平安京左京一条三坊二町跡・惣構 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyo-Sakyo-Ichijo-Sanbo-Nicho(Government district)
平安京左京一条三坊二町跡・惣構 平安京左京一条三坊二町跡・惣構
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京都府埋蔵文化財調査研究センターの説明板


京都府埋蔵文化財調査研究センターの説明板


堀跡、2016年、京都府埋蔵文化財調査研究センターの説明板より
 現在の京都府警察本部庁舎の敷地は、平安時代の平安京左京一条三坊二町(へいあんきょう-さきょう-いちじょう-さんぼう-にちょう)跡になる。
 その後も様々な時代変遷があり、室町時代の上京惣構(そうがまえ)、安土・桃山時代、江戸時代のほか、幕末の京都守護職上屋敷などの各遺構・遺跡が見つかっている。
◆歴史年表 平安時代、この地は、内裏の守護にあたった左衛門府の官人居住区だった。
 室町時代後半(戦国期)、上京惣構(そうがまえ)が築造されたとみられる。
 安土・桃山時代、1587年、豊臣秀吉は西洞院通の西側に聚楽第を築く。それに伴い、この地は大名・武家屋敷地として整備されたとみられる。その後、伏見城(指月城)の築城、聚楽第破却に伴い、大名・武家屋敷は伏見に移転した。
 江戸時代、一帯は町屋として利用されていた。
 幕末、京都守護職上屋敷が置かれた。
 近代、敷地は京都府庁に引き継がれる。
 現代、2015-2016年、京都府警察本部の新庁舎建設工事に伴い、京都府埋蔵文化財調査研究センターによる付近の発掘調査が行われた。平安時代-江戸時代の遺跡・遺構が発掘された。
◆発掘調査 2015-2016年に、京都府庁の北にある京都府警察本部の新庁舎建設工事に伴い、京都府埋蔵文化財調査研究センターによるこの地の発掘調査が行われた。
 付近は平安時代の平安京左京一条三坊二町にあたる。内裏を守護していた左衛門府の官人居住区だった。
 室町時代後半(戦国期)には、上京惣構(そうがまえ)が築造されたとみられる。
 安土・桃山時代には、1587年に豊臣秀吉(1537-1598)が、西洞院通の西側に築いた聚楽第に伴う、大名・武家屋敷地として整備されたとみられる。その後、屋敷は1592年以降の伏見城(指月城)築城、1595年の聚楽第の破却に伴い、伏見に移転した。
 江戸時代には、町屋として利用される。
 幕末には、1865年に京都守護職上屋敷が置かれ、近代以降は京都府庁に引き継がれた。
 ◈平安時代中期-鎌倉時代の遺物が出土している。
 ◈室町時代の柱穴、溝、井戸、土坑などが発見された。溝3(長さ24.2m)は南側にあり東西に延長していた。
 ◈安土・桃山時代-江戸時代初めの柱穴、井戸、溝、大型土坑群などが見つかる。大型土坑群(一辺2.5-5m、深さ1-1.7m)は円形・楕円形で、南北に連続して掘られていた。埋土からは、江戸時代初め-前半(16世紀末-17世紀前半)の遺物が多数出土した。ゴミ捨て穴とみられる。
 堀1(幅2.4m、深さ1.1m、長さ44m)は、南北方向の堀になる。16世紀前半に埋まったとみられる。さらに、堀の東側の小規模の塀1からは、土塀とみられる布掘りの柱穴群が見つかった。
 堀2は、南北に延びる溝(幅5m、深さ3.5m、長さ70m)であり大規模なものだった。北を通る下長者町通(鷹司小路)と平行し、さらに東西方向に延長していた。堀に付随する土塁・柵などは確認されなかった。堀は、北側から短期間で埋められていた。堀を掘削する際に出た土砂を用い、北側に土塁が築かれていた可能性がある。
 堀は、室町時代後半、16世紀後半には機能していた。堀の北に広がる上京を防御するための「惣構(そうがまえ)」堀の可能性がある。京都では、応仁・文明の乱(1467-1477)以降、上京と下京に分かれた。各々が外周を敵の侵入防止のために堀・塀などで囲んだ。これら自衛の防御施設は、南北方向の室町通によって結ばれていたとみられる。
 堀は後に、秀吉により大名屋敷地へ整備され、埋め戻されたとみられる。 その後の江戸時代初めの大型土坑群、土坑群の西側に整地面は、大名・武家屋敷移転後に築かれた建物敷地とみられる。瓦廃棄土坑や堀北側の穴からは、堀の埋没後に造営された大名屋敷に伴う金箔瓦が出土した。
 ◈幕末の遺構は地表下約0.5mで、後世の削平により多くは失われていた。礎石建物3棟分に伴う根石、石組の溝1条だった。根石は穴(直径0.8m、深さ0.2-0.4m)に礫を充填し、上部に礎石を据えたとみられる。石組の溝1は調査地の南西隅にあり東西方向の溝だった。
 ◈現在地の南側になる京都府庁敷地では、幕末期の京都守護職上屋敷の遺構が初めて確認された。1862年に京都の治安維持のために、会津藩主・松平容保(1835-1893)を初代・京都守護職に任命した。1863年に、当地で守護職の御用屋敷の造営が開始され、1865年に完成した。
 屋敷に伴う建物3棟が確認された。建物1・建物2が東西棟、建物3が南北棟になり、長屋風の建物だったとみられている。2階建であり、会津藩兵が駐屯したと考えられる。
 溝1は、主要建物の北にある「局部屋」に伴う排水施設とみられる。
◆左衛門府 「左衛門府(さえもんふ)」は、令制での官司の一つになる。右衛門府とともに宮城諸門の警固、天皇行幸の供奉などを司った。
 職員に督・佐各1人、大少尉・大少志各2人、府生、衛士などがある。奈良時代、天平宝字年間(757-765)に、一時的に「司間衛」と改称した。平安時代、808年に左右衛門府は左右衛士府に併合し、811年に「左右衛門府」に改めた。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 説明板-京都府埋蔵文化財調査研究センター、ウェブサイト「平安京跡(左京一条三坊三町) - 京都府埋蔵文化財調査研究センター」、ウェブサイト「平安京跡(平安京左京一条三坊二町) 現地説明会資料(2)-京都府埋蔵文化財調査研究センター」、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 平安京左京一条三坊二町跡・惣構 〒602-8041 京都市上京区薮之内町42,長者町通新町西入ル
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