岸和田煉瓦(高松橋ひろば)・鴨川運河 (京都市東山区)  
Kishiwada brick,Kamogawa Canal
岸和田煉瓦(高松橋ひろば)・鴨川運河 岸和田煉瓦(高松橋ひろば)・鴨川運河
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土木学会選奨土木遺産の銘板


土木学会選奨土木遺産の銘板


京都市の駒札


煉瓦ステージ


岸和田煉瓦


岸和田煉瓦の刻印「+」


岸和田煉瓦の刻印「×」


岸和田煉瓦の刻印「─ + 」


岸和田煉瓦の刻印「|+ |」


岸和田煉瓦の刻印「─ + |」


岸和田煉瓦の刻印「| ×」


堺煉瓦の刻印、中心から伸びた5本線


旧高松橋の親柱


旧高松橋の親柱


旧高松橋、揮毫「川島睦山書」


旧高松橋の親柱


旧高松橋の親柱意匠


旧高松橋の欄干?


【参照】鴨川運河北側、現在の高松橋


【参照】鴨川運河、南側
 鴨川運河沿いの「高松橋ひろば」内に、岸和田煉瓦(キシレン)、堺煉瓦、旧高松橋の高欄などが保存されている。
 鴨川運河(夷川落合-伏見掘詰)は、琵琶湖疏水の最終経路になる。
◆歴史年表 近代、1892年、11月、鴨川運河工事が始まる。
 1893年、1月、放水場4、水越場8の工事が着工される。3月、舟溜(五条以南-伏見インクライン)3カ所の工事が始まった。10月、鴨川運河の目的に水力発電の利用が計画される。11月、40橋(夷川落合-伏見掘詰)が着工になる。
 1894年、5月、舟溜が完成した。9月、鴨川運河は完成し、疏通式が行われる。10月、40橋が完成する。12月、放水場、水越場の工事が完成した。
 1895年、1月、鴨川運河での通船が開始される。
 1922年、11月、旧高松橋が架橋される。
 現代、昭和40年代(1965-1974)、墨染ダムの東側散策路(管理用通路)の未舗装部分が煉瓦貼りになる。
 2014年、3月、旧高松橋が撤去された。
 2015年、市民団体「鴨川運河会議」が結成された。
 2016年、11月、墨染ダムの東側散策路の煉瓦敷が撤去された。
 2017年、9月、高松橋ひろば作りが始まる。
 2018年、2月、煉瓦ステージ(岸和田煉瓦、堺煉瓦)が完成した。
 2019年、9月、「琵琶湖疏水鴨川運河施設群」は、橋梁群が存在する景観を形成するとして「土木学会選奨土木遺産」に認定された。
 2020年、9月、高松橋ひろばが完成する。
◆山岡尹方 近代の実業家・山岡尹方(やまおか-ただかた、1840-1915)。岸和田(大阪府)生まれ。家は岸和田藩の上級藩士だった。旧岸和田藩の参事を務める。1872年、近代以降に困窮した旧士族授産事業として、煉瓦製造会社を設立する。日本の煉瓦産業の先駆的事業になる。水飴製造業も創業する。後に煉瓦製造業は成功せず、経営難から瓦生産業社に譲渡した。1878年7月、キリスト教信者で最後の岸和田13代藩主・岡部長職(おかべ-ながとも)の依頼により、同志社の新島襄らが岸和田へキリスト教の布教に訪れる。尹方は新島に協力し、1882年、受洗し信者になる。後に、同志社神学部に入学した。1887年、第一煉瓦製造会社(後・岸和田煉瓦株式会社、現・株式会社ナムコスパ・リゾート)を設立した。共同出資者の一人は実業家・寺田甚与茂(てらだ-じんよも)だった。1888年、山岡が再び瓦生産業社の社長になり会社の再建にあたった。75歳。
 夫人と共にキリスト教の洗礼を受けた。岸和田で教会を創設し、同志社後援の下で伝導を行う。「時習社」を結社している。
◆寺田甚与茂 近代の実業家・寺田甚与茂(てらだ-じんよも、1853-1931)。大阪の生まれ。岸和田の酒造業・寺田家の長男に生まれた。家業は江戸時代に創業している。質屋店員を経て、1881年、国立五十一銀行創立委員になり支配人も務めた。1887年、山岡尹方の設立した第一煉瓦製造会社の共同出資者の一人になる。1892年、岸和田紡績(後・大日本紡績、現・ユニチカ)を設立した。南海鉄道、電力業などの各社長を歴任したという。多角的な経営を展開し、地方財閥の寺田財閥を形成した。「大正全国富豪番付」で西日本21位(800万円)だった。78歳。
 戦後、寺田財閥は財閥解体により解消されている。
◆川島睦山 近代の書家・川島睦山(かわしま-ぼくざん、?-?)。詳細は不明。本名は舟二。父は睦三。銀行員で、書家として京都市役所、高島屋で書道教室を開いていた。高島屋の別荘「呉竹庵」を譲り受けたという。
 作品として鴨川運河の高松橋、極楽橋の揮毫、京都の老舗「るり善」、「二十三や」の看板を書いたという。
◆鴨川運河 鴨川運河は、伏見と琵琶湖疏水を結ぶ運河だった。当初、運河の計画案は経路、必要性を巡って紛糾する。議会可決はわずか1票差だった。近代、1890年に測量が始まる。1892年に設計変更され、11月に工事着工される。1894年9月に完成した。
 1895年1月に、鴨川運河の舟運が始まる。3月に、伏見インクラインが完成している。二条-五条は当初、精米、紡績工場など疏水の水を利用した水車による工場が稼動していた時期もあったという。
 落合-七条(3.34km)には13mの高低があり、8カ所の閘門が設けられた。伏見堀詰には、インクラインが設けられ、1895年-1943年に利用される。この鴨川運河により、大津、京都、伏見の舟運は結ばれた。
 1894年には、津田幸次郎により、運河の水力を利用した株式会社「津田電線」伏見工場が設立され、各種銅線を製造した。1907年には、多田茂三郎により合名会社「多田石鹸油脂製造所(三洋化成工業株式会社の前身)」が設立される。工業用水を利用し、製品も運河を利用して運搬された。1914年には、伏見(墨染)発電所が完成した。
 延長8900m、高低差30m、幅員6m、水深1m、速力0.56/s、水量3.3t/s。
 閘門(仁王門、孫橋、三条、四条、松原、五条、正面、七条)、暗溝(孫橋、一之橋上手2カ所、二ノ橋、三ノ橋)、筧(団栗、音羽川、七瀬川)、橋梁(吊木橋1、木橋26、土橋13)、舟溜(五条、稲荷前、伏見)がある。
◆高松橋ひろば 「高松橋ひろば」は、2017年9月に市民の手により作業が始まる。2018年2月に、煉瓦ステージが完成した。2020年9月に完成する。煉瓦は、岸和田煉瓦、堺煉瓦の2種が使用されている。 
 ◈「岸和田煉瓦(キシレン)」は、墨染ダムの東側散策路(管理用通路)に敷かれていた。昭和40年代(1965-1974)に、東側散策路の未舗装部分を、京都市上下水道局職員が手作業により煉瓦張りにした。当局が保管していた余剰煉瓦が再利用される。煉瓦は、主に蹴上工場で製造されたもので、一部を岸和田煉瓦で補った。 
 2016年11月に散策路は撤去され舗装になる。煉瓦の400数十個を譲り受ける。岸和田煉瓦株式会社の刻印「+」「×」があり、明治期(1868-1912)に手成型されたものだった。
 ◈「堺煉瓦」は京都電気鉄道堀川変電所(旧・梅花荘)が2018年1月に解体され、その一部を譲り受けた。近代、明治期(1868-1912)の製造であり、中心から伸びた5本線の刻印がある。
 ◈ひろばには、名の由来になった旧高松橋の親柱4つが残されている。橋は、1922年11月に鴨川運河に架橋された。2014年3月に撤去されている。腰高のコンクリート製の高欄があり、橋脚の両側に鳥の意匠を施した浮彫があった。親柱の揮毫は書家・川島睦山による。
◆煉瓦 日本での煉瓦生産の歴史は、幕末の反射炉築造に始まる。近代以降は、外国人技術者の指導の下で本格的な生産が開始される。建造物を使用したのは、欧米列国、国内にも日本の近代化を目に見える形で示す必要に迫られたからだった。
 関西での煉瓦製造は、1868年に造幣寮建設のために大阪で生産されたことに始まる。1885年には、京都山科に官営の煉瓦工場が建設された。琵琶湖疏水工事のために大量の煉瓦が生産された。
 ◈岸和田では、旧岸和田13代藩主・岡部長職の発案により、士族授産の目的で煉瓦製造が企図された。藩士・山岡尹方が計画を実行した。尹方は、建築材として煉瓦の需要増大と、岸和田地方の粘土が煉瓦の製造に適していることに着眼する。1872年9月に、旧藩練兵場廃跡を利用して丸窯3個を築造した。明治10年代(1877-1886)後半に、経営が安定せず瓦製造会社に売却されたという。1887年に「第一煉瓦製造会社」が誕生する。岸和田煉株式会社の経営には、キリスト教の影響があるともいう。社章は十字架をあしらい、製品には商標の「×(クロス)」が刻印されていた。
 明治20年代(1887-1896)には大口取引があり、1893年に株式会社化している。1906年に、米国チャンバースブラザーズ社製の成形機械を導入し、捏練(ねつれん)から切断まで自動化した。岸和田煉瓦は平成(1989-2019)初期まで操業を続けたという。
 岸和田煉瓦建造物としては、旧下関英国領事館、神戸地方裁判所、旧山口県庁舎・県会議事堂(現・山口県政資料館)、同志社女子大学ジェームス館、同志社大学のほかの建造物群にも使用されている可能性がある。ほかに、旧陸軍第10師団兵器庫(現・姫路市立美術館)、JR山陽本線、琵琶湖疏水の一部でも使用されたという。
 なお、岸和田の浜には、岸和田煉瓦のほかに、同業の大阪窯業株式会社もあり、大量生産用のホフマン窯、巨大煙突も建ち並び、粘土採掘運搬のためのトロッコの軌道も敷設されていた。紡績会社などの工場群もあり、一帯は大工業地帯を形成していた。
 ◈近代、1889年6月に「共立煉瓦会社」が、発起人・高木嘉兵衛ら5人により設立された。1893年に「堺煉瓦株式会社」(堺市)に改称される。社長は福本元之助による。
 原料の粘土は大阪府泉北郡百舌鳥村に産した。製品は「並型煉瓦」、「東京形煉瓦」の2種があり、刻印は中心から伸びた5本線などがあった。販路は大阪、神戸、九州、山陰道、台湾、朝鮮にもあった。1892年に竣工した友ヶ島第4砲台弾薬支庫にも使用される。1887-1906年頃、鉄道建設工事用に使用された。大正期(1912-1926)まで、府下六大工場の一角を占めた。1920年に廃業している。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の駒札、『びわ湖疏水探求紀行 かもがわ運河編』、『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、ウェブサイト「岸和田煉瓦編 - 岸和田市」 、ウェブサイト「第7章 材料選定と施工技術について-同志社女子大学」、ウェブサイト「堺煉瓦 関西地方の煉瓦刻印」、ウェブサイト「岸和田文化事業会」、ウェブサイト「鴨川運河左岸の歩道舗装工事について、交通水道消防委員会資料 平成29年3月-京都市上下水道局」、ウェブサイト「京都新聞2020年11月18日」、ウェブサイト「コトバンク」


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