二葉姫稲荷神社 (京都市北区)
Futabahime-inari-jinja Shrine
二葉姫稲荷神社 二葉姫稲荷神社 
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手水舎



手水盤



二葉姫稲荷神社



二葉姫稲荷神社



二葉姫稲荷神社



二葉姫稲荷神社



二葉姫稲荷神社、フタバアオイの神紋



金毘羅宮



金毘羅宮・金毘羅大神(こんぴらのおおかみ)



金毘羅宮



金毘羅宮




八嶋龍神・八嶋龍神(やしまりゅうじん)


八嶋龍神



八嶋龍神



八嶋龍神



天之斑駒社・天之斑駒(あめのふちこま)



御影龍神・御影龍神(みかげりゅうじん)



御影龍神
神宮寺の移転後に神宮寺池が埋められた。池の龍神が村人の夢に出たとして龍神を祀ったという。


三月豊不動明王



木の切り株


光善稲荷・光善稲荷大明神(こうぜんいなりだいみょうじん)、



光善稲荷



光善稲荷



境内よりの眺望、男山、生駒山、清水山、吉田山、大文字山、手前に鴨川堤 などが見える。



神宮寺山



【参照】賀茂山口神社の東、旧神宮寺跡に残る礎石

 上賀茂神社の東に神宮寺山(片岡山、標高175m)がある。小山には、二葉姫稲荷神社(ふたばひめ-いなり-じんじゃ)が祀られている。霊木稲荷になる。
 祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおか)を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、820年、神宮寺は第52代・嵯峨天皇の勅により創建されたという。年代不詳、賀茂神社境内摂社の片山御子社(かたやまみこ-じんじゃ)の神宮寺鎮守社として二葉姫稲荷神社は祀られた。  
 1142年、神宮寺は焼失する。(『百錬抄』)
 南北朝時代、1373年、神宮寺は焼失した。(『続史愚抄』)
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により神宮寺は廃絶になる。鎮守社の二葉姫稲荷神社だけが現在地に残された。
◆片山御子社 境内摂社・片山御子社(片岡社)は、祭神・事代主神(ことしろぬしのかみ)であり地主神とし祀られていた。平安時代前期には既に存在し、856年に片山社は官社に列した。(『文徳実録』)。859年に従五位上の社格を与えられた。(『三代実録』)。1017年に正二位を与えられている。(『小右記』)。
◆神宮寺 神宮寺は賀茂山口神社(沢田社)の東にあり、平安時代前期、820年に嵯峨天皇の勅により創建された。平安時代後期、1142年に焼失した。南北朝時代、1373年にも焼失した。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)には十一面観音を安置していた。池(神宮寺池)があり、その後埋め立てられている。
 現在、旧地には基壇、礎石3個が残る。
◆末社 金毘羅宮・金毘羅大神(こんぴらのおおかみ)、天之斑駒社・天之斑駒(あめのふちこま)、光善稲荷・光善稲荷大明神(こうぜんいなりだいみょうじん)、御影龍神・御影龍神(みかげりゅうじん)、八嶋龍神・八嶋龍神(やしまりゅうじん)、三月豊不動明王が祀られている。
◆龍王 かつて神宮寺には池(神宮寺池)があった。龍王を勧請した8つの池の一つだったという。干池ともいい、池の水を替え、干すと旱になると伝えられていた。その後、神宮寺は廃絶し、この池も埋められた。
 その後、池の龍神が村人の夢に現れたため、二葉稲荷神社に龍神を祀ったという。現在、御影龍神が祀られ、楕円形の石が置かれている。(『菟芸泥赴』)
◆魯山人 近現代の文人・北大路魯山人(きたおおじ-ろさんじん、1883-1959)は、自宅のあった上賀茂巡査所から神宮寺山(片岡山)によく登ったという。
 1886年頃の5月、3歳の房次郎(魯山人)は、義姉・やすに背負われ、山道に咲き乱れていた山躑躅(やまつつじ)を目にした。幼心に、陽光に照らし出された、真っ赤な花の「美しさ」に感銘を受けた。その後の、生涯をかけた美追究の信念になり、心の支えになったという。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『お稲荷さんの起源と信仰のすべて 稲荷大神』、『永遠なれ 魯山人』


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二葉姫稲荷神社 〒603-8047 京都市北区上賀茂本山   
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