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京都歴史災害年表 2
平安時代中期(901-1000) |
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1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・霰・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆平安時代中期 901-1000
■901年(昌泰4年/延喜元年) ▣ユ8月17日(7月)京都強雷。(『京都気象災害年表』)
■903年(延喜3年) ▣(7月24日)止雨のため2社(貴布禰・丹生川上)に祈る。(『日本紀略』『日本災変通志』)
■904年(延喜4年) ▣(3月2日)京中で前安芸守・伴忠行、群盗により殺される。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月14日)京都洪水。朝集院殿(大内裏朝堂院内)浸水。(『歴代宸記(醍醐)』) ▣(6月19日)検非違使、群盗を捕えた功で賞を与えられる。(『西宮記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月10日)京都旱により石清水八幡に使遣す。(『日本紀略』『日本災変通志』)
■905年(延喜5年) ▣ユ7月5日(6月)京都霜雪。(『京都気象災害年表』) ▣(9月5日)高陽院(大炊御門北、堀川東)失火・焼亡。夜。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■906年(延喜6年) ▣ユ4月26日(4月)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) 
■907年(延喜7年) ▣この年、京都洪水。(『京都気象災害年表』)
■908年(延喜8年) ▣(4月17日)斎王の禊場で木工寮の工変死。(『西宮記』賀茂祭裏書、『疫病の古代史』) ▣ユ7月1日(6月)京都・諸国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(7月9日)左右京職に路辺の骨を埋めさせる。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣夏 旱魃のため百姓の請いにより神泉苑の水門開く。(『日本紀略』『祈雨記』『日本史総合年表』) 
■909年(延喜9年) ▣(1月1日)雨湿のため朝賀停む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(1月27日)常平所で穀価定められ、米穀売られる。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣ユ6月9日(5月19日)京都洪水。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ6月25日(6月5日)京都大雨洪水。洪水により京中浸水。(『扶桑略旧』『京都気象災害年表』) ▣(6月19日)公家らに賀茂川堤を巡検させる。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月5日)右大臣・源光ら、賀茂川堤を覆勘(審査・保証)する。(『扶桑略記』『京都事典』) ▣(9月9日)雨のため重陽の宴停む。(『日本紀略』『日本災変通志』)
■910年(延喜10年) ▣(1月1日)雨湿のため朝賀停む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ6月2日-3日(4月22日-23日/4月22日)京都大風雨。風雨猛烈、京中舎宅損ず。屋舎多く破損。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ7月-9月(6月-7日)京都・諸国大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(7月7日)大臣・源光ら賀茂川堤を覆勘(審査・巡検)。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(7月10日)旱害のため奉幣・大赦など行う。(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣ユ8月25日(7月18日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月7日(8月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■911年(延喜11年) ▣ユ6月29日(6月)京都霖雨洪水。霖雨止まず、洪水氾濫。「六月洪水」。(『日本紀略』『皇年代略記』『大日本史料1-4』『日本中世気象災害史年表稿』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■912年(延喜12年) ▣(5月23日)京都賑給。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(12月19日)京都火災。火災被害者(舎宅失った者)に米与える。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本歴史災害事典』)  
■913年(延喜13年) ▣ユ7月27日(6月21日)京都落雷。亭子院に落雷。(『貞信公記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣夏 諸国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月3日(8月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(8月2日)京都大風。樹木・屋舎多く倒れる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄勅、左右京、風損家に賑給。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ12月7日(11月7日)京都大風。大風猛烈。左馬寮顛倒、人死す。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■914年(延喜14年) ▣(5月2日)京都大火。未刻、東京左京一条・二条大火、舎・民家617/670戸焼失。(『日本紀略』『皇年代略記』『神皇正統録』『仁寿鏡』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『平安京の災害史』) ▣(5月4日)失火家々に賑給。(『貞信公記』) ▣(5月24日)阿闍梨観賢、神泉苑で晴雨経法・孔雀経を修す。(『日本災変通志』) ▣ユ7月10日(6月15日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月-)京畿旱天。
■915年(延喜15年) ▣(1月1日)雨湿のため朝賀停む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月6日)降雨、夜虎時、淑景舎顛倒、男児死す。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月20日)旱害・疫病(疱瘡、疫癘)攘い、甘雨のため大極殿で臨時御読経を行う。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月24日)甘雨を祈り観賢は神泉苑で請雨経を修し、陰陽寮五竜を祀る。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣夏 疱瘡流行し、帝(第60代・醍醐天皇)も患う。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣(10月26日)京都疾疫流行。疱瘡流行により大赦、延喜10年以前の未進調庸・今年の徭の半分免除。(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣(10月)前月とともに皰瘡流行。このため大祓い・名僧読経・建礼門前で鬼気祭。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣秋-冬 京都疾疫流行。疱瘡大流行。(『京都事典』) ▣この年、京都・諸国旱損。(『北山鈔』『 日本震災凶饉攷』『京都気象災害年表』『日本中世気象災害史年表稿』) ⋄京都など旱損。庶民に神泉苑の水を汲ませる。 
■916年(延喜16年) ▣(1月)去年の皰瘡の災により朝賀内宴を止む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ6月6日(5月3日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣6月24日(5月21日)京都大風雨、巨木抜き、鴨川溢す。(『分類本朝年代記』『日本災変通志』) ▣ユ6月25日(5月22日)中納言・藤原定方ら鴨川堤巡検。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ⋄京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣この年、京都大風雨。(『京都気象災害年表』) 
■917年(延喜17年) ▣ユ4月17日(3月23日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月-翌年2月(7月-12月)京都旱飢。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ2月1日(12月17日)京都酷寒。(『京都気象災害年表』) ▣(12月20日/19日)(9月)より降雨なく、旱天続き渇水のため、井泉涸渇、二条以北尤も甚だしい。陽成院上皇(第57代)は冷泉院東北門を開き、一般人民に池水を汲ませる。天皇御供の井水枯れ尽くす。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』『日本の自然災害』) ▣(12月21日/19日・20日)京都旱天・渇水。冷泉院の池水枯れ、人々に神泉苑の泉水を汲ませる。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(12月25日)三善清行、火災頻発・紅花裳値暴騰を理由に、深紅色の衣服を禁ずべき旨奏上。(『貞観政要』『日本史総合年表』) ▣(12月26日)京畿、井泉枯れ尽き火急告ぐ。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣翌年2月(12月)京都旱飢。(『京都気象災害年表』) 
■918年(延喜18年) ▣(6月24日)京都落雷。落雷により東寺金堂焼亡。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣9月22日(8月15日)京都大風。死者多数。(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣ユ9月23日(8月16日/15日)京都大風雨・洪水。樹抜き、屋発く。(『扶桑略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣9月24日(8月17日)京都・畿内諸国大風雨。近畿地方が暴風雨に見舞われ京都・奈良などで水害発生。淀川氾濫し大洪水、溺死者多数。淀川の水、海水溢れるかの如く、山崎橋南端に2間余水入る。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本の自然災害』) 
■919年(延喜19年) ▣(8月27日)近衛以東、二条以北の井泉涸れる。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■920年(延喜20年) ▣(3月)京都風水。春。 (『大日本史』『 日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』)  ▣(6月)京都大旱。夏。(『大日本史』『 日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣ユ8月30日(7月14日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣(9月9日)諸国不堪佃田(荒廃田)・夏の咳病のため重陽宴停む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣この年、京都風水。(『京都気象災害年表』) 
■922年(延喜22年) ▣(4月5日)京都疾疫流行。祭主大中臣安則に京中疾病を祈攘させる。(『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(5月)京都疾疫流行。京中咳病。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月5日)京都疾疫流行。病厄により仁王経転読。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月29日)京中病疫消すため、11社で仁王経転読。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ8月9日(7月14日)京都旱。炎旱により神泉苑で請雨経法修す。(『扶桑略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月9日)諸国不堪佃田(荒廃田)のため重陽宴止む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(10月14日)斎宮寮焼亡。(『扶桑略記』)
■923年(延喜23年/延長元年) ▣(1月21日)京都疾疫流行。京中咳病往々に聞えあり、災攘うため諸社に祈りを命ず。咳病流行により祭主大中臣安則に祈攘させる。(『日本紀略』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(1月27日)京都疾疫流行。咳病攘いのため紫宸殿で臨時読経。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(4月21日)京都洪水。羅城門東西、船往来。(『東寺王代記』『日本災変通志』) ▣(閏4月11日/5月11日)第60代・醍醐天皇の時、水潦・疾疫・旱魃?により延長に災異改元。(『日本紀略』『皇年代略記』『奈良年代記』『如是院年代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』)  ▣ユ6月8日(閏4月21日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月9日)京都疾疫流行。夏の疫癘により重陽宴止む。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣この年、京中に咳病流行。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『平安京の災害史』)
■924年(延長2年) ▣(4月26日)京都火災。東宮町(中御門南、大宮東)西辺より失火、民家90余家焼亡。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月11日(5月7日)京都大雨洪水。京中浸水、鴨川溢れ往還通ぜず。(『扶桑略記』『貞信公記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月5日(8月4日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣ユ12月13日(11月15日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■925年(延長3年) ▣ユ2月9日(1月14日)京都大雪。7寸。(『京都気象災害年表』) ▣(5月30日)京中の盗人捜捕のため、左右京職に道守屋を作らせ群盗を検察する。(『西宮記』『京都事典』『日本史総合年表』) ▣ユ5月-8月(5月-7月)京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(6月13日)京都疾疫流行。第60代・醍醐天皇、疱瘡を罹患。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(7月19日)京都大旱。神泉苑の水を京南の田に灌漑。(『日本紀略』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(7月21日)祈雨。十五大寺・諸寺・比叡山など。(『日本紀略』『日本災変通志』)
■926年(延長4年) ▣(1月1日)地震、午刻、第60代・醍醐天皇南殿に避難。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(2月25日)中御門末に炎火。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(5月7日)左右京職、倉銭・常平所潰穀など賑給。防鴨河使を廃止。(『貞信公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ8月29日(7月19日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■927年(延長5年) ▣(4月10日)山崎橋壊れる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■928年(延長6年) ▣ユ1月26日(1月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(3月13日)嵯峨檀林寺悉く焼亡。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■929年(延長7年) ▣(3月)京畿諸国・疫癘流行。死者道路に溢れる。(『山城志』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣ユ9月2日(7月26日)京都大風雨・洪水。鴨川堤が決壊し、末流は東京に入る。京中被害甚だしい。鴨川・葛川(葛野川、桂川)辺、人・物流亡。左京・左岸の白河辺浸水。東京の盧舎多く壊(溺損)れ、山崎橋断え、諸国人畜多く死す。穀稼損傷。(『扶桑略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣(7月)京都・諸国大風雨洪水。稼穀を損し人多く溺死。(『大日本史』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣(8月1日)山城国正税(稲1万束)を水害被災百姓などに賑給。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月20日(8月15日)京都大雨洪水。終朝暴雨、夜中に洪水氾濫、東西京七条以南は人馬通ぜず、皇城南の田も海の如し、穀種流漂、溺死者多し。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』) 
■930年(延長8年) ▣(2月6日)左右京の病人に賑給。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月14日/13日)京都疾疫流行。検非違使・左右京職、路辺の疫病者を施薬院・悲田院などに収容し、食料など支給。(『扶桑略記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本史総合年表』) ▣ユ5月-7月(5月-6月)京都不雨。(『京都気象災害年表』) ▣春-夏 疾癘甚だ流行。(『山城志』『日本災変通志』) ▣ユ7月6日(6月8日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(6月26日)旱魃により神泉苑の池水を京南の田に灌漑。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ⋄午後、清涼殿落雷惨事、第60代・醍醐天皇病になり、大納言・藤原清隆、右大弁・平希世、近衛忠包、紀蔭連ら震死。後に菅原道真の崇りとも。(『日本紀略』『皇年代略記』『神皇正統録』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ8月1日(7月5日)京都雲なく雷。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月16日(7月20日)京都大雷雨。(『京都気象災害年表』) ▣(9月27日)第61代・朱雀天皇践祚。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月5日)中六条院火災。(『日本紀略』『日本災変通志』)
■931年(延長9年/承平元年) ▣(1月3日)東ノ京一条失火。夜。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(2月3日)左獄東町で失火。亥刻。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(2月8日)京都群盗多発。近衛府・衛門府・検非違使らに夜警させる。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣ユ3月4日(2月13日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(3月20日)京中飢者50余人に賑給。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ7月25日(6月8日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月8日)検非違使・諸衛官人らに群盗捕えさせる。(『貞信公記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■932年(承平2年) ▣(3月7日)女四宮焼亡。丑時。(『貞信公記』『日本災変通志』)
■933年(承平3年) ▣(1月20日)左大史・坂上経行、皇嘉門前で群盗に襲われ、衣裳奪われる。(『日本紀略』) ▣(1月23日)群盗横行し、左右衛門府・左右兵衛府・左右馬寮などの番で、毎夜の巡検命じる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣(1月)洛中群盗起る。(『日本王代一覧』『日本災変通志) ▣(6月3日)諸陵寮焼亡。夜。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ8月6日(7月13日)京都台風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ11月9日(10月19日)京都落雷。東大寺に落雷。(『京都気象災害年表』)
■934年(承平4年) ▣ユ7月11日・グ7月16日(5月27日)京都地震。М6.0、午の刻に地震2回、京中の築垣多く転倒。(『神皇正統録』『日本被害地震総覧』『日本災変通志』「 地震インフォ」) ▣ユ11月28日(10月19日)京都落雷。東大寺に再び落雷。(『京都気象災害年表』)
■935年(承平5年) ▣ユ4月11日(3月6日/25日/16日)延暦寺雷火。延暦寺中堂・唐院・傍の堂・食堂など40余宇焼亡。申刻。仏像法具など僅かに取り出す。(『日本紀略』『奈良年代記』『神皇正統録』『皇室年代略記』『東鑑』『師世ノ注進』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(5月4日)甘雨を祈るため、大極殿で大般若経読誦。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ5月9日(4月4日)京都晩霜。(『京都気象災害年表』)
■936年(承平6年) ▣(1月1日)雨湿のため朝貢止む(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(7月5日)夜、鴨川唐(辛)橋の中間焼く。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■937年(承平7年) ▣ユ4月14日(3月1日)京都晩霜。(『京都気象災害年表』)
■938年(承平8年/天慶元年) ▣ユ5月17日・グ5月22日(4月15日)「京都・紀伊国地震」近畿中部。地大振動、京都・紀伊などで地震(M7.0)、宮中内膳司の転倒により圧死者4人。宮城の大垣・筑地塀、内膳司など破壊、家屋全壊多数。京中垣墻(えんしょう)すべて倒壊。その後も余震が多く、(8月6日)に大きな余震。その後も(10月/11月末)まで余震続く。京都周辺の活断層(『日本紀略』『貞信公記』『日本高僧伝要文抄』『貞信公記』『扶桑略記』『如是院年代記』『仁寿鏡』『本朝世紀』『山城志』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『平安京の災害史』『日本被害地震総覧』『日本の自然災害』「 地震インフォ」) ▣(4月18日)地大震。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(4月24日)地震により左右獄囚者30人特赦。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(5月22日)第61代・朱雀天皇の時、厄運・大地震・兵革の慎みにより天慶に災異改元。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『平安京の災害史』) ▣ユ6月26日(5月26日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(5月28日)地震を止めるため延暦寺ほか寺々、3日間、最勝王経転読。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ7月19日(6月20日)京都大風雨・洪水。鴨川氾濫、水、京中に入り多く損ず。多くの人屋漂わす。屋舎雑物入り、西堀川以西(京城含む)浸水し往還できず。(『貞信公記』『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』) ⋄同日(6月20日/6月)京都近畿大雷震・地震。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(7月8日)十五大寺・延暦寺・京辺諸社寺に仁王経を読ましむ。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(8月6日)京都再び大地震。京中官舎・築地塀、民家多く顛倒。(『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『平安京の災害史』) ▣(8月12日)石清水八幡宮の道俗、山科・藤尾寺新宮壊す。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月)京都大雨。秋、河水溢れ、民屋多く壊る。(『大日本史 』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) ⋄京中庶民、大小の木像祀り、土岐神・御霊と称する。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『平安京の災害史』) ▣(10月17日)修理職・五畿内・近江・丹波・梁間に地震により壊れた宮城を修理させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月30日(12月6日)京都大雪、一許尺(30㎝)、一丈(3m)?。(『日本紀略』『神皇正統録』『日本災変通志』) ▣この年、空也、京都に入り、市で阿弥陀号を唱える。(『元亨釈記』『日本史総合年表』)
■939年(天慶2年) ▣(4月14日)終日雨、加茂祭で斎王社頭参るに諸司鴨川の河水渡るを得ず。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(5月27日)中納言・藤原実頼ら公卿に鴨川堤(下鴨社-唐橋辺)巡検させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ6月-8月(6月-7月)京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(7月17日)旱魃により神泉苑の水を放出し、紀伊郡百姓などに給う。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(閏7月2日)美作掾・藤原公茂宅(東五条辺)より失火。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(閏7月3日)西堀川西近衛辺で失火。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(12月9日)太政大臣・藤原忠平、家人を遣わし京中の困窮者に賑給。(『貞信公記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■940年(天慶3年) ▣(3月1日)郁芳門大路(大炊御門大路)南で火事。(『貞信公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月7日)東京三条失火。馬寮御門と西大路間。(『貞信公記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月9日)常住寺僧坊焼亡。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(3月10日)野寺四王院火災。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月29日)外記西廊顛倒。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ9月5日(8月日) 京都風雨災。(『京都気象災害年表』) ▣(11月27日)冷泉院西町焼失。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣翌年ユ1月7日(12月7日)京都雪。積雪3尺 。(『京都気象災害年表』)
■941年(天慶4年) ▣(1月20日/24日)延暦寺天台惣持院焼亡。(『日本紀略』『東寺王代記』『日吉社幷叡山行幸記』『華頂要略』『天台座主記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■942年(天慶5年) ▣(4月6日)鴨川の修築成り、左中弁・小野好古など巡検。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(4月30日)京極口、財物奪う。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月1日)諸衛府に京中夜行させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月29日)京中強盗、滝口武士に諸衛府・検非違使を副え夜行させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月23日(8月11日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) 
■943年(天慶6年) ▣(3月12日)穀倉院の倉2宇、庁舎1宇火災。夜。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■944年(天慶7年) ▣(9月1日)左近衛府で火事。(『北山抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月21日(9月2日)京都・畿内(諸国)大暴風雨。夜、京内の諸司官舎顛倒、信濃守紀文幹、国府庁舎の下敷きで圧死、民屋顛倒。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(9月3日)天下大風、京洛官舎・門楼多く顛倒。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ9月30日(9月11日)京都大風洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月)京都・諸国大風大雨。河溢る。(『扶桑略記』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』)
■945年(天慶8年) ▣(3月12日)比叡山座主坊焼亡。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(5月13日)豊楽院北門半ばより顛倒。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ6月13日(5月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣9月6日(7月27日)京都大風雨。畿内大暴風雨。(『京都気象災害年表』) 
■946年(天慶9年) ▣2月25日(3月30日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(4月20日)第62代・村上天皇践祚。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月15日)祈雨のため第62代・村上天皇は八省院に幸し伊勢・諸社に奉幣。(『貞信公記』『日本災変通志』)
■947年(天慶10年/天暦元年) ▣(2月13日)法性寺北野僧坊1宇焼亡。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(2月26日)群盗、賀茂斎院に入る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣春 京都温暖。(『京都気象災害年表』) ▣(4月13日)法性寺北野の僧房1宇焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ5月14日(4月21日)京都晩霜。(『京都気象災害年表』) ▣(4月22日)第62代・村上天皇の時、天暦に代始改元・災異改元とも。(『日本年号史大事典』) ▣7月7日(6月17日)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)京都疾疫流行。疱瘡流行、人庶多く罹りて夭死。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ7月23日(7月3日)京都大風雨・洪水。午後より風雨、舎室顛倒。宮内省南門・大蔵省後庁・掃除部寮西屋・左馬寮造酒司南門・典薬寮東檜皮葺屋など顛倒。河水漲り溢れる。(『貞信公記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』) ▣ユ9月6日(閏7月19日)京都大風。日中より大風、京中に妖言あり。疫癘疱瘡煩う者多し。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(8月15日)京都疾疫流行。疱瘡流行、30歳以下男女小瘡。(『日本紀略』『疫病の古代史』) ▣(8月17日)京都疾疫流行。第62代・村上天皇・第61代・朱雀天皇は疱瘡に罹患。 ▣(8月19日)京都疾疫流行。疱瘡・赤痢大流行のため、東西京に米100斛・塩30斛賑給。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣この年、京都疱瘡大流行のため、鬼気祭・大祓・四隅四界祭など行う。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』)
■948年(天暦2年) ▣(1月17日)北白川の東光寺焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月27日)群盗右衛門府に入る。夜、丑の刻。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(3月28日)群盗造酒司に入り、御器など盗取。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(3月29日/末)京中強盗横行。人・物を奪取。四府・馬寮に夜行させる。(『日本紀略』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月3日)強盗横行により、諸衛府に陣直させる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月18日)旋風により、賀茂祭で前駈け中落馬・脱冠の者あり。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣ユ6月12日(5月3日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣(5月15日)人宅(待賢門大路南方、高倉小路東方)に群盗入り主人殺す。夜。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(5月25日)朱雀院西の対南(中宮御在所)、廂1間、故なく破壊される。昨夜。(『貞信公記』『日本災変通志』) ▣(6月1日)群盗、勧学院に入る。(『貞信公記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月9日)藤原師輔の桃園第焼亡。(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣(6月16日)衛府官人、京中強盗を捜索。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月22日(7月15日)京都風雨水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月3日(7月27日)京都風雨。暴風大雨、京中舎屋多く顛倒、圧死者多し。(『貞信公記』『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(10月28日)馬司の西辺焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ12月3日(10月30日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月10日)強盗横行し、諸衛府に夜行させる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月)京中群盗多し。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣この年、京都疾疫流行。京師皰瘡を煩う。昨年に続き疱瘡流行。(『山城志』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』)
■949年(天暦3年) ▣(1月2日)延暦寺根本中堂焼亡。(『九暦』『興福寺略年代記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(4月18日)鴨川堤破損の巡検。(『九暦』) ▣(5月22日)近頃、粟田山路崩れ、山城国司に実検させる。(『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月4日)院の下諸衛舎人の屋破壊。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月6日)諸衛舎人数百人の群党、院の御厨預り・中務丞佐忠宅を打ち破る。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月29日)京都炎旱。京中に賑給。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(7月4日/5日)炎天甚だしく、田園憔枯、紀伊郡百姓の請により神泉苑の水を給う。池水京南の田に注ぐ。(『日本紀略』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ7月19日(6月21日)京都旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(8月1日)鴨川・大堰川氾濫。(『日本紀略』『京都事典』) ▣(9月)元慶寺焼亡。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(10月27日)尚侍殿政所屋失火。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(11月14日)冷泉院焼亡。子刻。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(12月15日)太政大臣家(小一条)失火、浄行法師童子1人焼死。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■950年(天暦4年) ▣(10月15日)朱雀院、嶋町の雑舎失火。(『皇年代略記』『園太暦』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■951年(天暦5年) ▣(10月26日)下鴨神社の幣殿焼亡。(『永昌記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣悪病が蔓延。 ▣京畿内大疫、空也、8尺の十一面像(六波羅蜜寺本尊嚢)を刻み修法し、疫病即止す。(『壒嚢鈔』第十の三十九、『日本災変通志』)
■952年(天暦6年) ▣(3月23日)天変により、左右京に賑給。(『西宮記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣元慶寺焼亡。 (『東寺王代記』『日本災変通志』)
■953年(天暦7年) ▣(2月12日/17日)京都火災、藍園町(大炊事御門北・町尻東)より失火し、神祇官後庁1宇類焼。(『村上天皇御記』『扶桑略記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■954年(天暦8年) ▣(3月11日)火災のため冷然院を冷泉院に改める。(『河海抄』『二中暦』『拾芥抄』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■955年(天暦9年) ▣(閏9月21日)京都疾疫流行。来月の残菊宴停める。(『朝野群載』『日本災変通志』) ⋄駿河介橘忠幹、賊に殺される。(『政事要略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■956年(天暦10年) ▣(3月)天変により、左右職に賑給。(『西宮記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月31日(7月23日)京都大旱。(『京都気象災害年表』)
■957年(天暦11年/天徳元年) ▣(2月11日)神祇官失火、夜、蔵宇、宮城大垣5間焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(2月15日)広平親王二条家失火。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(3月8日)元慶寺(花山寺)の僧坊・雑舎7宇焼亡。(『九暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月24日)天変のため、東西京に賑給。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ7月24日(6月25日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(9月25日)学館北町で狼、3人の女を噛み殺す。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(10月27日)第62代・村上天皇の時、水旱により天徳に災異改元。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(11月29日)大舎人寮庁舎1宇、西門失火。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(11月30日)盗賊、大蔵省長殿に入り鍬鉄など盗む。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣翌年ユ1月12日(12月20日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣この年、穀物騰貴のため常平所置く。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄この年、京都水害・旱・疫癘・穀価騰貴し、民庶多く饑ゆ。(『公卿補任一代要記』『 日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』)    
■958年(天徳2年) ▣(3月30日)法性寺の一部焼亡。(『日本紀略』『九暦』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ4月24日(4月3日)京都雹雪。(『京都気象災害年表』) ▣(4月10日)強盗、右獄(西囚人獄、中御門北、西堀川西)を破り囚人放す。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月14日)右京一条二坊1278町で火事。(『日本紀略』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(6月15日)二条院焼亡。子二刻。(『日本紀略』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(7月18日)盗賊、大蔵省下殿に入り絹100疋盗む。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■959年(天徳3年) ▣(3月13日/3月)祇園感神院と清水寺が闘乱。検非違使が制圧。(『日本紀略』『日本王代一覧』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ6月24日(5月16日)京都霖雨・洪水。雨晴れず、京都洪水。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』『新訂増補国史大系』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣(7月5日)祈雨、丹生川上神・貴布禰社。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(8月3日)右大臣・藤原師輔の桃園第雑舎焼亡。(『日本紀略』『九暦』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ9月13日(8月8日)京都大風。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(10月)中務官焼亡。(『太神宮宮諸雑事記』『日本災変通志』) ▣(10月)延暦寺焼亡。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣(12月14日)賑給のため、殿上の諸衛府佐に京中の隠居高年者人数を調べさせる。(『九暦』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣この年、京都疾疫流行。頸腫(福来病、甲状腺腫)流行する。(『日本紀略』『池亭記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』)
■960年(天徳4年) ▣ユ3月17日(2月17日)京都落雷。大膳職醤院に落ちる。(『日本紀略』『京都気象災害年表』) ▣ユ6月4日(5月8日)京都霜。(『京都気象災害年表』) ▣(7月23日)大旱のため山城国の請により、3カ日神泉苑の水放出。(『日本紀略』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月26日)この頃、炎旱、農民、神泉苑の池水乞う。(『日本災変通志』) ▣ユ9月11日(8月18日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(9月23日)内裏焼亡。夜、亥三刻、宣陽門内方北掖陣より出火、内裏が全焼、温明殿の内侍所に納めてあった累代天皇家三種の神器の一つの神鏡(八咫鏡、やたのかがみ)も焼失。神鏡飛んで南庭桜上にあったなどとも。第62代・村上天皇、職曹司を経て冷泉院に移る。(『日本紀略』『興福寺略年代記』『神明鏡』『古事伝』『見聞私記』『東寺長者補任』『日本王代一覧』『濫觴抄』『扶桑略記』『村上天皇御記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(9月29日)勧学院庁舎焼亡。(『扶桑略記』『日本災変通志』) ▣(10月5日)大学寮(二条壬生西)南堂曹司・算堂東3間など焼亡。(『日本紀略』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)群盗横行、検非違使・衛府に夜行させる。(『西宮記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■961年(天徳4年/応和元年) ▣(2月12日)内裏焼失。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(2月16日)第62代・村上天皇の時、皇居火災・辛酉革命慎み・災異により応和に災異改元。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣ユ7月7日(5月22日)京都大雷。(『京都気象災害年表』) ▣(5月-6月)京都など旱魃。 ▣(6月21日)山城国に大井堰料として舖設300枚を給する。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月16日(6月)諸国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月14日(7月1日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月15日(7月2日)京都、前夜大風。本日終日降雨。(『日本災変通志』) ▣(7月-8月)京都霖雨。 ▣ユ12月17日(11月7日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月15日)衛府・馬寮・兵庫寮官人に、京中盗賊を捜索させる。(『西宮記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■962年(応和2年) ▣ユ7月3日(5月29日)京都霖雨・洪水。鴨川大洪水、堤決壊。京路不通。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(5月)京都霖雨・洪水。(『大日本史』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣(6月11日)止雨のため、伊勢神宮など諸社に止め雨祈願の奉幣を行う。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月19日)右兵衛府長倉1宇・曹司屋火災。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月25日)左近衛府の長倉、曹司屋焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月30日)畿内諸国に大暴風雨。京都は殊の愁いなし。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本の自然災害』) ▣(11月)唐橋の造営用材を国々に進上させる。(『東大寺要録』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■963年(応和3年) ▣(6月25日/6月下旬)神泉苑の池水を京南紀伊郡に漑ぐ。大井川堰料として薦300枚を葛野郡に各々給した。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣夏 京都・近国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(8月23日)空也、鴨川原で金字般若経を供養、夜に万燈会を行う。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月22日)左右京の保長・刀禰に京中夜行させる。(『西宮記』『京都の歴史10
年表・事典』) 
■964年(応和4年/康保元年) ▣ユ6月19日(5月7日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月10日)第62代・村上天皇の時、康保に災異・革年改元。(『日本年号史大事典』)
■965年(康保2年) ▣(7月4日)雅楽寮焼亡。子刻、七間舎1宇失火、楽器皆焼失。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ9月25日(8月28日)京都大風雨・洪水。京中大風により、諸司・京中舎屋破損。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月27日)兵庫寮倉焼亡。累代戎具全焼。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(11月25日)詔、賑恤。天変・地震・火災により半徭(公役半分)を免ず。(『日本紀略』『日本災変通志』)  
■966年(康保3年) ▣ユ9月5日(8月18日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(8月26日)霖雨により丹生川上神・貴布禰に奉幣。(『日本災変通志』) ▣ユ10月5日(閏8月19日)京都霖雨洪水。桂川氾濫、西獄(右京一条二坊十二町)・五六条、桂川周辺・五条橋以南・六条以南が渺々海の如し。洪水巡検。(『日本紀略』『河海抄』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(9月9日)洪水により京畿内に賑給。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(10月28日)延暦寺の惣持院・講堂・延命院など諸堂焼亡、30宇焼失。(『日本紀略』『東寺王代記』『皇年代略記』『興福寺略年代記』『満済准号日記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■967年(康保4年) ▣(5月25日)第63代・冷泉天皇践祚。(『平安遺文』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月1日)延暦寺僧兵の乱妨を禁ずる。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』)
■968年(康保5年) ▣(3月26日)狼、春宮坊西門より中院に入る。滝口武士射殺。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ6月18日(5月20日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ⋄在原義行、内裏参所で強盗に刺殺。(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣(5月26日)鴨川洪水。京中洪水、河水盈溢し往反通ぜず。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(9月16日)京辺東西山野の盗賊を捜索。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(12月20日)中務省籍御倉焼亡。夜。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■969年(安和2年) ▣(2月7日)藤原師尹の家人と藤原兼家の家人が乱闘(『日本紀略』『日本史総合年表』) ▣(2月19日)東宮御所の昭陽舎が放火。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(3月25日)安和の変、源満の密告で、左大臣・源高明らが流罪に処せられた。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月26日)左衛門陣東方堀19間故なく顛倒。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(4月1日)源高明の西宮第焼亡。冷泉院南門顛倒、牛1頭圧死。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ9月6日-7日(7月22日-23日/7月22日)京都大風暴雨。夜、厨家南門・内堅所庁・兵庫寮南門・典薬寮南門など顛倒。官舎・民屋多く倒れる。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月5日)旱魃により丹生川上神・貴布禰社に祈雨奉幣。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(7月18日)祈雨十一社(木島・乙訓・火雷など)に奉幣。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(8月13日)第64代・円融天皇践祚。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月21日)内教坊焼亡。夜。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)
■970年(安和3年/天禄元年) ▣(4月2日/3日)御所冷泉院焼亡。夜半。(『日本紀略』『東寺王代記』『百練抄』『皇年代略記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(4月20日)天台惣持院焼亡。夜。(『日本紀略』『百練抄』『皇年代略記』『東寺王代記』『日吉社幷叡山行幸記』『満済准号日記』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月14日)初めて祇園御霊会を官祭として行う。(『二十二社註式』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■971年(天禄2年) ▣(3月8日)初めて石清水臨時祭が行われる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月21日条)祈雨奉幣十六社。(『日本紀略』)

■972年(天禄3年) ▣(閏2月14日)京都大地震。寅刻。申刻、宣陽殿鳴る。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(閏2月21日)山崎津で闘乱、在家40余家に放火、矢に中(あた)る者3人。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月27日)群盗、紀伊守・藤原棟和宅に入る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月28日)京都大雨。神泉苑で請雨経法を修した効験という。風なく施薬院南門顛倒(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ10月10日(9月)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ12月9日(11月1日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■973年(天禄4年/天延元年) ▣ユ4月12日(3月7日)京都降雷・怪雨。(『京都気象災害年表』) ▣(3月13日)北野社の御在所・礼殿焼亡。子刻。(『日本紀略』『百練抄』『興福寺略年代記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(4月24日/23日)京都大火。強盗、源満仲宅を囲み放火し、宮道弘氏、盗人の矢にあたり死亡。民家300余戸焼亡。500余町(古代[烏丸]小路・陽明門[近衛]大路・西洞院大路・上東門[土御門]大路内)焼亡とも。(『日本紀略』『親信卿記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本史総合年表』) ▣ユ6月20日(5月17日)京都大風雨。午後、宮中舎屋多く顛倒破損。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(9月27日)京都強震。辰刻。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(12月20日)第64代・円融天皇の時、天変地震により天延に災異改元。(『十三代要略』『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(12月21日)斎院庁屋焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■974年(天延2年) ▣(2月6日)天安寺の宝蔵焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月14日)祇園御霊会の初出。(『大日本史料』) ▣ユ7月27日(7月6日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(8月20余日)中川・鴨川氾濫、広幡付近浸水。(『蜻蛉日記』) ▣(8月28日)京都疾疫流行。疱瘡流行により、紫宸殿前庭などで大祓を行う。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ8月20日(8月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月)京都大雨により賑給。(『天延二年記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏10月16日)京都疾疫流行。伊勢斎王、疱瘡により死亡。(『日本紀略』『天延二年記』『日本災変通志』) ▣ユ12月25日(11月9日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■975年(天延3年) ▣(2月28日)武徳殿焼亡。子刻。974年とも。(『日本紀略』『百練抄』『皇年代略記』『如是院年代記』『日本史総合年表』) ▣(5月29日)盗賊、大炊寮糒倉に侵入し車3両分の米を取る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月15日)京都疾疫流行。第64代・円融天皇、疱瘡に苦しみ、初めて感神院に走馬・勅楽・東遊・御幣など奉納。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『平安京の災害史』) ▣(10月9日)強盗、施薬院倉に入り雑物取る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月14日)朔平門・右衛門陣屋放火される。丑刻。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣(12月21日)外記局文書、夜、自然に焼失。(『百練抄』『日本災変通志』)
■976年(天延4年/貞元元年) ▣ユ3月15日(2月12日)京都風雨。殊甚、内蔵寮雑舎1宇顛倒、2人圧死。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月28日)右京の盗賊を捜索する。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣春 群盗、都に満つ。追捕宣趣旨、凶類搦め捕う。(『諸道勘文』) ▣(5月11日)内裏仁寿殿西面より出火し一部焼亡。子刻。第64代・円融天皇、中宮職曹司を経て、後に関白・藤原兼通の堀川院(二条南、堀川東)に移る。以後、里内裏始まる。(『日本紀略』『如是院年代記』『諸道勘文』『東寺王代記』『仁寿鏡』『百練抄』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ7月10日(6月11日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ7月17日・グ7月22日(6月18日)山城・近江大地震(京都府南部・滋賀県)。申刻、M6.7以上、響き雷の如し。「地震(ない)の甚しいきこと未曽有なり」「地大震、壓死甚衆」(『日本紀略』)。宮城諸司多く顛倒、家屋全壊多数。内裏諸司(八省院・豊楽院)・民部省・会昌門など顛倒。内裏焼失、里内裏始まる。里内裏の築地修理中の工人30人以上圧死。京内築垣悉く倒れる。東寺・西寺・極楽寺・清水寺(50人圧死)・円覚寺倒壊。近江・崇福寺・国分寺・関寺でも被害。余震やまず。京都周辺の活断層(『日本紀略』『扶桑略記』『東寺王代記』『皇年代略記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本の自然災害』『日本被害地震総覧』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』「 地震インフォ」) ▣(6月19日)京都地震。地震14度、左衛門陣後庁・堀川院廊下舎・閑院西ノ対屋・民部省舎3宇顛倒。(『日本災変通志』) ▣(6月-7月)大地震度々あり、京中・洛外・社寺・人家多く倒れ、人多く死す。(『日本王代一覧』) ▣(7月13日)第64代・円融天皇の時、内裏火災・地震・日蝕により貞元に災異改元。(『百練抄』『十三代要略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣ユ8月24日(7月26日)京都降雪。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月30日(9月5日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣ユ11月27日(11月4日)京都積雪。尺余。(『京都気象災害年表』) ▣翌年ユ1月3日(12月29日)京都積雪。尺余。(『京都気象災害年表』)
■977年(貞元2年) ▣この年、京都旱魃。(『京都気象災害年表』)
■978年(貞元3年/天元元年) ▣ユ5月28日(4月19日)京都雷電。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月29日(7月23日)京都落雷。雷、右近陣に落つ。 (『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ8月30日(7月24日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣(11月8日)京中盗賊、捜索。(『小右記目録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月29日)第64代・円融天皇の時、内裏焼亡・大地震により天元に災異改元。(『皇代記』『三代要録』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) 
■979年(天元2年) ▣ユ5月6日(4月8日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月13日)内裏に盗賊入る。(『小右記目録』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月4日(6月8日)京都大雨・雨水。東河(加茂川)汎溢。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
■980年(天元3年) ▣ユ3月30日(3月12日)京都降雹。氷降り、北山に雪。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣春 群盗都に満つ、凶類搦め獲らしむ。(『諸道勘文』『日本災変通志』) ▣ユ8月22日(7月9日)京都暴風雨。宮中の樹木・諸門・羅城門・美福門・達智門・諸司諸堂など悉く顛倒。東西京人宅多く倒れる。京中が大河のようになったという。以後、羅城門は再建されず。(『日本紀略』『扶桑略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣ユ8月28日(7月15日)京都大雨洪水。京中(東西)大河の如く、舎屋流損甚多。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月12日(8月1日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月22日/23日)主殿寮より出火し内裏諸殿舎の大部分焼亡。第64代・円融天皇、大納言・藤原朝光の閑院(兼通閑院)に移る。(『日本紀略』『日本王代一覧』『百練抄』『見聞私記』『東寺王代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(12月1日)強盗10数人、但馬守・堯時宅に侵入。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■981年(天元4年) ▣(1月13日)斎宮寮雑舎13宇火災。(『百練抄』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(2月9日)采女司庁焼亡。(『百練抄』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■982年(天元5年) ▣(2月28日/27日)京中群盗多数。検非違使の職務怠慢を戒める。(『小右記』『日本史総合年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣ユ5月26日(5月)京都霖雨。(『京都気象災害年表』) ▣(6月5日)強盗、式乾門陣に入り雑物奪い小屋に放火。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月7日(7月16日)京都旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月10日(8月20日)京都大風。談天門顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(11月17日/7日)宣燿殿より出火し内裏焼亡。夜、寅刻。第64代・円融天皇、職曹司を経て堀川院に移る。(『日本紀略』『皇年代記』『百練抄』『興福寺略年代記』『見聞私記』『如是院年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣鴨川氾濫。(『池亭記』)
■983年(天元6年/永観2年) ▣(2月21日)京畿内で、弓箭・兵仗帯びる者を検非違使に捕えさせる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』)
▣(3月2日)中納言・源重光宅(一条北大宮東)焼亡。(『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(4月15日)第64代・円融天皇の時、去年の炎旱・皇居火災などにより永観に災異改元。(『皇代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(7月1日/5日)故太政大臣・藤原伊尹の一条第(一条南大宮東)焼亡。(『小記目録』『百練抄』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■984年(永観2年) ▣(3月15日)右京大臣・藤原兼家の東三条第(二条南、西洞院東)が焼亡。藤原伊尹の一条第(一条南、大宮東)とも。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月)旱魃により米価騰貴。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(8月27日)第65代・花山天皇践祚。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月29日(8月)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(11月18日)侍従厨倉焼亡。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■985年(永観3年/寛和元年) ▣(1月18日)東堂(東寺?)焼亡。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月・2月)左京大火。 ▣(6月28日/6月)神泉苑で僧・元杲(げんこう)、請雨経法を修す。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月6日)大極殿で祈雨。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(9月28日)盗賊、伊勢斎王済子内親王の野宮に入り、侍女の衣裳取る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月11日)八省院含嘉堂顛倒。夜、故なく。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣東寺焼亡。
■986年(寛和2年) ▣(1月18日)左京大火。東ノ京大失火により左京火事。一条大路南・中御門北の数町焼く。24町に及ぶ。(『日本紀略』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(2月26日)京極大路火事。京極西、富小路東、中御門北、勘解由小路南の1町焼亡。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月5日)右京前坊属播磨和頼宅・左京前大弐菅原輔正宅、失火により焼亡。(『本朝世紀』) ▣ユ6月8日(4月28日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣(5月13日)前主計権助文道光宅(中御門南、堀川東)焼亡。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月-7日)京都霖雨。 ▣(6月1日)神祇官陰陽寮を召して霖雨卜占。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月22日)円融寺の御随身所焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月1日(6月23日)第66代・一条天皇践祚。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ⋄京都大雪。(『京都気象災害年表』)
■987年(寛和3年/永延元年) ▣(3月11日)武者10人、弓箭を持たせ朱雀院を警固させる。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(4月12日)盗賊、主税寮に入る。(『扶桑略記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月21日)祈雨のため丹生川上神・貴布禰社に奉幣、内裏で修法。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月24日)祈雨のため大極殿で3日間読経、神泉苑で請雨修法。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ6月27日(5月29日)炎旱により服御常膳を減じ、大赦を行う。(『日本紀略』) ⋄ 京都落雷。大仏殿。(『京都気象災害年表』) ▣(5月)京都大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(6月1日)旱魃により神泉苑の池水放出。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣8月28日(7月28日)天変旱炎により意見封事を奉らせる。(『日本紀略』) ▣ユ8月26日(7月29日)京都大風雨。風雨大甚、巳刻。北野天神破損。(『小右記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(8月5日)朝廷により初の北野祭(御霊会)を祀る。(『菅家御傳記』『二十二社註式』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月17日)兵庫寮戎具倉2宇火災、夜子刻。神代より伝わる戎具焼失。(『日本紀略』『百練抄』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)
■988年(永延2年) ▣(閏5月8日)強盗、藤原保輔、藤原道風、前越前守・藤原景斉らの第に入る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(8月13日)京都・諸国、大風洪水。(『大日本史』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣(10月29日)群盗、猪熊殿(六条北、堀川西)に放火。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』)  
■989年(永延3年/永祚元年) ▣(2月10日)内蔵寮の曹司焼亡。下人焼死。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月30日)故備中守・藤原棟利の中御門宅焼亡。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月19日)鴨御社中門内御殿前の大樹(大楠)顛倒。亥刻。(『百練抄』) ▣(8月8日)第66代・一条天皇の時、彗星・天変・地震により永祚に災異改元。(『諸道勘文』『日本年号史大事典』) ▣ユ9月15日-16日(8月13日-14日/8月13日)京都・畿内大暴風雨(台風)。「永祚の嵐(大風)」。酉戌刻/亥-丑、台風襲来とみられ、京都で建物倒潰激しく、圧死者続出、御所殿舎も被災、官衙・諸門など倒壊、了明門・東西廊・建礼門・弓場殿(ゆばどの)・左近陣前軒廊(こんろう)・日華門神輿宿(やどり)・朝集堂・応天門東西廊40間・会昌門・同東西廊37間・儀鸞(ぎらん)門・同東西廊30間・豊楽殿東西廊14間・美福門・朱雀門・皇嘉門・偉鑒(いかん)門・達智門・真言院・諸司雑舎、ほか左右京人家顛倒破壊など多数。鴨川洪水になり堤決壊・流損、畿内に高潮(海浜・河辺民家・人畜・田畑没し、死者損害)。加茂上下社御殿・雑舎・石清水御殿東西廊・祇園天神堂、比叡山堂舎・宝塔・東塔大鐘など顛倒。(『日本紀略』『今昔物語』『扶桑略記』『帝王編年記』『如是院年代記』『百練抄』『十三代要略』『愚管抄』『諸道勘文』『撰集抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』『災害と生きる中世』『日本の自然災害』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(9月6日)鴨川堤の巡検。(『小右記』) ▣(9月7日条)朝廷は伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野稲荷社など諸社に奉幣。(『日本紀略』『京都事典』)
■990年(永祚2年/正暦元年) ▣(2月2日)西寺焼亡。(『百練抄』『東寺王代記』『諸道勘文』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣ユ9月3日(8月12日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』)  ▣ユ9月19日(8月28日)京都大風雨・洪水。諸司の建物など多数顛倒。(『本朝世紀』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(11月7日)第66代・一条天皇の時、昨年の大風(永祚の嵐)・天変により再び正暦に災異改元。(『日本紀略』『皇年代略記』『皇室代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『災害と生きる中世』)
■991年(正暦2年) ▣(4月2日)太皇太后昌子の三条御所焼亡。(『日本紀略』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月-9月(5月-7月/9月)京都・諸国旱魃。(『京都気象災害年表』) ▣(6月22日)京都旱魃。神泉苑の水を紀伊・葛野郡の田に灌漑。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) 
■992年(正暦3年) ▣ユ6月29日(5月26日)京都洪水。東西京中浸水。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ7月3日(6月1日)京都雷鳴大雨洪水。東西京中浸水。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(11月4日)強盗、斎院に入る。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月2日)阿波国海賊の首、東獄門に梟し東西市に梟する。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■993年(正暦4年) ▣(1月11日)弾林寺焼亡。(『東寺王代記』『日本紀略』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月25日)前権大納言・源重光第が焼亡。(『日本紀略』『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(3月30日)摂政・藤原道隆の東三条南院、地を払って焼亡。巳刻。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(4月-7月)京都・諸国大風洪水。 京都死者過半、五位以上67人。(『日本紀略 』『大日本史料2-2』『日本中世気象災害史年表稿』) ▣(6月)咳逆(インフルエンザ)流行。(『疫病の古代史』) ▣ユ8月10日(7月20日)京都落雷。未刻、落雷により美福門火災、消し止める。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(8月8日)京都疾疫流行。第66代・一条天皇、痘瘡罹患。(『小記目録』) ▣(8月10日)「山門園城寺闘諍」 慈覚門徒、智証門徒と合戦、千手院房舎の焼き払い、40余宇破壊。智証門弟1000人園城寺に遷居。(『濫觴抄』『愚管抄』『如是院年代記』『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ▣(8月21日)天変・疱瘡流行により紫宸殿・建礼門・朱雀門で大祓いを行う。(『日本紀略』) ▣(8月)京都疾疫流行。疱瘡(天然痘)流行。疫病「天下疫癘」により多く死者。疱瘡流行により大赦、調庸を免除。(『日本紀略』『疫病の古代史』) ▣(9月26日)京都大風。上賀茂社の雑舎など破壊。(『類聚符宣抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣秋 疱瘡全国に蔓延。(『扶桑略記』『京都事典』『疫病の古代史』)
■994年(正暦5年) ▣(1月-12月)疫病(痘瘡)が(前年11月)より九州(大宰府、鎮西)から起こり(翌年)全国に蔓延。天下疫死者最も盛んなり。京都にも及び、(4月-7月)の間殊に盛ん。京師の死者過半、五位以上60余人、道路に死骸を置く。(『日本紀略』『百練抄』『本朝世紀』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』『疫病の古代史』) ▣(2月10日)後涼殿が放火。(『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月17日)弘徽殿・飛香舎が放火。(『百練抄』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月6日)武者・源満正、平維時らに、京中・諸国の盗賊を捜索させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月23日)京都疾疫流行。左右看督長(かどのおさ)ら宣旨被り、京中路頭に借屋構え筵薦(むしろこも)覆い、病人を出し置く。空車に乗せ人をして薬王寺(三条京極辺)に運送させる。死者の多くは路頭に満ち、過客鼻を掩(おお)い過ぐ。烏犬飽食、骸骨巷塞ぐ。(『本朝世紀』) ▣(4月24日)京都疾疫流行。宣旨、京中路頭に病人甚多、左右看督長などに命じ薬王寺(三条京極辺)に収容させる。(『日本紀略』『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(4月-7月)京都疾疫流行。疾病(疱瘡)により病死多し。五位以上67人(『東寺王代記』『日本紀略』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本史総合年表』) ▣(5月3日)京都洪水。京中浸水。京中堀水溢れる。死人(疫病死者による)多く堀川の水溢れ、検非違使・看督長などに河中を掻き流させる。(『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(5月15日)京都疾疫流行。疾病により、朝廷、宮中で臨時に仁王経(にんのうえ)を催し、京職臣下宅・京中小路辻ごとに高座(たかくら)設け、住民に升米出させ仁王経を講じる。(『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(5月26日)京都疾疫流行。疾病のため諸司諸家に石塔を建てさせる。(『京都事典』) ▣(5月)京都疾疫流行。疾病を免れるとの噂により、京中男女は左京三条南油小路西の井水を争い飲む。疾病のため海若祭・名山祭を行う。(『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(6月10日)京都疾疫流行。去る(3月)以降、京畿、外国疫癘滋(しげ)く発り、病死際無し。また、奇夢恐れ門閉ざし物怪と称し仕えず。この間、上卿勤めること無し。(『本朝世紀』『平安京の災害史』) ▣(6月16日)京都疾疫流行。疫神横行するとの妖言あり、公卿以下庶民・諸人門戸を閉じて往還せず。(『日本紀略』『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(6月27日/夏)京都疾疫流行。第66代・一条天皇、紫野の疫社(疫神)を船岡山に遷し今宮社とする。御霊会を修し、木工寮修理職、神輿2基造り安置、僧侶は仁王経講じ、城中の怜人音楽献じる。男女幾千人も会集し、神輿に疫神遷し難波海に流す。(『日本紀略』『本朝世紀』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣ユ8月29日(7月20日)京都大風。民家多く破損。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月5日/7日)天台山惣持院焼亡。(『日本紀略』『百練抄』『東寺王代記』『日吉社幷叡山行幸記』『日本災変通志』) ▣この年、京中に疫病流行。死者五位以上の貴族で67人に及ぶ。(『日本紀略』『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』『平安京の災害史』)

■995年(正暦6年/長徳元年) ▣(1月9日)冷泉上皇(第63代)の御所鴨院(二条南、室町西)、関白・藤原道隆・伊周の二条第焼亡。午時。(『日本紀略』『小右記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(2月7日)故太政大臣・藤原為光家焼亡。夜。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月22日/21日)第66代・一条天皇の時、疾疫・天変・旱魃により長徳に災異改元。(『日本紀略』『十三代要略』『興福寺略年代記』『東寺王代記』『皇代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(4月11日)京都疾疫流行。疫癘(疱瘡)により大納言・藤原朝光が死亡。(『愚管抄』『日本紀略』『日本災変通志』) ▣ユ5月20日(4月18日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月24日)京都疾疫流行。疫癘(赤班瘡)により関白・藤原道隆が死亡。死因は飲水症(糖尿病)とも。(『愚管抄』『日本紀略』『大鏡』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣(4月-5月/7月)京都疾疫流行。疾疫殊盛ん。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月8日)京都疾疫流行。疫癘(疱瘡)により関白右大臣・藤原道兼(風邪によるとも)、左大臣・源重信、中納言・源保光が死亡。(『愚管抄』『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(5月22日)京都疾疫流行。疫癘(疱瘡)により中納言・源伊陟が死亡。(『愚管抄』『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月11日)京都疾疫流行。疫癘(疱瘡)により大納言・藤原道頼が死亡。(『愚管抄』『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(6月21日)右近衛府庁の東西倉焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月)京都疾疫流行。疾疫、頗る散ず。納言以上者薨ずる者(死者)8人(関白道隆・同道兼・左大臣重信・大納言済時・朝光・道頼・中納言保光・伊陟)、四位7人、五位54人、六位以下僧侶など数えきれず。(『日本紀略』『百練抄』『日本災変通志』『平安京の災害史』) ▣(9月15日)六波羅蜜寺の僧・覚信、菩提寺北辺で投身自殺。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月16日)某上人、阿弥陀峰で焼身、近年諸国焼身者11人と流行。(『日本紀略』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月21日)石清水行幸、淀川に泛橋なく(流失)数百艘の船で渡る。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣北野社焼亡。 ▣この年、前年に続き京都疾疫大流行。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『平安京の災害史』) 
■996年(長徳2年) ▣ユ2月29日(2月8日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(5月10日)修理職焼亡。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月8日)中宮・藤原定子の二条宮(東三条院東町)焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(6月13日)渇死の囚人多く、飲料水を得るため東獄門前に井戸を掘る。⋄群盗、大納言・藤原顕光の広幡第襲う。(『小右記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ7月15日(6月27日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月26日(閏7月10日)京都洪水。鴨川氾濫。(『日本紀略』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣ユ9月6日(閏7月21日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(11月6日)北野社の神殿焼亡。(『百練抄』『東鑑』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣西寺焼亡。 ▣この年、米価高騰し、冬に京中で火災頻発。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■997年(長徳3年) ▣(1月-2月)京中数所焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月26日)強盗、備後守・藤原致遠第に入る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月27日)強盗、上総権介季雅宅に入る。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月-4月)京都、強盗団横行。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(4月24日)群盗34余人、中納言・平惟仲家・閑院に入る。夜。(『小右記』『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月25日)強盗、右少弁曹司に入る。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣9月13日(8月20日)京都大風。(『京都気象災害年表』)
■998年(長徳4年) ▣(3月28日)京都大火。上京大火。大宮大路東、堀川西、仲御門南、大炊御門北、四町焼亡。神祇官北庁屋(斎院舎)類焼。(『清獬眼抄』『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(4月10日)神祇官斎院舎焼亡。 ⋄松尾祭で田楽の間に雑人争い、京人多数死亡。山崎津舎屋放火により、舎屋30余家焼亡。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(6月-7月)京都疾疫流行。京都で疱瘡により死者多数。「赤斑瘡(あかもがさ、麻疹)」により京男女死者甚多、下人死ぜず四位以下の人妻最も多し。「主上より始めて庶人に至るまで、上下老少このを免れるなし」(『日本紀略』)とも。(『日本紀略』『扶桑略記』『十三代要略』『百練抄』『栄花物語』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本史総合年表』) ▣(7月1日)第66代・一条天皇、皰瘡を煩い大赦あり。(『諸道勘文』『日本災変通志』) ▣(7月2日)京都疾疫流行。病に倒れた藤原詮子、防疫の立場から子・第66代・一条天皇の見舞い断る。(『権記』『疫病の古代史』) ▣(7月14日)京都疾疫流行。天皇の近侍選定に「平愈󠄀の者(免疫持つ者)」が考慮される。(『権記』『疫病の古代史』) ▣(7月16日)京都疾疫流行。藤原行成、疫病に罹患し、すでに感染した橘惟弘のみが看病する。第66代・一条天皇の身の回りの世話人も感染。(『権記』『疫病の古代史』) ▣(7月)京都疾疫流行。疫病の稲目瘡(いなめがさ、赤疱瘡)流行る。天下この病免るる者なし。独り前ノ信濃守・佐伯公行のみ。(『日本紀略』『日本災変通志』『疫病の古代史』『平安京の災害史』) ▣(閏7月10日)京都洪水。鴨川水流京中に入り、人民多く損亡。(『日本紀略』) ▣ユ9月13日(8月20日)京都大風。卯-亥時、宮中諸司多く顛倒。武徳殿・御書所顛倒。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣(9月1日)京都霖雨・洪水。鴨川一条堤決壊、京都大洪水。(『権記』『京都事典』) ▣冬 米価高騰・京中火災多し。(『日本紀略』『日本災変通志』) ▣京都・諸国、赤斑瘡流行。(『日本紀略』『大日本史』『日本震災凶饉攷』『日本中世気象災害史年表稿』) 
■999年(長徳5年/長保元年) ▣(1月13日)第66代・一条天皇の時、昨年の疫癘・天変災旱により長保に災異改元。天下に大赦。(『日本紀略』『日本災変通志』『日本年号史大事典』) ▣(6月14日)修理職より出火、内裏大火。夜、亥刻。(『日本紀略』『百練抄』『東寺王代記』『如是院年代記』『諸道勘文』『清獬眼抄』『見聞私記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ⋄祇園御霊会で雑芸を行った無骨法師を追捕。(『本朝世紀』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月25日)鴨川堤の覆勘(審査・保証)。 ⋄京職下部が京中で乱妨することを検非違使に命じ禁ずる。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1000年(長保2年) ▣(1月4日)右京左馬寮辺に火事。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ2月15日(1月8日)民部少輔清通の中御門宅焼亡。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ2月16日(1月9日)京都積雪。2尺。(『京都気象災害年表』) ⋄東三条院西対放火される。(『権記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(2月10日)衛門府、京職に北陣外・堀川西を掃除させる。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月7日)雷火で豊楽院焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月)京都疾疫流行。(『権記』) ▣(7月20日)三条北、万里小路西の小屋焼亡。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月16日(8月16日)京都大雨・洪水。大雨により、鴨川堤決壊し、洛中洪水になる。京極以西の人家浸水。(『権記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(9月27日)強盗、大江匡衡第に入る。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月21日)四条坊門、堀川辺に火事。(『権記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月6日)北野社焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月25日)東寺宝蔵焼亡。(『平安遺文』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月/冬)冬-翌年の春・夏(7月) 京都疾疫流行。疫病(赤班瘡?)流行し、死者多数。死骸路に満つ。鎮西より京都に至るともいう。(『日本紀略』『百練抄』『十三代要略』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(12月15日)中納言・平惟仲第焼亡。 ⋄東三条殿再び焼亡。(『日本紀略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣東寺焼亡。?
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*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。
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京都歴史災害年表 2
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