薩摩藩邸二本松屋敷跡 (京都市上京区)  
The ruins of residence of Satsuma Domain(Imadegawa Campus)
薩摩藩邸二本松屋敷跡 薩摩藩邸二本松屋敷跡 
50音索引,Japanese alphabetical order    ホーム,Home 50音索引,Japanese alphabetical order    Home

薩摩藩邸跡の石標


相国寺の南に「薩州屋敷」と記されている。(「改正京町御絵細身大成」、1868年)(同志社大学の説明板より)
 同志社大学今出川キャンパスの西門脇に、「薩摩藩邸跡」の石標が立てられている。
 この地には、薩摩藩邸の京屋敷の一つである二本松屋敷(二本松邸)が置かれていた。
◆歴史年表 江戸時代、1788年、相国寺は天明の大火で境内の多くを焼失している。
 1862年、9月、相国寺と薩摩藩の間で「借用地証状」が交わされた。薩摩藩は相国寺南二本松(上京区)に新たな藩邸の造営を始める。
 1863年、9月、二本松に新屋敷が完成する。10月、島津久光が上洛後に藩邸に入る。薩摩藩は、等持院(北区)にも邸を構えた。
 1866年、1月、薩長同盟がこの藩邸内で締結されたという。ただ実際には、小松帯刀の寓居(上京区)だった御花畑(近衛家別邸)といわれている。
 1868年、大政奉還後、1月、戊辰戦争(1868-1869)が勃発した。その直後に、会津藩士・山本覚馬は捕らえられ、藩邸内稽古場に幽閉された。その際に新政府宛てに出した建白「管見」を、同じく捕らわれていた同藩士・野沢鶏一に口述筆記させている。
 1870年、4月、覚馬が釈放された。
 近代、1872年、4月、上知令により藩邸は京都府に接収された。9月、旧薩摩藩士・池田春菊ら5人に藩邸跡地の5800坪(19173)が売却される。12月、藩邸跡地は開拓会社の所有に移る。
 1875年、6月頃、同志社(名義は新島襄)が購入する。なお、1875年頃、覚馬が新島襄を知り、購入していた旧薩摩藩邸敷地を学校用地として譲渡したともされる。
 1876、9月、同志社は高松保実邸(上京第22区,寺町通丸太町上ル松蔭町18番地の半分)より、現在の今出川校地(相国寺門前、薩摩藩邸跡)へ移る。校舎2棟、食堂1棟が建てられた。
◆島津久光 幕末近代の薩摩藩指導者・政治家・島津久光(しまづ-ひさみつ、1887-1817)。薩摩生まれ。父は27代当主(10代藩主)・島津斉興、母は側室・由羅(ゆら、由良)。島津斉彬(なりあきら)の異母弟になる。斉興の継嗣を巡り斉彬との間に抗争になる。後、本家に戻り、一門・島津忠公の養子になる。1839年、大隅国重富領を相続した。弘化年間(1844-1848)、藩政に参与する。1858年、28代当主(11代藩主)・斉彬の遺命により、子・忠義が29代当主(12代藩主)になり、1861年、宗家に復帰した。忠義の後見として、国父と称され藩政の実権を掌握した。大久保利通を抜擢した。1862年、西郷隆盛に先発を命じ、大兵を率いて上京する。斉彬の遺志を継ぎ公武合体を目指した。寺田屋騒動で藩内尊攘激派・有馬新七らを弾圧する。勅使・大原重徳を奉じて江戸に行き、一橋慶喜の将軍後見職就任など幕政改革に寄与した。帰途、久光の行列をめぐり生麦(なまむぎ)事件が起こり、1863年、薩英戦争を招く。 八月十八日の政変では、薩摩藩は会津藩と結び長州勢、尊攘派公家を朝廷から追放した。維新後、新政府の開明政策を批判した。1872年、天皇巡幸の際に鹿児島で建白する。1873年、内閣顧問、1874年、左大臣に任命された。三条実美、岩倉具視らを批判する上奏を行い、1875年、辞官した。1884年、公爵になる。晩年は修史事業を進めた。
◆山本覚馬 江戸時代後期-近代の会津藩士・政治家・山本覚馬(やまもと-かくま、1828-1892)。会津若松生まれ。会津藩士・砲術指南役・山本権八の長男、母は佐久。妹・八重は新島襄の妻。藩校・日新館に学ぶ。22歳で江戸・佐久間象山の塾に入る。25歳で江戸・大木衷城に蘭書、江川太郎左衛門に洋式砲術を学ぶ。28歳で会津に戻り日新館教授、蘭学所を開設し教授になる。守旧派批判により1年間の禁足処分を受けた。軍事取調役兼大砲頭取に抜擢される。1862年、京都守護職の藩主・松平容保に従い、京都・黒谷本陣で西洋式軍隊の調練に当たる洋学所を主宰した。1864年、禁門の変で砲兵隊を率いて戦功を挙げ、公用人に任じられる。この頃、失明同然になる。1866年、長崎で薩摩藩士・中沢帯刀とドイツ商人カール・レーマンとの鉄砲購入交渉を行う。1868年、鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩邸に幽閉され、「管見」を口述筆記させた。国際社会における日本の22の施作を示した。仙台藩邸の病院に移され、岩倉具視の訪問を受ける。1869年、釈放された。1870年、京都府庁に出仕し、権大参事・槇村正直の顧問として、学校・病院・医学校などの設立、大阪と北陸を結ぶ京都鉄道の敷設願書を当局に提出した。1872年、日本で最初の「内国勧業博覧会」を開催した。中国在住アメリカ人宣教師W・マーティンの『天道溯原』を読み影響を受ける。1875年頃、新島襄を知り、購入していた旧薩摩藩邸敷地を学校用地として譲渡したとされる。新島と連名で「私学開業願」を文部省に出願した。同志社発起人の一人になる。1877年、府顧問を解かれ、1879年、第1回京都府会選挙で最初の府会議員になり、初代議長になった。府知事・槇村と対立し、議長を辞して元老院議官に転じた。1885年、京都商工会議所会長就任、同年、受洗した。1890年、新島没後、同志社臨時総長として尽力する。女子教育に貢献した。「同志社」の名は、山本の発案という。
 墓は同志社墓地(左京区)にある。
◆薩摩藩邸・同志社所有地 薩摩藩は、薩摩、大隅(おおすみ)、日向(ひゅうが)、諸県(もろかた)郡の一部を領有した外様大藩であり、鹿児島藩ともいう。藩主は島津氏による。
 江戸時代、1862年に相国寺と薩摩藩の間で交わされた「借用地証状」によると、相国寺南部にある土地7000坪(23140㎡)を1年20石で20年(1882年まで)借用するとしている。この地は、1788年の天明の大火以後に復興できなかった相国寺の寺院跡、維新後に統廃合された寺地跡の薮地だった。
 薩摩藩(鹿児島藩)の京屋敷は4カ所にあった。当初は、本邸が室町通り四条下ルにあり、その後、錦小路通東洞院東入に移された。
 その後、1863年に相国寺南の二本松(上京区)に薩摩藩の新屋敷が完成する。現在の同志社大学今出川キャンパスの3分の2を占めていた。東門、南門、表門、西門、西裏門があり、書院もあった。
 さらに、等持院村(白梅町-等持院付近)にも広大な藩邸があった。
 維新後、本邸跡は誓願寺になり、興行所、京都取引所に変わった。二本松屋敷跡は、後に同志社の校舎になる。
 近代、1872年4月、2度目の上知令により、薩摩藩邸は、土地、施設共に京都府に接収されている。その直後に、民間人の旧薩摩藩士・池田春苗(代金納入は池田春菊)らに売却された。その後、開拓会社の所有になる。1875年、同志社(名義は新島襄)が校地として購入する。なお、1875年頃、覚馬が新島襄を知り、購入していた藩邸跡地を学校用地として譲渡したともされる。
 1876年、この地に同志社は第一寮、第二寮、食堂を建設した。同志社の所有地面積は5855坪(19355㎡)になる。(「同志社英学校沿革」 「同志社記事社務記録第十八号」)。 1886年に所有地面積は11875坪(39256㎡)になった。(「同志社英学校沿革」)。1890年、所有地面積は33806坪1合9勺(111755㎡)あり、敷地は次第に拡張している。 (「同志社所有地明細圖」)
◆薩長同盟 「薩長同盟(さっちょうどうめい)」は、薩長連合、薩長和解連合ともいわれる。 江戸時代後期、1863年8月、討幕のための薩摩、長州両藩の軍事同盟の締結をいう。
 長州藩は、薩摩藩の公武合体論に押され、次第に朝廷に対する支配権を失う。1863年、長州藩は下関海峡で列強商船砲撃事件を引き起こした。その報復のために、四国艦隊(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ合衆国)下関砲撃事件を招き、下関は占領された。1864年には、幕府の第1次長州征伐により長州藩は降伏する。その後、薩摩藩内に討幕派が台頭し、幕府の薩長討伐計画も漏れる。長州藩内では、高杉晋作(1839-1867)らが両藩の協力を説いた。
 土佐藩出身の坂本龍馬(1836-1867)、中岡慎太郎(1838-1867)が両藩を仲介し、1866 年1月21日、討幕のための提携を結ぶに至る。小松帯刀の寓居だった御花畑(近衛家別邸)で薩摩藩の小松帯刀(1835-1870)、西郷隆盛(1828-1877)、大久保利通(1830-1878)、長州藩側の桂小五郎 (1833-1877、木戸孝允)らが会見した。この時、長州再征のための対処である6ヵ条攻守同盟が結ばれている。
 1866年6月5日、幕府による第2次長州征伐が起こる。薩摩藩は幕府の攻撃を妨げ、長州藩は高杉晋作や桂らが奮戦した。7月、将軍・徳川家茂は大坂城内で亡くなり、9月、幕府は長州と和して撤兵した。これらの動きが倒幕運動の進展になり、1868年の明治維新につながった。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 同志社大学の案内板、ウェブサイト「二本松邸に関する史料 - DOORS(同志社大学図書館)」、ウェブサイト「二本松邸に関する史料 - DOORS(同志社大学図書館)」、ウェブサイト「同志社大学」、『同志社山脈』『京都大事典』『幕末京都歴史ウォーキング』、ウェブサイト「同志社のはじまりと京都 -140年前の同志社と「八重の桜」のその後を考える-、同志社女子大学生活科学2015」、ウェブサイト「相国寺」、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area薩摩藩志士之墓     関連・周辺,relevance&surrounding area大久保利通旧邸跡    関連・周辺,relevance&surrounding area小松帯刀 寓居跡    周辺,surrounding area     関連,relevance即宗院〔東福寺〕    関連,relevance薩摩藩京屋敷跡     関連,relevance寺田屋跡・寺田屋事件    関連,relevance同志社墓地・若王子山    関連,relevance妙法院    関連,relevance長州藩邸跡    関連,relevance土佐藩邸跡       
 
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘
map 薩摩藩邸二本松屋敷跡 〒602-8580 京都市上京区相国寺門前町
50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home   top 50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home   top
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光