西方尼寺・本光院門跡 (京都市上京区) 
Saiho-niji Temple 
西方尼寺 西方尼寺
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本堂


庫裏






上七軒
 西方尼寺(さいほうにじ)は、北野天満宮の東、真盛(しんせい)町の花街上七軒内にある。町名は当寺開山の真盛に因む。茶道と関わりが深く、「茶の寺」として知られている。境内に、再興された本光院門跡(蔵人御所)がある。
 天台宗真盛派、本尊は腰掛阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 室町時代、文明年間(1469-1487)、天台宗の真盛を開山とし、かつて葛野郡大北山村(北区)に創建された。当初は、西福寺(さいふくじ)といわれたという。開山(開祖)は真盛の弟子で尼僧の盛久、盛春ともいう。両人の庵室だったともいう。
 永正年間(1504-1521)、現在地に移り、寺名を西方寺に改めたともいう。
 また、安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、北野三宮寺の一つ徳勝院の尼・真盛が、院の一部を寄進し、建立したともいう。
 現代、1968年、本堂が建てられる。西方寺と本光院は合併した。
◆真盛 室町時代の天台宗真盛派(天台真盛宗)の祖・真盛(しんせい、1443-1495)。伊勢国に生まれた。円戒国師・慈摂大師とも称された。比叡山西塔の慶秀に師事し、黒谷青龍寺で称名念仏を唱えた。近江国坂本・西教寺を再興し、天台宗真盛派の本寺とした。恵心僧都源信の『往生要集』に傾倒した。
 比叡山延暦寺に円戒国師寿塔がある。
◆盛久・盛春 室町時代の尼僧・盛久・盛春(生没年不詳)。詳細不明。伊勢の生まれという。姉妹であり、真盛の弟子。西福寺開山とされる。
◆無説尼 南北朝時代の尼僧・無説尼(?-1363)。渋川貞頼の娘。武将・足利直義(1306-1352)(足利尊氏の異母弟)の妻・本光院殿。天龍寺の夢窓疎石に学び、1352年、夫没後、出家した。足利尊氏に背いた夫は暗殺されたという。息子も喪い、その後出家したという。春屋妙葩春に参禅した。
◆無夢自性尼 江戸時代の尼僧・無夢自性尼(?-1661)。日心尼。第107代・後陽成天皇の妃。大聖寺の永宗尼の母。1617年頃、出家。本光院を中興した。
◆本光院 境内に、再興された本光院がある。天台宗で、本尊は織田信長の念持仏という地蔵菩薩像を安置する。
 創建の詳細は不明。鎌倉時代-南北朝時代の武将・足利直義(1306-1352)(足利尊氏の異母弟)の妻・本光院殿(渋川貞頼の娘)が開山したという。また、1302年、第94代・後二条天皇の皇女・べん子内親王が天皇の菩提を弔うために建立したともいう。(寺伝)。 *べん子のべんは女偏に便( 女+便)
 当初は嵯峨にあったとみられ臨済宗だった。その後、日蓮宗、浄土宗、天台宗と変わる。15世紀(1401-1500)に景愛寺の末寺になり、本光寺住持が本山住持を兼務した。住持には室町時代後期まで足利氏支族斯波氏が就き、15世紀後半より一条家が入る。応仁・文明の乱(1467-1477)後、禁裏御所近くに移る。1500年頃に焼失し、信長が寺領、復興の援助を行う。その後、無夢自性尼(日心尼)が中興する。その娘・永宗尼が継ぎ、東福門院に援助を願う。幕府は大聖寺を通じて50年にわたり援助した。江戸時代、1673年に焼失し、その後、北野に移る。
 近代、1875年以降、天台宗・西雲寺の住持が兼務した。その後、西方寺住持兼務に変わる。1968年に西方寺と合併した。
◆べん子内親王 鎌倉時代末期-南北朝時代の皇族・べん子内親王(べんし ないしんのう、1302-1362)。第94代・後二条天皇の第一皇女。母は天皇後宮で平棟俊の娘(勾当内侍)。1320年、内親王宣下、准三宮・女院号宣下を受け、寿成門院と称した。父・後二条天皇の13回忌の追善法要の際に出家する。風雅和歌集などに採録。法号は清浄円。 *べん子のべんは女偏に便(女+便)
◆祖仙尼
 江戸時代の尼僧・祖仙尼(生没年不詳)。裏千家6世六閑斎(りっかんさい)宗安(1694-1726)の妹。剃髪し西方尼寺に入り、祖仙尼と称した。竺叟宗乾(ちくそう そうけん)、一燈宗室の後見をなし、西方尼寺30世。
◆仏像 本尊の「阿弥陀如来」は、椅子に掛けており、腰掛如来と呼ばれている。
◆建築 「表門」は、安土・桃山時代の建立という。
◆文化財 絹本著色「世継観世音菩薩像」は、室町時代、16世紀(1501-1601)作。
◆利休井戸・茶道 境内本堂前にある「利休の井」は、安土・桃山時代、1587年に豊臣秀吉が催した北野大茶会の際に、利休が用いた水という。
 本光院の30世・祖仙尼は、裏千家5代・千常叟(不休斎常叟、1673-1704)の妹であり、以後茶道が盛んになる。江戸時代、安永年間(1722-1780)以後、念仏と茶を一体化した「念茶一味」の茶道が確立した。 
 茶室「紫水庵」がある。上七軒の芸妓、舞妓は、当寺で裏千家の茶の稽古をしている。
◆庭園 江戸時代作庭の枯山水式庭園がある。苔地に飛石、その先に自然石の石橋が架かる。築山の左手に亀頭石、立石2石の滝添石の間に低い石がありここが滝水になる。滝水は窪地に落ちる。また、この2石が鶴石組の羽を兼ねているともいう。
◆利休椿 裏千家ゆかりの当寺の庭に、千利休手植えという「利休椿(五色散椿)」がある。一本の木に、さまざまな色の花を付け、散り椿が知られている。4月初旬より1カ月ほど開花する。
 庭には土瓶が逆さまにして置かれている。
◆真盛豆 茶菓子の「真盛豆(しんせいまめ)」は、煎った丹波産黒豆に大豆粉と砂糖蜜を重ね、外側に青海苔がまぶされた緑色の球状の菓子をいう。「衣豆」とも呼ばれた。
 室町時代、真盛は辻説法の聴衆に対して、菜の葉(大根の葉とも)と塩をまぶした豆を配ったという。弟子で西方尼寺の盛久と盛春尼がこの製法を伝授され、代々伝えられてきた。事始には尼僧により作られたものを本山・西教寺、茶道・千家へ贈る慣わしになっていた。
 安土・桃山時代、1587年、北野大茶会で、豊臣秀吉は茶事に合うとして真盛豆を賞賛した。武将、歌人の細川幽斎(1534-1610)は「苔のむす豆」と例えたという。
 近代、1868年、和菓子店「金谷正廣」の初代は、この製法を学び銘菓として完成させた。店は、江戸時代末期、1856年、金沢の金谷庄七が京都で創業した。
◆千日回峯行 比叡山延暦寺の千日回峯行者は、京都大廻りの際に、北野天満宮を経て当寺に立ち寄る。信者への加持を行い、一服する。
◆年間行事 北野大茶会(当寺は副席になる)(12月1日)。 
 別時念仏(毎月10日)。


*非公開
*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『尼門跡寺院の世界』『京都・山城寺院神社大事典』『おんなの旅路 京・奈良の尼寺』『京都歴史案内』『北嶺のひと 比叡山・千回峰行者 内海俊照』『京都古社寺辞典』『古都の尼寺』『京の花街』『京都秘蔵の庭』『京都の地名 検証2』


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 西方尼寺 〒602-8381 京都市上京区真盛町742,今出川七本松西入る南側  075-461-2369
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