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京都歴史災害年表 5
鎌倉時代 1(1185-1230) |
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1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
地震・津波 大雨・長雨・洪水 台風・大風など 雷 旱魃・酷暑 大雪・雹・寒冷など 山崩・土砂崩 凶作・不作 虫害・獣害 飢饉・窮乏・賑給 疫病・疾病など 火災 戦乱・一揆・強訴 事件・事故など 公害・環境 土木など
*おもな事項を掲載しています。年月日・被害状況などは不確定な場合があります。括弧内の年月日は旧暦。 |
⇒国立天文台 日本の暦日データベース |
◆鎌倉時代 1 1185-1230
■1185年(元暦2年/文治元年) ▣春-夏 諸国大旱。(『京都気象災害年表』) ▣(4月25日)源義経凱旋、(26日)廃軍平氏の将入京。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)京都大地震。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(5月)京都で疫病流行。(『玉葉』『日本史総合年表』) ▣(6月20日)京都大地震。子刻。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣ユ8月6日・グ8月13日(7月9日)京都大地震。「元暦地震」、近江・山城・大和で大地震 京都盆地北東部が震源地 午刻/子刻 近江・山城・大和(M7.4)、死者多数。京都の白河辺で被害大きく、死者・家屋倒壊多数。里内裏の閑院の皇居破損・上皇御所損傷・寝殿傾く。日花門顛倒。法成寺塔・蓮華王院・得長寿院倒壊、法勝寺(阿弥陀堂・金堂・鐘楼・東西廻廊など顛倒、八角九重塔大破)、尊勝寺(講堂・五大堂・西門倒壊、築垣全壊)、最勝光院、延暦寺・無動寺、勧修寺(鐘楼・経堂)、京中人家多く顛倒、宇治川橋など損壊。(9月末)までに余震230回以上。琵琶湖では一時水位下る。堅田断層/琵琶湖西岸断層 京都周辺の活断層(『玉葉』『百練抄』『山槐記』『東鑑』『愚管抄』『神皇正統録』『皇年代略記』『皇帝紀抄』『方丈記』『平家物語巻一二』『京都の歴史10 年表・事典』『日本の自然災害』『京都事典』『日本災変通志』『平安京の災害史』『日本被害地震総覧』『日本史総合年表』「 地震インフォ」) ▣(7月17日)京都地震。閑院の棟柱折れる。(『山槐記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月28日)京都地震。(『玉葉』) ▣(8月14日)第82代・後鳥羽天皇の時、大地震・火災により文治に災異改元。(『玉葉』『百練抄』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月21日-22日)近江・山城地震。琵琶湖の水激減。 ▣(10月17日)源頼朝の命により、土佐房昌俊、源義経宅(六条堀川)襲う。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月10日(11月17日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月24日)北条時政、入京。平氏旧跡の六波羅を宿所にする。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月20日)京都大地震。未時。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣翌年ユ1月18日(12月26日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣この年、京都洪水。(『京都気象災害年表』)
■1186年(文治2年) ▣(2月1日)北条時政、検非違使庁を経ず、盗賊18人を六条河原で斬る。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(6月7日)京都大風甚雨。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣(6月13日)源義経の母・常盤御前、一条河崎の観音堂辺で捕えられる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣8月15日(7月29日)京都大地震。「京都地大震」(『皇帝紀抄』)。「文治京都地震」 ▣(11月7日)京極殿廊など焼亡。朝卯刻。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣ユ12月23日(11月11日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(12月3日)盗賊、大皇太后宮に侵入。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月12日)京都積雪、6-7寸。(『玉葉』『日本災変通志』)
■1187年(文治3年) ▣(3月1日)京都甚雨。夜。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣ユ4月24日(3月14日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ8月18日(7月13日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月19日)源頼朝、京中群盗逮捕のため、東国武士を派遣。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月15日)盗賊、六条殿に入る。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月12日)京都大地震。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣この年、京都、群盗横行。(『東鑑』『日本災変通志』)
■1188年(文治4年) ▣(4月13日)後白河法皇(第77代)御所六条殿(六条、西洞院)・長講堂焼亡。以後、白河押小路第を法皇御所にする。(『東鑑』『玉葉』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月29日)八条院御所辺火事。夜。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣(6月)京中、強盗横行。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月27日(12月8日)京都初雪。(『京都気象災害年表』)
■1189年(文治5年) ▣(3月14日)京都大地震。戌刻。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣ユ10月1日(8月20日)京都大風雨。人家多く損亡。東北院半作堂顛倒、法成寺破損。(『玉葉』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
 ▣(9月26日)京都下方焼亡。(『日本災変通志』)
■1190年(文治6年/建久元年) ▣(4月11日)第82代・後鳥羽天皇の時、変異・明年三合(災厄年)御慎みにより建久に災異改元。(『玉葉』『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月16日)畿内洪水。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣ユ9月18日(8月17日/16日)京都・近畿暴風大雨(台風)。鴨川・桂川氾濫、近年比類なし。民家崩壊・流失多数、道路通ぜず。左京35戸、右京630戸、3995人被災。(『玉葉』『吾妻鏡』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(8月26日)京畿風雨、殊甚し。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣(11月7日)後白河法皇(第77代)の命で、源頼朝上洛し六波羅第に入る。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月14日)源頼朝、京都を去る。(『玉葉』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣清凉寺焼亡。(『清凉寺縁起』)
■1191年(建久2年) ▣(3月28日)朝廷、宣旨を発し好んで道路を耕作し、巷所(田畑・宅地)を企てることを禁じ、保内夜行など定める。(『三代制符』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月26日)延暦寺衆徒、日吉・祇園・北野の神輿を奉じ入洛、京極寺に集合、強訴。(『吾妻鏡 』『玉葉』『日本災変通志』) ▣(5月14日)京都火災。五条南油小路西の小屋より失火、南は六条坊門、東は油小路に至る。西洞院(法皇御所)には及ばず。(『玉葉』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月10日)京都南方で火災。萱ノ御所(摂津国)炎上。(『玉葉』『日本災変通志』) 未刻、六条萱御所(萱ノ御所とは別)・上西門院(統子)終焉御所炎上。(『玉葉』『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月16日(8月26日)京都洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月18日)京都大火。 ▣翌年ユ2月6日(閏12月21日)京都積雪。尺余。(『京都気象災害年表』)
■1192年(建久3年) ▣(1月3日)山城国弥勒寺金堂焼亡。本尊・薬師像など灰燼。(『東鑑』『日本災変通志』) ▣(6月20日)源頼朝、美濃国の御家人に、京中の群盗を逮捕させる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月12日)源頼朝、征夷大将軍になる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ10月6日(8月28日)京都大雨洪水。寅刻、前日より霖雨、法成寺に水入り、洪水により鳥羽辺の被害大。諸堂・築垣損壊多し。勝光明院、殊甚し。(『玉葉』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月10日)京都火災。白川、東光寺辺より出火、法勝寺五大堂消し止む。(『百練抄』『日本災変通志』)
■1193年(建久4年) ▣(正月)主上(第82代・後鳥羽天皇)、疱瘡罹患。(『東鑑』『日本災変通志』) ▣(1月)疱瘡流行。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『平安京の災害史』) ▣(2月20日)京都火災。七条南、高倉万里小路辺焼亡。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣(3月25日)右獄より囚人14人脱走。(『百練抄』) ▣(12月7日/8日)京都下方火事。申刻、二条北、東洞院西焼亡。六角堂焼亡。(『玉葉』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1194年(建久5年) ▣(2月14日)京都火災。四条坊門油小路、賀茂別社焼亡。夜。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(3月26日)松殿(藤原基房第)(中御門烏丸)焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(3月28日)宮中放火未遂犯、捕えられる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月30日)醍醐寺桜会の時、延暦寺・興福寺僧が蜂起。(『仲資王記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月5日)神泉苑の水を払い、祈雨奉幣の沙汰。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(7月16日)祈雨のため神泉苑で孔雀経読経。(『日本災変通志』) ▣(7月)京都旱。 ▣(8月17日)八条院御所(八条東洞院)焼亡。(『百練抄』『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(閏8月27日)京都大地震。(『玉葉』『日本災変通志』) ▣ユ10月24日(9月9日)京都落雷。甚雷、所々落つ。(『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(9月17日)京都雨脚滂沱。法成寺より興福寺金堂に仏像移送。(『百練抄』『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ▣(9月23日)青蓮院焼亡。(『華頂要略』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』)
■1195年(建久7年) ▣(3月4日)源頼朝、入京し六波羅第に入る。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月25日)頼朝、京都を去る。(『吾妻記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣ユ10月10日(9月6日)近畿・京都大風。成勝寺・延勝寺の南大門倒れる。(『玉葉』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(10月)園城寺衆徒蜂起。(『皇帝紀抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1196年(建久8年) ▣(4月)新日吉社辺に蛇の託宣と称し流言なす者あり。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月3日(7月8日)京都落雷。宮城二条西大宮大坂上に落雷。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣ユ8月15日(7月20日)京都落雷。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月11日(8月17日)京都落雷。雷雨、落雷により中納言・隆房卿の八条堀川堂焼亡。(『百練抄』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(11月2日)後白河院法華堂(法住寺殿)僧房焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(11月18日)京都火災。樋口猪熊より出火、東西5町南北2町焼亡。(『三長記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1197年(建久8年) ▣ユ8月10日(閏6月25日)京都雷雨。(『京都気象災害年表』) 
■1198年(建久9年) ▣(1月9日-10日)京都甚雨。降雨のみとも。(『明月記』『玉葉』『日本災変通志』) ▣(1月11日)第83代・土御門天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月25日)二条造営の北の対、13間顛倒。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月25日)醍醐の五辻斎院御所焼亡。(『自暦記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1199年(建久10年/正治元年) ▣(1月21日)小屋(高辻北、富小路西)焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月2日/1日)石清水八幡宮の釈迦堂・西三条堂・大塔・小塔・法恩寺など焼亡。寅時。(『百練抄』『明月記』『東鑑』『日本災変通志』) ▣(4月20日)下人小屋(三条北、高倉東)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ6月3日(5月8日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月5日(5月10日)京都大雨洪水。八条北の民家、多く流出。 (『明月記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月26日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ6月30日(6月6日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月)園城寺合戦。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(7月)京都で瘧(おこり、マラリアの一種)流行。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月6日-10日)京都甚雨。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月)山門衆徒蜂起。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(12月22日)京都積雪、5寸ほど。(『明月記』『日本災変通志』)
■1200年(正治2年) ▣(2月2日-6日)京都大風雨。(2日)のみとも。(『明月記』『玉葉』『日本災変通志』) ▣(2月14日-15日)京都大風。(『玉葉』) ▣ユ4月13日(閏2月28日)京都雪。(『京都気象災害年表』) ▣(3月)水痘流行。(『京都事典』) ▣(8月2日-10日)京都降雨。(9日)昨夜、甚雨、河大溢れ、田甫畝水底・水損。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ9月18日(8月9日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月30日)京都火災。七条坊門小厘小路より出火、河原東、七条坊門北、梅小路南焼亡。弘誓院東の御堂焼亡。(『明月記』『日本災変通志』)
▣(12月24日)京都火災。昨夜、一条東洞院より出火、1町ほど焼失。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月25日)京都風烈。昨夜、三条辺京極焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) 
■1201年(正治3年/建仁元年) ▣ユ9月9日(8月11日)京都・近畿・関東など大風雨。(『吾妻記』『京都気象災害年表』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(9月29日)京都火災。夜、市屋町・近辺小屋など焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(11月5日)六角堂焼亡。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(11月30日)京都火災。七条坊門櫛笥小路、東河原、北七条坊門、南梅小路、その間一宇も残らず。(『明月記』)
■1202年(建仁2年) ▣(1月26日)小屋(大炊御門北、西洞院辺)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月13日)京都、寒氷降ること尺余。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ⋄京都甚雨洪水。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ6月14日(5月23日)京都雹。(『京都気象災害年表』) ▣(6月1日)京都甚雨。水無瀬河溢れ鞍浸す。舟に乗りて渡り、進退度失す。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(6月6日)甚雨洪水。室宇浸す、水大溢し御所に及ぶ。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(6月11日)京都大雨。大津辺、湖水、室宇に及ぶ。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月7日)清水寺と祇園社、境界を争う。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月9日)京都冷泉北、洞院東、火災。(『明月記』『日本災変通志』)
▣(12月1日)二条殿新殿焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月24日)京都雪、夜、甚雨。(『明月記』『日本災変通志』) 
■1203年(建仁3年) ▣ユ3月11日(1月26日)京都風雨雷鳴。巳刻、雷鳴大雨、晴。午後、暴風雷雨、木折り屋廃す晴。小屋多く倒れる。(『百練抄』『明月記』『猪隈関白記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(5月27日)後鳥羽上皇(第82代)、法勝寺に8万4000基塔を供養す。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月19日)内大臣・藤原隆忠第(中御門油小路)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ8月30日(7月22日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(9月7日)源実朝、征夷大将軍になる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月29日)京都火災。未刻、六条坊門高倉辺より出火、河原院、前将軍・源頼朝亭など焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)
▣(10月)延暦寺堂衆と学生対立、京中横行。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月5日)日吉八王子火災。夜。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(11月6日)日吉三宮火災、七社神輿焼亡。(『皇年代略記』『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月1日)京都火災。冷泉富小路まで焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月2日/1日)上皇御在所二条殿(二条東洞院)焼亡。丑時。(『皇年代略記』『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月5日)京都火災。楊梅南、室町西の1町焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1204年(建仁4年/元久元年) ▣(1月16日)京都火災。姉小路辺火災。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(1月19日)北・艮(東北)の方に赤気(せっき、オーロラ)。以後、続く。緯度の低い地域での日本での観測記録最古。(『明月記』『日本災変通志』「 国立極地研究所」) ▣(1月21日)北・艮の方に赤気(オーロラ)。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ7月8日(6月10日)京都冷気。(『京都気象災害年表』) ▣(8月25日)京都火災。冷泉油小路2町焼失。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月)天台講堂ほか焼亡。(『満済准号日記』) ▣(12月4日)小屋(六角南室町東)焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月18日)京都火災。夜半、四条北、油小路西、四条坊門焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(12月28日)京都火災。七条北、高倉東、河原出て小路北に及ぶ。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月29日)東に赤気(オーロラ)。(『明月記』『日本災変通志』) ⋄京都地震。亥時。(『明月記』『日本災変通志』)
■1205年(元久2年) ▣(1月10日)京都火災。昼、六条坊門町より出火、六条烏丸焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月11日)京都火災。未時、法性寺の方焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ3月22日(3月日)近畿大風。(『京都気象災害年表』) ▣(閏7月4日)宇治上皇新御所焼亡。昨夜。(『明月記』『百練抄』『日本災変通志』) ▣(閏7月26日)三条火災。平賀朝雅討伐による。六条東洞院第の宿所とも。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(閏7)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(8月8日)唐橋富小路で火災。資家少将宅焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(10月2日)延暦寺諸堂焼亡。子刻、法華堂・常行堂・講堂・四王院・延命院など多数焼亡。(『明月記』『百練抄』『東鑑』『叡岳要記』『日本災変通志』)
■1206年(元久3年/建永元年) ▣(4月27日)第83代・土御門天皇の時、疫病・赤班瘡(麻疹)流行により建永に災異改元。(『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(8月20日条)上下御霊会。(『百練抄』) ▣(8月24日)宜秋門院御所の九条殿焼亡。夜。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(9月1日)京都火災。高辻室町、五条西洞院焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月30日)内大臣・藤原忠経の五条堀川第焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月4日)藤原定家の九条宿所焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月29日)仲国宿所(楊梅北西洞院西)焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1207年(建永2年/承元元年) ▣(4月5日)京都大火。五条坊門室町より出火、東西洞院、三条坊門町辺まで焼亡、六角堂焼亡。(『明月記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(4月9日)京都大地震。夜中。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ5月26日(4月28日)京都台風。(『京都気象災害年表』) ▣(4月30日)京都大火。六条坊門室町の平業兼宅より出火、大宮東、五条坊門南焼亡。(『明月記』『仲資王記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣夏 疱瘡流行。(『京都事典』) ▣ユ7月31日(7月5日)京都大風雨猛烈。木折り屋発つ。夜、雨。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ8月14日(7月19日)畿内・京都大風雨。未時以後、御所西の対倒れ、2人負傷。(『猪隈関白記』『明月記』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』) ▣(7月23日)京都大風。清水寺廻廊焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月27日)京都暑熱。例に過ぎ甚だ堪え難し。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月16日)京都大風。夜、甚雨。(『明月記』『日本災変通志』)
 ▣ユ9月27日(9月4日)京都大雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(9月20日)京都火災。二条西町北辺、中宮御所(藤原麗子)、前太政大臣・藤原実邸・女房卿二位家焼亡。(『百練抄』『明月記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(9月29日)京都火災。宜秋門院(藤原任子)小御所(九条富小路)焼亡。⋄二条富小路、押小路高倉まで焼亡。承明門院(源在子)御所焼亡。(『仲資王記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(10月1日)京都火災。昨夜、夜半、九条南殿焼亡。二条南、富小路東、艮の風烈、源中納言宅焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月25日/26日)第83代・土御門天皇の時、三合(災厄年)疱瘡・疾疫・雨水により承元に災異改元。(『皇年代略記』『皇代記』『皇帝紀抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  
■1208年(承元2年) ▣(4月8日)京都火災。中御門南、京極西焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ5月5日(4月19日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月23日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(4月27日)稲荷神輿、宿屋風無く顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(4月29日)京都火災。六角堀川油小路。(『日本災変通志』) ▣(閏4月15日)京都大火。七条北/北小路東洞院辺より出火、風激しく東洞院、南七条、西朱雀、四条間焼亡。七条以北東西12町。六条東洞院、五条坊門朱雀。公卿の邸宅20家ほど(宣陽門院[覲子]・坊門院・太政大臣・右大将入道内大臣・中宮大夫など)、長講堂も焼失。大路が炎を食い止める。(『明月記』『猪隈関白記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(5月9日)京都大雨洪水。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(5月15日)雷鳴大雨。法勝寺九重塔、落雷で焼亡。執行・章玄法師、失神後死亡。(『明月記』『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(5月)六条院焼失。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(6月18日/5日)京都熊野火災。藤原忠信卿宿所より失火、先達僧正長厳坊など焼亡。死者あり。(『百練抄』『東鑑』『日本災変通志』) ▣(9月7日/28日)朱雀院、大宮大路人家など焼亡。夜、常陸介朝俊、松明取り門上で鳩を獲ったためという。(『百練抄』『明月記』『日本災変通志』) ▣(9月11日)大炊御門西洞院辺より出火、小屋(大炊御門、中御門、町、西洞院)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月27日)朱雀門焼亡。(『猪隈関白記』) ▣(11月27日)閑院内裏焼亡、五節所の屋より出火。(『猪隈関白記』『百練抄』『東寺長者補任』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1209年(承元3年) ▣(4月9日)行願寺・誓願寺焼亡。(『百練抄』『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(6月18日)朱雀門柱など顛倒。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣ユ9月22日(8月22日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』)
■1210年(承元4年) ▣(2月29日)上皇御所高陽院馬場殿(馬場御所)屋焼亡。未刻。(『東鑑』『百練抄』『日本災変通志』) ▣(4月1日)源通具家(二条堀川)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月6日)二条河原で強盗63人、放火者少々、武士が請け取る。法皇御覧。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(5月18日)小屋(鷹司油小路)焼亡。(『猪隈関白記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月23日(7月)諸国霖雨洪水。(『京都気象災害年表』) ▣(11月25日)第84代・順徳天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)
■1211年(承元5年) ▣ユ2月19日(閏1月5日)京都大雪。(『京都気象災害年表』) ▣(4月)天台衆徒、三井寺(園城寺)焼く。(『立川寺年代記』『日本災変通志』) ▣ユ6月25日(5月13日)京都雨水。(『京都気象災害年表』) ▣(7月10日)天台総持院焼亡。夜半。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ9月12日(8月4日)京都風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(10月5日)内裏滝口本所の屋故なく顛倒、申刻。置所の矢皆損ず。(『明月記』『皇帝紀抄』『百練抄』『日本災変通志』) ▣(10月22日)朱雀門顛倒。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ12月5日(10月29日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月17日)京都火災。朝、辰時、姉小路油小路焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(11月23日)東坂本浜から宝殿まで焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月13日)高辻東洞院から五条高倉まで焼亡。(『仲資王記』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1212年(建暦2年) ▣(1月11日)六条南、東洞院東、佐女牛高倉焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(1月28日)東寺金堂・講堂・食堂の諸尊、汗出ること水かけたるが如し。(『東寺長者補任』『日本災変通志』) ▣(2月16日-17日)京都甚雨、松尾洪水。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(4月11日)京都つむじ風。北より下辺り。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(5月15日)京都風雨、夜、殊甚し。加茂川溢れ、民家少々流る。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(7月7日)賀茂川堤の修理、幕府に命じられる。鎌倉幕府、9カ国の守護に命じ修造、御家人に命じ費用徴収。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(7月8日)四条室町火災。巳時。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(7月12日)京都火災。巳刻、三条坊門烏丸の綾小路町火災。綾小路殿焼亡。(火勢)やや久しく減せず。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(8月15日)中御門南、東洞院東焼亡。間もなく鎮む。(『明月記』『日本災変通志』)
■1213年(建暦3年/建保元年) ▣(5月19日)京都火災。暁、近衛町辺、久しく減せず。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月3日)延暦寺衆徒100余人、長楽寺集合し清水寺焼かんとす。清閑寺の境争論による。捕武士(官軍)と戦い死傷者多し。(『百練抄』『明月記』『皇帝紀抄』『仁和寺日次記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月6日)延暦寺衆徒、尊長法師の房・香楽寺(吉水御房)を焼かんとし官軍備う。(『明月記』『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(8月8日)祈雨のため神泉苑で請雨経法修す。(『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣(8月14日)京都地震。亥刻。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(9月17日)京都大地震。巳刻。(『百練抄』『皇帝紀抄』『明月記』) ▣(10月15日)京都大火。大風・大火。四条坊門西洞院より失火、風激しく南は綾小路、北は三条坊門/四条坊門、東は河尻/町尻、西は堀川間、3-4町焼亡。右大将新宅・白河泉殿・行経の家・院中納言局・有家卿・宗長朝臣、明月堂・悲田院・六角堂・白河殿・京極寺など焼亡。(『明月記』『仲資王記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(10月18日)京都火災、夜半、三条坊門北、高倉東の小屋、源大納言の南隣焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(11月5日)京都地震。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(11月10日)山階寺大衆、平等院に到着、官軍防ぐ。(『興福寺略年代記』『日本災変通志』) ▣(12月6日)第84代・順徳天皇の時、天変・地変(地震)・お慎みにより建保に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(12月8日)京都積雪、暁、4寸ほど。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月25日)京都火災。亥刻、九条向の左衛門尉定綱宅より出火、兼時朝臣の親姓など焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月29日)京都火災。夜半、姉小路西洞院辺焼亡。勘解由小路猪熊より出火、堀川まで焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1214年(建保2年) ▣(4月15日)山門衆徒、大津東浦の長者以下の家、西浦の在家焼く。園城寺衆徒蜂起し合戦。(『百練抄』『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣(4月16日/15日)山門衆徒、暁、園城寺金堂・堂舎など焼く。(『百練抄』『立川寺年代記』『興福寺略年代記』『東鑑』『日本災変通志』) ▣ユ6月10日(5月)京都大風。朱雀門吹き倒される。(『如是院年代記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(6月11日)嵯峨釈迦堂炎上。(『如是院年代記』『日本災変通志』) ▣(8月7日)興福寺大衆、園城寺の要請に応じ、神木入洛を図る。朝廷、宇治・勢多・淀に兵を派遣して制止。(『吾妻鏡』) ▣ユ9月15日(8月10日)京都大風雨。京中舎屋破損顛倒、尊勝寺南門顛倒。(『百練抄』『皇帝紀抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(11月13日)源頼家の子・栄美、和田義盛・土屋義清ら残党の京都での謀反に擁立され捕えられる。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月21日/22日)京都火災。午後、二条猪熊焼亡。高陽院東門・中門御車宿焼亡。(『百練抄』『東鑑』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(11月30日)京都火災。夜、新院御所の大炊御門京極殿焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』)
■1215年(建保3年) ▣(2月14日)大原野祭、洪水のため上卿ら桂川より帰京。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(3月15日)園城寺衆徒、東坂本の兵士屋・在家など焼く。(『百練抄』『皇帝紀抄』『日本災変通志』)  ▣ユ9月23日(8月28日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(11月25日)天台文殊楼焼亡。(『叡岳要記』『日本災変通志』) ▣(12月12日)京都大火。未刻、樋口猪隈より出火、130余町焼亡。因幡堂・四条・京極・釈迦堂・五条・高倉・薬師堂など焼失。(『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣(12月22日)樋口猪隈より失火、因幡堂、六角堂など焼亡。 (『仁和寺日次記』『京都事典』『日本災変通志』)
■1216年(建保4年) ▣(1月7日)京都火災。油小路東、近衛より出火、左獄・滋野井泉殿・桂宮など焼亡。 (『仁和寺日次記』『為政録』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(2月5日)東寺宝蔵の仏舎利・宝器盗まれる。(『仁和寺日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本史総合年表』) ▣ユ8月24日(7月10日)京都大風。夜、斎宮野宮御所棟上で棟木傾落、南殿桜枝折れ落ちる。(『仁和寺日次記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣ユ10月6日(8月23日)京都大水。(『京都気象災害年表』) ▣ユ10月11日(8月28日)京都大風雨。夜、戌より子刻、神祇官東院・園韓神社門・大炊寮門・太政官庁門・真言院金堂など多数顛倒。水無瀬御所、熊野新宮拝殿、天台坊房舎など顛倒。故親能息・侍従・行能、長谷寺参詣時、木津川で漂没。(『皇帝紀抄』『仁和寺日次記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)
■1217年(建保5年) ▣(8月17日)大風、夜、天台(比叡)打ち破られる。(『山門堂舎記』) ▣(9月3日)京都雨大風(台風)。朱雀門・神祇官門・左近衛府南門顛倒、所々過半 損亡。(『興福寺略年代記』『百練抄』『仁和寺日次記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)
■1218年(建保6年) ▣(1月1日)近衛室町1町程焼亡。(『小朝拝部類』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月21日/23日)京都大火。未刻、三条油小路より出火、因幡堂・六条院・五条天神・河原院など焼亡。170余町焼失。(『仁和寺日次記』『皇帝紀抄』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(9月14日)祇園社神殿大鳴動・光。夜、子刻。(『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣(9月16日)延暦寺衆徒、日吉・祇園・北野の神輿を奉じて入洛。(『吾妻鏡』) ▣(9月21日)山(延暦寺)の大衆、辰時、日吉神輿3基・祇園神輿3基・京極寺神輿1基で閑院皇居左衛門陣に振る。武士防ぎ死負傷者あり。(『百練抄』『皇帝紀抄』『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣(11月10日/10月10日)京都火災。子刻、栖霞寺(阿弥陀堂)、嵯峨釈迦堂(清凉寺)、鐘楼、三昧堂、観音堂、累代宝物など焼亡・焼失。(『仁和寺日次記』『興福寺略年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』)
■1219年(建保7年/承久元年) ▣(2月5日)京都大雷雨。(『仁和寺日次記』) ▣(2月6日)京都大地震。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(2月14日)鎌倉幕府、源実朝の殺害により伊賀光季を京都守護として派遣、後、大江親元も京都守護として上洛させる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月2日/1日)京都大火。午刻、近衛町から出雲路、河原まで焼亡。法成寺・円勝寺・最勝寺・金剛勝院・祇陀林寺・河崎観音堂、公家第宅、鷹司室町亭・関白家実の土御門亭など多数焼亡。⋄尊勝寺西塔焼亡。(『皇帝紀抄』『仁和寺日次記』『百練抄』『立川寺年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(4月12日)第84代・順徳天皇の時、三合(災厄年)・天変・炎旱・火災などにより承久に災異改元。(『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(6月13日)幕府の願により、九条頼経、鎌倉に下る。(『吾妻記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月13日)内裏炎上。未刻、大内守護・源頼茂の反乱追討により、頼茂は内裏殿舎に火を放ち仁寿殿で自害。宣陽殿・校書殿・累代御物、観音像など焼亡。(『東鑑』『百練抄』『仁和寺日次記』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『東寺長者補任』『大乗院日記目録』『北条九代記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月1日(7月21日)京都大風。神祇官南庁・右近馬場屋顛倒。(『百練抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(11月1日)大原野神社神殿焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(11月27日)京都大火。巳刻、白川祓殿辺火事、延勝寺塔・金堂、成勝寺、最勝寺・金堂、証菩提院・靭負庁など焼亡。 放火によるという。(『百練抄』『皇年代略記』『東鑑』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』)
■1220年(承久2年) ▣(3月26日)清水寺本堂・塔・釈迦堂など焼亡。亥刻、放火という。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』『日本史総合年表』) ▣(4月13日)祇園社、香火により焼亡。御殿・東面廊・南大門・薬師堂など焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本歴史災害事典』) ▣(4月19日)吉水大成就院焼亡。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月27日)京都火災。中御門町より出火、陽明門・左近府門・左近衛・左衛府・左衛府門など焼亡。(『百練抄』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『東鑑』『玉葉』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月19日)前大僧正・慈円の熾盛光院焼亡。亥刻。(『仁和寺日次記』『日本災変通志』) ▣ユ9月3日(8月5日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』)
■1221年(承久3年) ▣(1月13日)高陽院の東宮御所焼亡。(『玉葉』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(2月10日)七条院御在所の三条御在所焼亡。夜半、放火による。(『東鑑』『日本災変通志』) ▣(3月10日)近衛京極より出火、西洞院間焼亡。宗像(形)社焼失。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(4月8日)倒幕計画進み、洛中物騒になる。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月18日)宝荘厳院内堂舎焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月20日)第85代・仲恭天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(5月14日)後鳥羽上皇(第82代)、鎌倉幕府・北条義時追討の院宣を出し、山田重忠ら有力御家人を動員、畿内・近国の兵を召集。(『吾妻鏡』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月15日)京都守護・伊賀光季の追討により、大内惟信・三浦胤義ら官兵、光季の高辻北京極西角宅を襲撃、光季は屋敷に火を放ち子・光綱と共に自害。数町/数十町延焼し、姉小路東洞院に火及ぶ。(承久の乱)(『百練抄』『皇帝紀抄』『東鑑』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』)  ▣(6月8日)後鳥羽上皇方軍、美濃で幕府軍に敗れ京都に帰る。後鳥羽(第82代)・土御門(第83代)・順徳(第84代)の三上皇、第85代・仲恭天皇、比叡山に赴き梶井御所(近江坂本)に入る。(『百練抄』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月10日)三上皇・天皇、高陽院に帰る。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月13日)幕府軍(東国兵)、宇治・芋洗・淀より入京図る。(『吾妻鏡』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月14日)宇治合戦。幕府軍、宇治川北辺民家に放火。(『東鑑』『日本災変通志』)  ▣(6月15日)幕府軍、洛中に入り、敗北官兵ら宿館に放火。(『東鑑』『百練抄』『皇帝紀抄』『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(6月16日)北条奏時・時房、六波羅に入る。(六波羅探題)(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月24日)六波羅、乱首謀者とされた藤原光親・源有雅らを捕える。(『吾妻鏡』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月9日)第86代・後堀河天皇践祚。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月13日)後鳥羽上皇、遠流地の隠岐に発つ。(『百練抄』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月21日)順徳天皇、流罪地の佐渡に向かう。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月9日/10日)後高倉法皇の御所、放火により大炊殿焼亡。(『百練抄』『東鑑』『皇年代略記』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ9月29日(9月12日)京都大風雨。(『京都気象災害年表』)  ▣(10月1日/3日)同時放火により、摂政・藤原家実第(土御門西洞院)、右大将・西園寺公経第(一条町)焼亡。 (『百練抄』『東鑑』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(閏10月1日)蓮華蔵院塔焼亡。(『皇帝紀抄』『承久三年四日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
■1222年(承久4年/貞応元年) ▣(4月6日)長講堂より出火、宣陽門院(覲子内親王)御所(六条西洞院)焼亡。(『百練抄』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(5月2日/3日)権大納言・源定通亭(土御門万里小路)、夜、放火により焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(5月28日/29日)陰明院御所泉殿(押小路烏丸)、丑刻、放火により焼亡。(『仁和寺日次記』『日本災変通志』)  ▣(5月29日)松尾社竃神殿・贄殿(供御所)・宝蔵など焼亡。申刻。(『仁和寺日次記』『承久三年四日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
▣(6月14日)四条隆衡の冷泉万里小路第焼亡。(『承久三年四日次記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月2日)承明門院御所(土御門万里小路)焼亡。子刻。放火とも。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(7月25日)藤原国通の楊梅坊城第焼亡、家記数百巻焼失。 (『承久三年四日次記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(9月6日)近衛家実の冷泉第(冷泉町)焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1223年(貞応2年) ▣(1月12日)御所高陽院焼亡、殿舎数宇焼失。後高倉法皇、西園寺公経第に移る。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月3日)群盗、賀茂社乱入し神服掠め取る。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) 
■1224年(貞応3年/元仁元年) ▣(3月25日)奈良坂非人など、清水坂に発向し清水坂非人と合戦、死者あり。(『皇帝紀抄』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月11日)先に越後国白石浦に漂着した異人、この日上洛し六角堂辺を徘徊し人々見物。武士、洛中より異人追放。(『百練抄』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月)小児赤班瘡流行。 (『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』) ▣(5月8日)京都大地震寅刻、卯刻の2度。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(5月18日)炎旱のため、神泉苑で祈雨。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(6月29日)世上不安のため、幕府、北条時盛・時氏を六波羅に派遣し、洛中警固に当たらす。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月5日)三浦義村の西御門家焼亡。子刻。(『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(11月20日)第86代・後堀河天皇の時、天変・地震・旱魃により元仁に災異改元。(『皇年代略記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) 
■1225年(元仁2年/嘉禄元年) ▣(1月4日)京都地震。夜2度。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(1月5日)京都地震。深夜、地震。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ4月10日(3月1日)京都大風。屋発つ、終始止まず。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(3月2日)京都火災。昨夜、強盗放火により歓喜光院の乾方1町余焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(3月11日)京都火災。祇園少将井宝殿(神殿)焼亡。辻子内湯屋より出火、二条南、東洞院出ず。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ4月21日(3月12日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣ユ5月2日(3月23日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(3月)群盗、嵯峨広沢池辺に横行。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(4月3日)京都火災。四条南、東洞院東、高倉。暁、再び火災。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(4月20日)第86代・後堀河天皇の時、大疫・疾疫・天下静ならざるにより嘉禄に災異改元。(『皇代記』『皇年代略記』『明月記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(4月29日)京都火災。法成寺朱雀西、勘解由小路北、法華堂の火、消止む。(『明月記』) ▣(5月7日)京都洪水。終日雨、鴨川頗る溢る。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(5月)法勝寺九重塔の九輪倒れる。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月9日(6月3日)京都降雹。(『京都気象災害年表』) ▣(7月18日)左大臣・徳大寺(西園寺)公継の仁和寺亭焼亡。夜。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月22日)日吉社宮仕法師数百人、冷泉烏丸の出羽前司友冬宅に乱入。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(9月2日)盗人放火により、延暦寺の阿弥陀院焼亡。(『皇帝紀抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(10月3日)強盗60余人、夜、七条院の御所仁和寺殿に乱入、大番者傷付ける。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月19日)山衆徒蜂起。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月27日)源通具亭(二条堀川)焼亡。放火による。(『百練抄』『日本災変通志』) 
■1226年(嘉禄2年) ▣ユ2月13日(1月15日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(1月27日)九条頼経、征夷大将軍に任じられる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月28日)京都雷鳴。日吉八王子に落雷、樹木裂く。(『百練抄』『日本災変通志』)
▣(2月5日)京都六条院新在家焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(2月13日)稲荷上中社御旅所(八条坊門猪隈)焼亡。稲荷社大行事で改易を悲しみ火を放ち焚死。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』)
 ▣(2月14日)藤原信盛第辺に京中博奕者群衆し双六行う。武士、悉く捕える。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ4月21日(3月23日)京都余寒。(『京都気象災害年表』) ▣(5月5日)群盗、夜に放火し、近衛油小路、獄守下部宅焼失。(『明月記』『日本災変通志』)  ▣ユ6月3日(5月7日)京都大風。屋発つ。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ6月27日(6月2日)京都大雨。未時。昏、雷電。河水溢る。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ6月28日(6月3日)京都大雨洪水。遅明に大雨、路頭門庭皆河の如し。辰巳頃、大雨殊に甚し。諸水流路。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
▣ユ6月29日(6月4日)京都大雨。夜。 ⋄夜中、盗賊放火により最勝光院焼く。塔残る。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』)  ▣(6月25日)京都落雷。一条室町の前博陸(関白)邸の中門落雷、柱一本中より折れる。西坂本に落雷。未時、叡山水飲み上に落雷、小法師1人死亡。一条(室町)殿寝殿巽角に落雷。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』)
▣(7月4日)横川衆徒、御廟拝殿打ち付け諸堂閉じ退散。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(7月11日)興福寺衆徒蜂起という。天台横川、西塔と東塔争乱。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(7月14日)京都大雨風。左近府南門顛倒。左近府門顛倒。(『皇帝紀抄』『皇年代略記』『日本災変通志』)  ▣ユ9月7日(8月14日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月8日(8月15日)京都旱魃。近日、井水乾くという。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ9月9日(8月16日)京都旱魃。既に久し、諸井水なし。(『明月記』『日本災変通志』) ⋄京都大風雨。(『京都気象災害年表』) ▣(8月18日)故・藤原宗隆文庫(梅小路堀川)炎上、和漢文書多数灰燼。夜。 (『百練抄』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(8月27日/26日)太政官庁西の官文殿(5間瓦葺)焼亡。夜半。累代文書・御斎会本尊(百済国より渡来)など焼失。(『百練抄』『明月記』『皇帝紀抄』『京都の歴史10
年表・事典』『日本災変通志』『日本史総合年表』) ▣(9月11日)賊、民部省文庫に入り、文書・諸国図帳など盗む。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月13日)京都火災。四条南、室町より出火。西町南、五条坊門烏丸焼亡。大政所、旅所北で鎮火。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月25日)京都火災。高辻堀川辺。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(10月)賊、大納言・源通具第の土倉に入り、財物(鵞眼300貫・沙金1壺・濃州桑糸60斤疋)奪う。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月19日)京都火災。北二条出雲路東で小火。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(12月24日)京都大地震。申刻。鳴動やや久し、壁落ちず。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣(12月25日)京都大地震。甚し。(『明月記』『日本災変通志』)
■1227年(嘉禄3年/安貞元年) ▣(1月4日)京都地震。申刻初、鳴動小地震。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(1月5日)群盗、京都北小路、富小路。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(1月10日)群盗横行。武士を洛中各所に配し夜警。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(1月26日)京都火災。群盗の放火により織手職民家(壬生東、土御門北)焼亡。大宿・織手など焼失。(『明月記』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ⋄寒風、終日。(『明月記』『災害と生きる中世』) ▣(1月29日)京都、近頃連夜、群盗人を害す。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(2月1日)京都群盗また充満。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(2月2日)京都火災。夜、三条町、室町東焼亡。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ2月20日(2月3日)京都大地震・鳴動。巳刻。(『明月記』『日本災変通志』) ⋄京都大風。屋壊し沍寒(ごかん、寒気)。(『明月記』『京都気象災害年表』『災害と生きる中世』) ▣(2月19日)比叡山西塔、衆徒騒動。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(2月27日)群盗、夜、内蔵寮に乱入、宝物払底し焼き穿つ。(『明月記』『皇帝紀抄』『日本災変通志』)  ▣(2月28日)群盗、陰陽寮倉を開き、累代の物盗る。(『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(3月1日)熊野山内で合戦、衆徒、神輿を奉じ入洛の風聞あり。六波羅、留める。(『吾妻鏡』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ4月4日(3月17日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(3月27日)群盗、夜、内蔵寮宝蔵に入り、累代宝物奪う。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏3月3日)近頃、群盗横行、法性寺五大堂の梵鐘・七条院御堂の仏具盗取。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(閏3月6日)群盗、大納言殿乱入。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(閏3月19日)尊勝院金堂倒る。死者あり。(『百練抄』『皇帝紀抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣(4月7日)大炊御門東洞院辺で放牛、往還の人・牛車など傷付ける。⋄源定通、吉祥院前の河で鮎取り、近辺神人と争う。(『明月記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(4月22日/15日)京都火災。「嘉禄の大火」。未刻、土御門室町辺より出火、南勘解由小路に至る。造営中の大内(内裏)殿舎、門宇、結政南所など焼亡。以後、再建されず、荒れ野になる。(『百練抄』『東鑑』『明月記』『大乗院日記目録』『皇年代略記』『如是院年代記』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』) ▣ユ6月12日(4月27日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(4月)京都近来、強盗横行、牛・車盗む。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(6月7日)承久の乱に参画した尊長法印、肥後房宅(鷹司油小路)に潜入中に襲われ、六波羅で誅。和田朝雄、捕えられる。(『吾妻鏡』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(6月12日)京都、近頃炎旱盛ん。(『東鑑』『日本災変通志』) ▣(6月14日)京都火災。姉小路堀川、三条坊門油小路。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(6月22日)延暦寺衆徒、専修念仏を難じ、所司を派遣し大谷で源空(法然)墳墓をあばく。門弟ら夜に乗じ、遺骸を西山に移し改葬。(『法然上人行状画図』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月6日)延暦寺衆徒の強訴により、専修念仏宗停止、僧・隆寛・空阿弥陀仏・成寛ら遠流。諸宗にふれ、念仏宗、悉く洛中より追放。(『明月記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月7日)東寺食堂の本尊・丈六千手観音像俄に顛倒。未刻。(『百練抄』『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣ユ8月28日(7月15日)京都雷雹。(『京都気象災害年表』) ▣(8月13日)諸家郎党雑人など、徒党を組み前摂政・九条道家の室町第襲わんとし、張本人捕えられる。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月2日)京都火災。七条殿北町。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ12月19日(11月10日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(11月13日)土御門大納言室、赤班瘡で死去。下人などの死亡、数を知らず。(『明月記』『日本災変通志』) ▣翌年ユ1月9日(12月1日)京都大風。屋発つ。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(12月5日)賊、夜に法成寺に入り仏具・金物奪う。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月10日)第86代・後堀河天皇の時、天変・三合(厄災年)・赤班瘡(疾病)流行・風害により安貞に災異改元。(『東鑑』『皇代記』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』) ▣(12月16日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(12月17日)京都大風・寒風。辰後。(『明月記』『日本災変通志』『災害と生きる中世』)
■1228年(安貞2年) ▣(3月6日)賀茂社壇に落雷。寅刻。(『百練抄』『日本災変通志』) ▣(6月19日)醍醐住僧200余人、勧修寺客房を伐ち、客房、在家3宇焼き払う。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』)  ▣(6月20日)京都大風雨、洪水氾濫。四条橋・五条橋流れ、漂没者数輩あり。(『百練抄』『日本災変通志』)  ▣(6月20日)京都大雨風。洪水氾濫。賀茂川水溢れ、漂没の数輩/死者数百人。四条橋・五条橋流失。六波羅西門大水により顛倒、仮屋流る。(『百練抄』『祐茂紀抄』『日本災変通志』) ▣(6月21日)京都甚雨。日吉・八王子・二宮、大行事社など洪水のため危うきにあり。賀茂社瑞垣流損、鴨川辺在家(賀茂社付近)民家多数流失、貴布禰社拝殿流失。(『百練抄』『皇帝紀抄』『日本災変通志』)
▣ユ8月21日(7月20日)京都・近畿暴風雨・大風雨。洛中洪水、鴨川氾濫、四条・五条など橋梁・賀茂川瑞垣・貴布禰社拝殿、民家多く流失。(『百練抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』)  ▣(8月)大雨風による鴨川氾濫時、防鴨河使・勢多判官為兼・中原朝臣為兼が、地蔵菩薩のお告げにより洪水を未然に防ぐことができた報恩に地蔵尊坐像を安置、「雨止(めやみ)地蔵」と名づけたという。仲源寺の伝承。(『雍州府志』『京羽二重織留』) ▣(9月29日)盗人放火。暁、法勝寺政庁宝蔵など焼亡。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』『日本災変通志』) ▣ユ11月5日(10月7日)諸国・京都大風雨。朝、東風吹き雨、未刻、坤の風猛。珍皇寺の塔顛倒、法勝寺九重塔九輪、北を指し傾く。平野社中門1宇・神祇官御幣殿・真言院四足門など顛倒。ほか、諸亭の破損数えきれず。(『百練抄』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』『日本災変通志』『日本の自然災害』) 
■1229年(安貞3年/寛喜元年) ▣(3月5日)第86代・後堀河天皇の時、天変・災異・去年の大風(風害)・飢饉により寛喜に災異改元。(『皇帝紀抄』『皇年代略記』『百練抄』『日本災変通志』『日本年号史大事典』『中世 災害・戦乱の社会史』)  ▣(3月23日)松尾社御輿迎で、桂供御人と西七条住人闘争。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(3月25日)叡山衆徒、暁、文殊楼・ほか2-3社焼く。(『百練抄』『明月記』『日本災変通志』) ▣(3月29日)先に、日吉社二宮の宮仕法師、六波羅の武士・三善為清の従者と争い殺傷。この日、延暦寺衆徒・武士ら下手人を与えられんことを請い、天台座主・尊性法親王・上表辞職する。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(6月15日)延暦寺と興福寺、清水寺をめぐり闘争。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(7月2日)群盗、一条辺民家に侵入企て、侍と斬合いになり街上合戦の如し。近日連夜、貧富の別なく強盗の難あり。(『明月記』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣(7月-9月)旱天甚し。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月6日)畿内この頃旱天続く。広沢池水渇き失す。大井川水浅し。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月12日)京都地震。酉時。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月28日)先に、延暦寺青蓮院門徒と梨本門徒が争う。この日、日吉社彼岸所で戦う。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ9月19日(8月30日)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣ユ9月28日(9月10日)京都大風。巳刻、屋発つ。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣ユ10月23日(10月5日)京都大風。(『京都気象災害年表』) ▣(10月30日)京都火災。姉小路室町辺で火災、頭中将・藤原実世第焼亡。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(12月22日)蓮華蔵院塔、巽角の塔2基焼亡。二条南十一面堂倒壊・焼亡。金物盗人の仕業との噂あり。(『明月記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10
年表・事典』) ▣翌年ユ1月13日(12月27日)京都大雪。2尺。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
■1230年(寛喜2年)-1231年(寛喜3年) ▣秋-翌年の春 「寛喜の飢饉」 近畿・関東・諸国での飢饉・疫病。「京中餓死者道路に満ち」(『明月記』『日本の自然災害』)
■1230年(寛喜2年) ▣ユ2月19日(閏1月5日)京都大風。夜、屋発つ。(『明月記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』) ▣(閏1月10日)太政官符下し、神護寺・高山寺旧跡を糺し、四至に反牓示打ち寺領での樵採漁猟・乱入禁遏禁ず。(「神護寺文書」『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(閏1月13日)京都地震。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(閏1月21日)京都火災、二条京極。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(2月15日/14日)蓮光寺内堂舎・塔・廟焼亡。暁。 ⋄珍皇寺新造塔焼亡。(『百練抄』『皇帝紀抄』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』)
▣(2月27日)行願寺・六波羅蜜寺諸堂焼亡。(『明月記』『京都事典』『日本災変通志』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月17日)先の松尾祭で闘争した供御人・西七条神人との訴訟で、この日、記録書で問注・各下手人出させる。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(4月)六波羅、僧徒で兵具帯する者を捕え鎌倉に押送。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月3日(5月21日)近畿・京都暴風雨・大風雨水。賀茂川氾濫により、人々衣を脱いで渡る。 (『百練抄』『京都気象災害年表』『京都の歴史10
年表・事典』『京都事典』) ▣(5月24日/23日)嘉陽院御所(四条壬生)焼亡。夜。(『百練抄』『明月記』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『日本災変通志』) ▣(6月24日)凶作に対し、朝廷、公定米価定める。銭1貫文をもち米1石と宣旨。(『百練抄』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣ユ7月-9月(6月-7月)京都旱。(『京都気象災害年表』) ▣8月25日(7月16日)諸国霜寒冷。(『京都気象災害年表』) ⋄園城寺何院衆徒、中院・北院住侶、城郭を構え争い死傷者あり。(『百練抄』『明月記』『日本災変通志』) ▣(7月29日)京都地震。早旦、大動あらず。(『明月記』『日本災変通志』) ▣ユ9月14日-16日(8月6日-8日/8月8日)京都大風雨。(8日)、未時、一時大風木を折る。(『東鑑』『明月記』『見聞私記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(8月10日/12日)園城寺中院・北院の衆徒、南院を焼く。南院衆徒・3別所衆徒と中院・北院焼く。(『東鑑』『百練抄』『明月記』『皇帝紀抄』『日本災変通志』) ▣(8月29日)より、叡山東塔と常行堂の衆徒、闘争。(『明月記』『日本災変通志』) ▣(8月-9月)諸国・近畿に暴風雨。(『明月記』『吾妻記』『日本の自然災害』) ▣ユ10月15日(9月8日/9日)近畿・京都大風雨。夜、大風。(『百練抄』『皇帝紀抄』『皇年代略記』『京都気象災害年表』『日本災変通志』)
 ▣(10月9日)京都南方・白河方、「盗賊公行(横行)」と称される。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月13日)飢饉により藤原定家、家僕に命じ庭に麦畠を作る。(『明月記』『京都事典』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(10月20日)延暦寺衆徒、入洛し狼藉働く。(『明月記』『京都の歴史10 年表・事典』) ▣(11月3日)京都大風。昏。(『明月記』) ▣ユ12月15日(11月10日)京都初雪。(『京都気象災害年表』) ▣(12月3日・5日)京都小火。(『明月記』『日本災変通志』) 
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1古墳時代-平安時代前期 2平安時代中期 3平安時代後期 1 4平安時代後期 2 5鎌倉時代 1 6鎌倉時代 2 7南北朝時代 9室町時代中期 10室町時代後期 11安土・桃山時代 12江戸時代前期 13江戸時代中期 14江戸時代後期 15近代 16現代
*このページでは現在は使われない用語も、歴史的な表現としてそのまま記しています。用語の統一は行っていません。近代以前は原則旧暦。
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京都歴史災害年表 5
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