京都府庁旧館 (京都守護職上屋敷跡) (京都市上京区) 
Kyoto Prefectural Office old wing
京都府庁旧館 京都府庁旧館
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旧京都府府庁の政庁


政庁、屋根部分、天然スレート葺


政庁、正面入口


政庁、階段


政庁階段の大理石の手摺


政庁内からの枝垂桜、円山公園の枝垂桜の孫にあたるという。


旧本館中庭、枝垂れ桜
 京都府庁内の旧館は、創建時の姿を残す現役官公庁建物として日本最古といわれている。 
 現在も、2階には執務室、会議室、NPOパートナーシップセンターがあり、会議、催しなどに使用されている。常時公開されている。春の桜の名所としても知られるようになってきた。
◆歴史年表 江戸時代末期、1862年、松平容保が京都守護職に就き、会津藩兵を率いて上洛した。
 1863年、この地での建設が始まる。
 1865年、この地には、京都守護職上屋敷の一つが完成する。建設に伴い、現在地にあった9町が消滅している。東は新町通、西は西洞院通、南は下立売通、北は下長者町までを占めていた。(「京都守護職役宅上屋舗出来図」)。敷地の東西南北に二階建て長屋があり、常に藩兵が待機していた。
 1867年、6月14日、新撰組の茨木司は近藤勇に伊東甲子太郎の御陵衛士への移籍を断られ、同志3人と自害した。軽格の同志6人の脱会は認めさせている。王政復古により廃止になる。
 近代、1868年、御池の旧東町奉行所跡(二条城の南西)に、京都裁判所が名を変えて京都府が発足した。
 1869年、府庁は現在地(京都守護職上屋敷跡)に移転となる。
 1871年、現在地に京都府中学校(洛北高校の前身)が新設され、府庁は二条城内に移転になる。
 1874年、2月、福沢諭吉(1835-1901)により、京都慶応義塾が敷地内の一部に開校する。当時の京都府参事・槇村正直(1834-1896)の斡旋による。だが、9月、廃止される。
 1885年、京都府中学校は移転(寺町丸太町上ル)となり、現在地に府庁が再移転する。その後、15年間、正堂を政庁、教室棟を事務室に充てる。
 1887年、第122代・明治天皇が訪れている。
 1894年、庁舎新築のための調査が始まる。その後、知事交代により調査は中断する。
 1899年、府庁舎改築計画が府会に提出される。だが、予算超過により否決となる。
 1900年、工事費を削減し、府会により条件付きで可決される。
 1902年、工事が始まる。
 1904年、竣工する。
 1905年、落成式が執り行われる。
 1915年、第123代・大正天皇即位の礼に際して、閣議が政庁で行われる。
 1928年、第124代・昭和天皇即位の礼に際し、閣議が政庁で行われた。
 現代、1962年、人類初の有人宇宙飛行を成功させた旧ソ連のガガーリンが政庁バルコニーに立つ。
 1971年まで、京都府庁の本館として使用された。 
 1983年、京都府指定文化財第1号となる。
 1999年、屋根、外壁を改修する。  
 2004年、国の重要文化財に指定されている。
◆松平容保 江戸時代末期から近代の大名・松平容保(まつだいら かたもり、1836-1893)。美濃・高須藩主松平義建の6男に生まれた。松平容敬養子、1852年、陸奥会津藩藩主・松平(保科)家9代となる。1862年、幕府による再三の要請により京都守護職に就き、会津藩兵を率いて上洛した。朝廷との交渉、配下の新選組などを使い、将軍家警護、京都の治安維持にあたった。公武合体を推進した。1868年、会津戦争に敗れ、鳥取藩、和歌山藩に永預(えいあずけ)となる。1880年、日光東照宮宮司、上野東照宮祠官を兼務した。
◆松室重光 近代の建築家・松室重光(1873-1937)は、京都に生まれる。1897年、東京帝国大学造家学科、大学院、1898年、京都府技師となる。1904年、退職、九州鉄道株式会社技師、1908年、関東州(旅順・大連)の関東都督府技師、1917年、土木課長、1920年、満洲建築協会の初代会長、1922年、関東都督府を退職、1923年、大阪電気博覧会嘱託、1930年、松室建築事務所を開設した。設計したのは京都市武徳殿(1899)、京都ハリストス正教会聖堂(1901)、関東都督府博物館(1918年)、大連市役所(1920年)など。
◆京都守護職上屋敷 現在の府庁の敷地には、かつて京都守護職上屋敷の一つが置かれた。屋敷は市中に数か所あったという。当初は、黒谷金戒光明寺内に置かれた。上屋敷は現在地に、度重なる増改築を経て幕末の1865年に完成した。府庁の敷地のほぼすべてを占め、正門や敷石、玄関等は豪華なものだったという。敷地の東西南北に二階建て長屋があり、常に藩兵が待機していた。
 新撰組も出入りしていたとみられている。1867年6月14日、新撰組の茨木司は近藤勇に伊東甲子太郎の御陵衛士への移籍を断られ、同志3人と自害した。軽格の同志6人の脱会は認めさせている。1867年京都守護職は王政復古により廃止になる。
◆建築 旧館は1904年に竣工した。設計調査、工事総理は文部技師・久留正道(1855-1914)、実質設計・意匠は京都府技師・松室重光(1873-1937)、現場技術は一井九平による。 
 日本人建築家による本格的西洋建築であり、後期ルネッサンス様式で、ネオバロックの要素も取り入れる。正面に一段高くなった屋根、左右両翼に対称に張り出している。平面は中庭をもつロ字形となっている。南正面に政庁、背面中央に府会議事堂、4つの角に知事室、議長室、参事会室、貴賓室をそれぞれ配する。議事堂は突出しているが建物と一体化させており、以後の府県庁舎建築の模範とされた。内部も正庁、大階段などの和風の技術、室内意匠を施している。
 煉瓦造一部石造、基礎の一部はコンクリート造り、2階建、正面と背面に車寄付、一部地下室付。小屋組は木造トラス、屋根は天然スレート葺。面積2822.43㎡。経費は36万6209円26銭2厘。
◆桜 本館の庭園は7代・小川治兵衛(おがわ じへえ、1860-1933)の作庭による。敷地内中庭には、6本のソメイヨシノ、シダレザクラが植えられている。シダレザクラは昭和30年代に、円山公園の桜の実生木を植えたものといい、その孫木にあたる。
 容保(かたもり)桜は、山桜の変種とされ、円山公園の枝垂れ桜の子にあたる。山桜としては花弁が大輪であり、山桜と大島桜の両方の性質を持つという。近年、京都守護職・松平容保に因み、16代・佐野藤右衛門(1928-)は「容保桜」と命名した。
◆年間行事 春の一般公開(観桜会)(3月22日-4月3日)頃。4月20日頃に枝垂れ桜が開花する。
 平日に常時公開、旧知事室、旧食堂、正庁、南側玄関、中庭。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『新選組大事典』


         京都御所(京都御苑)        有栖川宮旧邸・京都地方裁判所所長旧官舎       黒谷(金戒光明寺)           

政庁二階の廊下

政庁二階の廊下、旧府知事室

旧府知事室の旧食堂

旧知事室、旧食堂、知事・部長登退庁表示灯、1928年

旧食堂、屋根は天然スレート葺、宮城県の雄勝産の石版、180cm×360cm×6cm

旧食堂と府知事室の間の扉

旧知事室、1971年まで使用していた。その間、10代・大森鐘一(1856-1927)知事より34-40代・蜷川虎三(1897-1981)知事まで24人の知事が使用した。

旧知事室、府知事執務席 1971年まで実際に使用されていた。

旧知事室の扉

旧知事室扉、ペジュメント、格式の高い部屋に使用されるものという。

旧知事室、格天井、シャンデリア

旧知事室、大理石の暖炉

旧知事室、窓からは大文字山、比叡山がいまも見える。

政庁正面の屋根棟飾り、政庁玄関の展示室

ドーマ窓の頂部の飾り、政庁玄関の展示室

政庁の北にある旧本館

「京都守護職屋敷」跡、正門入って右手にある。

「京都慶応義塾跡」碑、正門入って左手、保安室近くにある。

中庭 1904年に景石として持ち込まれた。中央の石には安土・桃山時代、「天正拾七年(1589年)五月吉日」と刻まれている。近代、1887年の五条大橋改修の際に府庁に移されたとみられている。豊臣秀吉建造の橋脚とされている。

「明治天皇行幸所京都府庁」碑、正門右手、1887年に訪れている。

「一等水準点二四二 国土地理院 (京都府基準水準点)」の石版、敷地の南西隅にある。京都府の基本水準点は、標高46.3480m。

一等水準点

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