細川八郎・丹波の波多野らと合戦。京方崩れ300余死。(『実隆公記』『祇園執行日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月20日)細川晴元、本願寺光教と和睦、法華門徒帰京。(『実隆公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄晴元、本満寺などの洛内法華寺院に軍忠状送る。(「本願寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)細川晴国、入京し妙顕寺攻める。(『実隆卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月23日)細川晴元、本満寺に土一揆防御命じる。(「本満寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月25日(10月8日)京都雲なく雷。(『京都気象災害年表』) ▣(10月22日)細川晴国の兵、西院に至り法華門徒と戦う。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月13日(11月27日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月7日)細川晴国、細川晴元軍と西岡で戦う。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月8日)細川晴国、内野大宮に出陣。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月25日)法華門徒、細川晴国方と戦い、葛野郡西院・梅津など11カ村に放火。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(12月26日)梅宮社焼亡。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この頃、上京・下京の法華宗徒、法華一揆を起し、自治自衛活動展開。(『祇園執行日記』『日本史総合年表』)
■1534年(天文3年) ▣(2月29日)朝廷、禁裏6町市民に禁裏西南の濠掘らせる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月18日)朝廷、足利義晴に法華門徒の山科郷違乱を止めさせる。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ9月10日(8月3日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ⋄細川晴元勢、一向一揆・細川晴国の与党を山城谷山城で攻略。(『言継卿記』『日本史総合年表』) ▣(8月10日)京都大雨洪水。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(8月28日)細川晴元、上洛し相国寺に宿す。(『二条寺主家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月3日)足利義春入京、建仁寺に館す。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月19日)幕府、吉田兼永と兼右の唯一神道に関わる相論裁許。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』)

■1535年(天文4年) ▣ユ3月8日(2月5日)京都大風。禁裏日華門顛倒。(『公卿補任』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ5月30日(4月29日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月25日(5月25日)京都霾(つちふる/ばい。風が土砂を巻きあげ降らせる)。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月11日(7月13日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月31日(8月3日)京都大風雨・大水。(『祇園執行日記』『日本災変通志』『京都気象災害年表』) 
■1536年(天文5年) ▣(3月3日)叡山西塔・華王房と法華門徒・松本新左衛門久吉、宗論。(『松本問問答記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月23日)法華門徒、山徒と争い、相国寺に陣せんとする。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月)河原者宿所(四条京極四条道場の金蓮寺前)焼亡。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ5月-7月(5月-6月)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月1日)延暦寺・東寺など法華門徒追討奏する。(『高野山旧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月23日)延暦寺衆徒(3万余人)・三井寺衆徒(3000余人)、京都に押寄せ、六角定頼(1万騎)、衆徒を援ける。(『二条寺主家記抜萃』『日本災変通志』) ▣(6月24日-25日)日蓮宗徒と延暦寺衆徒、9度合戦。(『二条寺主家記抜萃』『日本災変通志』) ▣(6月27日)日蓮宗没落。暁、下京悉く焼失、上京3分の1程焼失く。(『二条寺主家記抜萃』『日本災変通志』)  ▣(7月7日)山門(延暦寺)、京都日蓮宗を攻む。日蓮宗1万人討死。(『快元僧都記』『日本災変通志』) ▣(7月22日)法華門徒、打廻し松崎城攻める。(『後奈良院宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄山門、洛北松ヶ崎・田中溝攻め陥す。(『策彦入明記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月23日)山門より出張の江州衆(6万人)、東山各所に陣する。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(7月27日)「天文法華の乱」。延暦寺衆徒・六角定頼勢、洛中法華宗、四条口より洛中侵入し法華21本山を焼く。摂願寺・誓願寺・革堂・百万遍など焼失。洛中の法華門徒の多かった下京に悉く放火、上京過半炎上。日蓮衆・雑人3000余人/1000余人討死。吉田兼永・小倉公右、乱民に殺される。広範囲で市街荒廃、日蓮宗寺院罹災。(『厳助大僧正記』『細川両家図』『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(8月29日)細川晴国部将・宮家国村ら細川晴元と結ぶ。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月23日)幕府、鹿苑院と大心院の借銭相論裁許。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏10月7日)細川晴元、法華門徒の洛中洛外徘徊厳禁。(「本能寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)朝廷、内膳司の梅ヶ畑供御人への違乱停止、商売保全。(「梅畑村共有文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1537年(天文6年) ▣(10月3日)茨木長隆、西京地下人の北野経王堂の破却停止。(「大報恩寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月8日)玉泉坊と池坊相論。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1538年(天文7年) ▣(9月)山徒、法華門徒の退治申請を衆議。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月19日(12月29日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1539年(天文8年) ▣(1月14日)三好長慶、率兵入京。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月10日)幕府奉公人、釜殿と長谷三郎の柴公事相論審理。(『伺事記録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏6月25日)足利義晴、三好長慶・柳本元俊に洛中の賊の捕縛命じる。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月16日(閏6月)近畿洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月14日)細川晴元、三好長慶討つため、三好政長を花園西京に出陣させる。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月23日)細川晴元、徳政令発布を足利義晴に請う。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月25日)土倉衆、賄賂により徳政拒む。(『親俊日記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月28日)六角定頼の調停により、三好長慶・細川晴元の各兵撤兵。(『大館常興日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月29日(8月17日)近畿大洪水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ10月9日(8月27日)京都風雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月6日)細川晴元、洛外に徳政令する。(『伺事記録』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄茨木長隆、土一揆の東福寺乱入止める。(『伺事記録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月28日)三好長政、八幡郷に徳政令発布。幕府、停止。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ11月11日(10月)京都雨水。(『京都気象災害年表』)
■1540年(天文9年) ▣春 「天文の飢饉」 世上大飢饉、非人数十万人餓死。その数知らず。誓願寺で非人に施行。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣春-夏 上京・下京の間、毎日60余人死者捨つ。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣ユ5月15日(4月9日)近畿洪水。(『京都気象災害年表』) ▣6月18日(5月14日)京都大雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月17日-)京都疾疫流行。禁裏で天下大疫御祈祷。宮中で第105代・後奈良天皇、悪疫流行平癒のため般若心経を書写し諸国一宮に納めた。(『厳助大僧正記』『京都御所東山御文庫記録』『日本災変通志』) ▣(7月28日)三条公頼、幕府駕籠丁某の洛中巷所地での違乱訴える。(『大館常興日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月11日(8月11日)近畿以東大風雨。(『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』) ▣この年、洪水・飢饉・疫病頻発。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10 年表・事典』)   
■1541年(天文10年) ▣(6月)小野荘供御人ら、内膳司の違乱訴える。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月31日(8月10日)近畿以東大風雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月11日/12日/10日)京都大風雨。暁、寅の初六ツ時頃、禁中御門多く顛倒。春日御間の大木倒れ石燈籠ほか辷り、拝殿上・拝屋下・大宮殿御廊は坤の角に倒木あり。陣座・宣陽殿・軒廊・月花門・車寄・外様番所など顛倒。民屋・僧坊など破壊。洛中洛外、都鄙在家、竹林山林顛倒。(『興福寺略年代記』『二条寺主家記抜萃』『厳助大僧正記』『御湯殿上日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月14日)大徳寺と賀茂社、大宮郷の堀川用水争う。(「京都御所東山御文庫記録」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月3日)京都火災。柳厨子辺、50軒余焼失。(『惟房公記』『日本災変通志』)
■1542年(天文11年) ▣(2月1日)六角氏の兵、細川晴元部将・高畠長直と争闘、下京焼く。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
 ▣(閏3月29日)幕府、誓願寺に放火する者斬る。(『親俊日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月15日)幕府、高野郷民の八瀬荘への越境停止。(「八瀬童子戒御下知状写」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)第105代・後奈良天皇、法華21カ寺の洛内還住勅許。(『両山歴譜』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1543年(天文12年) ▣(10月16日)朝廷、足利義晴に命じ賀茂川の水、禁苑に引かせる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(12月20日)朝廷、稲作中に賀茂川の水を禁苑に引くのを中止。(「賀茂別雷神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1544年(天文13年) ▣ユ7月28日(7月9日)近畿・京都・東海で大雨洪水。京中人馬数多流失。在家町々釘抜門戸悉く流失。四条・五条大橋、祇園大鳥居、貴船社、鞍馬大門、黒谷坊など流失。禁中西方の築地流損。東寺南大門西、四塚まで舟を着く(水没)。日吉大宮橋流損、比叡山諸坊数宇、淀・鳥羽辺流れ留まり稚児若衆の死体多し。前代未聞の珍事なり。(『厳助大僧正記』『皇年代略記』『言継卿記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『日本の自然災害』) ▣(7月14日)幕府、京中の風流、幼少に至るまで停止、燈籠見物禁止。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月11日)細川晴元、三好長慶の臣・和田親五郎を一条戻橋で鋸殺。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月25日)小野郷と山科野村郷と山の事で争う。合戦数度、翌年決着。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(12月25日)小野郷民と山科郷民とが争闘。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1545年(天文14年) ▣(5月25日)細川晴元・三好範長、宇治田原で細川氏綱を攻撃。(『言継卿記』『日本史総合年表』)。田原七郷(綴喜郡)悉く放火。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(5月26日)細川晴元・三好長慶ら石田伏見却掠、醍醐伏見に矢銭懸ける。田原の石墻坊放火。大法(鳳)寺村、五箇庄(宇治郡岡屋郷)の8村など放火。三室戸の大法(鳳)寺村滞留の三好孫三郎・宗三による。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月11日)祇園会で三条町人闘争、幕府、雑色殺害。細川晴元の内衆ら三条町焼打。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月27日(7月20日)京都辻風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月5日(7月29日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ11月9日(10月5日)比叡山初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(10月9日)朝廷、鷹司家の粟津供御人の違乱停止。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月13日)幕府、相国寺小補軒と北野宮寺の松ヶ崎郷相論裁許。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1546年(天文15年) ▣ユ5月24日(4月25日)京都霰。(『京都気象災害年表』) ▣(4月)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(9月14日)遊佐長教・上野元治ら、細川晴元を嵯峨に攻撃。(『後奈良天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月5日)京都土一揆蜂起。徳政要求。(『後奈良天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(10月28日)細川晴元、岩倉・山本某討つ。(『後奈良天皇宸記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月30日)幕府、徳政令する。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月)足利義晴、東山に築城。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月20日)足利義輝、征夷大将軍になる。(『為康記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月24日)足利義輝、父・義晴と近江より帰洛。(『光源院元服記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月27日)幕府、土一揆が松尾社領に郷別を課すのを停止。(「東文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1547年(天文16年) ▣(3月29日)足利義輝父子、細川晴元を討つため北白川城入城。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月1日)細川晴元、北白川城攻める。吉田・鹿ヶ谷・浄土寺・北白川諸郷など焼き、慈照寺破却。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ4月21日(4月2日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月17日)本能寺・本国寺・法華寺、山門と和談条規定める。(「本能寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月12日)細川晴元、再び北白川城攻める。(『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月19日)足利義輝父子、北白川城出奔。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏7月3日)細川晴元出陣。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(閏7月4日)畑(平岡)に放火。(『日本災変通志』) ▣(閏7月5日)細川晴元、細川国慶を山城高雄城に攻め陥する。放火し、神護寺金堂・講堂・塔婆・御影堂・灌頂堂など焼く。大門の夜叉神も焼失。栂尾(高山寺)・十三重塔婆など両寺滅却。国慶、丹波に落ちる。(『厳助大僧正記』『暦仁以来年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(閏7月6日)京勢竹田の寺家坊中新御塔・本御塔など焼亡。(『厳助大僧正記』『日本史総合年表』) 
■1548年(天文17年) ▣(4月24日)三好党と畠山・遊佐の間に和睦成立。(『細川両家記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1549年(天文18年) ▣(6月24日)三好政長、摂津江口で敗死。細川晴元政権崩壊し、晴元、嵯峨に奔る。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月27日)細川晴元、足利義輝父子を擁し東山に退く。(28日)晴元、坂本に奔る。(『鹿苑日録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月9日)三好長慶入京。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月7日)今村慶満ら、広橋国光被官人と声聞師村で闘争。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ9月28日(9月8日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) 
■1550年(天文19年) ▣(2月15日)足利義晴、中尾城築城。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月17日)細川晴元の兵、西院・小泉城攻める。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏5月2日)二条室町で大喧嘩あり。上京・下京の宿老地下人仲裁。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏5月7日)伏見家承仕・仕丁、声聞師村の者に打ちすえられる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月9日)足利義輝、中尾城に入る。(「後鑑所有文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月14日)三好長逸・十河一存など入京、細川晴元の兵と戦う。三好被官、晴元軍の鉄砲で死ぬ。(鉄砲実戦使用例の初見)(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月15日)上京の一条殿門前町と誓願寺門前町が喧嘩。上京中百二十町により仲裁。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月30日(7月18日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月12日(8月2日)近畿洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(10月20日)三好長慶の兵、細川晴元の六角連合軍と五条河原で戦う。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月21日)「中尾城の戦い」三好長慶の兵、摂津より入洛し足利義輝の中尾城に迫る。河東諸郷焼掠。義輝、近江に逃走。(『公卿補任』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1551年(天文20年) ▣(1月24日)上京新在家町と室町住人喧嘩。上京中宿老仲裁(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月30日)政所執事・伊勢貞孝、三好長慶に内応し、足利義輝の帰京企て発覚。近江より帰京。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月28日)細川晴元・六角義賢の兵、鹿ヶ谷に放火し、三好長慶の軍と戦う。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(3月2日)三好長慶、岩倉の山本某を攻める。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月2日)江州衆、三井寺より山科に打入り、上野安祥寺に放火。(『妙法寺記』)  ▣(7月14日-15日)「相国寺の戦い」 (14日)細川晴元方の三好政勝・香西元成・柳本ら3000人、丹波より入京し相国寺に陣した。三好長慶の部将・松永久秀兄弟・河内衆・大和衆ら4万人と終日終夜合戦。晴元方敗れる。相国寺放火され、塔頭・伽藍など焼亡。(『公卿補任』『厳助大僧正記』『妙法寺記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■1552年(天文21年) ▣(1月28日)足利義輝、三好長慶と和し、細川晴元の嫡子・昭元と近江より帰洛。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ5月6日(4月13日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(10月3日)三好長慶、西岡に放火し、三鈷寺・善峯寺炎上。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(10月26日)幕府軍、杉坂・嵯峨で打ち廻す。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)幕兵、船岡山に出張し、細川晴元軍、蓮台野を退く。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)足利義輝、霊山に築城し移る。(『異本年代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月13日)建仁寺焼亡。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(11月27日)細川晴元軍、西岡を焼き嵯峨に出陣。小泉秀清ら小泉城を自焼、霊山に入る。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月28日)細川晴元勢、足利義藤(義輝)を霊山城を攻め、清水坂で合戦。五条坂を焼く。子刻、建仁寺、兵火により炎上。(清水坂の戦い) (『如是院年代記』『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本史総合年表』) 
■1553年(天文22年) ▣(閏1月15日)三好長慶、足利義輝と和睦。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月9日)足利義輝、霊山城を修築。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月20日)三好長慶の軍、細川晴元の軍を京都西郊で撃破。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月8日)足利義輝、三好長慶との和破れ、霊山入城。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月1日)「東山霊山城の戦い」三好長慶、摂津より入京し霊山城を攻略。足利義藤(義輝)、杉坂、近江朽木に退却。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月13日)三好長慶、足利義輝の幕臣大半を京都に拉致。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1554年(天文23年) ▣(5月4日)朝廷、伊勢貞孝・三好長慶に洛中賦課し、禁裏東南の堀を浚渫させる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月21日)北白川郷、吉田郷と芝草争い、吉田を襲撃せんとする。山科言継、町衆500余人率い仲裁に赴く。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月29日)政所代・蜷川親俊、白川・吉田郷相論に関する意見書を三好長慶に具申。(『蜷川実記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1555年(天文24年/弘治元年) ▣(5月26日)三好長慶、物集女太郎左衛門尉と物集女久勝との年貢相論裁許。(「天竜寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ6月19日(6月)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月2日)三好長慶、亀井佐介と法金剛院珠栄との地下相論裁許。(「法金剛院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月4日(9月19日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月23日)第105代・後奈良天皇の時、兵革(戦乱)により弘治に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(12月14日)三好長慶、意北軒と三淵晴員の相論裁許。(「大徳寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1556年(弘治2年) ▣3月16日(1月25日)京都地震。禁裏将軍家の殿門多く破壊。 (『日本被害地震総覧』) ▣(5月2日)三好長慶、主殿寮領市原野の下地相論裁許。(「壬生家文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月16日(8月13日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(12月23日)三好長慶、東寺と公文所・宮野浄忠との借銭相論裁許。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月27日)三好長慶、東寺に浄忠父子一族の追補命じる。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1557年(弘治3年) ▣(4月28日)上京大火。夜、立売町ほか400余軒焼亡。 近衛前嗣第焼失。(『厳助大僧正記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
▣(5月23日-8月9日)畿内大旱魃。金1両を以て米5斗と交易す。(『重編応仁記』『日本災変通志』) ▣ユ5月-9月(5月-8月)近畿旱・飢。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月16日-18日(8月24日-26日/26日)近畿大雨・暴風・高潮。(『御湯殿上日記』『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』『日本の自然災害』) ▣(10月28日/27日)第106代・正親町天皇践祚。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月9日)三好長慶、中沢一直と大原野神官の下地相論裁許。(「大原野神社文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(12月9日)三好長慶、東寺に浄忠追補を令し、家財田畠没収。(「東寺百合文書」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1558年(弘治4年/永禄元年) ▣(5月19日)三好長逸・松永久秀、京都を打廻す。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月2日)三好長逸ら勝軍山に築城、足利義輝の入洛防ぐ。(『惟房公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月4日)足利義輝、細川晴元とともに如意嶽に出陣。三好長逸の兵と鹿ヶ谷で戦う。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月7日)三好長逸の兵、勝軍山城を自焼し京都に退く。足利義輝の兵、城に移陣。(『惟房公記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月9日)「北白川の戦い」将軍・足利義輝と三好長慶の軍、白川旧城辺で合戦。三好方死傷多し。両者打死手負い300-400人。(『厳助大僧正記』『惟房公記』『日本災変通志』) ▣ユ8月15日(7月2日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(7月)三好長慶、清水寺に鉄砲放つのを禁じる。(「成就院文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣夏 近畿旱魃。(『惟房公房』(『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』) ▣ユ10月20日(9月9日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月27日)足利義輝、六角義賢の斡旋で三好長慶と和し、勝軍山城より入洛。義輝、相国寺に館し長慶らを引見。(幕府復活、三好長慶の京都支配終了)(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月3日)足利義輝、本覚寺に移る。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月18日)三好長慶・松永久秀、摂津芥川に還る。(『細川両家記』『京都の歴史10
年表・事典』)
■1559年(永禄2年) ▣翌年ユ1月10日(12月13日)京都深雪。(『京都気象災害年表』)
■1560年(永禄3年) ▣(1月16日)三好長慶、幕府の相伴衆に列し、長慶の京都支配終わる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ3月-7月(3月-6月)近畿旱魃。(『御湯殿上日記』『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』) ▣ユ7月26日(7月4日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月22日(8月)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月12日)松永長頼、炭山に拠る香西元成を敗死させる。(「光明真言請過去帳」『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1561年(永禄4年) ▣ユ4月30日(3月16日)京都降灰。(『京都気象災害年表』) ▣(3月18日)幕府、春日局と日野家領小舎人雑色との地子相論裁許。(「日野家領分書写」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月29日)近畿で大雨・雷。(『御湯殿上日記』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(7月21日)朝廷、賀茂社に警固人数を徴す。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月22日)禁裏六町衆に東堀開鑿させる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)小野山、禁中警固の人数進める。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄六角義賢父子、三好長慶を撃たんとして勝軍山に出陣。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月2日)朝廷、六角軍の禁中乱入停止。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月2日)幕府、北野社人と洛中洛外土倉との酒麹役相論裁許。(「北野文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月24日)「将軍地蔵山の戦い」松永久秀、六角義賢の部将・永原重澄を勝軍山に攻め殺害。(『巳行記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1562年(永禄5年) ▣(3月6日)和泉の敗戦により、足利義輝、洛中より八幡に移座。三好義興・松永久秀、山崎に撤兵。六角義賢、勝軍山城より清水に移陣し洛中占拠。上京・下京、兵火により焼亡。(『御湯殿上日記』『京都事典』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(3月10日)幕府、西岡諸郷に徳政約す。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月18日)六角義賢、洛中洛外に徳政令する。(「蜷川家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月23日)六角義賢、洛中に敵方隠匿内通禁止など五ヵ条布告。(『鳩拙抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月)洛中洛外所々で放火。(『厳助大僧正記』『日本災変通志』) ▣(8月25日)伊勢貞孝、六角義賢に応じ丹波より洛中乱入。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月11日)三好義興・松永久秀、伊勢貞孝父子を杉坂に攻め殺害。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1563年(永禄6年) ▣(3月18日)幕府、浄福寺寮舎破却禁じる。(「浄福寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月22日)細川藤賢、三好軍率い杉坂に放火。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣ユ4月24日(4月2日/1日)東寺五重塔、雷火により焼亡。(『皇年代略記』『亨禄以来年代記』『細川両家記』『御湯殿殿上日記』『東寺執行日記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(7月10日)幕府、薄以緒知行青花座の違乱停止。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月22日)三好義興、市原野と幡枝の柴木相論裁許。(「賀茂別雷神社文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月24日)幕府、清水寺と本国寺との山木相論裁許。(『後鑑所収広布録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1564年(永禄7年) ▣ユ4月26日(3月16日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』)  ▣ユ5月11日(4月1日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月8日(7月2日)京都雨水。賀茂川洪水。上賀茂神社が被災。(『京都気象災害年表』) ▣(10月10日)六町衆に禁裏東堀、掘らせる。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1565年(永禄8年) ▣(2月28日)東寺、寺宝盗人を捕斬。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月6日)朝廷、六町衆に警固させる。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月19日)「永禄の変」、二条御所(室町殿)を三好義継・松永久秀ら襲撃。将軍・足利義輝自殺、近習幕臣ら30人打死。侍以下数知らず。御所自焼。(幕府3度中絶)(『永禄以来年代記』『永禄大事記』『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(7月4日)三好義継、東寺境内百姓の不法停止。(「東寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)小野山に禁中警固人を徴す。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月24日(9月1日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) 
■1566年(永禄9年) ▣ユ2月24日(2月5日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(5月30日)庭田亭焼亡。自火とも。(『永禄九年記』『日本災変通志』) ▣(6月1日)山城国など所々放火。(『永禄九年記』『日本災変通志』) ▣ユ6月25日(6月8日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(7月13日)淀城、三好三人衆に降伏。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月14日)三好三人衆、摂津より入洛、庶政裁決。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月21日)三好長逸、宇津頼重の小野山違乱を停止。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月24日)三好長逸、松永党の京都居宅没収。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月29日)御霊通大火。三時知恩寺など焼亡。 (『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(閏8月30日)京都火災。昨夜、上京殊の外、入江殿、354町余焼失。(『永禄九年記』『日本災変通志』) ▣(閏8月11日)京都雨。普門院顛倒、不動損害。(『永禄九年記』『日本災変通志』) ▣(12月19日)三好三人衆、上洛。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1567年(永禄10年) ▣(6月16日)山門相論により六角義賢の兵、一乗寺焼く。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月27日)三好三人衆の兵、松永党・波多野晴通と西岡で戦う。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月7日)細川昭元、広隆寺に植林灌漑命じる。(「広隆寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』)
■1568年(永禄11年) ▣(4月29日)山科郷民と醍醐郷民、争闘。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月2日)三好長逸、上洛。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月18日(6月24日)京都大風水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月7日)織田信長、京都に向け岐阜出発。(『原本信長記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月14日)朝廷、織田信長に禁中警固命じる。(「経元卿御教書案」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月22日)朝廷、皇室領の山科・上賀茂・下鴨各郷民に命じ、宮廷警備固める。(『御湯殿上日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月23日)朝廷、警備責任を中山孝親・山科言継・勧修寺晴右・庭田重保・五辻為仲とする。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄関白・近衛前久、信長の入京避け大坂出奔。(『諸家伝』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月24日)丹波柳本某・嵯峨に放火、大将軍に侵入。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(9月26日-29日)「勝竜寺城の戦い」 ▣(9月26日)織田信長、足利義昭を擁し入京、東寺に陣する。義昭、清水寺に入る。(27日)西山・寂照院に移る。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月27日)織田信長、三好三人衆を西岡・勝竜寺城に攻める。(畿内平定に着手)(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(10月18日)足利義昭、征夷大将軍になる。(『公卿補任』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月26日)織田信長、岐阜に帰る。京都に佐久間信盛・村井貞勝・丹羽長秀・木下藤吉郎らを置く。(『多聞院日記』『京都の歴史10
年表・事典』)
■1569年(永禄12年) ▣(1月5日)三好長逸ら京都に侵入し、足利義昭を本国寺に攻める。(『言継卿記』『興福寺略年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(1月6日)三好義継、足利義昭を援け三好三人衆を東寺と桂川の間に破る。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1570年(永禄13年/元亀元年) ▣(4月23日)第106代・正親町天皇の時、兵革(戦乱)により元亀に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月23日)織田信長、三好三人衆討伐のため本能寺に陣する。浅井・朝倉氏ら近江坂本に進軍、山科・醍醐焼く。(『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(9月19日)「坂本合戦」北国兵、宇佐山を攻め、醍醐・山科に放火、信長、中島より上洛。(『亨禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣(10月4日)「西岡の土一揆」 土一揆、西岡で蜂起し洛中に入る。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(10月22日)三好三人衆、久世郡に至る。細川藤孝らこれを討つ。(『細川家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月7日)京都一条火災。一条町より失火し、大聖寺、諸公家第焼失、禁中に及ぶ。木下藤吉郎、失火者・上京月行事を斬り焼け跡に晒す。 (『言継卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』)
■1571年(元亀2年) ▣(7月11日)盂蘭盆会の風流踊、華麗極める。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)松永弾正(久秀)、奈良辰市で筒井方に敗れ、数百人討取られる。首は京に上すなり。翌年(8月28日)とも。(『興福寺略年代記』『永禄以来年代記』『日本災変通志』) ▣ユ8月28日(8月8日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月9日(8月20日)近畿大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月12日)「比叡山焼討」織田信長、延暦寺衆徒が朝倉氏に通じているため、延暦寺攻め比叡山一山焼討。根本中堂、諸坊、日吉社など山王七社・大鳥居、仏像・経巻・霊宝灰燼。上坂本・堅田焼失。衆徒・山徒小童・児女・子供切捨つ。死者1600余人。討死数百人とも。(『言継卿記』『興福寺略年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(9月13日)織田信長、帰洛し妙覚寺に入る。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月14日)織田信長、叡山堂舎焼く。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』)
 
■1572年(元亀3年) ▣ユ4月20日(3月8日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(3月12日)織田信長、上洛し妙覚寺に入る。新邸(上京武者小路)造営。(『言継卿記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月2日)織田信長、越前朝倉氏密使を捕え、一条戻橋で焚殺。(『年代記抄節』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月11日(5月)京都霰。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月23日(6月14日)京都大風雨。(『永禄以来年代記』『日本災変通志』『京都気象災害年表』)  
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地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
1 古墳時代-平安時代前期 2 平安時代中期 3 平安時代後期 1 4 平安時代後期 2 5 鎌倉時代 1 6 鎌倉時代 2 7 南北朝時代 8 室町時代前期 9 室町時代中期 10 室町時代後期 11 安土・桃山時代 12 江戸時代前期 13 江戸時代中期 14 江戸時代後期 15 近代 16 現代
*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。 |
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京都歴史災害年表 10
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