上七軒 (京都市上京区) 
Kamishichiken
上七軒 上七軒 
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始業式





ずいき祭(10月4日)


始業式


始業式


襟(衿)替え


始業式


始業式


始業式










始業式


始業式


梅花祭、襟替の前日までお歯黒となる。


梅花祭


梅花祭


梅花祭


見世出し



見世出し



お茶屋


上七軒歌舞練場、1931年建立、1937年に劇場部分が建てられる。1940年に一部焼失し、改装される。舞台は間口7間、奥行6間ある。


歌舞練習場そばの光盛大明神


長五郎餅
 北野天満宮東門に向かう通りに上七軒(かみしちけん/かみひちけん)はある。上七軒とは、今出川七本松の西から北野天満宮東門までの三町(真盛町、社家長屋町、鳥居前町)をいう。周辺には、お茶屋、料亭、民家などの町屋が建ち並ぶ。 
 京都の5花街の一つであり、最も規模は小さい。京都最古の花街、遊里になる。北野天満宮とのゆかりも深く、芸妓は当宮の氏子になっている。上七軒は「芸の花街」と呼ばれている。土地柄、西陣の旦那衆を顧客としていた。
◆歴史年表 平安時代、北野は平安大内裏の北にあり、遊猟地、放牧地が広がっていた。
 室町時代、1444年/第10代将軍・足利義稙の頃(1442-1443年)、焼失した北野社殿再建の余材により、松原に参詣人休憩のための茶店7軒が建つ。上七軒の起こりになる。また、第7代将軍・足利武勝(在職1508-1521)の時、北野天満宮の社殿修造の際に、築造の残り材で松原に7軒の水茶屋を建てたのが始まりという。(『京都府下遊郭由緒』)。現在の社の東(御前通今出川上る鳥居前町)に建てられ、「七軒茶屋」といわれた。後に北野天満宮に仕えた巫女(神子)は、占い、茶立て女になり、上七軒の芸妓になることもあったという。
 安土・桃山時代、1587年、北野大茶会で、豊臣秀吉は、七軒茶屋「御休憩所」に立ち寄る。秀吉は、出されたみたらし団子を賞賛し、渡世免許(商売特権)、山城一円の法会茶屋株を与える。(『京都府下遊郭由緒』)。以来、上七軒の「定紋」は、櫛団子の意匠「つなぎ団子(五つ団子)」を使用した。
 慶長年間(1596-1615)、阿国が北野社東門前で舞ったという。
 江戸時代、元和年間(1615-1623)、北野社付近の遊女、遊君について記されている。(『仮名草子』)
 寛永年間(1624-1643)、上七軒は公許され、以後、北野門前遊里として栄える。
 1670年、京都西奉行は、上七軒の遊女を禁じる。茶店に茶立女は一人とする。
 元禄・正徳年間(1688-1716)、三町(真盛町、社家長屋町<右近馬場>、鳥居前町)に茶屋10軒があった。(「京都御役所向大概覚書」)
 1730年、祇園大火になる。西陣の大火により上七軒にも被害がある。
 寛保-宝暦年間(1741-1764)、七軒茶屋が廃れる。
 1761年、遊里再編政策により、上七軒は、島原の支配下に入る。(『京都府下遊郭由緒』)。上七軒の真盛町が茶屋株借受し南京極町に進出する。
 1790年、幕府により営業停止命令を受ける。上七軒など4カ所は、5年限りの遊女町を再公許される。各遊所に遊女屋は20軒まで、一軒につき遊女は15人までに限定される。各戸には「寿」の一字を暖簾、軒灯に表示させた。
 1807年、上七軒は、芸者の取扱いも許可される。(『京都府下遊郭由緒』)
 1813年、上七軒の真盛町が平居町(五条橋下)に拡大する。五条橋下遊郭の始まりになる。
 1842年、京都所司代・牧野忠雄は島原以外での営業を禁止する。北野上七軒の遊女渡世、茶立女・芸者を置く茶屋渡世の者に、6カ月内の商売替え、傾城町への移転を命じる。私娼は島原に送られ、島原は栄えた。(『京都府下遊郭由緒』)
 1851年、北野上七軒ほか4カ所について10年間に限り遊女、芸者共に公許される。(『京都府下遊郭由緒』)
 安政年間(1854-1860)、上七軒は芸妓を主とする。
 1856年、北野上七軒など4カ所に、5年に限り茶屋渡世の公許がされる。
 1857年、上七軒などへの遊女屋、茶屋渡世出稼も許可される。
 1859年、五番町(上京区)は、上七軒の出店として遊女屋茶屋渡世の許可が下りる。(『京都府下遊郭由緒』)。五番町遊廓の始まりになる。
 1860年、上七軒の遊女町公許が通年になる。
 近代、1870年、上七軒の慣用として用いていた暖簾、行灯印「寿」は、ほかの遊郭と同様の「遊」に改められる。京都府の支配に移る。
 1872年、政府は芸妓娼妓解放令を発する。
 1873年、上京六区婦女職工引立会社が開業した。
 1882年、「貸座敷取締規則」「娼妓営業取締規則」が布達される。貸座敷営業免許地として、京都市内9カ所、上七軒、市外6カ所の合計15カ所を定める。
 1902年、上七軒の北野会館(北野倶楽部)が完成する。上七軒秋の温習会「寿会」が始まる。
 1905年、上七軒に娼妓が出る。
 1912年、茶屋30軒、芸妓60人ほどがいた。
 1931年、現在の歌舞練場が建てられた。
 1937年、現在の歌舞練場の劇場部分が建てられる。
 1940年、歌舞練場が火災になる。北玄関、稽古場、宴会場が焼失し、その後、改装された。
 現代、1952年、菅原道真1050年大萬燈祭記念として北野をどりが創始され初演される。北野天満宮で梅花祭野点大茶湯が始まった。
 1958年、遊郭が廃止された。
 1962年、北野をどりが休演する。
 1963年、上七軒でビアガーデンが始まる。
 1974年、北野をどりが中止になった。
 1977年、北野をどりの半萬燈祭記念が行われる。
 1994年、平安遷都1200年に際して五花街伝統芸能特別公演が開催される。
 2002年、北野をどりの上演50周年を行う。
 2003年、上七軒歌舞練場でのビアガーデンが始まった。
 2010年、上七軒歌舞練場の改修工事が終了する。
◆上七軒 室町時代中期、1444年、西の京の神人により北野社殿が焼かれた。第10代将軍・足利義稙は、再建に際し、社殿の余材により、松原に参詣人休憩のための茶店7軒を建てた。これが、上七軒の起こりになる。
 また、7代将軍・足利武勝(在職1508-1521)の時、北野社の社殿修造の際に、築造の残り材で松原に7軒の水茶屋を作ったのが始まりともいう。現在の社の東に建てられ、「七軒茶屋」といわれた。
 北野天満宮に仕えた巫女(みこ、神子、口寄せ巫女)は、10代の少女に限られた。20歳を超えた巫女は、占い、茶立て女になった。茶の湯を学び、七軒茶屋で茶立てをした者が上七軒の芸妓の起源ともいう。上七軒と称されたのは、御所の北(上)に位置した七軒のためといわれている。
 現在、お茶屋は10軒ある。芸妓19人(地方5人、立方14人)、舞妓は7人いる。(2009年)。舞いは花柳流。稽古場は検番、舞台は上七軒歌舞練場になる。
◆みたらし団子 安土・桃山時代、1587年、北野大茶会で、豊臣秀吉は七軒茶屋「御休憩所」に立ち寄り、みたらし(御手洗)団子を賞賛し、後に山城国中の法会の場所に渡世免許を与える。このため上七軒の「定紋」は、櫛団子の意匠の「つなぎ団子」を使うようになる。
 団子は、明治維新後まで6月の晦日に、芸妓により作られたものが、干しカマス10枚を添えて、東西町奉行と下鴨神社へ奉献されていたという。いまも上七軒では、秀吉を祀る豊国神社(東山区)に団子を奉納している。
 上七軒の記章は、5つのつなぎ団子が二本、双方から円を描いている。
 なお、北野の名物としては、長五郎餅(白餅に漉し餡)、粟餅(粟餅に漉し餡)があった。
◆土方歳三 幕末期、新選組副長・土方歳三(1835-1869)は、京の各花街の女たちのに慕われた。上七軒には、君菊という馴染の舞妓があった。後に、土方の子を産んだともいう。
建築 
「上七軒歌舞練場」は、近代、1931年に建立された。また、この時、改築された建物を母体とした。1937年に劇場部分が建てられる。1940年に一部焼失し、その後、改装された。第二次世界大戦後、「北野会館」と呼ばれ、進駐軍のダンスホールに使用され「北野キャバレー」とも呼ばれた。現代、1952年に本来の姿に戻り、1955年に応接室、茶室が増設される。2010年、改修工事が終了する。
 玄関ホール、応接室は焼失以前の構造を残している。舞台部分は1937年に改装されたとみられる。間口7間、奥行6間。鉄筋コンクリート造二階建、瓦葺、外装はタイル貼。
 観覧席部分は格天井、屋根裏は洋小屋で組む。木造、二階建、入母屋造、桟瓦葺。
◆文学 川端康成(1899-1972)の『古都』(1962)に、上七軒、お茶屋など登場する。
◆上七軒の催し 始業式(歌舞練場、黒紋付の芸舞妓らが新年の挨拶を交わす。前年度成績優秀者の表彰式、素囃子披露)(1月5日)、節分とお化け(北野天満宮での舞、豆まき、前後3日間は「お化け」)(2月3日か4日)、梅花祭(芸舞妓の野点)(北野天満宮、秀吉の大茶会にちなみ、野点茶会で芸妓による手前披露)(2月25日)、京都東山花灯路(五花街)(3月第2土曜日-21日)、北野をどり(北野会館、舞は花柳流)(4月15-25日)、都の賑い・五花街の夕べ(五花街合同)(京都会館第一ホール)(6月第3土曜日、日曜日)、上七軒ビアガーデン(歌舞練場)(7月1日-8月31日)、八朔」(8月1日)、ゆかた会(8月)、寿会(歌舞練場)(10月)、ずいき祭(芸舞妓による神輿の見送り)(10月1日-5日)、時代祭(京都御所-平安神宮)、五花街が交替で、小野小町、静御前、巴御前に扮する)(10月22日)、上七軒歌舞会(北野天満宮)(11月1日)、お献茶(北野天満宮、西方寺、歌舞練場)(12月1日)、顔見世総見(南座、五花街の芸舞妓の総見)(12月上旬)、事始め(挨拶回り、お鏡を収める)(12月13日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています

*参考文献・資料 『京都市の地名』、『日本花街史』、『京都歴史案内』、『京の花街』、『京の花街ものがたり』、『京の花街 ひと・わざ・まち』、『京都府の歴史散歩 上』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都大事典』、『京都の地名 検証2』、『京都はじまり物語』、『京都の近代化遺産』、『京都ぎらい』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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