近江屋跡・近江屋事件跡 (京都市中京区)
Ruins of Omiya Inn
近江屋跡・近江屋事件跡 近江屋跡・近江屋事件跡 
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坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石標


参考 『京都・観光文化 時代MAP』
 繁華街の塩屋町、河原町通の西側に「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」の石標が立てられている。かつて、この付近に醤油商「近江屋」があり、坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された「近江屋事件」の現場になった。
◆歴史年表 江戸時代末、1867年、11月14日まで、坂本龍馬は「近江屋」裏手の土蔵二階に隠れ潜む。
 11月15日(新暦12月10日)、龍馬は「近江屋」の母屋に移る。夜半、龍馬と慎太郎は、「近江屋」で刺客により暗殺される。  
 11月17日、夜、龍馬、慎太郎ら3人の葬儀が行われている。
◆坂本龍馬 江戸時代後期の尊攘派志士・坂本龍馬(さかもと-りょうま、1835-1867)。本名は直陰、直柔(なおなり)、別名は才谷(さいだに)梅太郎、通称は龍馬。土佐(高知県)の生まれ。土佐藩郷士・坂本長兵衛の次男。城下築屋敷(つきやしき)の日根野(ひねの)弁治道場で小栗流剣術を修行した。1853年、3月、江戸・北辰一刀流千葉定吉道場に剣術修行に出る。1854年、土佐で画家・河田小龍から西洋事情を学ぶ。1856年、8月、再び千葉道場に遊学し免許を得た。この頃、江戸で武市瑞山、久坂玄瑞らを知り、尊攘運動に入る。1858年、9月、帰国した。1861年、8月、武市らが結成した「土佐勤王党」に加盟し、出国する。1862年、1月、長州萩に久坂を訪ね、3月、脱藩した。大坂、京都を経て江戸に出る。軍艦奉行・勝海舟の弟子になり、航海術などを学ぶ。1863年、2月、勝の尽力により脱藩罪を赦免される。12月、土佐藩の召喚令に従わず、再び脱藩の身になった。1864年、勝の主唱した「神戸海軍操練所」設立に尽力し、塾頭になる。4月、肥前国に横井小楠を訪ねる。10月、勝の失脚後に操練所は解散になる。龍馬は薩摩藩の保護を受けた。1865年、5月、大宰府で三条実美ら5卿に薩長同盟を説く。閏5月、薩摩藩の援助の下で、長崎で株式会社の先駆・政治結社「亀山社中」を設立した。洋式銃砲の取り引きを行なう。1866年、土佐藩は長崎に貿易のための「土佐商会」を設立した。1月21日(新暦3月7日)、京都で龍馬は中岡慎太郎と協力し、対立していた長州藩・薩摩藩間の「薩長同盟」に尽力した。倒幕への布石になる。1月24日(新暦3月10日)、龍馬は伏見の旅館「寺田屋」で幕史に襲われる。寺田屋養女・お龍、大山彦八、三吉慎蔵らの機転で難を免れた。(寺田屋事件)。6月、第二次長州征討(四境戦争)で、「丑乙丸」を操り参戦した。1867年、1月、長崎の「土佐商会」に出張の藩参政・後藤象二郎と会談した。土佐藩は藩主・山内容堂の公武合体路線の行き詰まりから方向転換を求めていた。 4月、藩は龍馬の脱藩の罪を許した。亀山社中を「海援隊」に改め、海援隊長になる。紀州藩との「いろは丸事件」を解決する。5月、京都で「薩土密約(薩土討幕の密約)」の締結に立ち会う。6月、長崎からの藩船中で、後藤と大政奉還・公議政治などを原案にする新国家構想「船中八策」を策定した。京都で薩摩の西郷隆盛らとの間の「薩土盟約」に立ち会う。(10月破棄)。10月、土佐藩主・山内は「船中八策」案を元に、将軍・徳川慶喜に大政奉還を建白し、10月14日(新暦11月9日)、朝廷も許可し実現した。その後、龍馬は土佐、長崎、福井などに移る。11月15日(新暦12月10日)夜、京都「近江屋」で中岡とともに暗殺された。幕府見廻組刺客の手によるともいう。(近江屋事件)。32歳。
 1869年、正四位追贈。松平春嶽、横井小楠、三岡八郎(由利公正)、大久保一翁(忠寛)、西郷隆盛らと親交した。墓は霊山墓地(東山区)にある。
◆中岡慎太郎 江戸時代後期の尊攘派志士・中岡慎太郎(なかおか-しんたろう、1836-1867)。名は道正(みちまさ)、光次、号は迂山、変名は大山彦太郎、横山勘蔵、石川清之助など。土佐(高知県)の生まれ。土佐藩郷士・庄屋・中岡小伝次の子、母は初。1855年、武市瑞山の道場に入門し、坂本龍馬を知る。土佐藩士・間崎滄浪(まざき-そうろう)に経史を学ぶ。1857年、大庄屋見習になる。1861年、武市の土佐勤王党に入る。1862年、五十人組結成に参加し伍長になる。江戸で藩主・山内豊信の警護に当たった。1863年、帰郷し、藩論が公武合体に傾き、尊攘派の弾圧により脱藩した。長州で三条実美ら5卿の護衛に当たる。1864年、上洛し、7月、長州軍として禁門の変(蛤御門の変)に参加する。敗れ、負傷した。長州藩に逃れ、忠勇隊隊長になる。以来、各所で薩長の和解に尽力する。1866年、1月21日(新暦3月7日)、坂本龍馬とともに「薩長同盟」締結に立ち合う。慎太郎は三条実美と岩倉具視、西郷隆盛と高杉晋作を連携させた。1867年、4月、脱藩の罪を許され、5月、京都で「薩土密約(薩土討幕の密約)」の締結に立ち会う。6月、京都で薩摩の西郷隆盛らとの間の「薩土盟約」に立ち会う。(10月破棄)。7月、土佐藩より遊軍の陸援隊隊長に任命される。11月15日(新暦12月10日)、龍馬とともに京都「近江屋」で襲われ負傷、その後、亡くなった。(近江屋事件)。著『時勢論』(1867)。30歳。
 墓は霊山墓地(東山区)にある。
◆近江屋事件 坂本龍馬は、旅籠「池田屋」に投宿していた。桂小五郎、伊東甲子太郎らは、龍馬の命を狙う者があるとして、警護を強化するように忠告した。その後、龍馬は「酢屋」と、河原町の醤油商「近江屋」の井口新助邸を行き来した。龍馬は、土佐藩邸に移ることも勧められていた。 
 1867年11月14日まで、龍馬は「近江屋」裏手の土蔵二階に隠れ潜んでいた。龍馬は、風邪をひいており、厠に立つのも難儀だとして、11月15日に「近江屋」の母屋に移る。午後3時、5時、龍馬は福岡孝弟(たかちか)の下宿(近江屋の3軒南隣)を訪ねている。夕方、慎太郎は、子・峰吉に薩摩藩の定宿「薩摩屋」に手紙を届けさせた。北白川の陸援隊屯所から慎太郎、峰吉、土佐藩目付役・岡本健三の3人が、「近江屋」の龍馬を訪ねる。夜半、龍馬と慎太郎は、「近江屋」2階で歓談した。龍馬、慎太郎は軍鶏(しゃも)鍋を食べることにして、峰吉を木屋町「鳥弥三(鳥新)」に使いに走らせた。健三も峰吉に同行する。
 その間に、階段を上ってきた者数人があった。「十津川郷士」を名乗る男たちは、下男とともに階段を上がってきた。龍馬と慎太郎は差し出された名刺を確かめる。その隙に、2人は突然に襲撃された。龍馬は、護身用の拳銃を撃つこともなく絶命した。この時、龍馬は日本刀「陸奥守吉行( むつのかみよしゆき)」を携えていたという。また、石川(慎太郎の偽名)の刀を探して数度叫んだともいう。
 直後に、使いから戻ってきた峰吉が龍馬らの暗殺の知らせをして、土佐藩士・谷干城、陸援隊・田中光顕らが「近江屋」に駆け付けた。その日は、奇しくも龍馬33歳の誕生日だった。負傷した慎太郎は、事件の2日後に亡くなる。下僕・藤吉も殺されている。
 「近江屋」には、海援隊、陸援隊、土佐藩士、薩摩藩士らが集った。11月17日の夜、3人の葬儀が行われ、遺骸は東山の霊明神社墓地に葬られた。
 刺客については、ほぼ定説として、京都見廻組・佐々木只三郎ら6人ともいわれている。また、幹部・今井信郎の維新後の供述により、見廻組の隊士7人によるともいう。このうち、2階には4人が上がったという。霊山歴史館に、見廻組・桂早之助が所持したという刀(42.1㎝)がある。龍馬を斬った刀とされ、屋内を想定し刀身が短い。ほかにも、新撰組・原田左之助、御陵衛士・伊藤甲子太郎、御陵衛士・斎藤一、薩摩藩士・中村半次郎、長州藩士、紀州藩士だったともいう。
 「近江屋」の位置は、現在の石標付近にあり、東西方向に細長い、鰻の寝床だった。西に土蔵、東に母屋があり、東端は旧河原町通2間(幅4m)に面していた。旧河原町通は狭く、現在の河原町通の東端にある歩道の幅に等しかった。「近江屋」の母屋は、現在の河原町通の道幅全域を占めていたとみられている。現在の石標の立つ位置は、「近江屋」の北側に位置し、西の土蔵と東の母屋のほぼ中間地点にあたる。実際の龍馬らの暗殺地点は、石標のやや南にあり、母屋の西端、北よりの付近だったとみられる。
◆アニメ  ◈アニメーション『暗殺教室』(原作・松井優征、制作・Lerche、第1期2015年1月-6月、第2期2016年1月-7月、第1期全22話、第2期全25話)に付近が登場する。第7話で修学旅行中のシーンがある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『幕末京都 新選組と龍馬たち』、『新選組大事典』、『新撰組辞典』、『新選組大事典』、『新選組と幕末の京都』、『京都・観光文化 時代MAP』、『京都歩きの愉しみ』、『あなたの知らない京都府の歴史』 、『坂本龍馬大事典』、ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」  


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map 近江屋跡 〒604-8027 京都市中京区塩屋町(河原町通)330
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