北大路魯山人誕生地 (京都市北区) 
Birthplace of KITAOJI Rosanjin
北大路魯山人誕生地 北大路魯山人誕生地
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「北大路魯山人生誕地」の碑
 美食家として知られた北大路魯山人(きたおおじ-ろさんじん)は、上賀茂のこの地に生まれた。
 誕生地の碑が、大田神社(北区上賀茂)の南、福徳社に隣接して立てられている。 
◆北大路魯山人 近現代の文人・北大路魯山人(きたおおじ-ろさんじん、1883-1959)。本名は房次郎、別号は魯卿、無境、夢境など。京都上賀茂の上賀茂神社社家の次男。父は自死し、6歳で木版師・福田家の養子になる。尋常小学校卒業後、10歳で薬屋の丁稚奉公に出た。15歳以後、「一字書」で受賞を重ねた。養家に戻り日本画を志す。1903年、上京し、1904年、日本美術展覧会書道の部で、隷書「千字文」が一等賞になる。福田鴨亭と名乗った。以後、書と篆刻(てんこく)で身を立て、古美術、絵画、陶芸、漆芸、料理などの幅広い作家活動と研究を続けた。1909年、朝鮮総督府書記、1910年、京都に戻る。1919年、日本橋に古美術商「大雅堂美術店」を開く。食と食器に拘り、料理に興味を抱き自ら厨房に立つ。1921年、器を創作した会員制食堂「美食倶楽部」を開く。1925年、東京赤坂山王台に中村竹四郎と会員制の高級料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を開く。顧問兼料理長になる。1927年、神奈川県北鎌倉に「魯山人窯芸研究所星岡窯」を開設した。荒川豊蔵などを招く。1936年、星岡茶寮を追われた。この頃より陶芸に専念した。1954年、欧米各地で展覧会と講演会が開催されている。1955年、重要無形文化財保持者(人間国宝)を辞退する。1956年、東京の日枝神社境内に「星ヶ岡茶寮」を設立し、自ら調理も行う。76歳。
 実業家・内貴清兵衛(ないき-せいべえ、1878-1955)、日本画家・富田渓仙(1879-1936)、日本画家・土田麦僊(1887-1936)らと親交した。
 横浜で亡くなり、墓は西方寺(西賀茂)にある。


*参考文献・資料 『京都大事典』、『琵琶湖・淀川 里の川をめぐる 鴨川・明神川』、ウェブサイト「コトバンク」


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「北大路魯山人生誕地」の石標  京都市北区上賀茂北大路町
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