河合神社 (京都市左京区) 
Kawai-jinja Shrine
河合神社  河合神社
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【参照】フタバアオイの花、葉


拝殿 










拝所








本殿


本殿




本殿
 下鴨神社境内、糺の森南西に、河合神社(かわい-じんじゃ)がある。下鴨神社の第一摂社になる。
 正式には「小社宅(おこそべ)神社」、「鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけ/ かものただすにいますおこそべ)じんじゃ」ともいう。
 かつては「川合社(河合社、ただすのやしろ)」、「只洲(ただす)社」、「糺の宮」とも呼ばれた。
 『方丈記』を著した鴨長明ゆかりの社であり、境内には方丈が再現されている。
 祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと、多多須玉依姫命/玉衣日姫命/玉依日売命)を祀る。賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母であり、鴨一族の祖先を祀る社になる。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「愛宕郡 二十一座 大八座 小十三座」の「鴨川合坐小社宅神社」に比定されている。神格は名神大であり、下鴨神社よりも高かった。 
 女性守護神、日本第一美麗神として崇敬されている。安産、育児、縁結び、学業、延命長寿の守護神としても知られる。朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代、792年、『延喜式』に「鴨川合(かものかはあひに)坐小社宅神社」とある。
 平安時代、858年、「鴨川合神」は従五位下を授けられた。(『文徳実録』同年の条)。文献初例になる。
 859年、従五位上を授けられた。(『三代実録』同年の条)
 1017年、正ニ位を授けられた。(『小右記』)
 1112年、川合社の廻廊などを焼失した。(『中右記』同年条)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、鴨川と高野川の合流点にあることから、男女の仲を守る神としての霊験があるとされた。
 室町時代、1396年、神殿、鳥居が焼失する。(『荒暦』)
 江戸時代、1631年、式年遷宮が行われる。
 1679年、式年遷宮により造営され現在の社殿になる。(『下上賀茂正遷宮私記』)
 1711年、式年遷宮が行われる。(『山城寺社方間数御修復所之事』)
 1741年、式年遷宮が行われた。
 近代、1887年、賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社になる。
◆鴨長明 平安時代後期-鎌倉時代前期の歌人・随筆家・鴨長明(かもの-ちょうめい/ながあきら、1155-1216)。通称は菊大夫(きくだいぶ)、南大夫、法名は蓮胤(れんいん)。父・賀茂御祖神社(下鴨神社)の神職・長継(ながつぐ)の次男。7歳で従五位下に叙される。琵琶は楽所預(がくしょのあずかり)・中原有安(筑州)に学び、桂流を修めた。和歌は勝命、後に六条源家の俊恵に師事し、結社「歌林苑」に加わる。第78代・二条天皇中宮・高松女院の北面の武士になる。祖父・季継の妻の家を継ぎ、菊太夫と称した。1173年、18歳-19歳頃、河合社の正禰宜惣官の父を亡くし、後鳥羽上皇(第82代)の推薦を得ていたにもかかわらず、一族の実力者・鴨祐兼(すけかね) の反対により禰宜職に就けなかった。妻子と別れる。以後、芸道に精進した。1181年頃、『鴨長明集』を編む。1185年頃、30歳頃に家を出て庵を結ぶ。1186年-1187年、紀行『伊勢記』を著す。1200年、後鳥羽院第二度百首の歌人に選ばれた。1201年、『新古今集』編纂のための和歌所寄人(地下)になる。藤原定家、藤原家隆とも交じる。1204年、50歳で出家し、当初は洛北大原(大原山)に隠棲し、蓮胤(れんいん)と号した。1211年、洛南日野外山の地に移り草庵を結んだ。飛鳥井雅経の推挙により鎌倉に下向し、将軍・源実朝に面会する。和歌師範は実現しなかった。日野に戻り、1212年、『方丈記』を著す。仏教説話集『発心(ほっしん)集』、歌論書『無名抄』、『千載集』『新古今集』に入集。方丈の庵で亡くなったという。62歳。
 「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてやすむ」(『新古今和歌集』)
◆建築 境内の南に、東西二つに鳥居が建てられている。
 神門を潜ると、拝殿(舞殿)、弊殿とそれを囲む玉垣がある。西端に御料屋(ごりょうや)が繋がる。弊殿の北に繋がる祝詞屋(にのっとや)、その奥(北)に本殿が続いている。江戸時代まで、21年ごとに式年遷宮が行われていた。
 ◈「神門」は四脚門になる。南面している。
 ◈「本殿」は、江戸時代、1679年の式年遷宮の際に建て替えられた。本社古殿を利用したという。廊下の橋掛りを付ける。下鴨神社本宮とほぼ同じ形式、規模を持つ。切妻造の正面軒が長い流造になる。高床式造、亀腹基壇の上に井桁を組む。三間社流造、桧皮葺。
 ◈玉垣内の西に貴布祢社(きふねしゃ)、その西に任部社(とべしゃ)が建つ。
 ◈神門の南に、三井社が祀られている。
◆河合神社創建伝承 河合神社はかつて、秦氏の祀る神だったともいう。鴨氏の進出により、鴨氏は秦氏の婿になる。祭りを譲られ禰宜(ねぎ)として代々祭礼を司り、同氏の奉祭になったともいう。(『年中行事秘抄』)
 正式名の小社宅(おこそべ)神社とは、社戸(こそべ)の意味であり、社家屋敷神を表した。鴨県主(かものあがたぬし)の宗家・泉亭氏の邸宅内に祀られたのを始まりとするともいう。また、社戸とは神に祈願する世襲の賀茂社社家を意味するともいう。
◆賀茂伝説 玉依姫命は、鴨氏の祖神・賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母になる。
 賀茂伝説では、貴布祢神の本殿から流れ出る貴布祢川を水源とした、瀬見の小川(石川の清川、鴨川)で、丹塗(にぬり)の矢が流れ着いたのを見つける。床の傍らに差しておくと身籠り、男児・賀茂別雷神を産む。
 成人を祝う神集いの際に、祖父・賀茂建角身命が「汝の父と思う人にこの酒を飲ませよ」と言うと、賀茂別雷神は、甍(いらか)を破り昇天した。丹塗りの矢は、乙訓の火雷命(ほのいかずちのみこと)だった。父が天上の雷神であることわかり、賀茂別雷神と名づけられた。
◆摂社・末社 ◈玉垣内の末社「任部社(とうべのやしろ)」は、祭神に八咫烏命(やたからすのみこと)を祀る。賀茂建角身命の化身であり、食物を司る神になる。当社の創祀以来祀られており、古名を「専女社(とうめのやしろ)」という。例祭日(11月15日)。
 後に「小鳥社(こがらすしゃ)」が合祀されている。サッカー必勝祈願の社になる。1931年に日本サッカー協会が八咫烏命をシンボルとしたことによる。
 ◈摂社「貴布禰(きふね)神社」の祭神は高籠神(たかおかみのかみ)になる。水の神であり、平安時代、1161年に当社境内にすでに祀られていたと記されている。(『神殿屋舎等之事』)。例祭日(6月1日)。
 ◈「六社(むつのやしろ/ろくしゃ)」は、 鎌倉時代の「鴨社古圖」(1201)には、御垣内にそれぞれ祀られていた。江戸時代の式年遷宮以来、一棟になった。衣食住の守護神になる。例祭日(11月15日)。
 ⋄右から「諏訪社(すは/すわしゃ)」の祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ、諏訪大神)。  
 ⋄「衢社(みち/ちまたしゃ)」の祭神は、八衢毘古神(やちまたひこのかみ)、八衢毘賣神(やちまたひめのかみ)。
 ⋄「稲荷社(いなりしや)」の祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。
 ⋄「竈神社(竈神)」の祭神は、奥津日子神(おくつひこのかみ)、奥津比賣神(おくつひめのかみ)。
 ⋄「印社(いんしゃ)」の祭神は、霊璽(れいじ)。
 ⋄「由木社(ゆうきしゃ)」の祭神は、少彦名神(すくなひこなのかみ)。薬の神。
 ◈末社「三井社(みついしゃ)」は、三塚社ともいう。
 中社に賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、東社に伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、西社に玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀る。
◆ただす この地は、糺森(ただすのもり)と呼ばれている。語源は「只洲(ただす)」という。「直澄(ただす)」とも記された。賀茂川と高野川が合流する三角州であり、「河合(かあい)森」とも呼ばれた。また、神が顕(たつ、ただす)地、偽りを糺(ただす)神の御座する森、植物の蓼(たで)巣の群生地との説もある。
 社の北には、鎌倉時代、第88代・嵯峨天皇の勅願寺として建立された鴨社の神宮寺跡、新糺池の跡がある。一帯は景勝地として知られており、「鴨の七瀬」として、鴨川、宮川(楢の川)、羽川(高野川)、瀬見の川、月輪川、御手洗川、泉河の名が挙げられる。(『烏邑縣纂書』)
◆方丈記・方丈の庵 当社には、神社と関わり深かった鴨長明が、『方丈記』を執筆した「栖(すみか)」が再現されている。広さは一丈(約3m)四方あり「方丈」の名がある。ただ、長明が「方丈」に住したのはこの地ではなく、大原野、日野だった。
 『方丈記』の冒頭には、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。‥」とある。川は、鴨川を表わしている。
 長明は、1173年18歳-19歳頃、それまで後ろ盾になっていた河合社の正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)の父を失う。後鳥羽院は当初、河合社禰宜に長明を推した。また、別の社を官社に昇格させ禰宜職に就けようとする。だが、同族の惣官・祐乗は後鳥羽院に奏し、河合社禰宜職を自らの子・祐頼とした。また、長明は琵琶の秘曲とされていた「啄木」を師の伝授以前に弾いたとして、楽所預・藤原孝道が後鳥羽院に奏した。長明はその責を取るということも重なる。1204年、50歳で出家し、洛北大原を経て、1211年、日野に草庵を結ぶ。
 『方丈記』は、中世の隠遁者文学の祖とされている。長明は、都で相次いだ災禍、1177年の安元の大火、1180年の治承の辻風と福原遷都の失政、1181年の養和の飢饉、1185年の元暦の大地震など天災、人災について、漢字交じり片仮名文により記述している。見聞、体験、実感を交え、視覚的な描写がなされた。無常観が底流にあり、後半では自身の日常について語る。これらが、住居という視点を介して述べられ、世を否定するとともに、仏教もまた否定した。
 庵は、山の中腹に建てられている。谷には木が茂り、西方は見晴らしがきいた。庵は一丈(3m)四方、高さは七尺(2m)もなく、四畳半一間ほどの広さしかなかった。土台に、簡単な屋根が葺かれ、東に3尺(90cm)の庇があり、南に竹の縁側が付けられていた。材の継ぎ目には掛け金を使い、容易に解体、移動できるようになっていた。これは、式年遷宮での造替に着想したともいう。
 庵の東にある庇の下では炊事をした。薪は周囲の山で調達している。南に懸樋があり、水を溜めたという。東の端に、蕨(わらび)の穂(ほどろ)を敷いて寝床にした。南側に竹の簀の子を敷き、西に閼伽棚(あかだな)があった。阿弥陀、普賢菩薩の絵像が掛けられ、法華経が置かれていた。南西には竹のつり棚、皮製の葛籠(つづら)には『往生要集』、和歌の書なども入れられていた。傍に折琴、継琵琶が立てかけられていた。
◆文化財 河合神社資料館に「鴨長明木像」、 「『方丈記』大福光寺本」など関係資料が展示されている。
◆神宮寺 近代以前は、下鴨神社に限定的ながら神仏習合が成立していた。河合神社には小経所、供僧詰所があった。糺の森には神宮寺が建ち、竜池辺に観音堂があった。
◆美人祈願 女性守護神、日本第一美麗神として崇敬篤い。 
 鏡絵馬がある。手鏡形の絵馬であり、銅鏡の「柄鏡(えかがみ)の形をしている。中国の宋代に始まり、日本では室町時代以降に制作された。近代に入りガラス製に取って代わり廃れた。
 「玉の様に美しい」といわれた祭神の玉依姫命(たまよりひめ)に因み、美人祈願の功徳があるという。絵馬の顔を自分の顔に見立て、自らの化粧道具で化粧を施す。裏に願いごとを書く。祭壇前にある鏡に自らの姿を写して祈願すると成就するという。
◆樹木 境内にイチョウの大木、オガタマノキ、カリンがある。「かりん美人水」が売られている。
◆アニメ ◈アニメーション『四畳半神話大系』(原作・森見登美彦、制作・マッドハウス、 2010年4月-7月、全11話)の舞台になった。近くの紅葉橋も登場する。
◆年間行事 例祭日(11月15日)。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都市の地名』、『京都大事典』、『洛東探訪』、『京の思想家散歩』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都府の歴史散歩 中』、『京都の歴史を足元からさぐる 洛北・上京・山科の巻』、『京都 神社と寺院の森』『京都の隠れた御朱印ブック』、京都市平安京創生館、ウェブサイト「アニメ旅」、ウェブサイト「コトバンク」

   
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摂社・貴布禰(きふね)神社
摂社・貴布禰(きふね)神社

末社・任部社(とうべのやしろ)

六社(むつのやしろ/ろくしゃ)

末社・三井社
   


鏡絵馬

イチョウの大木

   

鴨長明木像

「方丈記」大福光寺本

再現された「方丈の庵」
 
 

「方丈の庵」

方丈内部

方丈内部

「方丈の庵の復元模型(京都市平安京創生館)、展示模型より

「方丈の庵」の移動用荷車の復元模型(京都市平安京創生館)、展示模型より

【参照】鴨長明、「鴨長明入道蓮胤日野山居之図」、案内板より

糺の森

糺の森
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調査 
河合神社 〒606-0807 京都市左京区下鴨泉川町 075-781-0010  6:30-17:00
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