松林寺 (京都市上京区) 
Shorin-ji Temple
松林寺 松林寺 
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門から境内へは急な下り坂となっている。低部は聚楽第本丸の南西にあった一番外の南外濠跡とみられている。


本堂


本堂、山号扁額「龍護山」
 松林寺 (しょうりんじ)のある分銅町は、かつて内野(うちの)と呼ばれていた。平安時代の平安宮内裏が置かれていた。安土・桃山時代には聚楽第が建てられていた。
  「やす寺」ともいわれる。「やす」は、安産の「安(やす)」に由来しているという。山号は龍護山という。 
 浄土宗。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 江戸時代、1608年、僧・清印により創建された。当初は東山黒谷(左京区)にあった。
 以伝の時、洛陽川原町(中京区)に移転する。
 元禄年間(1688-1704)、信誉の時、現在地(中京区)に移転した。
◆本尊 本堂に祀られている本尊の阿弥陀如来は、飛鳥時代、厩戸王(聖徳太子、574-622)作という。
◆伝承 開山の清印の母が重病となり、母の回復を祈願した。薬師如来が現われ、婦人病や安産に効験あらたかな秘薬「蘇命散」の処方を伝授したという。太平洋戦前まで、寺でもこの妙薬が売られていたという。
◆平安宮 寺は平安宮内裏跡にある。周辺には、内裏弘徽殿、承香殿、昭陽殿などがかつて建ち並んでいた。境内には、平安宮内裏の建春門があったという。
◆聚楽第 境内は、聚楽第(1587-1595)の南外堀濠跡(天秤堀遺構)と推定されている。聚楽第は平安宮の跡地に建てられた。
 聚楽第は、関白・豊臣秀吉(1537-1598)の政庁、邸宅だった。天守、内郭、外郭があり、二重の堀が巡らされた平城の機能も備えていた。秀吉はわずか4年しか住まわず、1591年、甥の豊臣秀次(1568-1595)に譲っている。
 3歳で病死した秀吉の嫡男・鶴松にともない、秀次は秀吉の養子となった。秀次は関白職を継ぎ聚楽第に住む。ところが、秀吉に秀頼(1593-1615)が生まれると、秀次は高野山追放後、切腹となった。聚楽第はすべて取り壊され、建物の大部分は伏見城などへ移築された。跡地は畑になり、江戸時代、1624年以降に民家が立ち並ぶ。その数は120町にもなり、聚楽組と呼ばれた。
 松林寺門前の新出水通はその北の出水通より1.5mほど低い位置にある。さらに境内は新出水通より1mほど下がった地点に建てられている。この境内付近には聚楽第の外壕があり、その遺構とみられている。また、寺の置かれている地名の「分銅町」は外郭水路の呼称「分銅堀」に、周辺に複数ある町名「天秤(てんびん)町」も堀の呼称「天秤堀」に由来しているという。
◆見廻組 幕末の見廻組屯所が境内にあったという。1864年、江戸幕府は京都守護職で会津藩主・松平容保配下に見廻組を置き、主に御所や二条城周辺を管轄し警固した。
◆蘇命散 かつて寺では「蘇命散」という薬を処方していた。日野家より伝えられたものという。婦人病、産前産後の効験があった。
◆キリシタン 境内に「やすでら」と刻まれた石碑がある。やすらかな安産を祈願する寺の意味と伝えられていた。
 また、「やす」とは耶蘇(やそ)を表し、キリシタン寺の意味もあったともいう。
 かつて墓地には墓碑に十字架が刻まれた墓石があった。その後、2005年に洛西の教会に遷された。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都歴史案内』『京都隠れた史跡100選』『京のキリシタン史跡を巡る 風は都から』


  聚楽第     出水界隈・梅雨ノ井     山中油店     瑞泉寺         

山号石標「龍護山」

「やすてら(やそてら?) 松林寺」の石碑

椿



【参照】門前に立つ「此付近 聚楽第南外濠跡」

【参照】門前の南北の通りも、南(画面の奥、山門前)に向かって下り坂になっており、埋め戻されたという聚楽第外堀(濠)遺構ともいう。

【参照】平安京内裏弘徽殿(こきでん)跡、弘徽殿は平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つで清涼殿にも近く、最も格の高い殿舎として皇后、女御などが居住した。

【参照】「平安京内裏昭陽舎(しょうようしゃ)跡」、昭陽舎は平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。女御などが居住した。

【参照】「平安京内裏承香殿(じょうきょうでん、しょうきょうでん)跡」、承香殿も後宮の七殿五舎のうちの一つ。七殿の中では、弘徽殿についで格式が高い。女御などが居住し、古今集がここで編纂された。

「平安宮内裏綾綺殿(りょうきでん)跡」、綾綺殿は、平安宮内裏の一つの建物で、紫宸殿の東北に位置していた。内宴や妓女の舞などが催されていた。 

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 松林寺 〒602-8174 京都市上京区分銅町575,智恵光院通出水下る一筋目西入る南側  075-841-5880
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