|
|
京都歴史災害年表 7
南北朝時代(1333-1392) |
|
|
 |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 |
1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 8室町時代前期 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆南北朝時代 1333-1392
■1333年(正慶2年[北朝]・元弘3年[南朝]) ▣(1月)鎌倉よりの幕府軍、京都に入る。(『保暦間記』『日本史総合年表』) ▣(2月24日)第96代・後醍醐天皇、隠岐国を脱出。(『太平記』『日本史総合年表』) ▣(3月12日)赤松則村、六波羅兵を追い入京し戦う。則村、中院定平・殿法印良忠らと呼応し、六波羅兵と法性寺大路・西七条口などで戦う。(『太平記』『続史愚抄』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(3月28日)延暦寺僧徒、護良親王に呼応し、六波羅探題と法勝寺門前で戦い敗退。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月-4月)京中合戦度々。(『太平記』『日本災変通志』) ▣(4月8日)後醍醐天皇、千種忠顕に兵率いさせ京都に進発させる。忠顕、丹波篠山で皇子・静尊法親王を奉じ、西山より攻め敗れ八幡に退く。内蔵寮庫、兵火により焼亡、歴代宝器焼失。(『太平記』『続史愚抄』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月9日)六波羅兵、西山の寺社破却・民家放火。谷ノ堂・峯ノ堂・浄住寺・最福寺・葉室・衣笠寺・松尾寺・二尊院など堂舎300余所、民家5000余棟焼亡。(『太平記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月16日)北条氏の命により、足利尊氏(高氏)・直義が入京。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月27日)幕府軍将・名越高家、久我縄手で千種忠顕らと戦い討死。足利尊氏、丹波国篠村八幡で反幕の意志固め、諸国豪族に密書送る。(『太平記』『日本史総合年表』) ▣(4月29日)鎌倉幕府滅亡、足利尊氏、亀岡の篠村八幡宮で挙兵。 ▣(5月7日)宮方軍勢(足利尊氏・赤松則村・千種忠顕)ら京中乱入し六波羅攻める。探題・北条仲時ら、光厳天皇を奉じ近江に敗走。北条時益、四条河原で横死。(『東寺長者補任』『増鏡』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(5月25日)後醍醐天皇、光厳天皇を廃し、年号の正慶を停め元弘に復する。(『皇代暦』『日本史総合年表』) ▣(6月4日/5日)後醍醐天皇、配流先より帰京。東寺に入る。(5日)二条富小路皇居に入る。(『公卿補任』『神皇正統記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(6月13日)護良親王入京。親王、征夷大将軍とする。(『増鏡』『日本史総合年表』)
■1334年(建武元年[北朝][南朝]) ▣(1月4日)東福寺焼亡。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月29日)第96代・後醍醐天皇の時、撥乱反正(世の乱れを治め、正しい世の中に戻す)・兵革(戦乱)・時局不吉により、建武に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(10月22日)護良親王、足利尊氏の譫言により拘禁、鎌倉に配流。(『梅松論』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、京都洪水。(『京都気象災害年表』)
■1335年(建武2年[北朝][南朝]) ▣(5月10日)二条朱雀の小家2宇焼失。巳刻。(『匡遠記』『日本災変通志』) ▣ユ7月3日(6月13日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(6月17日)千種忠顕の兵、持明院殿に押し寄せ、後伏見法皇(第93代)、花園上皇(第95代)、光厳上皇(北朝第1代)ら京極殿に移す。(『建武二年六月記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月20日)興福寺衆徒、春日神木を木津に動座。武士多く内裏に馳せ参ず。(『匡遠記』『古今最要抄』『日本災変通志』) ▣(6月22日)結城親光・名和長年ら洛北西園寺公宗北山第を襲う。(『建武二年六月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)京都霖雨。 ▣(8月)二条河原に落書掲げられる。(『建武年間記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月9日)尊良親王、新田義貞ら、足利尊氏・直義追討の勅命受け、京都より鎌倉に向かう。新田軍、箱根で敗れ京都に移し足利勢西上す。(『太平記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1336年(建武3年[北朝]・建武3年/延元元年[南朝]) ▣(1月7日)宇治平等院辺焼亡。平等院仏堂・宝蔵焼失。(『太平記』『日本災変通志』)
▣(1月10日)二条富小路殿(内裏)焼亡、公家家も焼失。四国・西国兵、京中乱入し放火、御所・常盤井殿・馬場殿・内裏なども類焼。(『皇年代略記』『梅松論』『太平記』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(1月11日)足利尊氏入京。結城親光、樋口東洞院で大友貞載と戦い討死。(『梅松論』『日本史総合年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月16日)園城寺合戦、寺焼き払う。新田義貞、粟田口・十禅寺・法勝寺などで尊氏・直義と戦い、鹿ヶ谷に退く。(『太平記』『梅松論』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月27日)新田義貞ら大挙し、足利尊氏と賀茂河原で戦う。尊氏、西海に敗走。(『梅松論』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(1月28日)新田義貞ら神楽岡で戦う。(『梅松論』『日本史総合年表』) ▣(1月30日)新田義貞ら糺河原で戦う。足利尊氏、丹波国に走る。(『梅松論』『日本史総合年表』) ▣(2月29日)第96代・後醍醐天皇の時、時局不吉・兵革(戦乱)により南朝、延元に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(6月5日)足利直義ら、延暦寺攻撃し、千種忠顕、雲母坂で討死。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(6月14日)足利尊氏、光厳上皇を奉じ入京。(『太平記』『日本史総合年表』) ▣(6月19日)四条隆邦ら、足利勢の高師泰らと洛南作道・今在家・桂川などで戦う。(「上太子文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月20日)叡山攻囲の足利勢、京都で撃退される。(『梅松論』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月30日)京都合戦。新田義貞ら天皇方、京都を攻撃し尊氏本営の東寺に迫る。天皇方敗れ叡山に退く。名和長年、三条猪熊辺で戦死。以後、所々で合戦・兵火。(『梅松論』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(7月23日)足利勢の今川範国・武田信武の軍勢、醍醐寺攻略・諸堂焼失。(『醍醐寺記』『梅松論』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
 ▣(8月15日)北朝第2代・光明天皇践祚。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月22日)勧修寺堂塔悉く焼亡。(『東寺王代略記』『日本災変通志』)
▣(8月23日)天皇方、再び入京し敗退。以後、勧修寺・醍醐寺・法性寺・東福寺・泉涌寺など焼亡。(「吉川家什書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月24日)下醍醐院家焼き払われる。(『東寺王代略記』『日本災変通志』) ▣(10月10日)後醍醐天皇、再度の京都攻撃に敗れ、帰洛し花山院に入る。(『建武三年以来記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月2日)後醍醐天皇、光明天皇に神器渡す。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月19日-翌年10月10日)「建武の乱」「延元の乱」 ▣(12月21日)後醍醐天皇、吉野潜幸。(南北朝分裂)(「保田文書」『日本史総合年表』) ▣この年、親鸞御影堂(大谷)焼亡。(「堅田本福寺文書」『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』)
■1337年(建武4年[北朝]・延元2年[南朝]) ▣ユ7月11日(6月13日)京都大雨・雷鳴。東寺塔婆に落雷、乾角柱出火、消し止む。(『東寺長者補任』『東宝記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月27日)足利氏、諸将に命じ洛中夜廻行う。(「毛利文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月9日)南北軍の天王寺合戦で天王寺没落により、京中動乱。(『匡遠記』『日本災変通志』) 
■1338年(建武5年/暦応元年[北朝]・延元3年[南朝]) ▣(7月6日/5日)石清水八幡宮、兵火により焼失。(『中院一品記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(7月8日)八幡南麓で合戦、南方没落。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(7月19日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(8月11日)足利尊氏、征夷大将軍になる。(『続愚史抄』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1339年(暦応2年[北朝]・延元4年[南朝]) ▣(3月11日)盗人、大学寮に侵入。(『中院一品記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月12日)白河の阿弥陀院焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月15日)第97代・南朝2代・後村上天皇践祚。(『神皇正統記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月15日(9月12日)京都辻風・雷。(『京都気象災害年表』) ▣(12月14日)京都火災。夜、聖護院焼失。(『匡遠記』『日本災変通志』) ▣冬 所々火災、百万遍堂焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1340年(暦応3年[北朝]・延元5年/興国元年[南朝]) ▣(3月18日)京都火災。五条坊門東洞院、烏丸間焼亡。(『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月15日)白河の蓮華蔵院塔焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月4日)石清水八幡宮の神鏡紛失。(12日)夜、六条佐女牛八幡宮の庭上より帰座。(『中院一品記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月6日)佐々木導誉・秀綱父子、妙法院宮御所を襲い焼く。山門衆徒、神輿動座。(『中院一品記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月23日)興福寺衆徒、春日神木を木津に動座・入洛。(『園太暦』) ▣(12月19日)興福寺衆徒、 足利氏に大和出兵を請い春日神木を奉じ入洛、六条殿長講堂に入れる。(『東寺王代記』『中院一品記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■1341年(暦応4年[北朝]・興国2年[南朝]) ▣春 洛中諸所に火災。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1342年(暦応5年/康永元年[北朝]・興国3年[南朝]) ▣(1月16日)南禅寺塔頭・大雲庵火災。夜。(『天下南禅寺記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月20日/17日)京都火災。北白川吉田火災、申刻。法勝寺九重塔・金堂・阿弥陀堂・講堂・鐘楼・経蔵など焼失。(『中院一品記』『東寺王代記』『如是院』『相国寺塔供養記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)、塔は以後再建されず。花頂山五重塔・醍醐寺七重塔も同時に焼くとも。(『神明鏡』) ▣(4月27日)北朝第2代・光明天皇の時、病事(疱瘡)・天変・地妖により康永に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(9月3日)光厳上皇(北朝第1代)の行列、土岐頼遠と衝突。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1343年(康永2年[北朝]・興国4年[南朝]) ▣ユ7月-8月(6月-7月)京都旱。(『京都気象災害年表』)
■1344年(康永3年[北朝]・興国5年[南朝]) ▣ユ6月30日(5月20日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月15日)東大寺衆徒、 払暁、東大寺八幡宮神輿1基を奉じ入洛。幕府、仁木義長を派遣し制止。神輿は五条橋上に振り棄てられ、夜、東寺に遷座。(『東寺長者補任』『園太暦』『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(12月22日)足利直義第(三条坊門万里小路)焼亡。 (『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■1345年(暦応4年/貞和元年[北朝]・興国6年[南朝]) ▣(2月27日)四条堀川-姉小路堀川間の数10町焼亡。 (『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(3月9日)九条隆教第(春日高倉)焼亡。夜。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月23日(6月24日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(7月8日)延暦寺衆徒、神輿を動座し天龍寺造営供養への光厳上皇臨幸阻止、開山・夢窓疎石の処罰を要求。東大寺・興福寺も同調。(『園太暦 』) ▣(7月20日)興福寺衆徒、春日神木を木津、次いで宇治平等院に動座。(『園太暦』) ▣ユ8月26日(7月28日)京都霖雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月14日)延暦寺衆徒、天龍寺供養に付き日吉神輿を叡山山頂に移す。東大寺・興福寺などを誘い御所に嗷訴。(16日)帰座。(『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(8月17日)行願寺焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月21日)北朝第2代・光明天皇の時、疾病流行・風水(害)により、貞和に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『日本災変通志』『中世 災害・戦乱の社会史』)  
■1346年(貞和2年[北朝]・正平元年[南朝]) ▣ユ5月6日(4月15日)京都晩霜。(『京都気象災害年表』) ▣(8月11日)石清水八幡宮神人、社頭に閉籠し使庁下部の駒形神人刃傷を訴える。奉行官人・中原章有の庁事を止め、神人退散させる。(『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ9月28日(9月13日)京都大風雨。屋発つ。(『園太暦』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ11月11日(閏9月27日)京都新雪。(『京都気象災害年表』)
■1347年(貞和3年[北朝]・正平2年[南朝]) ▣ユ5月30日(4月20日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(5月6日)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(10月3日)四条河原で四条橋架橋の勧進田楽、張行。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣冬-(正月)洛中騒動・火事頻発。(『房玄法印記』『日本災変通志』) 
■1348年(貞和4年[北朝]・正平3年[南朝]) ▣(4月29日)放火により前内大臣・大炊御門冬信第焼亡。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ6月25日(5月28日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ⋄足利直冬、紀伊・南朝方撃つため、東寺に営する。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月28日(6月1日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(10月27日)北朝第3代・崇光天皇践祚。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣洛中物騒・火事続発。(『房玄法印記』『日本災変通志』) 
■1349年(貞和5年[北朝]・正平4年[南朝]) ▣ユ1月20日(1月)京都不雨。(『京都気象災害年表』) ▣(2月26日)将軍塚おびただしく鳴動。夜半。(『太平記』『日本災変通志』) ▣(2月27日)清水寺焼亡。午刻、清水坂より失火、本堂・阿弥陀堂・楼門・舞台・鎮守など焼失。(『園太暦』『東寺王代記』『如是院年代記』『皇年代略記』『師守記』『太平記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(3月14日)足利尊氏第(土御門東洞院)焼亡。 尊氏、高師直の一条第に移る。(『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(6月11日-12日)京都終日終夜の大雨洪水。豪雨により東堀川・西洞院川氾濫。左右人渡れず。大炊御門・西洞院付近浸水。大炊御門大路以南での排水不良による内水氾濫による。(『松亜記』) ▣(6月11日)鴨川洪水。四条河原で橋勧進の田楽が催され、足利尊氏らも見物。桟敷(249間/64間)転倒により貴賤死者100余人、負傷者多数。(『太平記』『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月12日)京都大雨洪水。終日終夜大雨・洪水により前日の死人洗い流す。(16日)の祇園祭の道浄む。(『太平記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月19日)京都地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(閏6月20日)石清水八幡宝前鳴動。辰刻-酉刻。(『園太暦』『日本災変通志』) ▣(8月5日)近畿風雨。 ▣ユ9月18日(8月6日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月14日/13日)京都騒擾。高師直・師泰、足利直義を討つため法成寺に軍を集め、尊氏第(東洞院高倉)を囲む。夢窓国師の調停により和睦。(『東寺王代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月15日)法勝寺焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1350年(貞和6年/観応元年[北朝]・正平5年[南朝]) ▣ユ2月23日(1月16日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月28日(5月23日)京都大風(『京都気象災害年表』) ⋄「京都地大震」 М6.0 酉終りまで小動数回、申刻、地震100回。余震(5月25日・29日、6月10日・20日・22日・25日、7月2日)。希代の大地震なり、大路に石・堂塔九輪落ち砕ける。祇園社石塔九輪落ち砕ける。(『祇園執行日記』『皇年代略記』『日本被害地震総覧』『日本災変通志』) ▣(5月25日)京都地震、申刻。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣ユ7月3日(5月28日)京都洪水。加茂川大洪水、四条河原往来の人影なし。(『祇園執行日記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ6月28日・グ7月6日(5月23日)京都地震。М6.0。(「 地震インフォ」) ▣(6月10日)京都地震、酉刻。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(6月11日)京都地震、辰刻。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(6月20日)京都地震、暁、卯刻。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(6月21日)高師泰、足利直冬追討の院宣奉じ、京都出発。(『祇園執行日記』『日本史総合年表』) ▣(6月22日)京都大地震、亥刻。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(6月25日)京都地震、辰刻・未刻2度。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(7月2日)京都地震、申刻・亥刻2度。亥刻、将軍塚鳴動。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣ユ8月11日(7月8日)京都大風雨・洪水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月3日(8月1日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月11日)京都大火。申刻、北小路室町の油単屋より出火、針小路焼亡。弘誓院・七条弥次郎・北坂禅尼・八条坊門宿所焼亡。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(9月30日)京都火災。昨夜、姉小路油小路炎上。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(10月26日/27日)足利直義、京都を逐電(逃亡)、洛中騒動。(『東寺王代記』『祇園執行日記』『園太暦』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(10月28日)足利尊氏、直冬追討のため高師直らを率い出京。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣(12月7日)比叡3カ所、火焼く。京中動乱。祇園社社頭四壁閉づ。(『祇園執行日記』『日本災変通志』) ▣(12月29日)足利尊氏、備前福岡より兵、京都に返す。(「松浦文書」『日本史総合年表』) 
■1351年(観応2年[北朝]・正平6年[南朝]) ▣(1月13日)西坂本の桃井直常、天台衆徒とともに薮里の在家焼き払う。(『東寺王代記』『房玄法印記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(1月15日)足利直義、淀で足利尊氏と戦う。桃井直常・天台衆徒ら京中に攻め入り、三条四条河原辺で、足利尊氏・義詮(1500-1600騎)と合戦。死者数知らず。(『東寺王代記』『房玄法印記』『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(1月16日)足利尊氏ら敗れ京都より逐う。(『東寺王代記』『房玄法印記』『園太暦』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(1月21日)太子堂(一条猪熊)・新善光寺(一条大宮)焼亡。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月22日)足利尊氏の土御門高倉第焼亡。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月8日)上杉能憲、関東の兵を率い上洛。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣(2月17日)足利尊氏、播磨より京都に攻め上がる。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(2月19日)京都大地震。将軍塚鳴動。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(2月20日)足利尊氏、使者を足利直義に遣わし和睦。高師直・師康兄弟、摂津国で上杉能憲らに討たれる。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月8日)木津川沿岸、大風大雨雷電。(『房玄法印記』『日本災変通志』)  ▣(4月19日)北野の在家など悉く焼亡。(『観応二年日無次記』『日本災変通志』) ▣ユ6月29日(6月6日)京都寒冷。(『京都気象災害年表』)
■1352年(観応3年/文和元年[北朝]・正平7年[南朝]) ▣(2月25日)延暦寺衆徒、祇園犬神人を使い、日蓮宗妙顕寺法華堂を破却。(『祇園執行日記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(閏2月2日)延暦寺、比叡一向衆堂・大谷一向衆堂を破却せんとする。(『祇園執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏2月12日)南朝、光厳上皇(北朝第1代)・光明上皇(北朝第2代)・崇光上皇(北朝第3代)の三上皇・直仁親王を八幡に連れ去る。一時、京都は南朝支配。(『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(閏2月16日)北畠顕能・千種・楠木正儀ら八幡より京都に攻め入り、足利義詮、拒ぐも大敗。足利尊氏・義詮第を焼く。(『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(閏2月20日)南朝の第97代・後村上天皇、北畠顕能・楠木正儀ら洛中に攻め入り、七条大通前(七条大宮)で合戦、足利義詮を近江に逐う。(『祇園執行日記』『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(閏2月-5月)「八幡の戦い」「男山の戦い」「男山八幡の戦い」 ▣(3月13日)足利義詮方、神楽ヶ岡・真如堂辺を攻め、東山長楽寺・双林寺・鷲尾・阿弥陀ヶ峰に陣を取る。(『祇園執行日記』『日本災変通志』)
▣(3月15日)南軍に敗れた足利義詮、京都を回復し東山に陣張る。(『祇園執行日記』『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣(3月21日)足利義詮方、東山から東寺に入る。3000騎前駆し、赤井河原(伏見)で合戦。南軍、宇治・洞峠・山崎などで迎撃し、幕府、火を放ち八幡を猛攻め。⋄この頃、飢饉・餓死困窮者多数。(『祇園執行日記』『祇園執行日記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月11日)足利義詮、八幡を攻略し南朝方敗れ、第97代・後村上天皇を奈良・賀名生(あのう)に逐う。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣ユ9月20日(8月12日)京都赤気(オーロラ)。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月25日(8月17日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ⋄北朝第4代・後光厳天皇践祚。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月30日)祇園社、社領の強盗犯人の住屋を没収破却し、侍所異議を唱える。(『祇園社記録』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ12月29日(11月22日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1353年(文和2年[北朝]・正平8年[南朝]) ▣(2月4日)持明院殿焼亡。以後、荒廃し安楽光院のみ残る。(『安楽光院行事』『日本災変通志』)
▣ユ4月7日(3月3日)山城大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月8日(4月5日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ⋄真言院顛倒。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(6月5日)南方官軍、京都乱入。(『東寺長者補任』『日本災変通志』) ▣(6月9日)足利義詮、陣を中霊山より吉田神楽岡に移す。南朝方の楠木正儀・山名時氏ら入京し、義詮を東坂本に逐う。(神楽ヶ岡合戦)。南朝方、京都を去る。義詮、再び入京し、東山・在光院に入る。(『園太暦』『東寺王代記』『暦仁以来年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月-7月)京都で盗賊出没。悲田院・永円寺など襲う。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣(7月19日)四条隆俊・時氏軍、大徳寺・白毫寺に乱入・資材奪う。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣(7月26日)足利義詮、京都回復。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣ユ9月13日(8月15日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月21日)足利尊氏、北朝第4代・後光厳天皇を奉じ入京。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、諸国霖雨洪水。(『京都気象災害年表』)
■1354年(文和3年[北朝]・正平9年[南朝]) ▣(7月26日)足利直冬・桃井直常ら京都に迫り、足利尊氏、北朝4代・後光厳天皇を奉じ近江・武佐寺に逃れる。(『柳原家記録』『日本史総合年表』) ▣(12月24日)足利直冬・桃井直常ら京都に迫り、足利尊氏、後光厳天皇を奉じ近江・武佐寺に逃れる。(「柳原家記録」『本朝皇胤紹運録』『日本史総合年表』)
▣この年、諸国霖雨洪水。(『京都気象災害年表』)
■1355年(文和4年[北朝]・正平10年[南朝]) ▣(1月16日)吉野方官軍・桃井直常ら大軍を率い、北国より上洛。足利尊氏も京都に迫り、桃井ら洛中洛外に陣を構える。(『園太暦』『東寺長者補任』『建武三年以来記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(1月24日)足利義詮、軍を播磨国より京都に返す。(『安積文書』『日本史総合年表』) ▣(2月3日)足利尊氏の兵、吉田社に乱入、神殿破り神宝奪う。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(2月8日)足利尊氏の兵、洛中で足利直冬・桃井直常と戦う。(『建武三年以来記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月8日)足利尊氏入洛し、両軍洛中で戦う。(『建武三年以来記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月15日/3月22日)京都で南北両軍合戦。東寺合戦。(『園太暦』『暦仁以来年代記』『如是院年代記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(1月16日-3月12日)南朝軍、京都に侵入し幕府軍と戦う。京都は廃虚になる。(『東寺長者補任』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月12日)京都で武官、官軍を討つ。足利直冬ら合戦数回。足利尊氏、桃井直常を戒光寺、この日に直冬を東寺に攻める。(『東寺長者補任』『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月13日)官軍没落し、足利尊氏、京都を回復。足利直冬ら南軍は敗れ八幡に退く。(『東寺長者補任』『園太暦』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
▣(5月5日)童ら菖蒲甲を拵え随所で合戦、成人武士らも相交わり刃傷殺害に及ぶ。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月28日(6月19日)京都大風。屋発つ。(『園太暦』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ9月3日(7月26日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月18日)伏見土民、領主四条氏の定使宅に乱入、伏見殿を囲む。(『園太暦』『日本史総合年表』) ▣この年、諸国霖雨洪水。(『京都気象災害年表』)
■1356年(文和5年/延文元年[北朝]・正平11年[南朝]) ▣ユ2月10日(1月9日)京都雷風。(『京都気象災害年表』) ▣(3月28日)北朝第4代・後光厳天皇の時、兵革(戦乱)により、延文に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(7月18日)東大寺衆徒 、神輿を奉じ入洛。(2月3日)帰座。(『園太暦 』) ▣ユ9月9日(8月14日)近畿・京都大風雨・大洪水。近畿地方は長雨後、大風雨により鴨川・宇治川洪水。宇治橋流失、中洲の石塔流失。(『園太暦
』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本の自然災害』) ▣ユ9月19日(8月24日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ10月2日(9月8日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■1357年(延文2年[北朝]・正平12年[南朝]) ▣(4月24日)石清水八幡宮神人、日吉社馬上役拒み住宅焼き社頭に籠り、神輿を奉じ入洛との風聞。(『園太暦』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣夏 京都旱、以後3年続く。 ▣この年、諸国洪水。(『京都気象災害年表』)
■1358年(延文3年[北朝]・正平13年[南朝]) ▣(1月4日/3月3日)天龍寺焼亡。(『皇年代略記』『如是院年代記』『大乗院日記目録[大乗院寺社雑事記]』『妙法寺記』『園太暦』『皇代記』『空華日用工夫略集』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ5月13日(4月5日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣夏 京都旱魃。妙顕寺の大覚妙実、北朝第4代・後光厳天皇の勅により、読経僧数百人と桂川鳥羽の畔で雨乞を行う。雨は数日降り続いたという。 ▣(12月8日)足利義詮、征夷大将軍になる。(『愚管抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、諸国洪水。(『京都気象災害年表』)
■1359年(延文4年[北朝]・正平14年[南朝]) ▣ユ6月23日(5月27日)京都暴風雨。夜、六条若宮鳥居、祇園大政所鳥居顛倒。(『延文四年旧記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月20日)泉涌寺竹薗庵焼亡。夜戌刻。(『延文四年旧記』『日本災変通志』) ▣ユ8月17日(7月23日)京都大風雷。(『京都気象災害年表』) ▣(7月24日)宇治川水干る。暁。河橋水上の一大石俄に隠没。(『延文四年旧記』『日本災変通志』) ▣(8月17日)天狗横行の風聞。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月1日)京都大地震、子刻。(『延文四年旧記』『日本災変通志』) ▣(11月2日)西唐橋焼く。(『延文四年旧記』『愚管抄』『日本災変通志』) ▣(11月6日)畠山国清ら東国軍率い大勢入洛。(『延文四年旧記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月23日)足利義詮、東寺より摂津尼ヶ崎、畠山国清、河内に発する。(『愚管抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、諸国洪水。(『京都気象災害年表』)
■1360年(延文5年[北朝]・正平15年[南朝]) ▣(5月27日)足利義詮、摂津尼ヶ崎の陣より帰京。(『愚管抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ6月14日(5月)京都旱・疫。(『京都気象災害年表』) ▣11月22日(10月5日)紀伊・摂津の地震。M7.5-8。京都でも被害?
■1361年(延文6年/康安元年[北朝]・正平16年[南朝]) ▣(3月8日)醍醐寺如意輪堂・五大堂・尊師御影堂・鐘楼など焼亡。(『上醍醐寺伽藍炎上記』『東寺王代記』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(3月29日)北朝第4代・後光厳天皇の時、疾疫(疱瘡)・天変・兵革(戦乱)により康安に災異改元。(『皇年代略記』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(3月30日)京都大焼亡、夜、四条富小路より出火、四方86町焼亡。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(5月23日)「京都地大震」(『後愚昧記』『日本歴史災害事典』) ▣(6月9日)興福寺衆徒、 神木を奉じて入洛。朝廷、幕府に命じて制止。(『後愚昧記』) ▣(6月16日)京都地震、巳刻。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣7月28日(6月18日)より京都付近で地震多い。(10月18日)までとも。(『大乗院日記目録』『日本の自然災害』) ▣ユ7月23日(6月21日/22日)近畿大地震。(7月)まで続く。(『愚管記』『日本史総合年表』) ▣ユ7月24日(6月22日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)連日大地震。東寺諸堂危険。(『東宝記』『日本災変通志』) ▣ユ7月26日・グ8月3日(6月24日)「正平地震」、4時頃、畿内中部・南部・土佐・阿波の地震。(M8級、M8.3-8.5)、京都市震度5強。南海トラフの巨大地震?。(『日本被害地震総覧』「 地震インフォ」) ▣ユ9月16日(8月17日)京都大風。(『大乗院日記目録』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(9月23日)将軍・足利義詮、新熊野に没落、京中騒動。細川清氏ら若狹に没落。清氏宅放火。(『後愚昧記』『日本災変通志』)  ▣(10月27日)臨川寺焼亡。戌刻。(『後愚昧記』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(12月27日)南方軍勢没落、未刻、将軍方勢、入洛1000騎、将軍・足利義詮、東山・常在光院に入る。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(12月28日)楠木正儀ら京都に迫る。足利義詮、後光厳院を奉じ近江に奔る。義詮、再び入京し正儀ら戦わず退く。(『建武三年以来記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、京畿で旱魃。(『日本歴史災害事典』)
■1362年(応安2年/貞治元年[北朝]・正平17年[南朝]) ▣ユ2月8日(1月13日)東寺塔婆焼亡。朝、卯時。真言院焼失。東大寺雷火とも。(『大乗院日記目録』『興福寺略年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣(5月17日)京畿大地震。(『康富記』『日本史総合年表』) ▣(6月14日)京都疾疫流行。赤斑瘡流行。妙顕寺に祈祷させる。 (『進献記録抄纂』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月-12月(6月-11月)京都・近国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(9月22日)足利勢、摂津に向かい、義詮、東寺に陣する。軍勢帰洛。義詮、六角東洞院第に帰る。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月23日)北朝第4代・後光厳天皇の時、兵革・流行病・天変・地震(地変)により貞治に災異改元。(『皇年代略記』『大乗院日記目録』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)   ▣この年、京畿で旱魃。(『師守記』『日本史総合年表』) ⋄ 炎旱により、琵琶湖で水位10mほど下がる。湖底より橋・道跡など見つかる。(『大乗院日記目録』『太平記』『災害と生きる中世』)
■1363年(貞治2年[北朝]・正平18年[南朝]) ▣(閏1月29日)兵部卿・邦世親王御在所(北小路町)、白雲寺焼亡。(『師守記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(1月)京都疾疫流行。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ (6月17日)男山石清水八幡宮など、祇園社馬上役の件で神輿を奉じ入洛、神輿を投棄。(『皇年代略記』『大乗院日記目録』『如是院年代記』『古今最要抄』『後愚記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ12月15日(11月10日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月1日(11月27日)京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■1364年(貞治3年[北朝]・正平19年[南朝]) ▣(6月15日)万寿寺焼亡。厨・首塔寮など焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月17日)興福寺、春日神木を奉じ入洛。(『師守記』) ▣(7月25日)安楽寿院焼亡。(『東寺執行日記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(12月21日/20日)春日神人、強訴入京。(『大乗院日記目録』『如是院年代記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) 
■1365年(貞治4年[北朝]・正平20年[南朝]) ▣(1月2日)六条坊門辺焼亡。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣ユ5月11日(4月20日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(6月20日)三井寺衆徒、山科・竹鼻弾正と闘争、互いに死傷者あり。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月-11月)京都疾病流布。死者あり。去冬より疱瘡天下に遍ねし。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(11月8日)平等院廻廊焼失。夜。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』)
■1366年(貞治5年[北朝]・正平21年[南朝]) ▣春 京都疾疫流行。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月21日(6月13日)京畿大風。神祇官北庁、真言院倒れる。 (『皇代記』『師守記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(8月8日)斯波高経・義将父子、北国没落により洛中合戦。(『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ▣(11月17日)念仏堂(一条西洞院)焼亡。前参議・五辻俊氏第延焼(『吉田家日記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1367年(貞治6年[北朝]・正平22年[南朝]) ▣(1月3日)法輪寺焼亡。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(3月3日)北野社焼亡。小社十数社焼失、本社無事。(『大乗院日記目録』『日本災変通志』) ▣(3月23日/26日/晦日)天龍寺焼失。(『愚管記』『皇年代略記』『如是院年代記』『鳩嶺雑事記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(7月19日)禁裏最勝講で台回目に南都北嶺衆徒、南殿で闘諍し、紫宸殿堂上堂下で合戦。死傷者数知らず。公卿僧綱逃散、下部など御殿乱入。(『皇年代略記』『興福寺略年代記』『日本災変通志』)
▣(7月5日 )石清水八幡宮、神輿を奉じ入洛。(20日)、帰座。 (『師守記』)
■1368年(貞治7年/応安元年[北朝]・正平23年[南朝]) ▣(2月18日/27日)北朝第4代・後光厳天皇の時、兵革(戦乱)・天変・地妖・病患などにより応安に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣ユ5月27日(5月11日)京都近郊雹。石清水八幡暴雨。雹(桃実大)降る。一時ほどで止む。(『鳩嶺雑事記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(6月19日)石清水八幡宮、神輿を奉じ入洛。幕府、兵を派遣し制止 。(『花営三代記』) ▣ユ7月27日(閏6月12日)京都龍巻。(『京都気象災害年表』) ▣(8月11日頃)第98代・南朝3代・長慶天皇践祚。(『花営三代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月26日)延暦寺大衆、神輿を奉じ入洛。(『後愚昧記』) ▣(8月28日/29日)延暦寺衆徒、夜、日吉神輿4基を奉じ強訴入京。南禅寺祖禅の著『続正法論』に憤り、南禅寺撤却・祖禅らの遠流を朝廷に訴える。(『皇代記』『山門嗷訴記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(8月30日)東寺講堂四隅に仮柱立つ。大地震後の顛倒による。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(10月27日)臨川寺焼亡。酉刻。(『東寺王代記』『日本災変通志』)
▣(12月30日)足利義満、将軍になる。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1369年(応安2年[北朝]・正平24年[南朝]) ▣ユ2月8日(1月)石清水八幡宮、大雹(柚実大)降る。?(『皇年代略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣(4月1日)京都火災。夜、千本辺炎上。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(4月7日)京都火災。夜、北野辺、放火焼亡。(『後愚昧記』『日本災変通志』)  ▣(4月12日)日吉神輿4基、申刻、内裏に乱入、守門武士と合戦し両方死傷数多。退く時、衆徒放火。(『花営三代記』『皇代記』『日本災変通志』) ▣(4月20日)延暦寺衆徒数千人、南禅寺の件で甲冑帯し日吉神輿を奉じ入洛、内裏門内に侵入。法成寺で土岐康行に防がれ、退散時一条高倉辺に火を放ち神輿振り捨て撤退
。後光厳院・南禅寺楼門撤却・新造停止訴訟を許し、楼門毀つ。(『後愚昧記』『皇代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
 ▣(4月21日)賀茂祭で、雑人など一条大路で争闘、死傷者あり。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』)。 ⋄松尾社祭礼で神輿桂川渡御の時、下桂住人、神輿に矢を放つ。(「東文書」『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ8月30日・グ9月7日(7月27日/28日/25日)京都地大震。丑刻、京師大地震、東寺の講堂傾く。(『後愚昧記』『続史愚抄』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本被害地震総覧』「 地震インフォ」) ▣(7月27日/28日)幕府、夜、延暦寺衆徒の強訴により、南禅寺新造楼門を破却。(28日-8月3日)楼門破却し終わる。(8月3日)日吉神輿帰座。(『愚管抄』『後愚昧記』『日吉神輿御入洛見聞記』『皇代記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(8月6日)京都地震。不明 。 ▣ユ10月3日(9月2日)京都大風雨。夜、仁和寺本寺・円宗寺・観音院・太政官庁東門・真言院など顛倒。(『後愚昧記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)
■1370年(応安3年[北朝]・建徳元年[南朝]) ▣(7月15日/8月15日)京都雷雨。未終刻、九条経教の九条殿に落雷、青侍2人死亡。(『後愚昧記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月17日)石清水八幡宮神人、神輿を奉じ入洛。巳刻。七条室町辺で振棄てる。神輿、東寺若宮社に入れ、帰座。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(11月29日)八幡神輿帰座。夜。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月16日)山門公人ら、負譴物責と号し洛中処々に乱入狼藉。武家制止す。(『花営三代記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1371年(応安4年[北朝]・建徳2年[南朝]) ▣(3月23日)北朝第5代・後円融天皇践祚。(『花営三代記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月4日)犬神人と河原者、死人の衣裳めぐり争う。(『後愚昧記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月5日)石清水八幡宮神人、検校と争い社殿乱入。内陣破り神人7人御躰体前で自殺、その死穢により造替。前年とも。(『東寺王代記』『大乗院日記目録』『後愚昧記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ6月19日(5月6日)京都雨水。連日降雨、河川溢れる。(『愚管抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月12日(8月3日)京都雷雹。北小路今出川に落雷。(『吉田家日次記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月10日(9月)京都赤気(オーロラ)、2夜。(『鳩嶺雑事記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(11月16日)京都火災。夜、塩小路室町、蓮華寺焼亡。(『吉田家日次記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(11月)咳病流行する。(『吉田家日次記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月2日/1日)興福寺衆徒、春日神木を奉じ入京。一乗院主実玄・大乗院主教信の罷免を要請し、長講堂/六条殿に入れ奉る。(『吉田家日次記』『東寺王代記』『大乗院日記目録』『興福寺略年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) 
■1372年(応安5年[北朝]・文中元年[南朝]) ▣(2月)京都で疾疫流行。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月13日)西山善峰寺焼亡。(『花営三代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月27日)京都地震。(『大日本史』『日本災変通志』) ▣(10月25日)先に上賀茂社人と貴布禰社人、境界争う。この日、後光厳上皇(北朝第4代)、土地を上賀茂社に付す。(『続史愚記』) 
■1373年(応安6年[北朝]・文中2年[南朝]) ▣(5月3日・8日)大覚寺門徒、建長寺に放火狼藉。(『花営三代記』) ▣ユ6月2日(5月11日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(9月2日)京畿大風(台風)。申刻-寅刻、大風法風雨。内裏、土御門殿東南門・所々の門、車宿など顛倒、醍醐寺など被害。ほか人屋・仏閣・樹木など顛倒。(『後愚昧記』『愚管記』『皇代記』『大乗院日記目録』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ9月18日(9月2日)近畿大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(9月3日)京都雨。所々人屋仏閣悉く破壊。禁裏高倉面の棟門・太政官庁顛倒。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(9月28日)天龍寺焼亡。子・丑刻、仏殿・法塔・僧堂・衆寮・東司・山門など焼亡。(『愚管記』『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ10月18日(10月2日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(12月8日)細川頼之と山名師義の不和あり、諸国軍勢、京都に馳集まるとの巷説あり。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1374年(応安7年[北朝]・文中3年[南朝]) ▣(1月22日)後光厳上皇(北朝第4代)、疱瘡を病む。(29日)に死亡。(『後愚昧記写本』『日本災変通志』) ▣(5月10日)強盗、暁、禁裏(土御門殿)に乱入、唐門前で警固の武士(番衆)防戦し若党ら3人討死。(『花営三代記』『後愚昧記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月20日)延暦寺衆徒、 日吉七社(日吉社神人)・祇園・北野神人と神輿6基(赤山神輿も含む)を奉じ入洛。神輿振棄て、朝廷に神輿造替の遅延を訴える。神木・神輿の同時在京の初めとも。(『後愚昧記』『皇年代略記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(11月5日)興福寺衆徒の訴えにより、朝廷、前参議・安居院行知、三宝院光済らを配流に処する。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月13日)京都火災。四条坊門富小路と京極間焼亡。三条富小路と三条坊門室町間焼失。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月17日)春日神木、本社帰座。在洛4カ年は稀有とも。(『皇年代略記』『花営三代記』『日本災変通志』) ▣(12月24日)大炊御門道場焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月28日)春日神輿帰座。4年間延引の北朝第5代・後円融天皇即位式行われる。(『師守記』『日本史総合年表』) 
■1375年(応安8年/永和元年[北朝]・文中4年/天授元年[南朝]) ▣(2月9日)延暦寺焼亡。(『歴代皇紀』『大日本史』所引、『花営三代記』『日本災変通志』) ▣(2月27日)第98代・長慶天皇の時、山崩れ・地妖(地変)により天授に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(3月14日)京都火災。中御門油小路焼亡。(『師守記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1376年(永和2年[北朝]・天授2年[南朝]) ▣(6月14日)祇園会で鉾転倒し、老尼圧死。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(7月19日)芋洗橋で地下人、山名氏被官と衝突。(20日)山名氏、追補断念。(『後愚昧記』『日本史総合年表』) ▣(9月5日)この頃、盗賊横行。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1377年(永和3年[北朝]・天授3年[南朝]) ▣(2月18日)京都火災。北小路室町付近で出火、柳原第(持明院南、室町東)、仙洞御所、花御所(室町御所、崇光院御所)、菊亭(北小路北、柳ヶ辻西)、御霊社など焼亡。(『後愚昧記』『愚管記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(3月20日)京都火災。三条室町より出火、東は万里小路、南は四条坊門まで焼亡。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月2日)吉祥院焼亡。暁。(『東寺王代記』『如是院年代記』『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月5日(8月2日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月6日/7日)綾小路富小路より失火、夜。東は京極、西は猪熊、北は四条南、南は六条坊門辺まで延焼。南北7丁余、東西6丁余。 (『花営三代記』『後愚昧記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(8月8日)細川頼之と斯波義将が不和、浮説により軍兵など騒動。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月9日)京都大雨雷鳴。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(8月10日)将軍・足利義満邸に武士騒動。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣9月5日(8月20日)京都大風。子刻終、木折り屋発つ。(『後愚昧記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(9月27日)興福寺衆徒、 春日神木を宇治に渡御。(『愚管記』『日本災変通志』) ▣(10月10日)細川頼元、興福寺衆徒討伐。(『愚管記』) ▣(11月26日)興福寺の神木帰座 (『愚管記』『皇年代略記』『大乗院日記目録』『興福寺略年代記』) ▣(12月12日)仁和寺御室大聖院御坊焼亡。(『後愚昧記』『東寺王代記』『日本災変通志』) 
■1378年(永和4年[北朝]・天授4年[南朝]) ▣ユ9月5日(8月13日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(11月30日)臨川寺火災。夜半。(『東寺王代記』『花営三代記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣秋 疾病流行。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月12日)御室大聖院焼亡。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1379年(永和5年/康暦元年[北朝]・天授5年[南朝]) ▣(1月23日/22日)真如寺正脉庵より出火炎上。夜。(『花営三代記』『愚管記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月20日)洛中騒動。禁中変に備え具足など北山に運ぶとも。(『花営三代記』『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(3月6日)足利義満、近江守護・六角亀寿丸に京極高秀を討たせ、高秀第(四条京極)毀つ。(『後愚昧記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月22日)北朝第5代・後円融天皇の時、天変・疾疫・兵革により、北朝、康暦に災異改元。(『皇年代略記』『大乗院日記目録』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(3月26日)京都火災。四辻今出川辺焼亡。この頃火災相次ぐ。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月1日)賀茂新宮社焼亡。(『続史愚抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月14日)山門公人など祇園社に群集、新関廃止を訴え騒擾。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月13日/14日)興福寺衆徒、 春日神木を奉じ入洛。神木を六条殿に入れる。翌年(12月15日)、神木帰座。(『興福寺略年代記』『愚管記』『皇年代略記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(9月11日)歓喜光寺(六条道場)焼亡。亥刻。(『花営三代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(9月18日)六条念仏堂焼亡。夜。(『愚管記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(11月1日)鞍馬僧徒、賀茂社神人と争闘。神人、貴布禰社神宝など取り在家破壊。以後、貴布禰社破壊・顛倒時に賀茂社に遷し奉る。(『花営三代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月4日)東寺御影堂炎上、夜、亥刻終り-寅刻。西僧房より出火。小侍房(小子房)・西院の東向き両門・西四足大門など焼失。大師像・不動明王像などは取り出す。(『花営三代記』『皇年代略記』『東寺長者補任』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1380年(康暦2年[北朝]・天授6年[南朝]) ▣(12月12日)天龍寺庫司・東班など焼亡。申刻。開山以来の公文書全て焼失。 (『花営三代記』『空華日用工夫略集』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■1381年(康暦3年/永徳元年[北朝]・弘和元年[南朝]) ▣(5月18日 )石清水八幡宮、神輿を奉じ入洛。(『続史愚抄 』) ▣(11月10日)僧・元聖、悲田院建てる。(『空華日用工夫略集』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月12日)日野資教第・検非違使庁焼亡。(『愚管記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■1382年(永徳2年[北朝]・弘和2年[南朝]) ▣(閏1月22日)六角堂の阿彌陀堂・太子堂焼亡。(『如是院年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月16日)東福寺塔頭・海蔵院焼亡。『元亨釈書』版など焼失。(『元亨釈書慶長本奥書』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月11日)第100代・後小松天皇践祚。(『後円融宸記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1383年(永徳3年[北朝]・弘和3年[南朝]) ▣(4月19日)京都地震。夜。(『後愚昧記』『日本災変通志』) ▣(7月13日/12日)京都豪雨。前日来の降雨で鴨川・諸河川氾濫、四条橋・五条橋流失。人畜に多くの被害。(『吉田家日次記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(9月12日)延暦寺衆徒、後円融院(北朝第5代)が天龍寺に幸するとして、日吉社神輿を動座し停めんと嗷訴。(『吉田家日次記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(閏9月より以前/冬)第99代・南朝4代・後亀山天皇践祚。(『京都の歴史10 年表・事典』)
■1385年(至徳2年[北朝]・元中2年[南朝]) ▣(4月15日)六角大慈院焼亡。(『空華日用工夫略集』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(5月27日/28日)石清水八幡宮、神輿を奉じ入洛。東寺に入る。(『後鑑』『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ▣(12月)山名氏清、山城守護職になり入部、山城国堂舎・仏閣・民屋など焼却・破却。(『興福寺略年代記』『日本災変通志』)
■1386年(至徳3年[北朝]・元中3年[南朝]) ▣(8月25日)幕府、山門・諸社神人の催促乱暴を禁じる。(「室町幕府追加法」『京都の歴史10
年表・事典』)
■1387年(至徳4年/嘉応元年[北朝]・元中4年[南朝]) ▣(8月23日)第100代・後小松天皇の時、疾疫・流行病・公卿の近衛道嗣の死去により嘉応に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣この年、妙顕寺(四条櫛󠄁笥)山徒により破却。(『龍華古記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1389年(嘉応3年/康応元年[北朝]・元中6年[南朝]) ▣ユ2月18日(1月22日)京都落雷。東寺塔婆に落雷、大破・火難なし。(『東寺王代記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月9日)第100代・後小松天皇の時、死去多きこと・疫病流行により康応に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)
■1390年(康応4年/明徳元年[北朝]・元中7年[南朝]) ▣(3月26日)第100代・後小松天皇の時、天変・兵革により北朝、明徳に災異改元。(『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣ユ8月-10月(7月-8月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』)
■1391年(明徳2年[北朝]・元中8年[南朝]) ▣(9月晦日)東山・三聖寺焼亡。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(10月15日/16日)京都地震。午刻。(『明徳記』『康富記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(11月10日)因幡薬師堂焼亡。(『南方紀伝』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月26日)白川村・浄土村人、吉田社神人と闘う。(『鈴鹿家記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月30日)「明徳の乱」「内野合戦」、山名氏清・氏家・満幸の勢、洛西より京都に迫る。幕府軍の大内義弘・細川頼之・畠山基国らの勢と、二条大宮・洛西内野・猪熊辺で戦う。二条大宮で氏清討死、満幸・氏家ら敗走。近辺東西10余町、人馬屍山の如し。(『如是院年代記』『東寺王代記』『明徳記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)
■1392年(明徳3年[北朝]・元中9年[南朝]) ▣ユ11月27日(閏10月13日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(10月)上醍醐数房焼亡。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(閏10月2日)第99代・後亀山天皇、京都に帰り、神器を第100代・後小松天皇に授け南北両朝の合一成る。(『南山御出次第』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣この年、栗売買課税権の件で、西七条で山科殿御使・御厨子所使所丹波国栗作御薗供御人と蔵人争論。(「山科家古文書」『京都の歴史10 年表・事典』)

|
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 8室町時代前期 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。 |
 |
 |
©2006- Kyotofukoh,京都風光 |
京都歴史災害年表 7
|
 |