同志社女子大学 栄光館 (京都市上京区)  
Doshisha Women's University, Eiko-kan
同志社女子大学 栄光館 
同志社女子大学 栄光館
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home




 同志社女子大学栄光館(どうししゃ-じょしだいがく-えいこうかん) は、大学内の中心的な建物になっている。
 設計は近現代の建築家・武田五一による。
◆歴史年表 近代、1930年、12月、栄光館は起工した。
 1931年、2月、定礎式を行う。
 1932年、2月、竣工式を挙げた。
 現代、2000年、10月、国の登録有形文化財に指定された。
◆武田五一 近代の建築家・建築学者・武田五一(たけだ-ごいち、1872-1938)。備後福山(広島県)の生まれ。父・備後福山藩士・司法官・平之助(直行)、母・八重の第5子。父の赴任に従い、神戸、姫路、岐阜、高知に住む。1888年、京都第三高等中学校補充科に入学した。1894年、京都第三高等中学校本科を卒業し、京都帝国大学工科大学造家学科に入学する。1897年、帝国大学(東京帝国大学)造家学科(建築学科)を首席卒業し、同大学院に進学した。1899年、大学院中退後、東京帝大助教授に任じられる。東京高等師範学校講師嘱託、東京美術学校教官になった。1901年-1903年、文部省より命ぜられ欧州留学する。ロンドン・カムデン美術学校で学び、各地を巡る。アール・ヌーボー、セセッションなどを体験する。1903年、帰国後、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授になる。1904年、京都府技師を兼任し、平等院鳳凰堂・鹿苑寺金閣の保存に関わる。1907年、東京・福島行信邸で、日本初のウィーン・セセッションの様式を試みた。アール・ヌーボーの造形を紹介する。1908年、大蔵省臨時建築部技師を兼任し、国会議事堂建築のために欧米視察した。1912年、パナマ太平洋万国博覧会事務取扱嘱託になる。1915年、工学博士学位を取得する。勲四等瑞宝章を受賞した。1916年、法隆寺壁画保存会委員になる。1917年、片岡安らと「関西建築協会」を設立する。1918年、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)校長に転任した。1920年-1932年、京都帝国大学建築学科創立に伴い教授になる。1925年、大蔵省営繕管財局技師を兼任した。1929年-1931年、京都帝国大学営繕課長事務取扱として学内建築物の造営に関わる。1931年、欧米出張し、19カ国を訪れた。1934年以来、法隆寺大修理工事事務所長を務める。65歳。
 「関西建築界の父」といわれた。奈良・京都の古社寺保存修復、橋梁、博覧会場、公園、記念碑、都市計画、街路施設、家具意匠、染色なども手掛けた。主な作品として、旧日本勧業銀行本店(1899) 、日本初のセセッション建築とされる東京・福島邸(1907)、京都府立図書館(1909)、京都・円山公園(1912)、京都・同志社女子大学ジェームス館 (1913) 、京都・旧松風嘉定邸 (現・五龍閣、1914)、山口県庁舎・県会議事堂(1916) 、大阪・瀧安寺鳳凰閣(1917) 、兵庫・清水寺根本中堂・大講堂・本坊・客殿(1917) 、東京・旧村井吉兵衛邸(現・延暦寺大書院、1919) 、 兵庫・清水寺鐘楼 (1919)、兵庫・光明寺根本本堂(1925) 、 和歌山・高野山大学図書館 (1928)、代表作の東方文化学院京都研究所(1930)、京都・同志社女子大学栄光館(1932) 、鳥取・三朝大橋(1934年) など多数。葵橋、賀茂大橋なども設計した。
◆建築 同志社女子大学栄光館は、近代、1932年2月に竣工した。設計は近現代の建築家・武田五一による。
 南面して建てられている。外観は、煉瓦タイル張であり、煉瓦造のジェームズ館、静和館(現存しない)の間に建てられたために、周辺との景観統一が図られた。正面中央玄関部分は南側に突出している。庇があり浅彫の装飾が施されている。2階にはバルコニー、テラス、高欄があり、窓は円形の3連アーチになっている。その上に、大規模な八角形の塔屋が載り、モルタル仕上げになる。
 塔屋は、当初は時計台であり、太平洋戦争(1941-1945)中に金属供出された。現在、内部は瞑想室として利用されている。
 平面は「逆T字形」になっている。玄関、入口ホール部分などに武田が沖縄で発見した多孔質大理石(トラバーチン, travertine)が使用されている。広義の大理石の一種であり、緻密な縞状構造が見られ、湧泉、地下水の炭酸カルシウムが沈殿して生成された。建築、装飾用に使用されてきた。
 南側の前面に「コの字形」の管理棟(東西51m、南北20m)、その北側背後に1600人収容可能な方形鉄骨造の講堂(東西25.3m、南北26.3m)がある。講堂内部はアーチ構造をそのまま天井に見せている。カナダのカサバン・フレール社製のパイプオルガンが設置されている。1941年に米国太平洋婦人会から寄贈された。講堂は礼拝、各式典の際に使用されている。ほかに、事務室、学長室がある。
 施工は土倉土木による。鉄筋コンクリート(RC)造、地上2階一部3階地下1階建、講堂は鉄筋造平屋建、瓦葺、前面中央に八角形の塔屋付(1辺3.3m)、建築面積1637㎡。
◆ファウラー・デントン 栄光館の講堂は、「ファウラー・チャペル」とも呼ばれる。アメリカ合衆国人のE.ファウラー(Eldridge Merick Fowler,1833-1904)が建設資金の寄進者の一人であり、その名が冠された。
 近代、1888年にアメリカン・ボード(アメリカ合衆国人の最古の超教派的な外国伝道団体)の女性宣教師としてデントン(Denton, Mary Florence,1859-1946)は来日した。以後、同志社女子部で長年にわたり教育に携わり、「同志社の母」と敬愛された。デントンは、ジェームズ館、栄光館、静和館の3棟が東西一列に建ち並ぶことを願っていた。
 1900-1901年頃にファウラーとデントンはアメリカ合衆国で初めて出会っている。デントンは最初の休暇で帰国していた。当時のファウラーは、2人目の妻と死別し、後妻との間の娘と暮らしていた。以後、デントンとファウラーは親交する。1901年にファウラーと娘が来日している。
 栄光館建設費用は18万円だった。ファウラーは、デントンの理解者として3分の1を寄付する。さらに、女子部卒業生・在校生、同志社がそれぞれ3分の1ずつ負担した。1918年にファウラー没後、その未亡人と娘から2万ドルの寄付が寄せられている。資金援助には、アメリカン・ボードも協力した。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「同志社女子大」、『京都市の近代化遺産-近代建築編』、ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、『武田五一の建築標本』、ウェブサイト「LCC 新島塾 ・講演要旨同志社女子高等教育に多大 の貢献 をした『Miss Mary Florence Denton』」、ウェブサイト「コトバンク」、『京都の洋館』


関連・周辺,relevance&surrounding area長得院〔相国寺〕   関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 アーモスト館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社クラーク記念館   関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 啓明館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 彰栄館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社女子大学 栄光館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 新島遺品庫  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 新島襄旧邸  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 ハリス理化学館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 有終館  関連・周辺,relevance&surrounding area同志社 礼拝堂   周辺,surrounding area相国寺  関連,relevance同志社墓地・若王子山     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 同志社女子大学栄光館 〒602-0893 京都市上京区玄武町,今出川寺町西入ル
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光