中岡慎太郎寓居地 (京都市中京区)  
The ruins of temporary residence of Nakaoka, Shintaro
中岡慎太郎寓居地 中岡慎太郎寓居地 
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中岡慎太郎寓居之地」の石標

 河原町通四条上ル東側に「中岡慎太郎寓居之地(なかおか-しんたろう-ぐうきょのち)」の石標が立てられている。
 江戸時代後期の尊攘派志士・中岡慎太郎は、脱藩後に一時この地に身を寄せていた。
◆歴史年表 江戸時代後期、1864年、中岡慎太郎は上洛し、土佐藩御用達書林「菊屋(鹿野安兵衛)」宅に身を寄せた。
 1866年、慎太郎は、寓居のあった柳馬場より、白川村の土佐陸援隊屯所(旧白川土佐藩邸、左京区)に移った。
 1867年、11月15日(12月10日)夜、坂本龍馬、慎太郎が暗殺された近江屋事件で、菊屋の息子・峰吉が近江屋を訪れた。白川村の陸援隊屯所に急を知らせた。
 近代、1936年、京都市教育会により石標が立てられた。
◆中岡慎太郎 江戸時代後期の尊攘派志士・中岡慎太郎(なかおか-しんたろう、1836-1867)。土佐藩郷士・庄屋中岡小伝次の子。1855年、武市瑞山の道場に入門し坂本龍馬を知る。1861年、土佐勤王党の血盟文に署名した。1862年、五十人組結成に参加し、江戸で山内豊信の警護に当たる。1863年、帰郷し、尊攘派の弾圧により脱藩し、長州で三条実美らの護衛に当たる。1864年、上洛し、長州軍として禁門の変に参加する。敗れ、長州藩に逃れ忠勇隊隊長になる。以来、各所で薩長の和解に尽力する。1867年、脱藩の罪を許され、土佐藩より陸援隊隊長に任命される。同年、薩土盟約締結に立ち合う。慎太郎は三条実美と岩倉具視、西郷隆盛と高杉晋作を連携させた。龍馬とともに近江屋で襲われ負傷、その後亡くなる。著『時勢論』(1867)。30歳。
 墓は霊山(東山区)にある。
◆菊屋峰吉 江戸時代後期-近代の菊屋峰吉(きくや-みねきち、1851-1916) 。詳細は不明。峯吉、鹿野安兵衛。京都の土佐藩御用達書林土「菊屋」主人・鹿野安兵衛の長男。1864年、中岡慎太郎が菊屋に身を寄せて以来、慎太郎、坂本龍馬と知り合う。両人に「峰や」と呼ばれた。龍馬の依頼で団子売りに変装し、新撰組屯所の偵察を行なったともいう。1867年、龍馬と中岡が暗殺された近江屋事件では、一旦、中岡から頼まれた使いを終え、近江屋に戻った。再び、龍馬に軍鶏を買う使いを頼まれ、近江屋に戻って事件を知った。峰吉は裸馬に乗り白川の陸援隊屯所に急を知らせたという。1868年、維新後、東京の元五十人組総頭・宮川助五郎の遺骨を霊山に分骨した。1877年、西南戦争で、熊本鎮台司令長官・谷守部(干城)により、会計軍夫として従軍した。
 墓は知恩寺の塔頭・了蓮寺(左京区)にある。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています
*参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『幕末京都歴史ウォーキング』、『坂本龍馬京をゆく』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 中岡慎太郎寓居地 〒604-8026 京都市中京区米屋町380-1,河原町通四条上ル東側
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