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東町奉行所跡 (京都市中京区) Site of Higashimachi-bugyosho(Мagistrate's Оffice) |
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東町奉行所跡 | 東町奉行所跡 |
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![]() 「東町奉行所跡」の石標 |
NTT西日本京都壬生別館の北側に、「東町奉行所跡(ひがしまち-ぶぎょうしょ-あと)」の石標が立てられている。 江戸時代にはこの付近一帯に、東町奉行所が置かれていた。 ◆歴史年表 江戸時代、1600年、京都郡代が置かれた。 1668年、京都町奉行は常置職になり、東町奉行所は京都代官奉行だった五味備前守屋敷(神泉苑西隣)の地に建てられた。 1867年、廃止される。 現代、1968年、京都市により石標が立てられた。 ◆京都町奉行 京都町奉行は、安土・桃山時代、1600年の京都郡代に始まる。1668年に京都所司代職務の一部移譲を受けて京都町奉行が京都に成立した。江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つであり、老中支配に属した。京都所司代の指揮下に置かれた。 奉行所は二条城の南に東町奉行所、西に西町奉行所の2カ所にあった。東町奉行所は、京都代官奉行・五味備前守屋敷(神泉苑西隣)の地に建てられた。現在のNTT西日本京都壬生別館付近であり、東は神泉苑の西側より西は美福通までの一帯になる。 旗本から2人(のち3人)、初代は宮崎重成、雨宮正種が補任された。隔月に月番で執務にあった。それぞれ与力20騎、同心50人を付属した。 1722年まで、洛中の検断権、上方8カ国の幕領・大名領・寺社領などの公事(くじ)訴訟、8カ国の幕府直轄領の年貢徴収、寺社支配、禁裏御所の警衛も担った。一時期、伏見奉行も兼帯した。1722年以降、国分けにより、公事訴訟が大坂町奉行の所管になり権限は半減された。1867年に廃止される。 *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、京都市の駒札、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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